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「タシュケント」の版間の差分

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{{Otheruses|ウズベキスタンの首都|嚮導駆逐艦|タシュケント (嚮導駆逐艦)}}
{{Otheruses|ウズベキスタンの首都|嚮導駆逐艦|タシュケント (嚮導駆逐艦)}}

{{世界の市
{{世界の市
|正式名称 =タシュケント <!--必須-->
|正式名称 =タシュケント <!--必須-->
|公用語名称 =Toshkent<br/>{{flagicon|Uzbekistan}}<br/> <!--必須-->
|公用語名称 ={{lang|uz|Toshkent}}<br/>{{lang|uz|Тошкент}}<br/>{{flagicon|Uzbekistan}} <!--必須-->
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|画像 =Aerial view of Tashkent, Uzbekistan.JPG
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|画像の見出し = タシュケント市内の夜景(2019年撮影)
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|市旗 =Flag of Tashkent.svg
|市章 =Tashkent emblem.jpg
|市章 =Coat of Arms of Tashkent.svg
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|位置図 = <!--Tashkent JA.PNG-->
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|位置図B = {{Location map|Uzbekistan#West Asia#Asia Southwest|relief=1|float=center|label=タシュケント}}
|位置図2B = {{Maplink2|zoom=9|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2}}
|緯度度 =41 |緯度分 =18 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) =N
|緯度度 =41 |緯度分 =18 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) =N
|経度度 =69 |経度分 =16 |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) =E
|経度度 =69 |経度分 =16 |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) =E
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|下位区分名4 =
|規模 =市 <!--必須-->
|規模 =市 <!--必須-->
|最高行政執行者称号 =
|最高行政執行者称号 =市長
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|最高行政執行者名 =Rakhmonbek Usmonov
|最高行政執行者所属党派 =
|最高行政執行者所属党派 =
|総面積(平方キロ) =334.8
|総面積(平方キロ) =334.8
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|標高(フィート) =
|人口の時点 =2012年
|人口の時点 =2012年
|人口に関する備考 =<ref>{{Cite web|url=http://population-statistics.com/wg.php?x=&men=gcis&lng=es&des=wg&geo=-3&srt=dnpn&col=abcdefghinoq&msz=1500&geo=-225|title=World Gazetteer - Uzbekistán: Las ciudades más grandes con estadísticas de población|publisher=population-statistics.com|accessdate=2013-03-19}}</ref>
|人口に関する備考 =<ref name="population-statistics.com">{{Cite web |url=http://population-statistics.com/wg.php?x= |title=Uzbekistán: Las ciudades más grandes con estadísticas de población |accessdate=2013-03-19 |archiveurl=https://webcitation.org/6994ZhmSI?url=http://population-statistics.com/wg.php?x= |archivedate=2012-07-14 }}</ref>
|総人口 =2,197,907
|総人口 =2,197,907
|人口密度(平方キロ当たり) =
|人口密度(平方キロ当たり) =
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|ISOコード =
|ISOコード =
|公式ウェブサイト =http://www.tashkent.uz/
|公式ウェブサイト =http://www.tashkent.uz/
|備考 =
|備考 =
}}
}}
'''タシュケント'''は、[[ウズベキスタン]]の[[首都]]。ウズベキスタン北東部、[[シルダリア川]]の支流である[[チルチク川]]の流域に位置する歴史的な[[オアシス]]都市。


'''タシュケント'''({{lang-uz|'''Toshkent''', Тошкент}} {{IPA-all|tɒʃˈkent|}}、{{lang-ru|link=no|Ташкент, Tashkent}}, {{IPA-ru|tɐʂˈkʲent|}})は、[[ウズベキスタン]]の[[首都]]。人口219万人は中央アジア最大級である。ウズベキスタン北東部、[[シルダリヤ川]]の支流である[[チルチク川]]の流域に位置する歴史的な[[オアシス]]都市。
都市名は[[テュルク諸語|テュルク語]]で「石の町」という意味である。[[ウズベク語|現代ウズベク語]]表記は Toshkent、[[ロシア語]]表記は{{lang|ru|Ташкент}} (Tashkent)。[[ペルシア語]]表記では{{Lang|ru|تاشكند}} (Tāshkand)。'''タシケント'''と表記されることも多い。

==名前の由来==
都市名は[[テュルク諸語|テュルク語]]で「石の町」という意味である。[[ペルシア語]]表記では {{Lang|fa|تاشكند}} (Tāshkand) である。'''タシケント'''と表記されることも多い。

==地理==
===地区===
{{Image label begin|image=Tashkent city districts (2018) coloured.png|width=500|float=none}}
{{Image label |x=0.635|y=0.675|scale=500|text='''{{仮リンク|ベクテミール地区|label=ベクテミール|en|Bektemir}}'''}}
{{Image label |x=0.302|y=0.597|scale=500|text='''{{仮リンク|チランザール地区|label=チランザール|en|Chilonzor}}'''}}
{{Image label |x=0.640|y=0.570|scale=500|text='''{{仮リンク|ヤシュナバード地区|label=ヤシュナバード|en|Yashnobod}}'''}}
{{Image label |x=0.520|y=0.486|scale=500|text='''{{仮リンク|ミラバード地区|label=ミラバード|en|Mirobod}}'''}}
{{Image label |x=0.605|y=0.385|scale=500|text='''{{仮リンク|ミルザ・ウルグベク地区|label=ミルザ・<br>ウルグベク|en|Mirzo Ulugbek}}'''}}
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{{Image label |x=0.370|y=0.325|scale=500|text='''{{仮リンク|アルマザール地区|label=アルマザール|en|Olmazor}}'''}}
{{Image label |x=0.260|y=0.508|scale=500|text='''{{仮リンク|ウチュテパ地区|label=ウチュテパ|en|Uchtepa}}'''}}
{{Image label |x=0.455|y=0.535|scale=500|text='''{{仮リンク|ヤッカサライ地区|label=ヤッカサライ|en|Yakkasaray}}'''}}
{{Image label |x=0.545|y=0.302|scale=500|text='''{{仮リンク|ユヌサバード地区|label=ユヌサバード|en|Yunusobod}}'''}}
{{Image label |x=0.06|y=0.102|scale=500|text=''[[カザフスタン]]''}}
{{Image label |x=0.45|y=0.90|scale=500|text=''[[タシュケント州]]''}}
{{Image label end}}
[[File:Tashkent City districts.png|thumb|タシュケントの地区]]
[[File:Tashkent Downtown.jpg|thumb|タシュケントの通り]]
[[File:Tashkent Japanese Cemetery (Yakkasaray) 01aug2009-07.jpg|thumb|ヤッカサライ地区にある[[タシケント抑留日本人墓地]]]]

タシュケントは現在以下の地区({{lang-uz|Tuman}})に分かれている。
{| class="wikitable sortable"
|-
! 番号
! 地区名
! 人口 <br> (2009)<ref name=TD>{{ru icon}} [http://tashkent.uz/ru/articles/351/ Statistics of the subdivisions of Tashkent] {{Wayback|url=http://tashkent.uz/ru/articles/351/ |date=20150207152807 }}</ref>
! 面積 <br> ([[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]])<ref name=TD />
! 人口密度 <br> (人/km<sup>2</sup>)<ref name=TD />
! 地図
|-
|1
|'''{{仮リンク|ベクテミール地区|en|Bektemir}}'''
| 27,500
| 20.5
| 1,341
| [[File:Tashkent District 1 - Bektemir.png|50px]]
|-
|2
|'''{{仮リンク|チランザール地区|en|Chilonzor}}'''
| 217,000
| 30.0
| 7,233
| [[File:Tashkent District 2 - Chilanzar.png|50px]]
|-
|3
|'''{{仮リンク|ヤシュナバード地区|en|Yashnobod}}'''
| 204,800
| 33.7
| 6,077
| [[File:Tashkent District 3 - Hamza.png|50px]]
|-
|4
|'''{{仮リンク|ミラバード地区|en|Mirobod}}'''
| 122,700
| 17.1
| 7,175
| [[File:Tashkent District 4 - Mirobod.png|50px]]
|-
|5
|'''{{仮リンク|ミルザ・ウルグベク地区|en|Mirzo Ulugbek}}'''
| 245,200
| 31.9
| 7,687
| [[File:Tashkent District 5 - Mirzo Ulugbek.png|50px]]
|-
|6
|'''{{仮リンク|セルゲリ地区|en|Sergeli}}'''
| 149,000
| 56.0
| 2,661
| [[File:Tashkent District 6 - Sergeli.png|50px]]
|-
|7
|'''{{仮リンク|シャイハンターフル地区|en|Shaykhontohur}}'''
| 285,800
| 27.2
| 10,507
| [[File:Tashkent District 7 - Shaykhontohur.png|50px]]
|-
|8
|'''{{仮リンク|アルマザール地区|en|Olmazor}}'''
| 305,400
| 34.5
| 8,852
| [[File:Tashkent District 8 - Olmazar.png|50px]]
|-
|9
|'''{{仮リンク|ウチュテパ地区|en|Uchtepa}}'''
| 237,000
| 28.2
| 8,404
| [[File:Tashkent District 9 - Uchtepa.png|50px]]
|-
|10
|'''{{仮リンク|ヤッカサライ地区|en|Yakkasaray}}'''
| 115,200
| 14.6
| 7,890
| [[File:Tashkent District 10 - Yakkasaray.png|50px]]
|-
|11
|'''{{仮リンク|ユヌサバード地区|en|Yunusobod}}'''
| 296,700
| 41.1
| 7,219
| [[File:Tashkent District 11 - Yunusabad.png|50px]]
|}

[[トルキスタン総督府]]が置かれていた時代は4つの地区 (daha) から成り立っていた。ベシュヤグハチュ、ククチャ、シャイハンターフル、セブザール。

1940年に地区 ({{lang-ru|район}}) の見直しが行われ6地区に再編された。[[10月革命|オクティアブル]]、[[セルゲイ・キーロフ|キーロフ]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]、[[ミハイル・フルンゼ|フルンゼ]]、[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]、[[ヴァレリヤン・クイビシェフ|クイビシェフ]]。

1981年までに現在のような11地区に改編された<ref name="tga">Sadikov, A C; Akramob Z. M., Bazarbaev, A., Mirzlaev T.M., Adilov S. R., Baimukhamedov X. N., et al. Geographical Atlas of Tashkent (Ташкент Географический Атлас) (72 × 112) (in Russian) (2 ed.). Moscow. p. 64</ref>。

===人口===
;人口統計
1983年時点において、タシュケント256[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]圏内に住む人口は約1,902,000人であった。1991年には約2,136.600人へと増加した。タシュケントはソビエト連邦時代には[[モスクワ]]、レニングラード([[サンクトペテルブルク]])、[[キエフ]]に続く第4の都市であった。現在でもタシュケントは[[独立国家共同体|CIS諸国]]と[[バルト三国]]の中で第4の都市の地位を維持している。
2012年1月1日時点のタシュケントの人口は約2,309,300人であった<ref>{{Cite web|url=http://www.citypopulation.de/Uzbekistan.html|title=Uzbekistan - Toshkent Shari (Tashkent City)|publisher=citypopulation.de|accessdate=2013-05-23}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.gov.uz/en/regional_authorities/1342|title=Tashkent city administration|publisher=gov.uz|accessdate=2013-05-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130625045613/http://www.gov.uz/en/regional_authorities/1342|archivedate=2013-06-25|url-status=dead|url-status-date=2020-05}}</ref>。 (これには一時的な居住者が含まれていると推定されている<ref name="population-statistics.com"/>。)

現在のタシュケントの民族構成はウズベク人が多数を占め、2013年の調査では65.0%となっている。一方、ロシア人は1970年当時は40.8%を占めていたが2013年には18.0%まで急減している。これは、ウズベク人の流入や高出生率による人口増加と独立以降のロシア系住民の流出や低出生率によるものである。

また、民族調査ではウズベク人としてカウントされている[[タジク人]]も相当数いると見込まれる他、[[ウクライナ人]]、[[タタール人]]、[[クリミア・タタール人]]や[[ウイグル人]]、[[アルメニア人]]、[[高麗人]]、[[カザフ人]]などで構成される多民族都市となっている。タシュケントでは[[ウズベク語]]を理解しない人も少なくなく、ウズベキスタンでは独立時に[[ロシア語]]は公用語から排除され、ウズベク語への一本化が図られたもの、ロシア系住民の多いタシュケントではロシア語は広く共通語として用いられている。タシュケントのロシア人人口は最盛期には70万人に達していたが、[[2013年]]には42万人に減少した。それでも[[ロシア]]、[[ウクライナ]]国外の都市の中で、[[カザフスタン]]の[[アルマトイ]]に次ぐ人口規模となっている。

{| class="wikitable"
|-
|'''民族'''||'''1970年(人)'''||'''(%)'''||'''1989年(人)'''<ref name=autogenerated3>[http://www.fedy-diary.ru/?page_id=5762 М. Н. ГУБОГЛО ЭТНОДЕМОГРАФИЧЕСКАЯ И ЯЗЫКОВАЯ СИТУАЦИЯ В СТОЛИЦАХ СОЮЗНЫХ РЕСПУБЛИК СССР В КОНЦЕ 80-х » НАЧАЛЕ 90-х ГОДОВ | Fedy<!-- Заголовок добавлен ботом -->]</ref>||'''(%)'''||'''2008年(人)'''||'''(%)'''<ref>{{Cite web |url=http://toshkent.uz/ru/articles/354/ |title=Этнический состав населения Ташкента на 2008 год |accessdate=2018-12-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131022074041/http://toshkent.uz/ru/articles/354/ |archivedate=2013-10-22 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>||'''2013年(人)'''||'''(%)'''
|-
| '''[[ウズベク人]]''' || - || - || 907,842 || 44.2%|| -
|63.0 %|| 1,528,000 || 65.0%
|-
| '''[[ロシア人]]'''|| 564,880 || 40.8%<ref name=autogenerated3 /> || 699,262 || 34.0% || -
|20.0 %|| 423 000 || 18.0%
|-
| '''[[タタール人]]''' || - || - || 128,790 || 6.8% || -
|4.5 %|| 105,000 || 4.5%
|-
| '''その他''' || - || - || - || 15.0%|| -
|12.5|| - || 12.5%
|}


== 歴史 ==
== 歴史 ==
===古代===
タシュケントは[[ソグド語]]での古名を'''チャーチュ'''(c'c : Čāč)、またはチャーチュカンドともいい、[[ペルシア語]]でもチャーチュ( چاچ Chāch)と称し、アラビア語では'''シャーシュ'''( شاش Shāsh)と呼ばれた。『[[シャー・ナーメ]]』でもそのように記されている。チルチク川の形作るタシュケント・オアシスの主邑として、また[[カザフ草原]]・[[天山山脈]]北麓の[[遊牧]]地帯と[[トランスオクシアナ]]のオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として古代から繁栄した。
タシュケントは[[ソグド語]]での古名を'''チャーチュ''' (c'c : Čāč)、またはチャーチュカンドともいい、[[ペルシア語]]でもチャーチュ( چاچ Chāch)と称し、[[アラビア語]]では'''シャーシュ'''( شاش Shāsh)と呼ばれた。『[[シャー・ナーメ]]』でもそのように記されている。チルチク川の形作るタシュケント・オアシスの主邑として、また[[カザフ草原]]・[[天山山脈]]北麓の[[遊牧]]地帯と[[マー・ワラー・アンナフル]]のオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として古代から繁栄した。
[[康居]]の中心地であったと推定される。
[[康居]]の中心地であったと推定される。


国際交易では[[中国]]にまで名を知られ、『[[後漢書]]』以来'''石国'''と呼ばれた。また「チャーチュ」の音写として「者舌」(『[[魏書]]』)や[[隋]][[唐]]時代の「柘支」、[[玄奘三蔵]]の『[[大唐西域記]]』では「赭時」と書かれた。ソグド人が中国地域で用いた一字姓では、チャーチュ出身者は「石」姓を名乗った。[[750年]]には[[唐]]の将軍[[高仙芝]]が石国に侵攻したためにシャーシュ(チャーチュ)は[[イスラム帝国]]に支援を求め、[[タラス河畔の戦い]]のきっかけをつくった。その後、さまざまな[[イスラム王朝]]と北方の[[遊牧民]]の支配を経て次第に都市住民の[[イスラム教|イスラム]]化・[[テュルク]]化が進展した。[[サーマーン朝]]時代には''Binkath''とも呼ばれた。
国際交易では[[中国]]にまで名を知られ、『[[後漢書]]』以来'''石国'''と呼ばれた。また「チャーチュ」の音写として「者舌」(『[[魏書]]』)や[[隋]][[唐]]時代の「柘支」、[[玄奘三蔵]]の『[[大唐西域記]]』では「赭時」と書かれた。[[ソグド人]]が中国地域で用いた一字姓では、チャーチュ出身者は「石」姓を名乗った。[[750年]]には[[唐]]の将軍[[高仙芝]]が石国に侵攻したためにシャーシュ(チャーチュ)はイスラムの[[アッバース朝]]に支援を求め、[[タラス河畔の戦い]]のきっかけをつくった。その後、さまざまな[[イスラム王朝]]と北方の[[遊牧民]]の支配を経て次第に都市住民の[[イスラム教|イスラム]]化・[[テュルク]]化が進展した。[[サーマーン朝]]時代には''Binkath''とも呼ばれた。


===中世===
[[カラハン朝]]の10世紀末頃から「タシュケント」の名も現れる。[[1214年]]には[[ホラズム・シャー朝]]に、[[1219年]]には[[チンギス・カン]]に、それぞれ破壊される。しかし、[[ティムール朝]]そして[[シャイバーニー朝]]によって町は再建される。『[[西域番国志]]』によると、[[15世紀]]初頭、[[明]]の[[永楽帝]]の命を受けた[[陳誠 (明朝)|陳誠]]が、陸路でこの地(「達失干」と記録されている)を訪れている。
[[カラハン朝]]の[[10世紀]]末頃から「タシュケント」の名も現れる。[[1214年]]には[[ホラズム・シャー朝]]に、[[1219年]]には[[チンギス・カン]]に、それぞれ破壊される。しかし、[[ティムール朝]]そして[[シャイバーニー朝]]によって町は再建される。『[[西域番国志]]』によると、[[15世紀]]初頭、[[明]]の[[永楽帝]]の命を受けた[[陳誠 (明朝)|陳誠]]が、陸路でこの地(「達失干」と記録されている)を訪れている。


モンゴル帝国時代にはペルシア語の「チャーチュ」やアラビア語の「シャーシュ」で呼ばれるのが一般的であったようだが、[[ムガル朝]]の始祖[[バーブル]]は自伝である『[[バーブル・ナーマ]]』において「タシュケンドは書物には“シャーシュ”または“チャーチュ”と書かれて」いると述べており、彼が中央アジアで活躍した16世紀頃には既に「タシュケント」の方が[[ティムール朝]]の王族たちなどではより一般化していたらしいことがえる。都市の名前が「チャーチュ(シャーシュ)」から「タシュケント」へ変化した原因は、恐らく「チャーチュ」の音写に由来する「石国」を[[ウイグル]]地方などの[[テュルク語]]で直訳した形だと思われるが、これが現地でも使われるようになったのはウイグル地方と[[マーワラーアンナフル]]双方を領有していた[[チャガタイ・ハン国|チャガタイ・ウルス]]の影響が考えられる。
[[モンゴル帝国]]時代にはペルシア語の「チャーチュ」やアラビア語の「シャーシュ」で呼ばれるのが一般的であったようだが、[[ムガル朝]]の始祖[[バーブル]]は自伝である『[[バーブル・ナーマ]]』において「タシュケンドは書物には“シャーシュ”または“チャーチュ”と書かれて」いると述べており、彼が中央アジアで活躍した[[16世紀]]頃には既に「タシュケント」の方がティムール朝の王族たちなどではより一般化していたらしいことがえる。都市の名前が「チャーチュ(シャーシュ)」から「タシュケント」へ変化した原因は、恐らく「チャーチュ」の音写に由来する「石国」を[[ウイグル]]地方などの[[テュルク語]]で直訳した形だと思われるが、これが現地でも使われるようになったのはウイグル地方と[[マーワラーアンナフル]]双方を領有していた[[チャガタイ・ハン国|チャガタイ・ウルス]]の影響が考えられる。


===近代===
[[File:Plan of Tashkent 1865.JPG|thumb|left|[[1865年]]当時の街の区画]]
[[File:Ташкент_пассаж_Ариф-Ходжи.jpg|thumb|[[1917年]]当時の街の様子を描いた絵]]
タシュケントは、[[1809年]]には[[コーカンド・ハン国]]の支配下に入った。当時、人口は10万人を越えてロシアとの交易で栄える経済都市となった。
タシュケントは、[[1809年]]には[[コーカンド・ハン国]]の支配下に入った。当時、人口は10万人を越えてロシアとの交易で栄える経済都市となった。
[[1865年]]、[[ロシア帝国|帝政ロシア]]軍が夜間攻撃で侵攻、防御が堅固で激しい戦闘となったが制圧に成功、ロシアはタシュケントを直轄領に組み入れ、[[1867年]]に[[トルキスタン総督府]]が設置され、ロシアの中央アジア支配の拠点となった。旧市街の外側に[[ロシア人]]の住む新市街ができ、ロシア人商人などが続々と移住してきた。また、中央アジアをめぐるロシアと[[英国]]の衝突で、スパイの暗躍する町となった。[[1874年]]の[[トルキスタン軍管区]]設置や[[1889年]]の[[カスピ海横断鉄道]]延伸などの新事業に従事する労働者階級のロシア人は、やがて[[ロシア革命]]の中央アジアでの担い手となっていった。


[[1865年]]、[[帝政ロシア]]軍夜間攻撃で侵攻、防御が堅固で激しい戦闘なったが制圧に成功ロシアはタシュケントを直轄領に組み入れ、[[1867年]]に[[トルキスタン総督府]]が設置され、ロシア中央アジア支配の拠点となった。旧市街の外側に[[ロシア人]]の住む新市街ができ、ロシア人商人などが続々と移住してきた。また、中央アジアをめぐるロシアと[[英国]]の衝突、スパイの暗躍する町となった。[[1874年]][[トルキスタン軍管区]]設置や[[1889年]][[カスピ海横断鉄道]]延伸などの新事業従事する労働者階級のロシア人は、やが[[ロシア革命]]の中央アジアでの担い手となっていった。
ロシア革命起こると、[[トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国]]の首都とな再び中央アジアをめぐるロシアと英国衝突英国の{{仮リンク|フレデリック・ベイリー|en|Frederick Marshman Bailey}}らスパイの暗躍する町となった。[[1924年]]には[[ウズベク・ソビエ社会主義共和国]]に編入され、[[1930年]][[サマルンド]]に代わっ首都となった。


[[第二次世界大戦]]が起こると、[[ナチス・ドイツ]]の侵攻を受けた[[ヨーロッパ・ロシア]]から工場が疎開され、市の工業化が進み、ロシア人の割合も急増していった。
[[ロシア革命]]が起こると、[[トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国]]の首都となり、再び中央アジアをめぐるロシアと[[英国]]が衝突し、英国の{{仮リンク|フレデリック・ベイリー|en|Frederick Marshman Bailey}}らスパイの暗躍する町となった。[[1924年]]には[[ウズベク・ソビエト社会主義共和国]]に編入され、[[1930年]]、[[サマルカンド]]に代わって首都となった。
戦後、第386収容地区([[ラーゲリ]])が設置され、日本人の[[シベリア抑留]]の対象地のひとつとなった<ref>{{Cite book |和書 |author=長勢了治 |title=シベリア抑留全史 |publisher=原書房 |year=2013-08-08 |page=186,294 |isbn=9784562049318}}</ref>。日本人捕虜は、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たる[[ナヴォイ劇場]]の工事などに従事した。犠牲となった者の日本人墓地も残る。


===戦後から現代===
[[第二次世界大戦]]が起こると、[[ナチス・ドイツ]]の侵攻を受けた[[ヨーロッパ・ロシア]]から工場が疎開され、市の工業化が進み、ロシア人の割合も急増していった。戦後[[シベリア抑留]]を受けた日本人捕虜はここタシュケントにも回され、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たる[[ナヴォイ劇場]]の工事などに従事した。下記の地震にも全くの無傷という、過酷な強制労働にも関わらず見事な仕事を為し、道路・工場といった多くのインフラが今でも現役で機能し、それが現在ウズベキスタンで親日感情が高いことに繋がっている。
[[1966年]]4月26日、[[タシュケント地震|大地震]]に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊した。地震後、計画的な都市作りが行われたため、非常にソ連的な町並みとなった。ソ連時代、ウラル山脈の東で最大の都市であった。[[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)]]ではソ連の軍事的拠点となった。ウズベキスタン独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつある。
{{Clearleft}}


==経済==
[[1966年]]4月26日、[[タシュケント地震|大地震]]に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊した。地震後、計画的な都市作りが行われた。そのため非常にソ連的な町並みとなり、最盛期にはソ連で4番目の人口を誇る大都市に成長した。独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつあり、[[イスラム原理主義]]の動きも出ている。
[[File:Chorsu Bazaar 20141003 Uzbekistan 0840 Tashkent (16257413122).jpg|thumb|屋内中央市場 内部]]
===商業===
古来より、タシュケントは[[シルクロード]]の中継都市として多くのものが集まる物流の中心地として発展していた。現在でも大規模な[[チョルスー・バザール]]が所在するなど国内最大の商都である。
===都市開発===
* 中央アジアで2つしかない[[地下鉄]]のある都市である(もう一つは[[カザフスタン]]の[[アルマトイ]])。
* [[独立広場 (タシュケント)|独立広場]]には、かつてソビエト連邦でもっとも高い[[ウラジーミル・レーニン]]の像(約30m)が建設されていた。レーニン像は1992年に撤去され、代わりにウズベキスタンの位置を示した地球儀の像が設置された。
*ウズベキスタン政府、労働組合、民間の医療施設や歯科施設がある。
*[[アーンスト・アンド・ヤング]]、[[デロイト トウシュ トーマツ]]、[[プライスウォーターハウスクーパース]]、Gravamen Fidelis、Fides LLPなどのアメリカ合衆国やヨーロッパのコンサルティング会社の事務所がある<ref>{{Cite web |url=http://www.gff.uz/eng/index_eng.htm |title=GFF.uz |accessdate=2013-05-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100408151613/http://www.gff.uz/eng/index_eng.htm |archivedate=2010-04-08 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>。


== 気候 ==
==情報通信==
===マスメディア===
[[ケッペンの気候区分]]では[[地中海性気候]]に属する。夏は、7月の平均気温が27.8℃で、最高気温は40度に達する日も多く、暑さと乾燥が厳しいが朝晩は涼しくなる。冬は降水量が多く、1月の平均気温は1.9度と寒さはそれほど厳しくないため雨の場合が多いが、寒気による影響で積雪となることもある。年によってはマイナス15度前後まで下がることもあり、過去には-28.0度を記録している。年間平均気温は14.8度。年間総降水量は440mmである。
====放送局====
*複数のテレビ局と[[ケーブルテレビ]]局が中央アジア最大の建築物である[[タシュケントタワー]]から電波に乗せて放送を行なっている。


また、中央アジアでは最も早く[[2008年]]に[[デジタル放送]]が導入され、[[2015年]]を目処に完全移行する予定である<ref>{{Cite web|url=http://www.uzdaily.com/articles-id-4104.htm|title=Uzbekistan introduces digital TV broadcasting|publisher=UzDaily.com|date=2008-11-14|accessdate=2014-01-12}}</ref>。(その後、[[トルクメニスタン]]では[[2011年]]に<ref>{{Cite web|url=http://www.turkmenistan.ru/en/articles/15255.html|title=Turkmenistan to switch to digital TV broadcasting |publisher=turkmenistan.ru|date=2011-08-16|accessdate=2014-01-12}}</ref>、[[カザフスタン]]では[[2012年]]にデジタル放送が導入された<ref>{{Cite web|url=http://en.trend.az/regions/casia/kazakhstan/2043000.html|title=Kazakhstan launches digital broadcasting system|publisher=Trend News Agency|author=D. Mukhtarov|date=2012-07-03|accessdate=2014-01-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140112155500/http://en.trend.az/regions/casia/kazakhstan/2043000.html|archivedate=2014-01-12|url-status=dead|url-status-date=2020-05}}</ref>。[[キルギス]]と[[タジキスタン]]では[[2015年]]までにデジタル放送が導入される予定である<ref>{{Cite web|url=http://centralasiaonline.com/en_GB/articles/caii/newsbriefs/2013/09/20/newsbrief-03|title=Kyrgyzstan to implement digital broadcasting; new Kazakh channel coming |publisher=CENTRAL ASIA ONLINE|author=Asker Sultanov|date=2013-09-20|accessdate=2014-01-12}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.osce.org/tajikistan/94363|title=OSCE supports broader dialogue on digital broadcasting in Tajikistan |publisher=[[OSCE]]|date=2012-09-27|accessdate=2014-01-12}}</ref>。)
====新聞社====
*[[ウズベク語]]による新聞9紙が発行されており、その他に英字新聞4紙、ロシア語新聞9紙が発行されている。

==教育==
[[File:Toshkent Westminster University.jpg|thumb|ウェストミンスター国際大学タシュケント校のキャンパス]]
タシュケントには、[[ウズベキスタン科学アカデミー]]のような国内でも重要とされる科学研究所が設置されている。タシュケントには大学や研究所をはじめとする複数の[[高等教育]]機関がある。
===大学===
;主な大学
*[[タシュケント州立技術大学]]
*[[タシュケント情報技術大学]]<ref>[http://www.tuit.uz TUIT.uz]</ref>
*[[ウェストミンスター国際大学タシュケント校]]<ref>[http://www.wiut.uz WIUT.uz]</ref>
*[[ウズベキスタン国立大学]]<ref>{{Cite web |url=http://www.nuu.uz/ |title=NUU.uz |accessdate=2020-05-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190716131522/http://nuu.uz/ |archivedate=2019-07-16 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>
*[[世界経済外交大学]]
*[[:en:Tashkent State University of Oriental Studies|タシュケント国立東洋学大学]]
*[[タシュケント州立経済大学]]
*タシュケント州立外国語大学
*[[タシュケント・イスラム大学]]<ref>{{Cite web |url=http://www.tiu.uz/ |title=TIU.uz |accessdate=2020-05-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180812024418/http://tiu.uz/ |archivedate=2018-08-12 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>

===研究機関===
;主な研究所
*[[タシュケント自動車道路建設研究所]]<ref>[http://www.tayi.uz TAYI.uz]</ref>
*タシュケント建築研究所<ref>{{Cite web |url=http://www.tasi.uzsci.net/ |title=TASI.uzsci.net |accessdate=2020-05-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100501090233/http://www.tasi.uzsci.net/ |archivedate=2010-05-01 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>
*[[タシュケント州立法学研究所]]
*[[タシュケント金融研究所]]
*[[タシュケント小児医学研究所]]<ref>[http://www.tashpmi.uz Ташкентского Педиатрического медицинского института]</ref>
*[[シンガポール経営開発研究所タシュケント校]]<ref name="MDIS.uz">[http://www.mdis.uz MDIS.uz]</ref>
*[[タシュケント紡績軽工業研究所]]<ref>{{Cite web |url=http://titli.uz/en |title=TITLI.uz |accessdate=2013-05-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110831055525/http://titli.uz/en/ |archivedate=2011-08-31 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>
*[[タシュケント鉄道輸送技術者研究所]]<ref>{{Cite web |url=http://www.tashiit.uz/index-setlang-uk.html |title=Tashiit.uz |accessdate=2013-05-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100425133806/http://www.tashiit.uz/index-setlang-uk.html |archivedate=2010-04-25 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>
*東洋学研究所
===その他の教育機関===
*音楽学校
*国際ビジネススクール「ケラジャク・イルミ(Kelajak Ilmi)」<ref>{{Cite web |url=http://www.ibs.uz/ |title=IBS.uz |accessdate=2020-05-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171006161748/https://ibs.uz/ |archivedate=2017-10-06 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>
*[[タシュケント州立医学アカデミー]]<ref>{{cite web |author=Abror Musahonov, Uzb |url=http://www.tma.uz |title=Toshkent tibbiyot akademiyasi - Тошкент тиббиёт академияси |publisher=TMA.uz |date=2011-01-11 |accessdate=2013-05-04 }}{{リンク切れ|date=2020年5月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>

== 交通 ==
[[File:Tashkent Airport Wallner.jpg|thumb|[[タシュケント国際空港]]]]
[[File:Tashkent Railway Station.jpg|thumb|[[タシュケント駅]]]]
[[File:TashkentMetroMap.JPG|thumb|[[タシュケント地下鉄]]路線図<br>※現在4号線としてイエローラインを計画中]]
市内[[交通]]は、[[地下鉄]]、[[路線バス]]などがある。[[タシュケント地下鉄]]は、[[中央アジア]]初で、[[ソビエト連邦|ソ連]]時代にソ連で7番目の地下鉄として[[1977年]]に開業した(着工のきっかけとなったのは、1966年の地震である)。現在3路線で29駅。
===空港===
* [[タシュケント国際空港]]が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。ウズベキスタンとアジア、ヨーロッパ、北アメリカ大陸を結ぶ空の玄関口となっている。
<gallery>
File:TASHKENT AIRPORT.1 - panoramio.jpg|[[タシュケント国際空港]]のターミナル
</gallery>
===鉄道===
;代表となる駅
* [[タシュケント駅]]と南駅の2つがある。
;主な路線
*[[トランス・アラル鉄道]]
*[[トルキスタン・シベリア鉄道]]
*[[カスピ海横断鉄道]]
*[[タシュケント・サマルカンド高速鉄道]]
*[[タシュケント地下鉄]]
*[[タシュケント市電]] - 2016年廃止
<gallery>
File:Afrosyab.jpg|[[サマルカンド]]と約2時間で結ぶ[[タシュケント・サマルカンド高速鉄道]]のアフラシャブ号
File:Metro train 81-718.0-719.0 (cropped).jpg|[[タシュケント地下鉄]]の車両
</gallery>
===バス===
;路線バス
*[[タシュケント市営バス]]
*[[タシュケント市営トロリーバス]] - 2010年廃止
<gallery>
File:Mercedes-Benz O405 в Ташкенте.png|[[タシュケント市営バス]]
File:Канал Боз-су (Ташкент) возле парка 01.jpg|タシュケント市内の橋
</gallery>

==気候==
[[ケッペンの気候区分]]では[[地中海性気候]]に属する。夏は、7月の平均気温が27.8℃で、最高気温は40度に達する日も多く、暑さと乾燥が厳しいが朝晩は涼しくなる。冬は降水量が多く、1月の平均気温は1.9度と寒さはそれほど厳しくないため雨の場合が多いが、寒気による影響で積雪となることもある。年によってはマイナス15度前後まで下がることもあり、過去には-28.0度を記録している。年間平均気温は14.8度。年間総降水量は440mmである。
{{Weather box
{{Weather box
|location = タシュケント (1981-2010)
|location = タシュケント (1981-2010)
172行目: 405行目:
|Dec record low C = −29.5
|Dec record low C = −29.5
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|Jan precipitation mm = 53
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|Feb precipitation mm = 64
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244行目: 476行目:
}}
}}


== 観光 ==
[[File:Palace of Grand Prince Nikolai Konstantinovich 12-00.JPG|thumb|[[ウズベキスタン外務省迎賓館]]]]
[[File:Navoi opera 2023.jpg|thumb|right|[[ナヴォイ劇場]]]]
[[File:Tashkent museum of applied arts.jpg|thumb|[[ウズベキスタン国立応用美術館]]]]
[[File:Lac Tcharvak.jpg|thumb|[[チャルヴァク湖]]]]
1917年の[[ロシア革命]]で一旦古い町並みが破壊され、さらに[[1966年]]の[[タシュケント地震]]で古い建物はほとんどが破壊されたため歴史ある建物は数少ない。しかし、タシュケントはソビエト連邦時代に建設されたモニュメントなどの像が多く街に残っている。ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。<ref>[http://www.uzbek.jp/city/tashkent UZBEK friends(ウズベクフレンズ)]{{リンク切れ|date=2020年5月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>
===観光スポット===
;主な観光施設
* [[タシュケントタワー]]、中央アジアで最も高い建築物である。(375メートル)
*クケルダシュ・マドラサ、[[ブハラ・ハン国]]の[[アブドゥッラーフ2世]] (1557-1598) の治世に建設された[[マドラサ]]。現在[[マー・ワラー・アンナフル]]イスラム会により修復作業が行われている。内部を博物館へと作り変える議論も行われているが、2013年時点ではモスクとして使用されている。
*[[チョルスー・バザール]]、クケルダシュ・マドラサの付近に位置する。巨大な屋外[[バザール]]はタシュケント旧市街の中心的な役割を担っている。想像しうる全ての物が販売されているとされる。
*テリャシャヤフ・モスク (ハスト・イマーム・モスク)、このモスクには世界最古の[[クルアーン]] (イスラム教の教典) とされる[[ウスマーン写本]]が置かれている。殺害された第3代[[正統カリフ]]、[[ウスマーン・イブン・アッファーン|ウスマーン]]の血痕が付着しているとされる。[[ティムール]]により[[サマルカンド]]へと持ち帰られたと考えられている。[[トルキスタン総督府]]時代に一旦[[サンクトペテルブルク]]へと持ち去られたものの、1924年に再びウズベキスタンに返還された<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4581684.stm |title=Tashkent's hidden Islamic relic |author=MacWilliams, Ian |date=2006-01-05 |publisher=BBC News |accessdate=2013-05-04}}</ref>。
*ユーヌス・ハーン廟群、15世紀に建設された3つの[[霊廟]]の集合体。19世紀に修復作業が行われた。最大の霊廟は[[ムガル帝国]]の創始者[[バーブル]]の祖父であった [[ユーヌス (モグーリスタン)|ユーヌス・ハーン]]の墓である。
*[[ウズベキスタン外務省迎賓館]] (旧称: ニコライ・コンスタンチノヴィチ・ロマノフ大公宮殿)、[[1891年]]にロシア帝国の主な地域から追放されてタシュケントに住み始めたロシアの皇族[[ニコライ・コンスタンチノヴィチ]]の[[宮殿]]として建設され、現在は[[ウズベキスタン外務省]]の[[迎賓館]]として利用されている。以前には[[ウズベキスタン国立美術館]]として利用されていた。ソ連建築の中、イギリス風の建築は目立つ。
*[[ナヴォイ劇場|アリシェル・ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場]]、モスクワにある[[レーニン廟]]と同じ設計者である[[アレクセイ・シューセフ]]により設計された。[[第二次世界大戦]]の後、[[シベリア抑留]]により[[日本軍]][[捕虜]]らが多数タシュケントへと連行され、この建物の礎を築いた。
*[[タシケント抑留日本人墓地]]、ヤッカサライ市民墓地内にある[[日本人墓地]]。ウズベキスタンで亡くなった日本軍捕虜は884名、そのうちタシュケントで命を落とした87名が眠る<ref>[http://uz.iio.org.uk/tashkent_jpn_cemetery.htm タシケント抑留日本人墓地] | 中央アジアのクロスロード-ウズベキスタン</ref>。ヤッカサライ市民墓地の入り口前には、'''「ウズベキスタンで1940年代に生活した日本人の記録」資料館'''がある。
*[[ウズベキスタン国立美術館]]、世界各国の美術品約5万点の展示。主力は近世ロシアの美術品コレクション。手製の刺繍である[[スーザニ]]のような、19~20世紀の近代[[応用美術]]品とともに、ロシア帝国以前の[[ソグディアナ]]の壁画、[[仏像]]や[[ゾロアスター教]]美術のような美術品が展示されている。より興味深いのは、タシュケントに幽閉されていた[[ニコライ・コンスタンチノヴィチ]][[ロシア大公|大公]]が、自身の宮殿を華やかなものとするために[[エルミタージュ美術館]]から'''借りて'''、返還されなかった絵画の大規模コレクションである。美術館の後ろには小さな公園があり、1917年の[[ロシア革命]]と1919年の{{仮リンク|コンスタンチン・オシポフ|ru|Осипов, Константин Павлович}}の反乱で死亡した[[ボルシェヴィキ]]の荒れ果てた墓がある。ここには[[ウズベク・ソビエト社会主義共和国|ウズベクSSR]]初の大統領[[ユルダシュ・アフンババイェフ]]も眠っている。
*[[ウズベキスタン国立応用美術館]]、陶芸品など、19世紀前半の美術品約7000点が展示。伝統のある施設はロシア帝国の裕福な外交官から寄付されたものであり、施設自体が主な見どころとなっている。また19~20世紀の中央アジアやロシアの[[応用美術]]品が展示されている。
*[[ウズベキスタン国立歴史博物館]]、ウズベキスタン国内だけでなく中央アジア最古の歴史博物館である。
*[[アミール・ティムール博物館]]、鮮やかな青のドームと東洋風の内装が非常に目を引く建物。[[ティムール朝]]時代に関する展示を行なっている他、[[イスラム・カリモフ]]大統領の展示もある。隣接する[[アミール・ティムール広場]]には馬の背に乗った[[ティムール]]の像が設置されており、付近の広い庭園と噴水は市民の憩いの場となっている。
*ナヴォイ文学博物館、ウズベキスタン文学最大の英雄とされる[[アリー・シール・ナヴァーイー]](アリシェル・ナヴァーイー)を記念した博物館。レプリカの著書のほか、[[ペルシア語|ペルシア]]の[[カリグラフィー]]や15世紀の{{仮リンク|ペルシア細密画|label=ミニアチュール|en|Persian miniature}}などが展示されている。
* [[タシュケント動物園]]、水族館も併設。約370種の生物が展示されている。


アミール・ティムール広場に設置されていた[[ロシア正教会]]は[[1898年]]に建設されたが、[[2009年]]に取り壊された<ref>{{Cite web|url=http://www.uznews.net/news_single.php?lng=en&sub=&cid=8&nid=12165|title=Tashkent's central park is history|publisher=[[uznews.net]]|date=2009-11-25|accessdate=2013-05-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110724134738/http://www.uznews.net/news_single.php?lng=en&sub=&cid=8&nid=12165|archivedate=2011-07-24|url-status=dead|url-status-date=2020-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.uznews.net/news_single.php?lng=en&sub=&cid=8&nid=12165|title=Army memorial dismantled in Tashkent|publisher=[[uznews.net]]|date=2009-11-24|accessdate=2013-05-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110724134738/http://www.uznews.net/news_single.php?lng=en&sub=&cid=8&nid=12165|archivedate=2011-07-24|url-status=dead|url-status-date=2020-05}}</ref><ref>{{Cite web|publisher=Ferghana.ru|url=http://www.ferghana.ru/news.php?id=13819&mode=snews |title=МИД России указал послу Узбекистана на обеспокоенность «Наших»|date=2010-01-16|accessdate=2013-05-04}}</ref>。
<!--{{climate chart|タシュケント
|-3.1|5.7|55.0
|-1.5|7.8|47.0
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|-0.3|8.6|53.0
|float=right
|clear=both
|source=[http://www.climate-charts.com/Locations/u/UZ38457.php World Climate Charts]
}}-->


また、タシュケント郊外の[[チャルヴァク湖]]は行楽地として有名で、[[マリンスポーツ]]、[[ウィンタースポーツ]]を楽しむことができる。
== 交通 ==
市内[[交通]]は、[[地下鉄]]、[[路面電車]]などがある。[[タシュケント地下鉄]]は、[[中央アジア]]初で、[[ソ連]]時代にソ連で7番目の地下鉄として[[1977年]]に開業した(着工のきっかけとなったのは、[[1966年]]の[[地震]]である)。現在3路線で29駅。


==文化・名物==
;空港
===スポーツ===
* [[タシュケント国際空港]]が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。
[[File:Pakhtakor Markaziy Stadium.jpg|thumb|国立競技場、[[パフタコール・マルカジイ・スタジアム]]]]
;鉄道
====サッカー====
* [[タシュケント駅]]と南駅の2つがある。
[[サッカー]]はタシュケントで最も人気の高いスポーツであり、タシュケントを本拠地とするサッカークラブ、[[FCパフタコール・タシュケント]]、[[PFCロコモティフ・タシュケント]]、[[FCブニョドコル]]が国内最上位リーグの[[ウズベキスタン・スーパーリーグ|ウズベク・リーグ]]に参加している。FCブニョドコルは2008年に[[AFCチャンピオンズリーグ2008|AFCチャンピオンズリーグ]]の決勝トーナメントにまで進出、2012年には[[AFCチャンピオンズリーグ2012]]でベスト4にまで進出した。サッカー選手の[[ピーター・オデムウィンギー]]や[[サンジャール・トゥルスノフ]]もまたこの街の出身である。
* [[トランス・アラル鉄道]]
* [[トルキスタン・シベリア鉄道]]
* [[カスピ海横断鉄道]]
;バス
* [[タシュケント市営バス]]
* [[タシュケント市営トロリーバス]] - 2010年廃止


==== アイスホッケー ====
== 観光 ==
[[フモ・タシュケント]]は将来[[KHL]]加盟を目指すアイスホッケークラブで、2019年に発足。同市内の[[フモ・アリーナ]]が本拠。
ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。<ref>[http://www.uzbek.jp/city/tashkent UZBEK friends(ウズベクフレンズ)]</ref>


====テニス====
* [[タシュケントタワー]]・・・中央アジアで最も高い建築物。(375メートル)
世界でも有名な自転車競技選手[[ジャモリディネ・アブドヤパロフ]]はこの街の出身である。また、テニス選手の[[デニス・イストミン]]はこの街で育った。
* [[ウズベキスタン国立歴史博物館]]・・・中央アジア文明の発展が展示されている。
[[アクグル・アマンムラドワ]]や[[イロダ・ツルヤガノワ]]もまたタシュケント出身のテニス選手として名高い。
* [[タシュケント動物園]]・・・水族館も併設。約370種の生物が展示されている。
====新体操====
* [[ウズベキスタン国立美術館]]・・・世界各国の美術品約5万点の展示。主力は近世ロシアの美術品コレクション。
[[新体操]]選手の[[アリーナ・カバエワ]]や[[体操]]選手の{{仮リンク|アレクサンデル・シャティロフ|en|Alexander Shatilov}}はこの街の出身である。
* [[ウズベキスタン国立応用美術館]]・・・陶芸品など、19世紀前半の美術品約7000点が展示。
====カヌー====
* 迎賓館・・・ウズベクキスタンの歓迎館。ソ連建築の中、イギリス風の建築は目立つ。
[[カヌー]]競技の[[カヤック]]一人乗り500mスプリント前世界王者でオリンピック銅メダリストの{{仮リンク|ミカエル・コルガノフ|en|Michael Kolganov}}もまたタシュケント出身である<ref>{{Cite web |url=http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ko/michael-kolganov-1.html |title=Sports-reference.com |accessdate=2013-05-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203003447/http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ko/michael-kolganov-1.html |archivedate=2013-12-03 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>。
また、タシュケント郊外の[[チャルヴァク湖]]は行楽地として有名で、[[マリンスポーツ]]、[[ウィンタースポーツ]]を楽しむことができる。


== スポーツ ==
==対外関係==
===姉妹都市・提携都市===
[[FCパフタコール・タシュケント]]、[[ロコモティフ・タシュケント]]、[[FCブニョドコル]]が、タシュケントを本拠地とする[[サッカー]]クラブ。FCブニョドコルが、2008年における[[AFCチャンピオンズリーグ]]の決勝トーナメントにまで進出した。
{{colbegin|2}}
*{{flagicon|KGZ}}[[ビシュケク]]([[キルギス共和国]] [[特別市#キルギス|特別市]])
*{{flagicon|KAZ}}[[アスタナ]]([[カザフスタン共和国]] [[特別市#カザフスタン|特別市]])
*{{flagicon|KAZ}}[[アルマトイ]]([[カザフスタン共和国]] [[特別市#カザフスタン|特別市]])
*{{flagicon|JPN}}[[名古屋市]]([[日本国]] [[中部地方]] [[愛知県]])<ref>[https://hicbc.com/news/article/?id=0004C7DD 名古屋市とウズベキスタンのタシケント市が「パートナー都市協定」締結]</ref>
*{{flagicon|CHN}}[[北京市]]([[中華人民共和国]] [[直轄市 (中華人民共和国)|直轄市]])
*{{flagicon|KOR}}[[ソウル特別市|ソウル]]([[大韓民国]] [[特別市#大韓民国|特別市]])
*{{flagicon|PAK}}[[カラチ]]([[パキスタン|パキスタンイスラム共和国]] [[シンド州]])
*{{flagicon|TUR}}[[アンカラ]]([[トルコ共和国]] [[中央アナトリア地方]] [[アンカラ県]])
*{{flagicon|TUR}}[[イスタンブール]]([[トルコ共和国]] [[マルマラ地方]] [[イスタンブール県]])
*{{flagicon|BEL}}[[コルトレイク]]([[ベルギー|ベルギー王国]] [[フランデレン地域|フランデレン地方]] [[ウェスト=フランデレン州|ウェスト・フランデレン州]])
*{{flagicon|GER}}[[ベルリン]]([[ドイツ連邦共和国]] [[都市州]])
*{{flagicon|BUL}}[[ハスコヴォ]]([[ブルガリア共和国]] [[ハスコヴォ州]])
*{{flagicon|LVA}}[[リガ]]([[ラトビア|ラトビア共和国]] [[ラトビアの地方行政区画#直轄市|直轄市]])
*{{flagicon|MKD}}[[スコピエ]]([[北マケドニア共和国]] [[スコピエ地方]])
*{{flagicon|RUS}}[[モスクワ]]([[ロシア連邦]] [[ロシアの連邦市|連邦市]])
*{{flagicon|UKR}}[[ドニプロ]]([[ウクライナ]] [[ドニプロペトロウシク州]])
*{{flagicon|UKR}}[[キーウ]]([[ウクライナ]] [[ウクライナの地方行政区画#ウクライナの地方行政区画|特別市]])
*{{flagicon|USA}}[[シアトル]]([[アメリカ合衆国]] [[ワシントン州]] [[キング郡 (ワシントン州)|キング郡]])
*{{flagicon|EGY}}[[カイロ]]([[エジプト|エジプトアラブ共和国]] [[カイロ県]])
*{{flagicon|TUN}}[[チュニス]]([[チュニジア|チュニジア共和国]] [[チュニス県]])
{{colend}}


== 姉妹都市 ==
==ギャラリー==
<gallery>
{{Commons|Category:Tashkent}}
File:Tashkent City Park Lake.jpg|タシュケント市立公園
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* [[アスタナ]]({{KAZ}})
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== 脚注 ==
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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*[[ホテル・ウズベキスタン]]
*[[無名戦士の墓 (タシュケント)]]

== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20120628062555/http://toshkent.uz/ タシュケント市公式サイト]{{uz icon}}{{en icon}}{{ru icon}}


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2024年10月23日 (水) 06:25時点における最新版

タシュケント
Toshkent
Тошкент
ウズベキスタンの旗
タシュケント市内の夜景(2019年撮影)
タシュケント市内の夜景(2019年撮影)
タシュケントの市旗 タシュケントの市章
市旗 市章
位置
タシュケントの位置(ウズベキスタン内)
タシュケント
タシュケント
タシュケント (ウズベキスタン)
タシュケントの位置(West and Central Asia内)
タシュケント
タシュケント
タシュケント (West and Central Asia)
タシュケントの位置(西南アジア内)
タシュケント
タシュケント
タシュケント (西南アジア)
地図
座標 : 北緯41度18分 東経69度16分 / 北緯41.300度 東経69.267度 / 41.300; 69.267
行政
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
 行政区画 タシュケント特別市
 市 タシュケント
市長 Rakhmonbek Usmonov
地理
面積  
  市域 334.8 km2
標高 455 m
人口
人口 (2012年現在)
  市域 2,197,907人
  備考 [1]
その他
等時帯 UTC+5 (UTC+5)
市外局番 +998 71(2)
公式ウェブサイト : http://www.tashkent.uz/

タシュケントウズベク語: Toshkent, Тошкент [tɒʃˈkent]ロシア語: Ташкент, Tashkent, [tɐʂˈkʲent])は、ウズベキスタン首都。人口219万人は中央アジア最大級である。ウズベキスタン北東部、シルダリヤ川の支流であるチルチク川の流域に位置する歴史的なオアシス都市。

名前の由来

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都市名はテュルク語で「石の町」という意味である。ペルシア語表記では تاشكند (Tāshkand) である。タシケントと表記されることも多い。

地理

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地区

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タシュケントの地区
タシュケントの通り
ヤッカサライ地区にあるタシケント抑留日本人墓地

タシュケントは現在以下の地区(ウズベク語: Tuman)に分かれている。

番号 地区名 人口
(2009)[2]
面積
(km2)[2]
人口密度
(人/km2)[2]
地図
1 ベクテミール地区英語版 27,500 20.5 1,341
2 チランザール地区英語版 217,000 30.0 7,233
3 ヤシュナバード地区英語版 204,800 33.7 6,077
4 ミラバード地区英語版 122,700 17.1 7,175
5 ミルザ・ウルグベク地区英語版 245,200 31.9 7,687
6 セルゲリ地区英語版 149,000 56.0 2,661
7 シャイハンターフル地区英語版 285,800 27.2 10,507
8 アルマザール地区英語版 305,400 34.5 8,852
9 ウチュテパ地区英語版 237,000 28.2 8,404
10 ヤッカサライ地区英語版 115,200 14.6 7,890
11 ユヌサバード地区英語版 296,700 41.1 7,219

トルキスタン総督府が置かれていた時代は4つの地区 (daha) から成り立っていた。ベシュヤグハチュ、ククチャ、シャイハンターフル、セブザール。

1940年に地区 (ロシア語: район) の見直しが行われ6地区に再編された。オクティアブルキーロフスターリンフルンゼレーニンクイビシェフ

1981年までに現在のような11地区に改編された[3]

人口

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人口統計

1983年時点において、タシュケント256km2圏内に住む人口は約1,902,000人であった。1991年には約2,136.600人へと増加した。タシュケントはソビエト連邦時代にはモスクワ、レニングラード(サンクトペテルブルク)、キエフに続く第4の都市であった。現在でもタシュケントはCIS諸国バルト三国の中で第4の都市の地位を維持している。 2012年1月1日時点のタシュケントの人口は約2,309,300人であった[4][5]。 (これには一時的な居住者が含まれていると推定されている[1]。)

現在のタシュケントの民族構成はウズベク人が多数を占め、2013年の調査では65.0%となっている。一方、ロシア人は1970年当時は40.8%を占めていたが2013年には18.0%まで急減している。これは、ウズベク人の流入や高出生率による人口増加と独立以降のロシア系住民の流出や低出生率によるものである。

また、民族調査ではウズベク人としてカウントされているタジク人も相当数いると見込まれる他、ウクライナ人タタール人クリミア・タタール人ウイグル人アルメニア人高麗人カザフ人などで構成される多民族都市となっている。タシュケントではウズベク語を理解しない人も少なくなく、ウズベキスタンでは独立時にロシア語は公用語から排除され、ウズベク語への一本化が図られたもの、ロシア系住民の多いタシュケントではロシア語は広く共通語として用いられている。タシュケントのロシア人人口は最盛期には70万人に達していたが、2013年には42万人に減少した。それでもロシアウクライナ国外の都市の中で、カザフスタンアルマトイに次ぐ人口規模となっている。

民族 1970年(人) (%) 1989年(人)[6] (%) 2008年(人) (%)[7] 2013年(人) (%)
ウズベク人 - - 907,842 44.2% - 63.0 % 1,528,000 65.0%
ロシア人 564,880 40.8%[6] 699,262 34.0% - 20.0 % 423 000 18.0%
タタール人 - - 128,790 6.8% - 4.5 % 105,000 4.5%
その他 - - - 15.0% - 12.5 - 12.5%

歴史

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古代

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タシュケントはソグド語での古名をチャーチュ (c'c : Čāč)、またはチャーチュカンドともいい、ペルシア語でもチャーチュ( چاچ Chāch)と称し、アラビア語ではシャーシュ( شاش Shāsh)と呼ばれた。『シャー・ナーメ』でもそのように記されている。チルチク川の形作るタシュケント・オアシスの主邑として、またカザフ草原天山山脈北麓の遊牧地帯とマー・ワラー・アンナフルのオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として古代から繁栄した。 康居の中心地であったと推定される。

国際交易では中国にまで名を知られ、『後漢書』以来石国と呼ばれた。また「チャーチュ」の音写として「者舌」(『魏書』)や時代の「柘支」、玄奘三蔵の『大唐西域記』では「赭時」と書かれた。ソグド人が中国地域で用いた一字姓では、チャーチュ出身者は「石」姓を名乗った。750年にはの将軍高仙芝が石国に侵攻したためにシャーシュ(チャーチュ)はイスラムのアッバース朝に支援を求め、タラス河畔の戦いのきっかけをつくった。その後、さまざまなイスラム王朝と北方の遊牧民の支配を経て次第に都市住民のイスラム化・テュルク化が進展した。サーマーン朝時代にはBinkathとも呼ばれた。

中世

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カラハン朝10世紀末頃から「タシュケント」の名も現れる。1214年にはホラズム・シャー朝に、1219年にはチンギス・カンに、それぞれ破壊される。しかし、ティムール朝そしてシャイバーニー朝によって町は再建される。『西域番国志』によると、15世紀初頭、永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「達失干」と記録されている)を訪れている。

モンゴル帝国時代にはペルシア語の「チャーチュ」やアラビア語の「シャーシュ」で呼ばれるのが一般的であったようだが、ムガル朝の始祖バーブルは自伝である『バーブル・ナーマ』において「タシュケンドは書物には“シャーシュ”または“チャーチュ”と書かれて」いると述べており、彼が中央アジアで活躍した16世紀頃には既に「タシュケント」の方がティムール朝の王族たちなどではより一般化していたらしいことが窺える。都市の名前が「チャーチュ(シャーシュ)」から「タシュケント」へ変化した原因は、恐らく「チャーチュ」の音写に由来する「石国」をウイグル地方などのテュルク語で直訳した形だと思われるが、これが現地でも使われるようになったのはウイグル地方とマー・ワラー・アンナフル双方を領有していたチャガタイ・ウルスの影響が考えられる。

近代

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1865年当時の街の区画
1917年当時の街の様子を描いた絵

タシュケントは、1809年にはコーカンド・ハン国の支配下に入った。当時、人口は10万人を越えてロシアとの交易で栄える経済都市となった。 1865年帝政ロシア軍が夜間攻撃で侵攻、防御が堅固で激しい戦闘となったが制圧に成功、ロシアはタシュケントを直轄領に組み入れ、1867年トルキスタン総督府が設置され、ロシアの中央アジア支配の拠点となった。旧市街の外側にロシア人の住む新市街ができ、ロシア人商人などが続々と移住してきた。また、中央アジアをめぐるロシアと英国の衝突で、スパイの暗躍する町となった。1874年トルキスタン軍管区設置や1889年カスピ海横断鉄道延伸などの新事業に従事する労働者階級のロシア人は、やがてロシア革命の中央アジアでの担い手となっていった。

ロシア革命が起こると、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の首都となり、再び中央アジアをめぐるロシアと英国が衝突し、英国のフレデリック・ベイリー英語版らスパイの暗躍する町となった。1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入され、1930年サマルカンドに代わって首都となった。

第二次世界大戦が起こると、ナチス・ドイツの侵攻を受けたヨーロッパ・ロシアから工場が疎開され、市の工業化が進み、ロシア人の割合も急増していった。 戦後、第386収容地区(ラーゲリ)が設置され、日本人のシベリア抑留の対象地のひとつとなった[8]。日本人捕虜は、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たるナヴォイ劇場の工事などに従事した。犠牲となった者の日本人墓地も残る。

戦後から現代

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1966年4月26日、大地震に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊した。地震後、計画的な都市作りが行われたため、非常にソ連的な町並みとなった。ソ連時代、ウラル山脈の東で最大の都市であった。アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)ではソ連の軍事的拠点となった。ウズベキスタン独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつある。

経済

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屋内中央市場 内部

商業

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古来より、タシュケントはシルクロードの中継都市として多くのものが集まる物流の中心地として発展していた。現在でも大規模なチョルスー・バザールが所在するなど国内最大の商都である。

都市開発

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情報通信

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マスメディア

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放送局

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また、中央アジアでは最も早く2008年デジタル放送が導入され、2015年を目処に完全移行する予定である[10]。(その後、トルクメニスタンでは2011年[11]カザフスタンでは2012年にデジタル放送が導入された[12]キルギスタジキスタンでは2015年までにデジタル放送が導入される予定である[13][14]。)

新聞社

[編集]
  • ウズベク語による新聞9紙が発行されており、その他に英字新聞4紙、ロシア語新聞9紙が発行されている。

教育

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ウェストミンスター国際大学タシュケント校のキャンパス

タシュケントには、ウズベキスタン科学アカデミーのような国内でも重要とされる科学研究所が設置されている。タシュケントには大学や研究所をはじめとする複数の高等教育機関がある。

大学

[編集]
主な大学

研究機関

[編集]
主な研究所

その他の教育機関

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交通

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タシュケント国際空港
タシュケント駅
タシュケント地下鉄路線図
※現在4号線としてイエローラインを計画中

市内交通は、地下鉄路線バスなどがある。タシュケント地下鉄は、中央アジア初で、ソ連時代にソ連で7番目の地下鉄として1977年に開業した(着工のきっかけとなったのは、1966年の地震である)。現在3路線で29駅。

空港

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  • タシュケント国際空港が12km南東にある。ウズベキスタンのみならず中央アジア最大の空港である。ウズベキスタンとアジア、ヨーロッパ、北アメリカ大陸を結ぶ空の玄関口となっている。

鉄道

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代表となる駅
主な路線

バス

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路線バス

気候

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ケッペンの気候区分では地中海性気候に属する。夏は、7月の平均気温が27.8℃で、最高気温は40度に達する日も多く、暑さと乾燥が厳しいが朝晩は涼しくなる。冬は降水量が多く、1月の平均気温は1.9度と寒さはそれほど厳しくないため雨の場合が多いが、寒気による影響で積雪となることもある。年によってはマイナス15度前後まで下がることもあり、過去には-28.0度を記録している。年間平均気温は14.8度。年間総降水量は440mmである。

タシュケント (1981-2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 22.2
(72)
25.7
(78.3)
32.5
(90.5)
36.4
(97.5)
39.9
(103.8)
43.0
(109.4)
44.6
(112.3)
43.1
(109.6)
39.8
(103.6)
37.5
(99.5)
31.1
(88)
27.3
(81.1)
44.6
(112.3)
平均最高気温 °C°F 6.8
(44.2)
9.4
(48.9)
15.2
(59.4)
22.0
(71.6)
27.5
(81.5)
33.4
(92.1)
35.7
(96.3)
34.7
(94.5)
29.3
(84.7)
21.8
(71.2)
14.9
(58.8)
8.8
(47.8)
21.6
(70.9)
日平均気温 °C°F 1.9
(35.4)
3.9
(39)
9.4
(48.9)
15.5
(59.9)
20.5
(68.9)
25.8
(78.4)
27.8
(82)
26.2
(79.2)
20.6
(69.1)
13.9
(57)
8.5
(47.3)
3.5
(38.3)
14.8
(58.6)
平均最低気温 °C°F −1.5
(29.3)
0.0
(32)
4.8
(40.6)
9.8
(49.6)
13.7
(56.7)
18.0
(64.4)
19.7
(67.5)
18.0
(64.4)
12.9
(55.2)
7.8
(46)
4.1
(39.4)
0.0
(32)
8.9
(48)
最低気温記録 °C°F −28
(−18)
−25.6
(−14.1)
−16.9
(1.6)
−6.3
(20.7)
−1.7
(28.9)
3.8
(38.8)
8.2
(46.8)
3.4
(38.1)
0.1
(32.2)
−11.2
(11.8)
−22.1
(−7.8)
−29.5
(−21.1)
−29.5
(−21.1)
降水量 mm (inch) 53
(2.09)
64
(2.52)
69
(2.72)
61
(2.4)
41
(1.61)
14
(0.55)
4
(0.16)
1
(0.04)
6
(0.24)
24
(0.94)
44
(1.73)
59
(2.32)
440
(17.32)
平均降水日数 13.7 12.3 13.8 12.9 10.2 5.1 2.9 1.9 3.2 8.1 10.2 12.8 107.1
湿度 73 68 62 60 53 40 39 42 45 57 66 73 56
平均月間日照時間 124.0 112.0 155.0 240.0 310.0 360.0 403.0 372.0 300.0 248.0 150.0 124.0 2,898
出典1:Pogoda.ru.net[27], World Meteorological Organisation (number of precipitation days)[28]
出典2:Hong Kong Observatory (sun only)[29]

観光

[編集]
ウズベキスタン外務省迎賓館
ナヴォイ劇場
ウズベキスタン国立応用美術館
チャルヴァク湖

1917年のロシア革命で一旦古い町並みが破壊され、さらに1966年タシュケント地震で古い建物はほとんどが破壊されたため歴史ある建物は数少ない。しかし、タシュケントはソビエト連邦時代に建設されたモニュメントなどの像が多く街に残っている。ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多い。[30]

観光スポット

[編集]
主な観光施設

アミール・ティムール広場に設置されていたロシア正教会1898年に建設されたが、2009年に取り壊された[33][34][35]

また、タシュケント郊外のチャルヴァク湖は行楽地として有名で、マリンスポーツウィンタースポーツを楽しむことができる。

文化・名物

[編集]

スポーツ

[編集]
国立競技場、パフタコール・マルカジイ・スタジアム

サッカー

[編集]

サッカーはタシュケントで最も人気の高いスポーツであり、タシュケントを本拠地とするサッカークラブ、FCパフタコール・タシュケントPFCロコモティフ・タシュケントFCブニョドコルが国内最上位リーグのウズベク・リーグに参加している。FCブニョドコルは2008年にAFCチャンピオンズリーグの決勝トーナメントにまで進出、2012年にはAFCチャンピオンズリーグ2012でベスト4にまで進出した。サッカー選手のピーター・オデムウィンギーサンジャール・トゥルスノフもまたこの街の出身である。

アイスホッケー

[編集]

フモ・タシュケントは将来KHL加盟を目指すアイスホッケークラブで、2019年に発足。同市内のフモ・アリーナが本拠。

テニス

[編集]

世界でも有名な自転車競技選手ジャモリディネ・アブドヤパロフはこの街の出身である。また、テニス選手のデニス・イストミンはこの街で育った。 アクグル・アマンムラドワイロダ・ツルヤガノワもまたタシュケント出身のテニス選手として名高い。

新体操

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新体操選手のアリーナ・カバエワ体操選手のアレクサンデル・シャティロフ英語版はこの街の出身である。

カヌー

[編集]

カヌー競技のカヤック一人乗り500mスプリント前世界王者でオリンピック銅メダリストのミカエル・コルガノフ英語版もまたタシュケント出身である[36]

対外関係

[編集]

姉妹都市・提携都市

[編集]

ギャラリー

[編集]

出典

[編集]
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  36. ^ Sports-reference.com”. 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月4日閲覧。
  37. ^ 名古屋市とウズベキスタンのタシケント市が「パートナー都市協定」締結

関連項目

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外部リンク

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