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本田優

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本田優
2011年マーメイドS表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
生年月日 (1959-01-04) 1959年1月4日(65歳)
身長 160cm
体重 52kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 星川薫(1980.3 - 2001.2)
フリー(2001.3 - 引退)
初免許年 1980年3月1日
免許区分 平地(初期のみ障害免許も所持)[要出典]
騎手引退日 2007年2月28日
重賞勝利 27勝
G1級勝利 6勝
通算勝利 7997戦757勝
調教師情報
初免許年 2007年
経歴
所属 JRA騎手(1980 - 開業)
栗東T.C.(開業 - )
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本田 優(ほんだ まさる、1959年1月4日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の元騎手で、現在は同会の調教師である。

来歴

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騎手時代

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1980年に騎手免許を取得し、星川薫厩舎よりデビュー。元騎手の上籠勝仁は弟弟子。初騎乗は同年3月1日阪神競馬第1競走で、ロビンソンシチーに騎乗し2着。同年3月30日の阪神競馬第3競走でカンザンスピードに騎乗し初勝利。

重賞初勝利は1981年春の京都記念1983年までは年2回施行の競走であった)で初騎乗馬のロビンソンシチーにて挙げる。そして1986年にはゴールドシチー阪神3歳ステークスに勝利。これがGI初勝利となった。

1990年代に入ると勝利数が増え、勝率・連対率ともに着実に結果を残したが、大きなタイトルには縁がなかった。しかし、2000年の阪神3歳牝馬ステークスでテイエムオーシャンに騎乗し、実に14年ぶりのGI制覇を果たした。翌年も同馬とのコンビで桜花賞秋華賞を制した。

その後はテイエムオーシャンを筆頭に、西浦勝一調教師の管理馬とのコンビが目立つようになり、勝利数もさらに増えた。マイソールサウンドなどで重賞勝利も重ね、ベテランならではの渋い活躍ぶりを見せていた。騎乗フォームは柔らかく、芝レース、とくに牝馬騎乗での活躍が目立った[独自研究?]

その反面、強気過ぎて人気を裏切ることもあり[独自研究?]、テイエムオーシャンの優駿牝馬(オークス)で横山典弘が騎乗するローズバドに出し抜けされ、3着に敗れたときには「騎手が下手だったと書いてくれて結構です。」と発言し、物議を醸した[注 1]

2005年2回函館競馬4日目第6競走においてイアラユーラシアに騎乗し、中央競馬通算700勝を達成した[1]

2006年には優駿牝馬でカワカミプリンセスに騎乗し、最年長で優勝を果たすと、同年の秋華賞も同馬で制した。エリザベス女王杯でも1位に入線し、ファインモーション以来の無敗の制覇かと思われたが、審議の結果直線でヤマニンシュクルの進路を妨害したとして12着降着(16頭中)となった。ここでも「全部俺の責任」と発言した。また、審議を担当した裁決委員には「俺からは制裁金をいくら取っても構わないが、馬の降着だけは勘弁してくれ」と嘆願していたという[要出典]。なお、GIレース1着降着の事例は1991年の天皇賞(秋)メジロマックイーン以来だが、本田はこのとき、直接の被害馬とされた18着入線のプレジデントシチーに跨っており、レース後に岡部幸雄が「お前、よく落ちなかったな」と声をかけたほど、落馬寸前なまでに体勢を崩していた[要出典]

2007年2月、調教師試験に合格し、調教師免許を取得した[2]。最終週は計9鞍に騎乗。2月24日のアーリントンカップでは、1番人気のローレルゲレイロに騎乗し2着と敗れたが、25日には2勝を挙げた。阪急杯でのニシノデューの6着が最後の騎乗となった[3]。2月28日付で騎手を引退し、調教師へ転身した。

調教師時代

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同年4月22日におこなわれたジョッキーマスターズに参戦し2着[要出典]。6月21日付で厩舎を開業(当面は10馬房)した[4][注 2]。初出走は同年6月30日阪神競馬第1競走のジョバイロで6着、初勝利は同年7月28日小倉競馬第3競走のバトルブレーヴで、のべ10頭目であった。さらに同馬は翌2008年の小倉サマージャンプを制し、調教師としてJRA重賞初勝利を挙げた[5]

菊地昇吾[6]川須栄彦[7]泉谷楓真[8]と複数の騎手を厩舎に受け入れており、騎手育成にも積極的であるといえる。

騎手成績

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年度 勝利数 騎乗数 連対率 勝率 表彰
1980年 22 298 .152 .073 中央競馬関西放送記者クラブ賞
1981年 32 312 .189 .103
1982年 14 230 .187 .061
1983年 22 236 .169 .093
1984年 14 198 .146 .071
1985年 20 163 .227 .123
1986年 21 232 .211 .091
1987年 18 261 .165 .059
1988年 35 230 .248 .152 JRAフェアプレー賞
1989年 21 230 .191 .091
1990年 27 238 .235 .113
1991年 29 286 .189 .101
1992年 19 279 .179 .068
1993年 23 196 .204 .117
1994年 30 223 .229 .135
1995年 25 251 .215 .100
1996年 28 288 .240 .097 JRAフェアプレー賞
1997年 30 296 .172 .101
1998年 27 383 .193 .070
1999年 34 322 .186 .106 JRAフェアプレー賞
2000年 30 345 .183 .087
2001年 35 319 .188 .110 JRAフェアプレー賞
2002年 20 278 .147 .072
2003年 40 359 .203 .111 JRAフェアプレー賞
2004年 56 527 .201 .106
2005年 48 560 .188 .086
2006年 34 383 .167 .089
2007年 3 70 .171 .043
平地 757 7993 .191 .095
障害 0 4 .000 .000
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1980年3月1日 4歳未勝利 ロビンソンシチー 11頭 5 2着
初勝利 1980年3月30日 - カンザンスピード - - 1着
重賞初騎乗 1980年10月25日 タマツバキ記念(秋) ミケンジャク 18頭 17 7着
重賞初勝利 1981年2月15日 京都記念(春) ロビンソンシチー 16頭 8 1着
GI級初騎乗 1982年11月14日 菊花賞 ミズホヒエン 21頭 12 10着
GI初勝利 1986年12月14日 阪神3歳S ゴールドシチー 8頭 3 1着

GI級競走優勝

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重賞競走優勝

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調教師成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2007年6月30日 3回阪神5日1R 3歳未勝利 ジョバイロ 15頭 5 6着
初勝利 2007年7月28日 2回小倉5日3R 障害3歳上未勝利 バトルブレーヴ 12頭 1 1着
重賞初出走 2007年9月1日 3回新潟7日9R 新潟ジャンプS バトルブレーヴ 14頭 4 8着
重賞初勝利 2008年7月26日 2回小倉3日9R 小倉サマージャンプ バトルブレーヴ 12頭 1 1着
GI初出走 2009年4月19日 3回中山8日11R 皐月賞 アーリーロブスト 18頭 10 16着
GI初勝利 2017年4月9日 2回阪神6日11R 桜花賞 レーヌミノル 17頭 8 1着

主な管理馬

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※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

主な厩舎所属者

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※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

脚注

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注釈

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  1. ^ 一般的に騎手はこのような自己のミスを責める直接的な発言をすることはしない。
  2. ^ 太宰義人調教師急死による野村彰彦調教師への馬房の臨時貸付の終了によるもの。

出典

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  1. ^ 本田優騎手 JRA通算700勝達成!|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. ラジオNIKKEI. 2023年6月14日閲覧。
  2. ^ 鹿戸雄一騎手と本田優騎手が調教師免許試験に合格”. www.radionikkei.jp. ラジオNIKKEI. 2023年6月15日閲覧。
  3. ^ 本田優騎手、最終週は2勝”. netkeiba.com. 2023年6月15日閲覧。
  4. ^ 本田優、吉田直弘師が6月21日に新規開業”. p.keibabook.co.jp. 競馬ブックweb. 2023年6月15日閲覧。
  5. ^ 小倉サマーJ、バトルブレーヴが3連勝で重賞初制覇”. netkeiba.com. 2023年6月15日閲覧。
  6. ^ 菊地昇吾騎手、本田優厩舎所属に”. ラジオNIKKEI. 2023年6月15日閲覧。
  7. ^ 競馬学校 騎手課程第26期生が卒業”. web.archive.org. 2023年6月15日閲覧。
  8. ^ JRA 新規騎手免許試験合格者4人を発表”. www.sponichi.co.jp. スポーツニッポン. 2023年6月15日閲覧。

関連項目

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