岩戸 (印西市)
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岩戸 | |
---|---|
北緯35度45分46秒 東経140度10分0.9秒 / 北緯35.76278度 東経140.166917度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 印旛地区 |
標高 | 23 m |
人口 | |
• 合計 | 874人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1616[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は印西市役所岩戸出張所付近 |
岩戸(いわと)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1616[2]。
地理
[編集]北は造谷、北東は大廻、東は鎌苅、師戸、南東は師戸干拓、南は岩戸干拓、南西は吉田干拓、西は吉田、北西は草深に隣接している。
歴史
[編集]江戸期は岩戸村であり、下総国印旛郡のうち。はじめ旗本米津氏領、のち幕府・久喜藩(藩主米津氏)の相給。元禄14年から幕府・佐倉藩の相給。村高は「元禄郷帳」1,074石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに574石余。なお、幕府領分207石余は延享4年に割り渡された惣深新田分である。延享3年の明細帳によれば、反別田75町余・畑30町余・新田畑13町余、惣深新田分は畑41町余、御林14か所18町余、溜池5か所、郷蔵1、家数143、馬85、馬渡船1(佐藤家文書)。水戸街道我孫子宿の助郷村。印旛沼の対岸の先崎村との間に渡し船があった。神社は宗像神社、寺院は曹洞宗高岩寺・広済寺、臨済宗西福寺、真言宗泉福寺。明治6年千葉県に所属。同年泉福寺を仮校舎に岩戸小学校が開校。同18年南湖小学校と改称、同20年岩戸尋常小学校となる。明治22年宗像村の大字となる[4][5]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 宗像村大字岩戸になる。
- 1955年(昭和30年)3月10日 - 印旛村岩戸となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市岩戸となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
岩戸 | 372世帯 | 874人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立いには野小学校 | 印西市立印旛中学校 |
施設
[編集]- 時任学園中等教育学校
- 印西市役所岩戸出張所
- 印西警察署岩戸駐在所
- 印西市立印旛歴史民俗資料館
- 宗像郵便局
- 西佐倉病院
- 西方公民館
- 市場公会堂
- 伊村集会所
- 中里南部公会堂
- 道上公会堂
- 岩戸地区構造改善センター
- 西福寺
- 泉福寺
- 高岩寺
- 広済寺
- 虚空蔵尊
- 宗像神社
- 猿田彦神社
- 印旛西部公園
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 134頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 135頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2020年4月1日). 2020年4月14日閲覧。
関連項目
[編集]草深 | 造谷 | 大廻 | ||
吉田 | 鎌苅 師戸 | |||
岩戸 | ||||
吉田干拓 | 岩戸干拓 | 師戸干拓 |