応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦
応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦(おうしょうきはい せかいぷろいご せんしゅけんせん、應氏杯世界職業圍棋錦標賽、응씨배 세계 바둑 선수권 대회)は、世界各国の代表選手による囲碁の世界一を決める棋戦。台湾経済界の重鎮であった応昌期が私財を投じて創設した。応氏杯と表記することもある[1]。1988年に第1回が開始され、4年に一度オリンピックの年に開催される[1]。
- 主催 - 応昌期囲棋教育基金会(応昌期基金)
- 賞金 - 優勝40万米ドル[1]、準優勝10万米ドル
- 出場選手 - 日本、韓国、中国、台湾、米国、欧州などの各国・地域から、主催者の招待により選抜されて出場する。第5回までは国内予選は行われなかった。
ルール
[編集]囲碁ルールの研究家でもあった応昌期の考案した「計点制ルール(応昌期ルール、台湾ルール、SSTルール)」で行われる。これは中国ルールを改良したとされるもので、着手禁止点を、コウを含む同型反復の禁止と定義するなど、実戦的解決を強調したものになっている。黒番のコミが8点(日本ルールでは7目半に相当)なことも特徴。碁石の数を数えやすい、六角柱型の独特の碁笥を使う。
大会は、このルールを普及することも目的の一つとなっている。対戦はトーナメント方式。準決勝は3番勝負、決勝戦は5番勝負で争われる。持ち時間は1人3時間30分で、持ち時間を使い切ったら、2目のコミを差し出すことで35分ずつ3回まで延長できるという点も独特である。
過去の優勝者と決勝戦
[編集]例年、年を跨いで決勝が行われていたが第8回は2016年中に行われた。そのため前回と間隔が3年になっている。なお第9回は変則日程で準決勝までオンライン対局一番勝負、決勝は対面対局の三番勝負で行われた。
決勝年 | 優勝 | 結果 | 準優勝 | |
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第1回 | 1989年 | 曺薫鉉(韓国) | 3-2 | 聶衛平(中国) |
第2回 | 1993年 | 徐奉洙(韓国) | 3-2 | 大竹英雄(日本) |
第3回 | 1996年 | 劉昌赫(韓国) | 3-1 | 依田紀基(日本) |
第4回 | 2001年 | 李昌鎬(韓国) | 3-1 | 常昊(中国) |
第5回 | 2005年 | 常昊(中国) | 3-1 | 崔哲瀚(韓国) |
第6回 | 2009年 | 崔哲瀚(韓国) | 3-1 | 李昌鎬(韓国) |
第7回 | 2013年 | 范廷鈺(中国) | 3-1 | 朴廷桓(韓国) |
第8回 | 2016年 | 唐韋星(中国) | 3-2 | 朴廷桓(韓国) |
第9回 | 2023年 | 申眞諝(韓国) | 2–0 | 謝科(中国) |
第10回 | 2024年 | 一力遼九段(日本) | 3–0 | 謝科(中国) |
過去の大会
[編集]概況
[編集]- 第1回 日本、韓国、中国、台湾、オーストラリア、米国の16選手が出場、1988年から89年にかけて行われた。1回戦は北京で行われ、この時中国と国交の無い韓国の選手が初めて中国入りし、また台湾の選手が中国で試合をするのもあらゆる競技を通じて初めてであった。優勝した曺は金浦国際空港からソウル市内までパレードし、これを契機に韓国に囲碁ブームが巻き起こった。
- 第2回 日本、韓国、中国、台湾、オーストラリア、米国、香港の24選手が出場。ただし主催者が中国代表として江鋳久、芮廼偉両選手を選出したことを巡り、中国囲棋協会に所属する中国在住棋士はボイコットにより不出場となった。芮廼偉九段は女性ながらベスト4に入る活躍を見せた。また持ち時間は第1回は3時間だったが、この回から3時間30分となった。
- 第3回 日本、韓国、中国、台湾、米国の24選手が出場。決勝の依田ー劉戦では、依田がルールの違いによるセキの地の数え方を勘違いするという場面もあった。
- 第4回 日本、韓国、中国、台湾、欧州の24選手が出場。
- 第5回 日本、韓国、中国、台湾、欧州、米国の24選手が出場。米国代表は韓国ドラマ「オールイン」の主人公のモデルのチャ・ミンスー(車敏洙)。優勝した常昊はこれまで世界棋戦で準優勝6回を数えていたが、今回初優勝するとともに、中国選手による本大会初制覇とした。
第1回
[編集]1988年8月21-23日に1、2回戦が行われ、11月20-22日に準決勝三番勝負、1989年4月25日-9月5日に決勝五番勝負が行われた。出場選手は、国籍ごとに日本5、中国4、台湾3、韓国2、アメリカ1、オーストラリア1の、計16名。
1回戦 | 2回戦 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
1988年8月21日 北京市 | ||||||||||||||
呉淞笙(オーストラリア) | 0 | |||||||||||||
8月23日 北京市 | ||||||||||||||
趙治勲(韓国) | 1 | |||||||||||||
趙治勲 | 0 | |||||||||||||
聶衛平 | 1 | |||||||||||||
マイケル・レドモンド(アメリカ) | 0 | |||||||||||||
11月20,22日 ソウル市 | ||||||||||||||
聶衛平(中国) | 1 | |||||||||||||
聶衛平 | 2 | |||||||||||||
藤沢秀行 | 0 | |||||||||||||
藤沢秀行(日本) | 1 | |||||||||||||
馬暁春(中国) | 0 | |||||||||||||
藤沢秀行 | 1 | |||||||||||||
加藤正夫 | 0 | |||||||||||||
劉小光(中国) | 0 | |||||||||||||
1989年4月25,28日 杭州, 5月2日 寧波, 9月2,5日 シンガポール | ||||||||||||||
加藤正夫(日本) | 1 | |||||||||||||
聶衛平 | ×○○×× | |||||||||||||
曺薫鉉 | ○××○○ | |||||||||||||
王銘琬(台湾) | 0 | |||||||||||||
曺薫鉉(韓国) | 1 | |||||||||||||
曺薫鉉 | 1 | |||||||||||||
小林光一 | 0 | |||||||||||||
王立誠(台湾) | 0 | |||||||||||||
小林光一(日本) | 1 | |||||||||||||
曺薫鉉 | 2 | |||||||||||||
林海峰 | 0 | |||||||||||||
武宮正樹(日本) | 0 | |||||||||||||
江鋳久(中国) | 1 | |||||||||||||
江鋳久 | 0 | |||||||||||||
林海峰 | 1 | |||||||||||||
橋本昌二(日本) | 0 | |||||||||||||
林海峰(台湾) | 1 | |||||||||||||
第2回
[編集]第2回は、台北、東京、大阪、ソウル、上海、太原、シドニー、サンタバーバラの各都市の代表選手24名が参加。日本在住で上海代表として出場した芮廼偉は、世界選手権で初の女流棋士となり、またアメリカ在住の江鋳久とともに夫婦での出場となった。中国在住の棋士の参加はなかった。1992年7月13-17日に東京で1-3回戦、11月23-27日に台北市で準決勝が行われ、決勝戦は1993年3月9、11日に済州島で第1、2局、5月16-20にシンガポールで3-5局が行われた。決勝は徐奉洙が大竹英雄を3-2で破って優勝し、第1回に続いて韓国勢の連続優勝となった。
1回戦 | 2回戦 | 3回戦 | 準決勝 | 決勝戦 | ||||||||||||||
李昌鎬(ソウル) | 0 | |||||||||||||||||
芮廼偉 | 1 | |||||||||||||||||
小松英樹(東京) | 0 | |||||||||||||||||
芮廼偉(上海) | 1 | |||||||||||||||||
芮廼偉 | 1 | |||||||||||||||||
梁宰豪 | 0 | |||||||||||||||||
江鋳久(太原) | 0 | |||||||||||||||||
梁宰豪 | 1 | |||||||||||||||||
梁宰豪(ソウル) | 1 | |||||||||||||||||
マイケル・レドモンド(サンタバーバラ) | 0 | |||||||||||||||||
芮廼偉 | 1 | |||||||||||||||||
大竹英雄 | 2 | |||||||||||||||||
林海峰(台北) | 1 | |||||||||||||||||
依田紀基 | 0 | |||||||||||||||||
依田紀基(東京) | 1 | |||||||||||||||||
呉淞笙(シドニー) | 0 | |||||||||||||||||
林海峰 | 0 | |||||||||||||||||
大竹英雄 | 1 | |||||||||||||||||
大竹英雄(東京) | 1 | |||||||||||||||||
陳嘉鋭 | 0 | |||||||||||||||||
橋本昌二(大阪) | 0 | |||||||||||||||||
陳嘉鋭(香港) | 1 | |||||||||||||||||
大竹英雄 | ○××○× | |||||||||||||||||
徐奉洙 | ×○○×○ | |||||||||||||||||
藤沢秀行(東京) | 0 | |||||||||||||||||
徐奉洙 | 1 | |||||||||||||||||
徐奉洙(ソウル) | 1 | |||||||||||||||||
鄭銘瑝(台北) | 0 | |||||||||||||||||
徐奉洙 | 1 | |||||||||||||||||
武宮正樹 | 0 | |||||||||||||||||
武宮正樹(東京) | 1 | |||||||||||||||||
王銘琬 | 0 | |||||||||||||||||
石井邦生(大阪) | 0 | |||||||||||||||||
王銘琬(台北) | 1 | |||||||||||||||||
徐奉洙 | 2 | |||||||||||||||||
趙治勲 | 1 | |||||||||||||||||
曺薫鉉(ソウル) | 0 | |||||||||||||||||
淡路修三 | 1 | |||||||||||||||||
淡路修三(東京) | 1 | |||||||||||||||||
王立誠(台北) | 0 | |||||||||||||||||
淡路修三 | 0 | |||||||||||||||||
趙治勲 | 1 | |||||||||||||||||
趙治勲(ソウル) | 1 | |||||||||||||||||
劉昌赫 | 0 | |||||||||||||||||
劉昌赫(ソウル) | 1 | |||||||||||||||||
彭景華(台北) | 0 |
第3回
[編集]第3回は、出身地ごとに、中国8、韓国6、日本5、中華台北4、アメリカ1の、計24名が参加。1996年4月24-28日に上海で1-3回戦、8月10-14日に昆明市で準決勝が行われ、決勝戦は10月4、6日に西安市で第1、2局、11月4-6に北京で4、5局が行われた。決勝は劉昌赫が依田紀基を3-1で破って優勝し、韓国勢の3回連続優勝となった。
1回戦 | 2回戦 | 3回戦 | 準決勝 | 決勝戦 | ||||||||||||||
大竹英雄(日本) | 0 | |||||||||||||||||
劉昌赫 | 1 | |||||||||||||||||
王立誠(中華台北) | 0 | |||||||||||||||||
劉昌赫(韓国) | 1 | |||||||||||||||||
劉昌赫 | 1 | |||||||||||||||||
李昌鎬 | 0 | |||||||||||||||||
芮廼偉(中国) | 0 | |||||||||||||||||
李昌鎬 | 1 | |||||||||||||||||
兪斌(中国) | 0 | |||||||||||||||||
李昌鎬(韓国) | 1 | |||||||||||||||||
劉昌赫 | 2 | |||||||||||||||||
林海峰 | 0 | |||||||||||||||||
武宮正樹(日本) | 1 | |||||||||||||||||
劉小光 | 0 | |||||||||||||||||
藤沢秀行(日本) | 0 | |||||||||||||||||
劉小光(中国) | 1 | |||||||||||||||||
武宮正樹 | 0 | |||||||||||||||||
林海峰 | 1 | |||||||||||||||||
林海峰(中華台北) | 1 | |||||||||||||||||
曹大元 | 0 | |||||||||||||||||
王銘琬(中華台北) | 0 | |||||||||||||||||
曹大元(中国) | 1 | |||||||||||||||||
劉昌赫 | ×○○○ | |||||||||||||||||
依田紀基 | ○××× | |||||||||||||||||
梁宰豪(韓国) | 0 | |||||||||||||||||
馬暁春 | 1 | |||||||||||||||||
陳嘉鋭(中国) | 0 | |||||||||||||||||
馬暁春(中国) | 1 | |||||||||||||||||
馬暁春 | 0 | |||||||||||||||||
趙治勲 | 1 | |||||||||||||||||
趙治勲(日本) | 1 | |||||||||||||||||
江鋳久 | 0 | |||||||||||||||||
周俊勲(中華台北) | 0 | |||||||||||||||||
江鋳久(中国) | 1 | |||||||||||||||||
趙治勲 | 1 | |||||||||||||||||
依田紀基 | 2 | |||||||||||||||||
淡路修三(日本) | 0 | |||||||||||||||||
曺薫鉉 | 1 | |||||||||||||||||
張文東(中国) | 0 | |||||||||||||||||
曺薫鉉(韓国) | 1 | |||||||||||||||||
曺薫鉉 | 0 | |||||||||||||||||
依田紀基 | 1 | |||||||||||||||||
徐奉洙(韓国) | 0 | |||||||||||||||||
依田紀基 | 1 | |||||||||||||||||
マイケル・レドモンド(アメリカ) | 0 | |||||||||||||||||
依田紀基(日本) | 1 |
第4回
[編集]2000年4月から開始。出身地ごとに、中国6、韓国8、日本8、台湾1、ヨーロッパ1の、計24名が参加。2000年4月30日-5月4日に上海で1-3回戦、8月22-26日に昆明市で準決勝が行われ、決勝戦は11月1、3日に成都市で第1、2局、2001年2月14-16日に上海で3、4局が行われた。決勝は李昌鎬が常昊を3-1で破って優勝し、韓国勢の4回連続優勝となった。
1回戦 (4月30日) |
2回戦 (5月2日) |
3回戦 (5月4日) |
準決勝 (8月22,24,26日) |
決勝 (11月1,3日,2001年2月14,16日) | |||||||||||||
李昌鎬(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
劉小光(中国) | 0 | ||||||||||||||||
王立誠 | 0 | ||||||||||||||||
王立誠(日本) | 1 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 1 | ||||||||||||||||
依田紀基 | 0 | ||||||||||||||||
芮廼偉(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
邵煒剛 | 0 | ||||||||||||||||
邵煒剛(中国) | 1 | ||||||||||||||||
依田紀基(日本) | 1 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 2 | ||||||||||||||||
兪斌 | 0 | ||||||||||||||||
趙治勲(日本) | 0 | ||||||||||||||||
徐奉洙(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
兪斌 | 1 | ||||||||||||||||
兪斌(中国) | 1 | ||||||||||||||||
兪斌 | 1 | ||||||||||||||||
大竹英雄 | 0 | ||||||||||||||||
タラヌ・カタリン(ルーマニア) | 0 | ||||||||||||||||
大竹英雄 | 1 | ||||||||||||||||
大竹英雄(日本) | 1 | ||||||||||||||||
劉昌赫(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 3 (○○×○) | ||||||||||||||||
常昊 | 1 (××○×) | ||||||||||||||||
馬暁春(中国) | 1 | ||||||||||||||||
周俊勲(台湾) | 0 | ||||||||||||||||
淡路修三 | 0 | ||||||||||||||||
淡路修三(日本) | 1 | ||||||||||||||||
馬暁春 | 0 | ||||||||||||||||
王銘琬 | 1 | ||||||||||||||||
梁宰豪(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
王銘琬 | 1 | ||||||||||||||||
王銘琬(日本) | 1 | ||||||||||||||||
曺薫鉉(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
王銘琬 | 1 | ||||||||||||||||
常昊 | 2 | ||||||||||||||||
武宮正樹(日本) | 0 | ||||||||||||||||
江鋳久(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
常昊 | 1 | ||||||||||||||||
常昊(中国) | 1 | ||||||||||||||||
常昊 | 1 | ||||||||||||||||
林海峰 | 0 | ||||||||||||||||
崔明勲(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
曹大元 | 1 | ||||||||||||||||
曹大元(中国) | 1 | ||||||||||||||||
林海峰(日本) | 0 | ||||||||||||||||
第5回
[編集]2004年4月から開始。中国8、韓国5、日本7、台湾2、米国1、ヨーロッパ1の、計24名が参加。2004年4月20-24に上海で1-3回戦、9月6-10日に貴陽市で準決勝が行われ、決勝戦は12月26-28日にソウル市で第1、2局、2005年3月3-5日に北京で3、4局が行われた。決勝は、前期準優勝などそれまで世界戦準優勝6回だった常昊が崔哲瀚を3-1で破り、世界戦初優勝を果たした。
1回戦 (4月20日) |
2回戦 (4月22日) |
3回戦 (4月24日) |
準決勝 (9月6,8,10日) |
決勝 (12月26,28日,2005年3月3,5日) | |||||||||||||
李昌鎬(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
古力(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
山下敬吾 | 0 | ||||||||||||||||
山下敬吾(日本) | 1 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 0 | ||||||||||||||||
崔哲瀚 | 1 | ||||||||||||||||
羽根直樹(日本) | 0 | ||||||||||||||||
崔哲瀚 | 1 | ||||||||||||||||
崔哲瀚(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
馬暁春(中国) | 0 | ||||||||||||||||
崔哲瀚 | 2 | ||||||||||||||||
彭筌 | 1 | ||||||||||||||||
大竹英雄(日本) | 0 | ||||||||||||||||
車敏洙(米国) | 0 | ||||||||||||||||
周鶴洋 | 1 | ||||||||||||||||
周鶴洋(中国) | 1 | ||||||||||||||||
周鶴洋 | 0 | ||||||||||||||||
彭筌 | 1 | ||||||||||||||||
王立誠(台湾) | 0 | ||||||||||||||||
彭筌 | 1 | ||||||||||||||||
彭筌(中国) | 1 | ||||||||||||||||
依田紀基(日本) | 0 | ||||||||||||||||
崔哲瀚 | 1 (○×××) | ||||||||||||||||
常昊 | 3 (×○○○) | ||||||||||||||||
兪斌(中国) | 0 | ||||||||||||||||
張栩(台湾) | 0 | ||||||||||||||||
宋泰坤 | 1 | ||||||||||||||||
宋泰坤(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
宋泰坤 | 1 | ||||||||||||||||
王銘琬 | 0 | ||||||||||||||||
A.ディナーシュタイン(欧州) | 0 | ||||||||||||||||
周俊勲 | 0 | ||||||||||||||||
周俊勲(台湾) | 1 | ||||||||||||||||
王銘琬(日本) | 1 | ||||||||||||||||
宋泰坤 | 1 | ||||||||||||||||
常昊 | 2 | ||||||||||||||||
林海峰(日本) | 0 | ||||||||||||||||
李世乭(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
孔傑 | 1 | ||||||||||||||||
孔傑(中国) | 1 | ||||||||||||||||
孔傑 | 0 | ||||||||||||||||
常昊 | 1 | ||||||||||||||||
劉星(中国) | 0 | ||||||||||||||||
劉昌赫 | 0 | ||||||||||||||||
劉昌赫(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
常昊(中国) | 1 | ||||||||||||||||
第6回
[編集]2008年4月から開始。中国10、韓国6、日本4、中華台北2、北米1、ヨーロッパ1の、計24名が参加。2008年4月30-5月4日上海で1-3回戦、9月23-25日にタイのバンコクで準決勝が行われ、決勝戦は第1-3局が2009年3月にシンガポールで、第4局が台湾の花蓮で行われた。決勝では、前期準優勝の崔哲瀚が李昌鎬を3-1で破り、2005年の中環杯に続いて世界戦で優勝した。
1回戦 (4月30日) |
2回戦 (5月2日) |
3回戦 (5月4日) |
準決勝 (9月23-25日) |
決勝 (3月3,5,7日,4月23日) | |||||||||||||
李昌鎬(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
李映九(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
謝赫 | 0 | ||||||||||||||||
謝赫(中国) | 1 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 1 | ||||||||||||||||
趙治勲 | 0 | ||||||||||||||||
張栩(中華台北) | 0 | ||||||||||||||||
趙治勲 | 1 | ||||||||||||||||
趙治勲(日本) | 1 | ||||||||||||||||
常昊(中国) | 0 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 2 | ||||||||||||||||
李世乭 | 0 | ||||||||||||||||
周鶴洋(中国) | 0 | ||||||||||||||||
胡耀宇(中国) | 0 | ||||||||||||||||
李世乭 | 1 | ||||||||||||||||
李世乭(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
李世乭 | 1 | ||||||||||||||||
孔傑 | 0 | ||||||||||||||||
高尾紳路(日本) | 0 | ||||||||||||||||
王磊 | 0 | ||||||||||||||||
王磊(中国) | 1 | ||||||||||||||||
孔傑(中国) | 1 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 1 (○×××) | ||||||||||||||||
崔哲瀚 | 3 (×○○○) | ||||||||||||||||
崔哲瀚(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
山下敬吾(日本) | 0 | ||||||||||||||||
古力 | 0 | ||||||||||||||||
古力(中国) | 1 | ||||||||||||||||
崔哲瀚 | 1 | ||||||||||||||||
朴文尭 | 0 | ||||||||||||||||
タラヌ・カタリン(欧州) | 0 | ||||||||||||||||
朴文尭 | 1 | ||||||||||||||||
朴文尭(中国) | 1 | ||||||||||||||||
宋泰坤(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
崔哲瀚 | 2 | ||||||||||||||||
劉星 | 0 | ||||||||||||||||
王銘琬(日本) | 0 | ||||||||||||||||
江鳴久(北米) | 0 | ||||||||||||||||
劉星 | 1 | ||||||||||||||||
劉星(中国) | 1 | ||||||||||||||||
劉星 | 0 | ||||||||||||||||
朴永訓 | 1 | ||||||||||||||||
周俊勲(中華台北) | 0 | ||||||||||||||||
朴永訓 | 1 | ||||||||||||||||
朴永訓(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
彭筌(中国) | 0 | ||||||||||||||||
第7回
[編集]2012年5月から開始。中国10、韓国6、日本5、台湾1、北米1、ヨーロッパ1の、計24名が参加。2012年5月23-27日台北市で1-3回戦、9月23-26日に成都市で準決勝が行われ、決勝戦は第1-2局が12月にシンガポールで、第3-4局が2013年3月に上海で行われた。決勝では、16歳の范廷鈺が朴廷桓を3-1で破り、世界戦初優勝した。.
1回戦 (5月23日) |
2回戦 (5月25日) |
3回戦 (5月27日) |
準決勝 (9月23-26日) |
決勝 (12月22,24日,2013年3月4,6日) | |||||||||||||
李昌鎬(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
孔傑(中国) | 1 | ||||||||||||||||
孔傑 | 0 | ||||||||||||||||
羽根直樹(日本) | 0 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 1 | ||||||||||||||||
張栩 | 0 | ||||||||||||||||
邱峻(中国) | 1 | ||||||||||||||||
邱峻 | 0 | ||||||||||||||||
金志錫(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
張栩(日本) | 1 | ||||||||||||||||
李昌鎬 | 0 | ||||||||||||||||
朴廷桓 | 2 | ||||||||||||||||
趙治勲(日本) | 1 | ||||||||||||||||
劉星(中国) | 1 | ||||||||||||||||
劉星 | 0 | ||||||||||||||||
結城聡(日本) | 0 | ||||||||||||||||
趙治勲 | 1 | ||||||||||||||||
朴廷桓 | 0 | ||||||||||||||||
朴廷桓(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
朴廷桓 | 1 | ||||||||||||||||
ヒューレン・ヤン(北米) | 0 | ||||||||||||||||
朴文尭(中国) | 0 | ||||||||||||||||
朴廷桓 | 1 (×○××) | ||||||||||||||||
范廷鈺 | 3 (○×○○) | ||||||||||||||||
江維傑(中国) | 0 | ||||||||||||||||
タラヌ・カタリン(欧州) | 0 | ||||||||||||||||
謝赫 | 1 | ||||||||||||||||
謝赫(中国) | 1 | ||||||||||||||||
謝赫 | 1 | ||||||||||||||||
古力 | 0 | ||||||||||||||||
陳耀燁(中国) | 0 | ||||||||||||||||
元晟溱 | 0 | ||||||||||||||||
元晟溱(韓国) | 1 | ||||||||||||||||
古力(中国) | 1 | ||||||||||||||||
謝赫 | 1 | ||||||||||||||||
范廷鈺 | 2 | ||||||||||||||||
李世乭(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
高尾紳路(日本) | 0 | ||||||||||||||||
范廷鈺 | 1 | ||||||||||||||||
范廷鈺(中国) | 1 | ||||||||||||||||
范廷鈺 | 1 | ||||||||||||||||
檀嘯 | 0 | ||||||||||||||||
王元均(台湾) | 0 | ||||||||||||||||
檀嘯 | 1 | ||||||||||||||||
檀嘯(中国) | 1 | ||||||||||||||||
崔哲瀚(韓国) | 0 | ||||||||||||||||
第10回
[編集]2024年4月にオンライン予選、7月に本戦1-準決勝(BO3)を実施。8・9月に決勝(BO5)が行われた。前回覇者の申眞諝九段が初戦敗退の他、韓国勢が準々決勝で全滅した。決勝五番勝負は前半が重慶、後半は上海で打たれ、一力が謝科に3連勝し日本勢初優勝。
- 準決勝以降の勝ち上がり
準決勝三番勝負 7月6日-9日 | 決勝五番勝負 8月12・14日・9月8日 | |||||
柯潔 | 1 | |||||
一力遼 | 2 | |||||
一力遼 | 3 | |||||
謝科 | 0 | |||||
謝科 | 2 | |||||
許皓鋐 | 0 | |||||
注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ a b c “応氏杯 日本勢4強の壁 独自ルールの国際棋戦”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2012年6月5日) 2018年6月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 『棋道』『囲碁年鑑』日本棋院
関連項目
[編集]- 世界青少年囲碁選手権大会 - 同じ主催者による少年向け大会。選手が後にプロとして応氏杯に出場することもある。