岐阜少年院
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岐阜少年院(ぎふしょうねんいん)とは、岐阜県各務原市各務にかつて存在した初等・中等少年院である。1986年に廃止された。
跡地は各務原市が買収し、各務原スポーツ広場になっている。
概要
[編集]処遇指標
[編集]- J級(少年)
- T級(専門的治療処遇を必要とする者のうち、一般行刑施設に収容される者)
- A級(初犯)
- B級(再犯。ただし、暴力団関係者は初犯でもこちらに分類された)
沿革
[編集]- 1943年(昭和18年) - 川崎造船所(現:川崎重工業)岐阜工場が、稲葉郡各務村地内の各務山南の畑地[2]に、少年修練道場をつくる。通称:日輪舎。(1945年まで、朝鮮に帰還する在日朝鮮人の宿泊施設)
- 1946年(昭和21年)8月 - 元岐阜警察署長で[3]、当時岐阜合同無尽(岐阜銀行→現:十六銀行)会頭取締役だった河合甚助が、地域住民らと特殊隊を結成。川崎造船所岐阜工場少年修練道場を買収。各務原少年訓練所とする。
- 1949年(昭和24年) 1月 - 少年院法により、法務府が各務原少年訓練所を買収。瀬戸少年院の分院として「各務農芸学院」設置[4]
- 1952年(昭和27年) 5月 - 岐阜少年院として独立。木造の岐阜少年院建屋が建設される[5]。
- 1955年(昭和30年) - このころから、日輪舎の取り壊しを開始。
- 1985年(昭和60年)11月 - 法務省より、収容業務停止処分。主な理由は入院する少年数の減少や施設の老朽化。以降、1986年4月まで交通刑務所[6]。
- 1986年(昭和61年) 5月 - 全面廃止。
主な施設
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参考文献
[編集]- 「岐阜少年院史」(岐阜少年院 1985年) p4〜30
- 「鵜沼町 百年史」(創文出版社 1988年11月) p238
脚注
[編集]- ^ a b c d 『岐阜少年院史』4-12頁
- ^ この畑地の北東には、縄文時代のものと推定される円形の古墳があった。詳しい調査はされなかったが、岐阜少年院施設内に保存してあった。岐阜少年院が廃止され、スポーツ広場になる際に崩され、消滅した。現在のスポーツ広場東駐車場西側あたりにあった。
- ^ 岐阜県警察史編さん委員会編集『岐阜県警察史』下巻、岐阜県警察本部、1982年、1090ページ。
- ^ 法律第八十三号(昭二六・三・三一) 法務府設置法の一部を改正する法律
- ^ 法律第百二十八号(昭二七・五・一) 法務府設置法の一部を改正する法律
- ^ 少年院の現代史-昭和52年通達まで- (PDF) 比較法制研究(国士舘大学)第30号(2007)p.115-137【128頁参照】