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*1970年23号<!--5月31日号-->の表紙(『[[巨人の星]]』がメイン)は、マガジン史上唯一の[[モノクローム|白黒]]の表紙だった<ref name=MAGAVIA />(2015年現在)。 |
*1970年23号<!--5月31日号-->の表紙(『[[巨人の星]]』がメイン)は、マガジン史上唯一の[[モノクローム|白黒]]の表紙だった<ref name=MAGAVIA />(2015年現在)。 |
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*1970年には、[[横尾忠則]]が表紙構成(デザイナー)を務めた号が存在する(前述の1970年23号の表紙デザイナーも横尾)<ref name="ootomo_109">『怪獣博士!大伴昌司「大図解」画報』[[河出書房新社]]、2012年、109-111頁。ISBN 978-4-309-72796-7。</ref><ref>[http://sapporovin.blog90.fc2.com/blog-entry-1128.html 70年代の週刊少年マガジン、横尾忠則そして大伴昌司]、まんだらけ 札幌店 ヴィンテージ 毎日入荷情報、2012年10月30日 21:00:00。</ref>。横尾の起用を提案したのは[[大伴昌司]]であった<ref name=ootomo_109 />。 |
*1970年には、[[横尾忠則]]が表紙構成(デザイナー)を務めた号が存在する(前述の1970年23号の表紙デザイナーも横尾)<ref name="ootomo_109">『怪獣博士!大伴昌司「大図解」画報』[[河出書房新社]]、2012年、109-111頁。ISBN 978-4-309-72796-7。</ref><ref>[http://sapporovin.blog90.fc2.com/blog-entry-1128.html 70年代の週刊少年マガジン、横尾忠則そして大伴昌司]、まんだらけ 札幌店 ヴィンテージ 毎日入荷情報、2012年10月30日 21:00:00。</ref>。横尾の起用を提案したのは[[大伴昌司]]であった<ref name=ootomo_109 />。 |
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*『[[ターミネーター2]]』や『[[ジュラシック・パーク]]』など、実写映画が表紙を飾ったことがある<ref name=sponichi030211>[http://web.archive.org/web/20031007035158/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/02/11/02.html 週刊少年マガジンの表紙に特別イラスト]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2003年2月11日。([[インターネット |
*『[[ターミネーター2]]』や『[[ジュラシック・パーク]]』など、実写映画が表紙を飾ったことがある<ref name=sponichi030211>[http://web.archive.org/web/20031007035158/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/02/11/02.html 週刊少年マガジンの表紙に特別イラスト]、[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]]、2003年2月11日。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。2002年11号の表紙([[真島ヒロ]]画による『[[ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔]]』のイラスト)は、創刊以来初となる実写映画と人気漫画家の[[コラボレーション]]表紙となった<ref name=sponichi030211 />。 |
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== 読者コーナー == |
== 読者コーナー == |
2017年9月4日 (月) 13:40時点における版
週刊少年マガジン | |
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WEEKLY SHONEN MAGAZINE | |
ファイル:Shōnen Magazine first issue.jpg 『週刊少年マガジン』創刊号 (表紙の写真は朝汐太郎) | |
愛称・略称 | マガジン・週マガ |
ジャンル | 少年向けコミック誌 |
読者対象 | 男性 |
刊行頻度 | 週刊(水曜日発売 ただし、水曜日が祝日の際は火曜日発売) |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 | 講談社 |
編集部名 | 少年マガジン編集部 |
編集長 | 菅原喜一郎 |
雑誌名コード | 065 |
刊行期間 | 1959年3月17日(1959年3月26日号) - |
発行部数 | 103万部(2016年1月 - 3月日本雑誌協会調べ) |
レーベル | 講談社コミックス(KCマガジン) |
ウェブサイト | http://www.shonenmagazine.com/ |
Template:漫画 は 廃止されました |
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『週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン)は、講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。
特徴
劇画路線からの脱却
W3事件の際、手塚治虫が『週刊少年マガジン』から原稿を引き上げたため、対立軸を明確にすべく1970年代に劇画路線をとったことで知られる。以降読者の高年齢化が進み、1980年代から1990年代中頃まではヤンキー漫画や格闘漫画が主流を占めたため「不良の読む雑誌」とされたこともあったが、いわゆる第2次黄金期(1997年 - 2002年)以降はそのイメージは過去のものとなりつつある[要出典]。
近年の少年誌では珍しい、ノンフィクションのドキュメンタリー漫画が掲載される他、一時期は芸能人による連載企画も行われていた。
グラビア企画
多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画ミスマガジンを始め、グラビアアイドルや人気女優などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には乙葉や小倉優子など、その後知名度が高くなった女性タレントも出演していた。しかし、2000年代後半以後はすでにテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ、南明奈など)が出演することが多い。稀に男性芸能人が出演することもあり、2015年42号では男女4人組バンドのSEKAI NO OWARIが出演した。ちなみに本誌の表紙を飾った最初の女性芸能人は1970年43号の藤圭子[1]、表紙を飾った最初の水着アイドルは1972年33号の山口いづみ[1]である。
アンケートの扱い
読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『週刊少年ジャンプ』とは異なり、アンケート至上主義ではないが、アンケートで人気が芳しくなかった作品は打ち切りとなることが多い。
掲載順は「アンケート上位順」ではなく、様々な要因によって決定される。例えば、「単行本の売り上げや作品同士の相性を考慮する、特に読者にアピールしたい作品を上位にする」「巻末にギャグ漫画[2]を配置する」などである[3]。そのため、常時下位掲載でも打ち切られないケース[4]も見られる(いわゆるしんがり漫画)。
作品の転出および転入
人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『マガジンSPECIAL』や『月刊アフタヌーン』へ舞台を移して連載をするケースがある。例として「Dreams」や「ガチャガチャ」などが前者へ、「ヴィンランド・サガ」が後者へ移籍している。逆に『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』から本誌へ舞台を移すケースがあり、「将太の寿司」や「生徒会役員共」などが前者から、「神さまの言うとおり」や「リアルアカウント」などが後者から移籍している。移籍しても同一タイトルとして話数を継続させるケースもあれば、移籍を機に改題して(「神さまの言うとおり」→「神さまの言うとおり弐」など)別シリーズとして始めるケースもある。また、「彼女とキスする50の方法」のように本誌で短期連載を行なったのち『マガジンSPECIAL』で本連載を開始するケースや、「Dr.デュオ」のように『マガジンSPECIAL』でサイドストーリーを行ってから本誌で本連載を開始するケースがある。
特異な例として、料理冒険漫画である「中華一番!」は本誌から『マガジンSPECIAL』に移籍したのち、『真・中華一番!』と改題して本誌に復帰。逆に「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載が始まり、「スミレ16歳!!」と改題して本誌に移籍したのち、再び『マガジンSPECIAL』へ戻っている。また「KAGETORA」のように『マガジンSPECIAL』での本連載を一度休み、本誌で同名別ストーリーの短期集中連載を行なうこともある。その他、『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』の連載作品がPRも兼ねて本誌で読みきりを掲載することもある。
連載漫画家の特徴
古くは手塚治虫や赤塚不二夫、つのだじろうといった通称『トキワ荘』組や小林よしのりなどといった複数の漫画誌を渡り歩いている漫画家を多く起用していた。1990年頃になるとその傾向は一旦低下するが、1999年頃から再び同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。前者についてはCLAMP(『なかよし』)や福本伸行(『週刊ヤングマガジン』)が該当し、後者については大暮維人(『ウルトラジャンプ』)や木多康昭(『週刊少年ジャンプ』)、久米田康治(『週刊少年サンデー』)、ヒロユキ[5](『月刊少年ガンガン』)、鈴木央(『週刊少年ジャンプ』、『週刊少年サンデー』、『週刊少年チャンピオン』)、大久保篤(『月刊少年ガンガン』)、雷句誠(『週刊少年サンデー』)などがいる。その他能條純一や板垣恵介など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。
女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・塀内夏子)、島崎譲、大島司、さとうふみや、恵広史、山本航暉などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした久保ミツロウのケースもある。最近では咲香里や吉河美希、西山優里子など男性風に変えない女性漫画家もいる。ちなみに初の連載女性漫画家は高橋美由紀である。
ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には斉藤富士夫や三ツ森あきら、現在は西本英雄や氏家ト全がそれに該当する。また島田英次郎のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。
作品のメディアミックス
アニメ
テレビアニメについては1960年代から1970年代前半にかけては『あしたのジョー』や『巨人の星』などの有名作品を出していたが、1970年代後半から1980年代にかけてはアニメ化される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の誌風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。
1990年代以降はラブコメや萌え路線など誌風の多様化によりアニメ化される作品が多くなったが、2000年代になると少子化の影響により全日枠での放映が縮小され、深夜枠での放映が多くなっている。
2000年代後期からは他社に先駆け、単行本の限定版にOVAを同梱する販売形態も行っている。
現在放送中の作品
※2017年7月現在のもの。
過去にアニメ化された作品
50音順、他誌に連載された作品も含む。
あ行 か行
さ行 |
た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 |
ドラマ
一方、テレビドラマ・実写映画では1960年代に『無用ノ介』、70年代に『愛と誠』、『野球狂の詩』、『翔んだカップル』を、80年代には『胸キュン刑事』(テレビドラマのみ)、90年代には『シュート!』(映画のみ)、『金田一少年の事件簿』、『GTO』などが放映された。特に『金田一』と『GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。
作品名 | キー局 | 放送時期 | 備考 |
---|---|---|---|
金田一少年の事件簿 (ドラマ版) |
日本テレビ系列 | 1995年7月15日 - 9月16日 1996年7月13日 - 9月14日 2001年7月14日 - 9月15日 2014年7月19日 - 9月20日 |
連続ドラマの他、過去6回単発でスペシャル版を放送。 2014年版のタイトルは「金田一少年の事件簿N(neo)」。 1997年に映画化(ドラマ版項目を参照)。 1997年、2014年にアニメ化(アニメ版)[6]。 |
MMR マガジンミステリー調査班 (ドラマ版) |
フジテレビ系列 | 1996年4月18日 - 9月12日 | タイトルは「MMR未確認飛行物体」。 木曜の怪談内にてオムニバス形式で放送。 |
将太の寿司 | 1996年4月19日 - 9月20日 | 1999年10月にテレビ東京で単発アニメ化。 | |
サイコメトラーEIJI | 日本テレビ系列 | 1997年1月11日 - 3月15日 1999年10月16日 - 12月18日 |
2000年にスペシャル版を放送。 |
GTO (反町版…1998年) (AKIRA版…2012年、2014年) |
関西テレビ・フジテレビ系列 | 1998年7月7日 - 9月22日 2012年7月3日 - 9月11日 2014年7月8日 - 9月16日 |
反町版で1回、AKIRA版で3回スペシャル版を放送。 1999年に映画化(反町版の記事を参照)。 1999年にアニメ化(原作記事を参照)[7]。 |
BOYS BE… | 日本テレビ系列 | 1998年10月4日 - 12月27日 | タイトルは「BOYS BE…Jr.」。 ジャニーズJr.によるオムニバス形式で放送。 2000年にWOWOWでアニメ化。 |
MAYA 真夜中の少女 | BS日テレ | 2003年3月8日 | 日テレジェニック2002卒業制作ドラマとして放送。 連載終了後のドラマ化。 |
クニミツの政 | 関西テレビ・フジテレビ系列 | 2003年7月1日 - 9月9日 | |
探偵学園Q | 日本テレビ系列 | 2007年7月3日 - 9月11日 | 2003年にTBSでアニメ化。 |
魔法先生ネギま! (ドラマ版) |
テレビ東京系列 | 2007年10月3日 - 2008年3月26日 | タイトルは「MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!」。 2005年にアニメ化(アニメ版)。 その他OVA化などされている。 |
スミレ16歳!! | BSフジ | 2008年4月13日 - 6月29日 | 『マガジンSPECIAL』へ移籍後のドラマ化。 |
シバトラ | フジテレビ系列 | 2008年7月8日 - 9月16日 | 2009年、2010年にスペシャル版を放送。 |
BLOODY MONDAY | TBS系列 | 2008年10月11日 - 12月20日 2010年1月23日 - 3月20日 |
|
ゴッドハンド輝 | 2009年4月11日 - 5月16日 | ||
ヤンキー君とメガネちゃん | 2010年4月23日 - 6月25日 | ||
ハンマーセッション! | 2010年7月10日 - 9月18日 | ||
山田くんと7人の魔女 | フジテレビ系列 | 2013年8月10日 - 9月28日 | 2015年にTOKYO MXでアニメ化。 |
アゲイン!! | MBS・TBS系列 | 2014年7月21日 - 9月22日 |
コラボレーション・メディアミックスなど
当誌におけるメディアミックスの代表作として『魔法先生ネギま!』が挙げられ、アニメ・ドラマ化以外にもTVゲームやカードなど幅広いジャンルで活動している。また、また、かつてはエイベックスとのメディアミックスで『アソボット戦記五九』が連載されていた。また、創刊50周年記念として『週刊少年サンデー』との数々のコラボレーション企画が行われたほか、最近ではテレビ朝日のドキュメント番組『GET SPORTS』とのタイアップによる短編作品や女性アイドルグループ『AKB48』公認漫画作品『AKB49〜恋愛禁止条例〜』の連載が行われている。
約物の使用
作中の台詞表現において、句読点を原則として用いず、沈黙を表すリーダーも三点リーダー(…)ではなく二点リーダー(‥又は・・)を用いるという特色がある。この特徴は、マガジンSPECIALや月刊少年マガジン、週刊ヤングマガジン等の系列・派生誌でも見られる(一方、同じ講談社発行のモーニングとその系列誌では、一貫して三点リーダーが用いられている)。
また、『スクールランブル』と『新約「巨人の星」花形』の三点リーダーや『さよなら絶望先生』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。
歴史
- 1959年 - 1968年
- 1959年に創刊。当初は木曜日発売で定価は40円だったが、同年5号で30円に値下げ。キャッチコピーは同年14号から翌1960年26号まで「ゆめと希望の少年マガジン」だった。当初の主力作品は連続小説が大半を占めていたが、当時はまだヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし1965年の「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年1月にはついに100万部を突破した。また大伴昌司の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。円谷プロの怪獣物テレビ番組「ウルトラQ」の怪獣を表紙に採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった。
- 1969年 - 1977年
- 「キッカイくん」の連載を機にエログロナンセンスが用いられるようになり、それにともない読者の対象年齢も上昇。さらに1970年には「アシュラ」「ワル」「メッタメタガキ道講座」など多くの問題作が登場。さらに横尾忠則を表紙のデザイナーに迎えるなど、マガジンは『ガロ』に近い青年向けの雑誌となり、現在までに至るマガジンのイメージがほぼ確立されはじめる。大学生の間で「右手に(朝日)ジャーナル左手にマガジン」と言われたこともあった[1][2]。この影響は大きく、神奈川県児童福祉審議会が1970年32号を有害図書に指定。その後は1971年に「巨人の星」、1973年に「あしたのジョー」が終了したことなどからマガジンの勢いは徐々に下降。「あしたのジョー」などに変わる新たな主力作品としては「空手バカ一代」「愛と誠」「おれは鉄兵」「釣りキチ三平」などがスタートし、新たに篠山紀信によるアイドルのグラビア記事を導入するも、部数は伸び悩み、1973年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行い巻き返しを図ったが、低迷からは思うように抜け出せなかった。因みに1971 - 1973年には1971年に休刊した兄弟誌の『週刊ぼくらマガジン』を受け継ぐ形で「仮面ライダー」などの特撮ヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、ウルトラマンなどの空想特撮シリーズの頃のように表紙を飾ることはなく、またそれらのジャンルは当時創刊されていた『テレビマガジン』や学年誌の対象分野となりつつあったことから、以後特撮ヒーロー作品の掲載は控えられた。
- 1978年 - 1988年
- 2度目の誌名ロゴ変更を行った1978年2号で創刊1000号到達。だがこの頃の『マガジン』は『ジャンプ』だけでなく、『サンデー』や『チャンピオン』の後塵をも拝する状態となっていたが、「翔んだカップル」のヒットによってラブコメ漫画が定着。「あした天気になあれ」「1・2の三四郎」「コータローまかりとおる!」などの新たな主力作品の登場と新体制により勢いを徐々に取り戻し、部数を回復させた。1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」が開始され、同年26号からはイメージキャラクターのモグラ「ピモピモ」が登場する[1]。1983年には定期増刊『マガジンSPECIAL』の創刊とバイク漫画としては『マガジン』始まって以来の大ヒットとなる「バリバリ伝説」の連載開始。さらに創刊25周年の年である1984年に誌名ロゴを現在のバージョンに変更。1980年代後半には少年誌の部数で『サンデー』を再び抜き、2位となったが、首位の『ジャンプ』の背中はまだ遠く、差は開く一方だった。
- 1989年 - 1994年
- 平成時代の幕開けとなった1990年代前半は大ヒット作となる「金田一少年の事件簿」の連載が開始され、『マガジン』史上最も連載期間の長い[8]「はじめの一歩」、「シュート!」「オフサイド」「風のシルフィード」などのスポーツ漫画や、「湘南純愛組!」「カメレオン」「疾風伝説 特攻の拓」などのヤンキー漫画の分野でヒット作が続出。1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。しかし1990年代初頭に『ジャンプ』が発行部数600万部を突破したことなどもあってか、この頃のマガジンの健闘ぶりは当時は過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容には、「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあった。同時期に開始した「BOYS BE…」や「将太の寿司」などインドア系の作品も長期連載作となった。1994年には草創期から長年に渡って『マガジン』で連載を続けていたちばてつやが、「少年よラケットを抱け」の連載終了をもって『マガジン』から離れている。
- 1995年 - 1999年
- 「金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。この期間には「金田一少年の事件簿」「GTO」「サイコメトラーEIJI」などの看板・主力作品がドラマ化され、どれも高視聴率を記録し、そこから多くの読者を呼びこんだ。また、1998年から始まった「ラブひな」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。さらに、それまでの『マガジン』としては珍しかった「RAVE」「SAMURAI DEEPER KYO」「GetBackers-奪還屋-」などのファンタジー漫画・アクション漫画が立て続けにヒット。まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。
- 2000年 - 2005年
- 2000年代に入ると、1990年代中 - 後期の第2次黄金期を支えた主力作品の休載・終了が目立つようになり、部数は徐々に下降していった。そして2002年5月20日、副編集長が大麻所持で逮捕されるという衝撃的な事件がおきる。弱り目に祟り目となった『マガジン』はこの1年で部数が急落し、8月には再び『ジャンプ』に首位の座を奪われてしまう。ちなみに捕まった元副編集長は、その後逮捕事件について自伝を出版している。2003年にはCLAMPを少年誌の『マガジン』本誌に引き抜き、「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」を連載するというサプライズを見せる。またこの年に「魔法先生ネギま!」の連載が開始され、同作のメディアミックスが盛んに行われた。2004年40号から作者目次コメントが開始される[1]。「ラブひな」ヒットの影響からか、「スクールランブル」を始めとした萌え系や恋愛漫画などが多く誌面に見られるようになった。これらと従来の連載陣に加えて、『サンデー』から移籍した久米田康治が「さよなら絶望先生」の連載を開始したり、巻末漫画として「もう、しませんから。」が定着するなど、ギャグ漫画の分野でも個性的なヒット作が登場した。
- 2006年 - 2011年
- スポーツ漫画の新連載が大量に始まる。「巨人の星」のリメイク漫画、「新約「巨人の星」花形」の新連載が決定されたときは、テレビや新聞などの各種マスコミにも取り上げられた。ここ数年勢いがあった萌え系・ファンタジー系は最近はやや落ち着いてきている。その反面、「FAIRY TAIL」や「ダイヤのA」のヒットこそあったものの部数の減少に歯止めはかからず、2007年には発行部数が200万部を下回る。2008年には50周年記念として様々な企画を行い、ライバル誌の『サンデー』と協力して異例のコラボレーションを見せた。2009年3月17日「少年サンデー・少年マガジン創刊50周年大同窓会」が東京で開催された。一方テレビドラマ化の乱発やGTOの続編にあたる「GTO SHONAN 14 DAYS」を連載するも出版不況や「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」「魔法先生ネギま!」「エアギア」「さよなら絶望先生」などの人気作品の連載終了、さらに新連載の短期打ち切りなどが影響し発行部数は下がり続け、2011年には150万部を下回った。
- 2012年 -
- 2001年に連載が終了し、以降短期集中連載を行なっていた「金田一少年の事件簿」の定期連載を2012年に再開し、その続編となる「金田一少年の事件簿R」として通常連載する。またこれまで『ジャンプ』『サンデー』『チャンピオン』で連載を行っていた鈴木央が「七つの大罪」の連載を開始し、現在出版されている週刊少年漫画四誌すべてで連載を開始することになった[9]。この頃からスポーツ漫画の新連載が落ち着き、ジャンルが多種多彩になる。2013年1号に「はじめの一歩」が週刊少年マガジン初となる連載1000回を達成し、同年には「魔法先生ネギま!」の続編にあたる「UQ HOLDER!」の連載を開始。2015年1月7日、電子版の配信が開始される[10]。2016年は、2013年から2014年まで連載された「聲の形」が映画化されたが、発行部数は引き続き下がり100万部を下回った。
- 他誌で連載を持っていた漫画家による連載もますます盛んに行われ、2015年には『週刊ヤングマガジン』で連載を行っていた和久井健が初の少年誌漫画となる「デザートイーグル」、『月刊少年ガンガン』で連載を行っていた大久保篤が「炎炎ノ消防隊」、『ジャンプ』で連載していた甲斐谷忍が22年ぶりの週刊少年誌漫画「無敵の人」の連載を、2016年には『サンデー』や『別冊少年マガジン』で連載していた雷句誠が「VECTOR BALL」の連載を開始している。
この節の加筆が望まれています。 |
連載作品
以下、2017年8月23日(2017年38号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。
作品名 | 作者(作画) | 原作など | 開始号 | 備考 |
---|---|---|---|---|
はじめの一歩 | 森川ジョージ | - | 1989年43号 | 電子版には未掲載 |
あひるの空 | 日向武史 | - | 2004年2・3合併号 | |
ダイヤのA | 寺嶋裕二 | - | 2006年24号 | |
ベイビーステップ | 勝木光 | - | 2007年46号 | |
生徒会役員共 | 氏家ト全 | - | 2008年34号 | 『マガジンSPECIAL』より移籍 |
七つの大罪 | 鈴木央 | - | 2012年45号 | |
DAYS | 安田剛士 | - | 2013年21・22合併号 | |
金田一少年の事件簿R | さとうふみや(漫画) | 天樹征丸(原作) | 2013年52号 | 『金田一少年の事件簿』の続編にあたる、新シリーズ 不定期連載 |
風夏 | 瀬尾公治 | - | 2014年11号 | 『涼風』の続編 |
ドメスティックな彼女 | 流石景 | - | 2014年21・22合併号 | |
ルポ魂! | 岡田有希 船津紳平 |
- | 2014年32号 | 掲載順は基本巻末に固定 |
リアルアカウント | 渡辺静 | オクショウ(原案) | 2015年4・5合併号 | 『別冊少年マガジン』より移籍 |
徒然チルドレン | 若林稔弥 | - | 2015年20号 | 『別冊少年マガジン』より移籍 |
炎炎ノ消防隊 | 大久保篤 | - | 2015年43号 | |
星野、目をつぶって。 | 永椎晃平 | - | 2016年19号 | |
川柳少女 | 五十嵐正邦 | - | 2016年47号 | |
不滅のあなたへ | 大今良時 | - | 2016年50号 | |
東京卍リベンジャーズ | 和久井健 | - | 2017年13号 | |
杖ペチ魔法使い♀の冒険の書 | あわ箱 | - | 2017年24号 | |
ランウェイで笑って | 猪ノ谷言葉 | - | 2017年26号 | |
ワールドエンドクルセイダーズ | 不二涼介(漫画) | biki(原作) | 2017年28号 | |
彼女、お借りします | 宮島礼吏 | - | 2017年32号 | |
血戦の久遠 | 枩岡佳範 | - | 2017年35号 | |
五等分の花嫁 | 春場ねぎ | - | 2017年36・37合併号 |
表紙について
- 創刊号の表紙を飾ったのは朝汐太郎。
- 初めて表紙を飾った連載漫画は『ちかいの魔球』(1961年39号)。
- 初めて単体で表紙を飾った(人間以外の)動物はイルカ(1961年47号)[1]。
- 1970年23号の表紙(『巨人の星』がメイン)は、マガジン史上唯一の白黒の表紙だった[1](2015年現在)。
- 1970年には、横尾忠則が表紙構成(デザイナー)を務めた号が存在する(前述の1970年23号の表紙デザイナーも横尾)[11][12]。横尾の起用を提案したのは大伴昌司であった[11]。
- 『ターミネーター2』や『ジュラシック・パーク』など、実写映画が表紙を飾ったことがある[13]。2002年11号の表紙(真島ヒロ画による『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』のイラスト)は、創刊以来初となる実写映画と人気漫画家のコラボレーション表紙となった[13]。
読者コーナー
1960年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、1970年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後、「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「ジャンプ放送局」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「サンデー青春学園」の影響もあり、「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。このため、現在の週刊少年誌では唯一読者コーナーがない。
なお、ピモピモ広場でマスコットキャラクターとして活躍していた、鉄腕アトムみたいな髪型に眼鏡をかけたキャラクターには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただし、イラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラクターであった。流れとしては、ハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦し、ハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。
2008年に連載していたルポ漫画『発掘!マガジン野郎!!』にて、2人とも実在人物であることが判明しており、こく坊のモデルは小久保さんであった。ただし、ハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。
歴代編集長
- 牧野武朗(1959年 - 1964年)
- 井岡秀次(1964年 - 1965年)
- 内田勝(1965年 - 1971年)
- 宮原照夫(1971年 - 1980年)
- 三樹創作(1980年 - 1986年)
- 五十嵐隆夫(1986年 - 1997年)
- 野内雅宏(1997年 - 2004年)
- 工富保(2004年 - 2005年)
- 森田浩章(2005年 - 2013年)
- 菅原喜一郎(2013年 - 在職中[14])
発行部数
- 1959年 20万5000部(創刊号)[1]
- 1968年新年増大号 120万部[15]
- 1970年3号 150万部[16]
- 1995年 436万部(本誌の最高記録)
- 1998年 425万部
- 2000年 405万部
- 2001年 380万部
- 2002年 364万部
- 2003年 319万部
- 2004年 272万部
- 2005年 236万部
- 2006年 215万部
- 2007年 187万部
- 2008年 178万部
2008年16号時点での本誌累計発行部数は約45億5000万部である[1]。
1〜3月 | 4〜6月 | 7〜9月 | 10〜12月 | |
---|---|---|---|---|
2008年 | 1,755,000 部 | 1,720,000 部 | 1,691,667 部 | |
2009年 | 1,664,167 部 | 1,633,334 部 | 1,614,616 部 | 1,593,637 部 |
2010年 | 1,571,231 部 | 1,565,000 部 | 1,556,250 部 | 1,551,819 部 |
2011年 | 1,529,693 部 | 1,491,500 部 | 1,489,584 部 | 1,472,084 部 |
2012年 | 1,447,500 部 | 1,436,017 部 | 1,412,584 部 | 1,404,834 部 |
2013年 | 1,376,792 部 | 1,357,000 部 | 1,324,209 部 | 1,308,117 部 |
2014年 | 1,277,500 部 | 1,245,417 部 | 1,211,750 部 | 1,192,267 部 |
2015年 | 1,156,059 部 | 1,127,042 部 | 1,107,840 部 | 1,085,110 部 |
2016年 | 1,038,450 部 | 1,015,659 部 | 995,017 部 | 986,017 部 |
2017年 | 964,158 部 | 932,713 部 |
講談社コミックスマガジン
単行本は講談社コミックスレーベルで発行される。通称少年マガジンコミックス。コード番号はKCM406から振られているが、これは1~405までの番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。
- デザインの特徴は、初代では表紙の上部に「Kodansya Comics マガジン」の表記が使用され、背表紙にはKとCの間にマガジンと黒文字と黄色のバックが使用された。
- 1984年の2代目では、現在(2011年)にも雑誌のロゴマークとして使われているピモピモを使用し、「SHONEN MAGAZINE COMICS」と表記され、斜め向きの旗風のデザインを1995年頃まで使用した。現在連載中の作品では「はじめの一歩」のみ使用し続けている。
- 1996年頃から、デザインを一新し、KCロゴとマガジンの旗印の「MAGAZINE」を組み合わせたデザインを採用。KC部分の色が作家によって自由に指定ができるようになっている。現在も使用されている。
- 2008年時点で、累計約10億部が発行されている[1]。
- 2008年時点で最大の発行部数の巻は、『金田一少年の事件簿』第1巻の約275万部[1]。
- 節目の通番は以下のとおり。
通番 | 作品 | 巻 |
---|---|---|
1番(KC1) | ハリスの旋風 | 1巻 |
406番(KCM406) | 別冊天才バカボン | 2巻 |
500番(KCM500) | 多羅尾伴内 七つの顔をもつ男 | 1巻 |
1000番(KCM1000) | あした天気になあれ | 19巻 |
1500番(KCM1500) | あした天気になあれ | 47巻 |
2000番(KCM2000) | 欠番[1] | |
2500番(KCM2500) | 欠番[1] | |
3000番(KCM3000) | 欠番[1] | |
3500番(KCM3500) | 欠番[1] |
増刊号
派生誌およびウェブコミック誌
本誌と同一の編集部
- マガジンSPECIAL
- 別冊少年マガジン
- マガジンドラゴン(本誌増刊)
- マガジンワンダー(本誌増刊)
本誌と別の編集部
マンガ雑誌アプリ
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「MAGAVIA 50 週刊少年マガジンのトリビア50選」『週刊少年マガジン』2008年16号。
- ^ 2004年からは『もう、しませんから。』→『ちょっと盛りました。』がそれにあたる。
- ^ 『別マガ』班長は今日も困っている。 掲載順はいかにして決まるか(H本)
- ^ 『神to戦国生徒会』などが挙げられる。
- ^ なお、ヒロユキの実姉は恵広史であり、現在二人揃って別の作品で連載を行なっている。
- ^ アニメ版の制作局は讀賣テレビ放送
- ^ アニメ版の制作局はフジテレビ
- ^ (続編が連載途中でマガジンSPECIALに移動した『コータローまかりとおる!』は除く)
- ^ 生存している漫画家で「四大週刊少年漫画誌」だけに限ればつのだじろうと小林よしのり、永井豪が該当する。三人は現在休刊となっている『週刊少年キング』でも連載を行っているが、つのだじろうは『ジャンプ』、小林は『サンデー』での定期連載を行っていない。永井のみ当時の5つの週刊連載誌全てに同時連載した記録を持つ。なお、『キング』を含めた「五大週刊少年漫画誌」すべてで連載を行った漫画家として手塚治虫や赤塚不二夫がいる。
- ^ “講談社、全漫画雑誌を紙と同時に電子化へ 「ヤングマガジン」など3誌からスタート”. ITmedia NEWS (2015年1月5日). 2017年3月9日閲覧。
- ^ a b 『怪獣博士!大伴昌司「大図解」画報』河出書房新社、2012年、109-111頁。ISBN 978-4-309-72796-7。
- ^ 70年代の週刊少年マガジン、横尾忠則そして大伴昌司、まんだらけ 札幌店 ヴィンテージ 毎日入荷情報、2012年10月30日 21:00:00。
- ^ a b 週刊少年マガジンの表紙に特別イラスト、スポニチアネックス、2003年2月11日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ 週マガ・別マガ・マガスペ3誌の編集長が同時に交替へ(2013年6月4日、コミックナタリー)
- ^ 『週刊少年マガジン』1968年14号。(週刊少年マガジン(編集)『少年マガジンの黄金時代 特集・記事と大伴昌司の世界』講談社、2008年、59頁。ISBN 978-4-06-364731-0。)
- ^ 『週刊少年マガジン』1970年2号、3号。(『少年マガジンの黄金時代 特集・記事と大伴昌司の世界』62-64頁)
関連項目
- 週刊少年マガジン連載作品の一覧
- 週刊少年マガジン新人漫画賞
- 講談社スーパーキャラクターフェスティバル(Kフェス) - 講談社主催のイベント
- 新少年快報 台湾で発売されている週刊少年漫画雑誌。少年マガジン連載作品を多く連載している。