コンテンツにスキップ

長岡市立南中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ZairanTD (会話 | 投稿記録) による 2017年3月5日 (日) 01:02個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

長岡市立 南中学校
1978年に竣工した生徒玄関
ユネスコ・スクール認定校を示すプレート
国公私立 公立学校
設置者 長岡市
併合学校 長岡市立 南中学校 大島分校(1951年4月1日)
長岡市立 南中学校 四郎丸分校(1952年4月1日)
校訓 協自
和主
設立年月日 1947年5月25日
共学・別学 男女共学
所在地 940-0081
新潟県 長岡市 南町二丁目 1番地 1号
公式サイト 長岡市立 南中学校 公式ホームページ
プロジェクト:学校/中学校テンプレート
テンプレートを表示

長岡市立 南中学校(ながおかしりつ みなみちゅうがっこう)は、新潟県 長岡市 南町二丁目 1番地 1号に所在する市立中学校

概要

開校は1947年4月1日・創立は1947年5月25日で、2017年に開校と創立 共に70周年を迎える。学校の通称は、旧・長岡市域では「南中」(なんちゅう)旧・長岡市外からは「長岡南中」(ながおかみなみちゅう・ながおかなんちゅう)として、生徒の通称は「南中生」(なんちゅうせい)として親しまれている。また、新潟県 長岡市内の中学校では、ただ一つのユネスコ・スクール認定校であり、新潟県内の中学校としては初めてユネスコ・スクールに認定された中学校である。全校生徒数は427名(1学年 129名・2学年 149名・3学年 149名・2014年5月26日時点)校長・大矢 慎一 (2014年4月1日 ~ 現在)

教育目標

自主と協和の精神に富んだ、社会に役立つ勤労人となりましょう。

(2016年6月に新設された学校紹介ページなどに掲載されている)

南中 の『顔』であり『シンボル的存在』で知られる2つの石碑

活動目標

南中学校では、「自主と協和」を校訓に地域貢献活動を中心として、地域と共に、特色ある学校づくりを推進しています。

(2016年6月に新設されたホームページ左下に掲載されている)

校章

校章は、長岡藩の藩主で愛知県豊川市にかつて存在した牛久保城の城主につながりを持つ牧野候の紋所である「三つ葉柏」が用いられている。

雪国の象徴として、三つ葉柏に雪の結晶が組み合わさった意匠が初代、そして2代目の現在の校章に使われている。

1947年(昭和22年)4月1日の南中学校(於・四郎丸分校)開学時に制定された校章は、長岡市立 東中学校長岡市立 北中学校 と全く同じ意匠(三つ葉柏の中に東中・北中・南中の二文字)のものだった。

現在の校章は、1953年(昭和28年)に制定された2代目の校章で、開校時の制定当初から校章が一度も変わっていない東中や北中とは全く異なる意匠となっている。

三つ葉柏と雪の結晶はそのまま、文字が「南」の一字に変更された。(校旗は2代目の校章が制定された同じ年の1953年7月に新たに樹立された)

(校章の制定に関する詳細は校章紹介ページを参照されたい)

学校表示の上には卒業記念品の校章が設置されている

校章のバッチ

校章のバッチは、開学当初の1947年から1960年頃までは八角形の板に「南」の一文字が中央に入り、南の周りに梅の花をあしらった意匠が用いられていたが、2代目の校章・校旗が制定されてから7年が経過した1960年頃に現在使われている2代目のバッチが制定された。

現在のバッチは、校章と全く同じ意匠となっている。

(バッチの制定に関する詳細はバッジ紹介ページを参照されたい)

校章の意匠を用いたバッチ

校歌

制定:1950年(昭和25年)5月25日

作詞:平野 善三郎 選

作曲:小杉 久芳

校歌は、当時の後援会長による寄付行為がきっかけとなって誕生した。

校歌の制定当時、作詞・作曲は著名な作詞家・作曲家などに依頼することが一般的だったが、校歌を作詞するにあたって南中では、当時の職員や生徒、そして学区の住民に歌詞を広く公募し、審査員による審査が行われたうえで、当時校長だった 平野 善三郎 によって作詞が行われ、長岡高等学校の国語科教諭と新潟大学の文系の教授により修正が行われた。

作曲は当時の音楽科主任教諭だった 小杉 久芳 によって行われ、長岡女子高等学校の音楽科教諭と新潟高等女学校の音楽科教諭、そして新潟大学で音楽の指導をしていた教授によって修正が行われたものが現在校歌に使われている楽曲である。

(注・なお、修正を行った関係者が当時勤務していた学校名は、修正を行った当時の学校名であり、校歌が制定された時点での学校名とは異なるので注意されたい)

なお、南中の校歌に使われている楽曲楽譜歌詞は共に南中のホームページ上で公開されている。

(校歌の制定に関する詳細は2015年5月20日発行・南中だより5月号を参照されたい)

長岡市立南中学校の基本方針

  1. 学力の向上に努めます。
    • 基礎学力の定着と学び方の習得に努める。
    • 自ら考え、進んで学習に挑戦する生徒を育てる。
  2. いじめのない、不登校生を出さない学級、学校づくりに努めます。
    • 社会のルールを尊重する生徒を育てる。
    • 生徒の願いを大切にする。
    • 認め合う人間関係を作る。
  3. 体力と健康管理能力の向上に努めます。
  4. 地域に学校を開きます。

南中学校が目指す生徒像 ~自主協和~

(以下は「自主」に含まれる生徒像である)

  • めあてをもって意欲的に学習に取り組む生徒
  • 正しい判断力をもって 責任ある行動ができる生徒
  • 健康や安全に関心をもち 進んで体づくりに励む生徒

(以下は「協和」に含まれる生徒像である)

  • 痛みや喜びを分かち合い、思いやりの心を育てる生徒
  • 互いに学び合い 自分を高める生徒
  • 最後までやり遂げ 集団としての充実感を味わう生徒

(太字部分は平成25年度・南中グランドデザインで策定以後、平成28年度グランドデザインに至るまで継続されている重点目標である)

南中学校・いじめ防止基本方針

2011年に発生した滋賀県大津市の『大津市中2いじめ自殺事件』を受けて、2013年6月28日学校教育法として『いじめ防止対策推進法』が施行された。これに基づいて、この南中学校でもいじめ対策推進法の指針に基づいた「南中学校・いじめ防止基本方針」が2014年4月1日に制定・策定された。

南中学校いじめ防止基本方針の条文は、新・公式ページ旧・公式ページの2ヶ所に掲載されている。

(南中学校いじめ防止基本方針についての詳細は2014年5月20日発行・南中だより2014年5月号2016年4月20日発行・南中だより2016年4月号を参照されたい)

生徒心得

生徒心得は、日常生活に於いて南中生としてふさわしい規律・行動を心がけられるように定められている。

(生徒心得の詳細については生徒心得の公式ホームページを参照されたい)

南友会

南中学校には南友会と呼ばれる生徒会があり、南友会規約に基づいた運営が行われている。

(南友会の詳細については南友会の公式ホームページを参照されたい)

南友会歌 ~わが友よ~

発表:1964年3月6日(昭和38年度)

作詞:昭和38年度・南友会

作曲:田才 栄一

南友会歌 ~わが友よ~ は、昭和38年度の南友会・執行部の願いがきっかけとなって誕生した。

昭和38年度・南友会活動の報告「南友会はなにをしてきたのか」(南中発行の冊子・柏陽の創刊号)の中で、昭和38年度・南友会 女子副会長は「長岡市内でトップクラスの南中に会歌がないのは残念だ」「いつまでも皆に親しまれるような歌を今年中に作りたい」という南友会執行部の願いから、制作が行われたとしている。

作詞にあたっては、南友会歌作成委員会の設置のもとで、すべての南友会員(南中生)に作詞募集を大々的に呼びかけて、候補に上がった歌詞をもとに作詞が行われた。

作曲は、当時 新潟市内の小学校で校長をしていた 田才 栄一 によって行われた。

南友会歌「わが友よ」の発表会は、昭和38年度末の1964年(昭和39年)3月6日に行われた。

なお、南友会歌「わが友よ」に使われている歌詞・配布用歌詞は共に南友会のホームページ上で公開されている。

(南友会歌の制作・発表に関する詳細は2015年5月20日発行・南中だより5月号を参照されたい)

南友会 憲章

南友会には南友会憲章が定められており、対象はすべての南友会員である。

(南友会憲章については南友会憲章の公式紹介ページを参照されたい)

南友会 規約

南友会規約は昭和26年4月1日に施行され、計26回の改正を経て、南友会の運営にあたって使用されている。

(南友会規約については南友会規約の公式紹介ページを参照されたい)

南友会 に設置されている機関

南友会には、以下の機関が南友会規約に基づいて設置されている。

  • 南友会総会
  • 全校評議委員会
  • 学年評議委員会
  • 執行委員会
  • 応援団
  • 選挙管理委員会
  • 専門委員会
  • 専門委員長会
  • 特別専門委員会
  • 部長会

南友会 執行委員

南友会の執行委員会に所属する執行委員は以下の通りである。(詳細については、南友会・組織図 を参照されたい)

(以下は生徒会に属する執行委員であり、太字については南友会四役に指定された委員を指す)

  • 生徒会長
  • 生徒会 男子 副会長
  • 生徒会 女子 副会長
  • 評議委員長
  • 書記局長
  • 副書記局長
  • 学年委員長
  • 副学年委員長

(以下は部長会に属する執行委員である)

  • 部長会長

(以下は応援団に属する執行委員である)

  • 応援団長
  • 応援副団長

(以下は選挙管理委員会に属する執行委員である)

  • 選挙管理委員長
  • 選挙管理副委員長

(以下は専門委員長会・専門委員会に属する執行委員である)

  • 学習委員長
  • 情報委員長
  • 整備委員長
  • 風紀委員長
  • 放送委員長
  • 保健給食委員長
  • リサイクル委員長
  • 緑化委員長

(以下は特別専門委員会に属する執行委員である)

  • 特別専門委員長

(詳細については、南友会規約・第20条を参照されたい)

書記局

書記局は、執行委員会の中に設置されており、所属する執行委員については以下の通りである。

  • 書記局長
  • 副書記局長
  • 書記局員 (1年生と2年生が4名ずつ所属する)

応援団

応援団は、郡市陸上大会や大運動会、各種部活動の大会前後に行われる凱旋装行式などを中心に活動している。

(詳細については、南友会が運営する応援団の公式紹介ページを参照されたい)

選挙管理委員会

南中学校の委員会活動では、1学期を前期とし2学期を後期と区別しているが選挙管理委員会については後期のみの設置である。学年ごとに3名(各学級ごとに男女問わず1名)のみの所属であること、年間を通しての活動ではないこと、また活動内容が生徒会と連携した特殊なことなどを理由に、専門委員会には属していない。

  • 選挙管理委員会(生徒会四役の選挙が行われる後期のみの設置であり、選挙の無い前期の設置はない)

専門委員会

南中学校に設置されている専門委員会は以下の通りである。(前期・後期と交代制で各学級の男女1名ずつが所属し活動する)

(詳細については南友会の運営する専門委員会公式紹介ページを参照されたい)

かつて存在した委員会と組織・役職

  • 書記長・書記次長(2013年度末に廃止され、後継として2014年度に書記局長・副書記局長が設置された)
  • 全校評議員会・評議員会・評議員(学年評議員会と名称が異なることなどを理由に、2013年度末に廃止、後継として全校評議委員会・評議委員会・評議委員が設置された)
  • 福祉委員会(福祉委員会・活動紹介ページ1997年度に設置、廃止は2013年度、活動を引き継いだのは執行委員会と2014年度に設置された緑化委員会)
  • 緑化委員会(1973年度に設置されたが、後年になって廃止された。尚、2014年度に設置された緑化委員会とは異なる)

学年ニックネーム と 学年旗

南中では、学年ニックネームと学年旗を1学年次に制定する伝統が、1980年度から続いている。制定にあたっては、学年旗樹立式が学年行事として体育館で行われるのが伝統となっている。また、体育館と教室棟を結ぶ体育館廊下には、歴代の学年旗37枚(在学中の学年含む・2016年度現在)が掲示されている。以下は南友会公式ホームページ内の学年ニックネーム紹介ページ上で公開されている学年ニックネームの一例である。

1980年度:三尺玉 命名理由・「三尺玉のように日本一の学年になろう。一年生の間に一尺、二年生で二尺、三年生には三尺と、しだいに成長していくような学年にしよう。花が開くか開かないかは自分達しだい、頑張らなくては」

1981年度:しなの 命名理由・「信濃川は、いくつかの川が集まった日本一の大河である。我々生徒も協力し合って、南中の本流(信濃川)になろう」

1982年度:あさひ 命名理由・「上越新幹線開通の年に入学。あさひ号のように速く、先陣をきって時代を開拓する人間になろう」

2010年度:絆翔(きしょう)命名理由・「全員が強いきずなをもち、一人一人の目標に向かって翔ける学年」

2011年度:彩虹(さいこう)命名理由・「一人一人がそれぞれの個性(色)をもち、虹のように一色一色が団結した学年になろう」

2012年度:誠凛(せいりん)命名理由・「一人一人が誠実に相手のために尽くそうとし、凛とした姿で、堂々とリーダーシップを発揮できる学年になる」

(詳細については、南友会・学年ニックネーム紹介ページを参照されたい)

学年色

南中学校では、学年ニックネームの制定が開始された1980年度以前から、3色の学年色が制定されてきた。学年色は名札に入るラインや、音楽科で使用するファイルなどに使用されている。

(以下は1980年以降の各学年の学年色とその入学年度である)

部活動

南中学校に設置されている部活動は以下の通りである。部活動の参加については生徒の選択制で、部活動の趣旨に基づいて今日も活動している。

なお、部活動によっては校区外の会場で実施される大会に出場する関係で、(多くは運動部所属の生徒) 部活動用通学自転車と書かれた赤色ステッカーが配布される。駐輪場所は体育館玄関脇の屋根付き駐輪場に指定されている。(自転車通学生徒用の駐輪場とは異なる)

(以下は運動部である)

  • 剣道部
  • サッカー部
  • 水泳部
  • ソフトテニス部
  • ソフトボール部
  • 柔道部 (南中の中で最も強豪の部活動として知られる)
    • 2014年 - 新潟県大会柔道競技 男女体重別個人戦 男子81kg級に於いて優勝
    • 2015年7月25日 - 於・新津体育館・新潟県大会柔道競技 男女体重別個人戦 男子81kg級に於いて優勝
    • 2015年 - 北信越中学総合競技大会 男子81kg級に於いて優勝
  • 卓球部
  • 女子バスケットボール部
  • 男子バスケットボール部
  • 女子バレーボール部
  • 男子バレーボール部
  • 陸上競技部 (愛称は REDFARCONS)
  • 野球部
上越新幹線と東山連邦を望むグラウンドで練習に励む野球部員たち。

(以下は文化部である)

  • 技術・家庭部
  • 芸術部
  • 吹奏楽部
    • 2011年 - 於・上越文化会館・第52回 新潟県吹奏楽コンクール に於いて金賞
    • 2013年 - 於・新潟市立芸術文化会館・第54回 新潟県吹奏楽コンクール に於いて銀賞
    • 2014年7月27日 - 於・長岡市立劇場・第55回 新潟県吹奏楽コンクール 中越地区大会に於いて金賞
    • 2014年7月30日 - 於・新潟勤労者総合福祉センター 新潟テルサ・第55回 新潟県吹奏楽コンクール に於いて金賞
    • 2014年9月13日 - 於・群馬ベイシア文化ホール・第20回 西関東吹奏楽コンクール(第14回 東日本学校吹奏楽大会)に於いて銀賞
    • 2016年8月4日 - 於・柏崎市文化会館 アルフォーレ・第57回 新潟県吹奏楽コンクールに於いて金賞
    • 2016年10月9日 - 於・府中の森 芸術劇場・第22回 西関東吹奏楽コンクール(第16回 東日本学校吹奏楽大会)に於いて銀賞
    • 2017年1月28日 - 於・所沢市民文化センター・新潟県代表・第22回・西関東アンサンブルコンテストに於いて銀賞)

(詳細については、かつて公開されていた部活動部活動の趣旨の公式ホームページを参照されたい)

かつて存在した部活動

かつては現在の東北中学校のように数千人規模のマンモス校としての名を誇った南中であるが、旭岡中学校の新設に伴う学区の再編などにより人数が減少し、廃止・統合された部活動も少なくない。以下はかつて設置されていた部活動の一覧である。

  • 舞踊部
  • 演劇部
  • 文芸部 (部員数の減少により廃止・廃止直前の部員数は1名だった)
  • ブラスバンド部 (吹奏楽部と統合され廃止)
  • 技術部 (技術・家庭部の新設により2000年代に入ってから廃止)
  • 家庭科部 (技術・家庭部の新設により2000年代に入ってから廃止)

南中学校が独自に行う職員研修について

南中学校で勤務する職員(教員)に対しては以下のルールに基づいた研修活動が行われている。(詳細については2013年9月20日発行・南中だより2013年9月号を参照されたい)

  1. 校外の研修講座を年2回は受講すること。
  2. 校内授業研修会を各教科で実施する年と各人が実施する年とを交互に持つこと。
  3. 2年に1回は長岡市の教育論文に応募すること。

平和学習と「平和劇」の取組み

特色ある南中学校を作り上げる中で、南中では2010年度から空襲体験講和などを聞く平和学習への取り組みを開始した。

そして、その平和学習をより発展的に行うために「平和劇」と題した創作劇の制作・上演を、2011年度より行っている。

平和劇の舞台として描かれるのは、「戦前」・「戦時中」・「戦後」の長岡が中心となっている。

劇の制作にあたっては1学年次の「三傑劇」と同様に、脚本・台本・舞台演出・劇に使用するセット・道具・衣装など、すべてが生徒による制作・作業が主体となって行われている。

2012年度には、当時の南中・音楽科教諭と3年生の生徒たちによって、テーマ曲「誓い」が制作・発表され、それ以後 毎年歌い継がれてきた。

2012年5月に当時の3年生が市立劇場で上演した平和劇以降、2013年度末(2014年2月)までの間に行われた発表は、校内発表として南中の体育館ステージでの上演 (2013年度以後2年生での取り組み) だけに留まってきた。しかし、戦後70年の節目を迎えた2014年度末(2015年)以後の平和劇は、校内発表だけに留まることなく、三傑劇や学習発表会・音楽の部などで南中生に親しまれている市立劇場での上演となった。(2015年当時の市立劇場・公開詳細情報)

約3年ぶりの市立劇場での上演に当たっては、2015年2月13日に告知のポスターやチラシ、ながおか市政だより(平成27年3月号)5項の「語る、長岡空襲」内に掲載される告知などが制作されたほか、2015年2月下旬より劇の公開当日まで、長岡駅前に設置された「大手通り・フェニックスビジョン」や「アオーレ長岡・ナカドマ」内に設置されたオーロラビジョンにて劇の告知が放映され、地元ラジオ局の放送地元ケーブルテレビ局の放送などで平和劇の周知活動が幅広く行われた。

また「想い、未来へ」は、2015年5月29日に開催された「関東甲信越静教育委員会 連合会 総会」のレセプションとして、長岡市内の中学校を代表して、平和学習の取り組みについての発表や収録された平和劇 (ダイジェスト版) の上映、そして平和劇「想い、未来へ」を実際に2学年次に制作・発表した3年生(2015年当時)によるテーマ曲「誓い」の合唱が行われた。

なお、平成27年3月の市立劇場での上演・劇の周知にあたっては、学校独自の取り組みを行政が支援する長岡市の教育事業「熱中 ! 感動 ! 夢づくり ! 教育」制度が大きな支えとなったほか、以下の後援の協力と支えによって実現したものである。(「想い、未来へ」の詳細については、長岡市とNCTが共同制作した市政情報番組「ナルホド ! ながおか 」を参照されたい)

(以下は後援の地元新聞社である)

(以下は後援の地元テレビ局である)

  • TeNY・テレビ新潟
  • UX・新潟テレビ21 - 2015年2月26日放送の「Jチャンネル・にいがた」内で、前年度に引き続き平和劇の取り組みを放送したほか、3月23日の放送では3月20日に上演された本発表や上演前に実施された成功祈願参りなどが放送された。2月の放送では記者会見発表会と稽古中の様子が、3月の放送では2月に放送された映像を交えながら紹介が行われた。またUXの公式Twitterでも放映予告が行われた。 (※なお、2月26日放映の番組内や2月25日放映の予告・2月25日投稿の公式Twitter上では「3年生」の取り組みとして放送されたが、放送終了後の訂正にあった通り、実際は2年生での取組みである)
  • BSN・新潟放送 - 2015年2月13日放送の「Nスタ・にいがた」内で、同日行われた記者会見発表会の様子を中心に、平和劇の取組みなどを放送した。
  • NST・新潟総合テレビ - 2015年2月13日に行われた記者会見発表会の取材を行った。
  • NCT・長岡ケーブルテレビ - 2015年3月6日放送の 市政情報番組「ナルホド ! ながおか 」の番組枠を利用して劇の取組みを放送した。(2015年3月8日には長岡市公式YouTubeチャンネル上で同番組の映像が公開された)

(以下は後援の地元ラジオ局である)

平和劇のテーマ曲「誓い

平和劇の制作・校内上演が始まって約1年が経過した2012年度、劇の制作と並行して「戦争を忘れない」や「戦争を未来に語り継ぐ」といった願いを込めた、平和劇のテーマ曲「誓い」が制作・発表された。(「誓い」を発表した当時に長岡市が公開した紹介ページ)

作詞・「平和の語りべプロジェクト」(2012年度・3学年生徒一同)

作曲・制作当時の南中学校 音楽科教諭

舞台になった作品

制作・学習研究社 (現・学研ホールディングス)

監督・佐久間 のぶ

平成10年度 全国小中学校作文コンクール に於いて、南中学校の3年生(受賞当時)男子生徒が書いた作文「梅雨明け」が、作文コンクールの最優秀賞にあたる「文部省 文部大臣 奨励賞」を受賞した。賞を受賞した作文は、学習研究社 (現・学研HD) の注目を集め、この作文を題材・原作とした中学生向けの教育映画『まじめで悪いか!』が16mフィルム (32分間) を使用して制作・1999年にVHSテープに収録されたものが公開された。撮影は1999年4月下旬から南中学校区を中心に、当時の長岡市内各所で行われ、主演の3名以外は全てオーディションに合格した当時の南中生たちがエキストラとして演じた。(オーディションと映画の制作は、「梅雨明け」の作者が南中を卒業した翌月の1999年4月に入ってから始まった)

(主演は以下の通りである)

  • 南中学校の学級担任役・河島 英五 (歌手・俳優・タレント)
  • 主人公役・奈良本 浩樹 (俳優・撮影開始当時の1999年4月に放送が開始されたNHK朝の連続テレビ小説「すずらん」に出演)
  • 主人公の母親役・小野沢 知子 (女優・新潟県出身)

沿革

  • 1947年4月1日 - 長岡市立四郎丸小学校の北校舎を借用して、この長岡市立南中学校は開校する。(開校した時点では長岡市立南中学校 四郎丸分校のみの設置であった)
  • 1947年4月30日 - 初代校長・平野 善三郎 が着任する。
  • 1947年5月25日 - 開校式が行われる。以後この日を創立記念日とする。
  • 1948年4月1日 - 三島郡 深才村 大島地区が長岡市に吸収合併される。これに伴い大島小学校の一部を使用して、長岡市立南中学校 大島分校が開校する。
  • 1948年5月2日 - 夏時間の実施がこの日より始まる。
  • 1948年6月 - 現在の大運動会などで歌われることになる第一応援歌が完成する。
  • 1949年 - 1946年に東千手町(現・南町)の東千手国民学校が千手小学校に統合されたことにより、東千手国民学校として使われていた校舎は解体された。その跡地に南中の初代校舎(校舎・第3棟・管理室・普通学級10教室)が建設された。(なお、東千手国民学校の設置前は長岡工業高等学校の前身である「長岡工業学校」があった)
  • 1949年4月1日 - 新設された本校舎としては初の授業体制に入る。これ以降、四郎丸分校と大島分校での二部授業は解消される。また、南中PTAが発足し、後に南中後援会と一本化され、南中PTA後援会となる。(この時点での住所は、新潟県 長岡市 東千手町 甲350番地 であった)
  • 1949年5月12日 -「校友会」の名称を現在の「南友会」と改める。
  • 1949年6月 - 新潟大学教育学部の教育実習指導校として指定される。
  • 1949年10月 - 南中で開校以来はじめての運動会、秋季大運動会が開かれる。
  • 1950年5月25日 - 校歌が当時の後援会長の寄付行為によって制定される。作詞は初代校長・平野 善三郎をはじめとする当時の職員と生徒が行い、作曲は当時の音楽科教諭・小杉 久芳 が行った。
  • 1951年 - 南友会規約が制定される。
  • 1951年3月31日 - 本校舎への統合に伴い、大島分校の設置がこの日をもって終了する。
  • 1951年4月 - 教育目標「自主と協和の精神に富んだ、社会に役立つ勤労人となりましょう」が制定される。
  • 1951年5月 - 校舎・第2棟竣工 (普通教室)
  • 1952年3月31日 - 本校舎への統合に伴い、開学の場所である四郎丸分校の設置がこの日をもって終了する。
  • 1952年4月1日 - 分校が廃止され、本校舎での授業が本格的に開始される。
  • 1952年4月10日 - 夏時間の実施がこの日をもって終了される。
  • 1952年5月 - 校舎・第4棟竣工 (特別教室)
  • 1952年5月5日 - 南友会憲章が制定される。
  • 1952年7月12日 - 応援団旗と応援団歌が制定され、制定式が挙行される。
  • 1952年8月 - 音楽室が竣工する。
  • 1953年 - 長岡市立 東中学校・北中学校と同じ意匠(三つ葉柏の中に南中・東中・北中の2文字が入る)の校章が使われていたが、「南」の一字が入った現在の校章に意匠を変更する。
  • 1953年7月1日 - 初代の体育館(木造)が、現在の特別教室棟の部分に竣工する。(昭和37年からは現在の理科室や多目的室の入る第5棟・第6校舎に連絡できるようになっていた。
  • 1953年7月4日 - 校章の意匠変更に伴い、新しい校旗が樹立される。
  • 1954年10月 - 校舎・第6棟が竣工する。 (普通教室)
  • 1956年7月 - 新潟県下中学校としてはめてとなる「プール」が竣工し、県内各地から多くの人々がプールの視察に訪れた。
  • 1957年4月1日 - 第2代校長・小幡 鈔人 が着任する。
  • 1960年代 - 新たな校章が誕生したことに伴い、校章のバッヂの意匠が大きく変更される。
  • 1962年4月 - 校舎・第1棟が竣工する。 (普通教室・2017年 現在現存しない)
  • 1962年4月4日 - 鉄筋3階建ての第5棟・第6校舎が完成する。(現・第1棟校舎で第1・第2理科室・視聴覚室・多目的室・通級指導教室・事務室などが設置されている)
  • 1962年5月18日 - 第5棟・第6校舎(現・第1棟)の竣工式が行われる。
  • 1963年8月 - 木造の体育館が増築される。(2017年 現在現存しない)
  • 1963年9月 - 電電公社長岡局が電話自動化に対応したことにより、このときに現在の電話番号となる。
  • 1964年3月5日 - 南友会誌「柏陽」が創刊する。
  • 1964年3月6日 - 南友会歌「わが友よ」が制定される。
  • 1964年3月9日 - 南友会歌「わが友よ」のお披露目式が行われる。
  • 1965年3月11日 - 第5棟・第6校舎(現・第1棟)の屋上(現・理科室廊下の真上)に「協和の鐘」が設置される。
  • 1965年7月30日 - 校舎・第4校舎が増築・竣工する。(長岡市理科教育センター準備室が併設された・2017年 現在現存しない)
  • 1966年4月1日 - 第3代校長・宮 正安 が着任する。
  • 1966年8月 - 現在の技術室が竣工する。これにより、第5棟・第6校舎(現・第1棟)と連絡することができるようになる。
  • 1966年10月18日 - この日に挙行された南友会総会にて、スクールカラーが青と制定され、これ以降の体操服などのカラーリングに採用される。(体操服の意匠は半世紀以上同じものが使われている)
  • 1967年10月20日 - 創立20周年記念事業として、南中学校同窓会・会員名簿が発刊される。
  • 1968年4月1日 - 第4代校長・石積 忠孝 が着任する。
  • 1968年7月25日 - 火打山登山・笹ヶ峰キャンプ(通称・笹キャン) がこの日に初めて実施され、半世紀を経た今も続けられ、南中伝統の行事として親しまれている。
  • 1969年4月1日 - 長岡市立 西中学校の開校に伴い、大島小学校区の生徒を分離する。
  • 1971年4月1日 - 第5代校長・石黒 秀一 が着任する。
  • 1971年11月15日 - 合唱コンクールがはじめて開催され、この年から秋季に毎年実施され、芸能発表会(2000年代初頭に廃止)と統合されたのち、市立劇場で開催される学習発表会・音楽の部として現在も存在する。
  • 1973年4月6日 - 専門委員会活動の一環で緑化委員会が設置される。(注・2014年度に福祉委員会の後継として設置された緑化委員会とは異なる)
  • 1974年10月26日 - 芸能発表会が前年に開業した市立劇場にて初めて開催される。(2000年代初頭に廃止された)
  • 1975年6月30日 - 修学旅行先が、それまでの関東甲信(長野・日光・東京)から関西方面(奈良・京都)へと変更される。
  • 1975年11月5日 - マラソン大会がこれをもって終了となる。
  • 1976年4月1日 - 第6代校長・樋口 参郎 が着任する。
  • 1976年度 - 現在の第2棟校舎・3階建て普通学級4教室が第5棟・第6校舎の横に増築される。(竣工から40年を迎える2017年 現在も現存し、1学年~3学年のクラスなどが設置されている)
  • 1977年3月12日 - 第29回卒業式挙行中に進行性脳血栓により校長が倒れる。
  • 1977年3月28日 - 第6代校長が卒業式挙行中に倒れた病により急逝する。
  • 1977年3月31日 - 校舎第2棟 が改築される
  • 1977年4月1日 - 第7代校長・青野 正英 が着任する。
  • 1977年4月17日 - 南中学校での行事としては異例の校長の校葬が行われる。
  • 1977年5月25日 - 創立30周年を迎える。
  • 1977年9月30日 - 新潟県から「よい歯の学校」として10年連続で表彰を受ける。
  • 1978年3月 - 鉄筋コンクリート3階建ての第2棟・生徒玄関が、普通学級4教室横に増築される。(2017年 現在も現存する・生徒玄関と技術室への連絡通路はこのときに完成した)
  • 1978年4月5日 - 現在の生徒玄関が完成してから初めての入学式が挙行され、398名の新入生を迎える。
  • 1978年4月25日 - おはよう南友会 (通称・おは南) がこの日にはじめて実施され、2017年現在に至るまで行われている。
  • 1979年1月 - こども音楽コンクール東日本大会 連続10回出場記念 吹奏楽部演奏会が開催される。
  • 1981年4月1日 - 第8代校長・早川 治夫 が着任する。
  • 1982年3月17日 - 1978年3月に竣工した生徒玄関上に、第34回卒業生が贈呈した卒業記念品「南中学校・校章」が設置される。(2017年現在も設置されている)
  • 1982年10月 - 第22回・新潟県 学習指導研究大会・二年連続研究・新潟県 学校AV教育研究大会が実施される。
  • 1983年3月 - 南中35周年誌 「自主協和 ~ その継承と発展~」 が発刊される。
  • 1984年3月 - 木造の屋内運動場が解体され、その跡地に現在の特別教室棟 (被服室・調理室・家庭科準備室・美術室・音楽室・体育館廊下)が竣工する。
3階が音楽室・2階が美術室として使用されている・1984年~1985年に解体された木造校舎の跡地には職員駐車場が設置されている
  • 1985年3月6月 - 木造校舎が解体され、その跡地に現在の管理棟 (用務員室・保健室・教務室・校長室・会議室・社会科準備室) が竣工する。
  • 1985年12月 - 木造の体育館に代わって、新たに鉄筋コンクリート製の屋内運動場が竣工する。
  • 1986年4月1日 - 第9代校長・田村 尚一 が着任する。
  • 1986年10月 - 取り壊しが進められていた、木造校舎の解体・鉄筋コンクリート製の新校舎の新築工事が完了し、それと同時に創立40周年記念式典が挙行される。
  • 1987年3月 - 創立40周年を記念して、職員玄関前に記念碑が建立される。(現在も南中の顏として親しまれている)
  • 1989年4月1日 - 第10代校長・藤田 均 が着任する。
  • 1989年10月 - 文部省 指定・県中学校教育研究武道指導推進校研究発表会(三年連続研究)
  • 1990年8月 - 夏季休業を利用して、協和塔の改修工事が実施される。
  • 1992年4月1日 - 第11代校長・小船井 欽治 が着任する。
  • 1992年9月 - コンピューター教室が管理棟の3階に開設される。
  • 1995年4月1日 - 第12代校長・原田 義夫 が着任する。
  • 1996年3月 - 学校給食の開始に伴い、給食棟が竣工する。3階建てのため給食コンテナ用のエレベーターが設置されている。
  • 1996年4月 - 南中学校の生徒数の増加に伴い、長岡市立旭岡中学校が新設され、豊田小学校と柿小学校区の生徒を分離する。(分離された今も一部の豊田小・柿小の生徒は南中に登校している)
  • 1996年4月 - 給食室が竣工し、学校内での給食の製造がこの年度より開始される。
  • 1997年3月 - 最も老朽化が進んでいた第5棟・第6校舎(第1、第2理科室・技術室・多目的室 棟)の全面的な改修工事が実施され、後に耐震化工事も行われる。
  • 1997年10月 - 創立50周年記念事業として、南中50周年記念事業誌が発刊される。
  • 1997年10月16日 - 生徒専門委員会活動の一環で福祉委員会の設置が認可され、設置される。
  • 1998年4月 - 第13代校長・平沢 憲一 が着任する。
  • 1998年度 - 平成10年度 全国小中学校作文コンクール に於いて、受賞当時3年生だった生徒が書いた「梅雨明け」が文部大臣奨励賞を受賞する。
  • 1999年 - 南中学校の公式ホームページが設置・公開される。
  • 1999年4月29日 - 教育映画「まじめで悪いか ! 」の撮影が開始され、主演の 河島 英五 が初来校する。
  • 1999年7月 - 現在の給食室側にある職員駐車場の部分に残存していた木造校舎すべてが解体され、南中学校から木造校舎が姿を消す。
  • 1999年12月24日 - 屋内運動場脇に増築する形で武道場と併設された更衣室が完成する。
1999年に現在の武道場が完成した(左側が2000年竣工の武道場・右側が1985年竣工の体育館)
  • 2000年頃 - 制服が開校当初から続いていた学生服とセーラー服から、現在のブレザーとスラックス・スカートに変わる。
  • 2000年1月 - 現在の武道場が竣工する。
  • 2000年2月4日 - 学習研究発表会の中で、南中を舞台にした教育映画「まじめで悪いか!」が舞台になったこの南中学校で初公開された。
  • 2000年4月1日 - 第14代校長・木村 孝太郎 が着任する。
  • 2002年4月1日 - 第15代校長・保科 博昭 が着任する。
  • 2002年9月 - 冷暖房を完備した空調設備の設置が行われる。(校長室・教務室・図書室・管理員室・休憩室・コンピューター室)
  • 2003年4月1日 - 給食調理業務をこの平成15年度より民間業者に委託する。
  • 2003年度 - 1年生の総合的な学習の時間を使用して、幕末の長岡を描いた創作劇「三傑劇」の生徒による制作・上演がこの年に始まる。
  • 2003年9月 - 2棟・1階のトイレの改修工事が実施され、男子・女子トイレ内に設置されている洋式トイレに便座が設置されたほか、車いす対応のバリアフリートイレが新規で設置され、校舎内すべての女子トイレには音姫が設置された。
  • 2004年4月 - それまで使用されていた3学期制から2学期制へ移行するために、2学期制の試行を開始する。(長岡市教育委員会下全域の小中学校で実施)
  • 2004年10月23日 - 新潟県中越沖地震が発生し、これにより校舎が一部損壊するなどの被害を受ける。2004年11月中まで避難所が開設される。
  • 2004年11月 - 山古志村 から全村避難中の山古志村立 山古志中学校が本校校舎にて授業が再開される。
  • 2005年3月5日 - 卓球選手の 福原 愛 が、中越地震により被災した南中生らを慰問に訪れる。
  • 2005年4月1日 - 第16代校長・吉沢 嘉一郎 が着任する。
  • 2006年3月31日 - この日をもって、3学期制の使用を終了する。
  • 2006年4月1日 - 2学期制の使用が開始される。
  • 2006年10月 - 市町村合併を経たこの年、長岡市立山古志中学校の新校舎での授業再開のため、山古志中学校の生徒はお別れ会の後、南中を離れる。(生徒玄関前には両校の友好の印が展示されている)
  • 2007年4月 - 第17代校長・池山 康栄 が着任する。
  • 2007年7月16日 - 新潟県中越沖地震 の発生により、校舎が一部損壊するなどの被害を受ける。
  • 2007年10月 - 創立60周年記念事業の一環で、航空写真の撮影が行われ、全校生徒が運動場に於いて写真の撮影に参加した。また、この時に撮影された写真が2007年度発刊の南中60周年記念事業誌などに掲載された。(撮影に参加した当時の南中生には航空写真が印刷された下敷きが記念品として配布された)
  • 2008年4月 - 通級指導教室が第1棟校舎の1階に開設される。また、事務共同実施に伴い事務室が開設される。
  • 2008年5月25日 - 元・南中生で作家の 火坂 雅志 が創立記念講演を行う。
  • 2009年4月 - 第18代校長・長谷川 浩司 が着任する。
  • 2009年4月 - 情緒障害・発達障害と知的障害を持つ生徒を対象とした 特別支援学級『かがやき学級』が第2棟の余剰となっていたクラスに設置され開設する。
  • 2009年8月 - 新潟県内の中学校で、はじめて国連ユネスコスクールに認定される。認定により、三菱東京UFJ銀行からユネスコスクール認定プレートが贈呈され、職員玄関内に設置される。
  • 2011年2月 - 「特色のある教育実践校・園」部門に論文を応募し、優良賞を受賞する。
  • 2011年8月 - 当時の国語科教員が実践研究レポートとして2003年度に始まった「幕末長岡三傑劇」の取り組みを題材に作成したレポートを、公益財団法人・ちゅうでん教育振興財団に発表し、ちゅうでん大賞を受賞し表彰を受ける。
  • 2012年 - コンピューター教室の設備改修が実施される。
  • 2012年5月 - 長岡市の戦時中・戦後の復興を描いた「平和劇」が上演される。
  • 2012年11月 - 長岡市教育委員会より5月に行われた「平和学習・平和劇」に対しての表彰が行われる。
  • 2013年3月 - 体育館ステージ竣工前、最後の卒業式「第65回・卒業証書授与式」が挙行される。
  • 2013年4月5日 - 体育館ステージの竣工前、最後の入学式「第68回・入学式」が挙行される。
  • 2013年5月 - 第24回 全国「みどりの愛護」功労者 を国土交通省 国交大臣より表彰を受ける。(受賞校を取材したWeb版・新潟日報の記事・受賞理由については2013年5月20日発行・南中だより5月号を参照されたい)
  • 2013年11月 - 平和学習・平和劇の取り組みに対して、博報財団から教育活性化部門に於いて、第44回博報賞が授与される。
  • 2014年3月 - 体育館ステージ完成後、初めてとなる卒業式「第66回・卒業証書授与式」が挙行される。
  • 2014年3月18日 - 1985年に竣工した屋内運動場と1999年に完成した武道場の間に設けられていた空間に、体育館が竣工してからそれまで設置されていなかった体育館舞台ステージを増築し、この日に竣工する。(工事期間中は武道場の使用が停止されていた)
  • 2014年4月1日 - 第19代校長・大矢 慎一 が着任する。
  • 2014年4月1日 - 2011年に発生した滋賀県大津市の『大津市中2いじめ自殺事件』を受けて、2013年6月28日学校教育法として『いじめ防止対策推進法』が施行されたことに基づき、この南中学校でもいじめ対策推進法の指針に基づいた「南中学校・いじめ防止基本方針」が策定・策定される。
  • 2014年4月 - 体育館ステージが竣工してから初めてとなる入学式「第69回・入学式」が挙行される。
  • 2014年6月9日 - PTA対象のアンケート調査をもとに、希望選択制のフッ化物洗口 (フッ素による歯の健康促進) が開始される。
  • 2015年2月13日 - アオーレ長岡・東棟・市民交流ホールDに於いて、長岡市立南中学校「平和劇」記者発表会 が当時の2年生を中心に行われ、地元テレビ局や地元ラジオ局などの取材が行われた。(詳細については当時制作されたリーフレットを参照されたい)
  • 2015年3月17日 - アオーレ長岡・長岡市役所本庁舎に於いて、3日後に上演される平和劇のPR活動を当時の2年生が行う。
  • 2015年3月18日 - 市立劇場での平和劇の上演に向け、劇のリハーサルを兼ねた校内上演が行われる。
  • 2015年3月20日 - 「長岡市・熱中 ! 感動 ! 夢づくり教育」内の 学校・子どもかがやき塾「夢企画」事業 の一環で、戦時中の長岡などを描いた平和劇「想い、未来へ」が市立劇場大ホールにて上演される。
  • 2015年4月1日 - 新潟県が発表した少人数パイロット事業の指針に基づいた少人数学級が導入され、一学級あたり30名のクラス編成が、全学年・全学級に対して実施・設置される。
  • 2016年6月27日 - 南中学校のホームページが2005年以来、約11年ぶりにリニューアルが実施される。
  • 2017年4月1日 - 南中学校はこの日、四郎丸分校での開学から通算して70周年を迎える。
  • 2017年5月25日 - 開校式から70年を迎えるこの日、南中学校は創立70周年を迎える。

学区

南中学校は学区が広範囲に渡って広がっている学校で、南中学校が旭岡中学校と分離してからも、遠方から通学している生徒 (ほとんどは後述する自転車通学が認められる生徒) が少なくない。近隣校とは言えない東北中学校や栖吉中学校・旭岡中学校の校区とも密接に隣接している。なお、自転車通学が認められる生徒は学校から半径2km以上離れた場所から通学する生徒にのみ認められており、認められた場合 (多くは大手高校脇を流れる福島江・以東に在住の四郎丸小出身の生徒)には 黄色の通学用自転車ステッカーが配布される。駐輪場所は生徒玄関脇に設置してあり、体育館玄関脇の部活動用駐輪場とは異なる。

  1. 宮原1丁目・宮原2丁目・宮原3丁目
    学区外通学をする生徒のために設置された屋根付きの自転車置き場 (2014年にスロープが整備された)
  2. 千歳1丁目・千歳2丁目・千歳3丁目
  3. 千手1丁目・千手2丁目・千手3丁目
  4. 西千手1丁目・西千手2丁目・西千手3丁目
  5. 幸町1丁目・幸町2丁目・幸町3丁目
  6. 草生津1丁目・草生津2丁目・草生津3丁目
  7. 山田1丁目・山田2丁目・山田3丁目
  8. 信濃1丁目
  9. 南町1丁目・南町2丁目・南町3丁目
  10. 柏町1丁目・柏町2丁目
  11. 三和2丁目
  12. 宮内8丁目
  13. 旭町1丁目・旭町2丁目
  14. 台町1丁目・台町2丁目
  15. 弓町1丁目・弓町2丁目
  16. 四郎丸町
  17. 四郎丸町1丁目・四郎丸町2丁目・四郎丸町3丁目・四郎丸町4丁目
  18. 学校町1丁目・学校町2丁目・学校町3丁目
  19. 土合町
  20. 土合3丁目・土合4丁目・土合5丁目
  21. 金房1丁目・金房2丁目・金房3丁目
  22. 前田1丁目・前田2丁目・前田3丁目
  23. 美沢1丁目・美沢2丁目・美沢3丁目・美沢4丁目
  24. 長倉町
  25. 長倉1丁目・長倉2丁目・長倉3丁目・長倉4丁目
  26. 長倉西町
  27. 長倉南町
  28. 鉢伏町
  29. 花園東2丁目
  30. 中沢町

在学する生徒の出身校

長岡市立南中学校に在学する生徒の主な出身校は以下の通りである(南中の学区内にある小学校が大半を占める)

  • 長岡市立 千手小学校 (千手小の学区と南中の学区の全域が重なり、南中と最も距離が近い小学校・進学者数は四郎丸小と並んで多い)
  • 長岡市立 四郎丸小学校 (四郎丸小の学区と南中の学区の全域が重なり、出身生徒の自転車通学者数が最も多い・進学者数は千手小と並んで多い)
  • 長岡市立 阪之上小学校 (阪之上小の学区と南中の学区が一部しか重ならない・進学者数が最も少ない)

(以下は通年ではないが、居住場所によって南中に進学する生徒の出身校)

  • 長岡市立 豊田小学校 (南中から旭岡中が分離した後も、一部の生徒は南中に進学する)
  • 新潟大学教育学部・附属長岡小学校 (南中の学区である学校町にあることから、本校に進学する生徒が一部いる)

そのほかにも、全国大会に多数の生徒を輩出してきた強豪の部活動に参加するために、旧・長岡市外から通学する生徒も通年ではないが在学している。

入学・在籍・卒業した著名人

(尚、著名な南中の出身者の詳細については2015年5月20日発行・南中だより5月号を参照されたい)

交通・アクセス方法

  • 越後交通・柏町 バス停より 徒歩 約5分 (約・500m)

関連項目

出典

  • 創立20周年記念事業誌・長岡市立 南中学校 同窓会名簿 (沿革)
  • 創立35周年記念事業誌・自主共和 ~ その継承と発展 ~ (沿革・校章・校歌・学年ニックネーム・学年旗・南友会歌)
  • 創立40周年記念事業誌
  • 創立50周年記念事業誌
  • 創立60周年記念事業誌
  • 公式ホームページ (沿革・校章・教育目標・校歌・生徒心得)
  • (旧)公式ホームページ (沿革・校章・教育目標・校歌・生徒心得・南友会)
  • 2013年9月20日発行・南中だより・2013年9月号
  • 2014年5月20日発行・南中だより・2014年5月号
  • 2015年5月20日発行・南中だより・2015年5月号
  • 2016年4月20日発行・南中だより・2016年4月号

外部リンク・脚注