川端義雄
川端義雄 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1943年1月17日(81歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
中京→栗東・諏訪佐市(1967年 - 1969年) 栗東・高橋直(1969年 - 1981年) 栗東・フリー(1981年 - 1987年) |
初免許年 | 1967年3月4日 |
免許区分 | 平地(初期には障害の免許も保持) |
騎手引退日 | 1987年5月31日 |
重賞勝利 | 9勝 |
通算勝利 | 2975戦296勝 |
川端 義雄(かわばた よしお、1943年1月17日 - )は、北海道出身の元騎手・調教助手。
経歴
[編集]1960年代
[編集]1967年3月4日に中京・諏訪佐市厩舎からデビューし、同4日の中京第2競走4歳未勝利・サクセンエース(7頭中5着)[1]で初騎乗を果たすと、翌5日の中京第6競走4歳以上オープン・セングンで初勝利を挙げる[2]。
7月2日の阪神では初の1日3勝を挙げ、同日の第11競走5歳以上150万下では14頭中14番人気のカレントグローリで勝利[3]。
同22日の中京で初の1日2勝、10月14日・15日の京都では初の2日連続勝利を記録[3]。
重賞でもマンジユで京都牝馬特別・愛知杯2着、阪神牝馬特別3着[4]に入り、京都牝馬特別と阪神牝馬特別ではワカクモ・シーエースの桜花賞馬2頭に先着[5] [6]した。
ギンオーザではタマツバキ記念2着[7]を経て、読売カップ(秋)で人馬共に重賞初勝利[7] [8]を挙げる。
1年目の1967年から2桁勝利で20勝台となる20勝[9]をマークすると、同年には中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞し[10]、1973年まで7年連続2桁勝利[9]を記録。
3年目の1969年には栗東・高橋直厩舎に移籍し、ランドエースで鳴尾記念3着を経て[11]、京都記念(秋)でサラ系重賞初勝利と同時に2年ぶりの重賞勝利[12]を挙げ、勝利数も2年ぶりの20勝台で自己最多となる24勝[9]をマーク。
1970年代
[編集]1970年にはランドエースで京都記念(春)3着[11]、二冠馬のタニノムーティエが大敗した朝日チャレンジカップ2着[13]、続くハリウッドターフクラブ賞でもスピーデーワンダー・スピードシンボリ・リキエイカンを抑えて2着[14]に入った。
1971年からはテスコボーイの初年度産駒[15]でサラブレッド系種のランドプリンスの主戦騎手を務め、デビューから引退までの全21戦に騎乗。
1972年には年明け4連勝で東上し、京成杯で7頭中6番人気ながらヒデハヤテの2着、東京のオープン、弥生賞では共にロングエースの2着と堅実な成績を挙げる[16] [17]。
ヒデハヤテ引退後のクラシックではロングエース・タイテエムと「関西三強」を形成し、皐月賞では3番人気に支持される[18]。参考に見た前走のビデオではイシノヒカルが強いと思い、レースでは3、4コーナーは内を通って引きつけ、坂を上がってからという郷原洋行のアドバイスを意識して騎乗[19]。逃げるトルーエクスプレスを追ってロングエース・タイテエムが互いに牽制する[17]展開になったが、ランドプリンスは後ろのインで流れに乗り[18]、3、4コーナーで大外から全馬をまくって先頭に並びかけたイシノヒカルをゴール前で1/2馬身差し返し[18]優勝。
東京優駿ではタイテエムだけをマーク[19]したが、スローペースから少しピッチが上がった4コーナー手前で後方から動き出し、一気に先団に取り付くと、坂下で3頭が揃う[20]。何となく押し出されるように来て、坂を上がってからは一番先に手が動く[19]。ゴール前で鼻面を揃える追い合い[18]を演じたが、調子が落ちていたことから内に刺さるところを見せる[19]。3頭が並んでいて真っ直ぐ走ることだけに神経を遣ってしまい[19]、結局は追えない状態のまま[19]、ロングエースにクビ差及ばず[18]2着[21]に終わった。
神戸新聞杯ではタイテエムとマッチレースのような競り合いに終始し、2000m2分0秒5のレコードで他馬を大きく離して2着[17]、京都新聞杯では道悪でタイテエム以上に期待されるもやや不振の4着[17]、本番の菊花賞でもイシノヒカル・タイテエムに先着を許す4着に敗れた。
1972年は芸能プロモーターの古川益雄が所有する九州産馬のアングロアラブ・ジャズでアラブ大賞典(春)を制したほか[22]、60kgを背負った[22]読売カップ(秋)では2分3秒5のレコードで制し[17]、同年の優駿賞最優秀アラブを獲得[17]。
1974年には義理の弟の出口隆義が諏訪厩舎からデビュー[23]するが、自身は初の1桁となる7勝[9]に終わる。
1975年も9勝に終わるが、1976年から1979年には4年連続2桁勝利を記録[9]。
1976年にはロードカップで日本経済新春杯をロングホークの3着[24]とし、中京記念では4年ぶりの重賞勝利[25]を挙げる。同年の第1回エリザベス女王杯ではメイショウグリーンでシービークインを抑えて関西馬最先着の6着[26]に入ったが、馬主の松本好雄が高橋厩舎を訪問した際は一緒に茶を飲みながら話した[27]。
1980年代
[編集]1980年は自己最低の4勝に終わったが、フリーに転向した1981年から1984年には再び4年連続2桁勝利を記録[9]。
1982年にはタマツバキ記念・バッファハーバーで6年ぶりの重賞勝利[28]を挙げ、10年ぶりで最後の20勝台となる21勝[9]をマーク。
1983年には中京記念で関東馬アローボヘミアンに安田隆行に替わって騎乗し[29]、エリモローラ・フジマドンナ・オペックホースを抑えて[30]同レース2勝目[28]を挙げる。ロングエース産駒のワイドオーでは京都4歳特別を制し、暮れの愛知杯でアローボヘミアンとアタマ差2着[31]。CBC賞ではバンブーハンターでニホンピロウイナー・ハッピープログレスに次ぐ3着[32]に入った。
1984年には金杯(西)をワイドオーでロンググレイスの2着[33]に入り、自身最後の2桁となる13勝[9]をマーク。
1987年5月30日の阪神第6競走4歳400万下では武豊の初勝利馬ダイナビショップ[34]に騎乗し、新馬戦でタマモクロスを破っていた[35]アイチマツシマに3馬身付けて[36]逃げ切ったのが最後の勝利となり、翌31日の阪神第8競走4歳以上400万下・ヤングシバオー(14頭中4着)を最後に引退[37]。
引退後は調教助手[38]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 289 | 281 | 281 | 2073 | 2942 | .098 | .194 |
障害 | 7 | 4 | 7 | 15 | 33 | .212 | .333 |
計 | 296 | 285 | 288 | 2106 | 2975 | .099 | .195 |
- 主な騎乗馬
- ギンオーザ(1967年読売カップ (秋))
- ランドエース(1969年京都記念 (秋))
- ジャズ(1972年アラブ大賞典 (春)・読売カップ (秋))
- ランドプリンス(1972年皐月賞)
- ロードカップ(1976年中京記念)
- バッファバーバー(1982年タマツバキ記念)
- アローボヘミアン(1983年中京記念)
- ワイドオー(1983年京都4歳特別)
脚注
[編集]- ^ “4歳未勝利|1967年3月4日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “川端義雄のプロフィール”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b “抽出[通算 1着レース]|川端義雄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “マンジユ (Manju)”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “京都牝馬特別|1967年11月19日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “阪神牝馬特別|1967年12月24日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b “ギンオーザ”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|川端義雄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “川端義雄の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “平成30年度「中央競馬関西放送記者クラブ賞」の決定について”. company.jra.jp. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b “ランドエース”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|川端義雄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “朝日チャレンジカップ|1970年9月20日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “ハリウッドターフクラ|1970年10月18日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “【2冠をめぐる物語 第三章】天馬の栄光と蹉跌~トウショウボーイ Part1”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “ランドプリンス (Land Prince)”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f “Adobe Photoshop PDF”. www.yushunweb.jp. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e “日刊競馬で振り返る名馬 - イシノヒカル(1972年・第33回菊花賞)”. www.nikkankeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 小林皓正『小林皓正の競馬ワンダーランド』1992年、コスモヒルズ、ISBN 4877038086、p68。
- ^ 『小林皓正の競馬ワンダーランド』、p66。
- ^ “東京優駿|1972年7月9日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b “ジャズ (Jazz)”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “競馬ニホン歳時記 前夜通信社公式 on X: "左から佐々木(現調教師)、西園(現調教師)、寺田、稲葉、出口隆、池添(兼雄、現調教師)、佐野(のち田所清広、調教師)、河内(現調教師)、秋山、伊藤稔の当時デビューした騎手たち。 馬に乗って運動中だったのは岩元(現調教師)騎手でした。 https://t.co/3uTxou6gjM" / X”. x.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “ロードカップ”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|川端義雄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “エリザベス女王杯|1976年11月21日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “インタビュー・コラム詳細-インタビュー・コラム一覧-|日本馬主協会連合会-JOA-”. joa.gr.jp. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b “抽出[通算 1着レース]|川端義雄の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “アローボヘミアン (Arrow Bohemian)”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “トヨタ賞中京記念|1983年2月6日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “農林水産省賞典愛知杯|1983年12月4日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “CBC賞|1983年12月18日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “カツタイコウ (Katsu Taiko)”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “ダイナビショップ (Dyna Bishop)”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “4歳新馬|1987年3月1日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “4歳400万下|1987年5月30日”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “川端義雄の近走成績”. netkeiba.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ 『小林皓正の競馬ワンダーランド』、p67。