多々羅田
表示
多々羅田 | |
---|---|
北緯35度47分35.6秒 東経140度7分45.9秒 / 北緯35.793222度 東経140.129417度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 船穂地区 |
標高 | 25 m |
人口 | |
• 合計 | 63人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1346[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は多々羅田青年館付近 |
多々羅田(たたらだ)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1346[2]。
地理
[編集]歴史
[編集]江戸時代は多々羅田村であり、下総国印旛郡のうち、寛永年間(1624年~1645年)から高岡藩領、1660年(万治3年)から旗本井上氏領、1701年(元禄14年)から佐倉藩領、「旧高旧領」では幕府・佐倉藩の相給。
村高は「元禄郷帳」14石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに83石余。なお「旧高旧領」に見える幕府領分9万石余は、享保年間(1716年~1736年)に開発された切添新田にあたると思われる。1857年(安政4年)「領分村高領帳」によれば、佐倉藩領分は免取で畑方永納、ほかに夫役永130文と見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。
1873年(明治6年)千葉県に所属。神社は厳島神社・天神社(印旛郡誌)。1889年(明治22年)船穂村の大字となる[4]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 船穂村大字多々羅田となる。
- 町村制施行し、船尾村、結縁寺村、多々羅田村、戸神村、武西村、松崎村、泉新田、惣深新田が合併し印旛郡船穂村が発足。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 印西町多々羅田となる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西市多々羅田になる。
- 印西町が市制施行し、印西市になる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
多々羅田 | 21世帯 | 63人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立船穂小学校 | 印西市立船穂中学校 |
施設
[編集]- 多々羅田青年館
- 厳島神社
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 534頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。
船尾 | ||||
内野 | 高花 | |||
多々羅田 | ||||
船尾 |
鹿黒南 | ||||
大塚 | 草深 | |||
多々羅田(飛び地) | ||||
泉野 | 泉 |