コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

熊谷義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

熊谷 義雄(くまがい よしお、1905年5月20日[1] - 1994年1月4日[2])は、日本政治家自由民主党衆議院議員(5期)。三木派デーリー東北新聞社取締役。親族に八戸市長の熊谷雄一がいる。

経歴

[編集]

1905年岩手県下閉伊郡普代村に生まれる。1917年、普代村立堀内小学校を卒業する。1929年明治大学を卒業[1]。卒業後は八戸魚市場専務を経て[1]、戦後は大洋水産を創立し、社長となり、大洋石油、大洋水産工業、八戸製函[1]八戸ガス各社長[2]、八戸商工会議所会頭に就任する[1]。ほか、中央魚類、丸美屋、八戸通運、八戸臨海倉庫、青森県製釘[1]青森放送[2]取締役、八戸市総合振興対策審議会長を歴任した[1]

1963年第30回衆議院議員総選挙において青森1区から自由民主党公認で立候補して初当選する[3]1967年第31回衆議院議員総選挙で再選[3]1968年第2次佐藤第2次改造内閣行政管理政務次官に就任する。1969年第32回衆議院議員総選挙で三選[3]1972年第33回衆議院議員総選挙で四選[3]1976年1月、衆議院社会労働委員長に就任。12月の第34回衆議院議員総選挙で五選[3]1979年第35回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退[3]大島理森を後継者に選んだ。この間、自由民主党青森県連会長[2]や、1972年1月に八戸工業大学理事長に就任した。紺綬褒章[2]1980年勲二等瑞宝章を受章。

1994年肺炎による心不全のため、青森県八戸市の病院で死去した。

元秘書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、185頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』229頁。
  3. ^ a b c d e f 『朝日選挙大観』448頁。

参考文献

[編集]
  • 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、1957年。
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。

関連項目

[編集]
議会
先代
大野明
日本の旗 衆議院社会労働委員長
1976年
次代
橋本龍太郎