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「縁覚」の版間の差分

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'''縁覚'''(えんがく、[[サンスクリット]]:{{lang|sa|प्रत्येक बुद्ध}} ''pratyekabuddha''、[[パーリ語]]:पच्चेकबुद्ध ''paccekabuddha'')とは、[[仏教]][[ジャイナ教]]において師なくして独自に[[さとり]]を開た人を。古くは'''[[声聞]]縁覚'''とも表現されたが、声聞が分化して単独で用いられるようになった。旧訳ではサンスクリット原語あるいはその俗語形からの音写で、'''辟支仏'''(びゃくしぶつ)訳す。また'''独覚'''(どくかく)とも漢訳される。
'''縁覚'''(えんがく、[[サンスクリット]]:{{lang|sa|प्रत्येक बुद्ध}} ''pratyekabuddha''、[[パーリ語]]:पच्चेकबुद्ध ''paccekabuddha'')とは、[[仏教用語]]。ただし、[[ジャイナ教]]の経典も見られものであり仏教成立以前から[[インド]]で広く用られてたとみられる[[仏教]]では、古くは縁覚は[[声聞]]の範疇であり、声聞縁覚乗・声聞縁覚地などのように表現されたが、声聞と縁覚明確に分化して用いられるようになった。[[大乗仏教]]では声聞とともに[[小乗]][[二乗]]と呼んで下に見る。


[[菩薩]]が[[兜率天]]とともに語られることがあるのに対して、縁覚は関係性で語られることが極めて稀なため、古くから様々な解説がなされ、'''辟支仏'''(びゃくしぶつ)や'''独覚'''(どくかく)の別称もある。声聞乗を度した者が[[十二因縁]]を拾法/もしくは説いて縁覚乗となり、さらに解脱果のあるものもいるとされる<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『[[大方等大集経|大方等大集經]]([[曇無讖]]譯)』 (T0397_.13.0110a01: ~): 須聲聞乘度者 出四諦法音應之。須縁覺乘度者 出甚深十二因縁法音應之。</ref><ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『佛説如來興顯經([[竺法護]]譯)』 (T0291_.10.0604a16: ~): 化縁覺乘 信樂中行 爲衆現説十二因縁之所 或超有解脱果。</ref>。また、声聞の如く不定に説く部行獨覺(ぶぎょうどくかく)と、菩薩の如くに説く麟角喩獨覺(りんかくゆどくかく)とに分かつと表現されることがある<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『[[阿毘達磨大毘婆沙論]](五百大阿羅漢造)』 (T1545_.27.0033a10: ~): 問獨覺云何。答麟角喩獨覺如菩薩説。部行獨覺不定如聲聞説。</ref>。
仏教では、[[十二因縁]]を観じて理法をさとり、あるいはさまざまな外縁によってさとるゆえに縁覚という。独覚は、仲間をつくって修行する部行独覚(ぶぎょうどくかく)と、[[麒麟]]の一角の如く独りで道を得る麟角喩独覚(りんかくゆどくかく)とに分ける。[[大乗仏教]]ではこの立場を自己中心的なものと考え、[[声聞]]とともに[[二乗]]と呼んで下に見る。


特に[[天台宗]]では、仏の世で十二因縁を観じて覚ったものを「縁覚」、無仏(むぶつ)の世で飛花落葉(ひけらくよう)などの外縁を観じて覚ったものを「独覚」と区分している。
[[天台宗]]では、仏の世で十二因縁を観じて覚ったものを「縁覚」、無仏(むぶつ)の世で飛花落葉(ひけらくよう)などの外縁を観じて覚ったものを「独覚」と区分している。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2017年1月29日 (日) 18:16時点における版

縁覚(えんがく、サンスクリットप्रत्येक बुद्ध pratyekabuddhaパーリ語:पच्चेकबुद्ध paccekabuddha)とは、仏教用語。ただし、ジャイナ教の経典にも見られものであり、仏教成立以前からインドで広く用いられていたとみられる。仏教では、古くは縁覚は声聞の範疇であり、声聞縁覚乗・声聞縁覚地などのように表現されたが、声聞と縁覚が明確に分化して用いられるようになった。大乗仏教では声聞とともに小乗二乗と呼んで下に見る。

菩薩兜率天とともに語られることがあるのに対して、縁覚は関係性で語られることが極めて稀なため、古くから様々な解説がなされ、辟支仏(びゃくしぶつ)や独覚(どくかく)の別称もある。声聞乗を度した者が十二因縁を拾法/もしくは説いて縁覚乗となり、さらに解脱果のあるものもいるとされる[1][2]。また、声聞の如く不定に説く部行獨覺(ぶぎょうどくかく)と、菩薩の如くに説く麟角喩獨覺(りんかくゆどくかく)とに分かつと表現されることがある[3]

天台宗では、仏の世で十二因縁を観じて覚ったものを「縁覚」、無仏(むぶつ)の世で飛花落葉(ひけらくよう)などの外縁を観じて覚ったものを「独覚」と区分している。

関連項目

  1. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『大方等大集經曇無讖譯)』 (T0397_.13.0110a01: ~): 須聲聞乘度者 出四諦法音應之。須縁覺乘度者 出甚深十二因縁法音應之。
  2. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『佛説如來興顯經(竺法護譯)』 (T0291_.10.0604a16: ~): 化縁覺乘 信樂中行 爲衆現説十二因縁之所 或超有解脱果。
  3. ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 『阿毘達磨大毘婆沙論(五百大阿羅漢造)』 (T1545_.27.0033a10: ~): 問獨覺云何。答麟角喩獨覺如菩薩説。部行獨覺不定如聲聞説。