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梅田勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梅田 勝
うめだ まさる
生年月日 (1927-08-14) 1927年8月14日
出生地 日本の旗 京都府京都市
没年月日 (2017-08-02) 2017年8月2日(89歳没)
出身校 高等小学校
前職 島津製作所社員
所属政党 日本共産党

選挙区 旧京都1区
当選回数 3回
在任期間 1972年12月10日 - 1976年12月9日
1979年10月7日 - 1980年5月19日
1983年12月18日 - 1986年6月2日
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梅田 勝(うめだ まさる、1927年8月14日 - 2017年8月2日[1][2])は、日本政治家衆議院議員日本共産党公認)を3期つとめた。

来歴

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1927年に京都府京都市に生まれる。高等小学校卒業後、島津製作所に勤務。1948年に島津製作所紫野工場細胞で入党。その後、党職員となり、京都府中丹地区委員長、北地区委員長、府常任委員、府副委員長などを歴任。第11回党大会1970年)で准中央委員となる[2]

1972年の衆議院議員選挙旧京都1区)で初当選。この選挙では定数5人に8人が立候補する激戦となったが、梅田と同じく共産党公認の谷口善太郎も立候補し共に当選(谷口はトップ当選)を果たす。共産党が中選挙区時代、1選挙区から複数の当選者を出したのはこれが初めてであった。

1974年に谷口が死去した後は、藤原ひろ子とともに旧京都1区から立候補を続け、1976年には落選したが、1979年第35回衆議院議員総選挙で返り咲き、藤原とともに複数議席を確保した。その後、1980年には藤原、1983年には梅田、1986年には藤原と、1人のみの当選が続き、3期務めた後の1990年の衆議院議員選挙では藤原もともに敗れ、以後旧京都1区は穀田恵二が後継候補となった。また、落選中の1978年には参議院補欠選挙に立候補している。

衆議院議員としては、運輸委員、社会労働委員を務めた。また、党内では第14回党大会1977年)で中央委員となり、1990年まで務めた。引退後、第22回党大会2000年)で名誉役員に推された。その他、「国領五一郎を顕彰する京都の会」の会長・顧問を務めた[2]。2017年8月2日、死去。89歳没[1]

国政選挙歴

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著書

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出典

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  1. ^ a b 梅田勝氏死去 共産党元衆院議員 - 『京都新聞』2017年8月25日付
  2. ^ a b c 「日本共産党元衆議院議員 梅田勝さんが死去」『しんぶん赤旗』訃報欄、2017年8月25日付

関連項目

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  • 谷口善太郎 - 共産党衆議院議員、党府委員長。同じ京都1区から出馬した。
  • 藤原ひろ子 - 共産党衆議院議員。同じ京都1区から出馬した。
  • 穀田恵二 - 共産党衆議院議員。梅田・藤原の議席を引き継いだ。
  • 井上哲士 - 共産党参議院議員。衆議院議員時代に地元秘書を務めた。