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「北越急行ほくほく線」の版間の差分

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{{Infobox 鉄道路線
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|北越急行ほくほく線|#E8204E}}
|路線名 = [[File:Hokuetsu Kyuko logo.svg|25px|北越急行]] ほくほく線
|路線色 = #E8204E
{{BS-daten| LNGE=59.5| SPURWEITE=1,067| STROMG=1,500 V| NEIGUNG=| RADIUS=| V-MAX=160| BILDPFAD_KARTE=鉄道路線図_ほくほく線.svg| PIXEL_KARTE=200px| IMAGE=Hokuetsu Express 683.jpg| CAPTION=683系8000番台とHK100形| IMAGE_SIZE=250px}}
|画像 = HK100_Kubiki_20140908.jpg
{{BS-table}}
|画像サイズ = 300px
{{BS|STR|||[[上越線]](↑高崎方)|}}
|画像説明 = [[米山]]をバックにほくほく線を走る[[北越急行HK100形電車|HK100形]]<br>(2014年9月 [[くびき駅]]-[[犀潟駅]]間)
{{BS3||STR|STRrg|||[[上越新幹線]]|}}
|国 = {{JPN}}
{{BS3||HST|HST||[[越後湯沢駅]]||}}
|所在地 = [[新潟県]]
{{BS3||LUECKE|TUNNELa||||}}
|種類 = [[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[第三セクター鉄道]])
{{BS3|STRrg|ABZrf|tSTR||||}}
{{BS3|BHF|BHF|tSTR|0.0|[[六日町駅]]||}}
|起点 = [[六日町駅]]
|終点 = [[犀潟駅]]
{{BS3|STRrf|BRÜCKEa|tSTR|||上越線(←宮内方)|}}
|駅数 = 12駅
{{BS3||hBHF|tSTR|3.6|[[魚沼丘陵駅]]||}}
|開業 = [[1997年]][[3月22日]]
{{BS3||TUNNELa|tSTR||[[赤倉トンネル|赤倉T]]||10,472 m}}
|休止 =
{{BS3|tSTRq|tKRZt|tSTRrf||||}}
|廃止 =
{{BS|tDST|8.5|[[赤倉信号場]]||}}
|所有者 = [[北越急行]]
{{BS|tBHF|12.2|[[美佐島駅]]||}}
|運営者 = 北越急行
{{BS|TUNNELe||||}}
|車両基地 =
{{BS|hBHF|14.4|[[しんざ駅]]||}}
|使用車両 = [[北越急行HK100形電車|HK100形]]
{{BS3|STRq|hKRZ|STRlg|||[[飯山線]](←越後川口方)|}}
|路線距離 = 59.5 [[キロメートル|km]]
{{BS3||hBHF|BHF|15.9|[[十日町駅]]||}}
|軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]
{{BS3||TUNNELa|STRlf|||飯山線(豊野方→)|}}
|線路数 = [[単線]]
{{BS|TUNNELe||十日町T||1,695 m}}
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
{{BS|WBR&#220;CKE|||[[信濃川]]|406.7 m}}
|最大勾配 = 33 [[パーミル]]
{{BS|TUNNELa||薬師峠T||6,199 m}}
|最小曲線半径 = 400 [[メートル|m]]
{{BS|tDST|23.8|[[薬師峠信号場]]||}}
|閉塞方式 = [[閉塞 (鉄道)|単線自動閉塞式]]
{{BS|TUNNELe||||}}
|保安装置 = [[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]
{{BS|TUNNEL2||犬伏T||667 m}}
|最高速度 = 130 [[キロメートル毎時|km/h]](定期列車の最高速度は95 km/h、2015年3月13日までの申請最高運転速度は160 km/h)
{{BS|TUNNEL1||第一・第二田沢T||125 m/1,934 m}}
|路線図 = [[File:Hokuhoku Line linemap.svg|300px|ほくほく線路線図]]<br>ほくほく線路線図
{{BS|WBR&#220;CKE|||[[渋海川]]|148.0 m}}
}}
{{BS|TUNNEL2||松代T||275 m}}
{{北越急行ほくほく線路線図}}
{{BS|hBHF|29.2|[[まつだい駅]]||}}
'''ほくほく線'''(ほくほくせん)は、[[新潟県]][[南魚沼市]]の[[六日町駅]]から同県[[上越市]]の[[犀潟駅]]までを結ぶ[[北越急行]]の[[鉄道路線]]である。
{{BS|TUNNELa||[[鍋立山トンネル|鍋立山T]]||9,130 m}}
{{BS|tDST|34.1|[[儀明信号場]]||}}
{{BS|TUNNELe||||}}
{{BS|hBHF|38.6|[[ほくほく大島駅]]||}}
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{{BS|TUNNEL2||有島T||}}
{{BS|hBHF|46.8|[[うらがわら駅]]||}}
{{BS|TUNNEL1||第一・第二飯室T||3,279 m/290 m}}
{{BS|hBHF|51.7|[[大池いこいの森駅]]||}}
{{BS|TUNNEL2||中島T||250 m}}
{{BS|hBHF|53.6|[[くびき駅]]||}}
{{BS|hAKRZo|||[[北陸自動車道]]|}}
{{BS3|STRq|hKRZ|STRlg|||[[信越本線]](←新潟方)|}}
{{BS3||BRÜCKEe|STR||||}}
{{BS3||BHF|BHF|59.5|[[犀潟駅]]||}}
{{BS3||ABZrg|STRrf||||}}
{{BS|LUECKE||||}}
{{BS|HST|||[[直江津駅]]|}}
{{BS3||ABZlf|STRq|||信越本線(篠ノ井方→)|}}
{{BS|STR|||[[北陸本線]](↓米原方)|}}
|}
T:トンネル
|}<!-- トンネル長はほくほく博士5「ほくほく線の高速運転を支える設備」、橋梁長はほくほく博士10「ほくほく線の中の不思議」より -->
[[ファイル:hk100_20040718.jpg|thumb|250px|right|[[北越急行HK100形電車]] [[虫川大杉駅]]<br />ほくほく線内の普通・快速に運用される]]
[[ファイル:Hokuhoku Line 001.JPG|thumb|250px|right|車窓からの田園風景<br/>[[犀潟駅]] - [[くびき駅]]]]
'''ほくほく線'''(ほくほくせん)は、[[新潟県]][[南魚沼市]]の[[六日町駅]]と新潟県[[上越市]]の[[犀潟駅]]を結ぶ[[北越急行]]の[[鉄道路線]]である。


<!-- 概要節は必ず必要なものではない。むしろ目次より上である程度のことが理解できるように、冒頭部分でこの程度の記述は必要 -->
== 概要 ==
北陸方面への[[連絡線#鉄道線路|短絡線]]としての役割を有する<ref name="工事誌_681" />[[日本国有鉄道]](国鉄)の予定線「'''北越北線'''(ほくえつほくせん)」として<ref name="rj368-54" />1968年(昭和43年)に着工され<ref name="新線_150" />、紆余曲折の末、北越急行によって[[1997年]](平成9年)[[3月22日]]より営業を開始した<ref name="rj368-54" />。開業以来、[[上越新幹線]]と連絡する列車の運行が行われており、2015年(平成27年)3月14日の[[北陸新幹線]]の[[長野駅]] - [[金沢駅]]間延伸開業までは、首都圏と北陸を結ぶメインルートとして[[特別急行列車|特急]]「[[はくたか]]」が同線を経由して運転されていた。<!--2015年3月の北陸新幹線の開業によって特急列車の運行は行われなくなったが、上越新幹線に連絡する超快速列車が運行されていたため、北陸新幹線以降の話はこのあとに追記し、ここまでの記述は消さない-->
{{出典の明記|section=1|date=2012年6月}}
ほくほく線には[[上越新幹線]]と接続して[[越後湯沢駅]]と北陸地方の各都市を結ぶ[[特別急行列車|特急]]「[[はくたか (列車)|はくたか]]」が運行されている。[[1997年]]にほくほく線が開業して以来、[[新潟県]][[上越地方]]北部、[[富山県]]・[[石川県]]方面と[[関東地方|関東]]方面を鉄道で移動する場合は、本路線を通る特急「はくたか」と上越新幹線を越後湯沢駅で乗り継いで利用する方法が最も短時間であることが多い。


開業時から一部の特急「はくたか」で日本の狭軌[[在来線]][[最高速度]]となる140&nbsp;[[キロメートル毎時|km/h]]運転が行われ、1998年(平成10年)12月からは150&nbsp;km/h運転が<ref name="rj428-33" />、2002年(平成14年)3月以降はさらに高速となる160&nbsp;km/h運転が開始された<ref name="rj428-33" />。2015年(平成27年)3月13日の特急「はくたか」運行終了により最高速度160&nbsp;km/hで運行する列車は無くなり、2023年(令和5年)3月現在は[[北越急行HK100形電車|HK100形]]による普通列車が最高速度95&nbsp;km/hで運転されている<ref name="20221216 press"/>。
日本の地方私鉄は全国的に赤字になっている路線も多いが、ほくほく線は毎年数億円の黒字となっており、地方の鉄道会社の路線としては利益の大きい部類に入る。2001年度の営業収支率は73.0%であり、[[第三セクター鉄道]]の中では経営状態は良好であるが、全体の9割が特急による収益で普通列車の収益は全体の1割にも満たない。2014年度に[[北陸新幹線]]の[[長野駅]] - [[金沢駅]]間が延伸開業する際に、利用者が新幹線へ大幅に移行することが確実視されており、沿線利用者の確保や活性化が課題となる。


== 歴史 ==
構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていた。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い[[機関車]]の入線は不可能となっている<ref name = "dr.hokuhoku_13" />。ただし[[雪かき車]]の通行は想定されており、設計に際して[[国鉄DD14形ディーゼル機関車|DD14形]]・[[国鉄DD53形ディーゼル機関車|DD53形]]の両ロータリー式雪かき車の重量が考慮されている<ref name = "工事誌_71-72" />。
=== 鉄道誘致活動の始まり ===
ほくほく線の中間付近にあたる[[松代町 (新潟県)|松代村]](まつだいむら<!--駅名だと平仮名で、隣の長野にマツシロもあるので-->。現[[十日町市]]の一部<ref name="松代広報200503" />)では、1920年(大正9年)4月15日に松代自動車株式会社が設立されて、[[バス (交通機関)|バス]]や[[貨物自動車|トラック]]の運行を開始した<ref name="十年_30" /><ref name="新線_140" />。この会社は1932年(昭和7年)に売却されて[[頸城自動車]]となる<ref name="十年_30" />。しかし、この時代には道路の除雪体制がまったく整っておらず、その整備が本格化する1960年(昭和35年)頃までは、道路交通が5月上旬まで完全に不能となり各集落が孤立状態となるのが常であった<ref name="新線_140" />。ほくほく線建設が進められていた1980年代になってもなお、十日町と松代を結ぶ[[国道253号]]の薬師峠は毎年雪で不通となり、直線距離で13&nbsp;[[キロメートル]](km)のところを、[[柏崎市|柏崎]]・[[直江津市|直江津]]を通る120&nbsp;kmもの迂回をしなければ行き来ができなかった<ref name="全線_47-48" />。冬には道路交通がまったく役に立たなくなるために、鉄道の重要性・必要性を痛感していた地元の関係者は、1931年(昭和6年)に当地を訪れた[[朝日新聞]]の記者が「この不便な山間地を開くには鉄道を貫通させなくては」と発言したことに刺激され、民間中心の鉄道誘致運動が開始された<ref name="新線_140" />。その口火を切ったのは、松代自動車の設立者の柳常次であった<ref name="十年_30" />。


既に1916年(大正5年)5月4日には、{{読み仮名|[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]|くびきてつどう}}が新黒井 - 浦川原間を全通させていた<ref name="工事誌_673" />。当初はこの頸城鉄道とつなぎ[[松代町 (新潟県)|松代]]まで伸ばす形での「東頸城縦貫鉄道」の建設請願を1932年(昭和7年)8月に国会へ提出した<ref name="工事誌_674" />。この時点では松代から[[信越本線]]([[直江津駅|直江津]])側へ結ぶだけの鉄道で、十日町や六日町と結ぶという構想は(急峻な地形のために実現が困難と判断されたのか<ref name="工事誌_674" />)なかった<ref name="工事誌_674" />。その後さらに発展的な構想として、北陸地方と東京を結ぶ「上越西線」という構想となり、[[魚沼郡|魚沼三郡]]や[[東頸城郡]]の町村長が[[六日町]] - [[直江津市|直江津]]間に鉄道を敷設する陳情書を国会に提出した<ref name="工事誌_674" />。1938年(昭和13年)4月になると時勢から軍事用の役割が付加されて、軍都と呼ばれた[[高田市|高田]]を起点とする「北越鉄道」の構想が打ち出され、国防にも役立つという位置づけとされた<ref name="工事誌_674" />。1937年(昭和12年)8月から9月にかけて、[[鉄道省]]による路線測量と経済調査が実施され、路線案の比較検討が行われるとともに、地元による国会への請願が繰り返された<ref name="新線_141-142" />。
[[踏切]]が両端の起点・終点にあたる犀潟駅付近と六日町駅付近に各1か所あるのみで他の区間にはないことが高速走行を支えており、特急は在来線では[[京成成田空港線]]の「[[スカイライナー]]」とともに日本一速い最高速度160 km/hで運転される。また、普通列車は高速・高加減速性能を持つ車両(最高110 km/h)で運転され、駅構内を除き全線単線であるほくほく線内で、後続の特急に追いつかれることを極力防ぐダイヤが設定されている。それでも速度差があるため、ほくほく線内で追い越しが行われる場合もあるが、駅以外にも、トンネルの中で特急列車が普通列車を追い越すことが可能な[[信号場]]が線内に3箇所存在する。なお、トンネル内に追い越し設備があるのは、高速で走行できるようにできるだけ[[線形 (路線)|線形]]を直線に近くした結果、トンネル区間の割合が多くなったためだが、沿線は[[豪雪地帯]]であることから、雪によるポイントの不転換、待避停車中の[[集電装置|パンタグラフ]]への着雪を防止するといったメリットもある。


この時点までは、路線の北側は[[直江津市|直江津]]案と[[高田市|高田]]案の2案があったが、南側については[[六日町]]で統一されていた<ref name="新線_142" />。しかし1940年(昭和15年)になり、南側を[[越後湯沢駅]]とする案が持ち上がった<ref name="新線_142" />。これはスキーをしに[[松之山温泉]]に来ていた[[鉄道省]]の技師が、越後湯沢と直江津を結ぶ経路の方が有力であるかのように話したことが発端であるとされるが、真偽ははっきりしていない<ref name="新線_142" />。この年の10月から11月にかけて越後湯沢案に基づく路線の経済調査が実施され、両案の資料が揃うことになった<ref name="新線_142" />。1942年(昭和17年)から両案の誘致活動が繰り広げられたが、[[第二次世界大戦]]中でもありこの時点ではそこまで厳しい対立ではなかった<ref name="新線_142" />。1944年(昭和19年)には、国鉄[[信濃川発電所]]のある[[千手町 (新潟県中魚沼郡)|千手町]]([[川西町 (新潟県)|川西町]]を経て2005年の合併で十日町市の一部<ref name="十日町沿革" />)と[[十日町市|十日町]]を結ぶ工事用の[[軽便鉄道]]を延長する形で[[松代町 (新潟県)|松代]]までを結ぶ路線の建設が決まり、工事予算1800万円が計上されたが、翌年の敗戦により計画は中止された<ref name="新線_142" /><ref name="鉄道計画_133" />。
起点・終点駅である六日町駅・[[犀潟駅]]と[[十日町駅]]以外は、すべて[[無人駅]]である。また、それらの駅では列車通過の際にそれぞれの駅ごとに違った「通過警告メロディ」が流れる。
[[File:Route_planning_of_Hokuhoku_line_ja.png|thumb|none|400px|北越北線と北越南線の計画ルートと実際のほくほく線]]


=== 「南北戦争」からルートの決着まで ===
なお、正式な起点は六日町駅だが、列車運行および旅客案内では犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
第二次世界大戦後は、[[高田市|高田]]と結ぶ軍事路線という動きは消滅し、[[佐渡汽船|佐渡航路]]ならびに[[北陸本線]]との連絡という観点から[[直江津市|直江津]]起点とすることで決着して、直江津と[[上越線]]を結ぶ鉄道とすることになった<ref name="工事誌_675" /><ref name="新線_144" />。1950年(昭和25年)9月3日に、北陸上越連絡鉄道(上越西線)期成同盟会の発会式が[[高田市]](1971年の合併により[[上越市]]の一部<ref name="高田" />)で行われ、戦後の鉄道建設運動が開始された<ref name="新線_144" />。しかしルートの一本化はできず、起点は直江津とされたものの終点は[[六日町駅|六日町]]と[[越後湯沢駅|越後湯沢]]の双方の案が会則に併記される形となった<ref name="新線_144" />。以降、「{{読み仮名|'''北越北線'''|ほくえつほくせん}}」案と「{{読み仮名|'''北越南線'''|ほくえつなんせん}}」案の間で14年に渡る鉄道誘致合戦「南北戦争」が勃発することになった<ref name="新線_144" />。


北線案の利点は、新潟県内の主要都市を結び産業開発や経済面で優れ、<!--国鉄の-->採算性に優れること、[[地すべり]]地帯がなく防災上有利であることであり、これに対して南線案の利点は首都圏から直江津までの距離を短縮することができること、勾配を北線の25[[パーミル]]に対して20パーミルに抑えられ輸送力を大きくできること、[[苗場山|苗場]]や高倉の森林および地下資源、[[三国村 (新潟県)|三国]]、[[清津峡|清津]]の温泉の開発ができることであるとされた<ref group="注釈">いずれも越後湯沢の西方にある地名であるが、原出典では地図等の明示がなくこれらに該当すると確定できない。ここでは仮に関連すると思われる記事にリンクしてある。</ref><ref name="新線_147" />。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]): 59.5 [[キロメートル|km]]
* [[軌間]]: 1,067 [[ミリメートル|mm]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 駅数(起終点を含む): 12
* 最高速度: 160 [[キロメートル毎時|km/h]](特急、右記の区間以外。[[京成成田空港線]]と共に営業在来線日本国内最速)、140 km/h(薬師峠信号場 - まつだい間、虫川大杉 - くびき間)、110 km/h(普通・快速)
* 複線区間: なし(全線[[単線]])
* 電化区間: 全線([[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]])<ref name = "工事誌_7-8" />
* 最小曲線半径: 400 [[メートル|m]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 最急勾配: 33 [[パーミル]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 設計[[活荷重]]: KS-16(国鉄時代に完成した区間)、KS-12(第三セクター化後に完成した区間)
* 最長トンネル: [[赤倉トンネル]](10,472 m、魚沼丘陵 - しんざ間。トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅があり、[[地下鉄]]・[[JR線]]以外では日本最長の鉄道トンネル<ref name = "dr.hokuhoku_5" />)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]: 単線自動閉塞式<ref name = "工事誌_7-8" />
* 保安装置: [[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* [[運転指令所]]: 六日町指令所<ref name = "工事誌_7-8" />


この当時、[[日本国有鉄道|国鉄]]の新線は1922年(大正11年)に制定された[[鉄道敷設法]]に基づいて建設されており、新線を建設するには法律を改正して鉄道敷設法別表に路線経路を記載する必要があった<ref name="鉄道計画_134" />。そして別表への記載は、諮問機関である鉄道建設審議会の検討を経て決定されることになっていた<ref name="鉄道計画_134" />。日本の国政レベルでは、南北両案の一本化ができさえすればいつでも審議会で了承されるというところまで議論が進んでいた<ref name="新線_147" />。しかし一本化ができないままに1953年(昭和28年)2月の第9回鉄道建設審議会が開催され、両案の対立が激しくて審議会でも決断を下しかね、「経過地に関する地元の意見の不一致並びに現地調査の不十分」を理由に審議未了・保留となった<ref name="新線_147" />。こうした事情もあり、両線の一本化を図るために期成同盟会では、前年に新潟県知事の[[岡田正平 (政治家)|岡田正平]]に経過地の裁定を一任することを決議していた<ref name="新線_147" />。岡田は、新潟県七市長会および商工会議所連合会に諮問して、北線案が妥当との答申を受け、8月に北線案採択の裁定を下した<ref name="新線_147" />。しかしこの裁定を説明するために9月に開催された期成同盟会総会を南線側がボイコットするという事態となって、さらに時間が空費されることになった<ref name="新線_147" />。
== 歴史 ==
本来は[[鉄道敷設法#改正鉄道敷設法別表|改正鉄道敷設法別表]]第55号の3に「新潟縣直江津ヨリ松代(現 まつだい駅)附近ヲ經テ六日町ニ至ル鐡道」として規定された路線で、[[日本国有鉄道|国鉄]]北越北線として敷設が計画された路線である。


その後も両派の争いは続いたが、1962年(昭和37年)に事態は動いた<ref name="新線_148-149" />。この頃、南線案の予定通過地である[[松之山町]]の中心部で[[地すべり]]災害{{#tag:ref|1962年4月から松之山町内で大規模な地すべりが発生していた。南線予定ルートにある「光間」駅付近<ref name="松之山地滑り" />。|group="注釈"}}が発生しており鉄道の通過ルートとしてふさわしくないとされたことと、道路交通の発達でそれほど鉄道にこだわる必要がなくなったことなどから、一方の路線が採択された際にはもう一方の路線側から鉄道へ連絡する道路を整備するということを条件に、国鉄に裁定を一任することになった<ref name="新線_148-149" />。1962年(昭和37年)4月22日に鉄道建設審議会が上越西線を予定線に採択することを決定し、5月12日に[[鉄道敷設法]]1条別表第55ノ3に「新潟県直江津より松代附近を経て六日町に至る鉄道及松代附近より分岐して湯沢に至る鉄道」が追加されて、南北両案が鉄道予定線となった<ref name="新線_148-149" /><ref name="衆議院19620512" />。
現在の「ほくほく線」は、この北越北線を略して平仮名書きしたものだが、愛称ではなく、正式な路線名称である。開業前に正式路線名を決定するにあたり、北越急行と沿線自治体が沿線住民を対象に実施したアンケートにおいて「ほくほく線」と「北越ロマン線」の2つが上位を占めた。そして選考の結果「温かいイメージで親しみやすく、呼びやすい」という理由で「ほくほく線」が選ばれ、正式な路線名となった。


1962年(昭和37年)7月から、国鉄では人口分布や産業構成などの経済調査を新潟県に依頼して実施した。地元でも、従来の上越西線期成同盟会を発展的に解消して新たに北越線連合期成同盟会を1963年(昭和38年)6月27日に発足させ、工事線への昇格に向けて積極的な運動を行った。1964年(昭和39年)4月22日に[[運輸大臣]]は北越北線を調査線に指示し、続いて9月28日には工事線に格上げした上で、南線は北線によって効用を満たし得るとの判断から、調査線から南線を削除した。こうして北越北線が正式に採択され、南北戦争は終結することになった<ref name="新線_149" />。なおちょうどこの頃、1964年(昭和39年)3月に[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団、以下公団と略す)が設立され、国鉄の新線建設事業は公団が引き継ぐことになって、北越北線も公団に引き継がれた<ref name="鉄道計画_135" />。
昭和初期にこの地方に[[バス (交通機関)|バス]]の運行が開始されたが、当時は道路の除雪体制がまったく整っておらず、冬季には運行できなくなり各集落は完全に孤立状態となるのが常であった。このためかえって鉄道への熱望が高まることになり、大正時代に開通した[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]と連絡して北陸本線と上越線を短絡する鉄道を実現する運動が開始された。当初は上越線との連絡点は六日町とされたのに対して、西側は信越本線の[[高田駅 (新潟県)|高田]]とする案と、直江津とする案があった。しかし上越線と北陸本線を短絡する路線の機能を考えて、最終的に直江津案にまとまった。一方1940年(昭和15年)になると、上越線側を越後湯沢とする案が出され、当時の[[鉄道省]]も両案を実際に比較測量している。この越後湯沢と接続する案が鉄道敷設法の同号に「及松代附近ヨリ分岐シテ湯澤(現 越後湯沢駅)ニ至ル鐡道」として規定される北越南線であった。こうして「南北戦争」と称される激しい誘致合戦が始まった。1944年(昭和19年)に一度は[[信濃川発電所]]の工事[[専用鉄道|専用線]]を転用する形で北越北線が採択されて工事予算がついたが、[[第二次世界大戦]]の戦況悪化に伴い工事は中止された<ref name = "新線_140-142" />。


北越北線が調査線となって以降、詳細なルートの検討が進められた<ref name="工事誌_681" />。地元は北越北線に旅客輸送を期待したが、国鉄から見れば首都圏と北陸地方を短絡する有力な貨物線であり、[[上越線]]と[[信越本線]]との間の方向転換・[[機関車]]交換作業を廃止し輸送時間を短縮することを狙っていた<ref name="工事誌_681" />。そのため重量1,000トンの貨物列車の運転を想定した貨物輸送が路線選定の要となり、当初は[[六日町駅]]と[[黒井駅 (新潟県)|黒井駅]]を可能な限り直線的に結ぶルートが考えられていた<ref name="工事誌_681" />。これにより十日町では[[飯山線]]と直交するルート案となり<ref name="工事誌_681" />、飯山線の[[十日町駅]]とは別に北越北線の十日町駅を約1,300メートル離れた位置に設け、地下駅とする案もあった<ref name="市報19661015" />。しかしこれには地元からの強烈な反発があり、実際の経路は飯山線十日町駅に乗り入れる[[クランク (機械要素)|クランク]]状のものとなった<ref name="工事誌_681" />。また東頸城地方では、[[安塚町|安塚]]、[[大島村 (新潟県東頸城郡)|大島]]、室野(松代町西部)を経由する南側に膨らんだ路線を要望されて決着に時間を要したが、最終的にほぼ原案通りとなった<ref name="工事誌_681-682" />。ところが、国鉄側と最終的に詰める段階になり、[[直江津駅]]構内の貨物ヤード([[操車場 (鉄道)|操車場]])が処理能力の限界を迎えていたことから、黒井駅の[[犀潟駅]]寄りに新たな操車場を建設する構想が持ち上がった<ref name="工事誌_681-682" />。これにより北越北線の乗り入れは操車場に支障しない犀潟駅とならざるを得ず、旧[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]沿線から経路が外れて[[頸城村]]の中心地(2005年の合併以降の[[上越市]]頸城区百間町付近<ref name="頸城合併" /><ref name="頸城中心" />)も通らないことになった<ref name="工事誌_681" />。浦川原 - 犀潟間は、後の工事凍結時点で未着工であり、黒井の操車場計画が結局実現しなかったこともあって、工事再開時に新たな路線問題となりかけたが、最終的に六日町と犀潟を結ぶ経路で確定した<ref name="工事誌_681-682" />。
第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)から誘致運動が再開されたが、相変わらず南北の対立は残ったままであった。北線の利点は、より大きな都市を通過するため採算性がよく沿線の発展にも貢献すること、[[地すべり]]地帯がなく防災上有利なことで、南線の利点は距離が短く勾配も緩く、未開発の資源や温泉地帯を通過することなどとされた。これらの両線を合わせて「上越西線」とも称されていた。南線のルートは[[うらがわら駅|浦川原]]で分岐して、[[松之山町]]を通り、[[飯山線]]と[[越後鹿渡駅]] - [[越後田沢駅]]間を共用して[[信濃川]]を渡り、越後湯沢へつなぐ、道路の[[国道353号]]に近いものであった。1953年(昭和28年)2月の鉄道建設審議会では、地元の意見が未統一との理由で着工案を保留とした。南北両派の合意により、新潟県知事に裁定を一任することとなったが、同年8月に新潟県知事が北線採択の裁定を下すと、9月の期成同盟会総会を南線側がボイコットする事態となった。それからさらに両派の争いは続き、事態が動いたのは1962年(昭和37年)のこととなった。この頃、[[松之山町]]の中心部で地すべり災害が発生しており鉄道の通過ルートとしてふさわしくないとされたことと、道路交通の発達でそれほど鉄道にこだわる必要がなくなったことなどから、一方の路線が採択された際にはもう一方の路線側から鉄道へ連絡する道路を整備するということを条件に、国鉄に裁定を一任することになった。1964年(昭和39年)4月22日に北越北線が調査線に昇格し、9月28日に工事線となって、北越北線が正式に採択されることになった<ref name = "新線_144-149" />。


=== 国鉄新線としての建設 ===
1968年(昭和43年)8月14日にまず六日町 - 十日町間で着工した。概算工事費は50億1800万円とされた。さらに1973年(昭和48年)3月24日に十日町 - 犀潟間に着工し、この区間の概算工事費は239億3400万円とされた。国鉄との協議により、将来的な優等列車や貨物列車の運行を想定することになっていた。当初の仮称駅名は、六日町、西六日町、赤倉信号場、津池、十日町、薬師峠信号場、松代、儀明信号場、頸城大島、沢田、増田、犀潟とされていた。さらに当初は非電化で計画されていたが、途中で将来の[[鉄道の電化|電化]]に備えることになり、工事費は511億8600万円と見積もられるようになった。しかし[[鍋立山トンネル]]の難工事などにより工事は見込みよりかなり遅れることになった。そうしているうちに国鉄の経営悪化が進み、その対策として1980年(昭和55年)に[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法]](国鉄再建法)の施行により鉄道新線の工事は凍結されることになった。国鉄再建法での工事続行基準は、推定輸送密度が4,000 人/日以上とされていたが、北越北線の推定輸送密度は1,600 人/日であった。この時点で用地取得は73%、路盤工事は58%まで進捗しており、工事費は415億円が投じられていた<ref name = "新線_150-153" />。
1964年(昭和39年)9月28日に[[運輸大臣]]が定めた基本計画では、北越北線は起点を[[直江津市]]、終点を[[南魚沼郡]][[六日町]]とし、単線非電化で、[[線路等級]]は乙線とされていた<ref name="新線_150" />。これを基に工事実施計画の指示が行われた<ref name="新線_150" />。設計にあたっては、日本有数の豪雪地帯を通ることから[[雪崩]]や[[地すべり]]の起こらないような場所を選んでルートの設定を行い、将来的に貨物列車や急行列車の運行を行う優等線とすることを考えて勾配や曲線を少なくするようにした<ref name="新線_150-151" />。


公団の発足当時、工事線に指定されていた路線は全国で47路線あり、その総延長は約2,000キロメートル、総工費は約2000億円とされ、年間約100億円程度の公団の予算では実現にかなりの時間がかかるのは確実な状況であった<ref name="十年_32" />。北越北線も、鉄道建設審議会で「速やかに着工」という意見が添えられた路線に含まれていなかった<ref name="十年_32" />。しかし当時の地元国会議員らの熱心な取り組みもあって、比較的早く着工に漕ぎ着けることができた<ref name="十年_32" />。
国鉄再建法では、建設が中断された地方鉄道新線について、地元が第三セクターを設立して引き受けることが可能であると定めていた。1983年(昭和58年)に元首相の[[田中角栄]]の働きによりこの方向で動き出した。ただし、当時の[[君健男]]新潟県知事は第三セクター化に慎重であり、第三者のコンサルタントを入れて経営分析を行うことと、国鉄への乗り入れを行うことを条件としてつけた。コンサルタントも、[[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線]]に対して「永久に黒字転換する見込みがない」と厳しい診断を下した会社に依頼した。ところが新潟県の予想に反し、コンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字」との報告書を出し、また国鉄も直通運転を了承した。こうして1984年(昭和59年)8月30日に北越急行が設立され、1985年(昭和60年)2月1日に鉄道事業の免許を取得し、3月16日に工事が再開された<ref name = "新線_154-155_284" />。


まず[[六日町駅|六日町]] - [[十日町駅|十日町]]間について、1968年(昭和43年)3月28日に工事実施計画が認可され、8月14日に着工となった<ref name="新線_150" />。この区間を先に着工したのは、[[まつだい駅|松代]]と[[うらがわら駅|浦川原]]の間でのルートの決着が付いていなかったためである<ref name="工事誌_681" />。基本計画とは逆に起点は六日町、終点は十日町で、途中停車場は西六日町([[魚沼丘陵駅]])、赤倉信号場、津池([[美佐島駅]])と仮称されていた(カッコ内は開業時の駅名)<ref name="新線_151" />。最小曲線半径は400メートル、最急勾配は14パーミル、1メートルあたりの重量が40[[キログラム]](kg)である40 kg[[軌条|レール]]を使用し、橋梁の設計[[活荷重]]はKS-16、概算工事費は50億1800万円とされた<ref name="新線_151" />。
工事を中断した時点で鍋立山トンネルは中央部で645 mの未掘削区間が残されていた。しかしこのわずかな区間に、さらに10年余りの歳月と146億円の工費が投入されることになった。当初の中央導坑先進工法では強大な土圧により支保工が座屈するなどの問題を生じた。続いて[[トンネルボーリングマシン]]を導入したが、これも掘削中に土圧により発進地点より手前まで押し戻されてしまう事態となった。さらに注入剤を入れて、最終的には手掘りも実施するなどして、645 mを掘るために実に29の工法が駆使された。1992年(平成4年)10月29日にようやく先進導坑が貫通し、1995年(平成7年)3月7日に掘削完了、11月7日に竣工に漕ぎ着けた<ref name = "新線_216-221" />。


続いて1972年(昭和47年)10月11日に[[十日町駅|十日町]] - [[犀潟駅|犀潟]]間の工事実施計画が認可され、1973年(昭和48年)3月24日に着工された<ref name="新線_151-152" />。この区間の途中停車場は薬師峠信号場、松代([[まつだい駅]])、儀明信号場、頸城大島([[ほくほく大島駅]])、沢田([[虫川大杉駅]])、増田([[くびき駅]])と仮称されていた(カッコ内は開業時の駅名)<ref name="新線_152" />。最小曲線半径は1,000メートル、最急勾配は14パーミル、40 kgレールを使うが長大トンネル内は50 kgレールとし、橋梁の設計活荷重はKS-16、概算工事費は239億3400万円となった<ref name="新線_152" />。1979年度完成を予定していた<ref name="新線_151" />。
1988年(昭和63年)になり、[[整備新幹線]]問題の関係で[[北陸新幹線]]の建設の見通しが立たなかったことから、北越北線を高速化して[[スーパー特急]]を走らせる計画が[[運輸省]]から打ち出された。もともと優等列車の運転を想定して高い規格で建設されていたこともあり、翌1989年(平成元年)5月31日に高速化に伴う工事実施計画の変更が申請され、高速化事業が動き出した。これにより、JRと直通の特急列車を走らせるために電化が実施されることになった。建設に要するとされた310億円は、建設に当たっていた[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団)の地方新線工事費から70億円、幹線鉄道活性化事業費補助金が42億円、北越急行出資金が40億円、JR東日本の負担金が158億円とされた<ref name = "新線_156-207" />。


停車場の配線についても貨物列車の運行を前提とした計画になっており、単式ホームとされた[[魚沼丘陵駅|西六日町]]、[[美佐島駅|津池]]の両停車場以外のすべての停車場で列車交換が可能で、貨物列車相互の行き違いを想定してすべての交換可能駅で1,000トン貨物列車に対応した有効長460メートルを確保していた<ref name="工事誌_347" />。在来線併設の[[六日町駅|六日町]]、[[十日町駅|十日町]]、[[犀潟駅|犀潟]]を除くすべての停車場に、上下線とも[[安全側線]]を設置して、上下列車の待避線への同時進入を可能とすることになっていた<ref name="工事誌_347" />。六日町、十日町、松代の各停車場については、機関車牽引の10両編成を想定してプラットホームの有効長を240メートルとし、これ以外の停車場については電車列車の6両編成を想定した140メートルとしていた<ref name="工事誌_347" />。
当初計画では、六日町駅では北越急行専用プラットホームよりも高崎方でJRとの線路の接続を行うことになっていたが、専用プラットホームで発着する普通列車とは別に、越後湯沢からの特急列車が北越急行に直接進入できるようにする渡り線が追加されることになった。十日町駅では、JR線を乗り越した後に地上に降りてプラットホームを設ける計画であったが、プラットホーム前後に生じる急勾配と急曲線を解消するために高架上にプラットホームを設置することになった。犀潟駅では、高架でJR線を乗り越した後に海側に北越急行専用プラットホームを設ける計画であったが、信越本線の上下線の間に降りてJR線に乗り入れる構造に改めた。また、高速化の制約となっていた[[分岐器]]の通過速度制限を緩和するために、[[一線スルー]]にする改良を実施した。さらに[[カント (路線)|カント]]の向上を行った<ref name = "新線_156-207" />。


その後、国鉄[[新潟鉄道管理局]]からの防雪設備の完備や保守の軽減化への要望があり、さらに[[運輸省]]の通達で工事実施計画に含めるべき事項が加えられたこともあり、1978年(昭和53年)7月20日に工事実施計画が変更された<ref name="新線_153" />。これにより十日町 - 犀潟間の工事実施計画について、犀潟駅への取り付けの変更が行われ、最小曲線半径が1,000メートルから600メートルとなり、50 kgレールの使用と[[スラブ軌道]]の採用、電化対応設備を設けることが記載された<ref name="新線_153" />。十日町 - 犀潟間の工事予算は511億8600万円に改定され、完成予定期日は1983年(昭和58年)に延長されることになった<ref name="新線_153" />。
1997年(平成9年)3月22日に開業した。首都圏では「北陸新線」という名で宣伝された。同時に本路線を経由する[[特別急行列車|特急]]「[[はくたか (列車)|はくたか]]」の運転が開始された。当初から160 km/h運行に対応する設備で開業したが、さらなる技術的な検討を待ってから実際の160 km/h運転を開始することにしたため、当初の特急列車の最高速度は140 km/hとされた<ref name = "official_history" />。


この頃、[[全国新幹線鉄道整備法]]により全国的な新幹線ネットワークの整備計画が進められており、東京と北陸地方を結ぶ新幹線として'''[[北陸新幹線]]'''の基本計画が1972年(昭和47年)に制定されていた<ref name="鉄道計画_138-139" />。北陸新幹線は北越北線と重複する高速鉄道計画となったが、[[高度経済成長]]の時期でもありそれほど問題視はされず、また北陸新幹線が旅客輸送、北越北線が貨物輸送と役割分担することも考えられていた<ref name="鉄道計画_138-139" />。しかし1973年(昭和48年)に第一次[[オイルショック]]に見舞われると、北陸新幹線の建設は延期されることになった<ref name="鉄道計画_138-139" />。
1998年(平成10年)12月から「はくたか」が150 km/h運転を開始し、続いて2002年(平成14年)3月から当初の予定通りの160 km/h運転が開始されている<ref name = "official_history" />。


北越北線はその間も工事が続けられていたが、全国各地にある鉄道新線のうちの1か所として配分される建設予算に限りがあったことや、トンネル工事が難航していたことで建設工事が遅れていた<ref name="鉄道計画_139" />。そうしているうちに国鉄の経営悪化が進み、その対策として1980年(昭和55年)に'''[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法]](国鉄再建法)'''の施行により鉄道新線の工事は凍結されることになった<ref name="rf577-46" />。国鉄再建法での工事続行基準は、推定輸送密度が4,000人/日以上とされていたが、北越北線の推定輸送密度は1,600人/日であった<ref name="rj392-39" />。この時点で用地取得は73パーセント、路盤工事は58パーセントまで進捗しており、工事費はこの時点での総額見込み794億円に対して415億円が投じられていたが<ref name="新線_153" /><ref name="十年_33" />、1982年(昭和57年)3月に完成済み施設に対する保安工事が完了すると、建設工事は全面ストップした<ref name="鉄道計画_141" />。
2004年(平成16年)10月23日の[[新潟県中越地震]]では発生後全線で運転を見合わせた。10月26日より被害の少なかった[[犀潟駅|犀潟]] - [[まつだい駅|まつだい]]間で普通列車に限った臨時ダイヤによる運転を再開。11月2日に全線で運転を再開した。当初は速度制限つきの運転で、12月17日から160 km/h運転を再開している。また、2005年(平成17年)2月11日より上越線が全面復旧する3月24日までの間、週末を中心にのべ13日にわたって[[急行列車|急行]]「[[能登 (列車)|能登]]」がほくほく線を経由して運転された<ref name = "dr.hokuhoku_13" />。


=== 第三セクター方式での建設再開 ===
2007年(平成19年)7月16日に発生した[[新潟県中越沖地震]]では、特急「はくたか」が終日運休となる。翌17日から運転を再開した。
{{See also|鍋立山トンネル}}
[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法|国鉄再建法]]では、建設が中断された地方鉄道新線について、地元が'''[[第三セクター]]会社'''を設立して引き受けることが可能であると定めていた<ref name="新線_20-21" />。[[岩手県]]の[[三陸鉄道]]のように、早々にこの方針で動き出して、第三セクターでの開業を果たした鉄道もあった<ref name="全線_200-202" />。しかし北越北線については、鉄道の経営への不安があったことに加えて、新潟県出身の[[田中角栄]]元首相が「北越北線だけは特別に貨物幹線としてやらせる」と発言していたことなどもあり、沿線自治体は第三セクター化に興味を示さなかった<ref name="鉄道計画_140-141" />。だが結局北越北線が国鉄新線として工事再開されることはなかった<ref name="鉄道計画_140-141" />。

1983年(昭和58年)6月22日に東京で開催された北越北線建設促進期成同盟会総会に突然[[田中角栄]]が出席し、それまでの国鉄での建設再開の考えを撤回した上で、[[第三セクター]]での引き受け案を持ち出した<ref name="新線_154" /><ref name="鉄道計画_141" />。この提案は突然のことであり、沿線自治体の関係者を困惑させた<ref name="鉄道計画_141" />。当時の[[君健男]]新潟県知事は第三セクター化に慎重であったが<ref name="rj368-55" />、期成同盟会会長の諸里正典十日町市長は田中元首相の動きに呼応して第三セクター化を目指し、独断で国や公団との接触を開始した<ref name="鉄道計画_141 - 142" />。沿線の他の市町村は、こうした諸里市長の独断専行に不満を持っていたとされる<ref name="鉄道計画_141 - 142" />。

「プロの国鉄がやってもダメなものを、素人の県や市町村がうまくやれるはずがない」として慎重であった君知事は、第三者のコンサルタントを入れて経営分析を行わせ、また[[第三セクター]]化は[[越後湯沢駅|越後湯沢]] - [[六日町駅|六日町]]間と[[犀潟駅|犀潟]] - [[直江津駅|直江津]]間での国鉄への乗り入れを行うことを条件としてつけた<ref name="新線_284" />。コンサルタントも、[[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線]]に対して「永久に黒字転換する見込みがない」と厳しい診断を下した会社に依頼した<ref name="新線_284" />。ところが新潟県の予想に反し、コンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字」との報告書を出し、また国鉄も直通運転を了承した<ref name="新線_284" />。こうして梯子を外された格好となった新潟県は、第三セクター化推進の方針に転換することになった<ref name="鉄道計画_142 - 143" />。裏側では、田中元首相の政治力を背景に諸里市長が立ち回り、君知事を政治的に追い込んだ、と伝えられている<ref name="鉄道計画_142 - 143" />。こうして1984年(昭和59年)8月30日に'''[[北越急行]]株式会社'''が設立され、1985年(昭和60年)2月1日に鉄道事業の免許を取得し、3月16日に工事が再開された<ref name="新線_154-155" />。

[[第三セクター鉄道]]として建設を再開するにあたり、建設計画が修正された<ref name="工事誌_348-349" />。[[気動車]]による1両または2両編成程度を想定、最大で4両編成とし、旅客輸送のみに限定することになった<ref name="工事誌_348-349" />。これにより全体的にプラットホームと待避線の有効長が短縮され、頸城大島駅([[ほくほく大島駅]])の交換設備は省略されることとなった<ref name="工事誌_348-349" />。また、上下列車の待避線への同時進入を考慮しないこととして安全側線も省略された<ref name="工事誌_348-349" />。JR線と接続する[[六日町駅|六日町]]・[[十日町駅|十日町]]・[[犀潟駅|犀潟]]の駅配線は大幅に変更され、特に十日町は[[飯山線]]との平面交差から立体交差に修正された<ref name="工事誌_348-349" />。橋梁の設計活荷重については、国鉄時代にはKS-16荷重を想定していたが、旅客のみに改められたこともあり、第三セクター化以降に建設される場所についてはKS-12荷重を採用することになった<ref name="工事誌_71-72" />。また新座([[しんざ駅|しんざ]])、顕聖寺([[うらがわら駅|うらがわら]])、大池([[大池いこいの森駅|大池いこいの森]])の各駅が要望駅として追加になった(いずれも当時の仮称でカッコ内は開業時の駅名)<ref name="工事誌_354" />。

建設において最大のネックとなったのは路線のほぼ中央にある'''[[鍋立山トンネル]]'''であった。鍋立山トンネルは工事中断時点で中央部に645メートルの未掘削区間が残されており<ref name="rj368-49" />、1986年(昭和61年)2月24日に掘削が再開されたが、極度の膨張性地山のため、当初の中央導坑先進工法(先に中央部の導坑を掘削する工法)では強大な土圧により[[支保工|支柱]]が座屈するなどの問題を生じた<ref name="rj368-49" />。続いて[[トンネルボーリングマシン|トンネルボーリングマシン(TBM)]]を導入したが、これも掘削中に土圧により発進地点より手前まで押し戻されてしまう事態となった<ref name="rj368-49" />。その後、薬液の注入や<ref name="rj368-49" />、最終的には手掘りも実施する<ref name="rj428-23" />など、実に29の工法が駆使された<ref name="新線_219" />。1992年(平成4年)10月29日にようやく先進導坑が貫通し、1995年(平成7年)3月7日に掘削完了、11月7日に竣工<ref name="新線_217-219" />となり、これにより開業のめどが立つことになった<ref name="全線_56-57" />。結果的にこの区間には10年余りの歳月と146億円の工費が投入されることとなり<ref name="新線_216-217" />、のちにほくほく線の開業を左右したのは政治でも採算上の数値でもなく、鍋立山トンネルの工事であったと評された<ref name="全線_56-57" />。

=== 高速化の決定 ===
工事再開後も、鍋立山トンネル等の工事難航に伴い、開業も当初予定より遅れが生じていた。そのような中、1988年(昭和63年)になり、北越北線を高速化して'''[[新幹線鉄道規格新線|スーパー特急]]'''を走らせる計画が[[運輸省]]から打ち出された<ref name="rj392-39" />。当時、'''[[北陸新幹線]]'''は[[整備新幹線]]問題の関係で計画凍結は解除されたものの着工されておらず、1988年(昭和63年)のいわゆる「運輸省案」では長野以南の建設を優先し、高崎 - 軽井沢間のみフル規格、軽井沢 - 長野間は[[ミニ新幹線]]、糸魚川 - 魚津間、高岡 - 金沢間については構造物を[[新幹線]]と同じ規格で建設し、線路を[[在来線]]と同じ[[軌間]]にする[[新幹線鉄道規格新線|スーパー特急方式]]とする計画が提案されているに過ぎなかった。

北越北線はこの時点で路盤は完成していたが、軌道敷設は行われておらず、もともと優等列車の運転を想定して高い規格で建設されていたこともあり、翌1989年(平成元年)5月31日に高速化・電化に伴う工事実施計画の変更が申請され<ref name="新線_185" />、路線の[[軌道 (鉄道)|軌道]]は、最高速度200&nbsp;km/hも視野に入れた高規格路線での建設が開始された<ref name="鉄道テクノロジー3_88" />。

これにより、JRと直通の特急列車を走らせることとなり<ref name="rj368-55" />、高速化事業に要するとされた310億円は、建設に当たっていた公団の地方新線工事費から70億円、幹線鉄道活性化事業費補助金が42億円、北越急行出資金が40億円、JR東日本の負担金が158億円とされた<ref name="新線_194" />。JR東日本の負担分は、北越北線の利用権という無形財産取得名目として実施された<ref name="十年_38" />。

配線についても変更が行われ、当初計画では、[[六日町駅]]では北越急行専用プラットホームよりも高崎方でJRとの線路の接続を行うことになっていたが、専用プラットホームで発着する普通列車とは別に、[[越後湯沢駅|越後湯沢]]からの特急列車が北越北線に直接進入できるようにする[[渡り線]]が追加されることになった<ref name="rj428-29" />。[[十日町駅]]では、JR線を乗り越した後に地上に降りてプラットホームを設ける計画であった<ref name="rj428-29" />が、プラットホーム前後に生じる急勾配と急曲線を解消するために高架上にプラットホームを設置することになった<ref name="rj428-29" />。[[犀潟駅]]では、高架でJR線を乗り越した後に海側に北越急行専用プラットホームを設ける計画であったが、[[信越本線]]の上下線の間に降りてJR線に乗り入れる構造に改めた<ref name="rj428-29" />。

設備面では、高速化の制約となる[[分岐器]]の通過速度制限を緩和するために、[[一線スルー]]にする改良を実施した<ref name="rj392-40" />。軌道を強化するため、[[スラブ軌道]]区間を延長し、レールも一部を50 kgレールから60 kgレールに変更し、道床厚の増大や枕木の追加を実施した<ref name="新線_189-190" />。特急列車の最大10両編成に対応するようにプラットホームや交換駅の待避線有効長が再び延長された<ref name="新線_192-193" />。信号設備は、高速進行現示のできる信号機を設置し、また[[自動列車停止装置]] (ATS) をATS-P形とし、安全側線は省略されたままとした<ref name="新線_190-192" />。このほか、ホーム柵の設置、雪害対策の強化、騒音防止などの措置が採られた<ref name="新線_192" />。

最終的に総工費は、地方新線建設費として1026億円、高規格化255億円の合計1281億円となった<ref name="工事誌_9" />。工事期間中、死者は10名、負傷者は54名であった<ref name="工事誌_21" />。

この間、開業の5年前の1992年(平成4年)に路線の正式名称が「'''ほくほく線'''」に決定した<ref name="hokuhoku_enkaku" />。これは、[[北越急行]]と沿線自治体が沿線住民を対象に実施したアンケートから<ref group="注釈">アンケートの上位は「ほくほく線」と「北越ロマン線」の2つであった。</ref><ref name="hokuhoku_enkaku" />、「温かいイメージで親しみやすく、呼びやすい」という理由で選ばれたものである<ref name="hokuhoku_enkaku" />。異例の早い時期の路線名決定は、工事再開後もトンネル工事の遅延と高規格化工事で開業が遅れた結果である<ref name="鉄道計画_146" />。

試運転は施設が完成した1996年(平成8年)9月から開始されたが、狭軌での160&nbsp;km/h運転や狭小・単線・長大トンネルでの高速走行などは前例・基準が存在しなかったため、ほくほく線を用いた諸試験が北越急行のほか、[[鉄道総合技術研究所]]、公団、運輸省、JR東日本、JR西日本によって実施され、同年10月7日からは681系2000番台による160&nbsp;km/h運転試験が開始された<ref name="rf646-39" />。結果は比較的良好ではあり特段の問題は見られず、監督官庁から設計最高速度160&nbsp;km/hの認可を付与された<ref name="rf646-44" />。しかし、[[#最高速度160 km/hへの対応|後述]]するように単線トンネルでの気圧変動が車体に及ぼすダメージが経年とともに顕在化する恐れがあったため、北越急行自らの判断でさらなる技術的な検討を待ってから実際の160&nbsp;km/h運転を開始することにとし、当初の特急列車の最高速度は140&nbsp;km/hとされた<ref name="rj428-32" /><ref name="rf646-44" />。

=== 開業・さらなる高速化 ===
[[ファイル:Route_comparison_between_Tokyo_and_Hokuriku_ja.png|thumb|400px|東京と北陸を結ぶルートの変遷。ほくほく線開業前は、東海道新幹線米原乗換の「[[しらさぎ_(列車)#きらめき|きらめき]]」ルートと、上越新幹線長岡乗換の「[[北越_(列車)#かがやき|かがやき]]」ルートがあったが、ほくほく線開業により、金沢以東では上越新幹線越後湯沢乗換の「はくたか」ルートが使われるようになった。北陸新幹線が金沢まで延伸開業したあとは、芦原温泉以東では北陸新幹線が最速のルートとなった。]]
以上の経緯を経てほくほく線は、1997年(平成9年)3月22日に開業し<ref name="rj428-32" />、同時に、[[上越新幹線]]と[[越後湯沢駅]]で接続して首都圏と北陸地方を結ぶ[[特別急行列車|特急]]「'''[[はくたか]]'''」が、ほくほく線経由で運転を開始した<ref name="rj428-32" />。ほくほく線が開業する以前は、首都圏と北陸地方を結ぶ手段は[[東海道新幹線]]で[[米原駅|米原]]を経由するルートが一般的であった<ref name="rj428-23"/>が、ほくほく線が開業してからは上越新幹線と「はくたか」を乗り継ぐルートのほうが有利になる範囲が拡大された<ref name="rj557-32"/>。上越新幹線と越後湯沢で接続しての東京と金沢の間の最速所要時間は3時間43分となり、長岡経由に比べて15分短縮された<ref name="鉄道計画_147" />。なお、ほくほく線開業後、[[まつだい駅]]から[[松之山温泉]]を訪れる行楽客が増えたという<ref name="rj392-38" />。加えて、沿線では、開業により沿線地域では高校へ自宅からの通学が可能となり<ref name="rj368-55" />、進学時にほくほく線沿線の高校を選ばせたり<ref name="rj557-44" />、高校進学を機にほくほく線沿線に引っ越す事例さえ見られた<ref name="rj586-55" />。上越線が不通になると越後湯沢と六日町のタクシー利用が増加する事例もみられるようになった<ref name="rj557-44" />。

その後、[[#最高速度160 km/hへの対応|後述]]するように最高速度について段階的な検証を行い、1998年(平成10年)12月8日から「はくたか」が150&nbsp;km/h運転を開始した<ref name="rj428-33" />が、この時にはダイヤ改正は行わず<ref name="rj392-32" />、運転上の余裕時分の確保にあてられた<ref name="rj428-33" />。続いて2002年(平成14年)3月23日から当初の予定通りの160&nbsp;km/h運転が開始され<ref name="rj428-33" />、ほくほく線内においては140&nbsp;km/hでの運行当時と比較して1分30秒の所要時間短縮が実現した<ref name="rj428-33" />。加えて車両面も高速化が進み、160&nbsp;km/h運転開始時にJR西日本の485系が160&nbsp;km/h対応車の681系と交代し、2005年(平成17年)3月1日には、北越急行が160&nbsp;km/h対応車の[[JR西日本683系電車|683系8000番台]]を投入したことで、JR東日本の485系が撤退し、以後定期特急列車はすべて160&nbsp;km/h運転対応の車両となった。

ほくほく線は「[[#雪対策|雪対策]]」の節で後述するように周囲の路線と比べ比較的安定的な運用を行っているが、2000年代には度々自然災害に見舞われている。特に2004年(平成16年)10月23日の[[新潟県中越地震]]では発生後全線で運転を見合わせ<ref name="dr.hokuhoku_13" />、10月26日より被害の少なかった[[犀潟駅|犀潟]] - [[まつだい駅|まつだい]]間で普通列車に限った臨時ダイヤによる運転を再開し<ref name="dr.hokuhoku_13" />、11月2日に全線で運転を再開した<ref name="dr.hokuhoku_13" />。当初は速度制限つきの運転で、12月17日から160&nbsp;km/h運転を再開している<ref name="dr.hokuhoku_13" />。また、2005年(平成17年)2月11日より[[上越線]]が全面復旧する3月24日までの間、週末を中心にのべ13日にわたって[[急行列車|急行]]「[[能登 (列車)|能登]]」がほくほく線を経由して運転された<ref name="dr.hokuhoku_13" />。2007年(平成19年)7月16日に発生した[[新潟県中越沖地震]]では、特急「はくたか」が終日運休となり、翌17日から運転を再開した<ref name="dr.hokuhoku_b2" />。

一方、ほくほく線の高規格化が行われるきっかけとなった[[整備新幹線]]計画問題については、ほくほく線開業のおよそ半年後の1997年(平成9年)10月1日に'''[[北陸新幹線]]'''[[高崎駅|高崎]] - [[長野駅|長野]]間が開業したが、この時点では[[上越新幹線]]・ほくほく線経由が石川県東部・富山県・新潟県西部への最速ルートであることから、開業まで運転されていた特急「[[あさま|白山]]」のような長野駅から北陸地方への接続列車は定期運転されず、「長野(行)新幹線」という愛称が付けられる一因となった<ref name="鉄道計画_148-150" />。しかし、長野以北についても翌1998年(平成10年)3月12日に長野 - [[上越妙高駅|上越(仮称)]]間、2001年(平成13年)4月25日に上越(仮称) - [[富山駅|富山]]間、2005年(平成17年)4月27日に富山 - [[金沢駅|金沢]] - [[白山総合車両所|白山総合車両基地(仮称)]]間の工事計画がフル規格で認可され、順次着手されるなど、計画が見直されるたびにフル規格での建設が進められていった<ref name="鉄道計画_148-150" />。

当時、ほくほく線を運営する北越急行は10日間しか営業していなかった初年度を除いて毎年数億円の黒字となっており<ref name="rj392-41" />。2001年度の[[営業係数]]は73.0パーセントと、[[第三セクター鉄道]]の中では経営状態は良好であったが、全体の9割が特急による収益で、普通列車の収益は全体の1割にも満たなかった<ref name="rj557-44" />。このため、北陸新幹線開業に備えて、利益を赤字補填用に蓄えることとした。先述のJR東日本の485系を683系8000番台の自社による投入で置き換えたことも、JR東日本側の事情<ref group="注釈">当時、JR東日本では、自社管内にはない交流20000 V・60 Hzで電化された北陸本線でも走行できる特急型車両として[[JR東日本E653系電車|E653系]]が存在した。しかし、「はくたか」は当時JR西日本・JR東日本・北越急行の3社で運行距離による比率で車両の運用数を按分し相殺していたため、仮にJR東日本が車両を新造した場合「はくたか」用単体ではごく少数の新造(最低1編成、485系3000番台は予備を入れて2編成)に留まり、加えて高速運転対応設備が求められる。また、北陸新幹線開業後に他線区に転用することがほぼ確実であるため、新潟地区など他線区の置き換えと同時に新造すると余剰となる可能性があった。</ref>のほか、全便高速化による運用効率向上によるサービスアップ・増収や、JR東日本への[[車両使用料]]の支払いを無くし、逆に従来3社で相殺していたJR東日本・西日本線の走行時の車両使用料収入を得るという目的もあった<ref name="dr.hokuhoku_11" />。こうして、最終的には2013年(平成25年)3月31日時点で約92億円の剰余金を持った状態<ref name="鉄道計画_151-152" />でほくほく線は2015年3月14日の北陸新幹線長野 - 金沢間開業を迎えることとなった。

=== 北陸新幹線金沢延伸開業以降 ===
[[File:HK100 Cho Rapid Service Snow Rabbit, Naoetsu station.jpg|thumb|[[直江津駅]]に停車中の超快速「[[#超快速「スノーラビット」|スノーラビット]]」]]
2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線の金沢開業後は、特急「はくたか」の廃止により、ほくほく線は地域輸送を主とする路線として再出発を切ることになった<ref name="鉄道計画_149-151" /><ref name="jreast20140827" /><ref name="jrwest20140827" /><ref name="hakutakahaishi" /><ref name="20141219 press" />。このため、同日より国土交通省運輸局への申請最高運転速度を130&nbsp;km/hに引き下げ、設備についても順次スリム化・使用停止・撤去が行われている<ref name="rf670-69" />。

その後、北越急行は2015年度決算で最高速度引き下げなどによる施設の評価損等により前年度の11億円の黒字から11億円の最終赤字に転落<ref>{{Cite news |title=北越急行、特急廃止響き初の最終赤字 15年3月期 |newspaper=日本経済新聞 |date=2015-06-26 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLZO88530340V20C15A6L21000/ |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2015-12-08}}</ref>、その後も6億円前後の最終赤字で推移している<ref>{{Cite news |title=北越急行 5億5800万円赤字 前期単独最終 |newspaper=日本経済新聞 |date=2017-06-26 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO18175570X20C17A6L21000/ |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2017-07-08}}</ref>。しかし北越急行では2012年(平成24年)時点で「はくたか」利用者の22パーセントから25パーセントが直江津駅(アクセスには北陸新幹線でも[[上越妙高駅]]からの乗り換えを要する)で乗降している<ref name="rj557-45" />ことや、沿線の十日町を中心に東京や金沢と相互のビジネス需要が見込まれること<ref name="toyok20150803" />から、「ほくほく線経由の需要も残るのではないか」とし<ref name="rj557-45" />、事業を当面継続することは可能であるという見通しを持った<ref name="rj557-45" />。

運行面では特急の廃止により普通列車の時分短縮が実現した。加えて「ほくほく線全体の速さと便利さをアピール<ref name="toyok20150803" />」する「快速を超える列車」<ref name="faq">{{Cite web|和書|url=http://www.hokuhoku.co.jp/answer.html#qa2|title=よくあるご質問|publisher=北越急行|accessdate=2016-07-16}}</ref>として、前年の2014年(平成26年)から越後湯沢 - 直江津間を1時間で結ぶ「'''[[#超快速「スノーラビット」|超快速列車]]'''」の運行を計画し<ref name="superrapid" />、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で「'''スノーラビット'''」の愛称で運転開始した<ref name="20141219 press" />。この超快速は日本国内において乗車券だけで乗れる列車としては、2016年時点で表定速度が最も高い列車であり<ref name="toyok20150803" />、特に直江津駅からは、上越妙高駅乗り換えの北陸新幹線経由と所要時間で遜色がなく、かつ運賃+特急料金が1,000円以上安いことをセールスポイントとし、北陸新幹線との対抗馬、線内における「はくたか」の後継としての側面も名実ともに強く意識されている。一方で、超快速列車の[[越後湯沢駅|越後湯沢]]発1本と折り返しの普通列車越後湯沢行きを、同日信越本線を転換して開業した[[えちごトキめき鉄道]][[えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン|妙高はねうまライン]][[新井駅 (新潟県)|新井駅]]まで直通させる<ref name="20150219pr">{{Cite press release |和書 |title=北越急行からえちごトキめき鉄道への乗入れ |publisher=北越急行株式会社・えちごトキめき鉄道株式会社 |date=2015-02-19 |url=http://www.hokuhoku.co.jp/press/20150219pr.pdf |format=PDF |accessdate=2015-11-07}}</ref>ことで、沿線から[[高田駅 (新潟県)|高田駅]]・上越妙高駅へのアクセスを高めているなど、北陸新幹線と協力する一面もある。

また、新たな収入源として、2016年(平成28年)には普通列車の六日町駅 - うらがわら駅間にて宅配便の荷物を輸送する、いわゆる「[[客貨分離|貨客混載]]」を行うことで[[佐川急便]]と合意し<ref>{{Cite news |title=佐川、三セク鉄道で宅配便輸送 トラックを代替 |newspaper=日本経済新聞 |date=2016-06-03 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ03H2T_T00C16A6TJC000/?n_cid=TPRN0004 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2016-06-06}}</ref>、試運転(トライアル)ののち<ref name="rf670-70_73" />、2017年4月18日より夜間の普通列車1往復で、本格的な運用が開始されている<ref name="20170410 press" />。これは、先述のように並行道路である[[国道253号]]の道路状況が峠越えの連続や冬季の積雪で依然劣悪であり、場合によっては高速道を用いて長岡経由で輸送せざるを得ない<ref name="rf670-70_73" />など、営業所間の輸送に支障が生じる場合があるためで、普通列車として使用しているHK100形車両に佐川急便のカーゴ台車を固定可能とする改造を行い、運用している<ref name="rf670-70_73" />。

2018年5月29日、北越急行は同年12月1日より普通運賃と通勤定期運賃を10 %値上げする変更認可申請を国土交通省[[北陸信越運輸局]]に行ったことを発表した<ref name="press20180529">{{Cite press release |和書 |title=ほくほく線 運賃の変更認可申請について |publisher=北越急行 |date=2018-05-29 |url=http://www.hokuhoku.co.jp/press/20180529.pdf |format=PDF |accessdate=2018-05-31}}</ref>。また、トイレ付き車両を当初の計画よりも前倒しで導入することを検討していることも発表された<ref name="press20180529"/>。
2018年12月1日、「永続的に鉄道を走らせていく」ため運賃改定が実施された。普通運賃と通勤定期が10 %値上げされたが、通学定期は据え置かれ、中学生用定期が新設された<ref>{{Cite press release |和書 |title=運賃改定の実施について |publisher=北越急行 |date=2018-11-07 |url=https://hokuhoku.co.jp/unchinkaitei.html |accessdate=2019-02-08}}</ref><ref name="20180927 press" />。

=== ほくほく線ミニ新幹線化案 ===
2023年9月29日、[[新潟市]] - [[上越地方|上越地域]]間の鉄道高速化に向けて、新潟県が信越本線・[[えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン]]長岡駅 - 上越妙高駅間の改良2案に加えて、新たに信越本線・[[えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン]]長岡駅 - 糸魚川駅間をミニ新幹線化する案、ほくほく線を[[ミニ新幹線]]化する案の2案を示し、時間短縮効果など比較検討するとした<ref>{{Cite press release |和書 |title=第4回高速鉄道ネットワークのあり方検討委員会を開催しました。(令和5年9月27日) |publisher=新潟県|date=2024-03-29 |url=https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/koutsuseisaku/kousokutetudou-network4.html|accessdate=2024-09-20}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title= 新潟市⇔上越地域の鉄道高速化へ、新潟県が新たに2案 長岡-糸魚川間とほくほく線をミニ新幹線化、時間短縮効果など比較検討|publisher=新潟日報社|date=2023-09-29 |url=https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/289298 |accessdate=2024-09-20}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=「新潟市~上越市」鉄道高速化で4案検討、いっそ新幹線が正解かも |publisher=マイナビ|date= 2023-10-19|url=https://news.mynavi.jp/article/20231009-niigatajoetsu/ |accessdate=2024-09-20}}</ref>。


=== 年表 ===
=== 年表 ===
* 1931年(昭和6年)9月 - 地元の関係者による鉄道敷設運動が始まる。
* 1931年(昭和6年)8月 - 地元の関係者が国会請願書を提出し、鉄道敷設運動が始まる<ref name="新線_140-141" />
* 1940年(昭和15年) - 北越南線の計画が持ち上がって「南北戦争」勃発
* 1940年(昭和15年) - 越後湯沢と結ぶ北越南線構想が持ち上がる<ref name="新線_142" />
* 1944年(昭和19年) - 信濃川発電所工事線を延長する形で松代と結ぶ路線の建設が決まるが、後に敗戦により計画中止<ref name="新線_142" />。
* 1950年(昭和25年)9月3日 - 北陸上越連絡鉄道(上越西線)期成同盟会発会式<ref name="新線_144" />。
* 1953年(昭和28年)
* 1953年(昭和28年)
** 2月 - 第9回鉄道建設審議会で地元意見の不一致を理由として審議未了・保留。
** 2月 - 第9回鉄道建設審議会で地元意見の不一致を理由として審議未了・保留<ref name="鉄道計画_133-134" />
** 8月 - 新潟県知事裁定により北越北線採択。
** 8月 - 新潟県知事裁定により北越北線採択<ref name="新線_147" />
** 9月 - 期成同盟会総会を南線側がボイコット。
** 9月 - 期成同盟会総会を南線側がボイコット<ref name="新線_147" />
* 1961年(昭和36年)2月23日 - 南北両派が一本化で協力推進する協約を締結。
* 1961年(昭和36年)2月23日 - 南北両派が一本化で協力推進する協約を締結<ref name="新線_148" />
* 1962年(昭和37年)
* 1962年(昭和37年)
** 4月22日 - 鉄道建設審議会が上越西線(北越北線)を予定線に採択。
** 4月22日 - 鉄道建設審議会が上越西線(北越北線)を予定線に採択<ref name="新線_148" />
** 5月12日 - 鉄道敷設法別表第553号により、予定路線に編入。
** 5月12日 - 鉄道敷設法第1条別表第553号により、予定路線に編入<ref name="衆議院19620512" />
* 1964年(昭和39年)
* 1964年(昭和39年)
** 4月22日 - 運輸大臣により、北越北線を調査線に指示。
** 4月22日 - 運輸大臣により、北越北線を調査線に指示<ref name="新線_149" />
** 9月28日 - 工事線に昇格、[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団)に対して工事実施計画の指示。
** 9月28日 - 工事線に昇格<ref name="新線_149" />、運輸大臣が路線の基本計画を定め、[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団)に対して工事実施計画の指示<ref name="新線_150" />
* 1968年(昭和43年)
* 1968年(昭和43年)
** 223日 - 北越北線六日町 - 十日町間工事実施計画認可申請
** 328日 - 六日町 - 十日町間工事実施計画認可<ref name="新線_150" />
**4月20日 - 六日町にて北越北線起工式挙行<ref>『かけ声も高らかに 待望の北越北線が起工式』昭和43年4月21日読売新聞新潟読売B</ref>。
** 3月28日 - 六日町 - 十日町間工事実施計画認可。
** 8月14日 - 六日町 - 十日町間着工。
** 8月14日 - 六日町 - 十日町間着工<ref name="新線_150" />
* 1972年(昭和47年
* 1972年(昭和47年)10月11日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画認可<ref name="新線_150" />。
** 821日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画の認可申請
* 1973年(昭和48年)324日 - 十日町 - 犀潟間<ref name="新線_150" />
* 1978年(昭和53年)7月20日 - 停車場有効長の延伸、[[スラブ軌道]]の採用、電化準備工事などを含めた工事実施計画変更<ref name="新線_153" />。
** 10月11日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画認可。
* 1980年(昭和55年)12月27日 - 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行<ref name="衆議院19801227" />により工事凍結<ref name="新線_153" />。
* 1973年(昭和48年)3月24日 - 十日町 - 犀潟間着工。
* 1978年(昭和53)720日 - 停車場有効長延伸、[[スラブ軌道]]の採用、電化準備工事などを含めた工事実施計画変更
* 1982年(昭和57)3月 - 完成済み施設保安工事完了、工事全面停止<ref name="鉄道計画_141" />
* 1983年(昭和58年)6月22日 - 北越北線建設促進期成同盟会総会において、田中角栄元首相から第三セクター化の構想が提示される<ref name="新線_154" />。
* 1980年(昭和55年)12月27日 - 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により工事凍結。
* 1983年(昭和58年)6月22日 - 北越北線建設促進期成同盟会総会において、田中角栄元首相から第三セクター化の構想が提示される。
* 1984年(昭和59年)
* 1984年(昭和59年)
** 3月1日 - 第三セクター設立準備会設立。
** 3月1日 - 第三セクター設立準備会設立<ref name="新線_154-155" />
** 8月27日 - 北越急行創立総会を新潟市で開催。
** 8月27日 - 北越急行創立総会を新潟市で開催<ref name="新線_154-155" />
** 8月30日 - 北越急行株式会社設立登記。
** 8月30日 - 北越急行株式会社設立登記<ref name="新線_154-155" />
** 11月8日 - 国鉄再建法第14条第1項に基づく国鉄新線の告示。
** 11月8日 - 国鉄再建法第14条第1項に基づく国鉄新線の告示<ref name="新線_154-155" />
* 1985年(昭和60年)
* 1985年(昭和60年)
** 2月1日 - 北越急行が地方鉄道業の免許を受ける。
** 2月1日 - 北越急行が地方鉄道業の免許を受ける<ref name="新線_154-155" />
** 2月25日 - 運輸大臣により鉄道公団へ工事実施計画の指示。
** 2月25日 - 運輸大臣により鉄道公団へ工事実施計画の指示<ref name="新線_154-155" />
** 3月16日 - 鉄道公団により工事再開。
** 3月16日 - 鉄道公団により工事再開<ref name="新線_154-155" />
* 1988年(昭和63年)8月 - 運輸省が「整備新幹線運輸省規格案」を発表、北陸新幹線と連携した幹線鉄道とするための、北越急行の電化・高規格化を提唱。
* 1988年(昭和63年)8月 - 運輸省が「整備新幹線運輸省規格案」を発表、北陸新幹線と連携した幹線鉄道とするための、北越急行の電化・高規格化を提唱<ref name="新線_179-180" />
* 1989年(平成元年)
* 1989年(平成元年)
** 3月28日 - JR東日本と北越急行の間で北越北線高規格化に関する基本協定を締結。
** 3月28日 - JR東日本と北越急行の間で北越北線高規格化に関する基本協定を締結<ref name="新線_187-188" />
** 5月31日 - 北越急行、事業基本計画の変更申請、最高速度を95 km/hから160 km/hへ、動力方式を内燃から電気へ。
** 5月31日 - 北越急行、事業基本計画の変更申請、最高速度を95&nbsp;km/hから130&nbsp;km/hへ、動力方式を内燃から電気へ、別途160&nbsp;km/h対応で基礎的施設の工事を行っておくことを表明<ref name="新線_185-186" />
** 7月31日 - 運輸大臣が鉄道公団に対して工事実施計画の変更指示。
** 7月31日 - 運輸大臣が鉄道公団に対して工事実施計画の変更指示<ref name="新線_186" />
** 10月2日 - 高規格化対応工事に着手。
** 10月2日 - 高規格化対応工事に着手<ref name="新線_186" />
* 1997年(平成9)3月22日 - ほくほく線開業。
* 1996年(平成8
** 4月15日 - まつだい駅構内にてレール締結式<ref name="工事誌_318" />。
* 1998年(平成10年)12月 - 「はくたか」を150 km/hにスピードアップ。
** 9月19日 - HK100形初入線。速度35&nbsp;km/h<ref name="rf646-39" />。
* 2002年(平成14年)3月 - 「はくたか」を160 km/hにスピードアップ。
** 9月28日 - [[JR西日本681系電車|681系2000番台]]初入線。段階的に速度を上昇<ref name="rf646-39" />。
** 10月7日 - 681系による160&nbsp;km/h走行試験を開始<ref name="rf646-39" />。
* 1997年(平成9年)3月22日 - ほくほく線開業<ref name="rj428-32" />。特急「はくたか」運転開始。
* 1998年(平成10年)12月8日 - 「はくたか」を150&nbsp;km/hにスピードアップ<ref name="5周年_26-27" />。
* 2002年(平成14年)3月23日 - 「はくたか」を160&nbsp;km/hにスピードアップ<ref name="5周年_26-27" />。
* 2004年(平成16年)
* 2004年(平成16年)
** 10月23日 - 新潟県中越地震発生、全線で運休となる。
** 10月23日 - 新潟県中越地震発生、全線で運休となる<ref name="dr.hokuhoku_13" />
** 10月26日 - 犀潟 - まつだい間で運転再開。
** 10月26日 - 犀潟 - まつだい間で運転再開<ref name="dr.hokuhoku_13" />
** 11月2日 - 全線で運転を再開。
** 11月2日 - 全線で運転を再開<ref name="dr.hokuhoku_13" />
* 2007年(平成19年)7月16日 - 新潟県中越沖地震発生、「はくたか」の運転を1日休止。
* 2007年(平成19年)7月16日 - 新潟県中越沖地震発生、「はくたか」の運転を1日休止<ref name="dr.hokuhoku_b2" />
* 2015年(平成27年)
** 3月14日 - 北陸新幹線 長野 - 金沢間の開業に伴い、特急「はくたか」廃止<ref name="jreast20140827" /><ref name="jrwest20140827" /><ref name="hakutakahaishi" />。最高速度160&nbsp;km/h運転を終了し、国土交通省への申請最高運転速度を130&nbsp;km/hへ引き下げ<ref name="rf670-69" />。超快速列車「[[#超快速「スノーラビット」|スノーラビット]]」運転開始<ref name="rf650-32"/>および[[えちごトキめき鉄道]]への乗入れ開始<ref name="20150219pr" />。
** 11月7日 - イベント列車として犀潟 - 六日町間を約4時間かけて走る「[[#超低速「スノータートル」|超低速スノータートル]]」を運行、先着順での受付のためわずか30分で完売した<ref name="trafficnews20151108" /><ref name="raifjp20151005" /><ref name="mynavi20151006" />。
* 2016年(平成28年)
** 8月28日 - イベント列車「超低速スノータートル」第2弾を運行。今回以降先着順から抽選に変更、競争率3倍。
** 11月8日 - [[佐川急便]]と連携した貨客混載列車の試運転を報道各社に公開<ref name="rf670-70_73" />。
* 2017年(平成29年)4月18日 - 夜間の普通列車1往復の六日町 - うらがわら間で佐川急便との貨客混載を開始<ref name="20170410 press" />。
* 2018年(平成30年)12月1日 - 普通運賃と通勤定期運賃を改定し10 %値上げ<ref name="20180927 press" />。
* 2023年(令和5年)3月18日 - 超快速列車を含む全ての快速列車及び、大池いこいの森駅通過の普通列車といった、六日町 - 犀潟間の線内で通過運転を行う定期列車が全廃。平日のみ運行の列車が1往復設定。最高速度を95&nbsp;km/hに引き下げ<ref name="20221216 press">{{Cite web|和書|url=https://hokuhoku.co.jp/press/20221216.pdf |title=2023年3月18日 ほくほく線ダイヤ改正 |access-date=2022-12-19 |publisher=北越急行株式会社}}</ref>。

== 施設 ==
先述のように、ほくほく線は数回の工事計画の変更を経て、全線単線<ref name="rj557-27" />、直流1500 [[ボルト (単位)|V]]電化で建設されている。しかし、高速運転を実施し、1日の間に数十センチの積雪があるほどの豪雪地帯<ref name="rj557-36" />を通過するため、各種の対策が施されている。

=== 最高速度160 km/hへの対応 ===
[[ファイル:Hokuhoku line hakutaka13 service.JPG|thumb|[[くびき駅]]を高速で通過する特急「はくたか」]]
開業当時の線内最高速度は160&nbsp;km/hで、これは新幹線を除く鉄道では[[京成電鉄]][[京成成田空港線|成田空港線(成田スカイアクセス線)]]の「[[スカイライナー]]」とともに日本では最速、狭軌では単独の国内最速であった。このため、後述のように各種設備はそれに対応して設計された。

160&nbsp;km/hに設定された背景には、国鉄時代に[[湖西線]]で行われた高速走行試験の目標が160&nbsp;km/hであったこと<ref name="rj428-23" />や、「新幹線と在来線の軌間の比率を考えると、200&nbsp;km/hに対して160&nbsp;km/hとなる」という考えもあったことが挙げられる<ref name="rj557-29" />。「140&nbsp;km/hでも十分」という意見もあった<ref name="rj557-29" />が、関係者や技術者の多くは「絶対に在来線鉄道の将来に役立つ」と協力を惜しまなかったという<ref name="rj557-29" />。

1947年に定められた[[鉄道運転規則]]に基づき、どんな場合でもブレーキ開始から走行600&nbsp;m以内に停止できること([[600メートル条項]])が、在来線では必須とされてきた<ref name="鉄道の科学_153"/>。2009年現在でも、新幹線以外の鉄道ではこの停止距離が標準的な要求となっている<ref name="新世代鉄道の技術_127"/>。ほくほく線の車両も600&nbsp;m以内での停止要求は実現できていないが、ほくほく線は後述する原則踏切を排した完全立体の線路、ATS-P形式の[[自動列車停止装置]]、GG信号等が導入され<ref name="鉄道テクノロジー3_89"/>、特例措置として160&nbsp;km/h走行が認められた<ref name="鉄道テクノロジー3_89"/>。

しかし、1996年から開始された開業前の試運転の際には、高速走行時の車内で予想以上の気圧変動が発生しており<ref name="rj428-30" />、気密構造でなかった681系を使用した試運転で窓の接着部分には指が入るほどの隙間ができてしまったことすらあった<ref name="rj557-29" />。これらの現象は、ほくほく線のトンネルが単線断面であり、かつトンネル断面が複雑であることが要因であり<ref name="rj428-30" />、ほくほく線で高速運転を行う特急形車両については、客室扉が閉じた際に車体に圧着させるなどの対策を施した簡易気密構造の車両に限定されることになった<ref name="rj428-30" />。その後の半年にわたる試運転で安全性は立証された<ref name="rj428-32" />ものの、万全を期して、開業当初の最高速度は140&nbsp;km/hとした<ref name="rj428-32" />。その2年後に行われた特急形車両の重要部検査時には、車両の構体に亀裂などがないかを微細に確認した上で<ref name="rj428-32" />、1998年12月8日から150&nbsp;km/h運転を開始した<ref name="5周年_26-27" />。さらに2年後に行われた全般検査時にも構体に対して同様の確認を行い<ref name="rj428-33" />、2000年11月21日には160&nbsp;km/h運転の試運転を行った上で問題がないことを確認<ref name="rj428-33" />、2002年3月23日から160&nbsp;km/h運転が開始されている<ref name="5周年_26-27" />。

ただし、通常ダイヤであれば155&nbsp;km/h程度で定時運行が可能で<ref name="rj557-31" />、160&nbsp;km/hは列車が遅延した際の余裕と考えられていた<ref name="rj557-31" />。また、最高速度である160&nbsp;km/hで走行できる区間は、勾配などの影響から下り列車(犀潟方面行き)が赤倉・鍋立山・霧ヶ岳の各トンネル内とくびき駅から犀潟駅までの高架橋区間<ref name="rj428-33" />、上り列車(六日町方面行き)では薬師峠トンネル内となっている<ref name="rj428-33" />。さらに、気圧変動の緩和のため、ATS-Pによってトンネル進入時に130&nbsp;km/hに速度を落とし、進入後のトンネル内で160&nbsp;km/hまで加速させている<ref name="rj428-33" />。

北陸新幹線開業後の2015年3月14日以降は特急列車の160&nbsp;km/h運転を終了し、国土交通省運輸局への申請最高運転速度を160&nbsp;km/hから引き下げている。なお、営業列車は基本的に110&nbsp;km/h(2023年3月18日からは95&nbsp;km/h<ref name="20221216 press" />)で運転する普通列車のみとなったが、[[JR東日本E491系電車|E491系]]検測車や[[国鉄485系電車|485系]]などのJR車両を運転するため、申請最高運転速度は130&nbsp;km/hとしている<ref name="rf670-69" />。なお、160&nbsp;km/h運転に関わる技術は[[京成成田空港線|成田スカイアクセス線]]へ継承されており<ref name="rf646-53" />、[[日本鉄道運転協会]]から北越急行に対して、160&nbsp;km/hによる運転の実績と京成電鉄への技術承継を評価する「東記念賞」が授与されている<ref name="rf646-53" />。

=== 構造物 ===
建設中数度に渡り工事実施計画の変更が行われたが、最終的に最小曲線半径は400メートル、最急勾配は33パーミルとなっている<ref name="工事誌_7-8" />。半径の小さな曲線はすべて、JR線と接続する六日町・十日町・犀潟の駅付近に位置し、それ以外の区間では半径800メートル以上である<ref name="新線路_34-35" />。もっとも曲線のきつい半径400メートルのカーブは犀潟駅の1か所のみで、制限速度は80&nbsp;km/hである<ref name="新線路_34-35" />。高規格化にあたって、緩和曲線長の延伸などの改良が行われている<ref name="新線路_34-35" />。[[踏切]]は、始終端の六日町駅・犀潟駅構内の2か所のみであり<ref name="新線_180" />、線区の中間にはまったく踏切が存在しない。この2か所の踏切では、前後に存在する曲線や分岐器に伴う速度制限により、列車の通過速度が130&nbsp;km/h以下に抑えられることから、他の線区の踏切と同等であるとして、特段の保安措置は採られていない<ref name="新線_190-192" />。

==== 軌道 ====
[[File:Movable nose crossing Kubiki Station.jpg|thumb|[[くびき駅]]の[[分岐器#ノーズ可動クロッシング|ノーズ可動クロッシング]]]]
[[軌条]](レール)は1メートルあたりの重さが60 kgである60 kgレールが大半を占め、一部の区間では50 kgレールも使用している<ref name="工事誌_307" />。2009年現在では、在来線では50 kgレールが一般的で60 kgレールの採用は少ない<ref name="鉄道テクノロジー3_91"/>。60 kgレールは新幹線と同じレールで、その重さにより高速走行の衝撃に耐えることができ、車両の高速走行の安定化に貢献している<ref name="鉄道テクノロジー3_91"/>。

[[軌道 (鉄道)|軌道]]は、トンネル内や高架橋など全線の約7割で[[スラブ軌道]]が採用され<ref name="工事誌_307" />、軌道の強化と保守の低減が図られている<ref name="鉄道テクノロジー3_91"/>。このスラブ軌道には「枠型スラブ」と称するコンクリート使用量が少ないものが採用されており<ref name="rj557-38" />、その後東北新幹線・北陸新幹線の延伸部分でも採用された<ref name="rj557-38" />。

築堤など約2割の区間は[[バラスト軌道]]を用いたが、築堤上にアスファルトを敷き雨水浸水対策をしたうえで軌道を敷設している<ref name="rf646-33" />。このほか、事情に応じて合成まくらぎ直結軌道、弾性まくらぎ直結軌道、鋼直結軌道、パネル軌道などの区間もある<ref name="工事誌_307" />。住宅の多い地域では、バラスト軌道と[[枕木|コンクリート枕木]]の組み合わせを採用し、騒音低減を図るなどの配慮が行われている<ref name="鉄道テクノロジー3_91"/>。

本線上において高速走行の列車が通過する場所にある[[分岐器]]12組は[[分岐器#ノーズ可動クロッシング|ノーズ可動クロッシング]]とした<ref name="rj557-28" /><ref group="注釈">ノーズ可動クロッシングにすることによって、ポイントを高速で通過しても脱線しにくくなる。</ref>が、これは開業時点では、新幹線以外の日本の鉄道ではほくほく線を含めても20組程度しか導入されていなかった特殊な分岐器である<ref name="rj557-28" />。十日町駅構内については、駅前後の曲線で速度制限を受けることによって130&nbsp;km/h以下の速度での通過となるため<ref name="rj557-30" />、ノーズ可動クロッシングを使用していない<ref name="rj557-30" />。また、交換設備はすべて1線スルー方式で<ref name="rj392-40" />、直進側を通過する際には最高速度のままで通過可能である<ref name="rj392-40" />。

==== トンネル ====
魚沼丘陵と東頸城丘陵を横断する線形からトンネルが14か所と多く<ref name="rj368-54" />、すべてのトンネルの長さを合計すると40,342メートルとなり、これは路線長59,468メートルの67.8パーセントに相当する<ref name="工事誌_66" />。他の構造種別は、土路盤が9,679メートルで16.3パーセント(うち切取1,042メートル、盛土8,637メートル)、橋梁が9,447メートルで15.9パーセントである<ref name="工事誌_66" />。[[#軌道|後述]]のように単線であることに加えて、非電化を前提として建設が開始されたため、通常の複線電化されたトンネルと比較してトンネル断面積が小さいことが特徴である<ref name="鉄道テクノロジー3_89"/>。

全長が3,000メートルを超えるトンネルについて、起点側から順に以下に示す。

;[[赤倉トンネル]]
:魚沼丘陵 - しんざ間に位置する全長10,471.5メートルのトンネルで、トンネル内に[[赤倉信号場]]と[[美佐島駅]]が存在する<ref name="dr.hokuhoku_5" />。国鉄・JR以外の日本の鉄道用として開通した山岳トンネルではもっとも長い<ref name="dr.hokuhoku_5" /><ref group="注釈">開業時点ではJR以外の日本の山岳用鉄道トンネルとして最長であったが、2015年3月14日の北陸新幹線開業に伴い、北陸本線の[[頸城トンネル]](11,353&nbsp;m、1969年開通)が[[えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン]]の所属に移管されたため、「JR以外の鉄道で最長の山岳トンネル」の座は譲っている。</ref>。東工区4,281.5メートル、中工区4,140.0メートル、西工区2,050.0メートルの3つの工区に分割して施工され、東工区および中工区では膨張性地圧と大量の湧水により工事が難航した<ref name="工事誌_129" />。トンネル内で上越新幹線の[[塩沢トンネル]]と立体交差となっており、交差部でのトンネル間隔は1メートルもない条件で、先に赤倉トンネルが施工されたことから塩沢トンネル施工前に赤倉トンネルに補強工事を行っている<ref name="上越工事誌" />。1969年(昭和44年)から1974年(昭和49年)にかけて建設され<ref name="工事誌_125" />、工事凍結時点では既に完成済みであった。
;薬師峠トンネル
:十日町 - まつだい間に位置する全長6,199.17メートルのトンネルで、トンネル内に薬師峠信号場が存在する<ref name="dr.hokuhoku_5" />。東工区3,647メートル、西工区2,522メートルに分割されて施工され、西工区では地質に恵まれ順調に掘削できたものの、東工区は大規模な異常出水に直面したほか、国鉄[[信濃川発電所]]用の水路トンネル2本との立体交差があり、特別な対応が求められた<ref name="工事誌_150" />。1973年(昭和48年)から1979年(昭和54年)にかけて建設され<ref name="工事誌_125" />、工事凍結時点では既に完成済みであった。
[[ファイル:HK100 Yumezora2 and Nabetachiyama tunnel Hokuhoku-Oshima 20140908.jpg|thumb|鍋立山トンネル]]
;[[鍋立山トンネル]]
:まつだい - ほくほく大島間に位置する全長9,116.5メートル(スノーシェッド13メートルを含めて9,129.5メートル)のトンネルで、トンネル内に儀明信号場が存在する<ref name="dr.hokuhoku_5" />。東工区1,750.5メートル、中工区3,387.0メートル、西工区3,979.0メートルに分割して施工され<ref name="回顧_766" />、東工区は予定通りの工期で完成したが、西工区の後半(トンネル中央側)と中工区は膨張性地山と可燃性ガスの湧出により苦しめられた<ref name="工事誌_160" />。1973年(昭和48年)に着工したが、1982年(昭和57年)の工事凍結時点で645メートルが未掘削で残されており、工事再開後も日本のトンネル工事史上未曽有とされる困難を極める工事となった<ref name="工事誌_160" />。最終的に1995年(平成7年)に完成し<ref name="新線_216-217" />、途中の中断期間を含めると21年11か月を要した。
;霧ヶ岳トンネル
:ほくほく大島 - 虫川大杉間に位置する全長3,726.98メートル(スノーシェッド6メートルを含めて3,732.98メートル)のトンネルである<ref name="dr.hokuhoku_5" />。東工区1,826メートル(入口側の六夜沢橋梁を含む)、西工区1,828メートル、出口側開削区間140メートルの3工区に分割して施工された。地質に恵まれた工事であったが、西工区は建設中に工事凍結を迎え、東工区は工事再開後の着工となった<ref name="工事誌_240" />。1978年(昭和53年)から1992年(平成4年)にかけて建設された<ref name="工事誌_125" />。
;第一飯室トンネル
:うらがわら - 大池いこいの森間に位置する全長3,287メートルのトンネルである<ref name="dr.hokuhoku_5" />。東工区1,610メートル、西工区1,672メートルに分割して施工され、一部崩壊性地山に遭遇して難渋したが全体的には順調な進行で<ref name="工事誌_242" />、工事再開後の1988年(昭和63年)に着工し1991年(平成3年)までかけて建設された<ref name="工事誌_125" />。

==== 橋梁・高架橋 ====
全線で橋梁が28か所、高架橋が35か所、架道橋が69か所、線路橋が3か所、溝橋が2か所ある<ref name="工事誌_88" />。

構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていたためKS-16荷重を採用していた<ref name="新線_150-151" />。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い[[機関車]]の入線は不可能となっている<ref name="rj557-45" />。第三セクター化後に建設された区間の活荷重はKS-12荷重を採用している<ref name="工事誌_71-72" />。ただし[[雪かき車]]の通行は想定されており、設計に際して[[国鉄DD14形ディーゼル機関車|DD14形]]・[[国鉄DD53形ディーゼル機関車|DD53形]]の両ロータリー式雪かき車の重量が考慮され<ref name="工事誌_71-72" />、荷重試験や軌道検測車による検測では[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形]]が入線している<ref name="rf646-39" />。

高架橋の中に雪が溜まらないようにする対策として、くびき付近では線路と側壁の間が吹き抜けとなっている「開床式高架橋」を採用している<ref name="rj428-29" />ほか、周囲が田園地帯の区間の高架橋には、そもそも側壁自体が設けられていない<ref name="rj368-53" />。一方、しんざ駅と十日町駅の間の高架橋では、赤倉トンネルの湧水をそのまま線路脇に流して融雪している<ref name="rj557-39" />。

最長の橋梁は、十日町 - 薬師峠信号場間にある信濃川橋梁で、全長406.73メートルである<ref name="工事誌_冒頭図" /><ref name="工事誌_89" />。橋脚や橋台は国鉄線として施工されたためKS-16荷重で設計されているが、橋桁は第三セクター化されてからの施工のためKS-12荷重となっている。1径間68メートルの3径間連続[[トラス橋|トラス]]を2連用いた橋梁となっている<ref name="工事誌_92-94" />。

=== 駅・信号場 ===
{{Triple image|right|HK100 Matsudai 20150215.jpg|130|Swing Gate in Station of Hokuhoku Line.jpg|130|Hokuetsu Express Muikamachi train depot.jpg|130|まつだい駅で列車交換を行う普通電車|ホームへの入口に設けられたスイングゲート|六日町駅に隣接する車両基地(収容庫)}}
列車の行き違いを行う[[列車交換|交換設備]]は、起終点を除くと十日町・まつだい・虫川大杉・くびきの4駅と、赤倉・薬師峠・儀明の3信号場にあり、すべて10両編成同士の列車交換が可能である<ref name="rj392-40" />。駅数は両端の六日町駅・犀潟駅を含めて12駅で<ref name="rj368-54" />、自社管理の駅員配置駅は十日町駅だけで<ref name="rj368-54" />、起点・終点駅である六日町駅・[[犀潟駅]]と[[十日町駅]]以外は、すべて[[無人駅]]である。特急の停車しない駅のプラットホームは、虫川大杉駅の1番線のみ9両分の長さで<ref name="rj368-53" />、ほかはすべて2両分のみである<ref name="rj368-53" />。また、信号場は3か所ともトンネル内にある<ref name="rj368-54" />。トンネル内の信号場は、国鉄新線としての建設時に貨物列車の運行を計画していたことから、有効長460メートルを実現するために、複線断面となっている延長が680メートルに達しているが、実際の待避線有効長は240メートルとなっている<ref name="工事誌_353" />。当初計画では制限速度45&nbsp;km/hの振り分け分岐器を使用することになっていたが、そのままでは一線スルー構造を実現できないことから、半径3,000&nbsp;mのSカーブとすることによって対処している<ref name="rf646-33" />。

「はくたか」・快速が停車しない駅では列車が高速で通過して危険であることから、地上駅については[[プラットホーム|ホーム]]への入口にはスイングゲートを装備し、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがなされた<ref name="rj392-37" />。地下駅の[[美佐島駅]]は、特急が140&nbsp;km/hでトンネルに進入した場合、トンネル内を吹き抜ける風は、風速25メートルにも及び<ref name="rj368-53" />、通過列車が接近した場合に風圧によって飛ばされる危険が高いことなどから、二重の防風扉を装備し、客扱い時以外はホームを封鎖する。無人駅ながらホーム部分は常に[[監視カメラ]]によって管理されており、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される<ref name="rj557-39" />。

[[車両基地]]は六日町駅に隣接しており<ref name="rj557-36" />、2両編成×3編成が収容可能な収容庫と検修庫に分かれている<ref name="rj557-36" />。なお、後述する雪対策の観点から、冬季は屋外での車両留置は行わず、すべて留置用の収容庫か検修庫を利用する<ref name="rj557-36" />。このため、車両洗浄機や洗浄台も収容庫内に設けられている<ref name="rj557-36" />。

=== 閉塞方式 ===
[[閉塞 (鉄道)|閉塞]]方式は単線自動閉塞式である<ref name="rj392-40" />。[[列車集中制御装置]] (CTC) とプログラム式進路制御 (PRC) を併用し<ref name="rj392-40" />、進路設定の上で支障となる要因がなくなると30秒で進路を設定できる<ref name="rj392-40" />。

開業当初は列車密度および最高速度の問題と160&nbsp;km/h運転の可否(GG信号の点灯不点灯)を手前から判断する必要から、出発信号機8機と閉塞信号機22機を使用して閉塞区間を比較的短区間で設定しており<ref name="rj392-40" />、本線の1閉塞区間の平均の距離は1,566メートルであった<ref name="rj392-40" />。

2015年3月14日以降は特急列車の160&nbsp;km/h運転を終了し<ref name="rf670-69" />、加えて列車の設定本数が半減したため、本線にある閉塞信号機はJR線と接続する六日町 - [[赤倉信号場]]間とくびき - 犀潟間の各1か所を除いて使用停止とし、それ以外の区間では列車の交換施設がある駅または信号場の間に設置されていた複数の閉塞区間を統合して1つの閉塞区間とした<ref group="注釈">これにより、この区間での単線区間においては、1つの列車しか進入できないようになっている</ref>。なお、使用停止となった閉塞信号機は2016年度中にすべて撤去されている<ref name="rf670-69" />が、長大トンネル内での走行位置を運転士が判断できるようにする必要性から、従来閉塞信号機が合った個所に黄色い丸の反射板と数字による「地点標識」を順次新設しており、地点標識での確認喚呼を新たに設けている<ref group="注釈">160&nbsp;km/h運転時での閉塞信号機が合った個所での確認喚呼は特急列車では「第○閉塞 高速進行」、普通列車では「第○閉塞 進行」であったが(○は閉塞信号機の番号)、新設された地点標識での確認喚呼では「第○地点 よし」としている</ref><ref name="rf670-69" />。

=== 保安装置 ===
{{Triple image|right|GG-Signal Hokuhoku Line Matsudai 160 20150215.jpg|120|GG-Signal Hokuhoku Line Matsudai 140 20150215.jpg|120|Repeating signal GG-Signal Hokuhoku Line 20140910 2.jpg|120|2015年3月13日まで使用された、130&nbsp;km/hを超える速度での走行を許可するGG信号。下の「160」という標識は当該区間の許容速度が160&nbsp;km/hであることを示す|下の「140」という標識は当該区間の許容速度が140&nbsp;km/hであることを示す|中継信号機によるGG信号は縦に6灯の点灯}}
保安装置([[自動列車停止装置]])はATS-P形を採用している<ref name="rj557-29" />。

当初、運輸省では高速運転に際して、新幹線と同様に[[自動列車制御装置]] (ATC) の導入を求めていた<ref name="rj557-28" />が、導入コストの問題のほか<ref name="rj557-28" />、各地からの臨時列車の乗り入れが車種の制限なく行えるようにするため<ref name="rj557-28" />、ATS-P形の導入となった<ref name="rj557-29" />。このATS-P形の全面導入により、ほくほく線の[[交換駅]]では[[安全側線]]を廃止し<ref name="鉄道テクノロジー3_93"/>、交換列車同士の同時進入についても本線側55&nbsp;km/h・分岐側45&nbsp;km/hに制限速度が緩和されている<ref name="rj392-40" /><ref group="注釈">通常、同時進入は警戒現示により25&nbsp;km/h制限となる。</ref>。

また、2015年3月13日以前は130&nbsp;km/h以上での走行を許可する「高速進行現示」として主信号機では緑2灯の点灯、中継信号機では縦に6灯の点灯をもって、高速進行現示とする「GG信号」が導入されていた<ref name="rj557-29" />。このGG信号は、ATS-P形のトランスポンダ車上子を搭載した車両に限って現示されたもので、トランスポンダ車上子搭載車が信号機を通過する数十秒前にG信号(進行現示)からの変換によりGG信号が現示される<ref name="rj368-47" />。GG信号は中3灯を空けて点灯することにより視認性を向上している<ref name="rf646-34" />。このGG信号の導入により、それまでの緑1灯の点灯となる進行現示(G信号)は130&nbsp;km/hの制限信号となった<ref name="rj368-46" />。また、GG信号を表示する出発信号機の下にはオレンジ色の速度標識が掲出されたが、これは制限速度ではなく、当該区間の許容速度を示す標識であった<ref name="rj557-29" />。
なお、申請最高運転速度を130&nbsp;km/hへ引き下げた2015年3月14日以降は、5灯式信号機についても3現示のみの点灯となり<ref name="rf670-69" />、速度標識も順次撤去されている。

=== 電力設備 ===
160&nbsp;km/h走行を考えれば電流を小さくできる[[交流電化]]の方が有利な面が多いが、トンネルが内燃動車の運転を前提として建設されたために断面が小さく、[[直流電化]]に比べて高い電圧を使用する交流電化に必要な絶縁離隔確保ができないことや、前後のJR線が直流電化であることから、やむなく直流電化が採用されている<ref name="電気設備_46-47" /><ref name="十年_116" />。架線引きとめについては完成済みのトンネル天井を一部壊したほか、建設時期によるトンネル断面の変化点を利用して対応した<ref name="rf646-33"/>。

[[架線]]支持方式は、高速走行時にも電車が安定して給電を受けられるように、地上区間では新幹線と同様の[[架空電車線方式#コンパウンドカテナリー式|コンパウンドカテナリ方式]]を使用している<ref name="rj557-28" /><ref group="注釈">架線支持方式には様々な方式がある。コンパウンドカテナリ方式の架線は構造が複雑である反面、一般的な架線よりも[[張力]]を高くすることが可能でありパンタグラフへの追従性が良い。</ref>が、もともと非電化路線として建設されたため断面積の小さいトンネル内では、上下寸法の小さいツインシンプルカテナリ方式を採用しており<ref name="rj557-28" />、さらに吊架には長幹碍子という特殊な[[碍子]]を使用している<ref name="rj557-28" />。

[[変電所]]は、おおむね10&nbsp;km間隔で六日町・津池・十日町・松代・大島・浦川原・大潟の7か所に設置されており、総出力は33,000 [[キロワット|kW]]としている。これは総延長が約60&nbsp;kmの鉄道路線としては異例の重装備であるが、「はくたか」運行終了に伴い設備のスリム化を図るため、津池変電所を廃止、大島・大潟の変電所からの受電を止めることで、使用する変電所を4か所に削減する予定としている<ref>『鉄道ジャーナル』2015年12月号記事。</ref>。また沿線が有数の豪雪地帯であるため、一部を除いて[[変圧器]]などの重電部品は建屋に収納する対策が施されている<ref name="rf646-34" /><ref name="電気設備_47-48" />。
<gallery widths="160">
Overhead line support bracket Misashima 20150215 1.jpg|トンネル内の架線吊架には特殊な碍子が使用されている(赤倉トンネル内・美佐島駅)
Uragawara substation.jpg|浦川原変電所
</gallery>

=== 雪対策 ===
前述の通り、路線長の68パーセントがトンネルであるが、残る地上区間については先述したほかにも数々の雪対策が施されている。これら対策を開業当初から施した<ref name="rj557-44" />ことにより、ほくほく線は接続するJRの路線が不通になった時でも運休することはほとんどなく<ref name="dr.hokuhoku_9" />、雪対策で不備をきたしたことも皆無に近い<ref name="rj557-44" />。
;消雪溝
:車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。六日町駅構内に設けられており、線路脇に溝を作って地下水を流す<ref name="rj557-37" />。なお六日町では地下水汲み上げによる[[地盤沈下]]が激しく、地下水の利用には制限があるため<ref name="rj557-37" />、使用後の水は循環使用される<ref name="rj557-37" />。
;パネル式融雪装置:車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。地下水によって加温した[[不凍液]]をパネルの中に循環させるもので<ref name="rj557-37-38" />、民家や施設が周囲にあって除雪の際に投雪ができない場所に設けられている<ref name="rj557-37-38" />。六日町駅構内では地下水は循環利用である<ref name="rj557-37" />が、[[関越自動車道]]を跨ぐ場所では取水制限がないため地下水は循環利用していない<ref name="rj557-38" />。
;融雪ピット
:六日町駅構内の踏切脇に設けられており<ref name="rj557-37" />、レールの間の枕木上にFRP製のトレーを置き、地下水を流すことによって列車に押された線路内の雪の量を減らす<ref name="rj557-37" />。これによって線路から踏切内へ持ち込まれる雪が少なくなる<ref name="rj557-37" />。前述の取水制限があるため、使用後の水は循環使用されている<ref name="rj557-37" />。
;スプリンクラー:六日町の車両基地構内、十日町駅構内などに設けられている。六日町では地下水を利用するが、前述の取水制限があるため使用後の水は循環使用されているほか、車両基地内も路盤をアスファルト舗装とし、その上にバラストを敷いた強化路盤としている<ref name="rj557-36" />。十日町駅手前の飯山線を跨ぐ部分は赤倉トンネルの湧水を<ref name="rj557-39" />、十日町駅構内では[[薬師峠トンネル]]の湧水を利用しており<ref name="rj557-40" />、使用後の水は十日町の市街地道路の融雪に利用された後、[[信濃川]]へ放流されている<ref name="rj557-40" />。
;熱風ヒーター
:地下水脈が全くないため地下水を利用する手段が採れず<ref name="rj557-43" />、[[水利権]]の関係で川の水も利用できない<ref name="rj557-43" />まつだい駅構内の分岐器に装備される<ref name="rj557-43" />。ボイラーで摂氏100度まで加温された温風をダクトで分岐器に導くもので<ref name="rj557-43" />、温風噴射口では摂氏40度程度の温風となる<ref name="rj557-43" />。なお、松代地区では道路の融雪も水が利用できず、ロードヒーティングが主体である<ref name="rj557-43" />。
;温水ジェット噴射装置
:[[分岐器]]の可動部分で雪氷が詰まることによって、分岐器の不転換を引き起こすことがある<ref name="rj557-42" />。無人駅がほとんどのほくほく線では、直ちに人力で対応することは難しいため<ref name="rj557-42" />、不転換の分岐器があった場合には温水を噴射して氷雪を溶かす方法を採用した<ref name="rj557-42" />。この装置は運行指令所から遠隔操作され、噴射口からは摂氏25度の温水が60秒間噴射される<ref name="rj557-43" />。この装置は、ほくほく線の本線上にあるすべての分岐器に装備されている<ref name="rj557-42" />。降雪のないトンネル内の信号場にも設置されているのは、通過車両から落下する可能性のある雪や氷を考慮したためである<ref name="rj557-43" />。
;除雪機械(モーターカー)
:JRから譲受した旧式の排雪用の[[モーターカー]]1台のほか、ほくほく線開業時に新造した2台が用意されている<ref name="rj557-41" />。新造したモーターカーは、犀潟寄りに雪を両脇に押し出すラッセルヘッド<ref name="rj557-41" />、六日町寄りに線路脇の雪の壁を崩した上で投雪するロータリーヘッドを装備している<ref name="rj557-41" />ほか、架線に付着している霜や雪を除去するためにパンタグラフを装備している<ref name="rj557-42" />。冬期中は、これらのモーターカーで夜間時に除雪作業を行っている<ref name="鉄道テクノロジー3_93" />。
このような地上側での雪対策の装備について、定期点検を含めた総経費は年間約1億円である<ref name="rj557-43" />。
<gallery widths="160">
Open-floor viaduct.jpg|くびき付近の開床式高架橋
Viaduct Tokamachi 20150215.jpg|十日町駅付近の高架橋では両脇に湧水を流している
Snow removing ditch Muikamachi 20150215.jpg|六日町駅構内に設けられた消雪溝
Panel-type snow melting equipment Muikamachi 20150215.jpg|線路の両側にパネル式融雪装置が設置されている区間。線路の両側の部分だけ積雪がない
Railroad switch Warm air injection port Matsudai 20150215.jpg|まつだい駅の分岐器に設置される熱風ヒーター。レールの間にある四角い箱のようなものがダクトである
Tokamachi Station snow melting sprinkler.JPG|十日町駅に取り付けられた消雪スプリンクラー
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地上側の設備に加え、線内列車に使用される[[北越急行HK100形電車|HK100形電車]]の[[スノープラウ|スノープロウ]]の先端部分は櫛の歯のような形状にしている<ref name="rj557-37" />。これは2本のレールの間の雪が圧雪状態の塊になると脱線事故の原因になりかねないため<ref name="rj557-37" />、この先端部分で雪をほぐし、圧雪状態にならないようにするためである<ref name="rj557-37" />。さらに、前述の運行体制の一環として、大雪であっても列車の運行を行うことによって、線路上への積雪を最小限に抑えている<ref name="rj557-44" />。北越急行では、「最大の除雪手段は、列車を走らせ続けること」としている<ref name="rj557-44" />。
<gallery widths="160">
HK100 Snowplow.jpg|先端部分が櫛の歯のような形状になったHK100形電車のスノープロウ
Cleaning equipment for railroad car at Muikamachi train depot.jpg|車両洗浄機や洗浄台も収容庫内に設けられた
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== 運行形態 ==
== 運行形態 ==
[[File:Linemap of Hokuhoku Line with Stations.svg|thumb|320px|ほくほく線の路線図。大半の列車が[[信越本線]]の直江津と[[上越線]]の越後湯沢に乗り入れる。]]
{{出典の明記|section=1|date=2012年6月}}
開業当初から、越後湯沢駅での上越新幹線との連絡を最優先にしたダイヤ設定が行われている<ref name="rj392-34" />。特急列車が廃止された2015年3月14日以降は普通列車を主体としたダイヤとなり、2023年3月18日のダイヤ改正より線内で通過運転を行う列車が無くなった<ref name="20221216 press"/>。また、全ての定期列車が[[ワンマン運転]]を実施している。
上越新幹線越後湯沢駅と北陸方面とを結ぶ特急「[[はくたか (列車)|はくたか]]」が、ほくほく線を経由する。「はくたか」は[[2002年]](平成14年)3月からほくほく線内で[[最高速度#日本の最高速度(鉄道)|最高速度]]160 km/hでの営業運転を行っており、これは日本の[[狭軌]]の鉄道では最も速い速度である。


正式な起点は六日町駅であり、六日町駅から犀潟駅へ向かう列車が下り、逆方向を上りとしているが、[[列車番号]]は犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が通常下り列車を表す奇数、逆方向が通常上り列車を表す偶数となっている<ref name="rj368-44" />。これは、特急「はくたか」がJR西日本主体の列車であったことから<ref name="rj368-44" />、北陸本線に合わせたためであり<ref name="rj368-44" />、「はくたか」廃止後もそのままである。本記事では、以下路線の起点に則って上り・下りを表記する。
この速度で運転する[[JR西日本681系電車|681系]]・[[JR西日本683系電車#8000番台|683系8000番台]]に限り、同車に搭載した信号読替装置(トランスポンダ)により130 km/h以上の走行が許可され、[[鉄道信号機|信号機]]には青を上下に2灯点灯させた「[[日本の鉄道信号|高速進行]]」信号が現示される。


駅員が集改札を行っている駅では全てのドアから乗降ができるが、それ以外の駅(無人駅)では1両目の後部のドアより乗車し、1両目の前部のドアより降車する[[ワンマン運転#中(後)乗り前降り|後乗り前降り]]方式となっている<ref name="dr.hokuhoku_16" />。
特急のほかに[[快速列車|快速]]・[[各駅停車]]も設定されており、快速列車2往復以外は全て各駅停車である。多くの列車が[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[信越本線]][[直江津駅]]や[[上越線]]越後湯沢駅まで乗り入れ、直江津 - 越後湯沢間を[[直通運転]]している。日中には六日町 - 虫川大杉間(平日のみ。土休日は直江津行き)、夜間には六日町 - まつだい間に各1往復ずつの区間列車が設定されているほか、六日町・犀潟発着の列車も設定されている。快速・各駅停車は「はくたか」の合間を縫って走ることや、駅間距離が長いことから、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110 km/hで運転され、普通列車用の車両である[[北越急行HK100形電車|HK100形]]は優れた加速性能を持つ。普通・快速列車は全列車が[[ワンマン運転]]である。


=== 現在の運行形態 ===
JR線内へ乗り入れる快速・各駅停車はJR線内で通過運転を行っており、上越線の[[上越国際スキー場前駅]](冬期のみ)と[[塩沢駅]]に一部列車が停車するが、上越線の[[石打駅]]・[[大沢駅 (新潟県)|大沢駅]]と信越本線の[[黒井駅 (新潟県)|黒井駅]]は全列車が通過となる。<!--理由は不明である。-->また開業当初、快速は[[虫川大杉駅]]を通過していた。
線内各駅に停車する普通列車がおおむね毎時1本運転されている。直江津駅 - 越後湯沢駅間での運転を基本とし、線内途中駅を始発・終着とする列車はないが、朝夕を中心にJRとの境界駅である犀潟駅・六日町駅発着の列車が設定されている。


一部列車は日曜日を中心に後述の「ゆめぞら」の限定運用となっており、トンネル走行時に映像上映が行われている。詳しい運行状況は北越急行の公式サイトで確認することができる<ref name="ゆめぞら" /><ref name="mee" />。
「はくたか」・快速が停車しない駅では、列車が高速で通過して危険であることから、[[プラットホーム|ホーム]]への入口にはスイングゲートが付いていて、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがしてある。特に[[美佐島駅]]はホームがトンネル内にあり、通過列車が接近した場合、風圧によって飛ばされる危険が高いことから、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、無人駅ながら危険防止のため、ホーム部分は常に[[監視カメラ]]によって管理されており、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される。


2015年3月14日のダイヤ改正で特急「はくたか」が全廃された<ref name="rj586-50" />ことに伴い、特急列車優先による待ち合わせが解消された<ref name="rj586-53-54" />ことから、普通列車の所要時間は1列車あたり10分程度短縮された<ref name="rj586-54" />。
ほくほく線ではトンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像を鑑賞できる「ゆめぞら号」(「[[北越急行HK100形電車]]」の項を参照)という車両が運行されている。この「ゆめぞら号」は主に土曜・日曜・祝日に運行中で、季節によって異なる映像が上映される。詳しい運行状況は北越急行株式会社のホームページで確認することができる<ref name = "ゆめぞら" /><ref name = "mee" />。


=== 過去に運行されていた列車 ===
「はくたか」を優先したダイヤであり、その合間を普通、快速が走っていることから、ほくほく線と接続する[[北陸本線]]・[[飯山線]]・[[上越線]]は、いずれも限られた運行本数でありながら、普通列車同士の接続はきわめて悪く、上下線ともに数分差で乗り継げないダイヤ設定が多い。また、JR東日本、西日本のダイヤ改正日が異なることが多い一方で両社に合わせたダイヤを組まなくてはならないため、ダイヤ改正が行われる頻度が高い。
1997年3月22日のほくほく線開業から北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間開業前日の2015年3月13日までは、上越新幹線と接続して北陸方面を結ぶ特急列車<ref name="rj368-54" />と、地域内利用を主眼とした普通列車の2系統を主体とする運行形態が取られていた<ref name="rj368-55" />。


特急が運行されていた頃のほくほく線内を運転する普通列車は、特急列車の待避や交換待ちなどで数駅ごとに長時間停車する列車が多かった<ref name="rj368-57" />。1999年の時点では、通過駅のない普通列車で最も短い所要時間が直江津駅から六日町駅までで49分45秒<ref name="rj392-34" />なのに対して、最長の所要時間を要する列車では六日町駅から直江津駅までに1時間24分かかっていた<ref name="rj392-36" />。
[[ファイル:Linemap of Hokuetsu Express Corporation Hokuhoku Line.PNG|thumb|none|300px|直通先のJR上越線(越後湯沢 - 六日町)JR信越本線(犀潟 - 直江津)を含めた運行形態別停車駅一覧[[http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/04/Linemap_of_Hokuetsu_Express_Corporation_Hokuhoku_Line.PNG 拡大して見る]]]]


==== 特急「はくたか」 ====
== 乗降方法 ==
{{main|はくたか}}
駅員が配置されている六日町駅、十日町駅、犀潟駅ではすべてのドアが開き乗降が可能だが、これらの駅以外の駅で乗降する場合は、2両編成で運転される普通・快速列車の2両目のドアは開けず、1両目の後部のドアより乗車し、1両目の前部のドアより降車する[[ワンマン運転#後乗り前降り|後乗り前降り]]方式を取っている<ref name="dr.hokuhoku_16" />。
開業時から運行されていた特急列車である。1999年時点では1日10往復運行されており<ref name="rj392-34" />、「はくたか」同士のすれ違いは56回中24回がほくほく線内で行われていた<ref name="rj392-34" />。


== 使用車両 ==
==== 快速 ====
開業から2023年3月18日のダイヤ改正までは、一部駅を通過する[[快速列車]]が運転されていた。
すべて電車。
; 廃止時点の停車駅
* 特急「[[はくたか (列車)|はくたか]]」
: 越後湯沢駅 - 六日町駅 - 十日町駅 - まつだい駅 - ほくほく大島駅 - 虫川大杉駅 - うらがわら駅 - くびき駅 - 犀潟駅 -(黒井駅)- 直江津駅
** [[JR西日本681系電車|681系0番台(W編成)]] - [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[金沢総合車両所]]所属
:* 黒井駅は一部列車が通過。
** [[JR西日本681系電車#2000番台|681系2000番台(N編成)]] - [[北越急行]]所属
:* 開業当初の快速は虫川大杉駅を通過していた<ref>『JTB時刻表1997年6月号』 498頁</ref>。
** [[JR西日本683系電車#8000番台|683系8000番台(N編成)]] - 北越急行所属
** [[JR西日本683系電車#4000番台|683系4000番台(T編成)]] - JR西日本金沢総合車両所所属(主に代走)<ref name = "hobidas20110727" />
2011年5月中旬以降、従来の489系に代わって特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」用の683系4000番台がはくたかの異常時代走運用を担っている。但し、同線内の運転最高速度は制動装置などの関係で489系と同様130km/hに制限されるが、JR線内は所定のW・N編成と同等の性能で運転可能なため、489系と比べると遅延は大幅に削減される。
* 普通列車
** [[北越急行HK100形電車|HK100形]] - 北越急行所属
** [[北越急行HK100形電車#100番台|HK100形100番台]] - 北越急行所属


==== 超快速「スノーラビット」 ====
=== 過去の使用車両 ===
[[ファイル:HK100 sideboard Cho Rapid Service Snow Rabbit 2.jpg|thumb|車両側面の列車名表示]]
* 特急「はくたか」
2015年3月14日のダイヤ改正で新設され<ref name="rf650-32"/>、2023年3月18日のダイヤ改正まで運行された<ref name="20221216 press" />列車。独自の列車種別である'''超快速'''(ちょうかいそく)は市販の時刻表にも正式に記載されたもので、JR線区間でもこの種別が使用された。また、列車名は公募により決定されたものだった<ref>{{Cite press release|和書|title=「超快速列車」の愛称名募集|publisher=北越急行株式会社・えちごトキめき鉄道株式会社 |date=2014-11-04 |url=http://www.hokuhoku.co.jp/press/201411NewsRelease2.pdf |format=PDF |accessdate= 2016-07-21}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|title=平成27年3月14日ほくほく線ダイヤ改正|publisher=北越急行株式会社・えちごトキめき鉄道株式会社 |date=2014-12-19|url=http://www.hokuhoku.co.jp/press/20141219.pdf |format=PDF |accessdate= 2016-07-21}}</ref>。
** [[国鉄485系電車|485系300番台(V編成)]] - JR西日本金沢総合車両所所属

** [[国鉄485系電車|485系3000番台(R編成)]] - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[新潟車両センター]]所属
2022年3月11日までは上り1本・下り2本が設定されていた。途中十日町駅のみ停車の最速列車は越後湯沢駅から直江津駅までの84.2&nbsp;kmを57分で走破し<ref name="rj586-52" />、越後湯沢駅 - 直江津駅間での[[表定速度]]は88.6&nbsp;km/h<ref name="rj586-53" />、ほくほく線内に限れば99.2&nbsp;km/h<ref name="rj586-53" />に達する。これは485系使用便の「はくたか」を上回っており<ref name="rf650-33"/>、日本国内において乗車券だけで乗れる列車としては2021年時点で表定速度が最も高い列車であった<ref name="toyok20150803"/><ref group="注釈">ただし一部区間での表定速度に限れば、[[首都圏新都市鉄道]]が運営する[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]が、[[流山おおたかの森駅]] - [[つくば駅]]間 31.8&nbsp;kmを快速で19分・表定速度100.4&nbsp;km/h(途中停車駅数1)、[[守谷駅]] - つくば駅間 20.6&nbsp;kmを快速で12分・表定速度103.0&nbsp;km/h(途中停車駅数0)、JR西日本[[湖西線]]の快速が[[堅田駅]] - [[近江舞子駅]]間14.5kmを8分・表定速度108.75km/h(途中停車駅数0)で走行するといった事例は存在する(いずれも最高速度 130&nbsp;km/hでの運転)。</ref>。2022年3月12日改正ダイヤでは越後湯沢駅→直江津駅間を1時間1分で結んでおり、表定速度は82.8&nbsp;km/hと下がった。
** [[国鉄485系電車|489系0番台(H編成)]] - JR西日本金沢総合車両所所属(代走、もしくは臨時列車)

なお運行開始以来、一部の列車は直江津駅から列車番号を変え、無愛称の普通列車として[[えちごトキめき鉄道]][[えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン|妙高はねうまライン]]の[[新井駅 (新潟県)|新井駅]]発着で運行していた。

;廃止時点の停車駅
: [[越後湯沢駅]] → [[六日町駅]] → [[十日町駅]] → [[まつだい駅]] → [[虫川大杉駅]] → [[直江津駅]]
:* 下り列車のみ運転。
:* 普通列車として運行する直江津駅 - 新井駅間は各駅停車。

=== 臨時列車 ===
==== 急行列車 ====
1998年 - 1999年シーズンの時点で[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] - 越後湯沢駅間に急行「シュプール野沢・苗場」が運行されていた<ref>{{Cite journal|和書|journal=JR時刻表 |year=1999|month=3|publisher=[[弘済出版社]]}}</ref>。

==== 超低速「スノータートル」 ====
2015年11月7日以降運行されている[[団体専用列車]]<ref name="mynavi20151006" />。普通列車でも50分程度で走破する線内を約4時間(第1回の場合、犀潟駅10:44→六日町駅着14:48<ref name="mynavi20151006" />)かけて走行する。

「[[ウサギ]]といえば[[カメ]]だよね」という北越急行社内での冗談から、[[#超快速「スノーラビット」|超快速「スノーラビット」]]の対極に位置する列車として生まれ<ref>{{Cite news|url=http://trafficnews.jp/post/45566/|title=超低速列車「スノータートル」走る 背景に新幹線の存在 新たな道を歩み始めた北越急行|author=恵知仁|newspaper=乗りものニュース|date=2015-11-08|accessdate=2016-07-16}}</ref>、難工事で知られる鍋立山トンネルを10&nbsp;km/h以下の低速で通過するほか、トンネル内の信号場では列車が通過しない側の乗降用ドアと貫通扉を開け、離合時に発生する10&nbsp;[[メートル毎秒|m/s]]の風を体験する試みも行われた。

初回運行時は全車[[座席指定席|指定席]]の[[臨時列車]](運賃と指定席料金のみで乗車可能)として運行されたが、2016年8月28日の第2回運行以降は北越急行が[[旅行会社|旅行業登録]]を行い、食事付きの[[団体専用列車]]として運行されている<ref>{{PDFlink|[http://www.hokuhoku.co.jp/press/20160707.pdf 超低速スノータートル運行]}} - 北越急行2016年7月7日</ref>。

=== 乗務員について ===
ほくほく線内の列車に乗務する乗務員は、全列車とも、JR東日本の区間も含めて北越急行の運転士が担当する<ref name="rj368-51" />。ただし2015年3月13日まで運行されていた特急列車では、境界駅の犀潟駅・六日町駅に停車しない関係で(六日町駅は一部の列車が停車)2012年時点では運転士・車掌ともにJR東日本[[直江津運輸区]]が担当していた<ref name="rj557-23" />。なお、開業当初から2004年3月ダイヤ改正まではJR西日本の車掌もほくほく線区間を乗務することがあった<ref name="rj368-51" />。

== 運行管理 ==
{{Double image aside|right|Railway operation command office Hokuetsu Express.jpg|180|Train operation status display in the station of Hokuhoku Line 20140909.JPG|180|運転指令所|各駅に設置された列車運転状況表示装置(まつだい駅)}}
ほくほく線の運行管理は、六日町駅に隣接した運転指令所により行われている<ref name="rj392-41" />。

開業当初からJR東日本新潟支社の運転指令との連携が行われていたが、当初はJR西日本の区間での遅れ情報がJR東日本を通じて提供されるシステムであったため<ref name="rj557-31" />、ダイヤの乱れが大きい場合には情報の遅れが生じ<ref name="rj557-31" />、ひどいときには越後湯沢行きの列車の遅れ状況が直江津に到着しないと判明しなかったことすらあった<ref name="rj557-31" />。このため、他社線での遅れ状況を把握するためのディスプレイが運転指令所に設置され<ref name="rj557-31" />、JR西日本エリアも含めた運行状況をリアルタイムで把握できるようになった<ref name="rj557-31" />。2012年にPRCの更新が行われた際には、ほくほく線各駅にアニメーションで全線の列車の位置や遅れ状況などを表示する列車運転状況表示装置が設置された<ref name="rj557-43" />。

また、運転通告(運転指令員から運転士に対しての指示)についても、JRなどで行われている運転通告券による方式は無人駅の多いほくほく線では困難であるため<ref name="rj557-32" />、無線伝達をもって運転通告としている<ref name="rj557-32" />。このため、全線にわたって漏洩同軸ケーブル (LCX) が敷設され<ref name="rj392-40" />、列車がほくほく線内のどの位置にいても運転指令所との通信が明瞭に行える<ref name="rj392-40" />。

ほくほく線区間の特急の運転士は前述の通りJRの乗務員が担当していたが、ほくほく線内では一切の指揮系統は北越急行の運転指令によるものとなっていた<ref name="rj557-23" />。一方北越急行の運転士が担当する普通列車のJR東日本区間への乗り入れ先では、JR東日本の指揮下となる<ref name="rj557-23" />。


== 利用状況 ==
== 利用状況 ==
ほくほく線の沿線は大きく南魚沼地域([[南魚沼市]]のうち旧[[六日町]])・中魚沼地域([[十日町市]]の旧市域)・東頸地域(十日町市のうち旧[[松代町 (新潟県)|松代町]])・平野部([[上越市]]のうち旧町村部にあたる[[大島区]]・[[浦川原区]]・[[頸城区]]・[[大潟区]])の4地域に分けられる<ref name="rj368-55" />。それぞれの地域はもともと丘陵地帯によって隔てられていたため<ref name="rj368-55" />、平常時の流動はほくほく線のルートとは平野部以外は一致していない<ref name="rj368-55" />。東頸地域はもともとの交通事情が悪かったため、ほくほく線の開業に伴い利便性が向上したものの、ほくほく線の沿線は最も過疎化と高齢化が進んでいる地域で<ref name="rj368-55" />、マイカー保有率も1.5人に1台の割合で<ref name="rj368-55" />、かつ、2008年の新潟県内公立高校普通科の[[学区]]撤廃まで学区も異なっていたため、当初より線内需要や地域を越えた広域流動需要は厳しいと見られていた<ref name="rj368-55" />。

こうした事情もあり、ほくほく線開業と同時に公共交通体系の再構築が行われた。北越急行に出資するバス事業者である[[頸城自動車]]は、1996年10月に東頸地区自治体との共同出資による[[東頸バス]]の営業を開始し<ref name="rj368-56" />、ほくほく線の開業後は各駅前に乗り入れる路線を設定した<ref name="rj368-56" />。また、同様に北越急行に出資するバス事業者の[[越後交通]]は、ほくほく線の列車と競合する越後湯沢 - 十日町の路線バスを減便している<ref name="rj368-56" />。

峠越えとなるために自動車でも1時間程度の所要時間を要していた<ref name="rj368-56" />越後湯沢 - 十日町が、開業により普通列車でも30分台で結ばれるようになる<ref name="rj368-56" />などの時短効果に加え、前述した雪対策によって安定した輸送を目指したことが評価された<ref name="rj557-44" />こともあり、現実の線内利用者数も、開業当初に年間65万人程度であったものが2012年には110万人に増加している<ref name="rj557-43" />。ただし、通学定期の利用者数は2012年がピークとなり、翌年には5 %減となっている<ref name="rj586-55" />。

特急が運行していた2011年度(平成23年度)の[[輸送密度]]は約7,780人/日<ref name="数字2013_64"/>であるが、これは旧国鉄路線から転換あるいは日本鉄道建設公団建設中の新線を継承した[[第三セクター鉄道]]路線(以下「旧国鉄系列の第三セクター鉄道路線」)としては、[[愛知環状鉄道線]](約9,816人/日)に次いで2番目に高かった。2006年度(平成18年度) - 2010年度(平成22年度)<ref name="数字2012"/>、および2012年度(平成24年度) - 2014年度(平成26年度)は輸送密度が8,000人/日以上<ref group="注釈">仮にこの数値を[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法|国鉄再建法]]により規定された区分に当てはめた場合、「[[地方交通線]]」ではなく「[[幹線#国鉄再建法上の幹線|幹線系線区]]」に該当する。</ref>を記録していたが、そのような旧国鉄系列の第三セクター鉄道路線も愛知環状鉄道線とこの路線の2路線のみであった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/000025880.pdf#page=3|title=輸送密度と経常収支率によるグループ分け(平成18年度)|accessdate=2021-01-02|publisher=国土交通省|year=2007|format=PDF|page=2|language=ja|archiveurl=https://warp.da.ndl.go.jp/collections/content/info:ndljp/pid/286855/www.mlit.go.jp/common/000025880.pdf#page=3|archivedate=2009-02-17}}</ref>。

=== 輸送実績 ===
=== 輸送実績 ===
ほくほく線の輸送実績を下表に記す。表中、最大値には「<sup>(最大)</sup>」の記号を、最大値の前後の最小値にはそれぞれ「<sup>(最小)</sup>」の記号を付している。鉄道統計年報各年度版及び管内鉄軌道事業者輸送実績(国土交通省北陸信越運輸局)<ref> [https://wwwtb.mlit.go.jp/hokushin/hrt54/railroad/yusoujisseki.html 管内鉄軌道事業者輸送実績] 国土交通省北陸信越運輸局</ref>より作成。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead">年度別輸送実績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
ほくほく線の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。


{| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center; width:100%;"
{|class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center"
|-
|-
! rowspan="2"|年
!rowspan="2"|年度
! colspan="4"|輸送実績(乗車人員):万人/年度
!colspan="4"|輸送実績(乗車人員):万人
! rowspan="2"|輸送密度<br />人/1
!rowspan="2"|輸送密度<br>人/日
! rowspan="2"|特
!rowspan="2"|特記事項
|-
|-
|通勤定期
!通勤定期
|通学定期
!通学定期
|
!定期外
|  
!合計
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
|1996年(平成8年)
| style="background-color: #ccffcc;"|0.1
|style="background-color:#ccffcc"|0.1<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|0.1
|style="background-color:#ccffcc"|0.1<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|16.0
|style="background-color:#ccffcc"|16.0<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|'''16.2'''
|style="background-color:#ccffcc"|'''16.2'''<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|252
|style="background-color:#ccffcc"|252<sup>(最小)</sup>
| style="text-align: left;"|開業
|style="text-align:left"|開業
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
|1997年(平成9年)
|5.3
|5.3
|16.1
|16.1
239行目: 426行目:
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
|1998年(平成10年)
|9.0
|9.0
|24.6
|24.6
247行目: 434行目:
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
|1999年(平成11年)
|11.5
|11.5
|34.1
|34.1
255行目: 442行目:
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
|2000年(平成12年)
|11.7
|11.7
|38.6
|38.6
263行目: 450行目:
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
|2001年(平成13年)
|13.1
| style="background-color: #ffcccc;"|13.1
|38.0
|38.0
|272.7
|272.7
271行目: 458行目:
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
|2002年(平成14年)
|10.4
|10.4
|39.9
| style="background-color: #ffcccc;"|39.9
|279.5
|279.5
|'''329.8'''
|'''329.8'''
279行目: 466行目:
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年)
|2003年(平成15年)
|10.1
|10.1
|39.8
|39.8
|287.2
| style="background-color: #ffcccc;"|287.2
| style="background-color: #ffcccc;"|'''337.1'''
|'''337.1'''
|7,403
| style="background-color: #ffcccc;"|7,403
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
|2004年(平成16年)
|9.4
| style="background-color: #ccffff;"|9.4
|37.8
|37.8
|279.0
| style="background-color: #ccffff;"|279.0
| style="background-color: #ccffff;"|'''326.2'''
|'''326.2'''
|7,252
| style="background-color: #ccffff;"|7,252
| style="text-align: left;"|新潟県中越地震発生
|style="text-align:left"|新潟県中越地震発生
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年)
|2005年(平成17年)
|10.5
|10.5
|37.2
| style="background-color: #ccffff;"|37.2
|280.3
|280.3
|'''328.0'''
|'''328.0'''
303行目: 490行目:
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
|2006年(平成18年)
|10.7
|35.9
|264.0
|'''310.6'''
|8,081
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2007年(平成19年)
|11.2
|41.2
|319.3
|'''371.7'''
|8,391
|style="text-align:left"|新潟県中越沖地震発生
|-
|2008年(平成20年)
|11.3
|42.2
|322.0
|'''375.5'''
|8,600
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2009年(平成21年)
|11.9
|47.0
|306.6
|'''365.5'''
|8,323
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2010年(平成22年)
|11.6
|50.0
|298.3
|'''359.9'''
|8,029
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2011年(平成23年)
|12.5
|51.6
|289.6
|'''353.7'''
|7,780
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2012年(平成24年)
|12.4
|55.4
|324.9
|'''392.7'''
|8,622
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年)
|2013年(平成25年)
|13.4
|56.3
|style="background-color:#ffcccc"|331.8<sup>(最大)</sup>
|style="background-color:#ffcccc"|'''401.5'''<sup>(最大)</sup>
|style="background-color:#ffcccc"|8,769<sup>(最大)</sup>
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2014年(平成26年)
|style="background-color:#ffcccc"|13.7<sup>(最大)</sup>
|48.8
|323.0
|'''385.5'''
|8,371
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2015年(平成27年)
|13.6
|50.8
|64.3
|'''128.7'''
|1,543
|北陸新幹線開業以降1年間営業した最初の年度
|-
|2016年(平成28年)
|12.7
|53.5
|54.5
|'''120.7'''
|1,358
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|2017年(平成29年)
|12.3
|56.2
|52.8
|'''121.3'''
|1,340
|&nbsp;
|&nbsp;
|-
|&nbsp;
|2018年(平成30年)
|style="text-align: left;"|新潟県中越沖地震発生
|12.8
|style="background-color:#ffcccc"|57.4<sup>(最大)</sup>
|56.9
|'''127.1'''
|1,395
|
|-
|2019年(令和元年)
|12.4
|53.9
|50.8
|'''117.1'''
|1,293
|
|-
|2020年(令和2年)
|style="background-color:#ccffff"|11.2<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|43.1<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|19.7<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|'''74.0'''<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|722<sup>(最小)</sup>
|
|-
|2021年(令和3年)
|style="background-color:#ccffff"|11.2<sup>(最小)</sup>
|46.0
|23.8
|'''81.0'''
|
|
|-
|2022年(令和4年)
|11.3
|44.4
|36.0
|'''91.7'''
|
|
|}
|}
</div></div>


=== 収入実績 ===
=== 収入実績 ===
ほくほく線の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最大値には「<sup>(最大)</sup>」の記号を、最大値の前後の最小値にはそれぞれ「<sup>(最小)</sup>」の記号を付している。鉄道統計年報各年度版より作成。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead">年度別収入実績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
ほくほく線の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。


{| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:right; width:100%;"
{|class="wikitable" style="font-size:small;text-align:right"
|-
|-
! rowspan="2"|年  
!rowspan="2"|年度
! colspan="5"|旅客運賃収入:千円/年度
!colspan="5"|旅客運賃収入:千円/年度
! rowspan="2"|運輸雑収<br />千円/年度
!rowspan="2"|運輸雑収<br>千円/年度
! rowspan="2"|総合計<br />千円/年度
!rowspan="2"|総合計<br>千円/年度
|-
|-
!通勤定期
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤定期
!通学定期
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|通学定期
!定期外
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|定 期 外
!手小荷物
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|手小荷物
!合計
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|合  計
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
|1996年(平成8年)
| style="background-color: #ccffcc;"|1,260
|style="background-color:#ccffcc"|1,260<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|931
|style="background-color:#ccffcc"|931<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|139,197
|style="background-color:#ccffcc"|139,197<sup>(最小)</sup>
|''0''
|''0''
| style="background-color: #ccffcc;"|'''141,388'''
|style="background-color:#ccffcc"|'''141,388'''<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|11,988
|style="background-color:#ccffcc"|11,988<sup>(最小)</sup>
| style="background-color: #ccffcc;"|'''153,376'''
|style="background-color:#ccffcc"|'''153,376'''<sup>(最小)</sup>
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
|1997年(平成9年)
|11,217
|11,217
|16,856
|16,856
|3,166,071
|28,073
|''0''
|''0''
|'''3,194,144'''
|'''3,194,144'''
359行目: 661行目:
|'''3,598,266'''
|'''3,598,266'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
|1998年(平成10年)
|16,722
|16,722
|26,863
|26,863
368行目: 670行目:
|'''3,567,444'''
|'''3,567,444'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
|1999年(平成11年)
|21,953
|21,953
|32,452
|32,452
377行目: 679行目:
|'''3,751,413'''
|'''3,751,413'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
|2000年(平成12年)
|23,602
|23,602
|36,450
|36,450
386行目: 688行目:
|'''3,728,037'''
|'''3,728,037'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
|2001年(平成13年)
|26,452
|26,452
|37,181
|37,181
395行目: 697行目:
|'''3,814,275'''
|'''3,814,275'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
|2002年(平成14年)
|20,967
|20,967
|37,804
|37,804
| style="background-color: #ffcccc;"|3,325,368
|3,325,368
|''0''
|''0''
| style="background-color: #ffcccc;"|'''3,384,139'''
|'''3,384,139'''
|564,007
|564,007
|'''3,948,146'''
|'''3,948,146'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年)
|2003年(平成15年)
|21,781
|21,781
|38,222
| style="background-color: #ffcccc;"|38,222
|3,290,207
|3,290,207
|''0''
|''0''
413行目: 715行目:
|'''4,004,544'''
|'''4,004,544'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
|2004年(平成16年)
|21,729
|21,729
|37,795
|37,795
| style="background-color: #ccffff;"|3,167,224
|3,167,224
|''0''
|''0''
| style="background-color: #ccffff;"|'''3,226,748'''
|'''3,226,748'''
|579,652
|579,652
|'''3,806,400'''
|'''3,806,400'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年)
|2005年(平成17年)
|27,586
| style="background-color: #ffcccc;"|27,586
|36,116
| style="background-color: #ccffff;"|36,116
|3,293,044
|3,293,044
|''0''
|''0''
|'''3,356,746'''
|'''3,356,746'''
|771,544
| style="background-color: #ffcccc;"|771,544
| style="background-color: #ffcccc;"|'''4,128,290'''
|'''4,128,290'''
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
|2006年(平成18年)
|26,727
|&nbsp;
|36,310
|&nbsp;
|3,620,989
|&nbsp;
|''0''
|&nbsp;
|'''3,684,026'''
|&nbsp;
|771,995
|&nbsp;
|'''4,456,021'''
|&nbsp;
|-
|-
! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年)
|2007年(平成19年)
|27,417
|&nbsp;
|40,615
|&nbsp;
|3,740,424
|&nbsp;
|''0''
|&nbsp;
|'''3,808,456'''
|&nbsp;
|636,064
|&nbsp;
|'''4,444,520'''
|&nbsp;
|-
|2008年(平成20年)
|28,266
|43,668
|3,720,730
|''0''
|'''3,792,665'''
|622,869
|'''4,415,534'''
|-
|2009年(平成21年)
|30,350
|47,537
|3,522,932
|''0''
|'''3,600,819'''
|623,935
|'''4,224,304'''
|-
|2010年(平成22年)
|32,434
|51,349
|3,465,453
|''0''
|'''3,549,236'''
|764,295
|'''4,313,531'''
|-
|2011年(平成23年)
|31,134
|51,605
|3,328,849
|''0''
|'''3,411,588'''
|854,422
|'''4,266,010'''
|-
|2012年(平成24年)
|31,749
|54,651
|3,732,007
|''0''
|'''3,818,407'''
|872,772
|'''4,691,179'''
|-
|2013年(平成25年)
|32,078
|51,796
|style="background-color:#ffcccc"|3,870,995<sup>(最大)</sup>
|''0''
|style="background-color:#ffcccc"|'''3,954,869'''<sup>(最大)</sup>
|style="background-color:#ffcccc"|946,481<sup>(最大)</sup>
|style="background-color:#ffcccc"|'''4,901,350'''<sup>(最大)</sup>
|-
|2014年(平成26年)
|34,440
|48,948
|3,793,462
|''0''
|'''3,876,850'''
|779,942
|'''4,656,792'''
|-
|2015年(平成27年)
|style="background-color:#ffcccc"|34,807<sup>(最大)</sup>
|49,053
|326,381
|''0''
|'''410,241'''
|208,194
|'''618,435'''
|-
|2016年(平成28年)
|30,827
|52,275
|294,161
|''0''
|'''377,263'''
|159,126
|'''536,389'''
|-
|2017年(平成29年)
|30,796
|55,408
|285,480
|1,258
|'''372,942'''
|148,914
|'''521,856'''
|-
|2018年(平成30年)
|34,272
|style="background-color:#ffcccc"|55,905<sup>(最大)</sup>
|301,812
|style="background-color:#ffcccc"|1,320<sup>(最大)</sup>
|'''393,309'''
|152,863
|'''546,172'''
|-
|2019年(令和元年)
|31,971
|52,567
|291,164
|style="background-color:#ffcccc"|1,320<sup>(最大)</sup>
|'''377,023'''
|151,030
|'''528,053'''
|-
|2020年(令和2年)
|style="background-color:#ccffff"|29,675<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|45,064<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|99,232<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|1,144<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|'''175,115'''<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|146,915<sup>(最小)</sup>
|style="background-color:#ccffff"|'''322,030'''<sup>(最小)</sup>
|}
|}
</div></div>


== 駅一覧 ==
== 車両 ==
=== 現在の使用車両 ===
* 全線[[新潟県]]内に所在。
==== 自社車両 ====
* 便宜上、ほくほく線の列車が直通するJR上越線・信越本線の区間も合わせて記載する。なおJRの普通列車は上越国際スキー場前駅を除き下表のJRの駅すべてに停車する。
ほくほく線内の普通列車は、特急列車「はくたか」への影響を最小限とするため<ref name="rj557-45" />、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110&nbsp;km/hと<ref name="rj368-53" />、優れた加速性能(3.0&nbsp;[[キロメートル毎時毎秒|km/h/s]])<ref name="rj557-45" />が要求された。


;[[北越急行HK100形電車|HK100形]]
; 凡例
:線内の普通列車として開業時より運用される車両<ref name="rj557-45" />で、開業時点ではイベント兼用車2両含む9両を製造<ref name="rj368-54" />。1999年に1両<ref name="rj392-41" />、2003年にイベント車2両が増備された<ref name="rj557-45" />。
: 停車駅 … ●:全列車停車、|:全列車通過、*:一部の列車が停車、※:夏季・冬季のみ一部の列車が停車、△:一部の下り列車が通過。
:イベント車4両は「ゆめぞら」と称し、トンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像が上映される<ref name="rj557-45" />。
: 線路 … ∥:複線区間、◇:単線区間([[列車交換]]可能)、|:単線区間(列車交換不可)、∨:ここより下は単線、∧:ここより下は複線
:2003年に増備された100番台「ゆめぞら」のみ片運転台の2両編成で<ref name="rj557-45" />、それ以外は両運転台の車両である<ref name="rj557-45" />。
<gallery widths="160">
HK100-1 r 2015.JPG|HK100形0番台
</gallery>


=== 過去の特急列車の使用車両 ===
{| class="wikitable" rules="all"
{{See also|はくたか#在来線特急時代の車両}}
2015年3月13日まで運行された特急「はくたか」については、北越急行の保有車両とJR東日本・西日本が保有する車両が使用された。

1997年の開業当初は、特急「はくたか」の経由する各社の営業キロを按分することによって、JR西日本・北越急行・JR東日本が4:2:1の比率で車両を運用しており<ref name="rj368-51" />、JR西日本では[[JR西日本681系電車|681系]]と[[国鉄485系電車|485系]]<ref name="rj368-51" />、北越急行は681系<ref name="rj368-51" />、JR東日本は485系を使用していた<ref name="rj368-51" />。

その後、2002年のダイヤ改正ではJR西日本の485系は681系に置き換えられ<ref name="rf577-51" />、485系を運用するのはJR東日本だけとなった<ref name="rf577-51" />。485系の限定運用は全体の運行効率を引き下げることになっていた<ref name="rf577-51" />上、681系とのサービス格差が乗客からも指摘されるようになったため<ref name="rf577-51" />、北越急行とJR東日本の協議により<ref name="rf577-51" />、JR東日本の485系は北越急行の新造した[[JR西日本683系電車|683系]]によって置き換えられることになった<ref name="rf577-51" />。

==== 自社車両 ====
いずれも特急「はくたか」で運用された。北越急行保有の特急形車両は、JR西日本の保有する車両と同一形式として製造した。これは、車両選定の段階で160&nbsp;km/hの高速走行を考慮して設計されていたのがJR西日本の681系しかなかったこと<ref name="rf577-48" />、全くの新形式を製造することは会社の体力的に無理があったことが理由として挙げられている<ref name="rf577-48" />。その一方、他社からの乗り入れのみでなく自社の車両を保有することになったのは、各社間協議で「大規模な相互直通運転を行うには各社が初期の設備投資をするのが絶対条件」とされていたこと<ref name="rf577-47" />、過去に経験のない高速運転を実施するために長期にわたる試験が必要となった<ref name="rf646-37" />が、JR西日本の車両を長期間借用するのは困難であった<ref name="rf577-48" />ことが理由として挙げられる。

北越急行所属車については、独自の赤主体の塗装、「スノーラビットエクスプレス」(Snow Rabbit Express)という[[車両愛称]]を持ち<ref name="rj368-51" />、車体には「SRE」と[[ユキウサギ]]のロゴマークが施されていた。運用も当初は区別されていた<ref name="rj368-51" />が、2002年3月ダイヤ改正以降はJR車との共通運用となっていた<ref name="rf577-51" />。
2015年3月14日の[[北陸新幹線]]開業後は全車両が同日付でJR西日本に譲渡され<ref name="rj584-88" /><ref group="注釈" name="譲渡">なお私鉄・第三セクター所属車両がJR車籍に編入されるのは、[[JR東日本209系電車|209系3100番台]]や[[JR九州キハ125形気動車|キハ125形400番台]]に次いで3例目となる。</ref>、主に「[[しらさぎ (列車)|しらさぎ]]」「[[能登かがり火]]」「[[ダイナスター (列車)|ダイナスター]]」で運用されている。塗装も同年6月初めまでに順次「しらさぎ」用の塗装デザインへ変更された<ref name="rj586-64" /><ref group="注釈">なお、1編成は前述の譲渡を待たずに「しらさぎ」色への塗り替えが行われた。</ref>。

;[[JR西日本681系電車|681系2000番台]]
:JR西日本の681系電車と同一仕様の車両で6両+3両編成を各2編成製造。整備・検査などはすべてJR西日本に委託され<ref name="rf646-52" />、車両自体もJR西日本の金沢総合車両所に常駐とされていた<ref name="rj368-51" />。
:北越急行の681系は[[川崎重工業]]製である<ref name="rf577-49" />が、一部車両は委託製造として[[近畿車輛]]と新潟鐵工所が製造した<ref name="rf577-49" />。
;[[JR西日本683系電車#8000番台|683系8000番台]]
:JR西日本の683系0番台をベースに、681系と一部仕様を合わせた車両で、2005年にJR東日本担当分の車両を置き換える形で6両+3両編成を各1編成製造<ref name="dr.hokuhoku_11" />。簡易気密構造を有し<ref name="dr.hokuhoku_11" />、電動車のキャリパ式ディスクブレーキ化<ref name="rj557-45" />が行われている点が他の683系との差異である。
:北越急行の683系は構体と電装品を川崎重工業で製造し<ref name="rf577-53" />、最終組み立てを[[新潟トランシス]]で行った<ref name="rf577-53" />。
<gallery widths="160">
HK681 Hakutaka13 Mushikawaosugi 20140909.jpg|北越急行 681系2000番台
Hokuetsu Express 683-8000 series on Hakutaka service.jpg|北越急行 683系8000番台
</gallery>

==== JR東日本からの乗り入れ車両 ====
;[[国鉄485系電車|485系3000番台、1500番台]]
:開業時から乗り入れ<ref name="rj368-51" />。2005年のダイヤ改正で[[北越急行]]が保有する683系8000番台に置き換えられた<ref name="dr.hokuhoku_11" />。

==== JR西日本からの乗り入れ車両 ====
;[[国鉄485系電車|485系]]
:開業時から乗り入れ<ref name="rj368-51" />。2002年のダイヤ改正でJR西日本の681系に置き換えられた<ref name="rj428-33" />。
;[[国鉄485系電車|489系]]
:臨時便や485系・681系の代走として特急「はくたか」で乗り入れることがあった<ref name="rj370-9"/><ref>[http://railf.jp/news/2011/02/28/111600.html 489系H01編成が“はくたか”を代走 - 鉄道ファン・railf.jp]</ref>ほか、急行「能登」が新潟県中越地震の影響により臨時にほくほく線経由で運行された際に乗り入れたことがある<ref name="dr.hokuhoku_13" />。
;[[JR西日本681系電車|681系0番台]]
:開業時から乗り入れ<ref name="rj368-51" />。車両愛称は「ホワイトウイング」<ref name="rf577-50" />。
:先述の通り、開業当初は北越急行車と運用を区別した<ref name="rj368-51" />が、2002年3月のダイヤ改正以降は共通運用となっていた<ref name="rf577-51" />。2015年3月のダイヤ改正に前後して、同年6月初めまでに一部を除き「しらさぎ」用の塗装デザインへ変更・転用された<ref name="rj586-64"/>。
;[[JR西日本683系電車|683系]]
:特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」用の4000番台が、ダイヤ乱れなどの際に運用上の都合で681系の運用に入ることがあった<ref name="rj557-24-25" />。高速運転には対応しておらず最高速度は130&nbsp;km/hとなる<ref name="rj557-31" />が、新幹線の接続に影響が出るほどの大幅な遅れにはならなかった<ref name="rj557-31" />。
<gallery widths="160">
JR681 Hakutaka11 Matsudai 20140909.jpg|JR西日本 681系0番台
Tsc683-4500.JPG|JR西日本 683系4000番台
JRW 485 Hakutaka at Kurikara Pass 2000-08-03.jpg|JR西日本 485系
JR East 485-3000 Rapid Fairway 2007.jpg|JR東日本 485系
File:Hakutaka 489bonnet Nagaoka.jpg|JR西日本 489系
</gallery>

=== 臨時列車等 ===
以下、「はくたか」以外で乗り入れ実績のある、あるいは予定されている車両である。

==== JR東日本からの乗り入れ車両 ====
;[[国鉄115系電車|115系]]
:臨時列車として[[高崎車両センター]]所属車が乗り入れた実績がある<!-- 他、新潟車両センター所属車が新潟県中越地震の際に、信越本線が不通となったため長野総合車両センターへの回送列車として当路線に乗り入れた実績がある。新潟所属車はATS-Pを搭載していないため、終電後の深夜に線路閉鎖の上でATSを切って回送された -->。
;[[JR東日本E129系電車|E129系]]
:2018年(平成30年)2月16日 - 17日の「第69回十日町雪まつり」開催に伴う臨時列車として乗り入れた<ref>{{Cite web|和書|title=第69回十日町雪まつり|url=https://hokuhoku-line.jp/blog/?p=2366|website=|accessdate=2019-09-08|publisher=|date=2018-02-15}}</ref>。なお営業運転以外では、2017年(平成29年)12月15日に六日町駅 - まつだい駅間で試運転が行われている<ref name="rf683-163" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2017/12/16/200000.html|title=E129系が北越急行に入線|accessdate=2018-01-11|author=薄田佳降|date=2017-12-16|work=railf.jp|publisher=交友社}}</ref>。
;485系300・1000番台
:ATS-Pを搭載するT18編成などが臨時列車として乗り入れた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jrniigata.co.jp/Scripts/press/20150428485last.pdf|title=いよいよ見納め!485系T18編成(国鉄色)を運転します!|accessdate=2017-01-17|coauthors=|date=2015-04-28|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道新潟支社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150501023629/http://www.jrniigata.co.jp/Scripts/press/20150428485last.pdf|archivedate=2015-05-01}}</ref>。
;485系 [[ジョイフルトレイン]]
:首都圏地区に所属するお座敷列車や[[新潟車両センター]]所属の[[シルフィード (鉄道車両)|NO.DO.KA]]が臨時列車として乗り入れた<ref>[http://railf.jp/news/2018/01/07/202500.html 『終幕 NO.DO.KA』運転](2018年1月7日)『鉄道ファン』交友社 railf.jp. 2019年9月8日閲覧。</ref>。
;[[JR東日本E653系電車|E653系1000番台]]
:臨時列車として乗り入れ実績がある<ref>[http://response.jp/article/2014/09/29/233613.html JR東日本E653系、北越急行に初入線…2014年11月1・2日] - レスポンス,
2014年9月29日</ref>。
;[[JR東日本HB-E300系気動車|HB-E300系]](「[[リゾートビューふるさと]]」)
:2013年11月16・17日に臨時列車「ほくほくぐるり一周号」として入線した<ref name="jreast20130807"/>。
;[[JR東日本E491系電車|E491系]](East i-E)
:総合検測車。

==== JR西日本からの乗り入れ車両 ====
;[[国鉄583系電車|583系]]
:冬季に「[[シュプール号]]」で乗り入れた<ref name="rj392-39-40" />。

==== えちごトキめき鉄道からの乗り入れ車両 ====
;[[えちごトキめき鉄道ET122形気動車|ET122形基本番台]]
:ほくほく線開業20周年企画の一環として、2017年9月10日に「ほくほくSAKE Lovers号」として基本番台のうち、イベント対応車「3市の花号」(ET122-8)が乗り入れた<ref name="trafficnews20170721" />。なお、運行に備え2017年8月から当路線での訓練運転が数度行われている。
;ET122形1000番台(「[[えちごトキめきリゾート雪月花]]」)
:2018年9月7日に特別運行「大地の芸術祭・里山紀行」として乗り入れた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.echigo-tokimeki.co.jp/information/detail?id=645|title=雪月花が「ほくほく線」へ乗入運行をいたします。|accessdate=2018-06-28|date=2018-06-27|publisher=えちごトキめき鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180628095705/https://www.echigo-tokimeki.co.jp/information/detail?id=645|archivedate=2018-06-28}}</ref>。

== データ ==
=== 路線データ ===
*管轄(事業種別):北越急行([[鉄道事業者#第一種鉄道事業者|第一種鉄道事業者]])
*路線距離([[営業キロ]]):59.5&nbsp;[[キロメートル|km]]
* 建設主体:[[日本鉄道建設公団]](現 [[独立行政法人]] [[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]])
*[[軌間]]:1,067&nbsp;[[ミリメートル|mm]]<ref name="工事誌_7-8" />
*駅数(起終点を含む):12
*最高速度:130&nbsp;[[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="rf670-69"/>
**ただし、定期列車は全て最高速度95&nbsp;km/hで運行している。
**2015年3月13日までは国土交通省運輸局への申請最高速度は160&nbsp;km/h(当時[[京成成田空港線]]の印旛日本医大駅から空港第2ビル駅手前までの区間と共に営業在来線日本国内最速)、但し、薬師峠信号場 - まつだい間、虫川大杉 - くびき間は140&nbsp;km/h<ref name="dr.hokuhoku_10"/>。
*複線区間:なし(全線[[単線]])
*電化区間:全線([[直流電化|直流]]1,500&nbsp;[[ボルト (単位)|V]])<ref name="工事誌_7-8" />
*最小曲線半径:400&nbsp;[[メートル|m]]<ref name="工事誌_7-8" />
*最急勾配:33&nbsp;[[パーミル]]<ref name="工事誌_7-8" />
*設計[[活荷重]]:KS-16(国鉄時代に完成した区間)、KS-12(第三セクター化後に完成した区間)
*最長トンネル:[[赤倉トンネル]](10,472&nbsp;m、魚沼丘陵 - しんざ間。トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅があり、開業当時は[[地下鉄]]・[[JR線]]以外では日本最長の鉄道トンネルだった<ref name="dr.hokuhoku_5" />)
*[[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:単線自動閉塞式<ref name="工事誌_7-8" />
*保安装置:[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]<ref name="工事誌_7-8" />
*[[運転指令所]]:六日町指令所<ref name="工事誌_7-8" />

=== 駅一覧 ===
*便宜上、ほくほく線の列車が直通するJR上越線越後湯沢駅 - 六日町駅間、信越本線犀潟駅 - 直江津駅間も併せて記載する。停車駅については、ほくほく線直通列車についてのみ述べ、上越線は停車駅のみ記載する(一部でも通年停車する駅に限る。全駅については[[上越線#駅一覧|路線記事]]を参照)。
*累計営業キロは六日町駅起算。
*定期列車は全列車普通列車。下表の全ての旅客駅に停車するが、一部列車は▽の駅を通過する。
*全線[[新潟県]]内に所在。
*線路(ほくほく線内は単線) … <nowiki>||</nowiki>:複線区間、∨:ここより下は単線、◇:[[列車交換]]可能、|:列車交換不可、*:交換設備休止中、∧:ここより下は複線
{|class="wikitable" rules="all"
|-
|-
!style="text-align:center; width:1em;"|運営会社
!rowspan="2" style="text-align:center;width:1em;border-bottom:solid 3px #E8204E;"|{{縦書き|会社}}
!style="text-align:center; width:1em;"|路線名
!rowspan="2" style="text-align:center;width:1em;border-bottom:solid 3px #E8204E;"|{{縦書き|路線名}}
!style="width:11em;"|駅名
!rowspan="2" style="width:11em;border-bottom:solid 3px #E8204E;"|駅名
!style="width:2.5em;"|駅間キロ
!colspan="2"|営業キロ
!rowspan="2" style="border-bottom:solid 3px #E8204E;"|接続路線
!style="width:3.6em;"|六日町<br/>からの<br/>営業<br/>キロ
!rowspan="2" style="width:1em;border-bottom:solid 3px #E8204E;"|{{縦書き|線路}}
!style="text-align:center; width:1em; line-height:1.1em;"|北越急行普通
!rowspan="2" style="border-bottom:solid 3px #E8204E;"|所在地
!style="text-align:center; width:1em; line-height:1.1em; "|北越急行快速
!style="text-align:center; width:1em; line-height:1.1em; "|特急[[はくたか (列車)|はくたか]]
!接続路線
!style="width:1em;"|線路
!所在地
|-
|-
!style="width:2.5em;border-bottom:solid 3px #E8204E;"|駅間
|rowspan="6" style="text-align:center; width:1em;"|JR東日本
!style="width:2.5em;border-bottom:solid 3px #E8204E;"|累計
|rowspan="6" style="text-align:center; width:1em;"|上越線
|-
|rowspan="3" style="text-align:center;width:1em;font-size:80%;"|{{縦書き|[[東日本旅客鉄道]]|height=7em}}
|rowspan="3" style="text-align:center;width:1em;"|{{縦書き|[[上越線]]|height=4em}}
|[[越後湯沢駅]]
|[[越後湯沢駅]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|17.6
|style="text-align:right;"|17.6
|[[東日本旅客鉄道]]:[[File:Shinkansen jre.svg|17px|■]] [[上越新幹線]]・上越線([[水上駅|水上]]方面・[[ガーラ湯沢駅|ガーラ湯沢]]支線)
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|<nowiki>||</nowiki>
|style="text-align:center;"|
|style="white-space:nowrap;"|[[南魚沼郡]]<br>[[湯沢町]]
|[[東日本旅客鉄道]]:[[上越新幹線]]・[[上越線]]([[水上駅|水上]]方面・[[ガーラ湯沢]]支線)
|style="text-align:center;"|∥
|style="white-space:nowrap;"|[[南魚沼郡]]<br />[[湯沢町]]
|-
|-
|[[石打駅]]
|[[塩沢駅]]
|style="text-align:right;"|6.4
|style="text-align:right;"|13.7
|style="text-align:right;"|11.2
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|∥
|rowspan="7"|[[南魚沼市]]
|-
|[[大沢駅 (新潟県)|大沢駅]]
|style="text-align:right;"|4.0
|style="text-align:right;"|7.2
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|∥
|-
|[[上越国際スキー場前駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|6.2
|style="text-align:center;"|※
|style="text-align:center;"|※
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|∥
|-
|[[塩沢駅]]
|style="text-align:right;"|2.3
|style="text-align:right;"|3.9
|style="text-align:right;"|3.9
|
|style="text-align:center;"|*
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|<nowiki>||</nowiki>
|rowspan="4"|[[南魚沼市]]
|style="text-align:center;"||
|-style="height:1em;"
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|∥
|-
|rowspan="2"|[[六日町駅]]
|rowspan="2"|[[六日町駅]]
|rowspan="2" style="text-align:right;"|3.9
|rowspan="2" style="text-align:right;"|3.9
|rowspan="2" style="text-align:right;"|0.0
|rowspan="2" style="text-align:right;"|0.0
|rowspan="2"|東日本旅客鉄道:上越線([[浦佐駅|浦佐]]方面)
|rowspan="2" style="text-align:center;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center;"|*
|rowspan="2"|東日本旅客鉄道:上越線([[小出駅|小出]]方面)
|rowspan="2" style="text-align:center;"|∨
|rowspan="2" style="text-align:center;"|∨
|-
|-
|rowspan="15" style="text-align:center; width:1em;"|北越急行
|rowspan="15" style="text-align:center;width:1em;"|{{縦書き|[[北越急行]]}}
|rowspan="15" style="text-align:center; width:1em;"|'''ほくほく線'''
|rowspan="15" style="text-align:center;width:1em;"|{{縦書き|'''ほくほく線'''}}
|-
|-
|[[魚沼丘陵駅]]
|[[魚沼丘陵駅]]
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
545行目: 1,031行目:
|[[赤倉信号場]]
|[[赤倉信号場]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|(8.5)
|style="text-align:right;"|8.5
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|rowspan="7"|[[十日町市]]
|rowspan="7"|[[十日町市]]
|-
|-
556行目: 1,039行目:
|style="text-align:right;"|8.6
|style="text-align:right;"|8.6
|style="text-align:right;"|12.2
|style="text-align:right;"|12.2
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
565行目: 1,045行目:
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|14.4
|style="text-align:right;"|14.4
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
574行目: 1,051行目:
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|15.9
|style="text-align:right;"|15.9
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|*
|東日本旅客鉄道:[[飯山線]]
|東日本旅客鉄道:[[飯山線]]
|style="text-align:center;"|◇
|style="text-align:center;"|◇
582行目: 1,056行目:
|[[薬師峠信号場]]
|[[薬師峠信号場]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|(23.8)
|style="text-align:right;"|23.8
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|
|-
|-
|[[まつだい駅]]
|[[まつだい駅]]
|style="text-align:right;"|13.3
|style="text-align:right;"|13.3
|style="text-align:right;"|29.2
|style="text-align:right;"|29.2
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|◇
|style="text-align:center;"|◇
600行目: 1,068行目:
|[[儀明信号場]]
|[[儀明信号場]]
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|(34.1)
|style="text-align:right;"|34.1
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|◇
|style="text-align:center;"|◇
610行目: 1,075行目:
|style="text-align:right;"|9.4
|style="text-align:right;"|9.4
|style="text-align:right;"|38.6
|style="text-align:right;"|38.6
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
620行目: 1,082行目:
|style="text-align:right;"|6.2
|style="text-align:right;"|6.2
|style="text-align:right;"|44.8
|style="text-align:right;"|44.8
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|◇
|style="text-align:center;"|◇
629行目: 1,088行目:
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|46.8
|style="text-align:right;"|46.8
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
638行目: 1,094行目:
|style="text-align:right;"|4.9
|style="text-align:right;"|4.9
|style="text-align:right;"|51.7
|style="text-align:right;"|51.7
|style="text-align:center;"|△
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
647行目: 1,100行目:
|style="text-align:right;"|1.9
|style="text-align:right;"|1.9
|style="text-align:right;"|53.6
|style="text-align:right;"|53.6
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|◇
|style="text-align:center;"|◇
|-style="height:1em;"
|-
|rowspan="2"|[[犀潟駅]]
|rowspan="2"|[[犀潟駅]]
|rowspan="2" style="text-align:right;"|5.9
|rowspan="2" style="text-align:right;"|5.9
|rowspan="2" style="text-align:right;"|59.5
|rowspan="2" style="text-align:right;"|59.5
|rowspan="2"|東日本旅客鉄道:信越本線([[柏崎駅|柏崎]]方面)
|rowspan="2" style="text-align:center;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center;"|●
|rowspan="2" style="text-align:center;"||
|rowspan="2"|東日本旅客鉄道:[[信越本線]]([[柏崎駅|柏崎]]方面)
|rowspan="2" style="text-align:center;"|∧
|rowspan="2" style="text-align:center;"|∧
|-
|-
|rowspan="3" style="text-align:center; width:1em;"|JR東日本
|rowspan="3" style="text-align:center;width:1em;font-size:80%;"|{{縦書き|東日本旅客鉄道|height=7em}}
|rowspan="3" style="text-align:center; width:1em;"|信越本線
|rowspan="3" style="text-align:center;width:1em;"|{{縦書き|[[信越本線]]|height=5em}}
|-
|-
|[[黒井駅 (新潟県)|黒井駅]]
|[[黒井駅 (新潟県)|黒井駅]]
|style="text-align:right;"|4.4
|style="text-align:right;"|4.4
|style="text-align:right;"|63.9
|style="text-align:right;"|63.9
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|style="text-align:center;"||
|&nbsp;
|&nbsp;
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|<nowiki>||</nowiki>
|-
|-
|[[直江津駅]]
|[[直江津駅]]
|style="text-align:right;"|2.7
|style="text-align:right;"|2.7
|style="text-align:right;"|66.6
|style="text-align:right;"|66.6
|[[えちごトキめき鉄道]]:[[えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン|妙高はねうまライン]]・[[えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン|日本海ひすいライン]]
|style="text-align:center;"|●
|style="text-align:center;"|
|style="text-align:center;"|<nowiki>||</nowiki>
|style="text-align:center;"|●
|東日本旅客鉄道:信越本線([[長野駅|長野]]方面)<br />[[西日本旅客鉄道]]:[[北陸本線]](特急「はくたか」直通)
|style="text-align:center;"|∥
|}
|}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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=== 注釈 ===
{{Reflist|2|refs=
{{Notelist|2}}
<ref name = "工事誌_7-8">[[#工事誌|『北越北線工事誌』pp.7 - 8]]</ref>
=== 出典 ===
<ref name = "工事誌_71-72">[[#工事誌|『北越北線工事誌』pp.72 - 73]]</ref>
{{Reflist|3|refs=
<ref name = "新線_140-142">[[#新線|『三セク新線高速化の軌跡』pp.140 - 142]]</ref>
<ref name = "新線_144-149">[[#新線|『三セク新高速化の軌跡pp.144 - 149]]</ref>
<ref name="工事誌_冒頭図">[[#工事誌|『北越北工事誌日本鉄道建設公団 (1998) 冒頭図]]</ref>
<ref name = "新線_150-153">[[#新線|『三セク新高速化の軌跡』pp.150 - 153]]</ref>
<ref name="工事誌_7-8">[[#工事誌|『北越北工事誌日本鉄道建設公団 (1998) pp.7 - 8]]</ref>
<ref name = "新線_154-155_284">[[#新線|『三セク新高速化の軌跡pp.154 - 155, 284]]</ref>
<ref name="工事誌_9">[[#工事誌|『北越北工事誌日本鉄道建設公団 (1998) p.9]]</ref>
<ref name = "新線_156-207">[[#新線|『三セク新高速化の軌跡pp.156 - 207]]</ref>
<ref name="工事誌_21">[[#工事誌|『北越北工事誌日本鉄道建設公団 (1998) p.21]]</ref>
<ref name = "新線_216-221">[[#新線|『三セク新高速化の軌跡pp.216 - 221]]</ref>
<ref name="工事誌_66">[[#工事誌|『北越北工事誌日本鉄道建設公団 (1998) p.66]]</ref>
<ref name="工事誌_71-72">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) pp.72 - 73]]</ref>
<ref name = "official_history">{{Cite web | url=http://www.hokuhoku.co.jp/3annai/03kaisya/top2.html | title=開業までの経緯・沿革 | accessdate=2010-06-19 | publisher=北越急行}}</ref>
<ref name="工事誌_88">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.88]]</ref>
<ref name = "dr.hokuhoku_5">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/hakase/4hakase/01-10/4-5sita.html | title = ほくほく博士 5 ほくほく線の高速運転を支える設備 | accessdate = 2010-06-19 | publisher = [[北越急行]]}}</ref>
<ref name="工事誌_89">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.89]]</ref>
<ref name = "dr.hokuhoku_13">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/hakase/4hakase/11-20/13.html | title = ほくほく博士 13 新潟県中越震災および豪雪でこんなことがありました | accessdate = 2010-06-19 | publisher = [[北越急行]]}}</ref>
<ref name="工事誌_92-94">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) pp.92 - 94]]</ref>
<ref name = "dr.hokuhoku_16">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/hakase/4hakase/11-20/16.html | title = ほくほく博士 16 ワンマン運転士の泣き笑い | accessdate = 2013-12-10 | publisher = [[北越急行]]}}</ref>
<ref name="工事誌_125">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.125]]</ref>
<ref name = "hobidas20110727">{{Cite web | url = http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/07/jr6834000t52.html | title = 【JR西】683系4000番代T52編成 出場試運転 | date = 2011-07-27 | accessdate = 2012-07-15 | publisher = [[ネコ・パブリッシング]](鉄道ホビダス)}}</ref>
<ref name="工事誌_129">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.129]]</ref>
<ref name = "ゆめぞら">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/5yumezora/top.html | title = ほくほく線 ゆめぞら | publisher = [[北越急行]] | accessdate = 2012-07-15}}</ref>
<ref name="工事誌_150">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.150]]</ref>
<ref name = "mee">{{Cite web | url = http://www.mee.co.jp/sales/system-solution/ei-sol/case/case01.html | title = 北越急行「ゆめぞら号」天井映像 事例 | publisher = [[三菱電機エンジニアリング]] | accessdate = 2012-07-15}}</ref>
<ref name="工事誌_160">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.160]]</ref>
<ref name="工事誌_240">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.240]]</ref>
<ref name="工事誌_242">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.242]]</ref>
<ref name="工事誌_307">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.307]]</ref>
<ref name="工事誌_318">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.318]]</ref>
<ref name="工事誌_347">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.347]]</ref>
<ref name="工事誌_348-349">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) pp.348 - 349]]</ref>
<ref name="工事誌_353">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.353]]</ref>
<ref name="工事誌_354">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.354]]</ref>
<ref name="工事誌_673">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.673]]</ref>
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<ref name="工事誌_675">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.675]]</ref>
<ref name="工事誌_681">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) p.681]]</ref>
<ref name="工事誌_681-682">[[#工事誌|『北越北線工事誌』日本鉄道建設公団 (1998) pp.681 - 682]]</ref>
<ref name="上越工事誌">[[#上越工事誌|『上越新幹線工事誌 (水上・新潟間)』日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局 (1983) pp.624-626]]</ref>
<ref name="新線_20-21">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.20 - 21]]</ref>
<ref name="新線_140">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.140]]</ref>
<ref name="新線_140-141">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.140 - 141]]</ref>
<ref name="新線_141-142">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.141 - 142]]</ref>
<ref name="新線_142">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.142]]</ref>
<ref name="新線_144">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.144]]</ref>
<ref name="新線_147">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.147]]</ref>
<ref name="新線_148">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.148]]</ref>
<ref name="新線_148-149">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.148 - 149]]</ref>
<ref name="新線_149">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.149]]</ref>
<ref name="新線_150">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.150]]</ref>
<ref name="新線_150-151">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.150 - 151]]</ref>
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<ref name="新線_151-152">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.151 - 152]]</ref>
<ref name="新線_152">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.152]]</ref>
<ref name="新線_153">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.153]]</ref>
<ref name="新線_154">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.154]]</ref>
<ref name="新線_154-155">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.154 - 155]]</ref>
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<ref name="新線_187-188">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.187 - 188]]</ref>
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<ref name="新線_190-192">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.190 - 192]]</ref>
<ref name="新線_192">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.192]]</ref>
<ref name="新線_192-193">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.192 - 193]]</ref>
<ref name="新線_194">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.194]]</ref>
<ref name="新線_216-217">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.216 - 217]]</ref>
<ref name="新線_217-219">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.217 - 219]]</ref>
<ref name="新線_219">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) pp.219]]</ref>
<ref name="新線_284">[[#新線|日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』 (1998) p.284]]</ref>
<ref name="鉄道の科学_153">[[#鉄道の科学|宮本昌幸『図解・鉄道の科学』 (2006) p.153]]</ref>
<ref name="数字2012">[[#数字2012|国土交通省鉄道局『数字でみる鉄道 2012』 (2012)]]</ref>
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<ref name="trafficnews20170721">{{Cite news|url=https://trafficnews.jp/post/76757|title=ほくほく線20周年で日本酒堪能ツアー開催 列車はトキ鉄車両を使用 北越急行|newspaper=乗りものニュース|date=2017-07-21|accessdate=2017-09-04}}</ref>
<ref name="20180927 press">{{Cite press release|和書|url=https://hokuhoku.co.jp/press/20180927.pdf |format=PDF |publisher=北越急行 |title=ほくほく線 運賃改定の実施について |date=2018-09-27 |accessdate=2018-01-17}}</ref>
}}
}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{commonscat|Hokuetsu Express Hokuhoku Line}}
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* {{Cite book | 和書 | editor = [[日本鉄道建設公団]]高速化研究会 | title = 三セク新線高速化の軌跡 | publisher = [[交通新聞社]] | date = 1998-10-20 | edition = 初版 | isbn = 4-87513-077-5 | ref = 新線}}
=== 工事誌 ===
*{{Cite book|和書 |editor=日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局 |title=上越新幹線工事誌 (水上・新潟間)|publisher=日本鉄道建設公団新潟新幹線建設局 |year=1983 |ref=上越工事誌}}
*{{Cite book|和書 |editor=日本鉄道建設公団|editor-link=日本鉄道建設公団 |title=北越北線工事誌 |publisher=日本鉄道建設公団 |year=1998 |month=3 |ref=工事誌}}

=== 書籍 ===
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*{{Cite book|和書 |author=国土交通省鉄道局|authorlink=鉄道局 |title=数字でみる鉄道 2012 |publisher=運輸総合研究所 |date=2012-10-31 |isbn=978-4903876443 |ref=数字2012}}
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== 関連項目 ==
*[[国道253号]] - ほぼ全線にわたって並行する[[一般国道]]
**[[上越魚沼地域振興快速道路]](上沼道) - ほぼ全線にわたって並行する[[地域高規格道路]]([[自動車専用道路]])
**[[八箇峠トンネル]] - [[鍋立山トンネル]]と同じく難工事となった[[赤倉トンネル]]近くの上越魚沼地域振興快速道路(上沼道)の[[トンネル]]
*[[電車でGO!]]シリーズ - 1997年にゲームセンターに設置されたアーケード版の「[[電車でGO!2高速編]]」から1999年発売の「[[電車でGO! プロフェッショナル仕様]]」まで、幅広く当路線が収録されている鉄道運転シミュレーションゲームである。HK100形や、681系が登場する。また、電車でGO!を通じて北越急行を知った鉄道ファンが、県外各地から訪れていたことが北越急行の公式サイト上でも紹介されている。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.hokuhoku.co.jp/ 北越急行株式会社]
*[https://hokuhoku.co.jp/ 北越急行株式会社]


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2024年11月14日 (木) 04:44時点における最新版

北越急行 ほくほく線
米山をバックにほくほく線を走るHK100形 (2014年9月 くびき駅-犀潟駅間)
米山をバックにほくほく線を走るHK100形
(2014年9月 くびき駅-犀潟駅間)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 新潟県
種類 普通鉄道在来線第三セクター鉄道
起点 六日町駅
終点 犀潟駅
駅数 12駅
開業 1997年3月22日
所有者 北越急行
運営者 北越急行
使用車両 HK100形
路線諸元
路線距離 59.5 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
最大勾配 33 パーミル
最小曲線半径 400 m
閉塞方式 単線自動閉塞式
保安装置 ATS-P
最高速度 130 km/h(定期列車の最高速度は95 km/h、2015年3月13日までの申請最高運転速度は160 km/h)
路線図
ほくほく線路線図
ほくほく線路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR
JR東上越線(↑高崎方)
STR STR+l
JR東:上越新幹線
越後湯沢駅
LSTR tSTRa
STR+l ABZgr tSTR
tSTR
0.0 六日町駅
STRr hSTRa tSTR
JR東:上越線(←宮内方)
hBHF tSTR
3.6 魚沼丘陵駅
tSTRa tSTR
赤倉T 10,471.50 m
tSTRq tKRZt tSTRr
etDST
8.5 赤倉信号場 (休止中)
tBHF
12.2 美佐島駅
tSTRe
hBHF
14.4 しんざ駅
STRq hKRZ STR+r
JR東:飯山線(←越後川口方)
15.9 十日町駅
tSTRa STRl
JR東:飯山線(豊野方→)
tSTRe
十日町T 1,695.10 m
hKRZWae
信濃川 406.7 m
tSTRa
薬師峠T 6,199.17 m
etDST
23.8 薬師峠信号場 (休止中)
tSTRe
TUNNEL2
犬伏T 667.30 m
TUNNEL1
第一田沢T 125.00 m
TUNNEL1
第二田沢T 1,934.00 m
hKRZWae
渋海川 148.0 m
TUNNEL2
松代T 295.00 m
hBHF
29.2 まつだい駅
tSTRa
鍋立山T 9,129.50 m
tDST
34.1 儀明信号場
tSTRe
hBHF
38.6 ほくほく大島駅
TUNNEL1
深沢T 1,585.40 m
TUNNEL1
霧ヶ岳T 3,732.98 m
hBHF
44.8 虫川大杉駅
TUNNEL2
有島T 697.50 m
hBHF
46.8 うらがわら駅
TUNNEL1
第一飯室T 3,287 m
TUNNEL1
第二飯室T 272.50 m
hBHF
51.7 大池いこいの森駅
TUNNEL2
中島T 250.00 m
hBHF
53.6 くびき駅
hKRZWae
潟川 109.9 m
hSKRZ-A
北陸自動車道
STRq hKRZ STR+r
← JR東:信越本線
hSTRe STR
59.5 犀潟駅
ABZg+l STRr
LSTR
HST
直江津駅
ABZgl STRq
トキてつ妙高はねうまライン
STR
トキてつ:日本海ひすいライン

T:トンネル

ほくほく線(ほくほくせん)は、新潟県南魚沼市六日町駅から同県上越市犀潟駅までを結ぶ北越急行鉄道路線である。

北陸方面への短絡線としての役割を有する[1]日本国有鉄道(国鉄)の予定線「北越北線(ほくえつほくせん)」として[2]1968年(昭和43年)に着工され[3]、紆余曲折の末、北越急行によって1997年(平成9年)3月22日より営業を開始した[2]。開業以来、上越新幹線と連絡する列車の運行が行われており、2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間延伸開業までは、首都圏と北陸を結ぶメインルートとして特急はくたか」が同線を経由して運転されていた。

開業時から一部の特急「はくたか」で日本の狭軌在来線最高速度となる140 km/h運転が行われ、1998年(平成10年)12月からは150 km/h運転が[4]、2002年(平成14年)3月以降はさらに高速となる160 km/h運転が開始された[4]。2015年(平成27年)3月13日の特急「はくたか」運行終了により最高速度160 km/hで運行する列車は無くなり、2023年(令和5年)3月現在はHK100形による普通列車が最高速度95 km/hで運転されている[5]

歴史

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鉄道誘致活動の始まり

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ほくほく線の中間付近にあたる松代村(まつだいむら。現十日町市の一部[6])では、1920年(大正9年)4月15日に松代自動車株式会社が設立されて、バストラックの運行を開始した[7][8]。この会社は1932年(昭和7年)に売却されて頸城自動車となる[7]。しかし、この時代には道路の除雪体制がまったく整っておらず、その整備が本格化する1960年(昭和35年)頃までは、道路交通が5月上旬まで完全に不能となり各集落が孤立状態となるのが常であった[8]。ほくほく線建設が進められていた1980年代になってもなお、十日町と松代を結ぶ国道253号の薬師峠は毎年雪で不通となり、直線距離で13 キロメートル(km)のところを、柏崎直江津を通る120 kmもの迂回をしなければ行き来ができなかった[9]。冬には道路交通がまったく役に立たなくなるために、鉄道の重要性・必要性を痛感していた地元の関係者は、1931年(昭和6年)に当地を訪れた朝日新聞の記者が「この不便な山間地を開くには鉄道を貫通させなくては」と発言したことに刺激され、民間中心の鉄道誘致運動が開始された[8]。その口火を切ったのは、松代自動車の設立者の柳常次であった[7]

既に1916年(大正5年)5月4日には、頸城鉄道くびきてつどうが新黒井 - 浦川原間を全通させていた[10]。当初はこの頸城鉄道とつなぎ松代まで伸ばす形での「東頸城縦貫鉄道」の建設請願を1932年(昭和7年)8月に国会へ提出した[11]。この時点では松代から信越本線直江津)側へ結ぶだけの鉄道で、十日町や六日町と結ぶという構想は(急峻な地形のために実現が困難と判断されたのか[11])なかった[11]。その後さらに発展的な構想として、北陸地方と東京を結ぶ「上越西線」という構想となり、魚沼三郡東頸城郡の町村長が六日町 - 直江津間に鉄道を敷設する陳情書を国会に提出した[11]。1938年(昭和13年)4月になると時勢から軍事用の役割が付加されて、軍都と呼ばれた高田を起点とする「北越鉄道」の構想が打ち出され、国防にも役立つという位置づけとされた[11]。1937年(昭和12年)8月から9月にかけて、鉄道省による路線測量と経済調査が実施され、路線案の比較検討が行われるとともに、地元による国会への請願が繰り返された[12]

この時点までは、路線の北側は直江津案と高田案の2案があったが、南側については六日町で統一されていた[13]。しかし1940年(昭和15年)になり、南側を越後湯沢駅とする案が持ち上がった[13]。これはスキーをしに松之山温泉に来ていた鉄道省の技師が、越後湯沢と直江津を結ぶ経路の方が有力であるかのように話したことが発端であるとされるが、真偽ははっきりしていない[13]。この年の10月から11月にかけて越後湯沢案に基づく路線の経済調査が実施され、両案の資料が揃うことになった[13]。1942年(昭和17年)から両案の誘致活動が繰り広げられたが、第二次世界大戦中でもありこの時点ではそこまで厳しい対立ではなかった[13]。1944年(昭和19年)には、国鉄信濃川発電所のある千手町川西町を経て2005年の合併で十日町市の一部[14])と十日町を結ぶ工事用の軽便鉄道を延長する形で松代までを結ぶ路線の建設が決まり、工事予算1800万円が計上されたが、翌年の敗戦により計画は中止された[13][15]

北越北線と北越南線の計画ルートと実際のほくほく線

「南北戦争」からルートの決着まで

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第二次世界大戦後は、高田と結ぶ軍事路線という動きは消滅し、佐渡航路ならびに北陸本線との連絡という観点から直江津起点とすることで決着して、直江津と上越線を結ぶ鉄道とすることになった[16][17]。1950年(昭和25年)9月3日に、北陸上越連絡鉄道(上越西線)期成同盟会の発会式が高田市(1971年の合併により上越市の一部[18])で行われ、戦後の鉄道建設運動が開始された[17]。しかしルートの一本化はできず、起点は直江津とされたものの終点は六日町越後湯沢の双方の案が会則に併記される形となった[17]。以降、「北越北線ほくえつほくせん」案と「北越南線ほくえつなんせん」案の間で14年に渡る鉄道誘致合戦「南北戦争」が勃発することになった[17]

北線案の利点は、新潟県内の主要都市を結び産業開発や経済面で優れ、採算性に優れること、地すべり地帯がなく防災上有利であることであり、これに対して南線案の利点は首都圏から直江津までの距離を短縮することができること、勾配を北線の25パーミルに対して20パーミルに抑えられ輸送力を大きくできること、苗場や高倉の森林および地下資源、三国清津の温泉の開発ができることであるとされた[注釈 1][19]

この当時、国鉄の新線は1922年(大正11年)に制定された鉄道敷設法に基づいて建設されており、新線を建設するには法律を改正して鉄道敷設法別表に路線経路を記載する必要があった[20]。そして別表への記載は、諮問機関である鉄道建設審議会の検討を経て決定されることになっていた[20]。日本の国政レベルでは、南北両案の一本化ができさえすればいつでも審議会で了承されるというところまで議論が進んでいた[19]。しかし一本化ができないままに1953年(昭和28年)2月の第9回鉄道建設審議会が開催され、両案の対立が激しくて審議会でも決断を下しかね、「経過地に関する地元の意見の不一致並びに現地調査の不十分」を理由に審議未了・保留となった[19]。こうした事情もあり、両線の一本化を図るために期成同盟会では、前年に新潟県知事の岡田正平に経過地の裁定を一任することを決議していた[19]。岡田は、新潟県七市長会および商工会議所連合会に諮問して、北線案が妥当との答申を受け、8月に北線案採択の裁定を下した[19]。しかしこの裁定を説明するために9月に開催された期成同盟会総会を南線側がボイコットするという事態となって、さらに時間が空費されることになった[19]

その後も両派の争いは続いたが、1962年(昭和37年)に事態は動いた[21]。この頃、南線案の予定通過地である松之山町の中心部で地すべり災害[注釈 2]が発生しており鉄道の通過ルートとしてふさわしくないとされたことと、道路交通の発達でそれほど鉄道にこだわる必要がなくなったことなどから、一方の路線が採択された際にはもう一方の路線側から鉄道へ連絡する道路を整備するということを条件に、国鉄に裁定を一任することになった[21]。1962年(昭和37年)4月22日に鉄道建設審議会が上越西線を予定線に採択することを決定し、5月12日に鉄道敷設法1条別表第55ノ3に「新潟県直江津より松代附近を経て六日町に至る鉄道及松代附近より分岐して湯沢に至る鉄道」が追加されて、南北両案が鉄道予定線となった[21][23]

1962年(昭和37年)7月から、国鉄では人口分布や産業構成などの経済調査を新潟県に依頼して実施した。地元でも、従来の上越西線期成同盟会を発展的に解消して新たに北越線連合期成同盟会を1963年(昭和38年)6月27日に発足させ、工事線への昇格に向けて積極的な運動を行った。1964年(昭和39年)4月22日に運輸大臣は北越北線を調査線に指示し、続いて9月28日には工事線に格上げした上で、南線は北線によって効用を満たし得るとの判断から、調査線から南線を削除した。こうして北越北線が正式に採択され、南北戦争は終結することになった[24]。なおちょうどこの頃、1964年(昭和39年)3月に日本鉄道建設公団(鉄道公団、以下公団と略す)が設立され、国鉄の新線建設事業は公団が引き継ぐことになって、北越北線も公団に引き継がれた[25]

北越北線が調査線となって以降、詳細なルートの検討が進められた[1]。地元は北越北線に旅客輸送を期待したが、国鉄から見れば首都圏と北陸地方を短絡する有力な貨物線であり、上越線信越本線との間の方向転換・機関車交換作業を廃止し輸送時間を短縮することを狙っていた[1]。そのため重量1,000トンの貨物列車の運転を想定した貨物輸送が路線選定の要となり、当初は六日町駅黒井駅を可能な限り直線的に結ぶルートが考えられていた[1]。これにより十日町では飯山線と直交するルート案となり[1]、飯山線の十日町駅とは別に北越北線の十日町駅を約1,300メートル離れた位置に設け、地下駅とする案もあった[26]。しかしこれには地元からの強烈な反発があり、実際の経路は飯山線十日町駅に乗り入れるクランク状のものとなった[1]。また東頸城地方では、安塚大島、室野(松代町西部)を経由する南側に膨らんだ路線を要望されて決着に時間を要したが、最終的にほぼ原案通りとなった[27]。ところが、国鉄側と最終的に詰める段階になり、直江津駅構内の貨物ヤード(操車場)が処理能力の限界を迎えていたことから、黒井駅の犀潟駅寄りに新たな操車場を建設する構想が持ち上がった[27]。これにより北越北線の乗り入れは操車場に支障しない犀潟駅とならざるを得ず、旧頸城鉄道沿線から経路が外れて頸城村の中心地(2005年の合併以降の上越市頸城区百間町付近[28][29])も通らないことになった[1]。浦川原 - 犀潟間は、後の工事凍結時点で未着工であり、黒井の操車場計画が結局実現しなかったこともあって、工事再開時に新たな路線問題となりかけたが、最終的に六日町と犀潟を結ぶ経路で確定した[27]

国鉄新線としての建設

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1964年(昭和39年)9月28日に運輸大臣が定めた基本計画では、北越北線は起点を直江津市、終点を南魚沼郡六日町とし、単線非電化で、線路等級は乙線とされていた[3]。これを基に工事実施計画の指示が行われた[3]。設計にあたっては、日本有数の豪雪地帯を通ることから雪崩地すべりの起こらないような場所を選んでルートの設定を行い、将来的に貨物列車や急行列車の運行を行う優等線とすることを考えて勾配や曲線を少なくするようにした[30]

公団の発足当時、工事線に指定されていた路線は全国で47路線あり、その総延長は約2,000キロメートル、総工費は約2000億円とされ、年間約100億円程度の公団の予算では実現にかなりの時間がかかるのは確実な状況であった[31]。北越北線も、鉄道建設審議会で「速やかに着工」という意見が添えられた路線に含まれていなかった[31]。しかし当時の地元国会議員らの熱心な取り組みもあって、比較的早く着工に漕ぎ着けることができた[31]

まず六日町 - 十日町間について、1968年(昭和43年)3月28日に工事実施計画が認可され、8月14日に着工となった[3]。この区間を先に着工したのは、松代浦川原の間でのルートの決着が付いていなかったためである[1]。基本計画とは逆に起点は六日町、終点は十日町で、途中停車場は西六日町(魚沼丘陵駅)、赤倉信号場、津池(美佐島駅)と仮称されていた(カッコ内は開業時の駅名)[32]。最小曲線半径は400メートル、最急勾配は14パーミル、1メートルあたりの重量が40キログラム(kg)である40 kgレールを使用し、橋梁の設計活荷重はKS-16、概算工事費は50億1800万円とされた[32]

続いて1972年(昭和47年)10月11日に十日町 - 犀潟間の工事実施計画が認可され、1973年(昭和48年)3月24日に着工された[33]。この区間の途中停車場は薬師峠信号場、松代(まつだい駅)、儀明信号場、頸城大島(ほくほく大島駅)、沢田(虫川大杉駅)、増田(くびき駅)と仮称されていた(カッコ内は開業時の駅名)[34]。最小曲線半径は1,000メートル、最急勾配は14パーミル、40 kgレールを使うが長大トンネル内は50 kgレールとし、橋梁の設計活荷重はKS-16、概算工事費は239億3400万円となった[34]。1979年度完成を予定していた[32]

停車場の配線についても貨物列車の運行を前提とした計画になっており、単式ホームとされた西六日町津池の両停車場以外のすべての停車場で列車交換が可能で、貨物列車相互の行き違いを想定してすべての交換可能駅で1,000トン貨物列車に対応した有効長460メートルを確保していた[35]。在来線併設の六日町十日町犀潟を除くすべての停車場に、上下線とも安全側線を設置して、上下列車の待避線への同時進入を可能とすることになっていた[35]。六日町、十日町、松代の各停車場については、機関車牽引の10両編成を想定してプラットホームの有効長を240メートルとし、これ以外の停車場については電車列車の6両編成を想定した140メートルとしていた[35]

その後、国鉄新潟鉄道管理局からの防雪設備の完備や保守の軽減化への要望があり、さらに運輸省の通達で工事実施計画に含めるべき事項が加えられたこともあり、1978年(昭和53年)7月20日に工事実施計画が変更された[36]。これにより十日町 - 犀潟間の工事実施計画について、犀潟駅への取り付けの変更が行われ、最小曲線半径が1,000メートルから600メートルとなり、50 kgレールの使用とスラブ軌道の採用、電化対応設備を設けることが記載された[36]。十日町 - 犀潟間の工事予算は511億8600万円に改定され、完成予定期日は1983年(昭和58年)に延長されることになった[36]

この頃、全国新幹線鉄道整備法により全国的な新幹線ネットワークの整備計画が進められており、東京と北陸地方を結ぶ新幹線として北陸新幹線の基本計画が1972年(昭和47年)に制定されていた[37]。北陸新幹線は北越北線と重複する高速鉄道計画となったが、高度経済成長の時期でもありそれほど問題視はされず、また北陸新幹線が旅客輸送、北越北線が貨物輸送と役割分担することも考えられていた[37]。しかし1973年(昭和48年)に第一次オイルショックに見舞われると、北陸新幹線の建設は延期されることになった[37]

北越北線はその間も工事が続けられていたが、全国各地にある鉄道新線のうちの1か所として配分される建設予算に限りがあったことや、トンネル工事が難航していたことで建設工事が遅れていた[38]。そうしているうちに国鉄の経営悪化が進み、その対策として1980年(昭和55年)に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の施行により鉄道新線の工事は凍結されることになった[39]。国鉄再建法での工事続行基準は、推定輸送密度が4,000人/日以上とされていたが、北越北線の推定輸送密度は1,600人/日であった[40]。この時点で用地取得は73パーセント、路盤工事は58パーセントまで進捗しており、工事費はこの時点での総額見込み794億円に対して415億円が投じられていたが[36][41]、1982年(昭和57年)3月に完成済み施設に対する保安工事が完了すると、建設工事は全面ストップした[42]

第三セクター方式での建設再開

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国鉄再建法では、建設が中断された地方鉄道新線について、地元が第三セクター会社を設立して引き受けることが可能であると定めていた[43]岩手県三陸鉄道のように、早々にこの方針で動き出して、第三セクターでの開業を果たした鉄道もあった[44]。しかし北越北線については、鉄道の経営への不安があったことに加えて、新潟県出身の田中角栄元首相が「北越北線だけは特別に貨物幹線としてやらせる」と発言していたことなどもあり、沿線自治体は第三セクター化に興味を示さなかった[45]。だが結局北越北線が国鉄新線として工事再開されることはなかった[45]

1983年(昭和58年)6月22日に東京で開催された北越北線建設促進期成同盟会総会に突然田中角栄が出席し、それまでの国鉄での建設再開の考えを撤回した上で、第三セクターでの引き受け案を持ち出した[46][42]。この提案は突然のことであり、沿線自治体の関係者を困惑させた[42]。当時の君健男新潟県知事は第三セクター化に慎重であったが[47]、期成同盟会会長の諸里正典十日町市長は田中元首相の動きに呼応して第三セクター化を目指し、独断で国や公団との接触を開始した[48]。沿線の他の市町村は、こうした諸里市長の独断専行に不満を持っていたとされる[48]

「プロの国鉄がやってもダメなものを、素人の県や市町村がうまくやれるはずがない」として慎重であった君知事は、第三者のコンサルタントを入れて経営分析を行わせ、また第三セクター化は越後湯沢 - 六日町間と犀潟 - 直江津間での国鉄への乗り入れを行うことを条件としてつけた[49]。コンサルタントも、秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線に対して「永久に黒字転換する見込みがない」と厳しい診断を下した会社に依頼した[49]。ところが新潟県の予想に反し、コンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字」との報告書を出し、また国鉄も直通運転を了承した[49]。こうして梯子を外された格好となった新潟県は、第三セクター化推進の方針に転換することになった[50]。裏側では、田中元首相の政治力を背景に諸里市長が立ち回り、君知事を政治的に追い込んだ、と伝えられている[50]。こうして1984年(昭和59年)8月30日に北越急行株式会社が設立され、1985年(昭和60年)2月1日に鉄道事業の免許を取得し、3月16日に工事が再開された[51]

第三セクター鉄道として建設を再開するにあたり、建設計画が修正された[52]気動車による1両または2両編成程度を想定、最大で4両編成とし、旅客輸送のみに限定することになった[52]。これにより全体的にプラットホームと待避線の有効長が短縮され、頸城大島駅(ほくほく大島駅)の交換設備は省略されることとなった[52]。また、上下列車の待避線への同時進入を考慮しないこととして安全側線も省略された[52]。JR線と接続する六日町十日町犀潟の駅配線は大幅に変更され、特に十日町は飯山線との平面交差から立体交差に修正された[52]。橋梁の設計活荷重については、国鉄時代にはKS-16荷重を想定していたが、旅客のみに改められたこともあり、第三セクター化以降に建設される場所についてはKS-12荷重を採用することになった[53]。また新座(しんざ)、顕聖寺(うらがわら)、大池(大池いこいの森)の各駅が要望駅として追加になった(いずれも当時の仮称でカッコ内は開業時の駅名)[54]

建設において最大のネックとなったのは路線のほぼ中央にある鍋立山トンネルであった。鍋立山トンネルは工事中断時点で中央部に645メートルの未掘削区間が残されており[55]、1986年(昭和61年)2月24日に掘削が再開されたが、極度の膨張性地山のため、当初の中央導坑先進工法(先に中央部の導坑を掘削する工法)では強大な土圧により支柱が座屈するなどの問題を生じた[55]。続いてトンネルボーリングマシン(TBM)を導入したが、これも掘削中に土圧により発進地点より手前まで押し戻されてしまう事態となった[55]。その後、薬液の注入や[55]、最終的には手掘りも実施する[56]など、実に29の工法が駆使された[57]。1992年(平成4年)10月29日にようやく先進導坑が貫通し、1995年(平成7年)3月7日に掘削完了、11月7日に竣工[58]となり、これにより開業のめどが立つことになった[59]。結果的にこの区間には10年余りの歳月と146億円の工費が投入されることとなり[60]、のちにほくほく線の開業を左右したのは政治でも採算上の数値でもなく、鍋立山トンネルの工事であったと評された[59]

高速化の決定

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工事再開後も、鍋立山トンネル等の工事難航に伴い、開業も当初予定より遅れが生じていた。そのような中、1988年(昭和63年)になり、北越北線を高速化してスーパー特急を走らせる計画が運輸省から打ち出された[40]。当時、北陸新幹線整備新幹線問題の関係で計画凍結は解除されたものの着工されておらず、1988年(昭和63年)のいわゆる「運輸省案」では長野以南の建設を優先し、高崎 - 軽井沢間のみフル規格、軽井沢 - 長野間はミニ新幹線、糸魚川 - 魚津間、高岡 - 金沢間については構造物を新幹線と同じ規格で建設し、線路を在来線と同じ軌間にするスーパー特急方式とする計画が提案されているに過ぎなかった。

北越北線はこの時点で路盤は完成していたが、軌道敷設は行われておらず、もともと優等列車の運転を想定して高い規格で建設されていたこともあり、翌1989年(平成元年)5月31日に高速化・電化に伴う工事実施計画の変更が申請され[61]、路線の軌道は、最高速度200 km/hも視野に入れた高規格路線での建設が開始された[62]

これにより、JRと直通の特急列車を走らせることとなり[47]、高速化事業に要するとされた310億円は、建設に当たっていた公団の地方新線工事費から70億円、幹線鉄道活性化事業費補助金が42億円、北越急行出資金が40億円、JR東日本の負担金が158億円とされた[63]。JR東日本の負担分は、北越北線の利用権という無形財産取得名目として実施された[64]

配線についても変更が行われ、当初計画では、六日町駅では北越急行専用プラットホームよりも高崎方でJRとの線路の接続を行うことになっていたが、専用プラットホームで発着する普通列車とは別に、越後湯沢からの特急列車が北越北線に直接進入できるようにする渡り線が追加されることになった[65]十日町駅では、JR線を乗り越した後に地上に降りてプラットホームを設ける計画であった[65]が、プラットホーム前後に生じる急勾配と急曲線を解消するために高架上にプラットホームを設置することになった[65]犀潟駅では、高架でJR線を乗り越した後に海側に北越急行専用プラットホームを設ける計画であったが、信越本線の上下線の間に降りてJR線に乗り入れる構造に改めた[65]

設備面では、高速化の制約となる分岐器の通過速度制限を緩和するために、一線スルーにする改良を実施した[66]。軌道を強化するため、スラブ軌道区間を延長し、レールも一部を50 kgレールから60 kgレールに変更し、道床厚の増大や枕木の追加を実施した[67]。特急列車の最大10両編成に対応するようにプラットホームや交換駅の待避線有効長が再び延長された[68]。信号設備は、高速進行現示のできる信号機を設置し、また自動列車停止装置 (ATS) をATS-P形とし、安全側線は省略されたままとした[69]。このほか、ホーム柵の設置、雪害対策の強化、騒音防止などの措置が採られた[70]

最終的に総工費は、地方新線建設費として1026億円、高規格化255億円の合計1281億円となった[71]。工事期間中、死者は10名、負傷者は54名であった[72]

この間、開業の5年前の1992年(平成4年)に路線の正式名称が「ほくほく線」に決定した[73]。これは、北越急行と沿線自治体が沿線住民を対象に実施したアンケートから[注釈 3][73]、「温かいイメージで親しみやすく、呼びやすい」という理由で選ばれたものである[73]。異例の早い時期の路線名決定は、工事再開後もトンネル工事の遅延と高規格化工事で開業が遅れた結果である[74]

試運転は施設が完成した1996年(平成8年)9月から開始されたが、狭軌での160 km/h運転や狭小・単線・長大トンネルでの高速走行などは前例・基準が存在しなかったため、ほくほく線を用いた諸試験が北越急行のほか、鉄道総合技術研究所、公団、運輸省、JR東日本、JR西日本によって実施され、同年10月7日からは681系2000番台による160 km/h運転試験が開始された[75]。結果は比較的良好ではあり特段の問題は見られず、監督官庁から設計最高速度160 km/hの認可を付与された[76]。しかし、後述するように単線トンネルでの気圧変動が車体に及ぼすダメージが経年とともに顕在化する恐れがあったため、北越急行自らの判断でさらなる技術的な検討を待ってから実際の160 km/h運転を開始することにとし、当初の特急列車の最高速度は140 km/hとされた[77][76]

開業・さらなる高速化

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東京と北陸を結ぶルートの変遷。ほくほく線開業前は、東海道新幹線米原乗換の「きらめき」ルートと、上越新幹線長岡乗換の「かがやき」ルートがあったが、ほくほく線開業により、金沢以東では上越新幹線越後湯沢乗換の「はくたか」ルートが使われるようになった。北陸新幹線が金沢まで延伸開業したあとは、芦原温泉以東では北陸新幹線が最速のルートとなった。

以上の経緯を経てほくほく線は、1997年(平成9年)3月22日に開業し[77]、同時に、上越新幹線越後湯沢駅で接続して首都圏と北陸地方を結ぶ特急はくたか」が、ほくほく線経由で運転を開始した[77]。ほくほく線が開業する以前は、首都圏と北陸地方を結ぶ手段は東海道新幹線米原を経由するルートが一般的であった[56]が、ほくほく線が開業してからは上越新幹線と「はくたか」を乗り継ぐルートのほうが有利になる範囲が拡大された[78]。上越新幹線と越後湯沢で接続しての東京と金沢の間の最速所要時間は3時間43分となり、長岡経由に比べて15分短縮された[79]。なお、ほくほく線開業後、まつだい駅から松之山温泉を訪れる行楽客が増えたという[80]。加えて、沿線では、開業により沿線地域では高校へ自宅からの通学が可能となり[47]、進学時にほくほく線沿線の高校を選ばせたり[81]、高校進学を機にほくほく線沿線に引っ越す事例さえ見られた[82]。上越線が不通になると越後湯沢と六日町のタクシー利用が増加する事例もみられるようになった[81]

その後、後述するように最高速度について段階的な検証を行い、1998年(平成10年)12月8日から「はくたか」が150 km/h運転を開始した[4]が、この時にはダイヤ改正は行わず[83]、運転上の余裕時分の確保にあてられた[4]。続いて2002年(平成14年)3月23日から当初の予定通りの160 km/h運転が開始され[4]、ほくほく線内においては140 km/hでの運行当時と比較して1分30秒の所要時間短縮が実現した[4]。加えて車両面も高速化が進み、160 km/h運転開始時にJR西日本の485系が160 km/h対応車の681系と交代し、2005年(平成17年)3月1日には、北越急行が160 km/h対応車の683系8000番台を投入したことで、JR東日本の485系が撤退し、以後定期特急列車はすべて160 km/h運転対応の車両となった。

ほくほく線は「雪対策」の節で後述するように周囲の路線と比べ比較的安定的な運用を行っているが、2000年代には度々自然災害に見舞われている。特に2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震では発生後全線で運転を見合わせ[84]、10月26日より被害の少なかった犀潟 - まつだい間で普通列車に限った臨時ダイヤによる運転を再開し[84]、11月2日に全線で運転を再開した[84]。当初は速度制限つきの運転で、12月17日から160 km/h運転を再開している[84]。また、2005年(平成17年)2月11日より上越線が全面復旧する3月24日までの間、週末を中心にのべ13日にわたって急行能登」がほくほく線を経由して運転された[84]。2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、特急「はくたか」が終日運休となり、翌17日から運転を再開した[85]

一方、ほくほく線の高規格化が行われるきっかけとなった整備新幹線計画問題については、ほくほく線開業のおよそ半年後の1997年(平成9年)10月1日に北陸新幹線高崎 - 長野間が開業したが、この時点では上越新幹線・ほくほく線経由が石川県東部・富山県・新潟県西部への最速ルートであることから、開業まで運転されていた特急「白山」のような長野駅から北陸地方への接続列車は定期運転されず、「長野(行)新幹線」という愛称が付けられる一因となった[86]。しかし、長野以北についても翌1998年(平成10年)3月12日に長野 - 上越(仮称)間、2001年(平成13年)4月25日に上越(仮称) - 富山間、2005年(平成17年)4月27日に富山 - 金沢 - 白山総合車両基地(仮称)間の工事計画がフル規格で認可され、順次着手されるなど、計画が見直されるたびにフル規格での建設が進められていった[86]

当時、ほくほく線を運営する北越急行は10日間しか営業していなかった初年度を除いて毎年数億円の黒字となっており[87]。2001年度の営業係数は73.0パーセントと、第三セクター鉄道の中では経営状態は良好であったが、全体の9割が特急による収益で、普通列車の収益は全体の1割にも満たなかった[81]。このため、北陸新幹線開業に備えて、利益を赤字補填用に蓄えることとした。先述のJR東日本の485系を683系8000番台の自社による投入で置き換えたことも、JR東日本側の事情[注釈 4]のほか、全便高速化による運用効率向上によるサービスアップ・増収や、JR東日本への車両使用料の支払いを無くし、逆に従来3社で相殺していたJR東日本・西日本線の走行時の車両使用料収入を得るという目的もあった[88]。こうして、最終的には2013年(平成25年)3月31日時点で約92億円の剰余金を持った状態[89]でほくほく線は2015年3月14日の北陸新幹線長野 - 金沢間開業を迎えることとなった。

北陸新幹線金沢延伸開業以降

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直江津駅に停車中の超快速「スノーラビット

2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線の金沢開業後は、特急「はくたか」の廃止により、ほくほく線は地域輸送を主とする路線として再出発を切ることになった[90][91][92][93][94]。このため、同日より国土交通省運輸局への申請最高運転速度を130 km/hに引き下げ、設備についても順次スリム化・使用停止・撤去が行われている[95]

その後、北越急行は2015年度決算で最高速度引き下げなどによる施設の評価損等により前年度の11億円の黒字から11億円の最終赤字に転落[96]、その後も6億円前後の最終赤字で推移している[97]。しかし北越急行では2012年(平成24年)時点で「はくたか」利用者の22パーセントから25パーセントが直江津駅(アクセスには北陸新幹線でも上越妙高駅からの乗り換えを要する)で乗降している[98]ことや、沿線の十日町を中心に東京や金沢と相互のビジネス需要が見込まれること[99]から、「ほくほく線経由の需要も残るのではないか」とし[98]、事業を当面継続することは可能であるという見通しを持った[98]

運行面では特急の廃止により普通列車の時分短縮が実現した。加えて「ほくほく線全体の速さと便利さをアピール[99]」する「快速を超える列車」[100]として、前年の2014年(平成26年)から越後湯沢 - 直江津間を1時間で結ぶ「超快速列車」の運行を計画し[101]、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で「スノーラビット」の愛称で運転開始した[94]。この超快速は日本国内において乗車券だけで乗れる列車としては、2016年時点で表定速度が最も高い列車であり[99]、特に直江津駅からは、上越妙高駅乗り換えの北陸新幹線経由と所要時間で遜色がなく、かつ運賃+特急料金が1,000円以上安いことをセールスポイントとし、北陸新幹線との対抗馬、線内における「はくたか」の後継としての側面も名実ともに強く意識されている。一方で、超快速列車の越後湯沢発1本と折り返しの普通列車越後湯沢行きを、同日信越本線を転換して開業したえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン新井駅まで直通させる[102]ことで、沿線から高田駅・上越妙高駅へのアクセスを高めているなど、北陸新幹線と協力する一面もある。

また、新たな収入源として、2016年(平成28年)には普通列車の六日町駅 - うらがわら駅間にて宅配便の荷物を輸送する、いわゆる「貨客混載」を行うことで佐川急便と合意し[103]、試運転(トライアル)ののち[104]、2017年4月18日より夜間の普通列車1往復で、本格的な運用が開始されている[105]。これは、先述のように並行道路である国道253号の道路状況が峠越えの連続や冬季の積雪で依然劣悪であり、場合によっては高速道を用いて長岡経由で輸送せざるを得ない[104]など、営業所間の輸送に支障が生じる場合があるためで、普通列車として使用しているHK100形車両に佐川急便のカーゴ台車を固定可能とする改造を行い、運用している[104]

2018年5月29日、北越急行は同年12月1日より普通運賃と通勤定期運賃を10 %値上げする変更認可申請を国土交通省北陸信越運輸局に行ったことを発表した[106]。また、トイレ付き車両を当初の計画よりも前倒しで導入することを検討していることも発表された[106]。 2018年12月1日、「永続的に鉄道を走らせていく」ため運賃改定が実施された。普通運賃と通勤定期が10 %値上げされたが、通学定期は据え置かれ、中学生用定期が新設された[107][108]

ほくほく線ミニ新幹線化案

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2023年9月29日、新潟市 - 上越地域間の鉄道高速化に向けて、新潟県が信越本線・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン長岡駅 - 上越妙高駅間の改良2案に加えて、新たに信越本線・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン長岡駅 - 糸魚川駅間をミニ新幹線化する案、ほくほく線をミニ新幹線化する案の2案を示し、時間短縮効果など比較検討するとした[109][110][111]

年表

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  • 1931年(昭和6年)8月 - 地元の関係者が国会に請願書を提出し、鉄道敷設運動が始まる[112]
  • 1940年(昭和15年) - 越後湯沢と結ぶ北越南線構想が持ち上がる[13]
  • 1944年(昭和19年) - 信濃川発電所工事線を延長する形で松代と結ぶ路線の建設が決まるが、後に敗戦により計画中止[13]
  • 1950年(昭和25年)9月3日 - 北陸上越連絡鉄道(上越西線)期成同盟会発会式[17]
  • 1953年(昭和28年)
    • 2月 - 第9回鉄道建設審議会で地元意見の不一致を理由として審議未了・保留[113]
    • 8月 - 新潟県知事裁定により北越北線採択[19]
    • 9月 - 期成同盟会総会を南線側がボイコット[19]
  • 1961年(昭和36年)2月23日 - 南北両派が一本化で協力推進する協約を締結[114]
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月22日 - 鉄道建設審議会が上越西線(北越北線)を予定線に採択[114]
    • 5月12日 - 鉄道敷設法第1条別表第55ノ3号により、予定路線に編入[23]
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月22日 - 運輸大臣により、北越北線を調査線に指示[24]
    • 9月28日 - 工事線に昇格[24]、運輸大臣が路線の基本計画を定め、日本鉄道建設公団(鉄道公団)に対して工事実施計画の指示[3]
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月28日 - 六日町 - 十日町間工事実施計画認可[3]
    • 4月20日 - 六日町にて北越北線起工式挙行[115]
    • 8月14日 - 六日町 - 十日町間着工[3]
  • 1972年(昭和47年)10月11日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画認可[3]
  • 1973年(昭和48年)3月24日 - 十日町 - 犀潟間着工[3]
  • 1978年(昭和53年)7月20日 - 停車場有効長の延伸、スラブ軌道の採用、電化準備工事などを含めた工事実施計画変更[36]
  • 1980年(昭和55年)12月27日 - 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行[116]により工事凍結[36]
  • 1982年(昭和57年)3月 - 完成済み施設の保安工事完了、工事全面停止[42]
  • 1983年(昭和58年)6月22日 - 北越北線建設促進期成同盟会総会において、田中角栄元首相から第三セクター化の構想が提示される[46]
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月1日 - 第三セクター設立準備会設立[51]
    • 8月27日 - 北越急行創立総会を新潟市で開催[51]
    • 8月30日 - 北越急行株式会社設立登記[51]
    • 11月8日 - 国鉄再建法第14条第1項に基づく国鉄新線の告示[51]
  • 1985年(昭和60年)
    • 2月1日 - 北越急行が地方鉄道業の免許を受ける[51]
    • 2月25日 - 運輸大臣により鉄道公団へ工事実施計画の指示[51]
    • 3月16日 - 鉄道公団により工事再開[51]
  • 1988年(昭和63年)8月 - 運輸省が「整備新幹線運輸省規格案」を発表、北陸新幹線と連携した幹線鉄道とするための、北越急行の電化・高規格化を提唱[117]
  • 1989年(平成元年)
    • 3月28日 - JR東日本と北越急行の間で北越北線高規格化に関する基本協定を締結[118]
    • 5月31日 - 北越急行、事業基本計画の変更申請、最高速度を95 km/hから130 km/hへ、動力方式を内燃から電気へ、別途160 km/h対応で基礎的施設の工事を行っておくことを表明[119]
    • 7月31日 - 運輸大臣が鉄道公団に対して工事実施計画の変更指示[120]
    • 10月2日 - 高規格化対応工事に着手[120]
  • 1996年(平成8年)
    • 4月15日 - まつだい駅構内にてレール締結式[121]
    • 9月19日 - HK100形初入線。速度35 km/h[75]
    • 9月28日 - 681系2000番台初入線。段階的に速度を上昇[75]
    • 10月7日 - 681系による160 km/h走行試験を開始[75]
  • 1997年(平成9年)3月22日 - ほくほく線開業[77]。特急「はくたか」運転開始。
  • 1998年(平成10年)12月8日 - 「はくたか」を150 km/hにスピードアップ[122]
  • 2002年(平成14年)3月23日 - 「はくたか」を160 km/hにスピードアップ[122]
  • 2004年(平成16年)
    • 10月23日 - 新潟県中越地震発生、全線で運休となる[84]
    • 10月26日 - 犀潟 - まつだい間で運転再開[84]
    • 11月2日 - 全線で運転を再開[84]
  • 2007年(平成19年)7月16日 - 新潟県中越沖地震発生、「はくたか」の運転を1日休止[85]
  • 2015年(平成27年)
  • 2016年(平成28年)
    • 8月28日 - イベント列車「超低速スノータートル」第2弾を運行。今回以降先着順から抽選に変更、競争率3倍。
    • 11月8日 - 佐川急便と連携した貨客混載列車の試運転を報道各社に公開[104]
  • 2017年(平成29年)4月18日 - 夜間の普通列車1往復の六日町 - うらがわら間で佐川急便との貨客混載を開始[105]
  • 2018年(平成30年)12月1日 - 普通運賃と通勤定期運賃を改定し10 %値上げ[108]
  • 2023年(令和5年)3月18日 - 超快速列車を含む全ての快速列車及び、大池いこいの森駅通過の普通列車といった、六日町 - 犀潟間の線内で通過運転を行う定期列車が全廃。平日のみ運行の列車が1往復設定。最高速度を95 km/hに引き下げ[5]

施設

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先述のように、ほくほく線は数回の工事計画の変更を経て、全線単線[127]、直流1500 V電化で建設されている。しかし、高速運転を実施し、1日の間に数十センチの積雪があるほどの豪雪地帯[128]を通過するため、各種の対策が施されている。

最高速度160 km/hへの対応

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くびき駅を高速で通過する特急「はくたか」

開業当時の線内最高速度は160 km/hで、これは新幹線を除く鉄道では京成電鉄成田空港線(成田スカイアクセス線)の「スカイライナー」とともに日本では最速、狭軌では単独の国内最速であった。このため、後述のように各種設備はそれに対応して設計された。

160 km/hに設定された背景には、国鉄時代に湖西線で行われた高速走行試験の目標が160 km/hであったこと[56]や、「新幹線と在来線の軌間の比率を考えると、200 km/hに対して160 km/hとなる」という考えもあったことが挙げられる[129]。「140 km/hでも十分」という意見もあった[129]が、関係者や技術者の多くは「絶対に在来線鉄道の将来に役立つ」と協力を惜しまなかったという[129]

1947年に定められた鉄道運転規則に基づき、どんな場合でもブレーキ開始から走行600 m以内に停止できること(600メートル条項)が、在来線では必須とされてきた[130]。2009年現在でも、新幹線以外の鉄道ではこの停止距離が標準的な要求となっている[131]。ほくほく線の車両も600 m以内での停止要求は実現できていないが、ほくほく線は後述する原則踏切を排した完全立体の線路、ATS-P形式の自動列車停止装置、GG信号等が導入され[132]、特例措置として160 km/h走行が認められた[132]

しかし、1996年から開始された開業前の試運転の際には、高速走行時の車内で予想以上の気圧変動が発生しており[133]、気密構造でなかった681系を使用した試運転で窓の接着部分には指が入るほどの隙間ができてしまったことすらあった[129]。これらの現象は、ほくほく線のトンネルが単線断面であり、かつトンネル断面が複雑であることが要因であり[133]、ほくほく線で高速運転を行う特急形車両については、客室扉が閉じた際に車体に圧着させるなどの対策を施した簡易気密構造の車両に限定されることになった[133]。その後の半年にわたる試運転で安全性は立証された[77]ものの、万全を期して、開業当初の最高速度は140 km/hとした[77]。その2年後に行われた特急形車両の重要部検査時には、車両の構体に亀裂などがないかを微細に確認した上で[77]、1998年12月8日から150 km/h運転を開始した[122]。さらに2年後に行われた全般検査時にも構体に対して同様の確認を行い[4]、2000年11月21日には160 km/h運転の試運転を行った上で問題がないことを確認[4]、2002年3月23日から160 km/h運転が開始されている[122]

ただし、通常ダイヤであれば155 km/h程度で定時運行が可能で[134]、160 km/hは列車が遅延した際の余裕と考えられていた[134]。また、最高速度である160 km/hで走行できる区間は、勾配などの影響から下り列車(犀潟方面行き)が赤倉・鍋立山・霧ヶ岳の各トンネル内とくびき駅から犀潟駅までの高架橋区間[4]、上り列車(六日町方面行き)では薬師峠トンネル内となっている[4]。さらに、気圧変動の緩和のため、ATS-Pによってトンネル進入時に130 km/hに速度を落とし、進入後のトンネル内で160 km/hまで加速させている[4]

北陸新幹線開業後の2015年3月14日以降は特急列車の160 km/h運転を終了し、国土交通省運輸局への申請最高運転速度を160 km/hから引き下げている。なお、営業列車は基本的に110 km/h(2023年3月18日からは95 km/h[5])で運転する普通列車のみとなったが、E491系検測車や485系などのJR車両を運転するため、申請最高運転速度は130 km/hとしている[95]。なお、160 km/h運転に関わる技術は成田スカイアクセス線へ継承されており[135]日本鉄道運転協会から北越急行に対して、160 km/hによる運転の実績と京成電鉄への技術承継を評価する「東記念賞」が授与されている[135]

構造物

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建設中数度に渡り工事実施計画の変更が行われたが、最終的に最小曲線半径は400メートル、最急勾配は33パーミルとなっている[136]。半径の小さな曲線はすべて、JR線と接続する六日町・十日町・犀潟の駅付近に位置し、それ以外の区間では半径800メートル以上である[137]。もっとも曲線のきつい半径400メートルのカーブは犀潟駅の1か所のみで、制限速度は80 km/hである[137]。高規格化にあたって、緩和曲線長の延伸などの改良が行われている[137]踏切は、始終端の六日町駅・犀潟駅構内の2か所のみであり[138]、線区の中間にはまったく踏切が存在しない。この2か所の踏切では、前後に存在する曲線や分岐器に伴う速度制限により、列車の通過速度が130 km/h以下に抑えられることから、他の線区の踏切と同等であるとして、特段の保安措置は採られていない[69]

軌道

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くびき駅ノーズ可動クロッシング

軌条(レール)は1メートルあたりの重さが60 kgである60 kgレールが大半を占め、一部の区間では50 kgレールも使用している[139]。2009年現在では、在来線では50 kgレールが一般的で60 kgレールの採用は少ない[140]。60 kgレールは新幹線と同じレールで、その重さにより高速走行の衝撃に耐えることができ、車両の高速走行の安定化に貢献している[140]

軌道は、トンネル内や高架橋など全線の約7割でスラブ軌道が採用され[139]、軌道の強化と保守の低減が図られている[140]。このスラブ軌道には「枠型スラブ」と称するコンクリート使用量が少ないものが採用されており[141]、その後東北新幹線・北陸新幹線の延伸部分でも採用された[141]

築堤など約2割の区間はバラスト軌道を用いたが、築堤上にアスファルトを敷き雨水浸水対策をしたうえで軌道を敷設している[142]。このほか、事情に応じて合成まくらぎ直結軌道、弾性まくらぎ直結軌道、鋼直結軌道、パネル軌道などの区間もある[139]。住宅の多い地域では、バラスト軌道とコンクリート枕木の組み合わせを採用し、騒音低減を図るなどの配慮が行われている[140]

本線上において高速走行の列車が通過する場所にある分岐器12組はノーズ可動クロッシングとした[143][注釈 5]が、これは開業時点では、新幹線以外の日本の鉄道ではほくほく線を含めても20組程度しか導入されていなかった特殊な分岐器である[143]。十日町駅構内については、駅前後の曲線で速度制限を受けることによって130 km/h以下の速度での通過となるため[144]、ノーズ可動クロッシングを使用していない[144]。また、交換設備はすべて1線スルー方式で[66]、直進側を通過する際には最高速度のままで通過可能である[66]

トンネル

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魚沼丘陵と東頸城丘陵を横断する線形からトンネルが14か所と多く[2]、すべてのトンネルの長さを合計すると40,342メートルとなり、これは路線長59,468メートルの67.8パーセントに相当する[145]。他の構造種別は、土路盤が9,679メートルで16.3パーセント(うち切取1,042メートル、盛土8,637メートル)、橋梁が9,447メートルで15.9パーセントである[145]後述のように単線であることに加えて、非電化を前提として建設が開始されたため、通常の複線電化されたトンネルと比較してトンネル断面積が小さいことが特徴である[132]

全長が3,000メートルを超えるトンネルについて、起点側から順に以下に示す。

赤倉トンネル
魚沼丘陵 - しんざ間に位置する全長10,471.5メートルのトンネルで、トンネル内に赤倉信号場美佐島駅が存在する[146]。国鉄・JR以外の日本の鉄道用として開通した山岳トンネルではもっとも長い[146][注釈 6]。東工区4,281.5メートル、中工区4,140.0メートル、西工区2,050.0メートルの3つの工区に分割して施工され、東工区および中工区では膨張性地圧と大量の湧水により工事が難航した[147]。トンネル内で上越新幹線の塩沢トンネルと立体交差となっており、交差部でのトンネル間隔は1メートルもない条件で、先に赤倉トンネルが施工されたことから塩沢トンネル施工前に赤倉トンネルに補強工事を行っている[148]。1969年(昭和44年)から1974年(昭和49年)にかけて建設され[149]、工事凍結時点では既に完成済みであった。
薬師峠トンネル
十日町 - まつだい間に位置する全長6,199.17メートルのトンネルで、トンネル内に薬師峠信号場が存在する[146]。東工区3,647メートル、西工区2,522メートルに分割されて施工され、西工区では地質に恵まれ順調に掘削できたものの、東工区は大規模な異常出水に直面したほか、国鉄信濃川発電所用の水路トンネル2本との立体交差があり、特別な対応が求められた[150]。1973年(昭和48年)から1979年(昭和54年)にかけて建設され[149]、工事凍結時点では既に完成済みであった。
鍋立山トンネル
鍋立山トンネル
まつだい - ほくほく大島間に位置する全長9,116.5メートル(スノーシェッド13メートルを含めて9,129.5メートル)のトンネルで、トンネル内に儀明信号場が存在する[146]。東工区1,750.5メートル、中工区3,387.0メートル、西工区3,979.0メートルに分割して施工され[151]、東工区は予定通りの工期で完成したが、西工区の後半(トンネル中央側)と中工区は膨張性地山と可燃性ガスの湧出により苦しめられた[152]。1973年(昭和48年)に着工したが、1982年(昭和57年)の工事凍結時点で645メートルが未掘削で残されており、工事再開後も日本のトンネル工事史上未曽有とされる困難を極める工事となった[152]。最終的に1995年(平成7年)に完成し[60]、途中の中断期間を含めると21年11か月を要した。
霧ヶ岳トンネル
ほくほく大島 - 虫川大杉間に位置する全長3,726.98メートル(スノーシェッド6メートルを含めて3,732.98メートル)のトンネルである[146]。東工区1,826メートル(入口側の六夜沢橋梁を含む)、西工区1,828メートル、出口側開削区間140メートルの3工区に分割して施工された。地質に恵まれた工事であったが、西工区は建設中に工事凍結を迎え、東工区は工事再開後の着工となった[153]。1978年(昭和53年)から1992年(平成4年)にかけて建設された[149]
第一飯室トンネル
うらがわら - 大池いこいの森間に位置する全長3,287メートルのトンネルである[146]。東工区1,610メートル、西工区1,672メートルに分割して施工され、一部崩壊性地山に遭遇して難渋したが全体的には順調な進行で[154]、工事再開後の1988年(昭和63年)に着工し1991年(平成3年)までかけて建設された[149]

橋梁・高架橋

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全線で橋梁が28か所、高架橋が35か所、架道橋が69か所、線路橋が3か所、溝橋が2か所ある[155]

構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていたためKS-16荷重を採用していた[30]。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い機関車の入線は不可能となっている[98]。第三セクター化後に建設された区間の活荷重はKS-12荷重を採用している[53]。ただし雪かき車の通行は想定されており、設計に際してDD14形DD53形の両ロータリー式雪かき車の重量が考慮され[53]、荷重試験や軌道検測車による検測ではDD51形が入線している[75]

高架橋の中に雪が溜まらないようにする対策として、くびき付近では線路と側壁の間が吹き抜けとなっている「開床式高架橋」を採用している[65]ほか、周囲が田園地帯の区間の高架橋には、そもそも側壁自体が設けられていない[156]。一方、しんざ駅と十日町駅の間の高架橋では、赤倉トンネルの湧水をそのまま線路脇に流して融雪している[157]

最長の橋梁は、十日町 - 薬師峠信号場間にある信濃川橋梁で、全長406.73メートルである[158][159]。橋脚や橋台は国鉄線として施工されたためKS-16荷重で設計されているが、橋桁は第三セクター化されてからの施工のためKS-12荷重となっている。1径間68メートルの3径間連続トラスを2連用いた橋梁となっている[160]

駅・信号場

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まつだい駅で列車交換を行う普通電車 ホームへの入口に設けられたスイングゲート 六日町駅に隣接する車両基地(収容庫)
まつだい駅で列車交換を行う普通電車
ホームへの入口に設けられたスイングゲート
六日町駅に隣接する車両基地(収容庫)

列車の行き違いを行う交換設備は、起終点を除くと十日町・まつだい・虫川大杉・くびきの4駅と、赤倉・薬師峠・儀明の3信号場にあり、すべて10両編成同士の列車交換が可能である[66]。駅数は両端の六日町駅・犀潟駅を含めて12駅で[2]、自社管理の駅員配置駅は十日町駅だけで[2]、起点・終点駅である六日町駅・犀潟駅十日町駅以外は、すべて無人駅である。特急の停車しない駅のプラットホームは、虫川大杉駅の1番線のみ9両分の長さで[156]、ほかはすべて2両分のみである[156]。また、信号場は3か所ともトンネル内にある[2]。トンネル内の信号場は、国鉄新線としての建設時に貨物列車の運行を計画していたことから、有効長460メートルを実現するために、複線断面となっている延長が680メートルに達しているが、実際の待避線有効長は240メートルとなっている[161]。当初計画では制限速度45 km/hの振り分け分岐器を使用することになっていたが、そのままでは一線スルー構造を実現できないことから、半径3,000 mのSカーブとすることによって対処している[142]

「はくたか」・快速が停車しない駅では列車が高速で通過して危険であることから、地上駅についてはホームへの入口にはスイングゲートを装備し、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがなされた[162]。地下駅の美佐島駅は、特急が140 km/hでトンネルに進入した場合、トンネル内を吹き抜ける風は、風速25メートルにも及び[156]、通過列車が接近した場合に風圧によって飛ばされる危険が高いことなどから、二重の防風扉を装備し、客扱い時以外はホームを封鎖する。無人駅ながらホーム部分は常に監視カメラによって管理されており、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される[157]

車両基地は六日町駅に隣接しており[128]、2両編成×3編成が収容可能な収容庫と検修庫に分かれている[128]。なお、後述する雪対策の観点から、冬季は屋外での車両留置は行わず、すべて留置用の収容庫か検修庫を利用する[128]。このため、車両洗浄機や洗浄台も収容庫内に設けられている[128]

閉塞方式

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閉塞方式は単線自動閉塞式である[66]列車集中制御装置 (CTC) とプログラム式進路制御 (PRC) を併用し[66]、進路設定の上で支障となる要因がなくなると30秒で進路を設定できる[66]

開業当初は列車密度および最高速度の問題と160 km/h運転の可否(GG信号の点灯不点灯)を手前から判断する必要から、出発信号機8機と閉塞信号機22機を使用して閉塞区間を比較的短区間で設定しており[66]、本線の1閉塞区間の平均の距離は1,566メートルであった[66]

2015年3月14日以降は特急列車の160 km/h運転を終了し[95]、加えて列車の設定本数が半減したため、本線にある閉塞信号機はJR線と接続する六日町 - 赤倉信号場間とくびき - 犀潟間の各1か所を除いて使用停止とし、それ以外の区間では列車の交換施設がある駅または信号場の間に設置されていた複数の閉塞区間を統合して1つの閉塞区間とした[注釈 7]。なお、使用停止となった閉塞信号機は2016年度中にすべて撤去されている[95]が、長大トンネル内での走行位置を運転士が判断できるようにする必要性から、従来閉塞信号機が合った個所に黄色い丸の反射板と数字による「地点標識」を順次新設しており、地点標識での確認喚呼を新たに設けている[注釈 8][95]

保安装置

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2015年3月13日まで使用された、130 km/hを超える速度での走行を許可するGG信号。下の「160」という標識は当該区間の許容速度が160 km/hであることを示す 下の「140」という標識は当該区間の許容速度が140 km/hであることを示す 中継信号機によるGG信号は縦に6灯の点灯
2015年3月13日まで使用された、130 km/hを超える速度での走行を許可するGG信号。下の「160」という標識は当該区間の許容速度が160 km/hであることを示す
下の「140」という標識は当該区間の許容速度が140 km/hであることを示す
中継信号機によるGG信号は縦に6灯の点灯

保安装置(自動列車停止装置)はATS-P形を採用している[129]

当初、運輸省では高速運転に際して、新幹線と同様に自動列車制御装置 (ATC) の導入を求めていた[143]が、導入コストの問題のほか[143]、各地からの臨時列車の乗り入れが車種の制限なく行えるようにするため[143]、ATS-P形の導入となった[129]。このATS-P形の全面導入により、ほくほく線の交換駅では安全側線を廃止し[163]、交換列車同士の同時進入についても本線側55 km/h・分岐側45 km/hに制限速度が緩和されている[66][注釈 9]

また、2015年3月13日以前は130 km/h以上での走行を許可する「高速進行現示」として主信号機では緑2灯の点灯、中継信号機では縦に6灯の点灯をもって、高速進行現示とする「GG信号」が導入されていた[129]。このGG信号は、ATS-P形のトランスポンダ車上子を搭載した車両に限って現示されたもので、トランスポンダ車上子搭載車が信号機を通過する数十秒前にG信号(進行現示)からの変換によりGG信号が現示される[164]。GG信号は中3灯を空けて点灯することにより視認性を向上している[165]。このGG信号の導入により、それまでの緑1灯の点灯となる進行現示(G信号)は130 km/hの制限信号となった[166]。また、GG信号を表示する出発信号機の下にはオレンジ色の速度標識が掲出されたが、これは制限速度ではなく、当該区間の許容速度を示す標識であった[129]。 なお、申請最高運転速度を130 km/hへ引き下げた2015年3月14日以降は、5灯式信号機についても3現示のみの点灯となり[95]、速度標識も順次撤去されている。

電力設備

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160 km/h走行を考えれば電流を小さくできる交流電化の方が有利な面が多いが、トンネルが内燃動車の運転を前提として建設されたために断面が小さく、直流電化に比べて高い電圧を使用する交流電化に必要な絶縁離隔確保ができないことや、前後のJR線が直流電化であることから、やむなく直流電化が採用されている[167][168]。架線引きとめについては完成済みのトンネル天井を一部壊したほか、建設時期によるトンネル断面の変化点を利用して対応した[142]

架線支持方式は、高速走行時にも電車が安定して給電を受けられるように、地上区間では新幹線と同様のコンパウンドカテナリ方式を使用している[143][注釈 10]が、もともと非電化路線として建設されたため断面積の小さいトンネル内では、上下寸法の小さいツインシンプルカテナリ方式を採用しており[143]、さらに吊架には長幹碍子という特殊な碍子を使用している[143]

変電所は、おおむね10 km間隔で六日町・津池・十日町・松代・大島・浦川原・大潟の7か所に設置されており、総出力は33,000 kWとしている。これは総延長が約60 kmの鉄道路線としては異例の重装備であるが、「はくたか」運行終了に伴い設備のスリム化を図るため、津池変電所を廃止、大島・大潟の変電所からの受電を止めることで、使用する変電所を4か所に削減する予定としている[169]。また沿線が有数の豪雪地帯であるため、一部を除いて変圧器などの重電部品は建屋に収納する対策が施されている[165][170]

雪対策

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前述の通り、路線長の68パーセントがトンネルであるが、残る地上区間については先述したほかにも数々の雪対策が施されている。これら対策を開業当初から施した[81]ことにより、ほくほく線は接続するJRの路線が不通になった時でも運休することはほとんどなく[171]、雪対策で不備をきたしたことも皆無に近い[81]

消雪溝
車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。六日町駅構内に設けられており、線路脇に溝を作って地下水を流す[172]。なお六日町では地下水汲み上げによる地盤沈下が激しく、地下水の利用には制限があるため[172]、使用後の水は循環使用される[172]
パネル式融雪装置
車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。地下水によって加温した不凍液をパネルの中に循環させるもので[173]、民家や施設が周囲にあって除雪の際に投雪ができない場所に設けられている[173]。六日町駅構内では地下水は循環利用である[172]が、関越自動車道を跨ぐ場所では取水制限がないため地下水は循環利用していない[141]
融雪ピット
六日町駅構内の踏切脇に設けられており[172]、レールの間の枕木上にFRP製のトレーを置き、地下水を流すことによって列車に押された線路内の雪の量を減らす[172]。これによって線路から踏切内へ持ち込まれる雪が少なくなる[172]。前述の取水制限があるため、使用後の水は循環使用されている[172]
スプリンクラー
六日町の車両基地構内、十日町駅構内などに設けられている。六日町では地下水を利用するが、前述の取水制限があるため使用後の水は循環使用されているほか、車両基地内も路盤をアスファルト舗装とし、その上にバラストを敷いた強化路盤としている[128]。十日町駅手前の飯山線を跨ぐ部分は赤倉トンネルの湧水を[157]、十日町駅構内では薬師峠トンネルの湧水を利用しており[174]、使用後の水は十日町の市街地道路の融雪に利用された後、信濃川へ放流されている[174]
熱風ヒーター
地下水脈が全くないため地下水を利用する手段が採れず[175]水利権の関係で川の水も利用できない[175]まつだい駅構内の分岐器に装備される[175]。ボイラーで摂氏100度まで加温された温風をダクトで分岐器に導くもので[175]、温風噴射口では摂氏40度程度の温風となる[175]。なお、松代地区では道路の融雪も水が利用できず、ロードヒーティングが主体である[175]
温水ジェット噴射装置
分岐器の可動部分で雪氷が詰まることによって、分岐器の不転換を引き起こすことがある[176]。無人駅がほとんどのほくほく線では、直ちに人力で対応することは難しいため[176]、不転換の分岐器があった場合には温水を噴射して氷雪を溶かす方法を採用した[176]。この装置は運行指令所から遠隔操作され、噴射口からは摂氏25度の温水が60秒間噴射される[175]。この装置は、ほくほく線の本線上にあるすべての分岐器に装備されている[176]。降雪のないトンネル内の信号場にも設置されているのは、通過車両から落下する可能性のある雪や氷を考慮したためである[175]
除雪機械(モーターカー)
JRから譲受した旧式の排雪用のモーターカー1台のほか、ほくほく線開業時に新造した2台が用意されている[177]。新造したモーターカーは、犀潟寄りに雪を両脇に押し出すラッセルヘッド[177]、六日町寄りに線路脇の雪の壁を崩した上で投雪するロータリーヘッドを装備している[177]ほか、架線に付着している霜や雪を除去するためにパンタグラフを装備している[176]。冬期中は、これらのモーターカーで夜間時に除雪作業を行っている[163]

このような地上側での雪対策の装備について、定期点検を含めた総経費は年間約1億円である[175]

地上側の設備に加え、線内列車に使用されるHK100形電車スノープロウの先端部分は櫛の歯のような形状にしている[172]。これは2本のレールの間の雪が圧雪状態の塊になると脱線事故の原因になりかねないため[172]、この先端部分で雪をほぐし、圧雪状態にならないようにするためである[172]。さらに、前述の運行体制の一環として、大雪であっても列車の運行を行うことによって、線路上への積雪を最小限に抑えている[81]。北越急行では、「最大の除雪手段は、列車を走らせ続けること」としている[81]

運行形態

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ほくほく線の路線図。大半の列車が信越本線の直江津と上越線の越後湯沢に乗り入れる。

開業当初から、越後湯沢駅での上越新幹線との連絡を最優先にしたダイヤ設定が行われている[178]。特急列車が廃止された2015年3月14日以降は普通列車を主体としたダイヤとなり、2023年3月18日のダイヤ改正より線内で通過運転を行う列車が無くなった[5]。また、全ての定期列車がワンマン運転を実施している。

正式な起点は六日町駅であり、六日町駅から犀潟駅へ向かう列車が下り、逆方向を上りとしているが、列車番号は犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が通常下り列車を表す奇数、逆方向が通常上り列車を表す偶数となっている[179]。これは、特急「はくたか」がJR西日本主体の列車であったことから[179]、北陸本線に合わせたためであり[179]、「はくたか」廃止後もそのままである。本記事では、以下路線の起点に則って上り・下りを表記する。

駅員が集改札を行っている駅では全てのドアから乗降ができるが、それ以外の駅(無人駅)では1両目の後部のドアより乗車し、1両目の前部のドアより降車する後乗り前降り方式となっている[180]

現在の運行形態

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線内各駅に停車する普通列車がおおむね毎時1本運転されている。直江津駅 - 越後湯沢駅間での運転を基本とし、線内途中駅を始発・終着とする列車はないが、朝夕を中心にJRとの境界駅である犀潟駅・六日町駅発着の列車が設定されている。

一部列車は日曜日を中心に後述の「ゆめぞら」の限定運用となっており、トンネル走行時に映像上映が行われている。詳しい運行状況は北越急行の公式サイトで確認することができる[181][182]

2015年3月14日のダイヤ改正で特急「はくたか」が全廃された[183]ことに伴い、特急列車優先による待ち合わせが解消された[184]ことから、普通列車の所要時間は1列車あたり10分程度短縮された[185]

過去に運行されていた列車

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1997年3月22日のほくほく線開業から北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間開業前日の2015年3月13日までは、上越新幹線と接続して北陸方面を結ぶ特急列車[2]と、地域内利用を主眼とした普通列車の2系統を主体とする運行形態が取られていた[47]

特急が運行されていた頃のほくほく線内を運転する普通列車は、特急列車の待避や交換待ちなどで数駅ごとに長時間停車する列車が多かった[186]。1999年の時点では、通過駅のない普通列車で最も短い所要時間が直江津駅から六日町駅までで49分45秒[178]なのに対して、最長の所要時間を要する列車では六日町駅から直江津駅までに1時間24分かかっていた[187]

特急「はくたか」

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開業時から運行されていた特急列車である。1999年時点では1日10往復運行されており[178]、「はくたか」同士のすれ違いは56回中24回がほくほく線内で行われていた[178]

快速

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開業から2023年3月18日のダイヤ改正までは、一部駅を通過する快速列車が運転されていた。

廃止時点の停車駅
越後湯沢駅 - 六日町駅 - 十日町駅 - まつだい駅 - ほくほく大島駅 - 虫川大杉駅 - うらがわら駅 - くびき駅 - 犀潟駅 -(黒井駅)- 直江津駅
  • 黒井駅は一部列車が通過。
  • 開業当初の快速は虫川大杉駅を通過していた[188]

超快速「スノーラビット」

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車両側面の列車名表示

2015年3月14日のダイヤ改正で新設され[123]、2023年3月18日のダイヤ改正まで運行された[5]列車。独自の列車種別である超快速(ちょうかいそく)は市販の時刻表にも正式に記載されたもので、JR線区間でもこの種別が使用された。また、列車名は公募により決定されたものだった[189][190]

2022年3月11日までは上り1本・下り2本が設定されていた。途中十日町駅のみ停車の最速列車は越後湯沢駅から直江津駅までの84.2 kmを57分で走破し[191]、越後湯沢駅 - 直江津駅間での表定速度は88.6 km/h[192]、ほくほく線内に限れば99.2 km/h[192]に達する。これは485系使用便の「はくたか」を上回っており[193]、日本国内において乗車券だけで乗れる列車としては2021年時点で表定速度が最も高い列車であった[99][注釈 11]。2022年3月12日改正ダイヤでは越後湯沢駅→直江津駅間を1時間1分で結んでおり、表定速度は82.8 km/hと下がった。

なお運行開始以来、一部の列車は直江津駅から列車番号を変え、無愛称の普通列車としてえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン新井駅発着で運行していた。

廃止時点の停車駅
越後湯沢駅六日町駅十日町駅まつだい駅虫川大杉駅直江津駅
  • 下り列車のみ運転。
  • 普通列車として運行する直江津駅 - 新井駅間は各駅停車。

臨時列車

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急行列車

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1998年 - 1999年シーズンの時点で神戸駅 - 越後湯沢駅間に急行「シュプール野沢・苗場」が運行されていた[194]

超低速「スノータートル」

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2015年11月7日以降運行されている団体専用列車[126]。普通列車でも50分程度で走破する線内を約4時間(第1回の場合、犀潟駅10:44→六日町駅着14:48[126])かけて走行する。

ウサギといえばカメだよね」という北越急行社内での冗談から、超快速「スノーラビット」の対極に位置する列車として生まれ[195]、難工事で知られる鍋立山トンネルを10 km/h以下の低速で通過するほか、トンネル内の信号場では列車が通過しない側の乗降用ドアと貫通扉を開け、離合時に発生する10 m/sの風を体験する試みも行われた。

初回運行時は全車指定席臨時列車(運賃と指定席料金のみで乗車可能)として運行されたが、2016年8月28日の第2回運行以降は北越急行が旅行業登録を行い、食事付きの団体専用列車として運行されている[196]

乗務員について

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ほくほく線内の列車に乗務する乗務員は、全列車とも、JR東日本の区間も含めて北越急行の運転士が担当する[197]。ただし2015年3月13日まで運行されていた特急列車では、境界駅の犀潟駅・六日町駅に停車しない関係で(六日町駅は一部の列車が停車)2012年時点では運転士・車掌ともにJR東日本直江津運輸区が担当していた[198]。なお、開業当初から2004年3月ダイヤ改正まではJR西日本の車掌もほくほく線区間を乗務することがあった[197]

運行管理

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運転指令所 各駅に設置された列車運転状況表示装置(まつだい駅)
運転指令所
各駅に設置された列車運転状況表示装置(まつだい駅)

ほくほく線の運行管理は、六日町駅に隣接した運転指令所により行われている[87]

開業当初からJR東日本新潟支社の運転指令との連携が行われていたが、当初はJR西日本の区間での遅れ情報がJR東日本を通じて提供されるシステムであったため[134]、ダイヤの乱れが大きい場合には情報の遅れが生じ[134]、ひどいときには越後湯沢行きの列車の遅れ状況が直江津に到着しないと判明しなかったことすらあった[134]。このため、他社線での遅れ状況を把握するためのディスプレイが運転指令所に設置され[134]、JR西日本エリアも含めた運行状況をリアルタイムで把握できるようになった[134]。2012年にPRCの更新が行われた際には、ほくほく線各駅にアニメーションで全線の列車の位置や遅れ状況などを表示する列車運転状況表示装置が設置された[175]

また、運転通告(運転指令員から運転士に対しての指示)についても、JRなどで行われている運転通告券による方式は無人駅の多いほくほく線では困難であるため[78]、無線伝達をもって運転通告としている[78]。このため、全線にわたって漏洩同軸ケーブル (LCX) が敷設され[66]、列車がほくほく線内のどの位置にいても運転指令所との通信が明瞭に行える[66]

ほくほく線区間の特急の運転士は前述の通りJRの乗務員が担当していたが、ほくほく線内では一切の指揮系統は北越急行の運転指令によるものとなっていた[198]。一方北越急行の運転士が担当する普通列車のJR東日本区間への乗り入れ先では、JR東日本の指揮下となる[198]

利用状況

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ほくほく線の沿線は大きく南魚沼地域(南魚沼市のうち旧六日町)・中魚沼地域(十日町市の旧市域)・東頸地域(十日町市のうち旧松代町)・平野部(上越市のうち旧町村部にあたる大島区浦川原区頸城区大潟区)の4地域に分けられる[47]。それぞれの地域はもともと丘陵地帯によって隔てられていたため[47]、平常時の流動はほくほく線のルートとは平野部以外は一致していない[47]。東頸地域はもともとの交通事情が悪かったため、ほくほく線の開業に伴い利便性が向上したものの、ほくほく線の沿線は最も過疎化と高齢化が進んでいる地域で[47]、マイカー保有率も1.5人に1台の割合で[47]、かつ、2008年の新潟県内公立高校普通科の学区撤廃まで学区も異なっていたため、当初より線内需要や地域を越えた広域流動需要は厳しいと見られていた[47]

こうした事情もあり、ほくほく線開業と同時に公共交通体系の再構築が行われた。北越急行に出資するバス事業者である頸城自動車は、1996年10月に東頸地区自治体との共同出資による東頸バスの営業を開始し[199]、ほくほく線の開業後は各駅前に乗り入れる路線を設定した[199]。また、同様に北越急行に出資するバス事業者の越後交通は、ほくほく線の列車と競合する越後湯沢 - 十日町の路線バスを減便している[199]

峠越えとなるために自動車でも1時間程度の所要時間を要していた[199]越後湯沢 - 十日町が、開業により普通列車でも30分台で結ばれるようになる[199]などの時短効果に加え、前述した雪対策によって安定した輸送を目指したことが評価された[81]こともあり、現実の線内利用者数も、開業当初に年間65万人程度であったものが2012年には110万人に増加している[175]。ただし、通学定期の利用者数は2012年がピークとなり、翌年には5 %減となっている[82]

特急が運行していた2011年度(平成23年度)の輸送密度は約7,780人/日[200]であるが、これは旧国鉄路線から転換あるいは日本鉄道建設公団建設中の新線を継承した第三セクター鉄道路線(以下「旧国鉄系列の第三セクター鉄道路線」)としては、愛知環状鉄道線(約9,816人/日)に次いで2番目に高かった。2006年度(平成18年度) - 2010年度(平成22年度)[201]、および2012年度(平成24年度) - 2014年度(平成26年度)は輸送密度が8,000人/日以上[注釈 12]を記録していたが、そのような旧国鉄系列の第三セクター鉄道路線も愛知環状鉄道線とこの路線の2路線のみであった[202]

輸送実績

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ほくほく線の輸送実績を下表に記す。表中、最大値には「(最大)」の記号を、最大値の前後の最小値にはそれぞれ「(最小)」の記号を付している。鉄道統計年報各年度版及び管内鉄軌道事業者輸送実績(国土交通省北陸信越運輸局)[203]より作成。

年度 輸送実績(乗車人員):万人 輸送密度
人/日
特記事項
通勤定期 通学定期 定期外 合計
1996年(平成8年) 0.1(最小) 0.1(最小) 16.0(最小) 16.2(最小) 252(最小) 開業
1997年(平成9年) 5.3 16.1 273.4 294.8 6,783  
1998年(平成10年) 9.0 24.6 265.4 299.0 6,703  
1999年(平成11年) 11.5 34.1 263.9 309.5 6,777  
2000年(平成12年) 11.7 38.6 266.1 316.4 6,887  
2001年(平成13年) 13.1 38.0 272.7 323.8 7,087  
2002年(平成14年) 10.4 39.9 279.5 329.8 7,282  
2003年(平成15年) 10.1 39.8 287.2 337.1 7,403  
2004年(平成16年) 9.4 37.8 279.0 326.2 7,252 新潟県中越地震発生
2005年(平成17年) 10.5 37.2 280.3 328.0 7,299  
2006年(平成18年) 10.7 35.9 264.0 310.6 8,081  
2007年(平成19年) 11.2 41.2 319.3 371.7 8,391 新潟県中越沖地震発生
2008年(平成20年) 11.3 42.2 322.0 375.5 8,600  
2009年(平成21年) 11.9 47.0 306.6 365.5 8,323  
2010年(平成22年) 11.6 50.0 298.3 359.9 8,029  
2011年(平成23年) 12.5 51.6 289.6 353.7 7,780  
2012年(平成24年) 12.4 55.4 324.9 392.7 8,622  
2013年(平成25年) 13.4 56.3 331.8(最大) 401.5(最大) 8,769(最大)  
2014年(平成26年) 13.7(最大) 48.8 323.0 385.5 8,371  
2015年(平成27年) 13.6 50.8 64.3 128.7 1,543 北陸新幹線開業以降1年間営業した最初の年度
2016年(平成28年) 12.7 53.5 54.5 120.7 1,358  
2017年(平成29年) 12.3 56.2 52.8 121.3 1,340  
2018年(平成30年) 12.8 57.4(最大) 56.9 127.1 1,395
2019年(令和元年) 12.4 53.9 50.8 117.1 1,293
2020年(令和2年) 11.2(最小) 43.1(最小) 19.7(最小) 74.0(最小) 722(最小)
2021年(令和3年) 11.2(最小) 46.0 23.8 81.0
2022年(令和4年) 11.3 44.4 36.0 91.7

収入実績

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ほくほく線の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最大値には「(最大)」の記号を、最大値の前後の最小値にはそれぞれ「(最小)」の記号を付している。鉄道統計年報各年度版より作成。

年度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度
総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定期外 手小荷物 合計
1996年(平成8年) 1,260(最小) 931(最小) 139,197(最小) 0 141,388(最小) 11,988(最小) 153,376(最小)
1997年(平成9年) 11,217 16,856 3,166,071 0 3,194,144 404,122 3,598,266
1998年(平成10年) 16,722 26,863 3,084,511 0 3,128,096 439,348 3,567,444
1999年(平成11年) 21,953 32,452 3,174,414 0 3,228,819 522,594 3,751,413
2000年(平成12年) 23,602 36,450 3,185,860 0 3,245,912 482,125 3,728,037
2001年(平成13年) 26,452 37,181 3,214,647 0 3,278,280 535,995 3,814,275
2002年(平成14年) 20,967 37,804 3,325,368 0 3,384,139 564,007 3,948,146
2003年(平成15年) 21,781 38,222 3,290,207 0 3,350,210 654,334 4,004,544
2004年(平成16年) 21,729 37,795 3,167,224 0 3,226,748 579,652 3,806,400
2005年(平成17年) 27,586 36,116 3,293,044 0 3,356,746 771,544 4,128,290
2006年(平成18年) 26,727 36,310 3,620,989 0 3,684,026 771,995 4,456,021
2007年(平成19年) 27,417 40,615 3,740,424 0 3,808,456 636,064 4,444,520
2008年(平成20年) 28,266 43,668 3,720,730 0 3,792,665 622,869 4,415,534
2009年(平成21年) 30,350 47,537 3,522,932 0 3,600,819 623,935 4,224,304
2010年(平成22年) 32,434 51,349 3,465,453 0 3,549,236 764,295 4,313,531
2011年(平成23年) 31,134 51,605 3,328,849 0 3,411,588 854,422 4,266,010
2012年(平成24年) 31,749 54,651 3,732,007 0 3,818,407 872,772 4,691,179
2013年(平成25年) 32,078 51,796 3,870,995(最大) 0 3,954,869(最大) 946,481(最大) 4,901,350(最大)
2014年(平成26年) 34,440 48,948 3,793,462 0 3,876,850 779,942 4,656,792
2015年(平成27年) 34,807(最大) 49,053 326,381 0 410,241 208,194 618,435
2016年(平成28年) 30,827 52,275 294,161 0 377,263 159,126 536,389
2017年(平成29年) 30,796 55,408 285,480 1,258 372,942 148,914 521,856
2018年(平成30年) 34,272 55,905(最大) 301,812 1,320(最大) 393,309 152,863 546,172
2019年(令和元年) 31,971 52,567 291,164 1,320(最大) 377,023 151,030 528,053
2020年(令和2年) 29,675(最小) 45,064(最小) 99,232(最小) 1,144(最小) 175,115(最小) 146,915(最小) 322,030(最小)

車両

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現在の使用車両

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自社車両

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ほくほく線内の普通列車は、特急列車「はくたか」への影響を最小限とするため[98]、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110 km/hと[156]、優れた加速性能(3.0 km/h/s)[98]が要求された。

HK100形
線内の普通列車として開業時より運用される車両[98]で、開業時点ではイベント兼用車2両含む9両を製造[2]。1999年に1両[87]、2003年にイベント車2両が増備された[98]
イベント車4両は「ゆめぞら」と称し、トンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像が上映される[98]
2003年に増備された100番台「ゆめぞら」のみ片運転台の2両編成で[98]、それ以外は両運転台の車両である[98]

過去の特急列車の使用車両

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2015年3月13日まで運行された特急「はくたか」については、北越急行の保有車両とJR東日本・西日本が保有する車両が使用された。

1997年の開業当初は、特急「はくたか」の経由する各社の営業キロを按分することによって、JR西日本・北越急行・JR東日本が4:2:1の比率で車両を運用しており[197]、JR西日本では681系485系[197]、北越急行は681系[197]、JR東日本は485系を使用していた[197]

その後、2002年のダイヤ改正ではJR西日本の485系は681系に置き換えられ[204]、485系を運用するのはJR東日本だけとなった[204]。485系の限定運用は全体の運行効率を引き下げることになっていた[204]上、681系とのサービス格差が乗客からも指摘されるようになったため[204]、北越急行とJR東日本の協議により[204]、JR東日本の485系は北越急行の新造した683系によって置き換えられることになった[204]

自社車両

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いずれも特急「はくたか」で運用された。北越急行保有の特急形車両は、JR西日本の保有する車両と同一形式として製造した。これは、車両選定の段階で160 km/hの高速走行を考慮して設計されていたのがJR西日本の681系しかなかったこと[205]、全くの新形式を製造することは会社の体力的に無理があったことが理由として挙げられている[205]。その一方、他社からの乗り入れのみでなく自社の車両を保有することになったのは、各社間協議で「大規模な相互直通運転を行うには各社が初期の設備投資をするのが絶対条件」とされていたこと[206]、過去に経験のない高速運転を実施するために長期にわたる試験が必要となった[207]が、JR西日本の車両を長期間借用するのは困難であった[205]ことが理由として挙げられる。

北越急行所属車については、独自の赤主体の塗装、「スノーラビットエクスプレス」(Snow Rabbit Express)という車両愛称を持ち[197]、車体には「SRE」とユキウサギのロゴマークが施されていた。運用も当初は区別されていた[197]が、2002年3月ダイヤ改正以降はJR車との共通運用となっていた[204]。 2015年3月14日の北陸新幹線開業後は全車両が同日付でJR西日本に譲渡され[208][注釈 13]、主に「しらさぎ」「能登かがり火」「ダイナスター」で運用されている。塗装も同年6月初めまでに順次「しらさぎ」用の塗装デザインへ変更された[209][注釈 14]

681系2000番台
JR西日本の681系電車と同一仕様の車両で6両+3両編成を各2編成製造。整備・検査などはすべてJR西日本に委託され[210]、車両自体もJR西日本の金沢総合車両所に常駐とされていた[197]
北越急行の681系は川崎重工業製である[211]が、一部車両は委託製造として近畿車輛と新潟鐵工所が製造した[211]
683系8000番台
JR西日本の683系0番台をベースに、681系と一部仕様を合わせた車両で、2005年にJR東日本担当分の車両を置き換える形で6両+3両編成を各1編成製造[88]。簡易気密構造を有し[88]、電動車のキャリパ式ディスクブレーキ化[98]が行われている点が他の683系との差異である。
北越急行の683系は構体と電装品を川崎重工業で製造し[212]、最終組み立てを新潟トランシスで行った[212]

JR東日本からの乗り入れ車両

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485系3000番台、1500番台
開業時から乗り入れ[197]。2005年のダイヤ改正で北越急行が保有する683系8000番台に置き換えられた[88]

JR西日本からの乗り入れ車両

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485系
開業時から乗り入れ[197]。2002年のダイヤ改正でJR西日本の681系に置き換えられた[4]
489系
臨時便や485系・681系の代走として特急「はくたか」で乗り入れることがあった[213][214]ほか、急行「能登」が新潟県中越地震の影響により臨時にほくほく線経由で運行された際に乗り入れたことがある[84]
681系0番台
開業時から乗り入れ[197]。車両愛称は「ホワイトウイング」[215]
先述の通り、開業当初は北越急行車と運用を区別した[197]が、2002年3月のダイヤ改正以降は共通運用となっていた[204]。2015年3月のダイヤ改正に前後して、同年6月初めまでに一部を除き「しらさぎ」用の塗装デザインへ変更・転用された[209]
683系
特急「サンダーバード」用の4000番台が、ダイヤ乱れなどの際に運用上の都合で681系の運用に入ることがあった[216]。高速運転には対応しておらず最高速度は130 km/hとなる[134]が、新幹線の接続に影響が出るほどの大幅な遅れにはならなかった[134]

臨時列車等

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以下、「はくたか」以外で乗り入れ実績のある、あるいは予定されている車両である。

JR東日本からの乗り入れ車両

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115系
臨時列車として高崎車両センター所属車が乗り入れた実績がある。
E129系
2018年(平成30年)2月16日 - 17日の「第69回十日町雪まつり」開催に伴う臨時列車として乗り入れた[217]。なお営業運転以外では、2017年(平成29年)12月15日に六日町駅 - まつだい駅間で試運転が行われている[218][219]
485系300・1000番台
ATS-Pを搭載するT18編成などが臨時列車として乗り入れた[220]
485系 ジョイフルトレイン
首都圏地区に所属するお座敷列車や新潟車両センター所属のNO.DO.KAが臨時列車として乗り入れた[221]
E653系1000番台
臨時列車として乗り入れ実績がある[222]
HB-E300系(「リゾートビューふるさと」)
2013年11月16・17日に臨時列車「ほくほくぐるり一周号」として入線した[223]
E491系(East i-E)
総合検測車。

JR西日本からの乗り入れ車両

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583系
冬季に「シュプール号」で乗り入れた[224]

えちごトキめき鉄道からの乗り入れ車両

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ET122形基本番台
ほくほく線開業20周年企画の一環として、2017年9月10日に「ほくほくSAKE Lovers号」として基本番台のうち、イベント対応車「3市の花号」(ET122-8)が乗り入れた[225]。なお、運行に備え2017年8月から当路線での訓練運転が数度行われている。
ET122形1000番台(「えちごトキめきリゾート雪月花」)
2018年9月7日に特別運行「大地の芸術祭・里山紀行」として乗り入れた[226]

データ

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路線データ

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駅一覧

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  • 便宜上、ほくほく線の列車が直通するJR上越線越後湯沢駅 - 六日町駅間、信越本線犀潟駅 - 直江津駅間も併せて記載する。停車駅については、ほくほく線直通列車についてのみ述べ、上越線は停車駅のみ記載する(一部でも通年停車する駅に限る。全駅については路線記事を参照)。
  • 累計営業キロは六日町駅起算。
  • 定期列車は全列車普通列車。下表の全ての旅客駅に停車するが、一部列車は▽の駅を通過する。
  • 全線新潟県内に所在。
  • 線路(ほくほく線内は単線) … ||:複線区間、∨:ここより下は単線、◇:列車交換可能、|:列車交換不可、*:交換設備休止中、∧:ここより下は複線
会社 路線名 駅名 営業キロ 接続路線 線路 所在地
駅間 累計
東日本旅客鉄道 上越線 越後湯沢駅 - 17.6 東日本旅客鉄道■ 上越新幹線・上越線(水上方面・ガーラ湯沢支線) || 南魚沼郡
湯沢町
塩沢駅 13.7 3.9 || 南魚沼市
六日町駅 3.9 0.0 東日本旅客鉄道:上越線(浦佐方面)
北越急行 ほくほく線
魚沼丘陵駅 3.6 3.6  
赤倉信号場 - 8.5   十日町市
美佐島駅 8.6 12.2  
しんざ駅 2.2 14.4  
十日町駅 1.5 15.9 東日本旅客鉄道:飯山線
薬師峠信号場 - 23.8  
まつだい駅 13.3 29.2  
儀明信号場 - 34.1  
ほくほく大島駅 9.4 38.6   上越市
虫川大杉駅 6.2 44.8  
うらがわら駅 2.0 46.8  
大池いこいの森駅 4.9 51.7  
くびき駅 1.9 53.6  
犀潟駅 5.9 59.5 東日本旅客鉄道:信越本線(柏崎方面)
東日本旅客鉄道 信越本線
黒井駅 4.4 63.9   ||
直江津駅 2.7 66.6 えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン日本海ひすいライン ||

脚注

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注釈

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  1. ^ いずれも越後湯沢の西方にある地名であるが、原出典では地図等の明示がなくこれらに該当すると確定できない。ここでは仮に関連すると思われる記事にリンクしてある。
  2. ^ 1962年4月から松之山町内で大規模な地すべりが発生していた。南線予定ルートにある「光間」駅付近[22]
  3. ^ アンケートの上位は「ほくほく線」と「北越ロマン線」の2つであった。
  4. ^ 当時、JR東日本では、自社管内にはない交流20000 V・60 Hzで電化された北陸本線でも走行できる特急型車両としてE653系が存在した。しかし、「はくたか」は当時JR西日本・JR東日本・北越急行の3社で運行距離による比率で車両の運用数を按分し相殺していたため、仮にJR東日本が車両を新造した場合「はくたか」用単体ではごく少数の新造(最低1編成、485系3000番台は予備を入れて2編成)に留まり、加えて高速運転対応設備が求められる。また、北陸新幹線開業後に他線区に転用することがほぼ確実であるため、新潟地区など他線区の置き換えと同時に新造すると余剰となる可能性があった。
  5. ^ ノーズ可動クロッシングにすることによって、ポイントを高速で通過しても脱線しにくくなる。
  6. ^ 開業時点ではJR以外の日本の山岳用鉄道トンネルとして最長であったが、2015年3月14日の北陸新幹線開業に伴い、北陸本線の頸城トンネル(11,353 m、1969年開通)がえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの所属に移管されたため、「JR以外の鉄道で最長の山岳トンネル」の座は譲っている。
  7. ^ これにより、この区間での単線区間においては、1つの列車しか進入できないようになっている
  8. ^ 160 km/h運転時での閉塞信号機が合った個所での確認喚呼は特急列車では「第○閉塞 高速進行」、普通列車では「第○閉塞 進行」であったが(○は閉塞信号機の番号)、新設された地点標識での確認喚呼では「第○地点 よし」としている
  9. ^ 通常、同時進入は警戒現示により25 km/h制限となる。
  10. ^ 架線支持方式には様々な方式がある。コンパウンドカテナリ方式の架線は構造が複雑である反面、一般的な架線よりも張力を高くすることが可能でありパンタグラフへの追従性が良い。
  11. ^ ただし一部区間での表定速度に限れば、首都圏新都市鉄道が運営するつくばエクスプレスが、流山おおたかの森駅 - つくば駅間 31.8 kmを快速で19分・表定速度100.4 km/h(途中停車駅数1)、守谷駅 - つくば駅間 20.6 kmを快速で12分・表定速度103.0 km/h(途中停車駅数0)、JR西日本湖西線の快速が堅田駅 - 近江舞子駅間14.5kmを8分・表定速度108.75km/h(途中停車駅数0)で走行するといった事例は存在する(いずれも最高速度 130 km/hでの運転)。
  12. ^ 仮にこの数値を国鉄再建法により規定された区分に当てはめた場合、「地方交通線」ではなく「幹線系線区」に該当する。
  13. ^ なお私鉄・第三セクター所属車両がJR車籍に編入されるのは、209系3100番台キハ125形400番台に次いで3例目となる。
  14. ^ なお、1編成は前述の譲渡を待たずに「しらさぎ」色への塗り替えが行われた。

出典

[編集]
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参考文献

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  • 国土交通省鉄道局『数字でみる鉄道 2012』運輸総合研究所、2012年10月31日。ISBN 978-4903876443 
  • 国土交通省鉄道局『数字でみる鉄道 2013』運輸総合研究所、2013年10月31日。ISBN 978-4903876511 
  • 日本鉄道建設公団高速化研究会『三セク新線高速化の軌跡』(初版)交通新聞社、1998年10月20日。ISBN 4-87513-077-5 
  • 宮本昌幸『図解・鉄道の科学』(初版)講談社〈ブルーバックス〉、2006年。ISBN 4-06-257520-5 
  • 宮脇俊三『全線開通版 線路のない時刻表』講談社、1998年。ISBN 4-06-263721-9 
  • 北越急行株式会社 編『ほくほく線の十年』北越急行、2008年3月。 
  • 「160km/h営業運転を実施する北越急行のテクノロジー」『鉄道のテクノロジー vol.3 特集 JR高速特急PART.1』三栄書房〈SAN-EI MOOK〉、2009年、88-93頁。ISBN 978-4779606694 

雑誌記事

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  • 伊藤久巳「変ぼうを遂げた北越急行」『鉄道ファン』第670号、交友社、2017年2月、68-73頁。 
  • 大熊孝夫「雪国を駆けぬける「スノーラビット」」『鉄道ファン』第577号、交友社、2009年5月、46-55頁。 
  • 大熊孝夫「北越急行“はくたか”の時代」『鉄道ファン』第646号、交友社、2015年2月、30-53頁。 
  • 薄田佳隆「12/15, E129系A10編成, 北越急行線で試運転(「POST」)」『鉄道ファン』第683号、交友社、2018年3月、163頁。 
  • 君塚和夫・金子誠・川井重男・吉田真琴・奥谷民雄・芳村照士「北越北線160km/h高速走行の電気設備」『鉄道と電気技術』第8巻第4号、日本鉄道電気技術協会、1997年4月、45 - 57頁。 
  • 柴田剛志「回顧21年3カ月 北越北線・鍋立山トンネル掘削完了」『日本鉄道施設協会誌』第33巻第10号、日本鉄道施設協会、1995年10月、765 - 767頁。 
  • 鈴木文彦「北越急行開業の経緯と沿線」『鉄道ジャーナル』第368号、鉄道ジャーナル社、1997年6月、54-57頁。 
  • 種村直樹「在来線初の150km/h特急 快走」『鉄道ジャーナル』第392号、鉄道ジャーナル社、1999年6月、31-41頁。 
  • 鶴通孝「681系電車特急はくたか発車!」『鉄道ジャーナル』第368号、鉄道ジャーナル社、1997年6月、42-51頁。 
  • 鶴通孝「高規格第三セクター鉄道 北越急行ほくほく線の素顔」『鉄道ジャーナル』第368号、鉄道ジャーナル社、1997年6月、52-53頁。 
  • 鶴通孝「在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ」『鉄道ジャーナル』第428号、鉄道ジャーナル社、2002年6月、20-33頁。 
  • 鶴通孝「在来線最速特急の誇り」『鉄道ジャーナル』第557号、鉄道ジャーナル社、2013年3月、18-33頁。 
  • 鶴通孝「北越急行『超快速』の真実 表定速度88.6km/hの速達ローカル列車」『鉄道ジャーナル』第586号、鉄道ジャーナル社、2015年8月、50-55頁。 
  • 西日本旅客鉄道株式会社 鉄道本部運輸部 輸送計画課・新幹線運輸課「北陸新幹線開業に伴うJR西日本車両の動き」『鉄道ジャーナル』第584号、鉄道ジャーナル社、2013年6月、88-89頁。 
  • 野月貴弘「北越急行『超快速』」『鉄道ファン』第650号、交友社、2015年6月、32-33頁。 
  • 羽賀修「北越北線の高速化と新軌道構造等」『新線路』第45巻第1号、鉄道現業社、1991年1月、34 - 39頁。 
  • 古川裕之「開業5周年を迎えた北越急行・ほくほく線」『運転協会誌』第44巻第7号、日本鉄道運転協会、2002年7月、25 - 28頁。 
  • 「JR特急電車のスタンダード Series485」『鉄道ジャーナル』第370号、鉄道ジャーナル社、1997年8月、9-19頁。 
  • 「北越急行の16年と将来」『鉄道ジャーナル』第557号、鉄道ジャーナル社、2013年3月、34-45頁。 
  • 「2015.3.14 北陸新幹線開業と在来線」『鉄道ジャーナル』第584号、鉄道ジャーナル社、2013年6月、82-87頁。 
  • 「2015年3月ダイヤ改正で消えた列車と車両」『鉄道ジャーナル』第584号、鉄道ジャーナル社、2013年6月、88-89頁。 
  • 「北陸特急で活躍が続く681系電車」『鉄道ジャーナル』第586号、鉄道ジャーナル社、2013年8月、64-65頁。 

関連項目

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外部リンク

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