コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

平山成信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平山竹渓から転送)
平山成信(1898年)

平山 成信(ひらやま なりのぶ[1]嘉永7年11月6日1854年12月25日) - 昭和4年(1929年9月25日)は、日本官僚内閣書記官長内閣総理大臣秘書官[2]貴族院勅選議員宮中顧問官枢密顧問官等を歴任。男爵

人物

[編集]

幕臣・奥右筆頭、竹村久成の子として東京生まれ、幕臣・神道家の平山省斎(敬忠)養嗣子となる[3]農商務省外務省大蔵省などの勤務を経て、第1次松方内閣第2次松方内閣内閣書記官長を務める。1894年(明治27年)1月23日、貴族院議員に勅選され[4]1919年(大正8年)10月27日、枢密顧問官に就任し[5]、同年11月5日、貴族院議員を辞職した[6]1908年11月7日、宮中顧問官兼別当(有栖川宮付)に任じられる[7]1911年7月8日、宮中顧問官を辞任したが[8]1912年3月13日に宮中顧問官を兼任した[9]1913年11月11日、別当を辞し宮中顧問官の専任となる[10]

第5代日本赤十字社社長。また、帝国女子専門学校(現・相模女子大学)の設立にも携わり、校長に就任した。1924年に男爵に叙される。1929年9月25日、胃癌のため76歳で死去[11]

栄典

[編集]
位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』は「しげのぶ」と読む。
  2. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』25頁。
  3. ^ 『日本近現代人物履歴事典』434頁。
  4. ^ 『官報』第3169号、明治27年1月24日。
  5. ^ 『官報』第2170号、大正8年10月28日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
  7. ^ 『官報』第7612号、明治41年11月9日。
  8. ^ 『官報』第8414号、明治44年7月10日。
  9. ^ 『官報』第8618号、明治45年3月14日。
  10. ^ 『官報』第387号、大正2年11月12日。
  11. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)253頁
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 平山成信」 アジア歴史資料センター Ref.A06051177200 
  13. ^ 『官報』第301号「叙任及辞令」明治17年7月1日。
  14. ^ 『官報』第2326号「叙任及辞令」1891年4月6日。
  15. ^ 『官報』第2399号「叙任及辞令」1891年6月30日。
  16. ^ 『官報』第4113号「叙任及辞令」1897年3月23日。
  17. ^ 『官報』第4570号「叙任及辞令」1898年9月21日。
  18. ^ 『官報』第8407号「叙任及辞令」1911年7月1日。
  19. ^ 『官報』第1782号「叙任及辞令」1918年7月11日。
  20. ^ 『官報』第343号「叙任及辞令」1928年2月22日。
  21. ^ 『官報』第1791号「叙任及辞令」明治22年6月20日。
  22. ^ 『官報』第2701号「叙任及辞令」1892年6月30日。
  23. ^ 『官報』第3152号「叙任及辞令」明治26年12月29日。
  24. ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」明治32年12月28日。
  25. ^ 『官報』第6138号「叙任及辞令」明治36年12月16日。
  26. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」大正5年12月13日。
  27. ^ 『官報』第1694号「叙任及辞令」1918年3月29日。
  28. ^ 『官報』第3439号「授爵・叙任及辞令」1924年2月13日。
  29. ^ 『官報』第3717号「宮廷録事 - 恩賜」1925年1月15日。
  30. ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1926年2月27日。
  31. ^ 『官報』第826号「叙任及辞令」1929年09月28日。
  32. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  33. ^ 『官報』第7333号「叙任及辞令」1907年12月6日。
  34. ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。
  35. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』下巻、423-424頁。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]
公職
先代
伊藤博邦(→欠員)
日本の旗 有栖川宮附別当
1908年 - 1913年
次代
(廃止)
先代
(新設)
日本の旗 大蔵省官房長
1900年
次代
石塚重平
先代
岡倉覚三
日本の旗 帝国博物館美術部長
1898年 - 1900年
次代
今泉雄作
東京帝室博物館美術部長
先代
栗原亮一
日本の旗 大蔵省参与官
1898年 - 1900年
次代
(廃止)
先代
伊東巳代治
日本の旗 枢密院書記官長
1892年 - 1894年
次代
平田東助
その他の役職
先代
西沢之助
帝国女子専門学校
帝国女子専門学校附属日本高等女学校

1913年 - 1929年
次代
平山洋三郎
校長事務取扱
先代
(新設)
静修女学校
1915年 - 1929年
次代
平山洋三郎
校長事務取扱
先代
(新設)
啓明会理事長
1918年 - 1929年
次代
大久保利武
先代
石黒忠悳
日本赤十字社社長
1920年 - 1929年
次代
徳川家達
先代
(新設)
博物館事業促進会会長
1928年 - 1929年
次代
林博太郎
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
平山(成信)家初代
1924年 - 1929年
次代
平山洋三郎