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多々羅田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 千葉県 > 印西市 > 多々羅田
多々羅田
多々羅田の位置(千葉県内)
多々羅田
多々羅田
多々羅田の位置
北緯35度47分35.6秒 東経140度7分45.9秒 / 北緯35.793222度 東経140.129417度 / 35.793222; 140.129417
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 印西市
地区 船穂地区
標高
25 m
人口
2017年(平成29年)10月31日現在)[1]
 • 合計 63人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
270-1346[2]
市外局番 0476[3]
ナンバープレート 習志野
※座標・標高は多々羅田青年館付近

多々羅田(たたらだ)は、千葉県印西市大字郵便番号270-1346[2]

地理

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北は船尾、北東は高花、南は船尾、西は内野に隣接している。

飛び地があり、鹿黒南草深泉野大塚に隣接している。

歴史

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江戸時代多々羅田村であり、下総国印旛郡のうち、寛永年間(1624年~1645年)から高岡藩領、1660年(万治3年)から旗本井上氏領、1701年(元禄14年)から佐倉藩領、「旧高旧領」では幕府佐倉藩の相給。

村高は「元禄郷帳」14石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに83石余。なお「旧高旧領」に見える幕府領分9万石余は、享保年間(1716年~1736年)に開発された切添新田にあたると思われる。1857年(安政4年)「領分村高領帳」によれば、佐倉藩領分は免取で畑方永納、ほかに夫役永130文と見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。

1873年(明治6年)千葉県に所属。神社は厳島神社・天神社(印旛郡誌)。1889年(明治22年)船穂村の大字となる[4]

年表

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  • 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 船穂村大字多々羅田となる。
    • 町村制施行し、船尾村、結縁寺村、多々羅田村、戸神村、武西村、松崎村、泉新田、惣深新田が合併し印旛郡船穂村が発足。
  • 1954年(昭和29年)12月1日 - 印西町多々羅田となる。
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 印西市多々羅田になる。
    • 印西町が市制施行し、印西市になる。

世帯数と人口

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2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
多々羅田 21世帯 63人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

番地 小学校 中学校
全域 印西市立船穂小学校 印西市立船穂中学校

施設

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  • 多々羅田青年館
  • 厳島神社

交通

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道路

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脚注

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  1. ^ a b 印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 534頁
  5. ^ 印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。