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片岡新之介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片岡 新之介
呉港高等学校 野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県
生年月日 (1947-11-05) 1947年11月5日(77歳)
身長
体重
176 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1969年 ドラフト5位
初出場 1971年7月31日
最終出場 1986年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

片岡 新之介(かたおか しんのすけ、1947年11月5日 - )は、広島県福山市生まれ、岡山県出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ

旧名は片岡 旭(-あきら)。

経歴

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プロ入り前

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福山工業高校に合格するも、父の転勤により倉敷工業高校に進学。2年生まで捕手で、3年生の時には投手を務める。平松政次松岡弘森安敏明と並んで岡山四天王の一人[1]として注目されるが、捕手のリードに首を振って打たれたことから捕手の重要性に気付く。1965年全国高等学校野球選手権岡山大会では準々決勝で関西高に敗退。

芝浦工業大学に進学し、伊原春樹と共に活躍するも中退。その後はクラレ岡山に所属した。クラレ岡山では外山義明安木祥二らとバッテリーを組み、都市対抗野球大会などで毎年活躍。1969年都市対抗では、2回戦(初戦)で富士重工業と対戦。延長10回に投手が払底し、急遽登板するも2ランスクイズを決められ敗退した[2]。他のチームメイトに門田博光林田真人らがいる。

現役時代

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1969年のドラフト会議で西鉄ライオンズから5位指名を受け、翌1970年のシーズンいっぱいクラレ岡山でプレーすることを条件に西鉄と合意。1971年は29試合に出場しジュニアオールスターにも選出される。翌1972年は、ロッテオリオンズに移籍した村上公康に代ってレギュラー捕手となるが、その後は打撃面での低迷もあって宮寺勝利楠城徹と併用された。

1975年オフ、加藤博一と共に鈴木照雄五月女豊との交換トレードで阪神タイガースに移籍。ここでは田淵幸一若菜嘉晴らの控え捕手[1]として重宝された。1977年には田淵の故障もあって56試合に先発マスクを被る。1980年オフ、笠間雄二との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍。阪急では中沢伸二らの控えとして活躍し、1981年には35試合に先発出場。1986年オフに現役を引退した。

引退後

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引退後は1987年から1991年まで広島東洋カープ二軍バッテリーコーチ、1992年から1993年まで一軍バッテリーコーチ、1994年から1998年まで二軍バッテリーコーチ、1999年から2000年まで一軍バッテリーコーチ、2001年から2003年まで二軍バッテリーコーチを務めた。西山秀二倉義和石原慶幸らを指導した[1]2004年から2005年にはJR九州硬式野球部のコーチを務め、2年連続で都市対抗に出場。

生誕の地でもある広島で、2007年からはMSH医療専門学校硬式野球部の監督を務めた[1]2019年12月1日に広島・私立呉港高校の野球部監督に就任[1]

2013年には初出場した全日本クラブ野球選手権大会でベスト4に入り、2014年にはJABA徳山大会で初優勝を飾る。また、同年のプロ野球ドラフト会議では松浦耕大が広島東洋カープの育成選手ドラフト1位指名を受けた。ポジションは現役時代の片岡と同じ捕手で、片岡がコーチとして長年在籍した広島に入団することとなった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1971 西鉄
太平洋
29 71 66 4 17 3 0 3 29 9 0 0 1 0 4 0 0 16 3 .258 .300 .439 .739
1972 111 298 280 18 65 7 0 10 102 30 1 2 4 2 11 2 1 42 10 .232 .262 .364 .626
1973 62 145 135 9 22 3 0 1 28 4 1 1 3 0 7 1 0 13 4 .163 .204 .207 .412
1974 86 229 207 14 40 5 0 5 60 22 2 1 1 1 20 1 0 28 8 .193 .263 .290 .553
1975 24 35 34 3 12 0 1 0 14 5 0 0 0 1 0 0 0 6 1 .353 .343 .412 .755
1976 阪神 61 64 63 3 18 3 2 1 28 8 1 1 0 0 1 0 0 9 0 .286 .297 .444 .741
1977 70 208 185 23 50 4 0 10 84 27 0 1 3 0 17 3 3 34 4 .270 .341 .454 .796
1978 66 173 156 11 36 5 0 1 44 12 0 1 1 0 16 1 0 27 6 .231 .302 .282 .584
1979 38 83 78 3 18 1 2 1 26 4 0 0 1 0 4 1 0 10 5 .231 .268 .333 .602
1980 19 19 17 1 4 2 0 0 6 2 0 0 1 0 1 0 0 2 1 .235 .278 .353 .631
1981 阪急 49 102 96 7 29 7 0 0 36 8 0 1 2 0 4 0 0 11 4 .302 .330 .375 .705
1982 42 55 50 2 16 1 0 0 17 3 0 0 1 0 4 0 0 6 3 .320 .370 .340 .710
1983 52 76 71 11 17 1 0 4 30 5 1 1 1 0 3 0 1 10 1 .239 .280 .423 .703
1986 7 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .500 .000 .500
通算:14年 716 1560 1439 109 344 42 5 36 504 139 6 9 19 4 93 9 5 215 50 .239 .287 .350 .637
  • 西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)に球団名を変更

年度別守備成績

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年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 失策
1971 29 33 25 8 .242 3
1972 110 129 88 41 .318 7
1973 62 51 31 20 .392 1
1974 82 84 62 22 .262 1
1975 19 15 8 7 .467 0
1976 37 7 4 3 .429 1
1977 66 58 44 14 .241 4
1978 58 36 18 18 .500 2
1979 37 21 20 1 .048 2
1980 18 5 4 1 .200 0
1981 49 26 13 13 .500 2
1982 42 17 11 6 .353 1
1983 51 27 18 9 .333 2
1986 7 6 6 0 .000 0
通算 667 515 352 163 .317 26

記録

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背番号

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  • 39 (1971年 - 1972年)
  • 12 (1973年 - 1974年)
  • 8 (1975年)
  • 13 (1976年 - 1980年)
  • 38 (1981年 - 1986年)
  • 81 (1987年 - 1988年)
  • 72 (1989年 - 1995年)
  • 83(1996年 - 2003年)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e 【野球】野球人生“終活”の場…古豪復活を託された72歳の老監督 息子のコーチ就任も刺激”. デイリースポーツ. 2019年12月30日閲覧。
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

外部リンク

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