師戸
表示
師戸 | |
---|---|
北緯35度45分38.3秒 東経140度11分1.4秒 / 北緯35.760639度 東経140.183722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 印旛地区 |
標高 | 27 m |
人口 | |
• 合計 | 460人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1615[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は師戸地区構造改善センター付近 |
師戸(もろと)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1615[2]。
地理
[編集]北は鎌苅、北東は鎌苅干拓、東から南は師戸干拓、西は岩戸に隣接している。
歴史
[編集]江戸期は師戸村であり、下総国印旛郡のうち。「寛文印知集」では寛文4年佐倉藩領分の村と見え、「各村級分」では旗本川口氏・永井氏の相給、「旧高旧領」では佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」806石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに810石余。水戸街道我孫子宿の助郷村。延享3年指出帳によれば、家数102・人数599、溜池9か所、郷蔵1、水除堤400間、印旛沼の対岸臼井村間に渡し船があり、馬渡船1・小渡船1・猟船19(馬場家文書)。慶応3年頃の反別田50町余・畑28町余・新田畑1町余、年貢は米229石余・金1分・永3貫余。文化10年新開場検地があった。神社は宗像神社、寺院は真言宗広福寺・長円寺。明治6年千葉県に所属。明治22年宗像村の大字となる[4]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 宗像村大字師戸になる。
- 1955年(昭和30年)3月10日 - 印旛村師戸となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市師戸となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
師戸 | 187世帯 | 460人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立いには野小学校 | 印西市立印旛中学校 |
施設
[編集]- 師戸地区構造改善センター
- 願船漆文化資料館
- 願船漆工房
- アトリエMoon/ギャラリーわらね
- 廣福寺
- 長円寺
- 宗像神社
- 金比羅神社
- 印旛沼公園
- 師戸橋機場
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 850頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2020年4月1日). 2020年4月14日閲覧。
鎌苅 | 鎌苅干拓 | |||
岩戸 | ||||
師戸 | ||||
師戸干拓 |