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イシノサンデー

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イシノサンデー[1]
欧字表記 Ishino Sunday[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1993年5月29日(31歳)[1]
登録日 1995年6月15日
抹消日 1998年7月3日
サンデーサイレンス[1]
ジェフォリー[1]
母の父 Alydar[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1]
生産者 服部和則[1]
馬主 (株)イシノ
→(株)イシジマ[1]
調教師 山内研二栗東[1]
競走成績
生涯成績 中央競馬19戦5勝
地方競馬3戦1勝
[1]
獲得賞金 3億6808万8000円[1]
勝ち鞍
GI 皐月賞 1996年
GIII 京都金杯 1997年
重賞 ダービーグランプリ 1996年
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イシノサンデーとは日本競走馬種牡馬。同世代のバブルガムフェローダンスインザダークおよびロイヤルタッチの3頭とともにいわゆる「サンデー(サイレンス)四天王」の一角をなし[2][3]皐月賞ダービーグランプリなどを制し「芝ダート変則二冠馬」などとも呼ばれた[2]

戦績

2歳時も1995年9月2日函館競馬場の新馬戦でデビューし、初勝利を挙げた。2戦目は3着に敗れるものの3戦目の黄菊賞で2勝目を飾った。初の重賞出走となったラジオたんぱ杯3歳ステークスでは1番人気に支持されるが、「サンデー四天王」の1頭であるロイヤルタッチにアタマ差の2着に敗れた[4]

1996年の初戦に選んだジュニアカップは本来、中山競馬場の芝2000メートルで開催される競走だが、この年は開催日程の都合で東京競馬場芝1800メートルの条件で施行予定も、降雪で芝コースが使えなくなったためダート1600メートルに振り替えられて行われた[2]。単勝1.2倍の1番人気の支持に応え2着のグランキャノネイドに5馬身差をつけて勝利[4]し、これが3歳秋のレース選択の伏線となった[2]。皐月賞トライアル弥生賞に出走し1番人気に支持されるが、ロイヤルタッチと同じく「サンデー四天王」の1頭をなしていたダンスインザダークの3着に敗れるも、出走権は獲得する[4]。皐月賞では弥生賞と異なり、これまでの早め競馬から粘り込むスタイルとは一転して中団に控え、4コーナーから直線にかけて一気に抜け出し、追い込んできたロイヤルタッチに3/4馬身差をつけ優勝した[4]。なお、この勝利でサンデーサイレンス産駒が前年の1着ジェニュイン、2着タヤスツヨシに続くワンツーフィニッシュとなったことでサンデーサイレンスへの評価が決定づけられたとも言われ[4]、また鞍上の四位洋文にとって初のクラシック制覇となった。次走は東京優駿(日本ダービー)に出走し、3番人気に支持されるがフサイチコンコルドの6着に敗れた。

休養をはさんで秋シーズンは菊花賞トライアルのセントライト記念京都新聞杯に出走するが4着、5着に敗れ、距離を嫌って菊花賞に向かわずにダート競走に向かうこととなる[2]大井スーパーダートダービーでは石崎隆之騎乗で1番人気に支持されるもののサンライフテイオーの3着に敗れ、続く盛岡のダービーグランプリでも再び石崎の手綱で出走し、2分6秒9のレコードタイムで優勝した[2][5]。この2戦での石崎の起用に関して管理していた山内研二は、仲の良かった川島正行との会話の中で起用の話が浮かんだと回想している[5]。勝負服に関しては大井では貸服だったものの、盛岡では馬主服の着用が認められた[5]。そしてこの2戦が、交流競走の重賞に於いて地方騎手が中央馬に騎乗する先駆けとなった[5]

1997年初戦は京都金杯に出走し優勝[2]。その後はドバイワールドカップ出走を見据えて川崎記念フェブラリーステークスとダート競走に出走するが勝ち馬に大差をつけられ敗れ、それっきりダート重賞に姿を見せることはなかった[2]産経大阪杯で6着に敗れた後の放牧中に骨折して1997年下半期のレースには出走できず、翌1998年アメリカジョッキークラブカップから復帰するも同年6月の安田記念に至るまで勝ち星を挙げることはできなかった[2]。安田記念6着の後、屈腱炎を発症したことから引退した。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[6]およびJBISサーチ[7]に基づく。

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F)
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1995 9. 2 函館 新馬 7 5 5 1.4 (1人) 1着 四位洋文 55kg 芝1800m(良) 1:55.3(36.3) -0.2 (ユノペンタゴン)
9. 24 函館 3歳OP 11 8 10 2.9 (2人) 3着 松永幹夫 53kg 芝1800m(良) 1:52.2(37.4) 0.4 エクセレトシャトー
10. 29 京都 黄菊賞 500 16 4 8 3.8 (2人) 1着 四位洋文 53kg 芝1600m(良) 1:34.3(35.3) -0.2 (エイシンガイモン)
12. 23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 15 6 10 2.4 (1人) 2着 四位洋文 54kg 芝2000m(良) 2:02.7(35.0) 0.0 ロイヤルタッチ
1996 1. 20 東京 ジュニアC OP 5 5 5 1.2 (1人) 1着 四位洋文 56kg ダ1600m(重) 1:38.9(37.4) -0.8 (グランキャノネイド)
3. 3 中山 弥生賞 GII 13 7 11 1.9 (1人) 3着 四位洋文 55kg 芝2000m(良) 2:02.9(35.5) 0.2 ダンスインザダーク
4. 14 中山 皐月賞 GI 18 3 5 6.1 (4人) 1着 四位洋文 57kg 芝2000m(良) 2:00.7(35.5) -0.1 (ロイヤルタッチ)
6. 2 東京 東京優駿 GI 17 5 10 6.0 (3人) 6着 四位洋文 57kg 芝2400m(良) 2:27.1(35.8) 1.0 フサイチコンコルド
9. 23 中山 セントライト記念 GII 9 8 9 2.5 (1人) 4着 四位洋文 56kg 芝2200m(重) 2:20.7(36.1) 0.6 ローゼンカバリー
10. 13 京都 京都新聞杯 GII 11 5 5 5.5 (3人) 5着 四位洋文 54 芝2200m(良) 2:14.6(34.9) 0.5 ダンスインザダーク
11. 1 大井 スーパーダートダービー 重賞 14 2 2 (1人) 3着 石崎隆之 57kg ダ2000m(重) 2:06.1 0.3 サンライフテイオー
11. 23 盛岡 ダービーグランプリ 重賞 12 4 4 (2人) 1着 石崎隆之 56kg ダ2000m(良) 2:06.9 -0.3 (ユーコーマイケル)
1997 1. 5 京都 京都金杯 GIII 16 1 1 5.4 (3人) 1着 四位洋文 57.5 芝2000m(良) 2:02.3(35.8) -0.3 (ユウトウセイ)
2. 5 川崎 川崎記念 重賞 11 4 4 (2人) 6着 四位洋文 56kg ダ2000m(稍) 2:09.1 2.4 ホクトベガ
2. 16 東京 フェブラリーS GI 16 2 3 8.5 (4人) 9着 佐藤哲三 56 ダ1600m(不) 1:37.9(37.4) 1.9 シンコウウインディ
3. 30 阪神 産経大阪杯 GII 9 1 1 5.9 (3人) 6着 河内洋 58kg 芝2000m(稍) 2:02.8(36.6) 0.8 マーベラスサンデー
1998 1. 25 中山 AJCC GII 11 8 10 30.7 (8人) 6着 四位洋文 58kg 芝2200m(良) 2:16.3(36.3) 1.0 メジロブライト
2. 15 京都 京都記念 GII 11 5 5 13.5 (6人) 2着 四位洋文 58kg 芝2200m(良) 2:16.5(35.7) 0.2 ミッドナイトベット
3. 15 中山 中山記念 GII 9 3 3 4.8 (2人) 5着 蛯名正義 58 芝1800m(良) 1:49.5(38.9) 0.9 サイレンススズカ
4. 5 阪神 産経大阪杯 GII 9 5 5 18.6 (4人) 3着 四位洋文 59kg 芝2000m(良) 2:01.6(34.6) 0.3 エアグルーヴ
5. 3 京都 天皇賞(春) GI 14 7 12 40.9 (7人) 9着 四位洋文 58kg 芝3200m(良) 3:24.5(34.8) 0.9 メジロブライト
6. 14 東京 安田記念 GI 17 3 6 40.6 (9人) 6着 塩村克己 58kg 芝1600m(不) 1:38.9(38.2) 1.4 タイキシャトル

種牡馬時代

引退後はJRAが1億円で買い取って日本軽種馬協会の種牡馬となり、当初は千葉の下総種馬場で繋養された[2][8]。2002年シーズンから青森の七戸種馬場へ移動。その後、九州種馬場、再度の七戸種馬場を経て、2008年の種付けシーズン終了後に静内種馬場へ移動した[2]。2010年の種付けシーズン終了後に十勝軽種馬農協種馬所へ移動し、2011年から供用される。2012年の種付けシーズン終了後に再度静内種馬場へ移動ののち[9]、2016年の種付けシーズン終了後に種牡馬を引退した[10]。用途変更後は功労馬繋養展示事業の対象馬になることはなかったが、引き続き静内種馬場にて繋養されている[11]

産駒には南関東重賞を勝ったイシノファミリー、中央の条件戦で5勝を挙げたシルクボンバイエなどがいるが、中央オープン勝馬は現れていない[12]

主な産駒

※2019年8月現在

血統表

イシノサンデー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘイロー系サンデーサイレンス系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*ジェフォリー
Jefforee
1987 栗毛
Alydar
1975 栗毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Sweet Tooth On-and-On
Plum Cake
母の母
Jeffo
1971 栗毛
Ridan Nantallah
Rough Shod
Silver Service Prince John
En Casserole F-No.20
母系(F-No.) 20号族(FN:20) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ イシノサンデー 5代血統表2017年8月28日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com イシノサンデー 5代血統表2017年8月28日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ イシノサンデー 5代血統表2017年8月28日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ イシノサンデー 5代血統表2017年8月28日閲覧。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o イシノサンデー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k イシノサンデーを訪ねて~JBBA静内種馬場”. 競走馬のふるさと案内所. 2019年8月17日閲覧。
  3. ^ ロイヤルタッチが26歳で死去 「サンデー四天王」皐月&菊で2着”. スポーツニッポン. 2019年8月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e イシノサンデー 父の名を広めた功労者[1996年]”. 皐月賞 - 歴代優勝馬ピックアップ. JRA-VAN. 2019年8月17日閲覧。
  5. ^ a b c d 石崎隆之騎手が道をつくった地方騎手の中央馬騎乗”. 極ウマニッカンプレミアム. 日刊スポーツ. 2019年8月17日閲覧。
  6. ^ イシノサンデーの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月21日閲覧。
  7. ^ イシノサンデー 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月21日閲覧。
  8. ^ ニュースぷらざ”. ケイバブック. 2019年8月17日閲覧。
  9. ^ サラ系供用種牡馬一覧|トピックス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年5月1日閲覧。
  10. ^ 2016年の供用停止種雄馬一覧ジャパンスタッドブックインターナショナル、2017年2月8日閲覧
  11. ^ イシノサンデー | 馬・牧場・施設検索 | 競走馬のふるさと案内所”. uma-furusato.com. 2022年5月1日閲覧。
  12. ^ イシノサンデーの産駒成績|競走馬データ- netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2022年5月1日閲覧。
  13. ^ イシノファミリー”. JBISサーチ. 2019年8月17日閲覧。
  14. ^ シルクボンバイエ”. JBISサーチ. 2019年8月17日閲覧。
  15. ^ エスプリシルバー”. JBISサーチ. 2019年8月17日閲覧。
  16. ^ カントリーウーマン”. JBISサーチ. 2019年8月17日閲覧。

外部リンク