「フランシスコ (ローマ教皇)」の版間の差分
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2013年4月27日 (土) 04:56時点における版
フランシスコ | |
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第266代ローマ教皇 | |
フランシスコ | |
教皇就任 | 2013年3月13日 |
先代 | ベネディクト16世 |
司祭叙階 | 1969年12月13日 |
司教叙階 | 1992年6月27日(ブエノスアイレス大司教) |
その他 | 2001年:枢機卿 |
個人情報 | |
出生 |
1936年12月17日(88歳) アルゼンチン、ブエノスアイレス |
原国籍 | アルゼンチン |
宗派 | カトリック |
居住地 | バチカン |
母校 | ブエノスアイレス大学 |
署名 | |
その他のフランシスコ |
フランシスコ(羅: Franciscus、伊: Francesco、西: Francisco、英: Francis、1936年12月17日 - )は、第266代ローマ教皇(在位:2013年3月13日 - )。就任[注 1]は3月19日であり、この日にサン・ピエトロ広場に於いて就任ミサを執り行った[1][2]。
呼称
新教皇の選出にあたり、日本のカトリック中央協議会は声明を発し、枢機卿自身は「フランチェスコ」とイタリア語で発音したが、「日本では英語の発音で『アッシジの聖フランシスコ』との呼び名が定着している」ので、混乱を避けるために「報道機関も英語読み[注 2]で統一してほしい」と要請した。そのとき、併せてアッシジのフランチェスコとの混同を避けるために「日本の教会は1世を付けて呼んでいく」と付言したが[3]、その後教皇庁大使館より日本カトリック中央協議会に通知があり、新教皇名には「1世」を付けないことになり、新教皇名を「教皇 フランシスコ」として各小教区・信徒・司祭・修道者に周知するよう指示がなされた[注 3]。
経歴
生い立ち
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)[注 4]は、1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス特別区フローレス区で、イタリア系移民の子として生まれた[4]。父のマリオ・ホセ・ベルゴリオは、ピエモンテ州のポルタコマーロ出身の鉄道職員であり、母のレジーナ・マリア・シヴォリもまたイタリア系移民の子で、ブエノスアイレス出身である[5]。夫婦は中流の労働者階層で5子をもうけたが、ホルヘ・マリオは幼少期に感染症により肺の一部を摘出している[6]。サレジオ会が経営するラモス・メジア学院(現在のウィルフリド・バロン学院)を経て[7]、ブエノスアイレス大学で化学を学び修士号を取得した。
イエズス会入会
ベルゴリオは1958年3月11日にイエズス会に入会し、ブエノスアイレス特別区ビジャ・デボト区の神学校で司祭になるための勉強を始め、1960年にまずブエノスアイレス州サン・ミゲル市のサン・ホセ高等学院で哲学を学んだ。その後1964年から1965年にかけて、サンタフェ州のインマクラーダ学院で文学と心理学の教鞭を執ることになり、1966年にはブエノスアイレスのサルバヴァドール学院でも同じ教科を教えた[8]。
1967年、ベルゴリオは本格的に神学の勉強を再開し、1969年12月13日にラモン・ホセ・カステジャーノ大司教によって司祭に叙階された。その後ブエノスアイレス州のサン・ミゲル神学院に進学し、修士号を取得して神学の教授に就任した[9]。
その指導力を高く評価されたベルゴリオは、アルゼンチン管区長に任ぜられ、1973年から1979年までの間この職を務めた。1980年にはサン・ミゲルの神学校の主任司祭に異動となり、1986年に任期を満了した。さらに、ドイツのフランクフルトのザンクト・ゲオルク神学院で博士論文の構想を練り、同僚の話によると、この時期ベルゴリオはドイツの神学者ロマーノ・グアルディーニに興味を示していたという[10][11]。その後アルゼンチンに帰国し、コルドバのイエズス会士たちの聴罪司祭として奉職し、同僚たちの霊的指導者となった[12]。また、この時期ドイツのアウクスブルクで『結び目を解くマリア』の絵に出会い、精確な複製をつくる許可を得て、その複製画をアルゼンチンに持ち帰っている[注 5]。これはアルゼンチンの聖母信仰にとってマリアへの重要な捧げものとなった[13]。リオデジャネイロの宗教学研究所の「レジーナ・ノヴァエス」によれば、こうしてもたらされた『結び目を解くマリア』は「悩みをかかえる人々を惹きつけた」という[14]。2005年にベネディクト16世に贈呈したカリス(聖杯)にも『結び目を解くマリア』の姿を描かせている[15]。
司教時代
ベルゴリオは1992年5月20日に、ブエノスアイレスの補佐司教およびアウカの名義司教[17]に指名され、同年6月27日にアントニオ・カラチーノ枢機卿(ブエノスアイレス大司教)の司式によって司教に叙階された。1997年6月3日にブエノスアイレス協働大司教に任命され、翌1998年2月28日、カラチーノ枢機卿の死去により後継としてブエノスアイレス大司教となった。また同年11月6日より、アルゼンチン居住の裁治権者をもたない東方典礼カトリック教会信者の裁治権者を兼任した[18][19]。
枢機卿時代
2001年2月21日に、ベルゴリオ大司教はサン・ロベルト・ベラルミーノ教会の司祭枢機卿の称号とともにヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命された。 枢機卿として、ローマ教皇庁の以下の5つの管理職的な地位に就いた。
- 典礼秘跡省 委員
- 聖職者省委員
- 奉献・使徒的生活会省委員
- 家庭評議会委員
- ラテンアメリカ委員会委員
2001年9月11日にニューヨーク大司教であるエドワード・イーガン枢機卿がアメリカ同時多発テロ事件ののち急遽帰国した秋に、ベルゴリオは教会会議で、書記として彼の代理を務めた。『カトリック・ヘラルド』によると、「交わりと対話に開放的な人物として好ましい印象を醸し出した」という[20][21]。 ベルゴリオ枢機卿は、その個人的な謙遜と教義上の保守主義と社会正義への関与で知られるようになり[22]、その質素な生活が謙遜の評判に貢献することになった。枢機卿は、宮殿のような司教館ではなく小さなアパートに居住し、お抱えのリムジンの使用をせずに公共交通を利用するという[23]。
ヨハネ・パウロ2世の葬儀直後の使徒座空位の間には、ベルゴリオ枢機卿は、聖座とローマ・カトリック教会を暫定的に統治する枢機卿団の一人になり、2005年のベネディクト16世が教皇に選出されるコンクラーヴェに、ベルゴリオは選挙枢機卿の一人として参加した。
カトリック系のジャーナリストのジョン・L・アレンによれば、ベルゴリオは2005年のコンクラーヴェにおいて、教皇の最有力候補であったという[24][22]。2005年9月、少数の枢機卿による非公式の日誌が公表され[25]、そこでは、ベルゴリオ枢機卿が、コンクラーヴェにおけるラッツィンガー枢機卿の主要な挑戦者として取り沙汰されていた。件の日誌では、3回目の投票でベルゴリオは40票を獲得し、4回目にして最後の投票で26票と数を落としたと主張されている[26]。イタリアの有力紙『ラ・スタンパ』は、選挙の間、ラッツィンガー枢機卿に対してベルゴリオ枢機卿が譲歩の姿勢に終始していたとし、ベルゴリオ枢機卿が枢機卿団に対して自分に投票しないようにと感情的な請願を出すにまで至ったと報じている[27]。
2005年のコンクラーヴェで当初教皇の最有力候補とみなされていたベルゴリオの得票数は、結局ラッツィンガー枢機卿の次席となった[28][29]。
2005年の司教の教会会議で次回教会会議のメンバーに選ばれた。また、同年11月8日に、ベルゴリオはアルゼンチンの司教の多数によってアルゼンチン司教会議の任期3年の議長に選出され、さらに2008年の11月11日には、議長に再選された。
枢機卿選出後のアルゼンチン国内での意見は分かれていた。ベルゴリオを支持する者はその禁欲的な生活を尊敬するが、同性結婚に関する彼の意見に拒絶反応を示したり、1970年代の軍事独裁政権に対する批判を不十分として遺憾とする者もいた[30][20][31][32]。未婚の母やエイズ患者に手をさしのべて社会正義を実現しようとする革新的施策を打ち出す一方で、妊娠中絶や避妊に反対する保守的な立場をとる新教皇について、アルゼンチンの歴史家エルサ・ブルソネは「保守と改革の両面性を持つ」と分析している[16]。
教皇選出
ベネディクト16世が2013年2月28日をもって生前退位したことを受け、その後継を選ぶために同年3月12日より実施されたコンクラーヴェにおいて、翌3月13日、新教皇の選挙権を持つ80歳未満の枢機卿115名による5回目の投票で新教皇に選出された[29]。 コンクラーヴェ開始前、ベルゴリオはすでに76歳と高齢であり、マスコミからは新教皇の有力候補とは見做されていなかった。そのため、新教皇としてベルゴリオの名前が発表された時には、各国のマスコミは大きな驚きをもって彼の名前を報道した。彼はマスコミの事前予想を完全に覆し、新教皇の選出に必要とされる枢機卿全体の3分の2を大きく上回る90票以上の得票をもって選出されたという[33]。
教皇の紋章銘“羅: Miserando atque eligendo”(憐れみをかけ、そして選び出す)は、聖ベーダ・ヴェネラビリスの説教の言葉から取られている。聖書時代には蔑まれていた徴税人という職業に就いていたマタイに関し、聖ベーダは次のように解説している。「イエスは徴税人(マタイ)を見つめて『憐れみ、そして選ばれ』、わたしについて来なさいと言った」[34]。つまり、イエスは慈しまれ(miserando)、そしてマタイを選んだ(eligendo)わけだが、このマタイの召命に関して、それは「因習的な感覚から離れた、慈悲に基づく人間への深い理解からだった」と新教皇は説明している[35]。マタイの召命にまつわる紋章銘が選ばれたのは、1953年の聖マタイの祝日に、17歳の青年ベルゴリオが修道生活への召命を受ける特別な体験が深く関係しているという[36]。
フランシスコは史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇である[37]。長らく日本で教鞭を執っていた現・イエズス会総長のアドルフォ・ニコラス師は「我々がいま知ることになった教皇の『フランシスコ』という名前は、貧しい人々への近さという福音的精神、素朴な人々との一体感、そして教会刷新への献身を想起させるものである」とし、その「質素、謙虚さ、豊富な司牧経験と霊的深さ」を称賛して[38]、イエズス会初の教皇選出を歓迎した。
ヨーロッパ以外の地域の出身者がローマ教皇に就くのは、シリア出身の第90代のグレゴリウス3世(在位:731年3月18日 - 741年11月28日)の帰天以来、1272年ぶりである[29]。また初めて「フランシスコ」(アッシジのフランチェスコの名に起源を持つ)を名乗るローマ教皇でもある。イタリア系アルゼンチン人であるベルゴリオ枢機卿が新教皇に選ばれたのは、「新教皇はヨーロッパ以外の出身者を」という時代の要請と「新教皇はヨハネ・パウロ1世以来35年ぶりにイタリア人から」というバチカンのおひざ元イタリアの願望の折衷案ではないかとする指摘がある[39]。この選挙結果に関しては、カトリック教会の国際化の表れであり大きな変化だと捉える意見と、アルゼンチンは南米で最もヨーロッパ的な国でありフランシスコはヨーロッパの伝統を継承した白人であるので、ベルゴリオが教皇に就任しても、ヨーロッパ人の伝統的な宗教としてのカトリック教会の性格に変化はないととらえる二つの対極的な意見がある[39]。
ローマと世界に向けて
またベルゴリオは、教皇の生前退位という600年ぶりの異例の中で開催されたコンクラーヴェで選出された教皇である。このような「異例ずくめ」は、教皇選出後に信徒に向かっての第一声「ウルビ・エト・オルビ」(ローマの聴衆と全世界に向けて授ける祝福)にも表れた。
「ご存じのようにコンクラーヴェの義務はローマに司教を与えることですが、兄弟である枢機卿団は、ローマの司教を得るために世界の果てまで行ってきたようです。まず、名誉教皇ベネディクト16世に主の祝福と聖母のご加護がもたらされるように祈りましょう」[40][41]
彼は、自分がヨーロッパ以外の出身であることに言及し、さらに生前退位した前教皇への気遣いを示した。
「私たちはこのローマ教会の旅路を、兄弟愛と愛と信頼とによって、司教と信徒とが一緒になって歩み始めます。大いなる兄弟愛を以って世界中で共に祈り合いましょう。この道は必ずや新しい福音宣教の実を結びます … いまここに、私は皆さまに祝福を与えたいと思います。ですがはじめに、皆さまのひとつの恩を求めたいと思います。新しいローマ司教たる私が人々を祝福する前に、主が私を祝福してくださるように皆さまに祈ってほしいのです。これは新しいローマ司教の祝福を求める人々の祈りであります … 私に対するこの祈りは黙ってするようにしましょう」[40][41]
このように司教と信徒との協働を宣言し、信徒に祈りを求めることで「信徒に支えられる司教」という自分の立場を明らかにした。これに応じにサンピエトロ広場の信徒が祈りをささげ歌を歌うと、
「ここに私は皆さまと全世界の善男善女に祝福を与える」[40][41]と最初の祝福を与えた。そして「明日は私はマリアのお祈りに行きます。皆さまはお体を気を付つけて。おやすみなさい」と締めくくった。
翌3月14日に「教皇フランシスコ」がしたことはローマの宿泊に使用したホテルの代金の支払いであり、その際の移動には枢機卿団のマイクロバスに同乗し、車内では「あなたがたの為した行い(自分の選出)を神がお赦しになるように」と枢機卿団に語りかけた[42]。また、午前中にイエズス会本部に直接電話をかけアドルフォ・ニコラス総長に教皇選出のお祝いの手紙の返礼をした[43]。
メディアに対しての初の会見では、「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」と語った[44][45]。
3月17日、選出後初めての日曜日、バチカン市国内の聖アンナ教会の説教において、「姦通の女」(ヨハネ8:1-11)の個所を引用し、「イエスは蔑みの言葉も、断罪の言葉も言いません。わたしたちが聞くのは、ただ愛の言葉、回心に招く憐れみの言葉だけです」と述べ、他者の振る舞いを非難したり断罪することではなく、「神の慈しみ」こそが世界を変えると力説した[46]。正午には教皇として日曜日恒例の「お告げの祈り」に臨み、サン・ピエトロ広場に集まった15万人の信徒に「神は慈悲を与え続ける … 神は慈悲を与えることにうんざりすることはない。うんざりするのは我々のほうだ」とユーモアを交えながら慈悲と寛容について説いた[47]。
同日、フランシスコは9言語のTwitterアカウントを用いて「親愛なる友よ、心から感謝します。私のために祈り続けてください。教皇フランシスコ」と投稿した[48][注 6]。新教皇のフォロワー(読者)は、4月17日現在、英語版、スペイン語版を中心に合計で500万人以上にのぼっている[49][50]。
選出に対する反応
ドイツの有力紙『南ドイツ新聞』は、「段ボールで寝る浮浪者は、これまでとは違う意味を持つ」として、「貧しさ」の福音的意味を強調する新教皇誕生の意義を考察し、薬物依存者更生施設で足を洗いその足に接吻するキリスト教界最高位の聖職者の写真を掲載した[51]。
日本では、上智大学神学部の山岡三治教授が「ベルゴリオ枢機卿の出身地の中南米は最大の信者を抱え、貧困問題もあり、大国を近くで冷静に見ている。環境問題や幼児虐待で、化学や心理学などにも通じる彼は最適任者だ」と歓迎の意を表し、「アッシジのフランチェスコは環境保護の聖人でもある。新法王は、貧しさや自然を愛する基本に戻ろうとしているのではないか。その人格で信用をつかみ、新たな教会を築いて欲しい」と述べて、新教皇への期待を表明した[52]。さらに、池長潤大司教は「教皇フランシスコは、全教会の賢明かつ力強い牧者としてわたしたちの働きを導き支え助けてくださることと確信します」と、日本カトリック司教協議会を代表して声明を発した[53]。また、アルゼンチンでの神学生時代に新教皇の指導を受けた、「日本二十六聖人記念館」館長のレンソ・デ・ルカ師は、「厳しいのは厳しいのですが、同時にとても人に理解があり、霊的指導者としても素晴らしい人。神学生が自立するよう促し、自分で考えるよう導いてくれました」と[54]、その人柄と卓越した指導力を回顧している。
3月29日、江戸初期に殉教した日本人のイエズス会士、ペトロ・カスイ・岐部の故郷である大分県国東市の熊毛小学校の児童44名が就任祝いの手紙をバチカンに送った[55]。
教皇就任以後
就任式
コンクラーヴェによる選出から7日目の2013年3月19日にフランシスコの教皇の就任式が行われ、これにより名実ともに教皇に着座した。フランシスコは就任式の所要時間をそれまでの3分の2に短縮する一方で、儀式前にサン・ピエトロ広場に集まった20万人もの信徒との触れあう時間を設けた。就任式では「弱者と環境を守ることが、死と破壊に勝利する方法である」「最も貧しく弱き者を抱擁する」と、教会の役割として社会的弱者の救済と環境保護を強調した[56][57]。
就任式典には132の国と地域の代表が出席した。フランシスコの母国のアルゼンチンのキルチネル大統領は教皇に最初に謁見した国家元首となったが、彼女はマルビナス諸島に帰属問題に関してフランシスコにバチカンの国家元首として協力を要請した[58][59]。同諸島の帰属問題をアルゼンチンと争っているイギリスからは、ベネディクト16世の就任式にはトニー・ブレア首相(当時)が出席したが、今回はデーヴィッド・キャメロン首相が欠席しグロスター公の出席にとどまった。ブエノスアイレスの大司教時代のフランシスコは「マルビナス諸島がアルゼンチンのもの」を発言したことがあり、首相の欠席は、その発言に対するイギリス政府による「冷遇」との憶測をよんだ。また中国を代表して台湾の馬英九総統が出席したことに関して、中華人民共和国は強い不快感を示した。なお就任式には、正教会、ユダヤ教、イスラム教など世界の諸宗教の指導者も参列した。
正教会からはコンスタンディヌーポリ総主教のヴァルソロメオス1世が出席しており、ローマ教皇の就任式に正教会の総主教が出席したのは1054年の東西教会の分裂以来、初めてのことである[60]。
サン・ピエトロ広場で教皇の誕生を見届けたアルゼンチン出身のある女性信者は、「私たちのようにバスに乗って、街を歩き、貧困について語る。一般の民衆に近い存在です」と新教皇の親しみやすさ語った[16]。
また母国アルゼンチンでは、ブエノスアイレス市から「教皇フランシスコの就任はアルゼンチン史上最も重要な宗教的イベントであると確信する」とのプレスリリースが出され、学生や公立私立の職員のために休校が命じられた[61]。ブエノスアイレス大聖堂前の広場にはパブリックビューイングの会場が設けられ、就任式がアルゼンチン時間では夜更けであったにもかかわらず多数の市民が駆けつけた[62]。
ミサでは「真の権力とは奉仕であることを忘れてはなりません。教皇の権力の行使もそうです。あなたがたは、ますます十字架の光の頂点にある奉仕へと迎え入れられるべきなのです」と語った[63]。
質素を好むフランシスコは教皇の指輪を金から銀の金メッキに変えた。十字架はそれまで使用してきた鉄の十字架を使用し伝統的に履かれていた赤い靴もやめて従来の黒い靴を履き続けることにした。また教会の透明性を高めるために教皇の住居をあらかじめ公開した[64]。
公開された教皇フランシスコの住居は、コンクラーヴェで枢機卿が宿泊に使用するサン・マルタ館の201号室で、同館に106あるスイートルームの一つである。コンクラーヴェでフランシスコが宿泊していたときに割り振られた部屋と比べると、この部屋は家具調度が少し上等といった程度のものだという。サン・マルタ館は、各国の聖職者などがローマに滞在するときに使用されるほか、観光客用のホテルとしても利用されている。教皇に選出されたフランシスコが、宮殿ではなく聖職者や観光客も泊まるホテルに住むことに関しては異論も出たが、「わたしは他の聖職者と一緒にいることに慣れている」として、ホテル住まいを決断したという[65]。
新教皇の始動
教皇は選出以降、自ら「教皇」を名乗らず、一貫して「ローマ司教」の呼称を用いている[66][67]。さらに教皇紋章の装飾のある伝統的な教皇の椅子の使用をやめて、バチカンで賓客用などに供される肘掛け椅子に教皇の椅子を取り換えた[68]。また、ミサにおいてはラテン語ではなくイタリア語を用いている[66]。
3月20日、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領と会談し、7月にリオデジャネイロ州で開催される「ワールドユースデー」と、サン・パウロ州にあるマリア巡礼地のアパレシーダを訪問する可能性について語った[69]。
3月23日、ローマ近郊のカステル・ガンドルフォにいる名誉教皇ベネディクト16世のもとを訪問し、会食した後、礼拝堂で教皇が名誉教皇に「我々は兄弟だ」と述べ、一緒に祈りを捧げた。生前退位した元教皇と教皇が会食した前例はなく、メディアでは「前代未聞」などと報じられた。このときに両者の会談の内容は明らかにされていないが、バチカンが抱える諸問題に関する教皇の業務の引き継ぎを行ったと推測される[70][71]。
3月24日、枝の主日のミサの説教において、「イエスは人々の心に深い希望を呼び覚まします。とくに身分の低い人、素朴な人、貧しい人、忘れられた人、世間の人々から見て取るに足りない人々の心のうちに。イエスは人間のみじめな状態をよく知っておられます。彼は神のあわれみのみ顔を示し、からだと魂をいやすために身をかがめます」と語った[72]。
また、サン・ピエトロ広場で行った説教では、「喜べ!男も女も悲しむな!キリスト教徒は決して悲しむな!決して落胆していてはいけません!」と語った[73]。
3月28日には、復活祭前の伝統行事「洗足式」をローマのカサル・デル・マルモ少年院で行った。教皇が足を洗った12人の収容者のうち女性が2人、イスラム教徒が1人いた。教皇が「洗足式」を少年院で行ったのは史上初めてであり、洗足の対象に女性や異教徒が選ばれたのも史上初である。少年院に収監されていた少年少女たちの多くが涙したという[74]。新教皇の決断は、ベネディクト16世が2007年に洗足の対象を、12人の司祭から12人の男子ローマ市民に改めた改革をいっそう推し進めたものであり、「恵まれない人々のための教会」の実践である[75]。ブエノスアイレス大司教在任中には、ベルゴリオは、「洗足式」のミサを病院や刑務所で執り行っていた[76][注 7]。
3月31日、復活祭のミサの説教において特に中東、アフリカ、北朝鮮と韓国に言及し[77]、「私たちは、死をいのちへと変え、憎しみを愛へと変え、復讐を赦しへ、戦争を平和へと変える、復活のイエスに望みを託しましょう」と語った[78]。また、ミサの後のウルビ・エト・オルビにおいて[77][78]、広場を見下ろすバルコニーから「アジア、とりわけ朝鮮半島に平和がもたらされんことを。和解の精神が育つよう祈る」と述べた[79]。
4月13日、教皇庁は、教皇庁改革などの提言を受けるため、フランシスコが世界各地の8名の枢機卿を指名したと発表した。他に1名の司教が事務局長を務める。10月1日から3日に初会合が持たれる[80][81][82][83][84][注 8]。
語録
— 教皇フランシスコ 語録
- 「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」[44][45] … メディアに対する初の会見にて。
- 「あなたがたの為した行いを神がお赦しになるように」[42] … 教皇に選出されたとき枢機卿団に語った言葉。
- 「私たちは歩みたいように歩み、多くのものを構築できます。しかし、イエス・キリストを告白しないならば、物事はうまくいきません。私たちは敬虔なNGOには成れても、教会に連なることも、主の花嫁となることもできません。誰でも、神に祈らない者は悪魔に祈っているのです。なぜなら、キリストを告白しないならば、悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性[注 9]を告白しているからです」[85] … 教皇選出後初めてのミサにて。
- 「日本のキリスト教共同体は、200年以上も聖職者なしで維持されたのです」[86][注 10] … 隠れキリシタンを例に挙げ、万事聖職者任せではなく信徒たちが自律的に信仰を貫くよう促した言葉。
- 「人が神を探す時、まず神が人を探されており、あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初に私たちを見出されます」[87][注 11] … 自らが神に出会った時の回顧を通し、神の慈悲について語った言葉。
思想・信条
フランシスコは質素な生活を好み、アルゼンチン時代から特に貧困問題に熱心に取り組んで来た[88]。分かりやすい言葉を選び、時にユーモアを交えた話し方も庶民的で親しみやすく、教皇選出後の初めての説教もラテン語ではなくイタリア語で行われた[42]。また3月17日の日曜日恒例の「お告げの祈り」におけるユーモラスな説教も、信徒たちから笑いを誘った。枢機卿に任命された時には、ローマでの任命式を見に行こうとする人々に対し「任命を祝うためにローマに行くことはない。代わりに飛行機代分のお金を貧しい人々にあげて欲しい」と呼びかけた[89]。 さらに、教皇就任式を控えた時期にも、同じく母国アルゼンチンの人々に対して「ローマに来る飛行機代があるなら、それを貯金に回すか、貧しい人に寄付するかして欲しい」とメッセージを発した。このような新教皇の慎ましい態度に関して、「アルゼンチンよ、泣かないで」(Don't Cry For Me Argentina)という有名なミュージカル『エビータ』の主題歌のタイトルをもじった、『アルゼンチン人よ、飛行機で来ないで』(Don't fly for me Argentina)の見出しで好意的に紹介したメディアもあった[90]。
「フランシスコ」という教皇の名は、コンクラーヴェにおける彼の得票数が全体の3分の2を超え、選出が確定的になった際に、隣に座っていたブラジルのクラウディオ・フンメス枢機卿から「貧しい人々のことを忘れないでほしい」と言葉をかけられ、この時に清貧と平和の使徒であった中世イタリアの聖人アッシジのフランチェスコの名前が思い浮かび教皇名に選んだと本人が語っている[91]。フランス司教団の代表であるベルナール・ポドヴァン司教によると、それは アッシジのフランチェスコの霊性を踏まえ、福音的な慎ましさと、とりわけ貧しい人々への配慮を示すものであるという[92]。また、その思想・信条は、第2バチカン公会議の開催を実現させたヨハネ23世や「微笑みの教皇」と呼ばれたヨハネ・パウロ1世と共通しているとの期待と評価も上がっている[93][94]。
前教皇のベネディクト16世が厳格な態度と博識を駆使した重厚な雰囲気の説教をしていたのに対し、新教皇フランシスコは、親しみやすい雰囲気の中で分かりやすい言葉遣いで説教をすることから、バチカンは教皇の交代から「24時間で劇的に変わった」と『ニューヨーク・タイムズ』は報じている。また、生涯のほとんどをアルゼンチンで過ごし、伝統色の強いアルゼンチンの教会の近代化に成功したとも言われている[42]。
ベネディクト16世が典礼の伝統を重んじ[95][96]、ラテン語典礼の復活を唱える超保守派聖ピオ十世会の司祭たちに対する破門を解除したりした姿勢とは「大きく異な」り[97][98]、フランシスコは、反動的な主張を掲げる「伝統派や原理主義者たち」を「主に不実な者」と呼んで、これら復古主義とは明確な一線を引く姿勢を明らかにしている[86]。
ヘブライズムの伝統に造詣が深く、大司教時代にラビ(ユダヤ教の聖職者)のアブラハム・スコルカとの『天と地について』(2010年)と題する共著がある[99]。
アルゼンチンでの政治的立場
キルチネル政権との関係
アルゼンチンの大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルとその夫で前任者のネストル・キルチネルの2人とベルゴリオとの間には、長年にわたり緊張関係が存在した。2人の大統領は共にリベラルな政策の推進者として知られ、学校での性教育の推奨、公立病院での避妊具の配布、トランスセクシュアルの性別変更の許可などを次々と実現し、2010年には、南アメリカで初めて同性結婚が合法化されている[100]。
2003年にアルゼンチンの大統領に選ばれたネストル・キルチネルは、翌年の独立記念日にブエノスアイレスの大聖堂で催されたベルゴリオの司式によるミサに出席した。そのときベルゴリオは、大統領に対して、一層の政治的な対話を要求し、大統領の不寛容や自己顕示や声高な自己主張を批判した[101]。そのためネストル・キルチネルは、翌年からミサに出席しなくなり、他の場所で独立記念日を祝うようになった[102]。以来ネストル・キルチネルは、ベルゴリオを政治的なライバルとさえ見做すようになった[103]。2007年の大統領選において当選したネストル・キルチネルの妻クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルとの間にも緊張した関係は継続した。ベルゴリオは、2008年の農業分野による政府内紛争の過程で政府がデモ隊を支援した際に、全国民に対して和解と平和を呼びかけた[103]。
キルチネル夫妻とベルゴリオの関係が緊張の頂点に達したのは、2010年の同性結婚合法化(7月15日成立)の時であった[103]。2010年6月22日、ベルゴリオはブエノスアイレスのカルメル会の修道女たち宛てに文書を発行し、「これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである」(歴代誌下20:15)という聖書の言葉を引用して、議員らが国のために善いことをするようにと祈るよう促した[104][105]。ベルゴリオの同性結婚反対キャンペーンに対し、ネストル・キルチネル前大統領はこれを「圧力」と批判し[106]、教会の姿勢を「中世の異端審問」に属するものであると断じて激しく非難した[107]。
2007年の「アパレシーダ文書」[108]の発表に際し、ベルゴリオは社会問題に言及し(後述詳細参照)、中絶や安楽死は、生命と家族に対する重大な犯罪を促進するものであり、この責任は特に国会議員と政府首脳と医療従事者とに帰するものであると言明した。アルゼンチン政府はこの声明に抗議し、ブエノスアイレス人権大学のギジェルモ・ゲリンは「アルゼンチンの社会問題に関わる教会の診断は正しいが、中絶や安楽死を混ぜ込むことは、少なくとも明確なイデオロギー的違法行為の一例である」と発言した[109]。
フォークランド紛争について
2012年4月にブエノスアイレスで開催されたフォークランド紛争30周年追悼ミサで、ベルゴリオは「戦没者と祖国を守るために、他国(イギリス)に強奪され、他国の物となった祖国の一部(フォークランド(マルビナス)諸島)を回復するために戦場に赴いた者のために祈りましょう」と参列者に呼びかけた。フォークランド紛争についてイギリスを批判したことは、キルチネル大統領の共感をよび、大統領はイギリスのデーヴィッド・キャメロン首相に対し、1960年の国連決議を尊重して「19世紀以来の露骨な帝国主義政策をやめるべきだ」という趣旨の公開書簡を送った[110][111]。2013年にベルゴリオが教皇フランシスコとしてバチカンの国家元首になると、キルチネルは最初の国賓としてバチカンでフランシスコと会見し、フォークランド紛争の仲介を求めた[110]。
一方ベルゴリオの教皇選出から2日後、イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相は「フォークランド諸島からは(コンクラーヴェの)白い煙は全然見えない」と言い放ち、「謹んで教皇聖下に反対申し上げる」と前置きした上で、「フォークランド諸島の帰属をめぐる住民投票の結果、1,500人余の島民の圧倒的多数が海岸領土の英国帰属を望み、望まないものはほんのわずかでございます。これが島民が世界に向けて発したメッセージであり、島民自身による未来の選択が尊重されるべきであるものと存じます」[112]と述べ、「アルゼンチン出身の教皇」の発言に反論した[113]。しかしながら一方、フォークランド諸島のカトリック教徒たちは教皇フランシスコの同諸島の訪問を希望している[114]。
他宗教・他教派との関係
フランシスコは、教皇選出以前から母国アルゼンチンにおいて他宗教・他教派との対話に積極的に取り組み、とりわけ、ユダヤ教・イスラム教・プロテスタント福音派等との間に信頼関係を構築することに貢献してきた。
ユダヤ教
ベルゴリオはアルゼンチンのユダヤ教コミュニティと親密な関係を築いており、2007年にはブエノスアイレスのシナゴーグで行われたユダヤ教のローシュ・ハッシャーナーに出席している。ベルゴリオがこの訪問に際しユダヤ教徒らに「兄であるあなた方と共に」自身の心を見つめるために訪れたと述べた[115]。
1994年にブエノスアイレスのユダヤ教コミュニティー・センターが爆破されるAMIAビル爆破テロによって 85人の犠牲者が発生したが、ベルゴリオはこの事件の11周年となる2005年に、未だ解決されていないこの事件に関して正義の実現を求める文書に署名した一人である。2010年10月には再建された際にも、ベルゴリオは AMIA ビルを訪問しユダヤ教の指導者らと会談している[115]。
ベルゴリオと共にユダヤ・カトリック共同の貧困者救済活動を行ったときの様子を回顧し、世界ユダヤ会議の元議長イスラエル・ジンガーは、「誰もが椅子に手をやり座るときに、ベルゴリオだけは椅子を取らず地べたに座ったこと」を思いだして、ベルゴリオの謙遜が特に印象的であったと記している[115]。
2012年にはブエノスアイレス・メトロポリタン大聖堂で水晶の夜追悼記念式典を共同で開催した[115]。
イスラエルの『エルサレム・ポスト』は、「ヨハネ・パウロ2世は、ユダヤ人のいる祖国ポーランドで幼少期を送り、ホロコーストによってユダヤ人コミュニティが失われた祖国ポーランドで大人になった。ヨハネ・パウロ2世と違い、新教皇フランシスコは、実生活においてブエノスアイレスのユダヤ人社会とも良好な関係を維持してきた」と論評した[99]。
また、キリスト教諸国における反ユダヤ主義に対して厳しい目を向けてきた米国最大のユダヤ人組織名誉毀損防止同盟(ADL)では、エイブラハム・フォックスマン会長自ら声明を発表し、「フランシスコ教皇の選出は、カトリック教会の歴史の上で意義ある瞬間」であり、教皇のこれまでの「経歴には未来に関して我々を安堵させるものがある」として、キリスト教とユダヤ教の友好的関係の構築に対する新教皇のこれまでの尽力を称賛した[116]。
イスラム教
アルゼンチンのブエノスアイレスのイスラム共同体の指導者は、ベルゴリオが「いつもイスラム共同体の友人としての態度を見せ」、「宗教間の対話以上のもの」を有していることを指摘してベルゴリオの教皇選出を歓迎した。ベルゴリオはアルゼンチンのモスクと神学校の両方を訪問し、イスラム布教指導者のシェイク・モフセン・アリー師にカトリック教会とイスラムコミュニティーの関係を強化することを呼びかけた。アルゼンチン共和国イスラムセンター (CIRA) 総長のスメル・ヌフリ師は、これまでのベルゴリオの行動から、イスラムコミュニティーが彼の教皇選出に「宗教間の対話の強化に対する喜びと期待」を持っていると述べた。ヌフリは10年以上にわたる CIRA とベルゴリオとの関係が、キリスト教徒とムスリムの対話構築を寄与してきたと発言した[117]。
プロテスタント福音派
アルゼンチン人のルイス・パラウなどプロテスタント福音派の指導者らは、ベルゴリオの友人でもあるブエノスアイレス大司教座の財務管理者が福音派の信徒であること指摘し、福音派と友好的な関係にあるベルゴリオの教皇選出を歓迎した。パラウによれば、ベルゴリオは、福音派の友人たちとくつろいでマテ茶を飲んだりするだけでなく、聖書を読んだり、共に祈ったりすることもあるという。ルイス・パラウは、福音派との関係について言及し、ベルゴリオが、両者の「架け橋を作り、敬意を示し、イエスの神性、処女受胎による降誕、磔刑後の復活、そして最後の審判での再来というカトリックと福音派の間の信仰上の共通点、また両者の相違点をも知る」者であるとしている。さらにパラウは、ベルゴリオの教皇選出により「両者の緊張は和らぐだろう」と予想している[118]。
他の福音派の指導者らも、アルゼンチンにおけるベルゴリオと福音派との関係に触れ、ベルグリオが「プロテスタントを良く理解する」者であるという理解において一致している。カトリックとプロテスタントの間の分断は、圧倒的にカトリックの多いアルゼンチンの家族でも時に見られ、教派間の対立の問題は、極めて重要な人間的課題である。しかし、「フランシスコが教皇に選出されることによって、プロテスタントとカトリックの間の違いについて、家族の間で、いっそう融和的な雰囲気のなかで対話が出来るようになるだろう」と、福音派の指導者たちは、ベルゴリオの教皇選出を歓迎している[119]。
宗教間の対話
ベルゴリオはまた、開放的な場で相互に敬意を払うことこそ、異なった宗教の相手からから学ぶための不可欠な前提であるとし[120]、ラビ(ユダヤ教の聖職者)のアブラハム・スコルカとの対話集『天と地について』[121]の中で、以下のように述べている[120]。
対話は他者に対する尊敬の態度、他者には言うに値する良いものがあるという確信からから生まれます。それは、他者の観点、意見、提案を受け入れる余地が心のなかにあることを前提にします。対話には、優しく受け入れることが伴います。はじめから非難することではありません。対話をするためには、防御の姿勢を解いて家の扉を開放し、人間的暖かさを受け入れることが必要なのです。
ブエノスアイレスの宗教的指導者たちは、ベルゴリオが「ブエノスアイレスの大聖堂を異なった宗教の儀式のために開放した人物」だと評した[122]。2012年11月にベルゴリオは、中東の平和を祈るために「ユダヤ教、イスラム教、福音派、正教会の信仰の指導者ら」を大聖堂に招いた。各宗教指導者らは、2013年の報道機関向けの共同声明のなかで、ベルゴリオが「他宗教との対話のための深い度量の持ち主」であり、枢機卿が「宗教間の分裂を修復させることがカトリック教会の大きな役目の一つと考えて」いると評した[122]。
教え
- 著書『天と地について』[121]における言説については「教皇フランシスコの神学」を参照
福音と司牧
イエス・キリストとの出会い
枢機卿に対する最初となる説教で、新教皇はイエス・キリストの存在の内に歩むことについて話し、枢機卿らと信徒に教会の使命と「イエスとの出会い」を強調した。
教皇は説教で「私たちは歩みたいように歩み、多くのものを構築できます。しかし、イエス・キリストを告白しないならば、物事はうまくいきません。私たちは福祉活動を行うNGOにはなれるかもしれませんが、主の花嫁である教会にはなれません」と強調した[85][124]。続けて、狡猾に誘惑し信仰者を堕落させる悪魔を引き合いに出し、レオン・ブロワの「主に祈らない人は、悪魔に祈る」を思い出すとした上で[125]、「誰でも、神に祈らない者は悪魔に祈っているのです。なぜなら、キリストを告白しないならば、悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性を告白しているからです」と述べた[85][124]。
「霊的な世俗性」の拒絶というテーマは、教皇選出以前からベルゴリオの教えのライトモティーフである[126]。世俗性とは「自己を中心に据えること」であり、「教会にとって、そして教会にいる私たちにとって最大の危険である」と言った[127]。
神の慈悲に対する応答としての道徳
ベルゴリオは、何よりもまず「キリストとの出会い」の文脈のなかで道徳というものを見ていた。ベルゴリオによれば、キリストとの出会いは、慈悲によって出来したものであり、「出会いのあとイエス・キリストが私の罪に対して与えてくださった慰めが格別なものとしていまも私の内に残され」ているとしている。「慈悲に対する応答」としての新しい道徳という観点が打ち出されるのは、そのためである。このような道徳のあり方は、ひとつの「革命」であり、「予測不可能で驚くべき『一方的な』慈悲」に対する「意志的な努力を伴わない、素朴な応答」であった[128] と、ベルゴリオは指摘する。
『ジェズイット』と題する自伝のなかで、17歳の頃、まだ学生であった自身の生き方を変えた出来事について、こう述べている。
私に奇妙なことが起きた。何が起きたか解らなかったが、私を変えた。不意打ちだったと言えよう。半世紀後の私はこう解釈する。それは一つの驚き、(神との)出会いという驚きであった。私は自分が求められていることを理解した。それは、一つの宗教的経験であり、待っておられる方がいるという不思議な体験であった。私にとってその瞬間から、神は人間に「初めに」語る存在である。人が神を探す時、まず神が人を探されており、あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初に私たちを見出される[87]。
福音宣教の転換
教皇は枢機卿らに対する最初の演説のなかで、新しい福音宣教をテーマとして挙げ、「聖霊がその力強い息吹と共に神の教会に耐え忍ぶ勇気を与え、福音宣教の新しい方法を探し出す」ことができるようになることを念願していると語った。
この福音宣教に関するテーマは、これまでも折に触れて扱われてきたものであり、以前からベルゴリオは、「司牧のモードの転換」や、「大いなる創造」を伴って「教会の内部の生活の見直すこと」について語ってきた。ベルゴリオは、教会が受け身の態勢で顧客を待っていては福音宣教などおぼつかないとし、また福音宣教というものが人々の多様な期待と新たな感性に反応せず、古い形態のままであってはならないと見做している。ベルゴリオは、信仰を規制する教会から、進んで発信し、信仰を督励する教会となるよう、司牧のあり方の積極的転換を求め、信徒と聖職者の更なる協働に対しての自覚を促している[87]。
女性と青年の役割
教皇は2013年4月3日の一般説教で、イエスの架刑と復活を間近で目撃してその証人となった、聖母マリアやマグダラのマリアなど聖書での女性の役割[注 13]について注意を喚起しながら、信仰活動における女性の先導的役割を力説し、併せて青年たちの信仰的情熱への期待を語った[129][130][131]。
女性の使命、母親の使命とは、キリストの復活をその子供や家族に証立てることでした。彼女たちの役割はまさにそこに、つまり主への道を切り開き、主に従い、そのお姿を伝達することにあるのです。信仰の視点には、いつも飾らないまなざしと深い愛が必要なのです … 主はまず女性の前に姿をあらわされ、そして他の者たちが従うことになったのです … 若者たちよ、主は生きておられるという希望を、戦争と悪と罪で老いて行くこの世界に伝えるのです。さあ行きなさい、若者たちよ!
独身制
枢機卿時代の2010年にラビのアブラハム・スコルカと共著した『天と地について』の中で、ベルゴリオは司祭の独身制についてこのように語っている[132]。
独身制は規律の問題であって信仰の問題ではありません。変えることのできる事柄です。しかし、現時点において、私は全ての長所と短所を含めた上で、独身制の維持に賛成です。なぜなら、弊害よりも10世紀にものぼる良い経験に裏打ちされているからです。伝統には重みと妥当性があります。ビザンチン、ウクライナ、ロシア、ギリシャのカトリック教会では司祭は結婚できますが、司教は独身でなければなりません。もし、仮定上の話として、西方ローマ教会が独身制の問題を見直すとした場合、それは普遍的な選択ではなく、文化的理由によって行われることであろうと私は考えています[133]。
ベルゴリオは同時に、規律は厳格に守られなければならず、従えない司祭は教皇庁から去らねばならない、と強調している[133]。
小児性愛問題
教皇は決意をもって聖職者における小児性愛者による虐待問題と戦うと宣言した。バチカンは「教皇はとりわけ修道会に対し、ベネディクト16世が確立させた路線を継続し、性的虐待事件に対し断固たる態度で行動するよう要求した」と声明で述べている[134][135]。教皇は「独身制が小児性愛を生むといった考えは忘れ去られてよい」と述べ、独身制と小児性愛との関係性を一切退けている[136]。彼はこのように述べている。
小児性愛者の司祭がいるなら、その者は司祭になる前からそうなのだ。しかし事態が発生した際には決して目を逸らしてはならない。権力の座に就き、それを他者のいのちの破壊に用いることはできない。米国で提案された解決策だったと思うが、他教区への左遷など馬鹿げた措置だ。その者が問題を他所に背負って運ぶことにしかならない[136]。
教皇は、虐待について信憑性のある告発がなされた司祭に対して強硬路線を取ることを提案し[136]、ベネディクト16世と同様、この問題への答えは寛容度をゼロとする以外にないと述べ[135][136]、前教皇が事件を把握しながら加害者の神父の処分を見送っていたなどの批判を浴びた事態を重く受けとめて、「性的虐待の被害者を保護するとともに、罪を犯した者に厳正な法的手段をとること」を求めた[137]。
幼児洗礼問題
2012年5月、ベルゴリオは、シングルマザーの子供に対する幼児洗礼を拒否するアルゼンチン人司祭らに対し、「グノーシス主義の偽善的ファリサイ派」であり、人々を救いから遠ざけていると断言した。婚外子を秘跡の対象外として遠ざけることは一種の「新教権主義」であると厳しく批判し[138][注 14]、秘跡を自分たちの権限の誇示のための道具にしているとの見方を示した[139]。ブエノスアイレス大司教として、司祭たちを敢えて洗礼の秘跡から遠ざけられた家族のもとに派遣するとともに、律法主義的な偽善を克服する積極的提案の一環として、『宣教の鍵としての洗礼』と題した小冊子(共著)を上梓した[139][140]。
社会教説
貧困と経済的不平等について
2007年のラテンアメリカ司教会議において、ベルゴリオは「私たちは世界で最も不平等な地域に暮らしており、最も豊かな土地であったが無残に没落した」 と言い[注 15]、さらに「財の不当な分配が解消されずに、天に向かって悲鳴をあげるような社会的に罪といえる状況が作り上げられ、我々の多くの兄弟たちが充実した人生の営みを妨げられている」と、大きな社会的格差の放置を非難している[141]。2009年9月30日にベルゴリオはアルヴェアル・パラス・ホテルでサルバドール大学大学院により組織された会議で「われらの時代の社会的負債」と題した演説をした。そこで彼は「極端な貧困」と「大きな経済的不平等を引き起こしている不当な経済構造」が人権を蹂躙していると述べ[142][143]、1992年のラテンアメリカ司教協議会 による「サント・ドミンゴ文書」を引用した[144]。ベルゴリオは社会的債務を「不道徳で、不公平で非合法なのもの」として批判した[145]。
ブエノスアイレスでの48時間の公務員のストライキが起こったときには、「過酷の労働条件で迫害されている貧しい人々と正義からの逃走に喝采している裕福な人々」を比較し、後者に反省を求めた[146]。
2002年の経済危機のときには「自らの特権と過剰な富を非道な方法で獲得し、その財産の維持のために」腐心している権力者を批判した[147]。2010年5月、アルゼンチンの貧しい人々に向けられた演説のなかで、ベルゴリオは、つぎのような発言で富裕層に再考を求めた。「あなたがたは、貧しい人々のことを考えることを拒んでいます。私たちには、貧しい人々を度外視する権利や絶望した人々が手に取った武器を取り上げる権利はないのです。私たちは母のなる祖国の記憶を取り戻さなければなりません」[148]。 2011年にベルゴリオは「この街がその使い方を熟知し毎日服用している麻薬があります。それは贈収賄と呼ばれるものです。この麻薬によって良心は麻痺し、ブエノスアイレスは贈収賄の街とでも言うべきものになってしまいました」と慨嘆し[149]、ブエノスアイレスの工場における労働者の搾取とホームレスの放置を、奴隷制度の今日的形態として非難した。
この街では奴隷制度が様々な形態で見られます。この街の労働者は、工場で搾取され、移民であればその悪辣な搾取まぬかれる機会は乏しいのです。この街には、ストリートチルドレンが何年にもわたり放置されています … この街は、労働者をホームレスという構造的な奴隷制度から解放にする試みに失敗し続けています[149]。
カトリック教会のエイズ患者に対する努力の一環として、彼は2001年にホスピスを訪問したことをよく覚えていた。そこでは彼は12人のエイズ患者の足を洗い、その足に接吻した[141]。
アパレシーダ文書
2007年 ブエノスアイレス大司教であったベルゴリオは、ベネディクト16世の委嘱を受けて、「アパレシーダ文書」[108]と呼ばれるラテンアメリカの司教の共同声明を発表し、アルゼンチンの社会問題をとりあげた。同文書の中でベルゴリオは、ラテンアメリカで最も安価なものが「生命」である事実に教会は慄然とすると述べ、それが故に、アパレシーダ文書では「生命」に最も頻繁に言及したと記している[109]。
児童虐待と人身売買について
児童虐待の問題を軽んじるラテンアメリカ地域の文化的風土を非難するベルゴリオは、「アパレシーダ文書」の中で、児童虐待を「人口統計学上のテロ」であると糾弾し、「子どもたちは残虐に扱われ、教育も受けられず、充分な食事も与えられていません。そして少女たちは、売春を強いられた挙句に捨てられているのです」と指摘して、貧しい家庭の子供たちの悲惨な境遇に目を向けるべきだとしている[109]。
2011年ベルゴリオは、ブエノスアイレスでの児童の人身売買と性的搾取を、以下のように糾弾した。
この街では、人形と遊ぶかわりにバラックのゴミの山に放り出される少女たちが大勢いる。彼女たちは誘拐され、売り飛ばされ、騙される。街では女性や少女が誘拐され、性と虐待の対象となっている。こうして彼女たちの尊厳は破壊されてゆく。主イエスは人間の肉体をもって生まれ、そして死なれた。しかし、この場所では、その人間の肉体が、ペットの肉体以下の扱いなのだ。一頭の犬のほうが、ブエノスアイレスで奴隷扱いされている少女たちより大切に扱われている。彼女たちは、足蹴にされ、ボロボロにされる[149]。
妊娠中絶、安楽死と高齢者問題について
ベルゴリオはまた、自己決定権運動が「死の文化」と説明される以前から、聖職者と一般人に妊娠中絶と安楽死に反対するように呼びかけていた[150]。そしてアルゼンチンでの避妊薬の無償配布に反対していた[151]。大司教としてベルゴリオは、キルチネル政権の避妊薬の無償配布制度の創設開始に対して公に反対を唱えた[99]。「アパレシーダ文書」には、聖体を受ける価値と安楽死に反対するカトリック的価値観との関連が言及されていた[109][152][153][154]。
我々は、国会議員、政府首脳、医療従事者に対し、人命の尊厳と人類の家族のきずなを意識し、妊娠中絶と安楽死の忌まわしい犯罪から守り、阻止するよう希望します。我々は自らが聖体拝領に相応しいか弁えるべきです[注 16]。すなわち、人々は聖体拝領に与りながら戒めに抗う行動や発言をすべきでないことを自覚しなければならない、ということです。特に妊娠中絶や安楽死など、生命と家族に対する深刻な犯罪を助長してはなりません。行政と政府の職員そして医療関係者は、このことの責任を自覚すべきです。
ベルゴリオはまた、人間を単に労働力とのみ見做し、年をとったせいで価値のないものとして老人たちが使い捨てられる現代社会のあり方を「姥捨て文化」と呼んで強く非難した[109]。
同性愛について
同性結婚には反対しており、それを「悪魔の動き」であるとしている[155]。2010年のアルゼンチンの同性結婚を認める法律導入には反対し、それを「人類学的な先祖返り」であるとして[156]、ベルゴリオは以下のように述べた。
しかしベルゴリオは、同性愛を本質的に不道徳とする教会の教義を肯定しつつも、「同性愛者の権利を擁護し、シビル・ユニオンを後押しする」として、同性愛者の権利擁護を訴えるなど、従来の教会にはなかった、現実の生きる場における人権への強い配慮を見せている[158][159][160]。
「汚い戦争」をめぐる論争
アルゼンチンは1970年代から80年代にかけて軍事政権の支配下にあり、汚い戦争と呼ばれる大規模な白色テロで多くの犠牲者が発生した。軍事政権により拉致、拷問された2人の司祭に関して、当時イエズス会のアルゼンチン管区長であったベルゴリオ枢機卿の責任を問う声がアルゼンチン国内に存在する[6][161][162][163][164]。
イエズス会の司祭で解放の神学に賛同していたオルランド・ジョリオとヤーリチ・フェレンツは、1976年5月、ブエノスアイレスのスラムから当時収容所として利用されていた海軍施設に連行された。この施設では政治犯5,000人が殺害されている。2人はこの施設で5か月間拷問などを受け、10月にブエノスアイレス郊外で半裸かつ薬で朦朧とした状態で解放された[164]。
「汚い戦争」に関する著作で知られているジャーナリストのオラシオ・ベルビツキは、著書『沈黙』において、ベルゴリオが先の2人の貧困者支援活動を後援する一方で、政治的左派に影響を受けていた彼らの社会運動に関する懸念を軍事政権に伝えており、2人が身の危険を感じベルゴリオの庇護を求めた際もそれに応じなかったと主張している[161]。しかし、イエズス会ドイツ管区は、その声明において、2人が当時ベルゴリオによりイエズス会を追放されたというベルビツキの記述に由来する報道を否定している[165][166]。
このベルビツキの主張に関しては、多くの異論も存在する。ブエノスアイレス・ヘラルド紙の記者だったイギリス人のロバート・コックスは、ベルビツキの主張は誤りではないが、当時の危険な状況におけるベルゴリオの立場も考慮するべきだと指摘している。コックスは、ベルゴリオは2人を軍事政権に引き渡すことなどはしていないが、同時に保護したり声を上げることもなかったと述べている。1980年にノーベル平和賞を受賞したアドルフォ・ペレス・エスキベルもまた、コックスの見方に同意し、ベルゴリオには充分な勇気がなかったと言えるかもしれないが、軍事政権と協力したことはないとの見解を披瀝している[161]。
軍事政権下の国家犯罪を追求している弁護士のミリアム・ブレグマンは、ベルゴリオが2人に関する裁判に消極的だと批判しており、オルランド・ジョリオの家族や汚い戦争の犠牲者の家族団体の創設者は、ベルゴリオ枢機卿の教皇選出に不満の色を見せている[6][161]。
一方でベルゴリオの行動を肯定ないし称賛する者も存在する。ベルゴリオの伝記『ジェズイット』の共著者であるフランチェスカ・アンブロジェッティは、ベルゴリオが軍事政権の指導者ホルヘ・ラファエル・ビデラや収容所の責任者であった海軍長官のエミリオ・エドゥアルド・マセラに面会して善処を求めるなど、ベルゴリオは、当時置かれた状況でできうる限りのことをやった「英雄」であると述べている[161]。
2005年に行われたインタビューにおいてベルゴリオは、2人の誘拐の一報を聞いて直ちに行動にうつり、ビデラとマセラに2人の釈放を求めたと答えている。ローマ教皇庁の広報局長は、ベルゴリオは「独裁政権下で人々を救うために尽力し」ており、先の告発は信頼できず、彼がアルゼンチンの司法当局から罪を問われたこともないとコメントしている。またこのような批判は、カトリック教会の信用失墜を狙った中傷であると主張している[167]。
2013年には、ヤーリチ・フェレンツ自身が、「オルランド・ジョリオと私は、ベルゴリオ神父によって告発されたことはない」として、ベルゴリオの責任及び関与を明確に否定した[168][169][170]。
人物・逸話
庶民感覚
質素な生活を好むベルゴリオには、普段の移動の際にも地下鉄やバスといった公共交通機関を利用し、バチカンへ向かう飛行機もエコノミークラスを利用していた[171]。
ブエノスアイレスでいつも新聞を宅配してくれていた新聞販売店の店主のダニエル・デル・レグノに、「ダニエルさん、枢機卿のホルヘです。ローマから掛けています。いつも新聞の宅配をありがとうございます」と直接電話し、職場がローマに異動になったから新聞の宅配を停止してくれるよう依頼した。3月26日にAFPの取材に応じた同店主によると、ベルゴリオは「3週間ほどで帰ってくる」と言い残してローマに出発したが、大司教(枢機卿)が教皇に選出されたので、これまで購読していた『ラ・ナシオン』紙についてどうすべきか、地元の教会関係者に照会しようとしていた矢先だったという。店主とベルゴリオの関係は、仕事上というより個人的なもので、息子の洗礼を授けてもらったという。電話を受けた当初はイタズラ電話だと思ったが、本当にローマ教皇からの電話だとわかると、「感動のあまり涙があふれ言葉が出なかった」と店主は語っている[172][173][174]。
ブエノスアイレス大司教区で部下だったフェデリコ・ワルスは、「本当に質素な方。自動車も携帯電話も持たず、新聞も靴下も自分で買う。いただいた贈り物は全て貧しい人にあげる。大好物のチョコレートぐらいは食べたかもしれませんが」と語る。住居に隣接するビジャソルダティ地区のスラム街に「十数年間、電車と地下鉄を1時間乗り継ぎ、ふん尿の臭いが漂う道路を歩いて通」い、ホームレスや外国移民の生活向上に尽力した。「必要なのは愛と平和だけ」というのが信条で、集会では「枢機卿(カルデナル)」と呼ばれるを嫌い、「神父(パドレ)」と呼んでくれと述べるという[175]。
幼年の求婚と司祭への道
現在ブエノスアイレス在住のアマリアさんは、いまから60年以上前にホルヘ・ベルゴリオ少年と同じフローレス地区に住んでいた幼なじみである。アマリアさんによると、10歳の頃、ホルヘ少年から「君と結婚したときに買う家」として赤い屋根と白い壁を描いたラブレターをもらった。ベルゴリオは「結婚できなければ司祭になる」と求婚したが、ラブレターはアマリアさんの両親に破り捨てられ、ベルゴリオは聖職者の道を歩むことになった[176][177]。
文学と芸術
文学や哲学に関する読書は広範にわたるもので、ドイツ・ロマン派の詩人ヘルダーリンの詩を暗唱し、ドストエフスキーの作品を愛好していた[178]。ブエノスアイレス大学の学生時代には、アルゼンチン現代文学を代表する作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの講義も聴講した経験もあり、作家と親交のあったベルゴリオは、インマクラーダ学院で文学を教えていた時代に、生徒たちに書かせた作品の序文を書いてもらった[179]。神学分野では、ロマーノ・グアルディーニや、かつて指導を受けたヨーゼフ・ラッツィンガー、ウルス・フォン・バルタザールなどの著作に傾倒していた。寝室に向かう廊下の前にはアッシジのフランチェスコの肖像画が掛かり、居室にはリジューのテレーズに捧げられた白い薔薇を生けた花瓶があって、悩みを抱えたときは聖女に執り成しを願うという[178]。美術ではマルク・シャガールを愛好し、最も好きな画は『白い磔刑』である[180]。
サッカーと映画
週末にはブエノスアイレス近郊の小さなアパートで過ごし、そのサッカー好きもよく知られている。幼少期の頃から、地元のサッカークラブ、CAサン・ロレンソのソシオに属している[181]。同クラブは胸に教皇のアイコン、背中にのスポンサー表示欄に「FRANCISCO」と「天使の輪(同クラブの愛称は「聖人のクラブ)」の「教皇スポンサードのユニフォーム」を作った[182]。これはキルチネル大統領が会見の際に、ベルゴリオへの「お土産」として持参したものである。
サッカーのアルゼンチン代表で、2012年のFIFAバロンドール賞を受賞したリオネル・メッシ選手(FCバルセロナ所属)は、「法王がアルゼンチン出身ということが、国民にとって誇りです。是非お会いしてみたい」とコメントし[183]、サッカーの元スーパースター、マラドーナも「『神の手』がアルゼンチン人の法王を運んできた」として、バチカン史上初のサッカー・ファンの教皇選出を歓迎した[184]。
アルゼンチン出身の女優ティタ・メレッロのファンで、彼女が出演するネオレアリズモの映画を好んで鑑賞する。アルゼンチンとウルグアイ でミロンガと呼ばれている伝統音楽の伴奏でタンゴを踊ることも趣味の一つであるという[185]。
著書
単行本
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- Bergoglio, Jorge (2003) (スペイン語). Ponerse la patria al hombro: memoria y camino de esperanza. Buenos Aires: Editorial Claretiana. ISBN 9789505125111
- Bergoglio, Jorge (2005) (スペイン語). La nación por construir: utopía, pensamiento y compromiso: VIII Jornada de Pastoral Social. Buenos Aires: Editorial Claretiana. ISBN 9789505125463
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- Bergoglio, Jorge (2007) (スペイン語). El verdadero poder es el servicio. Buenos Aires: Editorial Claretiana. OCLC 688511686
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- Bergoglio, Jorge; Skorka, Abraham (2010) (スペイン語). Seminario Internacional: consenso para el desarrollo: reflexiones sobre solidaridad y desarrollo. Buenos Aires: EPOCA. ISBN 9789875073524
- Bergoglio, Jorge; Skorka, Abraham (2010) (スペイン語). Sobre el cielo y la tierra. Argentina: Sudamericana. ISBN 9789500732932
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論文・記事
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参考文献
単行本
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論文・記事
- CONFERNCIA GENERAL DEL EPISCOPADO LATINOAMERICANO Y DEL CARIBE (2007-05-13-31) (スペイン語) (PDF). Discípulos y Misioneros de Jesucristo para que nuestros pueblos en Él tengan vida “Yo soy el Camino, la Verdad y la Vida” (Jn 16,4) DOCUMENTO CONCLUSIVO (2 ed.). Aparecida
- Aparecida documents (上掲「アパレシーダ文書」の英語訳)
- Documents d'Aparecida(同フランス語訳)
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脚注
注釈
- ^ カトリック教会では「就任」もしくは「着座」という用語が使われる。UNIVERSI DOMINICI GREGIS 使徒座空位と教皇選挙に関して(カトリック中央協議会)
- ^ 英語での呼称は “Pope Francis” である。
- ^ 教皇の公式名はラテン語名で「フランキスクス」ないし「フランチスクス」、イタリア語名で「フランチェスコ」であり「フランキ(チ)スクス1世」「フランチェスコ1世」ではない。この点については、コンクラーヴェ終了の日に発表された、バチカンによる公文書に以下のように記されている。“Annuntio vobis gaudium magnum;habemus Papam:Eminentissimum ac Reverendissimum Dominum, Dominum Georgium Marium Sanctae Romanae Ecclesiae Cardinalem Bergoglio qui sibi nomen imposuit Franciscum.”(Franciscus, 13 marzo 2013)新教皇が「フランシスコ1世(Primum)」と呼ばれるようになるのは、後代の教皇に「フランシスコ2世」が出現した時である。cf. Emily Alpert, “Vatican: It's Pope Francis, not Pope Francis I”, (Los Angeles Times, 13 March 2013)、 末続哲也「法王の呼称は「フランシスコ」に」(『読売新聞』2013年3月19日付) 。日本のカトリック教会では、聖人名をラテン語の奪格で表す慣習があり、新教皇名は、主格では Franciscus で、 Francisco がその奪格である。Francisco の読みは、本来の教会ラテン語発音では「フランチスコ」となるところ、例外的に「フランシスコ」と呼び慣わしており、新教皇の出身地アルゼンチンで話されるスペイン語の音韻に依拠した呼称ではない。cf. 「教皇関連情報インデックス」(カトリック中央協議会)。
- ^ スペイン語の発音では「ホルヘ・マリオ・ベルゴグリオ」[ˈxorxe ˈmaɾjo βerˈɣoɣljo] (国際音声記号)、イタリア語読みでは「ベルゴリオ」[bɛrˈgɔʎʎo]となる。
- ^ この絵は、バロック期のドイツの画家ヨハン・シュミットナーが1687年に描いたものであり、アウクスブルクのザンクト・ペーター・アム・ペルラッハ教会に所蔵されている。古代教父のエイレナイオスによる『反異端論』第3巻22章の記述に画想を得たもので、「結び目」は創世記におけるイヴの神への背きを象徴し、「結び目を解くマリア」は、その罪の償いを寓意しているという。新教皇と『結び目を解くマリア』との関係の詳細については、cf. “Was Papst Franziskus in Augsburg machte”, Augsburger Allgemeine, 15. März 2013, “Maria Maria Knotenlöserin verbindet Augsburg & Buenos Aires”. イヴの背きとその贖罪をするマリアの従順との対比から生まれたマリアの称号の一つ、「新しいイヴ」という発想から生まれた絵画の一つである。cf. Pope John Paul II, “Mary, the new Eve, freely obeyed God”, L'Osservatore Romano, Weekly Edition in English, 25 September 1996, p. 19.
- ^ 英語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、ポーランド語、アラビア語。なお、教皇として初めてTwitterを利用したのはベネディクト16世である。
- ^ この「足を洗う」という行為は、ヨハネによる福音書(13:1-20)におけるイエスに倣う所作である。「古代ユダヤ社会では、主人の足を洗うのは奴隷の仕事」であり、「イエスは奴隷の仕事を引き受け、弟子たちの足を洗う。足を洗うことは、この世の罪のために十字架で死ぬという、これから行う偉大な犠牲的行為の象徴」(スタディ版『新共同訳 聖書』共同訳聖書実行委員会、2006年、新約篇、p. 194の注記)と考えられている。
- ^ 指名された8名の枢機卿および1名の事務局長は以下のとおり。枢機卿:ジュゼッペ・ベルテッロバチカン市国行政庁長官、フランシスコ・ハビエル・エラスリス・オッササンティアゴ・デ・チレ名誉大司教(チリ)、オズワルド・グラシアスムンバイ大司教(インド)、ラインハルト・マルクスミュンヘン及びフライジンク大司教(ドイツ)、ローラン・モンセンゴ・パシニャキンシャサ大司教(コンゴ民主共和国)、セアン・パトリック・オマリーボストン大司教(アメリカ合衆国)、ジョージ・ペルシドニー大司教(オーストラリア)、オスカル・アンドレス・ロドリゲス・マラディアガテグシガルパ大司教(ホンジュラス)。事務局長:マルセッロ・セメラーロアルバーノ司教(イタリア)。(COMUNICATO DELLA SEGRETERIA DI STATO , 13.04.2013)
- ^ 「悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性」に対応する原文は “la mondanità del diavolo, la mondanità del demonio” である。聖書的伝統において、悪魔は「世俗性」、すなわち現世的な関心と緊密に結びついており、サタン、ベルゼブブなどとともに、アルコーン、「この世の君」(マタイ12:24 、ヨハネ12:31, 14:30, 16:11 、エペソ2:2, 6:12 など)も悪魔の異称と考えられてきたと、ジェフリー・バートン・ラッセルは指摘している(大瀧啓裕訳『悪魔の系譜』青土社、1990年、p. 451)。また、ライッサ・マリタンよる論考 “Le Prince de ce monde” (Paris, Plon, coll. « Roseau d'or », 1929)も参照。
- ^ ピウス9世から日本布教を依頼されたパリ外国宣教会のプチジャン神父は、1865年3月17日、大浦天主堂において、日本の潜伏キリシタンを発見した。最初に神父に話しかけたのはイザベリナ杉本ゆりであり、「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」と、その信仰を告白した。その後、浦上の信徒たちは、日本人修道士バスチャンが殉教前に遺言した、カトリック司祭を識別する三項目(マリア崇敬、終生独身制、ローマ教皇への服従)を確認した上で、復活祭の前の「四旬節」について質問した。 cf. 長崎地方文化史研究所編『プチジャン司教書簡集』聖母の騎士社、1986年、pp. 68-78. 項目「浦上四番崩れ」も参照。
- ^ 人間に対する神の愛の先行性に関しては、1ヨハネ4:19やローマ8:28-30を参照。
- ^ 「種を蒔く人」のたとえ(マタイ13:1-9、マルコ4:1-9、ルカ8:4-8)参照。
- ^ 女性とキリスト教の伝統に関しては、イェール大学神学大学院のテレサ・バーガー教授(典礼学)による『女性たちが創ったキリスト教の伝統』(明石書房、2011年)などを参照。
- ^ 2012年9月時点での枢機卿の表現は少しこれ(週刊誌 La Vie 2013年3月14-20日号)とは異なり、同じ La Vie によれば、枢機卿は洗礼拒否に見られるような「態度」を「律法主義で偽善たる新教権主義」と「形容」した、となっている。「グノーシス主義の偽善的ファリサイ派」「律法主義で偽善たる新教権主義」双方とも、福音書の逸話(マルコ2:15-17 、ルカ7:36-39など)を踏まえた言い回しである。婚姻を秘跡とし、神が結び合わせるもの(マタイ19:5-6)とするカトリックでは、シングルマザーは教義に沿わない部分もあるが、その子供の洗礼を拒否することは、救済に例外を認めなかったイエスの教え(マタイ9:13、マルコ2:17、ルカ5:32)とは本質的に異なるものであり、この発言は、祝福されない者の子という律法主義的解釈によって他者を裁く偽善的態度への批判となっている。 cf. La Vie, no. 3524, du 14 au 20 mars 2013, p. 31.
- ^ cf. 「我々ラテンアメリカ人が貧しいのは、我々の踏んでいる大地が豊かだからだ」(エドゥアルド・ガレアーノ『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』)。また、松下冽「ラテンアメリカを知る」(立命館大学国際関係学部国際関係学科), p. 1.
- ^ 「アパレシーダ文書」第436条のこの部分の原文は « Debemos atenernos a la “coherencia eucarística” » である。この “coherencia eucarística” は、第2バチカン公会議『司祭の役務と生活に関する教令』5(Presbyterorum ordinis)の “Eucharistia cohaerent” の訳語であり、 日本カトリック司教協議会教理委員会は、この語を「聖体祭儀と結ばれ」と訳している。cf. 『 カトリック教会のカテキズム』、2002年、p. 404.
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関連項目
外部リンク
- 「教皇フランシスコ」(カトリック中央協議会)
- 「教皇フランシスコ就任」(『カトリック新聞』オンライン)
- Pope Francis (@pontifex) - X(旧Twitter)
- L'Osservatore Romano