的場均
的場均 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道新冠郡新冠町 |
生年月日 | 1957年3月25日(67歳) |
身長 | 160cm |
体重 | 52kg |
血液型 | B型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 |
大久保房松(1975年3月 - 1989年2月) フリー(1989年3月 - 引退) |
初免許年 | 1975年3月1日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 2001年2月28日 |
重賞勝利 | 63勝 |
G1級勝利 | 13勝 |
通算勝利 | 12309戦1440勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 2001年(2002年) |
経歴 | |
所属 | 美浦T.C.(2001年 -) |
的場 均(まとば ひとし、1957年3月25日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の元騎手で、現在は調教師。
柄崎孝調教師は妻の兄にあたり遠戚。次男の的場勇人が、2006年3月に中央競馬騎手としてデビューした。
来歴
北海道新冠郡新冠町の農家の10人兄弟の末っ子として生まれる。生家が競走馬の生産牧場を経営していたことから、2歳のころから馬に乗るようになる。4歳のときに父親に連れて行かれた札幌競馬場で初めて競馬を見て、騎手を志すようになる。
新冠町立新冠小学校を経て新冠町立新冠中学校卒業後、馬事公苑長期騎手講習を受験するが不合格。大久保房松調教師に弟子入りし、短期騎手講習を経て1974年に騎手免許を取得。翌1975年3月8日、タイコウヒメで初騎乗。同年7月6日にリュウセイで初勝利。
1976年、ジャンボキングでスプリンターズステークスに勝って重賞初勝利。翌1977年には関東リーディング5位に浮上する。1989年、ドクタースパートで皐月賞を勝ち、グレード制導入後GI初勝利。なお、GI級の重賞初勝利は1983年の朝日杯3歳ステークス(優勝馬ハーディービジョン)。後述のミホノブルボンやメジロマックイーンらに代表されるように「3連覇阻止」のイメージがあり、中山記念3連覇を狙ったカネミカサやエイティトウショウのそれを阻止している。
ライスシャワーとのコンビでは全国区の人気を集めた。1992年の菊花賞で三冠馬を目指すミホノブルボンを破り、翌1993年の天皇賞(春)ではメジロマックイーンの同レース3連覇を阻止するなど、歴史的な記録を相次いで阻止したため、的場とライスシャワーは「関東の刺客」「マーク屋」「業師」「仕事人」などと呼ばれた。的場が勝ったレースを実況したことが多い関西テレビの杉本清アナウンサーは彼のことを「この馬と決めたときは怖い。」(1993年天皇賞(春)、1999年宝塚記念)と言えば、後を継ぐ馬場鉄志アナウンサーも「京都の坂越えは的場均」(1997年エリザベス女王杯、2000年マイルチャンピオンシップ)と実況で使用していた。
騎手としての最晩年にはグラスワンダーとのコンビでふたたび全国区の人気を集め、1998年、1999年の有馬記念2連覇、1999年の宝塚記念を含めてグランプリ3連覇を達成している。的場はグラスワンダーと同世代のライバルであるエルコンドルパサーの主戦騎手でもあったが、1998年の毎日王冠で2頭が直接対決することとなり、どちらに乗るか選択を迫られた的場は、迷った末にグラスワンダーを選んだ(エルコンドルパサーは蛯名正義が騎乗)。グラスワンダーも前述の偉大な実績を残したがエルコンドルパサーも国外のGIに勝ち、ヨーロッパ最高峰のレース凱旋門賞で2着に入るなどして活躍した。
2001年2月28日に騎手を引退。生涯成績12309戦1440勝、重賞63勝、GI競走13勝(グレード制導入後)。
騎手時代の的場はGIで勝利してもウイニングランをしなかった。これは的場いわく「全力で走った後の馬をまた走らせるのはかわいそうだから」ということだった。また、ゴールしたあとは無事に馬を止めることが何より大事だという理由で、ゴール後にガッツポーズをすることもなかった。彼の優しい性格を物語るエピソードである。そのため、蛯名正義(ステージチャンプ、1995年天皇賞〈春〉)と武豊(スペシャルウィーク、1999年有馬記念)は的場との接戦時に的場がアクションをしなかったこともあって勝利したと思いガッツポーズを行ってしまっている(両名ともハナ差2着であった)。
また、レース終了後は必ず当日騎乗した馬の全ての馬房を訪ね、丁寧に馬の体調を気遣っていた。この態度が多くの調教師からの信頼を強くし、関東・関西を問わず、有力調教師からの騎乗依頼が多かった。
騎手を引退後は調教師に転進し、2002年に厩舎を開業した。初出走は同年3月2日中山競馬第8競走のローランドラグーンで、初勝利は同年6月1日中京競馬第8競走のユウワンキングで挙げた。
歌手のさだまさしと親交があり、通算1000勝を記念して、さだが作詞・作曲した「ひとりぽっちのダービー」という曲を歌ったCDシングルを出している。関係者にのみ配布されたもので市販はされていない。間奏に被せて、ライスシャワーで天皇賞を初制覇したときの競馬実況が録音されている(さだ本人のCDに収録されているものは、『ダービー』だけに、ナリタブライアンが日本ダービーを制覇したときのものである)。
趣味はワイン。座右の銘は「夢無限」「乗らずに馬がわかる日まで」。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 1439 | 1364 | 1208 | 12292 | .117 | 228 |
障害 | 1 | 2 | 3 | 17 | .059 | .176 |
計 | 1440 | 1366 | 1211 | 12309 | .117 | .228 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1975年3月8日 | - | タイコウヒメ | 13頭 | - | 11着 |
初勝利 | 1975年7月6日 | - | リュウセイ | - | - | 1着 |
重賞初騎乗 | 1975年11月19日 | カブトヤマ記念 | ハードラーク | 11頭 | 10 | 4着 |
重賞初勝利 | 1976年10月10日 | スプリンターズS | ジャンボキング | 9頭 | 9 | 1着 |
GI級初騎乗 | 1977年4月17日 | 皐月賞 | フジノミラージュ | 19頭 | 15 | 17着 |
GI級初勝利 | 1983年4月30日 | 朝日杯3歳S | ハーディービジョン | 8頭 | 2 | 1着 |
おもな騎乗馬
- テュデナムキング - 重賞2勝。有馬記念2着、天皇賞(秋)2着。
- カシマウイング - 的場とのコンビで重賞3勝。それに至るまでには2着14回の苦闘があった。
- ドクタースパート - 皐月賞を勝利、初めてクラシックを制覇。
- リンドシェーバー - 朝日杯3歳ステークスでマルゼンスキーのレコードを破る。
- ライスシャワー - ライスシャワーの項を参照。
- カネツクロス - タマモクロスを代表する産駒の一頭。おもに逃げの戦法で重賞を3勝した。
- スピードワールド - 大器といわれたが、早熟の馬で勝鞍は京成杯にとどまる。
- グラスワンダー - グラスワンダーの項を参照。
- エリモシック - エリザベス女王杯でダンスパートナーの連覇を阻む。
- エルコンドルパサー - NHKマイルカップまでは的場騎乗で勝利。
- エリモエクセル - 優駿牝馬(オークス)で、のちに二冠牝馬となるファレノプシスを破る。
- アグネスデジタル - 的場の引退・調教師転進前まで的場が主戦騎手であった。全日本2歳優駿とマイルチャンピオンシップは的場騎乗で勝利した。的場引退後も現役を続けた為、四位洋文に乗り替わった。
調教師成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 2002年3月2日 | 1回中山3日8R | 4歳上500万下 | ローランドラグーン | 16頭 | 12 | 9着 |
初勝利 | 2002年6月1日 | 2回中京5日8R | 4歳上500万下 | ユウワンキング | 16頭 | 3 | 1着 |
重賞初出走 | 2002年10月12日 | 4回京都3日11R | デイリー杯2歳S | ロケットパンチ | 13頭 | 11 | 10着 |
GI初出走 | 2007年5月20日 | 3回東京2日11R | 優駿牝馬 | アドマイヤスペース | 18頭 | 11 | 14着 |
テレビ出演
著書
- 夢無限(流星社)
関連項目
外部リンク
- 引退騎手情報 的場 均(マトバ ヒトシ) - JRAホームページ
- 伝説のジョッキー 第22回 クールな職人 的場 均 - JRAホームページ