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河津町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かわづちょう ウィキデータを編集
河津町
河津町旗 河津町章
河津町旗 河津町章
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
賀茂郡
市町村コード 22302-6
法人番号 1000020223026 ウィキデータを編集
面積 100.69km2
総人口 6,224[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 61.8人/km2
隣接自治体 下田市伊豆市賀茂郡松崎町西伊豆町東伊豆町
町の木 河津桜
町の花 花菖蒲
河津町役場
町長 岸重宏
所在地 413-0595
静岡県賀茂郡河津町田中212-2
北緯34度45分25秒 東経138度59分15秒 / 北緯34.757度 東経138.98761度 / 34.757; 138.98761座標: 北緯34度45分25秒 東経138度59分15秒 / 北緯34.757度 東経138.98761度 / 34.757; 138.98761
地図
町役場位置

外部リンク 公式ウェブサイト

河津町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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河津町(かわづちょう)は、静岡県賀茂郡に属するである。伊豆半島の先端部(南端部)に近い東側地域の一角を占め、太平洋に面する。

サクラの一栽培品種であるカワヅザクラ(河津桜)の発祥地および観光地として全国的に知られており、花見の季節には必ず紹介される。

地勢

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町域の81%は山林と原野で占められ、市街地は天城山南東の山稜を源流とする河津川下流の平地に広がる。東部は相模灘太平洋)に面する。

  • - 登り尾(1057m)、猿山(1000m)、三筋山(812m)、鉢ノ山(619m)
  • 河川 - 河津川

歴史

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年表

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先史時代

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古代

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中世

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  • 永享4年(1432年南北朝時代) - 那蘭陀寺(南禅寺の前身)の裏山が山津浪(山崩れ)を起こし、寺は堂宇はことごとく大破、仏像群は埋没し、これが元で廃寺となる[3][4]
  • 天文10年(1541年戦国時代) - 南禅和尚(正光院)が、谷津の那蘭陀寺跡地の土中から仏像群を掘り起こし、建立した仏堂に納めると、人々はこれを「南禅堂」と呼ぶようになる[3][4]。これが現存する南禅寺(なぜんじ)の興りであるという[3][4]

安土桃山時代

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江戸時代

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明治時代

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日清戦争後
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  • 1895年(明治28年) - 沢田石を用いた帝国京都博物館の開館。
  • 1896年(明治29年)
  • 1900年(明治33年) - 天城峠下にて、天城山隧道(現在通称天城トンネル)の着工。
  • 1902年(明治35年) - 天城山隧道(現在通称:天城トンネル)の竣工・開通。三島下田街道の完成。
日露戦争後
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  • 1906年(明治39年) - 湯ヶ野を震源とする地震(M5.7程度)の発生。
  • 1910年(明治43年)2月 - 河津川水力電気株式会社の設立。
  • 1911年(明治44年)1月1日 - 河津川水力電気株式会社の開業[6]

大正時代

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  • 1912年大正元年) - 上河津実業補習学校の設立。
  • 1914年(大正3年)
    • 某月某日 - 河津各区に区長を置く。
    • 9月某日 - 河津川水力電気株式会社 梨本発電所の建設。
  • 1915年(大正4年)
    • 某月某日 - 下田・大仁間にて路線バスの開通。
    • 5月某日 - 河津川水力電気株式会社 梨本発電所の創立。
  • 1917年(大正6年) - 田中・峰・逆川・縄地・見高の尋常小学校及び下河津高等小学校を併合して下河津尋常高等小学校とする。本校は笹原に置き、見高・見高入谷・縄地・逆川に分校を置く。
第一次世界大戦後
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  • 1920年(大正9年)9月 - 河津川水力電気株式会社 小鍋発電所の創立。
  • 1923年(大正12年) - 見高・見高入谷の2分校が独立して見高尋常小学校となる。
  • 1925年(大正14年) -
  • 1926年(大正15年)
    • 某月某日 - 見高尋常小学校が、尋常高等小学校となる。
    • 某月某日 - 下河津村立下河津実業補習学校の設立。
    • 11月22日もしくは11月26日(※資料によって異なる) - 下河津村峰の住人・稲葉時太郎が、奈良時代から温泉があったという伝承がありながら荒廃し切っていた故郷の復興を期して温泉の掘削を試みて4年目のこの日、大噴湯を得る[7]

昭和時代

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太平洋戦争前
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  • 1927年昭和2年)4月 - 下河津村の村長助役以下役場員が、村会で衝突し、総辞職する。
  • 1932年(昭和7年)10月 - 下田・片瀬間(白浜・下河津経由)で路線バスの開通。
  • 1933年(昭和8年)6月 - 伊豆循環道路東海岸線伊東・下田間の完成。
  • 1935年(昭和10年) - 上河津村立実業補習学校の廃校と、同村立信農青年学校の設立・開校。
太平洋戦争中
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太平洋戦争後
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  • 1947年(昭和22年)
    • 某月某日 - 六・三制義務教育実施に伴い、国民学校初等科は小学校に、高等科は新制中学校として発足。
    • 某月某日 - 帝室林野局河津出張所が「東京営林局河津営林署」へ改称。
  • 1948年(昭和23年)
  • 1952年(昭和27年)
    • 某月某日 - 下河津第一小学校が「下河津小学校」へ、下河津第二小学校が「見高小学校」へ改称。
    • 某月某日 - 上・下河津両村に教育委員会が発足。
  • 1953年(昭和28年) - 梨本大畑のナチシダ自生北限地が国の天然記念物に指定される。
  • 1954年(昭和29年)
    • 12月1日 - 東伊豆道路の下田区間の開通。
    • 某月某日 - 下河津幼稚園と下河津見高分園の開園。
今も残る河津桜原木(飯田家)

平成時代

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  • 1989年平成元年) - 町営温泉集中管理事業の開始。
  • 1990年(平成2年)10月1日 - 下田市伊豆太陽農業協同組合が発足し、河津町も管轄地域となる。
  • 1991年(平成3年)
    • 2月 - 第1回河津桜まつりの開催[16]/1か月に亘った開催期間中の観光入込客数は約3,000人と、当時はまだこぢんまりとした催しであった[17]
    • 9月10日 - 伊豆半島南部を集中豪雨が襲う/河津町内は各地で被害甚大。損害額は約42億円に上った。
  • 1992年(平成4年) - 河津営林署は天城営林署に統合され、天城営林署河津森林経営センターとなる。
  • 1993年(平成5年)
  • 某月某日 - 踊り子温泉会館のグランドオープン。
    • 某月某日 - サンシップ今井浜のグランドオープン。
    • 某月某日 - 小規模授産所「いずみ」の開所。
  • 1994年(平成6年) - 新峰山トンネルの開通。
  • 1995年(平成7年) - 国道135号の浜橋の改修工事の完了。
  • 1996年(平成8年)
  • 1997年(平成9年)
  • 1998年(平成10年)
    • 3月7日 - NHK紀行番組小さな旅』の#80「早春の桜 思いをつなぐ ~静岡県河津町~」で河津桜が取り上げられ[18]、大きな反響を得る[16]/同時期には『じゃらん』や『るるぶ』などといった大手旅雑誌が特集記事を組み[16]、国内大手新聞も河津桜まつりをトピックスとして大きく取り上げるようになった[16]
    • 某月某日 - 平成9年改正河川法の施行により、河川区域での植樹が禁止される。
    • 某月某日 - 田中地区にて、日本一早い露地栽培の菖蒲園「かわづ花菖蒲園」の開園[16]
  • 1999年(平成11年)2月 - 第9回河津桜まつりの開催[16]/期間中の観光入込客数が初めて100万人を超える[16][17]
  • 2001年(平成13年)某月某日 - 峰地区にて、河津バガテル公園の開園[16]
  • 2002年(平成14年)
    • 某月某日 - 河津町役場、河津町観光協会、河津町商工会、農業・漁業・林業の各組合などで、河津桜まつり実行委員会が組織され、それまでの河津町観光協会に換わって河津桜まつりを主催することとなる[17]
    • 2月 - 第12回河津桜まつりの開催/露店の出店数が150軒ほどに膨れ上がる[17]
  • 2003年(平成15年)某月某日 - 田中地区にて、かわづカーネーション見本園(地域の主要生産花であるカーネーションの見本園)の開園[16]
  • 2004年(平成16年)
    • 3月 - 静岡県東部ドクターヘリの運航開始[13]
    • 某月某日 - 露店営業管理条例を制定[16]/河津桜まつりの開催時に地域外から出店する臨時商店が年々増加し、それに連れて販売品に対する苦情も増え、問題視されるようになってきたことを受けて、これらの出店に対して条例による規制(届け出制)が施行されることとなった[16]
    • 某月某日 - 河津桜まつりの観光客対策としての駐車場の充実[16]河津駅周辺地区の空き地を町が借り上げ、県事業を活用し、全面舗装した駐車場を整備した[16]
    • 某月某日 - ?地区にて、ユリ園の開園[16]
  • 2005年(平成17年)2月 - 第17回河津桜まつりの開催[16]/この年、観光用トイレの新設と仮設トイレの増設によるトイレ環境の充実が完了[16]
  • 2012年(平成24年)9月30日 - サンシップ今井浜の閉館。
  • 2003年(平成15年)12月某日 - 下田市・河津町・南伊豆町の法定合併協議会の解散。
  • 2005年(平成17年)2月23日 - 観光庁の「観光のカリスマ百選」に、地域おこしを精力的に牽引する河津町長・櫻井泰次が選出される[17][19]
  • 2009年(平成21年)2月1日 - 峰地区にて、峰温泉大噴湯公園のグランドオープン。
  • 2010年(平成22年)2月1日 - 河津桜観光交流館のグランドオープン[20]
  • 2013年(平成25年)
    • 2月20日 - 谷津地区の南禅寺境内にて「伊豆ならんだの里 河津平安仏像展示館」のグランドオープン[21]
    • 7月24日 - テレビ東京の人気テレビドラマ孤独のグルメ Seasen3』第3話「静岡県賀茂郡河津町の生ワサビ付きわさび丼」で七滝地区の名物「わさび丼」が取り上げられ、連日行列ができるまでの反響を得、提供する店舗も増加する[17]。これを受けて町では商工会伊豆急行を中心に「河津わさびで泣かせ隊」が結成され、わさびグルメのメニュー開発が始まる[17]
  • 2014年(平成26年)某月某日 - 町が「河津桜保護育成計画」を策定[17]
  • 2015年(平成27年)

行政区域の変遷

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、河津下郷の見高村、浜村、笹原村、田中村、沢田村、峰村、谷津村、縄地村、逆川村の区域を以て下河津村が、河津上郷の梨本村、大鍋村、小鍋村、湯ヶ野村、下佐ヶ野村、川津筏場村の区域を以て上河津村が発足。
  • 1958年(昭和33年)9月1日 - 上河津村、下河津村が合併し、現在の河津町が発足。

人口

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総人口:7410人 男:3,592人 女:3818人 (2018年1月1日現在)[22]

河津町と全国の年齢別人口分布(2005年) 河津町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 河津町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
河津町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 9,624人
1975年(昭和50年) 9,772人
1980年(昭和55年) 9,509人
1985年(昭和60年) 9,307人
1990年(平成2年) 9,118人
1995年(平成7年) 9,036人
2000年(平成12年) 8,705人
2005年(平成17年) 8,303人
2010年(平成22年) 7,998人
2015年(平成27年) 7,303人
2020年(令和2年) 6,870人
総務省統計局 国勢調査より


行政

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  • 町長 - 岸 重宏(きし しげひろ):2017年(平成29年)11月26日就任[23][8]。2期目。元・副町長[16]
  • 副町長 - 木村 吉弘:2022年(令和4年)4月1日就任[8]

歴代町長

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  • 先代 - 相馬 宏行(そうま ひろゆき):2014年(平成26年)4月20日就任。リコールの成立を受け2017年10月8日に失職[24]
  • 元 - 櫻井 泰次(さくらい たいじ)[16]:1986年(昭和61年)就任[16]、2010年(平成22年)退任[17]。全6期[17]。七滝温泉ホテル社長[16]。河津町の地域おこしの功労者で、2005年(平成17年)2月23日には観光庁の「観光のカリスマ百選」に選出されてもいる[17][19]

行政機関

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地区

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  • 上河津(かみかわづ) - 旧上河津村エリア。
    • 梨本(なしもと) - 旧梨本村
    • 大鍋(おおなべ) - 旧大鍋村
    • 小鍋(こなべ) - 旧小鍋村
    • 湯ヶ野(ゆがの) - 旧湯ヶ野村
    • 下佐ヶ野(しもさがの) - 旧下佐ヶ野村
    • 川津筏場(かわづいかだば) - 旧川津筏場村(旧矢野村・旧筏場村)
  • 下河津(しもかわづ) - 旧下河津村エリア。
    • 沢田(さわだ) - 旧沢田村
    • 田中(たなか) - 旧田中村
    • 峰(みね) - 旧峰村
    • 逆川(さかさがわ) - 旧逆川村
    • 笹原(ささはら) - 旧笹原村
    • 見高(みだか) - 旧見高村
    • 谷津(やつ) - 旧谷津村
    • 浜(はま) - 旧浜村
    • 縄地(なわじ) - 旧縄地村

姉妹都市

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日本 白馬村長野県北安曇郡) - 1982年(昭和57年)7月12日姉妹都市提携の締結[14]

施設

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警察・消防・防災・救急救命

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医療

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郵便事業

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  • 河津郵便局 - 河津町笹原299-5に所在。
  • 上河津郵便局 - 河津町下佐ケ野80-1に所在。

立法

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町議会

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  • 議長 - 宮崎啓次[8]
  • 議員定数 - 11名[8]

選挙区

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司法

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裁判所

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検察庁

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経済

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産業

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平成17年度の国勢調査では次のような結果が出ている。

区分 人数
第一次産業 計 629
農業 574
林業 14
漁業 41
第二次産業 計 600
鋼業 0
建設業 470
製造業 130
第三次産業 計 3043
電気・ガス・熱供給・水道業 19
情報通信業 12
運輸業 167
卸売・小売業 765
金融・保険業 44
不動産業 36
飲食店・宿泊業 787
医療・福祉 369
教育・学習支援業 149
複合サービス業 100
サービス業 465
公務 130

教育

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河津町に高等学校は存在しない。

中学校

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  • 河津町立河津中学校[30]

小学校

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  • 河津町立西小学校[30]
  • 河津町立東小学校[30]
  • 河津町立南小学校[30]

幼稚園

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  • 河津町立さくら幼稚園[30]

保育所

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2017年(平成29年)4月1日時点で、河津町内の認可保育所数は5、認可保育所待機児童数は0名。

金融機関

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マスメディア

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地域新聞

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  • 伊豆新聞 - 河津町を含む伊豆半島東南部の地域紙。

放送局

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交通

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鉄道

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河津駅
伊豆急行
伊豆急行線

道路

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高速道路
河津七滝IC河津逆川IC
国道
県道

バス

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名所・旧跡・イベント等

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河津七滝の大滝
河津七滝ループ橋 (再掲)
小湊一号隧道(小湊第1隧道)
※外部リンク 観光施設”. 伊豆・河津温泉郷. 河津桜観光協会. 2018年3月1日閲覧。リンク先に河津町の観光地図あり。個別の解説もクリックすることで開く。

名物・名所・旧跡

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温泉

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足湯処(無料の足湯)
  • 豊泉足湯処
  • さくらの足湯処
  • 河津三郎の足湯処

日帰り温泉

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河津七滝・湯ヶ野温泉
  • 嵐の湯 本館(河津七滝オートキャンプ場)
  • 峠の湯 大家荘
  • 七滝温泉ホテル
  • 大滝温泉 天城荘
  • モダン宿坊 禅の湯
  • 伊豆の踊子宿 福田家
峰温泉
河津浜・今井浜温泉
  • 船戸の番屋
  • 今井浜温泉 今井荘
  • 嵐の湯 湯治の館

公園・庭園・動物園

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キャンプ場

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  • 河津七滝オートキャンプ場
  • 佐ヶ野オートキャンプ場
  • オートキャンピング村アドベンチャーファミリー
  • 河津オートキャンプ場
  • 伊豆キャンパーズヴィレッジ
  • 大池キャンプ場
  • 伊豆今井浜オートキャンプ場

海水浴場・スキューバ

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神社

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寺院

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イベント

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  • 河津桜まつり - 2月上旬-3月上旬。
  • 春バラまつり - 5月-6月。

ゆかりのある著名人

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名誉町民

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出身著名人

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その他ゆかりのある人物

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大使

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河津町を舞台にした作品

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文学・記録・漫画

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ドラマ

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  • テレビ東京孤独のグルメ Season3』第3話「静岡県賀茂郡河津町の生ワサビ付きわさび丼」 - 2013年(平成25年)7月24日放映。七滝地区の名物「わさび丼」が取り上げられた[17]。視聴者の反響は大きく、新商品の開発にもつながった[17]

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 和暦の慶応4年7月1日と7月29日(最終日)は、西暦グレゴリオ暦)では1868年の8月18日と9月15日にあたる。
  2. ^ 年表上の記載位置「1890年(明治23年)」は、明治時代全期のちょうど中間にあたる。

出典

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  1. ^ a b 姫宮遺跡について”. 宮崎商会. 2018年3月1日閲覧。
  2. ^ a b 姫宮神社について”. 宮崎商会. 2018年3月1日閲覧。
  3. ^ a b c d 河津”. トラベル.jp. 2018年3月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e 伊豆ならんだの里 仏像展示館”. 宮崎商会. 2018年3月1日閲覧。
  5. ^ a b 稲葉修三郎 (2013年6月). “連載 歴史の散歩道 天城のみちすがら 第6話 天城のお山 天城山国有林(一)”. 広報かわづ 2013年6月 No.490. 河津町. 2018年3月1日閲覧。
  6. ^ a b 静岡県史年表
  7. ^ a b 峰温泉大噴湯公園”. 花といで湯の町、河津. 河津町役場. 2018年3月1日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h 河津町役場. “町の概要”. 公式ウェブサイト. 河津町. 2018年3月1日閲覧。
  9. ^ a b 河津町役場. “伊豆の踊り子文学碑”. 公式ウェブサイト. 河津町. 2018年3月1日閲覧。
  10. ^ 老木化「河津桜」どうする 植え替えに河川法の壁、新景観を模索静岡新聞、2017/10/5
  11. ^ 3-15 伊豆半島東部の群発地震(1976年5月-10月”. 東京大学地震研究所 地震移動観測室・地震活動研究部門. 2016年4月28日閲覧。
  12. ^ 土中から次々遺体 バスの三体も確認『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月17日朝刊、13版、23面
  13. ^ a b c d e f g 下田地区消防組合の概要 - 消防年報” (PDF). 公式ウェブサイト. 下田地区消防組合 (2016年8月). 2018年3月1日閲覧。
  14. ^ a b 河津町. “姉妹都市「長野県白馬村」”. 河津町. 2024年1月14日閲覧。
  15. ^ a b c 応援協定 - 消防年報” (PDF). 公式ウェブサイト. 下田地区消防組合 (2016年4月1日). 2018年3月1日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 櫻井泰次”. 公式ウェブサイト. 観光庁 (2012年9月13日). 2018年3月1日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 1本の桜の木がもたらした地域おこしの奇跡”. かんばるchubu 観光地域づくり編. 一般社団法人中部経済連合会 (2018年2月). 2018年3月1日閲覧。
  18. ^ 小さな旅” (PDF). 公式ウェブサイト. 衛星テレビ広告協議会 (CAB-J) (2013年1月). 2018年3月1日閲覧。
  19. ^ a b 『観光カリスマ百選』選定委員会 (2005年3月18日). “『観光カリスマ百選』選定結果について” (PDF). 公式ウェブサイト. 内閣府. 2018年3月1日閲覧。
  20. ^ 河津桜観光交流館”. 伊豆・河津温泉郷. 河津桜観光協会. 2018年3月1日閲覧。
  21. ^ a b 河津平安の仏像展示館”. 公式ウェブサイト. 伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館. 2018年3月1日閲覧。
  22. ^ http://www.town.kawazu.shizuoka.jp/
  23. ^ 岸重宏氏が同日より河津町長に就任しました”. 河津町 (2017年11月26日). 2017年11月27日閲覧。
  24. ^ 静岡県河津町長のリコール成立 複合施設建設めぐり”. 産経新聞 (2017年10月8日). 2020年4月25日閲覧。
  25. ^ 下田税務署(静岡県)”. 全国の税務署一覧. 管轄ナビ. 2018年3月1日閲覧。
  26. ^ 静岡県・河津町消防団”. 公式ウェブサイト. 日本消防協会 (2009年1月). 2018年3月1日閲覧。
  27. ^ 消防団 - 消防年報” (PDF). 公式ウェブサイト. 下田地区消防組合 (2016年4月1日). 2018年3月1日閲覧。
  28. ^ 静岡県内の管轄区域表”. 公式ウェブサイト. 裁判所. 2022年5月21日閲覧。
  29. ^ 静岡地方裁判所下田支部 静岡家庭裁判所下田支部 下田簡易裁判所”. 公式ウェブサイト. 裁判所. 2018年3月1日閲覧。
  30. ^ a b c d e 町内の教育施設 河津町
  31. ^ 公式伊豆88遍路 第35番札所御朱印さんぽ

関連項目

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外部リンク

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