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清水章吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しみず しょうご
清水 章吾
本名 清水 忠光[1]
別名義 花木 章吾(旧芸名)
生年月日 (1943-02-15) 1943年2月15日(81歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都港区
身長 174 cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1964年 - 現在
配偶者 清水ハルマン(1980年 - 2019年)
著名な家族 清水響美(娘)
桑原絹(娘)
主な作品
テレビドラマ
北の家族
白い巨塔
警視庁鑑識班』シリーズ
美女か野獣
CM
アイフル
受賞
平成15年度ゆうもあ大賞2003年
備考
体重65kg
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清水 章吾(しみず しょうご、1943年2月15日[1][2] - )は、日本俳優。旧芸名:花木 章吾。

東京都[3][2]港区出身[4]渋谷区出身[5]日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学農獣医学部中退[4]。平田崑プロモーション[1]を経て、オフィスPSCに所属していた。

身長174cm、体重65kg[5]花柳章太郎の弟子。

来歴・人物

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父親は古美術商[4]。15歳で児童劇団「劇団こじか」入り[4](当時は非常に引っ込み思案な赤面症の気弱な少年で、舞台に立っても、台詞が言えない・袖に逃げ込みそうになることは日常茶飯事だったという[4])。本人は雑誌等のインタビューで、「児童劇団入りしたのは、弱すぎる己を鍛えたかったため」と公言している[4]

大学入学と共に花柳章太郎に入門[4]。師・章太郎の死去後間も無くして花柳流を離脱(1963年に父が亡くなり、経済的に花柳流の元に居ることが出来なくなったために離脱したという話もある)[4]。その後喫茶店のボーイ、ホストクラブホストも務める[4]

1970年頃から脇役として出演するようになる。

1973年、ピアノの弾き語りで東京都内のクラブで唄っていると音楽プロデューサーの土持城夫(ハチのムサシは死んだのさ編曲)氏に『歌をやらないか?』とスカウトされる。が同年、ダメ元で受けたNHKのオーディションに合格。NHKにアルバムを出しても良いか問うと、NHKの放送が終わってからにしてくれと言われ、歌の方は後回しになる。

のちにトリオレコードから発売されたアルバムに関わりあった作家は、千家和也(敬称略)荒木とよひさ、阿久悠、井上忠夫、浜圭介、石津善之、沖田弘史、小杉仁三、高田弘、神保正明 名のある方々ばかり。

NHKのドラマとは、2人の兄妹の成長を軸に家族のあり方や心の葛藤を描いたNHK連続テレビ小説北の家族』。準主役であるヒロイン志津の兄・和夫を演じて一躍知名度を上げる[6] [7]。1973年〜1974年の平均視聴率は46.1%、最高視聴率は51.8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[8]と番組がヒットした立役者として、この年のNHK貢献度NO1との記事が掲載されたほど[9]、高い人気を得た[10][11]

その後も『白い巨塔』の金井助教授など、端整なマスクの知的な二枚目俳優として活躍する一方、『噂の刑事トミーとマツ』などではキザで軽妙な三枚目キャラクターも演じるなど、数々のドラマで活躍する。

2002年アイフルのCMでチワワくぅ〜ちゃんと共演したことがきっかけでにブレイクする。エステティックTBCのCMでは、ナオミ・キャンベルと共演した[12]。仕事が増える一方で契約上、フチなしの眼鏡をかける役ができず、消費者金融のスポンサー番組にもNGがかかったことで、サスペンスドラマへの出演が減るなどマイナス面もあったという[12]

2006年秋に所属事務所から独立した後、家族が会社(株式会社アトリエ・ハルマン)[注釈 1]を設立。会社の代表取締役は洋画家の妻、清水ハルマンである。2013年6月よりオフィスPSCに所属。

2010年には脳梗塞となり保険会社のCMや舞台を降板するなど、ストレスでうつ状態となり1度目の自殺未遂[12]

2019年に離婚。週刊誌でDV疑惑が報じられると、睡眠薬による自殺未遂で入院。2021年時点では生活保護を受けつつ、俳優業をしていることをインタビューで答えている[12][13]

2022年12月に演歌歌手・水沢巡美と再婚したい気持ちを発表した[14]

人物

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娘の清水響美は1999年度帝人キャンペーンガール。長女(ハルマンの実子で再婚時に養女となった)の桑原絹画家

旧芸名として、一部で「花柳章吾」が表記されているが、これは間違いである(花柳の名前は新派の上位でなければ名乗れない)。しかし、師である花柳章太郎は、清水を厳しく修行させながらも大変気に入り、その縁で、自らの芸名の中から3文字(『花』・柳のへんの『木』・章太郎の『章』)を清水に名乗らせることを許したという。このおかげで、当時の新派の若手メンバーとしては格段の出世をしたため、いろいろと大変な目にも遭った。

埼玉県本庄市(児玉地区)在住[15]。数多くの犬や猫と暮らす。転居前は所沢市熊谷市に在住。

特技はピアノ[1]即興演奏[2]トランペット[2]水彩画[2]。趣味はガーデニング[2]パソコン[2]ジャズクラシック鑑賞[2]映画鑑賞[2]

歌手の美川憲一とは、美川の芸能界デビュー直前からの知り合いだという(1997年4月放送「ライオンのごきげんよう」清水、七瀬なつみ、美川ゲスト回より)。

出演

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テレビドラマ

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映画

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Vシネマ

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  • のぞき屋稼業2(1993年、ココナッツボーイ・プロジェクト)
  • 実録マフィアンヤクザVI UNDERWORLD(2013年) - 建設会社経営
  • 実録マフィアンヤクザⅧ PRIVATECRIME(2014年)

ラジオドラマ

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バラエティ

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CM

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ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1973年
7月
A面 旅路 阿久悠 井上忠夫 高田弘 3A-104
B面 わかれ道まで
2 1975年
10月
A面 レイコ 山口あかり 土持城夫 斉藤恒夫 KA-566
B面 夜霧の別れ
3 2023年
2月15日
01 すきすき六本木[注釈 2] 水沢巡美 池田進 隼トシヒデ YKM-10010
02 愛降る人生〜逆転人生 水沢巡美

※トリオレコードからリリースされた「旅路/わかれ道まで」は、配信限定アルバム「THE SINGLES TRIO RECORDS GUIDE 1972〜1973」に収録されている。

アルバム

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楽曲提供

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  • 愛まち子
    • 「私と踊って」(1969年/作詞・作曲)

脚注

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注釈

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  1. ^ 主要業務は絵画の製作販売(美術品商許可保持)、会社そのものはギャラリーとして機能している。
  2. ^ デュエット:水沢巡美

出典

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  1. ^ a b c d 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、96頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i 清水章吾 - 日本タレント名鑑
  3. ^ 日本タレント名鑑'83』VIPタイムズ社、1982年、105頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i 週刊TVガイド 1973年5月18日号「『北の家族』主役4人の家庭調査」38 - 39頁
  5. ^ a b 「決定!保存版 '76 ALLスタアLIST 清水章吾」『スタア』1976年2月号、平凡出版、96頁。 
  6. ^ 清水章吾 - NHK人物録
  7. ^ https://www.nhk.or.jp/archives/search/?keyword=北の家族&ag=all&type=all
  8. ^ ビデオリサーチ NHK朝の連続テレビ小説【関東地区】より
  9. ^ 週刊平凡1973年10月18日号29頁
  10. ^ 婦人倶楽部1973年7月号64頁
  11. ^ 近代映画1973年6月号
  12. ^ a b c d 清水章吾の人生変えた“チワワCM”と、30歳以上年下彼女「私の子を産んで」”. 週刊女性PRIME (2021年5月21日). 2022年2月5日閲覧。
  13. ^ 生活保護下の“アイフルおじさん”清水章吾「40代女性が『看取りたい』と…」再婚への決意を語る」『Smart FLASH』2021年4月16日。2023年2月5日閲覧。
  14. ^ アイフルおじさん・清水章吾、18歳下“バツ3“演歌歌手と再婚へ!生活保護受給も二人三脚決意、取材中にキスも(SmartFLASH)”. SmartFLASH. 2022年12月20日閲覧。
  15. ^ 吉田市長就任特別対談 清水章吾さん・ハルマンさん夫妻と語る 新「本庄市」のまちづくり」(PDF)『広報ほんじょう』2006年3月1日号、本庄市、2頁、2018年6月16日閲覧 
  16. ^ 番組表 チバテレ”. 千葉テレビ (2017年12月2日). 2020年3月8日閲覧。
  17. ^ 原宿ニャンニャン探偵局経緯2
  18. ^ 原宿ニャンニャン探偵局 CAST
  19. ^ ドラマ『GODドクター』”. 千葉テレビ. 2022年1月5日閲覧。
  20. ^ “アイフルおじさん”清水章吾 「生活保護受給」告白のその後…ついにドラマ本格復帰が決まった!”. Flash. 2022年1月5日閲覧。

外部リンク

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