涅槃寂静
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に異なることを示す。
この言葉は、『雑阿含経』などには、涅槃寂滅(巴: nibbāna vūpasanna、निब्बान वूपसन्न)、『大智度論』には涅槃実法印などと出てくる。「涅槃寂静」という用語が登場するのは、『瑜伽師地論』である。
なお、漢字文化圏では10-24を示す数の単位としても用いられる(単位としての涅槃寂静を参照)[1]。
概説
諸行無常・諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。
無常と無我とを自覚してそれによる生活を行うことこそ、煩悩をまったく寂滅することのできた安住の境地であるとする。『大般涅槃経』においては、この娑婆世界の無常・無我を離れたところに、真の「常楽我浄」があるとする。
無常の真実に目覚めないもの、無我の事実をしらないで自己をつかまえているものの刹那を追い求めている生活も、無常や無我を身にしみて知りながら、それを知ることによってかえってよりどころを失って、よりどころとしての常住や自我を追い求めて苦悩している生活も、いずれも煩悩による苦の生活である。それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すものである。
仏教本来の意味からすると、涅槃とはいっさいのとらわれ、しかも、いわれなきとらわれ(辺見)から解放された絶対自由の境地である。これは、縁起の法に生かされて生きている私たちが、互いに相依相関の関係にあることの自覚であり、積極的な利他活動として転回されなくてはならない。この意味で、この涅槃寂静は仏教が他の教えと異なるものとして法印といわれるのである。
単位としての涅槃寂静
漢字文化圏では数の単位(命数)としても用いられ、名前のついている数では最小の単位となっている。それが差し示す位は、10-24[1]、10-26など時代や地域、また書物により異同がある[要出典](一般には10-24とされる[1])。小数の単位としては唯一、漢字四字で表記される。SI接頭辞ではヨクトに当たる。