コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

抹茶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャノキ >  > 緑茶日本茶 > 抹茶
抹茶
中国語 抹茶(末茶)
発音記号
標準中国語
漢語拼音mǒchá
IPA[mɔ̌.tʂʰɑ́]
粤語
IPA[mūːt̚.tsʰȁː]
粤拼mut3-caa4
日本語
漢字 抹茶

抹茶(まっちゃ)は、中国の末茶(モチャ)を起源とする緑茶の一種。12世紀に日本に伝来し、14世紀に朱元璋が末茶の元となる団茶の製造を禁止すると中国では廃れ、以後日本で発展した。

中国から伝わった当初は黒褐色の団茶を粉末にしたものだったと考えられているが、室町時代以降、栽培方法や製法の改良により、現在見るような緑色の茶(碾茶)を粉末にしたものとなった。日本では茶道で飲用される。

今日の抹茶は以下のように定義づけられる(厳密な定義は後述

  1. 日陰で栽培した茶葉を、
  2. 蒸した後揉まずに乾燥し、
  3. 茶臼等で微粉末にしたもの

1, 2までを行ったものを碾茶(てんちゃ)という。

日光をさえぎる事により乾燥茶葉中のアミノ酸量が煎茶の2倍程度になり[1]うま味の強い味がする[1]

ただし実際には上記の定義を満たさないものも「抹茶」として売られている[2][3][4]。これらは正しくは抹茶ではなく粉末茶の一種である[6][7]詳細後述)。こうした「抹茶」は安価であるので菓子料理、飲料などの素材として広く用いられる。

「碾茶」と「抹茶」の流通量を比較すると、世間で流通している抹茶の7割弱は本来の意味の抹茶ではないと見られている[2]

なお「粉末状の緑茶」には(本来の意味での)「抹茶」、「粉末茶」の他に「粉茶」と「インスタントティー」がある。これらの違いについては後述する。

定義

[編集]

日本茶業中央会による定義

[編集]

公益社団法人日本茶業中央会は抹茶を以下のように定義している:

碾茶を茶臼等で微粉末状に製造したもの[8]
公益社団法人日本茶業中央会、緑茶の表示基準 表1 名称

ここで「碾茶」は以下のように定義される:

「碾茶」とは、摘採期前に棚施設等を利用して茶園をよしず、コモ、寒冷紗などの被覆資材で 2~3 週間程度覆った「覆下茶園」から摘採した茶葉を蒸熱し、揉まないで碾茶炉等で乾燥させて製造したもの[9]
公益社団法人日本茶業中央会、緑茶の表示基準 「注」について

この定義は消費者庁の食品表示企画課による食品表示基準Q&Aにも「参考」として引用されている[10]

ISOによる定義

[編集]

茶類を分類したISO 20715:2023Tea — Classification of tea types」では抹茶は以下のように定義されている:

tea (3.2) derived solely and exclusively, and produced by acceptable processes, notably enzyme inactivation using a steaming process followed by drying, without rolling the leaves, and a fine grinding process for the leaf to make tea powder from harvested tender leaves, buds and shoots, which are grown under the shade, of varieties of the species Camellia sinensis (L.) O. Kuntze var. sinensis, known to be suitable for making tea for consumption as a beverage[11]
(試訳) Camellia sinensis (L.) O. Kuntzeの中国種[注 1] -飲料として消費される茶の製造に適していることが知られている-の変種の、収穫された柔らかい葉、芽、または苗条[注 2]-これらは日陰で栽培された-から茶粉末を製造するための容認できる工程、とりわけ蒸し工程による酵素の不活性化とそれに続く乾燥-葉の揉捻は行わない-と、茶を粉にするための葉を細かく粉砕する工程行う事によって唯一かつ排他的に得られ、製造された茶(茶の定義は3.2章を参照)。
ISO 20715:2023(en) Tea — Classification of tea types

歴史

[編集]

中国

[編集]
現代の団茶
現代の団茶(プーアル茶

中国の時代の茶は、茶葉を固めて塊状にした餅茶(のちの団茶)が主流であった。8世紀頃、中国の陸羽が著した『茶経』には茶の製法が詳しく記されている。それによると、茶葉を杵と臼でつき餅状にしたあと、塊に整形する(餅茶の名はこれに由来する)。飲むときは、餅茶を固形のまま火であぶり、木製の碾(てん、薬研)で挽いて粉末にし、鍑(ふ、現在の茶釜の祖先)で湯を沸騰させ塩を加えて煎じた[14]。また、茶にネギ、ショウガ、ナツメ、みかんの皮、呉茱萸、ハッカの類を入れることもあった。この時代の茶は飲用よりも薬用が主目的であり、味も劣っていたため、塩や各種の調味料を加えて飲んでいた[15]

『茶経』に、茶には觕(そ=粗)茶、散茶、末茶、餅茶の4種類があると述べられている[16][17]。粗茶は茶葉を斫(き)って作ったもの、散茶は炒って作ったもので、この2つは葉茶と解されている[18]

上記のうち、「末茶」を現在の抹茶のような粉末茶と解するべきかについては意見がわかれる[19]。末茶の説明として、ただ「煬(あぶる)」とだけあり、焙煎のために火にかけて作られた茶であることは確かだが、形状が粉末であるかは述べられていないからである。

中国の茶碾、法門寺出土品、9世紀。
中国の茶碾、法門寺出土品、9世紀。

「抹茶」という言葉は使われていないが、茶筅で点(た)てる粉末茶は遅くとも11世紀までに中国で発生したと考えられている。文献としては宋時代の蔡襄『茶録』(1064年)や徽宗『大観茶論』(12世紀)などが有名である[20][21]。これらの文献では龍鳳団茶に代表される高級な団茶を、砧椎(ちんつい、茶を砕く道具)で砕いたあと碾で粉末にし、羅()にかけ、その後、盞(さん、天目茶碗)に粉末を入れて湯を注ぎ、茶筅で点てた。羅のめが細かいと茶が浮かび粗いと沈むとあるので(『茶録』)、粉末の粒子は現代の抹茶より大きかったらしい。京都の建仁寺、鎌倉の円覚寺の四つ頭茶会はこの遺風を伝えている[22]

皇帝に献上される団茶は表面に光沢を出すために珍膏という油脂類香料を塗ったり、香りのきつい龍脳を入れたりして、茶本来のもつ香りが消し飛ぶほどであった。こうした加工を蔡襄は批判している[21]。また、茶の色も緑や茶色ではなく、白が理想とされた。しかし、茶の粉末を点てても通常は白にならないため、白にするために様々な加工を施さざるを得なかった。たとえば、茶の芽を芽生えたばかりの粒のうちに摘み、それを繰り返し搾り、何度も水を足して研(す)ったりした。また茶の芽の肉の部分を取り除いて筋の部分だけを材料とする「水芽」という白茶の銘柄もあった[23]

朱元璋
朱元璋(洪武帝)

このように宋代の団茶は複雑な製造工程のため、大変な労力と金銭がかかり、また途中のちょっとした落ち度でも失敗してしまうほどであった。当然、庶民には手の届かない高価なものとなった。また茶の味も「啜苦咽甘(啜ると苦く、飲み込むと甘い)」(『茶経』)から、無理やり「香甘重滑(香り、甘み、濃さ、滑らかさ)」(『大観茶論』)へと変え、それを理想とした。これは茶が本来もつ苦みを完全に排除しようとする試みであった[15]。こうして団茶は宋代では高価で複雑な加工茶となったため、明代以降、急速に衰退する原因の一つになったという指摘もある[24]

明代に入り、初代皇帝朱元璋(洪武帝)が洪武24年(1391年)に団茶の製造禁止を発令し、これをきっかけに中国では団茶が廃れ、散茶(葉茶)をお湯に浸して抽出する泡茶法が主流となった。沈徳符の『万暦野獲編』補遺巻一、供御茶に、「国初四方の供茶、建寧、陽羨の茶品を以て上と為す。時なお宋制に仍(よ)る。進むる所の者、倶に碾(てん)してこれを揉み、大小龍団を為(つく)る。洪武二十四年九月に至り、上(しょう)、民力を重労するを以て、龍団を造るを罷(や)む。惟だ茶芽を採り以て進む」とある[25]

明は尚武の精神が強い重農主義的な王朝であり、洪武帝も社会の最下層から身を起こした人物であったため、贅沢な団茶を嫌ったのではないかと指摘されている[26]。明代以降、中国では炒め散形茶(釜炒り茶)が主流となり、団茶やその粉末である末茶は廃れた。団茶は辺境の少数民族の間にのみ残った。

日本

[編集]
栄西
栄西

日本には平安時代初期に唐から喫茶法が伝えられた。『日本後紀』によると、弘仁6年(815年)、嵯峨天皇が近江の唐崎に行幸したおり、大僧都の永忠が「手自ら煎茶し」奉献したとある。しかしこの煎茶は現在の煎茶ではなく、餅茶だったと考えられている[27]

鎌倉時代に、日本の臨済宗の開祖となる栄西1191年、中国から帰国の折にチャノキの種子を持ち帰り、肥前国(現・佐賀県)の脊振山に植えたとされる[28]。栄西はのちに「茶祖」と仰がれるようになった。

栄西の『喫茶養生記』には茶の種類やその製法、身体を壮健にする喫茶の効用が説かれている[29]建保2年(1214年)には源実朝に「所誉茶徳之書」(茶徳を誉むる所の書)を献上した[30][注 3]

『喫茶養生記』には栄西が見た宋代の茶の作り方が記されている。それによると、朝に茶葉を摘み、すぐに蒸し、そしてまたすぐに焙(あぶ)る。焙る方法は焙棚(あぶりだな)に紙を敷いて、紙が焦げない程度の火加減で、夜通し眠らずに焙るとある[31]

この製法が当時日本に伝わったと考えられているが、現在の抹茶の製法と大きく異なるのは、焙る時間が長い点である。それゆえ、当時日本に伝わった茶は、褐変しており黒褐色のいわゆる団茶であり[注 4]、現在の抹茶のような緑色ではなかったと考えられている[32]。また。茶色の語源もここから来ていると考えられる。

『喫茶養生記』には、茶葉を粉末にしたかは明確には述べられていないが、桑の葉の服用法は茶と同様に粉末にして服用するとあるので、茶葉も粉末にして抹茶風に飲んでいたと考えられている[33][32]

『運歩色葉集』の「抹茶」の文字。

「抹茶」という語がいつから使われ始めたのか明確にはわかっていない。栄西の『喫茶養生記』にはこの語は使われていない。また同時代の中国の茶に関する書にも見いだせない。王禎の『農書』(1313年)に「末茶」、「末子茶」という語が使われており、そこに記載されている製法は抹茶の製法と矛盾せず、これらは抹茶のことを指すとする説がある[19]。ただしこの書の出版は栄西より約100年後であり、これらの語が日本に伝わり抹茶に転化した具体的な記録は見つかっていない。

日本では室町時代に書かれた『君台観左右帳記』の「能阿弥本」(1476年[34]、「相阿弥本」(1511年[35]にそれぞれ「抹茶壺」(この場合は茶入)の挿絵が描かれており、15世紀後半には「抹茶」の語が使われていたことがわかる。なお、相阿弥本の最古の写本「東北大学本」(永禄2年、1559年)には抹茶壺に「スリチヤツホ」のふりがなが振られており[36]、もとは「マッチャ」ではなく「スリチャ」と呼ばれていた可能性がある。

次に、国語辞典『運歩色葉集』(1548年)に「抹茶」の語が「マツチヤ」のふりがなとともに掲載されており[37]、この頃には「マッチャ」の呼称が存在していたことがわかる。

栄西の弟子である明恵は、茶の種子が入った茶壺を師より譲り受け、京都栂尾に茶の種を蒔き茶園を開いた。鎌倉時代には、栂尾茶は本茶と呼ばれ、他の地域の茶は非茶と呼ばれるほどの評価を得た。また、伝説では明恵は京都宇治にも茶園を開いたという[38]。ただし、明恵が開いたされる茶園は、厳密には現在萬福寺がある宇治郡小幡の地で、本来の宇治茶の産地は平等院付近の久世郡宇治郷で、両者は隣接しているが別々で、後者は足利義満の命を受けて大内義弘が開いたともいう[39][38]

薬研
薬研

13世紀までは、碾茶を薬研(やげん)で挽いていたが、粉末の粒子は粗く、ざらざらした食感で強い苦みを感じるものだった。しかし、14世紀になると、茶葉を挽くための専用の石臼(茶臼)が登場し、それ以前より粒子の細かい抹茶が作られるようになり、滑らかな食感とまろやかなうま味が増し、品質が大きく向上した[40]

チャノキを藁や葦簀(よしず)で覆って日陰で栽培する方法(覆下栽培)は、従来、16世紀後半に日本で発生したと考えられていた。例えば、1577年に来日したポルトガルの宣教師・ジョアン・ロドリゲスは、『日本教会史』(1604年)の中で覆下栽培について書き記している。しかし、近年の宇治茶園の土壌分析から、覆下栽培は遅くとも15世紀前半には始まっていたことが明らかとなっている[41]

日光を遮ることで茶葉の光合成が抑制され、うま味成分のテアニンが苦味や渋味の元となるタンニン類へ変化するのを抑制し、結果としてうま味を多く含んだ茶葉へと成長する[42]。また、覆下栽培によって、茶葉のクロロフィル(葉緑素)が増加し、鮮やかな緑色になることが明らかとなっている[43]

室町時代以降、茶を製造販売する業者を「茶師」と呼ぶようになった。江戸時代になると、茶師は、特に幕府によって身分を保証された、選ばれた宇治の「御用茶師」を指すようになる。宇治茶師には、御物茶師、御袋茶師、御通茶師の三階級があった。

宇治茶師は苗字帯刀を許され[38]、もっぱら将軍、朝廷、各地の大名とだけ茶(碾茶)の取引をし、一般の人々に売る「町売り」はしなかった[38]。また、覆下栽培は宇治茶師にのみ許され、高級な抹茶や玉露の生産は宇治茶師が独占した[38]

錦絵『山城国宇治茶摘図』
錦絵『山城国宇治茶摘図』

最古の抹茶の銘柄としては「祖母昔(ばばむかし)」が知られている。祖母とは六角義賢の娘で上林久重に嫁いだ妙秀尼(慶長3(1598)年没)のことで、徳川家康から「ばば」と呼ばれていた[44]。『台徳院殿御実紀』(徳川秀忠の記録)によると、妙秀尼は茶の製法にすぐれ、家康は妙秀尼の茶をよく好んで飲んでいたという。そして「今、祖母昔と名づける茶は、この老母の遺法によるものである」とある[45][44]。また、肥前国松浦郡平戸藩藩主松浦清の『甲子夜話』には、家康(神君)が「ばば昔」と名付けたとあり、妙秀尼に若林という茶園を与え、ゆえに祖母昔は若林昔とも称すとある[46]。久重、妙秀尼の長男久茂、四男政重はともに家康に仕え、政重は伏見城で討ち死にしている。上林一族はその後宇治茶師の筆頭として、徳川幕府に重用された。祖母昔の銘は、宇治茶師でも上林家以外は使えなかったとされる[46]。祖母昔の銘茶はいまでも続いている。

祖母昔以外の銘茶としては、やはり将軍家への献上茶であった「初昔(はつむかし)」、「後昔(あとむかし)」や、「鷹の爪」、「白」も著名であった[47]。当時の抹茶は茶葉のままの碾茶を茶壺に入れて出荷し、飲むときに茶臼で挽いて粉末にした。宇治から将軍へ献上するために江戸へ茶壺を運搬する行事は「御茶壺道中」と呼ばれ、茶壺を運ぶ行列が通る際には諸大名も道を開けなければならなかった。

明治時代になると、それまで覆下栽培のもとで碾茶の生産を独占していた宇治の茶業者はその特権的地位を失った。また将軍家や諸大名といった取引先も失った。一方、覆下栽培は宇治以外でも可能となった。大正時代になると、碾茶乾燥機が発明され、製茶の機械化が進められた。

現在、日本における碾茶の生産量は、一位が鹿児島、ニ位が京都、三位が静岡となっている[48]。近年は、愛知県西尾市の業者が中国で技術指導する等して栽培技術が流出し[49] 、中国でも碾茶の栽培が進んでおり、生産量で日本を凌駕するまでに至っている。

本来の意味での抹茶

[編集]

特徴

[編集]

抹茶は「覆い香」という青ノリのような独特の香りがし[50]、高価なものほど味は「旨味(甘み)が濃厚」[51]で、「苦渋みが少なく」[51]、「まろやか」[51]で「後味が良」[51]いものなり、色も「鮮やかなみどり色」[51]になる。これは「旨味を生む十分な肥料や、香りや少ない苦渋みを実現する覆い(遮光)の設備や手間・技術など、多くのコストがかかることに由来」[51]する。

化学的には、抹茶の製法である茶葉の被覆によりうま味・甘みを呈するテアニンなどのアミノ酸が葉部に蓄積され[52]、「渋み・苦みを有するカテキン類の生産は抑制される」[52]。高価格な抹茶ほどテアニン含有量が高い傾向がある[53]。覆い香はジメチルスルフィドによる[54][50]。色に関しては茶葉の被覆により多くの光を集めるべく葉緑体量が増える事により濃緑色になる[52]

飲み方

[編集]

抹茶を湯と混ぜたものを飲用する。用いる水の量により薄茶(うすちゃ)と濃茶(こいちゃ)に分かれる。薄茶を作ることを「薄茶を点てる(たてる)」[55]、濃茶を作ることを「濃茶を練る(ねる)」[55]という。

後者の方が抹茶の味が濃くなるため、渋みが少なくうま味が多い高価な抹茶を用いる[55]。また薄茶では渋みを抑えるため泡を立てるが[55]、濃茶は泡を立てない[55]

千利休の時代には「お茶といえば濃茶を指し、薄茶の時のみ、特に薄茶または後の薄茶と記述されて」[56]おり、現在の茶道でも、濃茶を「主」、薄茶を「副(そえ)」、「略式」と捉えている[56]

なお茶菓子を食べながら飲む紅茶とは異なり、茶道では主役たる抹茶の味を味わう為、菓子を食べ終わったに抹茶を飲む[57][58]。「回し飲み」をするのは濃茶のみである[59]

茶道・茶の湯では混ぜる際に専用の道具(茶道具)を使い、「棗」(薄茶の場合)や「茶入」(濃茶の場合)などに保管された抹茶を「茶杓」で「茶碗」に入れ、湯を注ぎ、「茶筅」で混ぜる。古くは抹茶は碾茶の状態で茶壺に保管され[60][61]、それを自分で茶臼で碾(ひ)いて抹茶を作った。現在でも「口切の茶事」の際にはこれを行う[61][62]

薄茶・濃茶それぞれの特徴は以下の通りである(値段、茶の量、湯音、湯量等はあくまで目安):

呼称 特徴 作り方 茶道具 茶事/茶会
名称 別名 作る事の名称 値段 商品名 茶の量 湯温 湯量 保管 茶碗 茶筅 位置づけ 回し飲み 菓子
薄茶 おうす[55] 点てる[55] より渋みが強い[55][59] より安価[55] 「◯◯の白」といった名称が多い[55] 2g(茶杓1杯半・小さじ1杯)[59][63] 90℃[55] 60ml[63] 泡立てる[55] 任意の格[55][59]、小さめ[55]、薄手[55] 100本立て[55][59] [56] しない[59] 干菓子[59]
濃茶 おこい[55] 練る[55] よりうま味が強い[55][59] より高価[55] 「◯◯の昔」といった名称が多い[55] 4g(茶杓3杯・小さじ2杯)[59][64] 80℃[55] 30ml[64] 泡立てない[55] 茶入 格の高いもの[55][59]、大きめ[55][59]、厚手[59][55] 80本立て[55][59] [56] する[59] 生菓子[59]

両者の違いは以下の理由による:

  • 濃茶は抹茶本来のうま味を感じるようにするために薄茶よりも抹茶の量を増やす事から、渋みを感じやすくなるので渋みを抑えた高価な茶を用いる[55]
  • 薄茶は安価な抹茶の渋みを抑えるために泡立てるので、泡立ちやすいよう茶筅は80本立てではなく100本立てを用いる[55]
  • 濃茶の方が湯温が低いので冷めにくいよう厚めの茶碗を用いる[55]
  • 濃茶は茶事のメインなのでより格の高い茶碗を用いる[55]
  • 濃茶は回しのみをするので大きめの茶碗を用いる[55]

薄茶の泡の点て方は「裏千家では、キメ細やかな泡を全体に点て」[65]、「表千家では泡は少なく月のような情景が出るように点てる」[65]武者小路千家は表千家同様泡が少ない[66]


なお、愛知県には碾茶を細かく刻んでご飯に混ぜて食べる「碾茶飯」という郷土料理がある[67]

製法

[編集]

煎茶、玉露と比較すると、抹茶の製法は以下の通りである。なお以下の表で茶農家が「荒茶の製造工程」を実施して得られるのが「荒茶」[68](抹茶の場合は「碾茶荒茶」[69][70]という)である。これを茶問屋が購入して「仕上げ茶の製造工程」を最期まで行って得られる茶が「仕上げ茶」である[68]

抹茶の場合は「仕上げ茶の製造工程」のうち「切断・選別」「乾燥」まで行ったものを「碾茶」という[69][70]。なお「碾」は臼を表し[71][72]、「碾茶などが行われて作られた字」である[72]

日本茶の製造工程[73][68](最初の工程が左)
茶農家の作業 茶問屋の作業
茶園での工程 荒茶の製造工程 仕上げ茶の製造工程(典型例[73]
覆下栽培 摘採 蒸し 冷却 揉み 乾燥 選別 煉り乾燥 切断・選別 乾燥 合組 臼挽き
煎茶 [注 5]
玉露 [注 5]
抹茶

前述のように抹茶は摘む前の茶葉を2~3週間日光をさえぎる事に特徴があるが、上の表のように玉露も同じく日光でさえぎる。違いの一つは玉露は揉まない事と、臼で挽かずに急須で飲む事である。


抹茶の各工程の詳細は下記のとおりである:

抹茶製造の各工程の概要とその目的
工程 概要 目的
覆下栽培 よしず、コモ、寒冷紗などの被覆資材で 2~3 週間程度茶園を覆う[74] うま味・甘みの元であるテアニンを増やし、渋み・苦みを有するカテキン類の生産を抑制する[52]
摘採 茶葉を摘む。
「蒸し」(「蒸熱」とも[75][76] 品質に大きな影響を及ぼす工程で、100~105℃の蒸気を用いて10~15 秒程度行う[75] 「①茶生葉に含まれる酸化酵素を失活させて加工中の変質を防ぐ」[75]、「②青臭いにおいを取り除く」[75]、「③加熱と蒸機の機械的な打圧により茶葉を柔らかくする」[75]
冷却 冷却散茶機で「風力で蒸葉を吹き上げかやに送り」[75]、「冷却しながら茶葉表面についた蒸し露を吹き飛ばし」[75]、「折れ重なった葉を展開する」[75] 余熱で茶葉が変質するのを防ぐ[75]
乾燥 碾茶機で行われ[75]、茶葉をベルトコンベアで乾燥室(碾茶炉という[76])に通す事で乾燥する[75] 「茶葉は鮮やかな色調となり」[75]「被覆茶特有のまろやかな芳香が生成する」[75]
選別

(「つる切り」とも[69]

木茎分離機で茎や葉脈を取り除く[75][76]
煉り乾燥(ねりかんそう、「再乾燥」とも[69] 水分の多い茎や葉脈を乾燥させ、風力で分離[69]
切断・選別 「夾雑物を除去」し、葉を「粉砕に適した大きさ」に切断[75]
仕上げ乾燥 乾燥 香味発揚[75]
合組(ごうぐみ) 様々な茶葉ブレンド[77] 求められる品質の商品を作る[77]
臼挽き 「標準的な回転数は 1 分あたり 55~60 回転」[75]で茶葉を臼で挽く。「1 時間あたり約 40 g 程度の抹茶(平均粒度 5μm)が得られる」[75]

生産

[編集]

令和4年現在、茶の年間生産量自身は静岡県、鹿児島県、三重県が多いが[78]、碾茶の年間生産量は鹿児島県(1392t)、京都府(898t)、静岡県(435t)が多い[78]。同年の全国茶品評会出品茶審査会でも一等は京都府の生産者が独占しており[79]、碾茶の産地賞も京都府の宇治市が受賞している[80]

類似する緑茶との違い

[編集]

他の粉状の緑茶との違い

[編集]

「粉末状の緑茶」には(本来の意味での)「抹茶」の他に「粉末茶」、「粉茶」、「インスタントティー」がある。これらのうち「粉末茶」は本来の抹茶ではないにもかかわらず「抹茶」として売られる事も多い。これら4つの違いは以下の通りである:

粉末状の緑茶の種類と違い
抹茶 粉茶 粉末茶 インスタントティー
概要 摘む前の茶葉を2~3週間日光をさえぎる事で作った「碾茶」(てんちゃ)をなどで粉末状にしたもの 玉露や煎茶をつくる工程で出る粉の部分だけを選別したもの[81] 茶葉を丸ごと粉砕したもの[81] 茶葉から抽出した液体を濃縮・乾燥させて再固形化したもの[81][82][83]
飲み方 茶筅で)湯に混ぜて飲む 他の3つより粉が大きく、

急須や茶こしで飲む[81]

湯に混ぜて飲む[81] 湯で溶かして飲む[81]
生産コスト 高価[82] 安価 最安価[82] 安価

寿司屋[7][83]では粉茶、回転寿司屋[83]では粉末茶やインスタントティー、給茶機[82]ではインスタントティーが飲まれる。

モガ茶・秋碾

[編集]

(本来の意味での抹茶ではないにもかかわらず)「抹茶」の名称で売られている粉末茶は「碾茶の代用品である「モガ茶」や9~10月に製造される番茶からできた「秋碾」が主」[2]である。

モガ茶とは「建設費用の高価な碾茶炉を使用しないで、煎茶の製造機械を利用して製造される碾茶様の揉みこみの少ない茶」[84]で、「ほとんどは単価の安い露地の秋番」[84](「秋になって茶の新芽が出なくなった後、翌年のために木を刈り揃える際に摘んだ茶葉で作る番茶」[85])を用い、「煎茶製造工程から揉捻工程と精揉工程を省い」[84]て製造されるものである。

秋碾とは「秋番を碾茶炉であぶって碾茶に製造したもの」[86]である。

これらは「単独で、又は抹茶に混ぜて」[84]、「加工用抹茶」[2]「食品用抹茶」[2]「工業用抹茶」[2]「食品加工用碾茶」[87]等と称して「もっぱら食品加工用原料」[87]に出荷されるが、「商品として販売されるときに「加工用」や「食品用」の文字が取れ」[2]、「抹茶」として売られる。

他の被覆茶との違い

[編集]

緑茶の中には抹茶と同様、茶園を遮光資材で被覆する被覆栽培を行うものがあり、このような茶種を被覆茶という[88]。被覆茶には抹茶の他に「玉露」と「かぶせ茶」がある。玉露は抹茶と同様丁寧に被覆するため、アミノ酸のうま味が強く、覆い香がし、鮮やかな緑だが、かぶせ茶は7日程度の被覆なので、いわば玉露と煎茶の中間である:

被覆茶の種類と違い
抹茶 玉露 かぶせ茶
被覆期間 2~3 週間程度[89] 20 日程度[89] 摘採前 7 日程度[89]
遮光資材 よしず、コモ、寒冷紗など[89] よしず棚などにコモ、藁、寒冷紗など[89] 藁や寒冷紗など[89]
製法 揉まずに乾燥し、臼で挽く[89] 煎茶と同様[89]
飲み方 湯に粉を混ぜる 急須で飲む
値段 高価 高価 煎茶よりやや高い

抹茶(粉末茶含む)のその他の利用法

[編集]

前述のように本来は「粉末茶」であるものが「抹茶」という名称で売られており、安価である事から下記のように様々な加工食品の材料に用いられる。以下本節では、本来の抹茶、粉末茶の双方を区別せず単に「抹茶」と呼ぶ。

抹茶ケーキ
宇治抹茶エスプーマ仕立てのかき氷

このほかにも、フォンデュなども含む和洋中料理やビールを含む飲料に加える食材、調味料として使う飲食店や飲食品メーカーもある[91]

バーテンダー後閑信吾茶道具を使用して抹茶のカクテル「Speak Low(スピーク・ロウ」を作り、2012年に、世界的なカクテル競技会「バカルディ レガシー カクテル コンペティション」で優勝した。Speak Lowは、抹茶を茶杓ですくい茶筅を使って茶碗の中で点てて提供される[92]

戦前は抹茶の覚醒作用やビタミンCの補給が評価され、「航空元気食」「防眠菓子」として、糧秣廠(りょうまつしょう)(軍の食糧庫)に保管された[93]。また、「京都府立茶業研究所が「糖衣抹茶特殊糧食」(固形の抹茶に糖分を含む被膜を施したもの)を開発し、航空機や潜水艦に乗り込む兵士の疲労回復と眠気覚ましとして、広く重用」された[93]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 「var. sinensis」の訳は「中国種」である[12]
  2. ^ buds and shootsの訳は文献[13]に従った。
  3. ^ 「所誉茶徳之書」が『喫茶養生記』であったと見られている。
  4. ^ 『喫茶養生記』には、茶葉を杵臼でつく工程が書かれていないため、団茶(餅茶)とは断定できないとする意見もある[28]
  5. ^ a b 火入れによる乾燥[73]

出典

[編集]
  1. ^ a b #大森、第一章の『緑茶「非発酵茶」』の節の「(5)抹茶」より
  2. ^ a b c d e f g #三木 p.40.
  3. ^ 抹茶の楽しみ方 | 伊勢抹茶株式会社” (2018年12月19日). 2024年3月19日閲覧。
  4. ^ 本物の「抹茶」とそうでない「抹茶」の違いとその作られ方 | 石松園|静岡のこだわりのお茶屋”. 2024年3月19日閲覧。
  5. ^ 緑茶の表示基準”. 公益社団法人日本茶業中央会. p. 21. 2024年3月19日閲覧。
  6. ^ 公益社団法人日本茶業中央会の定義では「粉末茶」とは「茶を粉砕機等により粉末にしたもの」[5]
  7. ^ a b 「粉のお茶」って3種類あるの? 「粉茶」「粉末茶」「抹茶」の違い”. 日本茶専門店の組合【東京都茶協同組合】. 2024年3月19日閲覧。
  8. ^ 緑茶の表示基準”. 公益社団法人日本茶業中央会. p. 21. 2024年3月19日閲覧。
  9. ^ 緑茶の表示基準”. 公益社団法人日本茶業中央会. p. 21. 2024年3月19日閲覧。
  10. ^ 消費者庁 食品表示企画課 (平成27年3月(最終改正 令和3年3月17日消食表第115号)). “食品表示基準Q&A”. p. 25. 2024年3月20日閲覧。
  11. ^ 3 Terms and definitions, 3.18 matcha tea”. ISO 20715:2023(en) Tea — Classification of tea types. 2024年3月19日閲覧。
  12. ^ 橋本実. “野生チャの分類と形態”. p. 1. 2024年3月19日閲覧。
  13. ^ シュート”. BotanyWeb. 筑波大学. 2024年3月25日閲覧。
  14. ^ ウィキソース出典 陸, 羽, “五之煮” (中国語), 茶經, ウィキソースより閲覧。 
  15. ^ a b 滕 1993, p. 40.
  16. ^ ウィキソース出典 陸, 羽, “六之飲” (中国語), 茶經, ウィキソースより閲覧。 
  17. ^ 千 1957, p. 47.
  18. ^ 布目 1982, p. 22.
  19. ^ a b 布目 1982, p. 23.
  20. ^ ウィキソース出典 蔡, 襄 (中国語), 茶錄, ウィキソースより閲覧。 
  21. ^ a b 千 1957.
  22. ^ 福持昌之. “京都の無形文化財としての建仁寺四頭茶礼”. 大阪観光大学観光学研究所報『観光&ツーリズム』. http://www2.meijo.ac.jp/img/s17fukumochi.pdf 2020年7月11日閲覧。. 
  23. ^ 滕 1993, p. 41.
  24. ^ 滕, 軍『茶文化の思想的背景に関する研究』1993年。doi:10.11501/3078362https://dl.ndl.go.jp/pid/3078362/1/45 
  25. ^ ウィキソース出典 沈, 徳符, “補遺一” (中国語), 萬曆野獲編, ウィキソースより閲覧。 
  26. ^ 陳舜臣 1992, pp. 99–100.
  27. ^ 布目 1982, p. 25.
  28. ^ a b 布目 1982, p. 26.
  29. ^ 千 1958.
  30. ^ 貴志 1977, p. 242.
  31. ^ 千 1958, p. 13.
  32. ^ a b 池ヶ谷, 賢次郎「茶:特に中国茶について」『食生活研究』第9巻第5号、食生活研究会、1988年9月、18-27頁、doi:10.11501/1841906 
  33. ^ 千 1958, p. 20.
  34. ^ 塙保 1900, p. 668.
  35. ^ 千 1958, p. 314.
  36. ^ 真相 1933, p. 63.
  37. ^ 運歩色葉集』白帝社、1961年、237頁。doi:10.11501/2497265https://dl.ndl.go.jp/pid/2497265 
  38. ^ a b c d e 穴田, 小夜子「江戸時代の宇治茶師」『学習院史学』第8巻、学習院大学史学会、1971年11月30日、47-70頁。 
  39. ^ 井口, 海仙 編『茶道全集』 7巻、創元社、1936年、513-533頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1868549 
  40. ^ 沢村, 信一「中世以前の抹茶の粒度と味」『日本調理科学会誌』第44巻第3号、日本調理科学会、2011年、231–237頁、doi:10.11402/cookeryscience.44.231 
  41. ^ 井上, 弦、中尾, 淳、矢内, 純太、佐瀬, 隆、小西, 茂毅「京都府宇治市の茶園土壌を用いた覆下栽培の発祥時期の推定」『日本土壌肥料学会雑誌』第90巻第6号、日本土壌肥料学会、2019年、424-432頁、doi:10.20710/dojo.90.6_424 
  42. ^ 石垣, 幸三「お茶の化学成分,味・香りと茶樹の栽培」『化学と生物』第19巻第5号、公益社団法人 日本農芸化学会、1981年、278-285頁、doi:10.1271/kagakutoseibutsu1962.19.278 
  43. ^ 吉田, 宏之、犬束, 正美、淵之上, 弘子、下田, 美智子、野村, 節子、渡辺, 弘「かぶせ茶の原葉生産に関する基礎的研究(第1報)」『茶業研究報告』第1959巻第13号、1959年、30-38頁、doi:10.5979/cha.1959.30 
  44. ^ a b 徳川, 義宣「二通の徳川家康筆 茶壺覚書」『古美術』第64号、三彩社、1982年10月10日、82-89頁、doi:10.11501/6063359 
  45. ^ 内藤, 耻叟 編『徳川実紀』 36-52巻、徳川実紀出版事務所、1896-1899。doi:10.11501/772974https://dl.ndl.go.jp/pid/772974/1/27 
  46. ^ a b 日本随筆大成編輯部 編『日本随筆大成 㐧三期 㐧七卷』日本随筆大成刊行会、1930年、204-205頁。doi:10.11501/1914201https://dl.ndl.go.jp/pid/1914201 
  47. ^ 薩藩叢書刊行会 編『新薩藩叢書』 4巻、歴史図書社、1971年、185頁。doi:10.11501/9769745https://dl.ndl.go.jp/pid/9769745/1/100 
  48. ^ 農林水産省 (2023年12月). “茶をめぐる情勢”. 農林水産省. 2024年2月27日閲覧。
  49. ^ 吉田, 真樹 (2012年5月). “中国へ日本式の抹茶生産方法を導入~中国の茶園で新茶の収穫が最盛期~”. 2024年2月27日閲覧。
  50. ^ a b お茶の香りと働きについて”. 京都宇治茶お茶のことなら【古勝製茶場】宇治茶自園・京都宇治茶の通販 (2013年11月4日). 2024年3月19日閲覧。
  51. ^ a b c d e f 美味しい抹茶とは|抹茶を選ぶポイント|抹茶について|宇治 茶 山政小山園 一貫した抹茶づくり”. 京都 宇治茶 文久元年創業|山政小山園. 2024年3月19日閲覧。
  52. ^ a b c d #原口 p.123.
  53. ^ 国産抹茶の価格と化学成分含有量の関係 | 農研機構”. www.naro.go.jp. 2024年3月19日閲覧。
  54. ^ #原口 p.124.
  55. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 濃茶と薄茶の違い”. 京焼茶道具 橋本城岳. 2024年3月19日閲覧。
  56. ^ a b c d 濃茶と薄茶の違い”. 公益財団法人 上田流和風堂. 2024年3月20日閲覧。
  57. ^ お抹茶より先にお菓子を頂く理由”. 三日月茶道教室 (2017年12月17日). 2024年3月20日閲覧。
  58. ^ レファレンス事例詳細/抹茶をいただく時に、先に和菓子を食べるのはなぜですか。”. レファレンス協同データベース. 2024年3月20日閲覧。
  59. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 濃茶(こいちゃ)と薄茶(うすちゃ)の違いとは?”. 茶舗山年園 (2023年9月30日). 2024年3月19日閲覧。
  60. ^ 色絵月梅図茶壺 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2024年3月26日閲覧。
  61. ^ a b 茶壺(ちゃつぼ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月26日閲覧。
  62. ^ 口切の茶事(くちきりのちゃじ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月26日閲覧。
  63. ^ a b 基本の薄茶(抹茶)”. 一保堂茶舗. 2024年3月19日閲覧。
  64. ^ a b 基本の濃茶(抹茶)”. 一保堂茶舗. 2024年3月19日閲覧。
  65. ^ a b 点て方を考える|原田茶具商店”. www.e-chadougu.com. 2024年3月19日閲覧。
  66. ^ わかる★ ねこ師匠の 茶の湯質問コーナー vol.6【何でお抹茶は泡立てなきゃいけないのん?・どうしてお茶より先にお菓子を食べるのん?】|”. 茶道具 青峰堂. 2024年3月19日閲覧。
  67. ^ デジタル大辞泉プラス. “碾茶飯とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月26日閲覧。
  68. ^ a b c 荒茶と仕上げ茶について深く知る(その1)”. 日本茶専門店の組合【東京都茶協同組合】. 2024年3月20日閲覧。
  69. ^ a b c d e 抹茶の製造工程 荒茶工程|お茶ができるまで|お茶百科”. お茶百科. 2024年3月24日閲覧。
  70. ^ a b 抹茶の製造工程 仕上げ加工工程|お茶ができるまで|お茶百科”. お茶百科. 2024年3月24日閲覧。
  71. ^ #原口 p.122.
  72. ^ a b 字通, 普及版. “碾(漢字)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月19日閲覧。
  73. ^ a b c Japanese Green Tea”. 農林水産省. pp. 5-6. 2024年3月19日閲覧。
  74. ^ 緑茶の表示基準”. 公益社団法人日本茶業中央会. p. 21. 2024年3月19日閲覧。
  75. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r #原口 p.122-123.
  76. ^ a b c 抹茶のこと”. 貴福園. 2024年3月19日閲覧。
  77. ^ a b 知って欲しい、お茶屋の技術『合組(ごうぐみ)』について”. お茶と茶匠スイーツの真茶園 - (2021年4月20日). 2024年3月19日閲覧。
  78. ^ a b 茶ガイド-全国茶生産団体連合会・全国茶主産府県農協連連絡協議会”. www.zennoh.or.jp. 2024年3月26日閲覧。
  79. ^ 第77回全国茶品評会出品茶審査会 入賞の詳細”. 2024年3月26日閲覧。
  80. ^ 「第77回全国茶品評会出品茶審査会」審査結果を発表します - 福岡県庁ホームページ”. www.pref.fukuoka.lg.jp. 2024年3月26日閲覧。
  81. ^ a b c d e f 「粉茶」、「粉末茶」、「抹茶」、「インスタントティー」の違いを教えてください。 | よくいただくご質問 | お客様相談室”. 伊藤園 商品情報サイト. 2024年3月25日閲覧。
  82. ^ a b c d 粉末茶(粉末緑茶)、粉茶、インスタント茶、抹茶の違い”. 日本茶専門店松田園WEBショップ. 2024年3月25日閲覧。
  83. ^ a b c 粉末茶と粉茶ってどう違うの?| お茶コラム| 京都 三条「ちきりや」お茶通販 創業安政元年”. 2024年3月25日閲覧。
  84. ^ a b c d お抹茶のすべて 1 【宇治煎茶の主産地「和束」はいかにして碾茶の主産地になったか。】 | 株式会社桑原善助商店”. www.zkuwabara.com. 2024年3月27日閲覧。
  85. ^ 飲み物がわかる辞典. “秋番茶(あきばんちゃ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年3月27日閲覧。
  86. ^ お茶の用語辞典 ア行 | 株式会社桑原善助商店”. zkuwabara.com. 2024年3月27日閲覧。
  87. ^ a b 緑茶の表示基準”. 公益社団法人日本茶業中央会. p. 21. 2024年3月19日閲覧。
  88. ^ 京都府. “被覆栽培(覆い下栽培)”. 京都府. 2024年3月25日閲覧。
  89. ^ a b c d e f g h 緑茶の表示基準”. 公益社団法人日本茶業中央会. p. 21. 2024年3月19日閲覧。
  90. ^ 串間努. “まぼろし食料品店 第1回「グリーンティ」の巻”. まぼろしチャンネル(初出:『毎日新聞』). 2014年8月29日閲覧。
  91. ^ 【仰天ゴハン】食べる抹茶(京都府宇治市)進化 止まっちゃいけない『読売新聞』朝刊2019年6月9日よみほっと(別刷り日曜版)1面。
  92. ^ “世界一”の抹茶カクテル The SG Clubの Speak Low”. Chagocoro 文化をインスパイアするお茶メディア (2019年12月6日). 2023年12月13日閲覧。
  93. ^ a b 歴史 – 孫右ヱ門コラム”. 2024年3月19日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 塙保, 己一 編『群書類従 第拾貳輯』経済雑誌社、1900年。doi:10.11501/1879539https://dl.ndl.go.jp/pid/1879539 
  • 真相『君台観左右帳記 : 永禄二年古写本』古典保存会、1933年。doi:10.11501/1187873https://dl.ndl.go.jp/pid/1187873 
  • 千, 宗室 編『茶道古典全集』 1巻、淡交新社、1957年。doi:10.11501/2466376https://dl.ndl.go.jp/pid/2466376 
  • 千, 宗室 編『茶道古典全集』 2巻、淡交新社、1958年。doi:10.11501/2466377https://dl.ndl.go.jp/pid/2466377 
  • 貴志, 正造(訳注)『全訳吾妻鏡』 3巻、新人物往来社、1977年2月。doi:10.11501/12284086https://dl.ndl.go.jp/pid/12284086 
  • 布目, 潮渢「抹茶の起源」『懐徳』、懐徳堂記念会、1982年、21-27頁、doi:10.11501/7957009 
  • 滕, 軍『茶文化の思想的背景に関する研究』1993年。doi:10.11501/3078362https://dl.ndl.go.jp/pid/3078362 
  • 原口健司(京都府農林水産技術センター 農林センター 茶業研究所). “抹茶の特徴”. におい・かおり環境学会誌 46巻 2 号 ― 特 集 ― お茶の香り. 2024年3月20日閲覧。
  • 大森正司『お茶の科学 「色・香り・味」を生み出す茶葉のひみつ』講談社、2017年5月17日。ISBN 978-4-06-502016-6 
  • 三木雄貴秀『おいしいお茶の秘密 旨味や苦味、香り、色に差が出るワケは? 緑茶・ウーロン茶・紅茶の不思議に迫る』SBクリエイティブ〈サイエンス・アイ新書〉、2019年3月15日。ASIN B07P5KCNQCISBN 978-4797394276 
  • 陳舜臣『茶の話――茶事遍路』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1992年。ISBN 4-02-260705-X 
  • ディスカバー・ジャパン編集部 編『日本茶のこと説明できますか?』枻出版社、東京、2010年10月7日。ISBN 978-4777917709 

外部リンク

[編集]

関連項目

[編集]