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「新快速」の版間の差分

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{{分割提案|京阪神快速|date=2010年5月}}
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[[ファイル:JR West 223 series EMU 051.JPG|none|250px||thumb|JR西日本の新快速(湖西線・おごと温泉 - 堅田)]]
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また、[[青春18きっぷ]]の利用期間中の土曜・休日を中心に、「赤穂備前ホリデー号」として[[岡山駅]]発着で延長運転したことがあった<ref name="press_19970120" />が、1998年までに運転を終了しており、現在は運転されていない。このホリデー号には指定席が連結されていた。
また、[[青春18きっぷ]]の利用期間中の土曜・休日を中心に、「赤穂備前ホリデー号」として[[岡山駅]]発着で延長運転したことがあった<ref name="press_19970120" />が、1998年までに運転を終了しており、現在は運転されていない。このホリデー号には指定席が連結されていた。

==== 歴史 ====
==== 歴史 ====
新快速誕生以前を含む歴史については[[京阪神快速#歴史]]を参照されたい。
京阪神地区は、JRと複数の私鉄が並行していることから、歴史的に激しい[[サービス]]競争が繰り広げられている。

===== 関西急電 =====
[[ファイル:JNR-Kumoha52004.jpg|thumb|right|200px|関西急電専用に製造され、活躍した[[国鉄52系電車|52系]]。]]
[[近畿地方|関西地方]]で最初に開業した鉄道は旧・日本国有鉄道(国鉄・官営鉄道)の路線で、{{jdate|1874}}に大阪 - 神戸間、{{jdate|1877}}に京都 - 大阪間の路線をそれぞれ開業させた。当時、輸送の多くは国有鉄道の独占であった。

しかし、{{jdate|1905|4}}に[[阪神電気鉄道]]が大阪出入橋 - 神戸三宮間(現在の[[阪神本線]])、{{jdate|1910|4}}に[[京阪電気鉄道]]が京都[[清水五条駅|五条]] - 大阪[[天満橋]]間の路線(現在の[[京阪本線]])を開業させて以来、大阪 - 神戸間の[[阪急神戸本線|阪急神戸線]]([[梅田駅|梅田]] - [[三宮駅|三宮]])、[[大宮駅_(京都府)|京都]] - 大阪間で[[新京阪鉄道]] - 京阪新京阪線 - [[阪急京都本線|阪急京都線]]([[西院駅]] - [[天神橋駅]])、[[兵庫駅|兵庫]] - [[姫路駅|姫路]]間においては[[山陽電気鉄道]][[山陽電気鉄道本線|本線]](兵庫駅 - [[山陽姫路駅]])と、競合する並行私鉄が複数誕生し、市街地への近さ、短い駅間隔、短[[編成 (鉄道)|編成]]ながら[[フリークエントサービス|頻繁な運転]]を売り物とし、国有鉄道から客の多くを奪うことに成功する。

私鉄に対抗すべく国有鉄道は、{{jdate|1930}}に阪神間・京阪間などで蒸気機関車牽引の快速列車を設定、{{jdate|1934|7}}に吹田駅 - 須磨駅で電気運転が開始され、大阪駅 - 神戸駅間に28分運転(各駅停車は当時38分)を行う'''「急行電車」(いわゆる関西急電と呼ばれる、[[急行券|料金]]不要の[[優等列車]]。)'''を設定、その後{{jdate|1937|10}}に京都駅までの[[鉄道の電化|電気運転]]が開始されると運転区間を京都駅 - 神戸駅間に拡大した。それに先立つ{{jdate|1935|10}}には、急行用の車両として当時としては斬新な[[流線形]]の車体デザインを採用した[[国鉄52系電車|52系]]を登場させている。戦後の急行電車に用いられた[[国鉄80系電車|80系]]や、後に新快速用車両として登場した117系で採用された茶色&クリーム色の塗装、223系1000・2000番台の側面窓周辺の茶色は、急行時代の52系の塗装を意識したものであり、[[鉄道管理局|大鉄局]]やJR西日本が関西急電を誇りとし、新快速がこの流れを受け継いでいることを明示する役割も果たしている。

当時の急行の京都駅 - 神戸駅間の中間停車駅は、大阪・三ノ宮・[[元町駅 (兵庫県)|元町]]({{jdate|1936|4|1}}から停車)の3駅だけであった。

その後、{{jdate|1942}}には[[太平洋戦争]]による[[戦時体制]]強化に伴い運転を休止するが、{{jdate|1949|4}}に復活した。{{jdate|1957}}に茨木駅 - 大阪駅間の複々線が復活した時に「急行電車」を「快速電車」へと名称を変更している。これは料金が必要な[[急行列車]]・[[準急列車]]との区別が紛らわしいという理由からである。

===== 新快速の設定 =====
[[ファイル:1131000.jpg|200px|thumb|right|113系 横須賀色]]
[[ファイル:JNR_SHIN_KAISOKU_at_OSAKA_153.jpg|200px|thumb|right|153系]]
[[ファイル:JNR 117 12cars shinkaisoku.jpg|thumb|200px|right|117系]]
[[ファイル:JNR 117-103 shinkaisoku.jpg|thumb|200px|right|117系100番台]]
新快速は「快速」の更なる速達化として、{{jdate|1970|10}}の[[日本万国博覧会]](大阪万博)の終了直後に初めて設定された。当初の運転区間は京都駅 - 西明石駅間で、[[新幹線]]停車駅である[[新大阪駅]]を通過し、途中停車駅は大阪駅・三ノ宮駅・明石駅のみとした。運転本数は日中の毎時1本の6往復のみであった。

* {{jdate|1971|4|26}}:運転区間が[[草津駅 (滋賀県) |草津駅]]へ延長される。草津駅までの停車駅は、[[大津駅]]と[[石山駅]]。この当時は横須賀色(スカ色)の[[国鉄113系電車|113系]]を使用していた。そもそも横須賀色の113系は万博輸送のために[[横須賀線]]から転入した[[鉄道車両|車両]]で、[[関西]]では見慣れない色だったため識別には都合が良かったが、のちに湘南色に変更された車が多く、113系末期は混色での運転が多かった。
* {{jdate|1972|3}}:[[山陽新幹線]]の岡山延伸開業により余剰となった[[急行形車両|急行形電車]]の[[国鉄153系電車|153系]](いわゆる「[[東海 (列車)|東海]]形」)を投入<ref>所定に対しクハ153形が1両不足したため、[[国鉄165系電車|165系]]のクハ165形で代用されている。</ref>し、日中京都駅 - 大阪駅 - 明石駅間で毎時4本運転の大増発を行った。

この時新快速に転用された153系は「新快速色」と呼ばれる白地に青帯の塗装<ref>局内での呼称は「BW塗装」。</ref>に変更し、「ブルーライナー」の車両愛称を付与した。

「新快速」は15分間隔の[[ダイヤグラム#パターンダイヤ|パターンダイヤ]]で設定され、大阪駅 - 京都駅間を29分で運転し、両駅で1分停車するため、大阪駅と京都駅の出発時刻が揃えられており、宣伝では、時刻表不要の[[フリークエントサービス|高頻度]]と時刻のわかりやすさが強調された。京都駅および大阪駅の[[駅舎]]壁面上部に時計を形どり「29分間」を強調した広告がこの頃存在した。ただし、当時の幹線では保守間合いと呼ばれる列車の運転休止時間帯があり、日によっては運転間隔は一定でなかった。当時は草津駅 - 西明石駅間運転の列車と、京都駅 - 姫路駅間運転の列車があり、姫路駅発着の列車は西明石駅を通過していた。

当時の特急「[[雷鳥 (列車)|雷鳥]]」は、大阪駅を毎時0分に新快速と同時発車していた。しかし「雷鳥」は新快速よりも大阪駅 - 京都駅間の[[余裕時分]]を多く取っていた<ref>当時の「雷鳥」の大阪駅 - 京都駅間の所要時間は30~33分で、新快速よりも長く、当時の新快速の最高速度が110km/h(昭和47年3月以降、ただし[[高槻駅|高槻]]以西は100km/h)であるにもかかわらず、最高速度がそれより10km/h速いはずの特急が追い抜かれたというエピソードが残っている点や、所要時間の差から見ても、特急が大阪 - 京都間ではいかにゆっくり走っていたかが窺い知れる。なお、JR発足後に「雷鳥」も所要時間29分、{{jdate|2000}}には27分へと短縮されている。</ref>。そのため、共に[[新大阪駅|新大阪]]を通過した後に新快速が「雷鳥」を抜き去って行く光景が、北陸方面に向かう「雷鳥」が走る度に繰り広げられた。「雷鳥」が走る列車線(外側線)のダイヤを作成・管理していた国鉄本社は、これではあまりにみっともないという事で、新快速のダイヤを管理する大阪鉄道管理局に、新快速のダイヤをずらすように指示したものの、大阪管理局は[[ダイヤグラム#パターンダイヤ|パターンダイヤ]]を変更する事は利用者にとって不便になるという理由を付けて拒否した。本音は、(東京)本社への対抗心だった事は容易に推察され、当時の国鉄OBもそれを認める発言をしている<ref>内側線(通称電車線)は[[鉄道管理局|大鉄局]]の管理下で、ダイヤ改正のたびに、急行と各駅停車の運転時分の差(追い越そうにも外側線を使えない)や[[線路容量]]の逼迫(外側線には余裕があった)に悩まされており、[[私鉄]]との競争と、地元の事情を解せず融通の効かない本社との板ばさみの状態が長年にわたって続いていた。後に[[国鉄117系電車|117系]]の性能要件を本社に提出する際も、「内側線だけしか使わせていただけないならば、超高性能車が必要。」とばかりに、実現不可能な要求を突きつけている。</ref>。やむを得ず本社側が折れ、「雷鳥」のダイヤを5分ずらす事にした。また市販の[[時刻表]]では、「雷鳥」と新快速を意識的に併記しないようにしていた。
* {{jdate|1973}}:姫路駅発着列車が毎時2本に増発される。
* {{jdate|1974|7}}:[[湖西線]]が開業し、毎時1本の列車が[[堅田駅]](観光シーズンは[[近江今津駅]])まで乗り入れるようになった。
* {{jdate|1978|10|2}}改正:[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]が停車駅に追加された。
* {{jdate|1980|1}}:[[国鉄117系電車|117系]]が投入される。

:この当時は国鉄の度重なる値上げで私鉄との並行がない京都以東以外においては利用客の激減が進み、「冬の時代」になっていた(いわゆる「国鉄離れ」)。

: 京阪間で並行する阪急が[[阪急6300系電車|6300系]]、京阪が[[京阪3000系電車 (初代)|3000系]]という転換クロスシートを持った特急専用車を運転していたのに対し、新快速はボックス型の固定シートであった。これらに対抗するため、料金不要車両ながら転換クロスシートを持ち、シートに枕カバーが付く、極端なまでの「標準化」を推進する当時の国鉄としては破格の車両が誕生した。これが117系であり、導入にあたって「シティライナー」の車両[[愛称]]を付与され、[[ヘッドマーク]]の公募も行われた。この117系は[[戦前]]の関西急電の生まれ変わりとも言えるクリーム色と茶色をまとって登場し、この茶色はのちの新快速車両にも受け継がれることになる。当時の新快速は私鉄に比べてまだ劣勢ではあったが、117系の評判は良く、同年7月の時点で、6両[[編成 (鉄道)|編成]]×21本が出揃い、153系の置き換えが急ピッチで行われていった。

: この時期、国鉄の普通列車において表定速度が時速70km(キロメートル)以上の列車は44本あり<ref name="korono1-82">『コロタン文庫 鉄道No.1全百科』p82(1981年・小学館)</ref>、その全てが新快速であった<ref name="korono1-82"/>。その中で、京都発大阪行きの新快速「3681M」は京都駅→大阪駅間を30分で走行し、他の新快速が29分で走っていたことを考えればやや遅い列車であったものの、[[表定速度]]は1980年当時の普通列車の中では最速となる時速85.6kmであった<ref name="korono1-82"/>。これは、当時の国鉄在来線の全列車の中でも2番目に速い<ref name="korono1-82"/>もので、当時最も速い特急列車であった「加越5号」(表定速度・時速86.1km)以外の全ての特急よりも速かった<ref name="korono1-82"/>。
* {{jdate|1985|3|14}}:朝夕に各駅停車ながら[[彦根駅]]発着列車の運行を開始し、日中の草津駅発着列車が毎時2本に増発された。同時に[[新大阪駅]]が停車駅に追加された。高槻駅以西の最高速度が100km/hから110km/hに引き上げられた効果で、新大阪駅に追加停車しても、京都駅 - 大阪駅間を29分で運転できるようになった。これまで[[新幹線]]が停車する新大阪駅の通過は、新幹線利用の遠方客を中心に誤乗を招いていたが、パターンダイヤを維持するための新大阪駅通過が解消されることとなった。
* {{jdate|1986|11|1}}:[[山科駅]]に新たに停車し、[[西明石駅]]にも全列車が停車するようになり、西側は全列車が姫路駅発着となり、東側も彦根駅と近江舞子駅(湖西線内は各駅停車に変更)まで毎時1本ずつ延長されるとともに、草津駅以東各駅停車であった新快速の停車駅が削減され、現在の停車パターンによる速達運転が開始された。また[[国鉄分割民営化|分割民営化]]を控えて、従来国鉄本社直轄だった「外側線」・「列車線」が大阪鉄道管理局に開放され、草津駅 - 西明石駅間の[[複々線]]区間で新快速はそれまでの「内側線」(電車線)から外側・列車線走行に変更となり、大阪駅 - 京都駅間、大阪駅 - 神戸駅間などでそれぞれ3 - 5分程の時間短縮が図られた。のちに新大阪駅 - 大阪駅間と京都駅以東は平日朝夕[[ラッシュ時]]以外内側線を走行するようになった。マイナーチェンジ版の117系100番台が6両×3編成増備される。この時点においても朝夕ラッシュ時には新快速の設定はなく(姫路駅発着は少ないながらも設定されていた)、外側線を走行する快速がラッシュ時の最速列車であった。また国鉄の鉄道管理局の境界が彦根駅 - 米原駅間であり、新快速の東端は彦根駅発着であった。

===== 民営化後 =====
[[ファイル:JR West 221 shinkaisoku.jpg|thumb|right|200px|221系]]
[[ファイル:Jrw223-2000.jpg|200px|thumb|right|223系2000番台]]

*[[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR西日本(西日本旅客鉄道株式会社)が発足した。新会社発足時の時刻は国鉄最後のダイヤ改正([[1986年]]11月1日)時のダイヤをそのまま継承した。
*[[1988年]](昭和63年)[[3月13日]]:夕ラッシュ時に10往復あまりが増発された。同時間帯に米原駅直通が設定された。
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[3月11日]]:初めて朝の通勤時間帯に新快速を運転し、また終発を三ノ宮(神戸)・京都方面ともに大阪駅23時発に繰り下げ、現在の終日に渡って新快速を運転するダイヤの基礎ができた。また221系が新製投入されはじめ、新快速の一部列車でも運用を開始する。琵琶湖線(東海道本線)の運転区間を全列車彦根駅から米原駅まで延長した。
*[[1990年]](平成2年)[[3月10日]]:昼間時間帯の新快速が[[高槻駅]]と[[芦屋駅 (JR西日本) |芦屋駅]]に停車。最高速度を110km/hから115km/hに引き上げ、京都駅 - 大阪駅間を高槻駅に追加停車しながらもダイヤ改正前と同じ29分で運転した。同時に京都駅以東で内側運転に戻されている。
*[[1991年]](平成3年)
**[[3月16日]]:使用車両を朝通勤時間帯・深夜の一部を除き221系に統一。日中の新快速の120km/h運転を開始。
**9月14日:北陸本線・田村駅 - 長浜駅間が[[直流電化|直流]]に切り替えられ、米原駅発着の一部の新快速を長浜駅へと延長した。またこの改正から昼間も徐々に8両編成に増結を開始する。
*[[1993年]](平成5年)
**新快速の全列車を8両以上とする。
**[[3月18日]]:休日朝時間帯の新快速が高槻駅・芦屋駅に停車するようになる。
*[[1995年]](平成7年)
**[[4月1日]]:同年1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]によって発生した不通区間が復旧する。私鉄他線が未復旧のため、JR神戸線内で新快速を臨時に朝に大阪方面で4本、夜の姫路方面で3本増発。この臨時新快速の運転開始時は113系・117系を使用する列車もあった。のち7月に223系1000番台48両が導入され(223系新快速の登場)、私鉄他社復旧後も臨時増発分の運転は継続された。
**[[9月1日]]:平日の朝晩を除いて、高槻駅・芦屋駅が全列車停車となる。夕方の大阪駅始発の姫路方面下りの新快速(定期・臨時をあわせる)が19時前後に集められ、18時30分 - 19時15分の間7.5分間隔での運転となる。
*[[1996年]](平成8年)[[3月16日]]:湖西線の運転区間が近江舞子駅から近江今津駅、一部永原駅にまで延長されるとともに、線内の快速運転が復活する。大半の米原駅での折り返し列車が長浜駅まで延長される(すなわち、日中に長浜駅に来るのは新快速のみに)。朝夕の臨時列車が定期列車に格上げされる。
*[[1997年]](平成9年)
**[[3月8日]]:[[尼崎駅 (JR西日本) |尼崎駅]]と高槻駅に全列車が停車。この時点の使用車両は223系と221系で、前者は主に運転区間の短い野洲駅・草津駅発着と[[湖西線]]直通列車に、後者は長浜駅発着列車に充当された。またラッシュ時には221系と223系の混結もあった。
**9月1日:早朝・深夜に上下各1本の新快速を増発<ref>[http://web.archive.org/web/19980205233018/www.westjr.co.jp/new/1press/n970718b.html アーバンネットワーク秋のダイヤ改正について] (Internet Archive)- 西日本旅客鉄道 1997年7月18日</ref>。
*[[1999年]](平成11年)[[5月10日]]:朝通勤時間帯の新快速を223系に統一。これにより、草津駅 - 西明石駅間で通勤電車としては国内初の130km/hでの運転を開始するようになった。この改正に合わせ223系2000番台が登場し、その後も増備が続くことになる。最後まで残っていた117系使用列車1往復が221系に置き換えられ、117系の新快速運用はなくなった。
*[[2000年]](平成12年)3月11日:車種を223系に統一し、米原駅 - 姫路駅間で全列車130km/hの運転を開始した<ref>[http://web.archive.org/web/20000303170640/www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n991217a.html 平成12年春 ダイヤ改正について] (Internet Archive) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 1999年12月17日</ref>。大阪駅 - 京都駅間で27分、大阪駅 - 三ノ宮駅間は18分の運転となり、このときの運転時分が新快速の最速記録である。そのため1972年以来の京都駅基準の00・15・30・45分発が崩れることになった。なお、新快速の最高速度の引き上げに合わせて同区間を走行する特急列車の最高速度が引き上げられ、特急と新快速はほぼ平行ダイヤ<ref>その後現在まで新快速が特急に抜かれる場面は近江今津駅・姫路駅での分割併合に伴う長時間停車や京都駅以東の複々線区間(待避に伴う長時間停車はない)でのみ見ることができる。</ref>となり、京都駅 - 姫路駅間では各線へ直通する特急が新快速の等間隔間に割って入る形になった。
*[[2003年]](平成15年)[[12月1日]]:芦屋駅が全日・全列車停車となり、このため、大阪駅 - 三ノ宮駅間の所要時間は19分に延びた。また、夕方ラッシュ時の外側快速(大阪駅 → 姫路方面)1本を新快速に変更した。
*[[2004年]](平成16年)[[10月16日]]:朝のラッシュ時に増発が行われ、京都方面から大阪駅へ向かう新快速の8分間隔運転が実現するようになった。また夕ラッシュ時のピーク時に京都方面に基本15分ヘッドの間に大阪駅始発の新快速が増発され、7.5分間隔で運転されるようになった。この改正で、朝に走っていた米原駅 → 西明石駅間の下り快速を新快速に変更したため18年ぶりに「西明石行き」の新快速が復活した。
*[[2005年]](平成17年)
**[[3月1日]]:昼間時間帯にも赤穂線・播州赤穂駅まで毎時1本が直通運転されるようになった。この時間帯の[[上郡駅|上郡]]・岡山方面発着の普通列車は[[相生駅 (兵庫県)|相生駅]]発着になり、播州赤穂駅発着の新快速に接続できるよう考慮されている。[[長浜市]]が新快速の乗り入れにより観光客の誘致に成功し、[[敦賀市]]も直流化による乗り入れを働きかけたのを見て、[[赤穂市]]でも同様の目的で新快速の日中乗り入れを働きかけたことによる。同時に加古川駅の高架工事の完成に伴って同駅で両方向とも相互接続するようになった。(以前は姫路方面のみ相互接続、大阪方面は東加古川駅で待避設定)
**10月:同年4月に発生した[[JR福知山線脱線事故]]を受け若干の余裕時分が作られた。震災後の私鉄からの転移、芦屋駅の追加停車などで乗客数が増加傾向にあり、かつ普通列車との接続などで遅延が多発していたためである。
*[[2006年]](平成18年)
**[[3月18日]]:再度余裕時分の見直しが行われ、新快速も所要時間が伸び、再び京都駅基準では00・15・30・45分発となった。また、日中の播州赤穂駅への直通列車は利用好評で、姫路駅以西で以前の4両から8両で直通するようになった。これにより従来8両固定編成を主に充当していた近江今津駅・長浜駅発着の系統を敦賀駅への乗り入れに備えて4+4両編成に変更している<ref>但し、4両+4両の場合、8両固定編成より座席定員が減少する([[鉄道車両の座席#収容式座席|補助席]]を除く総座席数は8両固定編成の場合、1000番台は428席、2000番台は424席であるのに対し、4両+4両編成は1000番台×2の408席、2000番台×2の400席、1000番台+2000番台の404席に)のみならず立客スペースも狭まるうえに車内の通り抜けもできない</ref>。
**[[10月21日]]:北陸本線・長浜駅 - 敦賀駅間と湖西線・永原駅 - 近江塩津駅間が直流電化に切り替えられ、日中の新快速が湖西線・米原駅経由ともに近江塩津駅・敦賀駅まで直通運転を開始した。これによって最長列車で総距離275.5km、所要時間3時間59分の敦賀発米原経由播州赤穂行きが登場した(この最長記録は2009年3月14日改正時点でも破られておらず、登場以来総距離トップの座を守り続けている)。この改正で223系2000番台の6両J編成同士連結の新快速運用がなくなり、これまでの米原駅・京都駅・姫路駅・網干駅に加え近江今津駅では[[増解結]]も行われるようになる<ref>元々、近江中庄・マキノ・永原の3駅では8両編成の停車はできるが、近江塩津・新疋田・敦賀の3駅はホーム高さの関係で4両編成までしか停車できないため。</ref>。
*[[2008年]](平成20年)[[3月15日]]:土曜・休日ダイヤの一部列車が編成増強された。この運用変更により、敦賀発米原経由播州赤穂行き列車は、列車としてはつながっているものの、敦賀発は最長網干駅までとなり、全区間を直通する車両運用はなくなった(但し近江塩津発米原経由播州赤穂行き(総距離ランキングにして第3位)には1本だけ全区間通しての車両運用が設定されている)。
*[[2009年]](平成21年)[[3月14日]]:快速列車からの格上げの形で新快速が増発され、大阪駅基準でそれまでの平日では23時40分発、土休日では23時20分発だった終発が京都方面は野洲・京都行きで0時と25分、三ノ宮・神戸方面は姫路行きで0時、西明石行きで25分発まで運転時間帯が拡大した。西明石行き終発は兵庫駅 → 西明石駅間で電車線での運転となった<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/20081219_kaisei.pdf 平成21年春ダイヤ改正について(詳細)]}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2008年12月19日</ref>。この改正で再び6両J編成同士の連結(12両)の新快速運用が復活している。また、新快速通過駅の救済のため、西明石発姫路行の最終列車(普通列車)を1本増発した。

===== 並行私鉄との競争 =====
概要の項で述べたとおり、新快速の登場は平行する私鉄との乗客獲得競争によるものである。高い運賃、均等でない運転間隔の利用しにくいダイヤなど、国鉄は常時劣勢な立場であった。特に距離の長い京阪間では、[[阪急電鉄]]・[[京阪電気鉄道]]が転換クロスシートを持つ[[特別急行券|特急料金]]不要の特急専用車を京阪間無停車で頻発運転させており、「関西は私鉄王国」といわれる所以でもあった。

しかし、JR西日本発足後は並行する私鉄は一転して防戦に追われた。これはJR東海に対する[[名古屋鉄道]]にも当てはまるが、国鉄時代末期の京阪間では、117系の登場と前後して、阪急・京阪ともに特急車の置き換えが行われており、さらには[[京阪本線]]の出町柳駅への延長([[京阪鴨東線|鴨東線]]開業)を機会に新型車を登場させ、後に[[2階建車両|ダブルデッカー]]を組み込むまでにエスカレートしている。さらに[[京阪中之島線]]に開業時([[2008年]])にも同線直通(快速急行)用の車両として[[京阪3000系電車 (2代)|グレードの高い車両]]を導入している。また、[[阪神電気鉄道]]や[[山陽電気鉄道]]にも転換クロスシート車両が登場し、1998年(平成10年)2月より[[梅田駅|阪神梅田駅]] - [[山陽姫路駅]]間の[[直通特急 (阪神・山陽)|直通特急「姫路ライナー」・「大阪ライナー」]]を運転するなどの対抗策を打ち出した。また[[2009年]][[3月20日]]に[[阪神なんば線]]が開通し 神戸方面から大阪南部・奈良・和歌山方面への利便性が格段に向上した。阪神なんば線開通後は大阪[[ミナミ]]へ乗り換えなしで行けることを積極的にPRしている。

それでも、かつての国家プロジェクトの賜物である[[線形 (路線)|線形]]の良さと[[複々線]]の容量を存分に生かして成長するJRの新快速に対し、速度・所要時間では対抗できず、苦戦を強いられている。新快速の高槻停車直前に阪急が特急の[[高槻市駅]]停車を始めたものの、JRから利用客を取り戻す材料にはならなかった。さらにはJRが複々線を生かした[[緩急接続]]で普通列車のみ停車の小駅に対しても時間短縮の効果を上げ、私鉄との所要時間差は決定的なものになった。そのため、各私鉄は京阪間・阪神間の直通輸送を重視する施策から、最速達列車を中間の拠点駅(中核駅)に停車させ、中間各駅からターミナル駅への利便性向上を重視する施策へと次々と転換していった。

===== 躍進の功罪 =====
{{独自研究|section=1}}
JR発足後は[[JR西日本221系電車|221系]]の登場で、従来の速さに加え、大きな窓と明るい車内で新生JRの格好のPR材料となり、「[[昼間特割きっぷ]]」の周知とも相まって、徐々に私鉄からの乗客の転移が見られるようになった。主要駅周辺の[[金券ショップ]]で本来は12枚綴りの[[回数乗車券|回数券]]である「昼間特割きっぷ」のばら売りがされるようになったことは主婦層を中心とした利用拡大に寄与した。

さらに大きな転機となったのが、1995年(平成7年)1月の[[阪神・淡路大震災]]である。この震災で各鉄道が大きな被害を受け、長期運休を余儀なくされた。その中から、阪神間でもっとも早く開通したのがJRであった。[[貨物]]輸送も担う[[幹線]]であり、復旧が急がれ、またJR各社の応援を得られたことも大きかった。

復旧後のJR神戸線は、複々線の大きな線路容量を生かして、未だ不通区間のあった他私鉄からの転移客も吸収した。特に混雑の激しい新快速は予備車を使って増発し、その後223系1000番台を急遽追加投入して輸送力確保に努めた。その結果、高速運転や頻発運転、さらには通勤定期代の安さなども認知され、他私鉄が開通後もそのままJRを利用する転移客が目立った。また被害の激しかった阪神間での沿線人口が減り、[[加古川市|加古川]]・[[姫路市|姫路]]方面への転居者が多かったこともJRに有利に働いた。

また、京阪間においても最速27分という高速運転や、[[奈良線]]・[[嵯峨野線]]の増発による京都経由の新たなルートの確立([[京阪宇治線]]・[[近鉄京都線]] - [[京阪本線]]、[[嵐電]] - [[阪急京都線]]の流動がそれぞれJR側に動いた)、さらには京都駅ビル自身の集客力強化などといった施策が功を奏し、並行私鉄から乗客を集めることに成功した。また、京都を越えて直通運転する[[琵琶湖線]]沿線、特に[[草津市]]・[[守山市]]を中心とする(大都市へ直接アクセスする)並行私鉄のない地域では、新快速による時間短縮効果が大阪・京都への通勤客を中心とする人口増を呼ぶとともに、[[京都市]]内からの[[大学]]の新[[キャンパス]]設置や[[滋賀県]]内への[[企業]]誘致など、新たな需要の拡大を生んでいる。

他社からの利用者流入など、JR化後の各種施策の成果により、新快速の乗客は徐々に増えてきた。221系投入後は2扉の117系が客扱いで遅延を起こすようになり、早々に撤退を余儀なくされ、また221系の新快速ものちに8両編成主体に変わっていった。ちなみに221系の初回投入時は新快速用が6両、快速用は4両同士連結の8両の編成であった。

震災後に乗客が急増した神戸線の増発用として急遽製作された223系1000番台は、扉間の座席を1列減らしてドア周囲を広く取ると同時に、その空間を利用した補助席を新たに設け、ラッシュ時の混雑緩和と日中時間帯の着席サービスの確保を計った。朝夕時間帯の新快速の増発は、さらに利用客の新快速への集中を招くことになったため、223系の増備が進むに従い、朝の快速も223系使用で揃えられ、新快速への集中を抑えるため、神戸駅 → 大阪駅間で快速が先着になるなど、ダイヤにも手が加えられている。また223系の大量増備で各列車の足並みが揃えられ、所要時間の短縮に大きく貢献している。

JR西日本の独り勝ち状態と言われた矢先の[[2005年]](平成17年)[[4月25日]]に[[JR福知山線脱線事故]]が発生、私鉄との競争を意識しすぎた余裕のないダイヤが一因であるとの批判を浴びた。そのため翌2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正では余裕時間の見直しが行われ、主要駅での停車時間の延長、余裕を持った折り返し運用などが実施され、京都駅 - 大阪駅間が28分に、大阪駅 - 三ノ宮駅間では20分にと、それぞれ改正前より1分の所要時間増となった。所要時間が増えたのは新快速運転開始以来初めてのことである。福知山線事故、そしてこの所要時間増と逆風のもとで、JRを利用していた客の私鉄への再転移も報じられたが、結果的にはJR京都・JR神戸両線への大きな影響はなかった。

また、主要駅に設置されていた新快速の宣伝看板も、事故を機に撤去されるようになった。

このように利用客を確実に伸ばしていった反面、混雑が激しい列車が多くなっている。大阪駅起点で、現行の昼間のダイヤでは下り三ノ宮・姫路方面は[[明石駅]]以西で、上り京都・米原方面では京都駅以東の最先着列車となる。土休日の12両編成列車の増発や、救済となる臨時列車を運転する等の対策を行っているが、平日夕方ラッシュ時に8両編成で運転される列車も残るなど、充分に対応しきれていない状況も見られる。但し、2011年春のダイヤ改正では、全列車を12両編成にするとの[[新聞]]報道もされており、これが実現すると混雑はかなり緩和されるとみられる。


===== 歴代の新快速用車両 =====
===== 歴代の新快速用車両 =====

2010年5月23日 (日) 01:33時点における版

JR西日本の新快速(湖西線・おごと温泉 - 堅田)
JR東海の新快速(東海道本線・名古屋 - 枇杷島)

新快速(しんかいそく)とは、西日本旅客鉄道(JR西日本)の京阪神圏と、東海旅客鉄道(JR東海)の中京圏を走る快速列車の種別の一つ。ともに、快速より停車駅が少ない列車種別であるが、前者と後者では性格が異なる。

また、日本国有鉄道(国鉄)時代には阪和線にも新快速が運転されていた事がある。

JR西日本

JR西日本「新快速」列車表示幕(223系)

JR西日本の新快速の英語表記は、Special Rapid Serviceである[1]

北陸・東海道・山陽本線

概要

JR西日本が京阪神地区(アーバンネットワーク)の東海道山陽本線系統(北陸本線敦賀 - 米原間)・琵琶湖線湖西線JR京都線JR神戸線・山陽本線(姫路駅 - 上郡駅間)・赤穂線相生駅 - 播州赤穂駅間))で運行する快速列車の種別の一つで、都市間輸送の基軸を担う最速達列車である。複々線を生かした相互接続や京阪神圏外への直通運転、早朝から深夜までのフリークエントサービスなどのダイヤ面での工夫、最高速度130km/hによる高速運転[2]、そして転換クロスシートを配した落ち着いたデザインの内装などが利用客に支持され、並行する私鉄から乗客を奪還する原動力となった、いわばアーバンネットワークの看板的存在である。

新快速という種別名称は、1970年昭和45年)の運転開始時に快速Rapid Service)の上位種別として新たに設定されたものであるが、同様の性格の列車は、既に首都圏の中央線快速でも"特別快速"として運転されていた。これと同じ名称にならなかったのは、東京と同じ名称を使いたくないという当時の大阪鉄道管理局の意向であったといわれる。英語案内表記については、1990年代途中までは「新快速」を直訳したNew Rapid Service であったが、これでは英語としておかしいということで「特別快速」を意味するSpecial Rapid Service に変更されている。また、駅の発車標では、赤色で'S.Rapid'と表示される(米原駅では、後述するJR東海の新快速や特別快速にもこの表記が使われる)。

停車駅

基本的な停車駅は以下の通り。なお = で示した駅間は互いに隣接しており、通過駅は無い。

  • < >は湖西レジャー号のみ停車。
  • 臨時列車などでは、一部の駅を通過する場合がある。
  • 新快速は各駅停車の区間であっても、始発駅から終着駅まで「新快速」の案内で統一されている(草津駅京都駅姫路駅から「普通」となる一部の列車を除く)。
  • 湖西線に入る列車のうち、敦賀駅→姫路駅間と大阪駅→敦賀駅間の平日朝夕の1往復は、姫路駅←大阪駅 - 京都駅間で新快速、湖西線内は快速運転になる(快速は新快速停車駅のほかにおごと温泉駅に停車する。また、京都方面の朝の列車は新旭駅・近江高島駅・北小松駅を通過する)。
  • 敦賀駅に乗り入れる新快速は、朝晩は米原駅経由[3]、日中は湖西線経由で運転される。近江塩津駅で折り返す列車は米原駅を経由する。
  • 上郡駅発着の新快速は、大阪駅で21時発の1本(野洲駅始発)と上郡駅で6時台始発の2本のみである。

運行形態

当初、京都駅 - 西明石駅間で運転を開始した新快速は、その後徐々に運転区間を延ばしてきた。現在の運転区間は、敦賀駅 - 北陸本線・琵琶湖線経由または湖西線経由 - 播州赤穂駅・上郡駅間である。

日中の1時間あたりの運転本数は、大阪駅発基準で敦賀駅発着(湖西線経由)が1本、琵琶湖線経由は野洲駅まで3本、長浜駅まで2本、近江塩津駅まで1本、京都駅・山科駅までと姫路駅までは4本、播州赤穂駅までは1本となっており、朝夕ラッシュ時にはさらに本数が増える。敦賀発米原経由の播州赤穂行きも設定されており[4]、走行距離は275.5kmに及ぶ(東京駅から浜松駅を越え、東京駅 - 大阪駅の中間地点直前にある鷲津駅までの276.6kmに匹敵する)。各区間の現在の運転形態などは北陸本線#米原 - 敦賀間湖西線#運行形態琵琶湖線#新快速JR京都線#新快速JR神戸線#新快速の項をそれぞれ参照。

2008年3月15日改正時点での昼間の運転時分は、長浜駅 - 大阪駅間が91分、近江今津駅 - 大阪駅間が78分、京都駅 - 大阪駅間が29分、大阪駅 - 三ノ宮駅間が20分、大阪駅 - 姫路駅間が61分となっている。通過運転を行う米原駅 - 姫路駅間198.4kmの表定速度は約83km/hである。同区間はJR各社の在来線の中でも特に線形や設備が良いこともあり、この数字は、東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏の特急列車の表定速度(概ね65-90km/h)とほぼ同程度である。

快速列車(快速運行区間は高槻駅 - 西明石駅間)、各駅停車(京阪神緩行線)との接続も極めて良好で日中は京都駅・高槻駅・大阪駅(平日ラッシュ時は除く)・芦屋駅・三ノ宮駅では各駅停車に、加古川駅では半数の普通列車と相互接続している。野洲駅では同駅止まりの列車と米原方面の普通列車が接続している。また播州赤穂駅発着の列車は相生駅で山陽本線・岡山方面行の列車に、播州赤穂駅では赤穂線・岡山方面行きの列車と相互接続を行っている。大阪駅(平日ラッシュ時)・明石駅・尼崎駅においても各駅停車と同時進入・発車がみられるが、列車線と電車線でホームが分かれているため、乗り換えはやや不便である。

平日の朝に以下の多層建て列車が設定されている。2010年3月13日のダイヤ改正では、以下の2本。

  • 網干駅6時22分発 前8両長浜行き 後4両湖西線経由敦賀行き(京都駅で切り離し)
  • 姫路駅7時32分発 前4両野洲行き 後8両近江今津行き(同上、野洲行きは京都駅から「普通」として運転)

また、米原駅で近江塩津駅・長浜駅始発を連結する運用が平日に1本ある。また、平日の大阪駅22時20分発は姫路駅で播州赤穂行き・網干行きを切り離している(赤穂線直通は「普通」として運転。)

全列車が223系1000・2000番台で、最長12両で運転されている。ただし、ホーム有効長の関係から12両で運転可能なのは近江今津駅・米原駅 - 網干駅間のみで、北陸本線長浜駅以北と湖西線永原駅以北は4両、それ以外の区間と新旭駅では8両に制限される。そのため、近江今津駅・米原駅・京都駅・姫路駅・網干駅で12両編成や8両編成を分割併合している。湖西線内を「快速」扱いで走る平日朝ラッシュ時の新快速に限り、近江今津駅から姫路駅まで12両運転を行っている。

2009年1月、2011年春のダイヤ改正より、東海道本線と山陽本線では新快速の全列車を12両編成化すると新聞報道された。現在建設中の大阪駅北ビルの開業や同駅南側にあるアクティ大阪の大幅増床により大阪駅の利用者が増え混雑集中が予想されるため全列車12両編成として混雑緩和を図るとされている。ただし、赤穂線・湖西線・北陸本線などの12両非対応区間については現在のところ公表されていない。

臨時停車・臨時列車

臨時停車

新快速には特に愛称を付与していないが、ハイキングやスキー客の利便を図るため、定期列車にレジャー号の愛称を付与したものとして次の列車がある。

  • 「湖西レジャー号」…土休日ダイヤの、朝の近江今津・敦賀方面行きの4本と、午後の敦賀からの4本を志賀駅に臨時停車している。案内には、新快速「レジャー琵琶湖」号と表記されることもある。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。過去には、比良駅に臨時停車する列車を「湖西レジャー号」としていることもあった[5]
  • 「湖北レジャー号」…午前中の長浜行3本、夕方の姫路行3本が安土駅に臨時停車していた[6]。現在は運転されていない。

また、毎年8月に開催されるびわ湖大花火大会の開催日に限り膳所駅にも停車する。

臨時列車
神戸ルミナリエで設定された臨時新快速(2009年12月)

沿線のイベントや行楽期においては、臨時列車の運転を行っている。

山陰本線嵯峨野線嵯峨嵐山駅への観光客輸送のため、臨時列車(一部列車の嵯峨野線内は定期列車の代行運転)として、京都駅で折り返して嵯峨野線内に乗り入れる「嵐山さくら号」「嵐山わかば号」「嵐山もみじ号」が春・夏・秋の行楽シーズンに運転され、高槻駅以西では新快速と案内されていたが、現在は運転されていない。「嵯峨野線#大阪方面からの臨時列車」も参照のこと。

湖西線マキノ駅すぐ近くの海津大崎で桜の見頃を迎える毎年4月第2土・日曜日とゴールデンウィークには、事前に通常の連結順序を入れ替え、京都駅での切り離しの際、本来なら京都駅止まりとなる8両編成を先に発車させた上で臨時列車として近江今津駅または永原駅まで運転し、残った4両が定期列車の敦賀行きとして続行運転することもある。

毎年8月に行われる神戸海上花火大会や、12月に行われる神戸ルミナリエ期間中は臨時新快速が設定されている。

また、青春18きっぷの利用期間中の土曜・休日を中心に、「赤穂備前ホリデー号」として岡山駅発着で延長運転したことがあった[6]が、1998年までに運転を終了しており、現在は運転されていない。このホリデー号には指定席が連結されていた。

歴史

新快速誕生以前を含む歴史については京阪神快速#歴史を参照されたい。

歴代の新快速用車両
117系によるJR西日本「新快速」(1990年8月、大阪駅
207系による「新快速」(2002年6月、尼崎

国鉄大阪地区・JR西日本、東海道山陽線新快速の使用車種

  • 113系電車:1970年10月 - 1972年3月。
    • 2004年10月10日にリバイバル新快速として、7両編成の湘南色車を使用し京都駅 - 西明石駅間を運転した。
  • 153系電車:1972年3月 - 1980年7月。制御車の一部は165系電車クハ165を使用。
  • 117系電車:1980年1月 - 1999年5月10日。1990年に115km/h化改造。
    • 2004年10月10日にリバイバル新快速として、12両編成の原色車を使用し、草津駅 - 姫路駅間を運転した。2009年4月4・5・11・12日に臨時新快速として永原駅 - 京都駅間で運転。
  • 221系電車:1989年3月 - 2000年3月。1990年3月10日に115km/h化、1991年3月16日から120km/h化。2000年以降も臨時で使用。
  • 223系電車1000番台・2000番台:1995年8月 - 。2000番台の投入とともに2000年3月11日から130km/h化。

JR西日本、東海道山陽線新快速の投入予定車種


阪和線

阪和線の新快速(1978年9月撮影)

阪和線の場合、実際にこの種別名で運行されたのは旧国鉄時代の1972年(昭和47年)から1978年までの間であった。しかし、「料金が別途かからない最速達列車」という事であればJR化以降に関空特快ウイングがあった。

なお、本節では旧国鉄時代のそれについて言及し、関空特快「ウイング」については関空快速・紀州路快速を参照されたい。

新快速の運行概要

1972年3月15日のダイヤ改正天王寺 - 和歌山間に設定された。途中停車駅はのみで、所要時間45 - 51分で阪和間を結んだ。最速便の所要時間は前身の阪和電気鉄道が設定していた超特急以来のものである。日中の9時台から15時台に1時間間隔で運行していた。

車両は、それまで東海道・山陽本線の快速・新快速に使用していた113系が、このダイヤ改正で東海道・山陽本線に登場した153系「ブルーライナー」と全く同じ専用のカラーリング(灰色9号地色に青22号特帯色)に塗装を変更して投入された。新造車両ではなかったものの阪和線では初めての冷房付きの車両で、いわゆる旧形国電中心だった阪和線の中では一際目立つ存在だった。円形に羽根を付けたデザインの専用ヘッドマークも新調の上装着された。そして1973年9月20日関西本線の湊町駅(現在のJR難波駅) - 奈良駅間が電化されると、関西本線快速用車両が当時の阪和線の車両配置区所であった鳳電車区所属となり、一部は阪和線と共通運用になったため、上記塗装とは帯色だけが異なるカラーリング(灰色9号地色に朱色3号帯色)の「春日塗り」の通称がある「関西快速色」の113系も充当されるようになった。「ブルーライナー」に採用された塗装はその後も「阪和色」の通称で呼ばれ、現在もほとんどがリニューアル色になったものの阪和線・紀勢本線用の113系で引き続き使用されており、当時を偲ぶことができる貴重な存在となっている。

阪和電鉄以来の速達運転を実現した新快速だったが、元々阪和間の直通需要は京阪神間に比べると規模が小さく、利用は限られていた。このため、1977年には和泉砂川駅熊取駅を停車駅に追加し、所要時間は48 - 51分になった。しかし、大きく利用状況は改善せず、紀勢本線が電化された1978年10月2日のダイヤ改正で快速に統合される形で廃止された。

2007年現在では、天王寺 - 和歌山間の所要時間は南紀系統の特急列車で40分を切っているが、料金不要の列車では、新快速廃止以降は50分を切るものは運行されていない。現在の快速電車は土・休日ダイヤの早朝下り2本を除いた全ての便が60分以上を要しており、大阪駅直通列車の大阪駅までの所要時間は1時間20分を越えている。一方、阪和間の輸送で競合する南海電鉄は、南海線特急(指定席でなければ特急料金不要)で難波駅 - 和歌山市駅間最速で58分となっており、JR西日本と私鉄が競合する区間としては珍しく競合私鉄側に優位を許している[7]

歴代の新快速用車両

阪和線新快速


JR東海

JR東海「新快速」(313系、2005年8月豊橋駅にて撮影)

JR東海の新快速の英語表記は、New Rapid Trainである。

概要

JR東海が東海道本線浜松駅 - 米原駅間に設定している快速列車の一種である。同線では他に「特別快速」と「快速」、そして「区間快速」といった列車種別が存在する。それぞれに微妙な停車駅の違いがあり、単にそれらを区分するための種別の一つとして「新快速」があるといえる。他の種別との違いは以下のとおりである。

これらの違いは、すべて名古屋駅以東の停車駅の違いによるものであり、名古屋以西での違いはない。ただし、1999年12月のダイヤ改正までは、穂積駅には快速は停車し新快速は通過するという違いがあった。

停車駅

基本的な停車駅は以下のとおり。

浜松駅 - (この間各駅停車) - 豊橋駅 - <三河大塚駅*> - <三河三谷駅> - 蒲郡駅 - <幸田駅> - 岡崎駅 - 安城駅 - 刈谷駅 - 大府駅 - 金山駅 - 名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - (この間各駅停車) - 米原駅

  • <>内の駅は一部の列車のみ停車。 *印は土休日のみ上りの一部列車が停車。

運行状況

  • データイム(日中)
    • 快速と交互に15分間隔で運転されるのが基本である。主に豊橋駅 - 大垣駅間に設定されている。原則として岐阜駅・名古屋駅・刈谷駅・岡崎駅で普通列車と緩急接続を行う。
  • ラッシュ時(豊橋駅 - 名古屋駅)
    • 平日朝の豊橋方面から名古屋方面への下り列車は、特別快速との交互運転が基本であり、運転間隔は合わせて8分となるほか、一部に岡崎駅発着列車がある(土休日は非パターンダイヤで1時間約5本となり、岡崎駅発着列車はない)。また、夕方から夜にかけての豊橋方面行き上り列車は、特別快速との15分間隔の交互運転が基本となり、一部時間帯では運転間隔が短縮される。幸田駅・三河三谷駅のいずれかに停車(両方とも停車する列車もあり)する。21時台以降は、区間快速との交互運転となる。
  • ラッシュ時(名古屋駅 - 大垣駅)
    • 朝の大垣方面から名古屋方面行きの上り列車は、20分に快速2本・新快速1本の体制で運転される。夕方の大垣方面行きは特別快速との15分間隔の交互運転が基本で、一部快速(金山駅 - 米原駅間の運転で稲沢駅にも追加停車)が加わり10分間隔となる時間帯もある。一部は米原駅まで直通する。

車両は313系が用いられ、2006年10月1日のダイヤ改正からは同5000番台が中心となっている。過去には、313系と311系との併結運転、311系や117系211系を使用した列車設定もあった。117系は2008年3月15日の改正より平日朝の岡崎駅発着列車に限り復活した。

名古屋駅からの標準所要時間は、豊橋駅まで46分、浜松駅まで78分、大垣駅まで30分となっている。日中の下り列車は名古屋駅 - 尾張一宮駅間を9分45秒(尾張一宮駅15秒停車)、尾張一宮駅 - 岐阜駅間を7分45秒で走り、名岐間の表定速度は102.4km/hに達する。

歴史

設定以前の状況

117系

国鉄時代末期になるまで東海道本線(豊橋駅 - 名古屋駅 - 大垣駅間)は日中1時間あたり快速1本・普通1本のとても貧弱な様相であった。1971年に運転を開始した快速に使用していた153系(155系・159系含む)の取替にあたって私鉄対抗で好評を得ていた117系1982年(昭和57年)に投入し「東海ライナー」と命名したが、当時の普通列車は本数が少なく、米原・大垣と静岡・熱海・東京との直通運転が多かったために運転間隔も統一されていないなど、「使いやすいダイヤ」には程遠い状態であった。対する当時の名古屋鉄道名古屋本線では、特急・高速・急行を合わせて毎時約7本が設定されており、国鉄の輸送実績はこれに遠く及ばないものであった。

民営分割化がいよいよ目前に迫った1986年(昭和61年)11月の国鉄最後のダイヤ改正で名古屋鉄道管理局は名古屋都市圏の普通列車の輸送改善を目玉として6両編成9本の117系を新製先頭車を加えて4両編成18本にするなど、豊橋 - 大垣間で快速列車と普通列車の大幅な増発を実施しフリークエンシーを向上させた。さらに翌春誕生したJR東海はこの区間を東海道新幹線に次いで経営上重要な区間として位置付け、新型車両の投入と増発により、並走する名鉄名古屋本線に対抗していくことになる。

フラッグシップとしての新快速時代

311系

1989年(平成元年)3月に新快速がはじめて設定された。運行区間は蒲郡駅 - 大垣駅間に限定され、また当時は岐阜駅 - 大垣駅間はノンストップであった。車両は当初117系が用いられ、最高速度は110km/hであったが、同年7月に311系を新造、新快速に集中的に投入することにより、最高速度が120km/hに引き上げられた。その後1年を経て、311系は増備が続けられ新快速の全列車に投入されるとともに、運行区間も豊橋 - 大垣間に拡大している。これにより、新快速=311系、快速=117系という棲み分けがなされ、120km/h運転を行う新快速は、快速に比べて特別なフラッグシップ的存在となっていた。一方快速はこの頃から運転区間が浜松駅 - 米原駅間と比較的長距離を走る列車も増えていった。

この頃から並行する名鉄名古屋本線との立場が逆転し、優位に立つようになる。劣勢になった名鉄では1990年に特急券不要の高速を特急に格上げし、名古屋本線では一部指定席の特急が登場した。さらに翌年には専用車両(一部指定席車の1000・1200系「パノラマSuper」)を登場させ、巻き返しを図っていった。停車駅面では知立駅新安城駅通過の列車が増えていった。

快速との性能統一・特別快速の設定

1999年(平成11年)に313系が登場し、311系を置き換える形で新快速に投入され、同年12月4日の改正で日中の列車はすべて313系となった。最高速度は120km/hのままであるが、加速性能の向上により所要時間の短縮を実現している。また、朝方はこの改正時に同時に新設した特別快速にほとんどが変更された。この改正で、日中の普通列車を大垣折り返しから岐阜折り返しに短縮したことに伴い、岐阜 - 大垣間の快速・新快速は各駅に停車するようになった。同時に幸田、三河三谷に停車する列車も夕方以降に新設された。この列車は夕方以降の快速を格上げした列車であり、ラッシュ時には米原や浜松方面へ直通する列車も増発された。

ここでの大きな変化は、快速にも313系が投入されたことにより、新快速と快速の性能統一がなされたことが挙げられる。全体の底上げを行うことで、旧来の「停車駅が少なく、スピードが速い」という新快速のフラッグシップ的な要素は消え、「停車駅が1駅少ない快速」の位置付けに変化した。同時に登場した特別快速も同様である。

313系の大量投入により、それまでの新快速運用に充当されていた311系は普通列車に用いられることとなった。ただし、高速性をさほど必要としないラッシュ時間帯には311系も用いられ、同時間帯には117系の新快速も再設定された。これは、停車駅が1駅少ない快速となったことを受けてのものであり、313系の新快速より所要時間に余裕を持ったダイヤで運行された。

そのほか、313系の投入により、朝夕に豊橋で2両を分割した飯田線への直通運転が行われ、豊川・新城方面からの通勤サービスが図られていた。飯田線直通の大半は特別快速であったが、一部は新快速の列車もあった。

輸送力増強

2006年に投入された313系5000番台

2006年(平成18年)10月1日ダイヤ改正において、終日混雑が激しい東海道本線の快速列車増強が実施された。新たに313系5000番台72両を投入し、昼間時においてはそれまでの4両編成から6両編成に編成を増強するとともに、朝夕のラッシュ時の増発および編成増強も行われている。一方で、飯田線への乗り入れは全廃されたほか、浜松への直通列車は大幅削減となった。

また、三河三谷および幸田については、これまで一部の快速・新快速で千鳥停車が行われてきたが、この改正で両駅に停車する新快速も設定された。一方で、両駅ともに停車する「快速」は設定されていないことから、「新快速」の位置付けはさらに曖昧なものとなり、「共和を通過する快速」との意味合いのみが残ったと言える。このほか、土休日においては、ラグーナ蒲郡へのアクセス改善として三河大塚停車の新快速(上りのみ)も設定された。

2008年(平成20年)3月15日の改正では、平日朝に岡崎駅発着の新快速が3本増発された。313系では車両運用に余裕がなく、117系での運転となっている。また、深夜にも増発が行われ、豊橋駅発下りの最終が22時56分となり名鉄特急の最終(22時45分発)より遅くなったほか、岡崎発の列車なども増発された。

歴代の新快速用車両

JR東海で運行された車両を以下に記す。現在は原則として313系電車のみの運行である。

117系電車
営業最高速度110km/h。1989年3月から1990年まで用いられたが、その後311系電車に置き換えられて運用が消滅。1999年12月改正で夜の浜松発米原行き(2001年10月改正より夕方の豊橋発米原行き)1本のみ再設定されたが、2006年10月改正で設定が消滅。2008年3月改正で平日朝の岡崎発名古屋行き2本、米原発岡崎行き1本に使用。加えて2009年3月改正に夜の豊橋発大垣行き1本が設定された。
211系電車(0番台)
営業最高速度110km/h。後に120km/hに改造され、311系と共通の性能とされた。1990年まで新快速の運用に充当されていたが、117系同様311系化により運用消滅。その後、2003年10月改正で夕方1本の大垣発豊橋行きのみ再設定されたが、2006年10月以降設定なし。
311系電車
営業最高速度120km/h。1989年7月より主力として運行されたが、1999年12月改正時に313系に置き換わる形で日中の新快速運用がほぼ消滅し、ラッシュ時のみの設定となる。その後の2006年10月改正時に、313系の追加投入が行われ、設定が一旦消滅した。2009年3月現在は朝に豊橋発大垣行き1本が設定されている。
313系電車(0番台・5000番台)
営業最高速度120km/h。130km/h運転準備工事済みであるほか、311系に比べ加速性能が向上している。1999年から新快速の主力として運用。さらに2006年10月改正で5000番台が投入され、原則として終日すべての新快速が313系で運行されている。

脚注

  1. ^ より近い英語表記として、JR東海では特別快速にSpecial Rapid Trainとして使われている。
  2. ^ 最高速度130km/hによる高速運転は特別料金不要の列車としては日本最速である。 他に、料金不要で新快速と同じ最高130km/hの列車には千歳線快速「エアポート」・常磐線特別快速瀬戸大橋線快速「マリンライナー」(ただしエアポートのuシート・常磐線特別快速・マリンライナーのダブルデッカー車は有料)・つくばエクスプレス線(設定最高。通常は125km/h)・中央本線セントラルライナー」(料金不要区間は多治見駅 - 中津川駅)がある。
  3. ^ これは上り列車の場合、湖西線経由が大阪駅発15時15分(平日は18時22分もあり)を最後に運転されなくなることから、それを補完しつつ、日中は米原経由近江塩津折り返しとなっている大阪駅毎時30分発の列車をさらに敦賀駅まで延長する形で、米原駅 - 敦賀駅間の利便性を確保するため。
  4. ^ ただし、市販の時刻表の上では1本の列車として扱われている(途中停車駅は実に39駅に及ぶ)が、実際には敦賀駅を4両編成で出発し、米原駅で前方に8両編成を増結して合計12両編成で運行した後、網干駅(土曜・休日朝に運転している分は姫路駅)で敦賀駅始発の4両編成を切り離しているため、最終的に播州赤穂駅まで行くのは米原駅で増結した8両編成だけである。よって、敦賀駅→播州赤穂駅間を直通運転する車両運用は存在しない。
  5. ^ 平成9年《秋》の臨時列車の運転について (Internet Archive)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年8月22日
  6. ^ a b 平成9年《春》の臨時列車の運転について (Internet Archive)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年1月20日
  7. ^ 国鉄時代の京阪神間の競合他社に対する苦戦の理由のひとつには、標準軌の競合他社に対し1067mm狭軌であるため、車両の主電動機容積が限られることによる性能向上の限界があった(ただし、117系に試用されたMT54の120kWに対し西武101系の150kWや東武8000系の130kWなど、軌間を考慮しても国鉄車両は全般的に出力向上の面で出遅れていた)。これに対し南海は国鉄・JRと同様の1067mm軌間であるにも関わらず優位を許しているのは、阪和線が戦時買収によって国有化された「外様」路線であることが影響していると言われている。事実、場所を問わず戦時買収路線(南武線仙石線等)はいずれもJR化後に至るまで近代化が遅い。

関連項目