イルデフォンソ
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イルデフォンソ | |
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生誕 | 606年 |
死没 | 667年1月23日 |
崇敬する教派 | ローマ・カトリック教会 |
記念日 | 1月23日[1] |
守護対象 | トレド |
イルデフォンソあるいはイルデフォンスス(西: Ildefonso de Toledo、英語:Ildephonsus of Toledo、606年 - 667年1月23日[2])は7世紀のスペイン、トレドにおける大司教[3]で音楽家[4]、詩人、ベネディクト会士で聖母崇拝者[5]。後にその地の守護聖人となる。スペインの典礼の見直しを行ったことや『聖母マリアの純潔処女性』を記したこと[6][3]、8世紀における異端との闘争で知られる[7]。中でもマリアの論文はスペイン教会で最初に発された文書かつ彼の功績として最も知られているものと評され、中世に広く読まれたとされる[5]。これを含む4つの著作が1998年時点では残されている[4]。トレドで活動した画家エル・グレコの宗教画にも登場する[5]。
経歴
[編集]606年生誕[8]。同じくキリスト教の聖人であるエウゲニウス2世の甥[6]。高貴な家柄の出身だったものの両親の意から外れ修道士の道を志す[5]。イルデフォンソはセビーリャにてイシドールスの元で教育を受け、その後トレド近郊のアガリ修道院に入る[6]。後に修道院長となってトレド教会会議に出席した[9]。西ゴート王レケスウィントの要望で657年にトレドの大司教となり[3][9]、9年間司教区を統括した[4]。
伝承
[編集]聖母被昇天の祭日に聖母の出現があった[8]。聖処女を連れた聖母マリアからイルデフォンソは式服を授かったと言われている[8]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 鹿島茂『聖人366日事典』(初)東京堂、2016年12月10日、47頁。ISBN 978-4-490-10883-5。 NCID BB22633409。
- ^ Poncelet, Albert (1910年). “St. Ildephonsus”. The Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company. 2017年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月24日閲覧。
- ^ a b c 吉川 1980, p. 118.
- ^ a b c Attwater, Donald; John, Catherine Rachel 著、山岡健 訳『聖人事典』(初)三交社、1998年6月20日、70頁。ISBN 4-87919-137-X。 NCID BA36356671。
- ^ a b c d Wimmer, Otto 著、藤代幸一 訳『図説 聖人事典』(初)八坂書房、2011年12月24日、35頁。ISBN 978-4896949889。 NCID BB07995834。
- ^ a b c Watkins, Basil (2016), The Book of Saints (8th Revised ed.), Verlag: T.& T.Clark, p. 328, ISBN 978-0-567-66456-3, NCID BB19928561
- ^ “《聖イルデフォンソへのカズラ授与》”. ルーブル美術館. 2017年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月24日閲覧。
- ^ a b c 吉川 1980, p. 112.
- ^ a b Cross, Frank Leslie; Livingstone, Elizabeth A. (2005), “Ildefonsus, St”, The Oxford Dictionary of the Christian Church (Oxford University Press): 824, ISBN 9780192802903
参考文献
[編集]- 『エル・グレコ』 14巻、集英社〈世界美術全集〉、1980年10月1日。 NCID BN0163612X。
- 吉川逸治「作品解説」『エル・グレコ』、集英社、1980年10月1日。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、イルデフォンソに関するカテゴリがあります。