村山明 (競馬)
村山明 | |
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第138回目黒記念パドック(2024年5月26日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都東村山市 |
生年月日 | 1971年8月18日(53歳) |
身長 | 160.0 cm |
体重 | 52.0 kg |
血液型 | O型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
初免許年 | 1990年3月1日 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 2007年2月20日 |
重賞勝利 | 2勝 |
通算勝利 | 3186戦218勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 2008年 |
経歴 | |
所属 |
騎手 1990年3月-1996年5月 斉藤義美 1996年9月-1999年6月 フリー 1999年6月-2001年3月 大沢真 2001年3月-2002年1月 フリー 2002年1月-2002年5月 松田国英 2002年5月-2002年10月 フリー 2002年10月-2003年5月 松田国英 2003年5月-2003年12月 フリー 2003年12月-2004年5月 松田国英 2004年5月-2004年12月 フリー 2004年12月-2005年1月 松元省一 2005年1月-2006年12月 フリー 2006年12月-引退 角居勝彦 調教助手 2007年2月-2008年2月 角居勝彦 調教師 2008年-現在 |
村山 明(むらやま あきら、1971年8月18日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の調教師で、元騎手、元調教助手。東京都東村山市出身。
来歴
[編集]騎手・調教助手時代
[編集]1990年に競馬学校第6期生として卒業し、騎手免許を取得。同期には江田照男、浜野谷憲尚らがいる。斉藤義美厩舎所属として騎手デビュー。初騎乗は同年3月3日阪神競馬第3競走のユーワコスモスで11着、初勝利は同年4月22日福島競馬第8競走のヤマノオリオンであった。
3年目からは障害競走にも騎乗するようになり、1994年には中京障害ステークスをキンセンアラシで制して重賞初勝利を挙げた。平地競走の重賞は2000年の武蔵野ステークスをサンフォードシチーで優勝している。
1996年に斉藤義美厩舎を離れフリーに、1999年には大沢真厩舎所属となったが、2001年2月に大沢が調教師を勇退したため再度フリーになった。翌2002年1月に松田国英厩舎所属となったが、以降はフリーと厩舎所属を頻繁に繰り返した。
2007年2月20日付で騎手を引退し、角居厩舎の調教助手に転身した。騎手成績は3186戦218勝(うち重賞2勝、障害戦222戦26勝)であった。
調教師時代
[編集]2008年には調教師免許を取得し、9月21日付で橋本寿正厩舎から中村均厩舎に臨時貸付けとなっていた馬を引き継ぐかたちで厩舎を開業した。開業時の馬房数は14。
同年10月19日には、メイクデビュー京都をテスタマッタで勝利し、自身の管理馬初勝利をあげた。そのテスタマッタが2009年のジャパンダートダービーを制して重賞初勝利。また、同年の新潟記念をホッコーパドゥシャで制しこれがJRA重賞初勝利となった。なお新潟記念は村山と競馬学校で同期の江田照男の騎乗(石橋脩の落馬負傷による乗り替わり)によるものだった。
2012年2月19日のフェブラリーステークスをテスタマッタで勝利し、JRA本場所でのGI競走初制覇するとともに、騎手時代に2001年の同競走でサンフォードシチーに騎乗し1番人気で敗退した無念を晴らした。
2014年2月23日、フェブラリーステークス (GI) を単勝16番人気コパノリッキー(田辺裕信騎手騎乗)で勝利。
同年12月14日、カペラステークス (GIII) を単勝12番人気ダノンレジェンド(丸田恭介騎手騎乗)で勝利。
2017年7月23日、サトノファイヤーでJRA通算200勝を達成[1]。
2020年8月14日17時すぎ、栗東トレーニングセンターの村山厩舎で火災が発生。管理馬5頭が死亡[2]。
2024年5月18日、新潟12R4歳上1勝クラスでグッドウッドガイが1着となり、現役では67人目となるJRA通算300勝を通算4292戦目で達成した[3]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 192 | 176 | 232 | 2964 | .065 | .124 |
障害 | 26 | 20 | 30 | 222 | .117 | .207 |
計 | 218 | 196 | 262 | 3186 | .068 | .130 |
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 1990年3月3日 | 2回阪神3日3R | 3歳未勝利 | ユーワコスモス | 11頭 | 11 | 11着 |
初勝利 | 1990年4月22日 | 1回福島2日8R | 4歳上500万下 | ヤマノオリオン | 12頭 | 2 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1992年8月2日 | 2回札幌8日11R | 札幌3歳S | レディエックス | 14頭 | 9 | 6着 |
重賞初勝利 | 1994年9月17日 | 3回中京3日9R | 中京障害S(秋) | キンセンアラシ | 9頭 | 2 | 1着 |
GI初騎乗 | 1995年12月10日 | 5回中山4日11R | 朝日杯3歳S | セイントリファール | 12頭 | 10 | 4着 |
主な騎乗馬
[編集]- キンセンアラシ(1994年中京障害ステークス〈秋〉)
- サンフォードシチー(2000年武蔵野ステークス)
調教師成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 2008年9月28日 | 2回札幌6日7R | 3歳上500万下 | コパノオーシャンズ | 12頭 | 6 | 4着 |
初勝利 | 2008年10月19日 | 4回京都4日4R | 2歳新馬 | テスタマッタ | 13頭 | 5 | 1着 |
重賞初出走 | 2009年3月14日 | 2回中京1日11R | 中京記念 | ホッコーソレソレー | 18頭 | 14 | 7着 |
重賞初勝利 | 2009年8月30日 | 3回新潟6日11R | 新潟記念 | ホッコーパドゥシャ | 18頭 | 5 | 1着 |
GI初出走 | 2009年11月1日 | 4回東京8日11R | 天皇賞(秋) | ホッコーパドゥシャ | 18頭 | 17 | 16着 |
GI級初勝利 | 2009年7月8日 | 6回大井4日11R | ジャパンダートダービー | テスタマッタ | 13頭 | 4 | 1着 |
GI初勝利 | 2012年2月19日 | 1回東京8日11R | フェブラリーS | テスタマッタ | 16頭 | 7 | 1着 |
主な管理馬
[編集]※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
- ホッコーパドゥシャ(2009年新潟記念)
- テスタマッタ(2009年ジャパンダートダービー、2011年マーチステークス、2012年フェブラリーステークス)
- コパノリッキー(2013年兵庫チャンピオンシップ、2014年・2015年フェブラリーステークス連覇、JBCクラシック連覇、2014年・2016年・2017年かしわ記念、2015年東海ステークス、2016年帝王賞、2016年・2017年マイルチャンピオンシップ南部杯連覇、2017年東京大賞典)
- ラブイズブーシェ(2014年函館記念)
- ダノンレジェンド(2014年カペラステークス、2015年・2016年黒船賞連覇、クラスターカップ連覇、2015年東京スプリント、東京盃、2016年北海道スプリントカップ、JBCスプリント[4])
- サトノルパン (2015年京阪杯)
- オールブラッシュ(2017年川崎記念、2018年浦和記念)[5]
- コパノキッキング (2018年・2019年カペラステークス連覇、2019年根岸ステークス、東京盃)
- ケイアイパープル(2022年佐賀記念、白山大賞典)
- ケイアイドリー(2023年北海道スプリントカップ)[6]
主な厩舎所属者
[編集]※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
脚注
[編集]- ^ “村山師 JRA通算200勝を達成!現役108人目”. スポーツニッポン (Sponichi Annex). (2017年7月24日) 2017年7月24日閲覧。
- ^ “栗東トレセン火災5頭犠牲 原因の特定には至らず”. 日刊スポーツ (2020年8月15日). 2020年8月17日閲覧。
- '^ “村山明調教師がJRA通算300勝「次の1勝を目指してまた頑張りたい」 新潟12Rで達成”. UMATOKU | 馬トク - スポーツ報知 (2024-05-18JST17:16:00+0900). 2024年5月18日閲覧。
- ^ ダノンレジェンドJBISサーチ
- ^ オールブラッシュnetkeiba.com
- ^ “ケイアイドリー”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年6月1日閲覧。