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甚兵衛 (印西市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 千葉県 > 印西市 > 甚兵衛 (印西市)
甚兵衛
甚兵衛の位置(千葉県内)
甚兵衛
甚兵衛
甚兵衛の位置
北緯35度49分11.4秒 東経140度13分39.3秒 / 北緯35.819833度 東経140.227583度 / 35.819833; 140.227583
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 印西市
地区 本埜地区
標高
5 m
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
270-2304[2]
市外局番 0476[3]
ナンバープレート 習志野
※座標・標高は管理釣場甚兵衛沼管理事務所付近
※人口は非公表のため省略。

甚兵衛(じんべえ)は、千葉県印西市大字郵便番号270-2304[2]

地理

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北は立埜原笠神、北東は、下井、東は長門屋、南東は下井、南は長門屋、南西は萩埜、西は本埜小林和泉屋、北西は本埜小林に隣接している。

小字

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小字は以下の通り[4]

  • 堤内(ていない)
  • 堤外(ていがい)

歴史

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江戸期は甚兵衛新田であり、下総国印旛郡のうち。笠神埜原新田に属す。寛文年間笠神村御立野原を開発して成立。はじめ幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から再び幕府領。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに見えず、「旧高旧領」125石余。江戸中・後期は笠神埜原新田10か村組の1つで、天保3年十ヶ村請免状写によれば、畑・埜地・屋敷から成り反別20町6反余、年貢は永122文8分余を上納(吉植家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は八幡神社・水神社(印旛郡誌)。明治22年埜原村の大字となる[5]

年表

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  • 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 埜原村大字甚兵衛新田となる。
    • 町村制施行し、下曽根新田、下井新田、松木新田、将監新田、中田切新田、長門屋新田、和泉屋新田、佐野屋新田、甚兵衛新田、中根新田、行徳新田、松虫新田、押付新田、萩原新田、安食卜杭新田の大部分、小林新田、酒直卜杭新田が合併し埜原村が発足。
  • 1910年(明治43年) - 埜原村大字甚兵衛となる[5]
    • 甚兵衛新田が改称し、埜原村大字甚兵衛となる。
  • 1913年(大正2年)4月1日 - 本埜村甚兵衛となる。
  • 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市甚兵衛となる。

施設

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  • 管理釣場甚兵衛沼管理事務所

交通

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道路

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脚注

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  1. ^ 印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1453頁
  5. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 472頁