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2016年11月6日 (日) 07:27時点における版

財津 和夫
出生名 財津 和夫
生誕 (1948-02-19) 1948年2月19日(76歳)
出身地 福岡県福岡市
学歴 西南学院大学法学部中退
ジャンル J-POP
職業 シンガーソングライター
作曲家
音楽プロデューサー
ラジオDJ
俳優
大学教授
担当楽器 ボーカル
ギター
ピアノ
キーボード
ブルースハープ
活動期間 1969年 -
共同作業者 ザ・フォーシンガーズ
チューリップ
小田和正
松任谷由実
公式サイト 財津和夫オフィシャルサイト
著名使用楽器
K.Yairi YD-88BK
Ovation Legend 1617
ギブソン・ハミングバード
Shelly SY-M20
フェンダー・ストラトキャスター
フェンダー・テレキャスター
エピフォン・カジノ
ヤマハ・STAGE PIANO CP1
YAMAHA DX-7
KORG
ビートルズ

財津 和夫(ざいつ かずお、1948年2月19日 - )は、日本シンガーソングライター作曲家音楽プロデューサーラジオDJ俳優。ポップスグループ「チューリップ」のリーダー。2004年から大阪芸術大学芸術学部音楽学科教授血液型O型。和製ポール・マッカートニーと呼ばれる日本のメロディメーカー[1]。 既婚。

来歴・人物

生い立ち

福岡県福岡市出身。父は婿養子[2]、5人兄弟の末っ子として生まれる。長男と次男は財津が生まれる前に他界していたため、3人兄弟で育った[3]。財津家は元々は熊本阿蘇地方をルーツに持つ熊本藩であったが[2]、戦時中は朝鮮で生活をしていた。そして敗戦と共に福岡の親戚を頼って日本へ引き揚げ、福岡競輪場で食堂を営んでいた。そのため、兄弟の中で唯一の福岡生まれであった[3][4]。なお「和夫」と言う名前は、福岡の自宅の近くに在った昭和鉄工の「和」の字を採ったという[3]。子供のころから映画を観たりFENを聴いたりして、アメリカに憧れを持ち、その影響の延長で洋楽にはまって高校時代にビートルズに憧れるようになった[4]。自宅は何度も立ち退きに遭い、小学生時代だけで3回も転校している[5]

ミュージシャンとして

1970年代から活躍しているニューミュージック系ポップスグループ「チューリップ」の中心的人物。チューリップのほとんどの楽曲の作詞、作曲を手がけている。1989年のチューリップの一時解散以降はソロ音楽活動を中心に活躍。1997年のチューリップ再結成後は、2〜3年に1回の頻度でツアー活動を軸にチューリップとしての活動も展開中。

1963年福岡県立香椎高校に入学。ブラスバンド同好会に入り、アルトホルンを担当。映画好きなことから映画同好会も立ち上げたが、こちらはすぐ自然消滅したという[6]。在学中に上記のビートルズに憧れ、独学でギターを学んだ。1966年に同高校を卒業するが、一年間浪人する形で受験勉強をした。翌年、西南学院大学法学部に合格して、入学(のちに中退)するが、浪人中にはビートルズの武道館コンサートを見るために上京し、観賞していた(ビートルズをそれほど好きではなかった女子の友人にチケットを譲ってもらっての観賞)[7]。大学に入学すると、吉田彰と共に和製ビートルズを目指して、1969年、チューリップの前身となる「ザ・フォーシンガーズ」を結成するが、業界からは認められなかった。1971年、バンド名を「チューリップ」に改名する。のちに海援隊甲斐バンド井上陽水などを生んだ博多の伝説的音楽喫茶「照和」でライブ活動を展開し、人気を博した[8]。メジャーデビューを目指して、福岡時代の旧知で、当時ビートルズのレコードを手がけた東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパンディレクター新田和長を頼ってに自らデモテープを売り込み、1972年、東芝音工よりシングル「魔法の黄色い靴」でレコードデビューを果たす[9]。同年、アルバム『魔法の黄色い靴』、翌年、2枚目のシングルとアルバムをリリースするも売れない日々が続いたが、3枚目のシングル「心の旅」(1973年)が発売5ヵ月後にオリコンチャート第1位を獲得。連日のようにテレビ音楽番組に出演するなど、一躍スターダムにのし上がる。その後も自身がボーカルをとった「青春の影」(1974年)、「サボテンの花」(1975年)、「虹とスニーカーの頃」(1979年)などを次々と生み出したが、メンバーの脱退・加入を繰り返したのち、チューリップは1989年に一時解散した。

チューリップとしての活動と平行してソロでの音楽活動も展開、1978年にソロデビューを果たしている。同年、NHK番組『みんなのうた』に採用された「切手のないおくりもの」は、のちに小学校の音楽科の授業で使用される歌集などにも掲載され、国民的愛唱歌として25年を経た現在も広く歌い継がれている。1979年には、2枚目のシングル「Wake Up」がテレビCMに起用されるなどヒットチャートを賑わせた。また、ソロ音楽活動と同時に、作曲家として木之内みどり松田聖子沢田知可子藤井フミヤなど多くのアーティストに楽曲を提供(松田と藤井は同郷出身)。とくに「チェリーブラッサム」(1981年)から「白いパラソル」(1981年)まで作曲した連続3作品(いずれもオリコンチャート第1位獲得)は、アイドル松田聖子の人気を不動のものにした。1986年には音楽番組『財津和夫のPOPS探偵団』(フジテレビ)で司会を担当。1975年からパーソナリティを務めたラジオ番組『財津和夫の人生ゲーム』(東海ラジオ)は1988年3月に終了するまで13年間続いた長寿番組になった。同番組は2001年に『財津和夫の人生ゲーム21〜心の旅〜』として再スタート、現在に至る。

俳優として

一方、1976年TBSドラマ『三男三女婿一匹』(宝井隆役)に準レギュラーとして出演。このきっかけは、多分あべ静江(当時チューリップと同じ事務所所属だった)が出ていたつながりだったのではないか、と自ら語っている[10]。これ以降、俳優としても数多くの作品に出演する。主なテレビドラマ出演は、次の通り。1985年、TBSドラマ『昭和ラプソディ』(主役・服部良一役)、1990年、TBSドラマ『想い出にかわるまで』(カメラマン水口役)、1993年、CXテレビ『愛情物語』(周平の友人・月岡一成役)、1995年NHK朝の連続テレビ小説走らんか!』(奥寺行生役)、2006年日本テレビたったひとつの恋』(レギュラー・月丘雅彦役)など。1984年、角川映画『メイン・テーマ』(御前崎渡役)、1986年、東宝映画『そろばんずく』(クライアント波野役)、1990年、松竹映画『つぐみ』(恭一の兄・高橋役)など、映画にも出演している。愛情物語では同郷出身で同じビートルズに影響を受けた鮎川誠と共演している(鮎川は久留米市出身)。

その他

なお、この他、CM楽曲提供、ミュージカル音楽製作、エッセイ集執筆などの活動も精力的に行い、多彩な表現者としての一面も見せている。

共栄火災海上保険のイメージキャラクターも務めている。

エピソード

1987年9月28日、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に初出演。財津は前週金曜日に出演した同郷の杉真理の紹介で登場した。ちなみに財津が紹介した翌日のゲストはブレッド&バターだった。

自身の結婚について、結婚式もやってないし披露宴もやってないと話す。その時は何だそんなもんって気持ちだったが、若気の至りの一つだったとも語っている[11]

2008年、チューリップメンバーは、NHKの企画で『Tulip 青春のラストラン』に出演した。同番組は、35年間の歴史に終止符を打ったチューリップの軌跡をたどるものであった。

つのだ☆ひろとは上京して以来の友人。つのだは、たまたま見たデビュー前のチューリップに魅了され、プライベートで付き合うことになった。当時、財津がチューリップのメンバーと共同生活をしていた南青山のアパートにつのだはよく出入りをしていた[12]。一方小田和正とは古い友人で、昔は2人でよくゴルフに行っていたという。出会いは1969年の「ライト・ミュージック・コンテスト」に共に出場したのがきっかけで、オフコースは自分の憧れだったと語っている。オフコースのファンクラブ「オフコース・ファミリー」の第1期(1973年)会員で、申し込んだのは発起人の3人のすぐ後の4番目だった。係の人によって「キリのいい番号」として、会員番号10番となった[13]

同時に、財津一郎とは遠い親戚であることが判明された[2][14]

ディスコグラフィ

シングル

発売日 タイトル
1st 1978年5月20日 二人だけの夜/悪魔の子守唄 ※ソロとしてのデビュー・シングル
2nd 1979年12月20日 Wake Up/ル・デクラン
3rd 1980年10月5日 一枚の絵/そして また あなたへ
4th 1987年1月1日 償いの日々/愛にふれたとき
5th 1988年1月1日 ラブ・ストーリーを君にサボテンの花
6th 1988年10月1日 太陽のゴール/ONE AND ONLY
7th 1988年12月1日 冬のメイン・ストリート/子供たちのためのクリスマス
8th 1990年6月10日 Dream With You/青春の影
9th 1992年4月25日 ミス・ベスト・ワン/時が経てば
10th 1992年11月11日 誰が許すの 君のわがままを/本当の言葉
11th 1993年4月28日 サボテンの花〜ひとつ屋根の下より〜/しわくちゃのスーツ
12th 1993年11月10日 メルティング/Mexicoへ青い空
13th 1995年4月26日 Everlasting/愛はちっとも難しくない/バタートーストかじって
14th 1996年5月22日 サボテンの花/Weekday love woman
15th 1997年4月23日 ひまわりの家 ※映画クレヨンしんちゃんクレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡ED
16th 1998年5月21日 ユア・ベスト・フレンド/ちょうど
17th 1998年9月23日 ストーヴ/ぼくは君のゴミじゃない
18th 1999年6月23日 FOR YOUR SONG/それがぼくのおとうさん
19th 1999年9月22日 GOAL/この世の端でも
20th 2001年6月21日 ふたりなら/小さな奇蹟/さわぐ心

アルバム

オリジナルアルバム

発売日 タイトル
1st 1978年5月5日 宇宙塵 ※ソロとしての、デビューアルバム
2nd 1980年4月25日 I need you and YOU
3rd 1987年1月1日 City Swimmer
4th 1990年10月1日 I must be crazy
5th 1992年4月25日 「もうひとつ」の愛
6th 1993年10月8日 Naked Heart
7th 1995年5月12日 愛はちっとも難しくない
8th 1998年10月21日 ONE WORD
9th 1999年10月21日 PRIVATE MOON
10th 2001年9月21日 Rainbows
11th 2009年10月28日 ふたりが眺めた窓の向こう

ベストアルバム

発売日 タイトル
1st 1993年6月9日 財津和夫ミニ・ベスト・フロム・TV

セルフカバーアルバム

発売日 タイトル
1st 1992年12月10日 CALL
2nd 2004年9月1日 サボテンの花〜grown up〜

ライブアルバム

発売日 タイトル
1st 1980年12月25日 財津和夫ソロ・コンサート・ライヴ〜The Round About Way〜

企画アルバム

発売日 タイトル
1st 1987年12月21日 Z氏の悪い趣味
2nd 2002年8月7日 ZAITSU SONGS〜CINEMATIC〜
3rd 2003年10月22日 ZAITSU SONGS〜アカペラ〜
4th 2012年3月21日 財津和夫ワークス〜40周年を記念して〜

コラボレーション

提供曲

他アーティストへの提供曲

特記するもの以外は作曲のみ。

他多数

その他

「みんなのうた」曲目

これまで以下の4曲が放送された。

  • 切手のないおくりもの』:リンク先を参照。
  • 『空飛ぶ林檎』:1985年8 - 9月に放送。作曲を担当、作詞松本隆、編曲は宮川晶。映像はリンゴを自然の風景に合成したものが使用された。CD・レコードともに未発売。
  • 『さようならコンサート』:1989年6 - 7月に放送。作詞・作曲・編曲全て手がける。映像は大井文雄のアニメ。CD・レコードともに未発売。放送時期がチューリップの解散時期と重なった。
  • 『それがボクのおとうさん』:1997年2 - 3月に放送。作詞・作曲・編曲全て担当。映像はクレヨンしんちゃんの原作者臼井儀人が担当。なお、同年公開の映画『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』では、ソロシングル『ひまわりの家』がエンディング曲に採用されている。2014年現在、この曲が最後の「みんなのうた」出演になっている。

著書 (エッセイ集)

テレビ出演

  • 『つながるテレビ@ヒューマン』(2007年2月10日、21日、NHK総合
  • 『地球街道〜フェリーニへの道・映画の風景を探して〜』(2007年7月14日、21日、テレビ東京
  • 『SONGS〜チューリップ・ベスト』(2008年5月28日、NHK総合)
  • 『西日本鉄道創立100周年記念特別番組 財津和夫の西鉄沿線・福岡再発見の旅! 〜思い出と新しい出逢いを乗せて〜』(2008年10月5日、BS朝日
  • ミューズの微笑み』(2008年10月 - 、NHK教育)不定期出演
  • いのちの響(TBSテレビ)
  • 『財津和夫“夕陽を追いかけて”〜チューリップと歩んだ40年〜』(2013年11月23日、NHK総合)

俳優として

テレビ

映画

脚注

注釈

  1. ^ 作詞は西口が担当。
  2. ^ ドラマCD・ドラマDVDグラニュレイテッドハピネス」に収められる形で収録されており、楽曲単体では発売されていない。

出典

  1. ^ ミュージシャン 財津和夫さん”. TOKYO FM『ゆうちょ LETTER for LINKS』番組オフィシャルサイト (2014年3月23日). 2015年6月8日閲覧。
  2. ^ a b c ファミリーヒストリー』2016年9月8日放送分。
  3. ^ a b c 東京新聞』2015年4月21日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  4. ^ a b 『東京新聞』2015年4月22日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  5. ^ 『東京新聞』2015年4月23日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  6. ^ 『東京新聞』2015年4月28日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  7. ^ 『東京新聞』2015年5月1日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  8. ^ 『東京新聞』2015年5月9日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  9. ^ 『東京新聞』2015年5月11日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  10. ^ 『東京新聞』2015年6月1日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  11. ^ 心の旅、永遠に(1998年5月 河出書房新社)「ぼくの結婚」の章より。
  12. ^ 東京新聞 2015年5月12日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  13. ^ 東京新聞 2015年6月11日夕刊掲載「この道 財津和夫」
  14. ^ 財津和夫 財津一郎と遠い親戚だった「冗談でなく本当だったとは」 ネットでも反響”. デイリースポーツ (2016年9月15日). 2016年9月15日閲覧。
  15. ^ 平原綾香に中島みゆきら9人が楽曲提供 幼少時知る玉置浩二「目頭が熱く…」”. ORICON STYLE (2016年2月25日). 2016年2月25日閲覧。

外部リンク