「小乗」の版間の差分
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[[上座部]]系のスリランカ[[分別説部]][[マハーヴィハーラ|大寺派]]に発するとされる<ref>『岩波 仏教辞典』781頁、「南伝仏教」の項。および521頁、「上座部」の項。</ref>今日の[[南伝仏教]]を日本では小乗仏教と呼ぶこともあるが、小乗の語の由来に鑑みると不適切であるとされる<ref name="岩波仏教辞典52" />{{efn|今日の南伝仏教は[[上座部仏教|テーラワーダ(長老)仏教]]を自称し<ref>『岩波 仏教辞典』781頁、「南伝仏教」の項</ref>、[[上座部仏教]]、上座仏教と呼ばれている。}}。 |
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== 大乗との差異 == |
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[[竹村牧男]]は、大乗と小乗(部派)の違いについて、小乗(部派)では人間は釈尊にはほど遠く、修行しても及ばないと考えられているのに対して、大乗では人間は釈尊と同じ仏になれると考えられているとしている。また、小乗(部派)では修行の最終の地位は阿羅漢であるのに対して、大乗では最終的に仏となることを目標に掲げるとしている<ref>[[竹村牧男]] 『インド仏教の歴史 - 覚りと空』 講談社、講談社学術文庫、2005年7月、133頁および140頁。</ref>。 |
[[竹村牧男]]は、大乗と小乗(部派)の違いについて、小乗(部派)では人間は釈尊にはほど遠く、修行しても及ばないと考えられているのに対して、大乗では人間は釈尊と同じ仏になれると考えられているとしている。また、小乗(部派)では修行の最終の地位は阿羅漢であるのに対して、大乗では最終的に仏となることを目標に掲げるとしている<ref>[[竹村牧男]] 『インド仏教の歴史 - 覚りと空』 講談社、講談社学術文庫、2005年7月、133頁および140頁。</ref>。<--> |
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== 仏典における扱い == |
== 仏典における扱い == |
2017年9月19日 (火) 17:03時点における版
小乗(しょうじょう、梵: हीनयान Hīnayāna)とは仏教用語で[1]、劣った(ヒーナ)乗り物(ヤーナ)を意味する語[2]。個人の解脱を目的とする教義を、大乗側が劣った乗り物として貶めて呼んだものであり[1]、中立的な呼び名ではない[3]。
概要
衆生の救済を目的とする教義(大乗、大乗仏教、偉大な乗り物)と対比的に用いる。菩薩行を称え、自らの教えを大乗と僭称する集団が、声聞乗と縁覚乗の二乗をまとめて小乗と呼んだ(この場合の声聞乗は当時の部派仏教を指していたとされる)[4][注釈 1][注釈 2]。
語の成立と用法
小乗の語は、大乗経典の発展史のなかでは大乗の語よりも遅れて成立しており[8]、大乗の興起した時代の最初期には、大乗が対立する既存の伝統仏教を小乗(hinayāna)と名指すことはなかった[9]。小乗の語は、大乗経典が成立する過程において、その一部に考案されて用いられ、その指示対象も限定されていた[9]。すなわち説一切有部のみを、もしくはその中の一派のみを小乗と呼んだことが、ほぼ論証されている[8]。小乗仏教の語が出現した時代に小乗と名指された部派仏教がこれを自称したわけではない[4]。三枝充悳は、小乗という語が濫用されるのはごく特殊であるとしている[10]。
小乗を侮蔑的に用いた他の事例としては、古代・中世において延暦寺の僧侶が自寺の戒壇を「大乗戒壇」と呼び、大乗戒壇を認めようとしない東大寺の戒壇を「小乗戒壇」と呼んで非難していたことがあった。こうした表現は今日では延暦寺も避け、東大寺などの南都(奈良)やその系統の戒壇を「南都(系)戒壇」と呼ぶことが多い。[要出典]
現代における使用例
上座部系のスリランカ分別説部大寺派に発するとされる[11]今日の南伝仏教を日本では小乗仏教と呼ぶこともあるが、小乗の語の由来に鑑みると不適切であるとされる[4][注釈 3]。
仏典における扱い
初期仏教の仏典に由来するとされる阿含経の漢訳のなかでは、瞿曇僧伽提婆(ゴータマ・サンガデーヴァ)訳「増一阿含経」に小乗という漢語の使用が1例だけみられる[13][注釈 4]。
脚注
注釈
- ^ 大乗仏教は声聞乗と縁覚乗と菩薩乗を三乗とし、このうち声聞と縁覚の二乗を小乗として斥けた[5]。
- ^ 大乗の語自体は、漢訳の阿含経のなかにも見い出される[6]。阿含経は原始仏教聖典とされる経典群。北方仏教所伝の現存する漢訳の四阿含は、それぞれ個別の部派が伝持していたものに由来しており、南方仏教所伝のパーリ語聖典のニカーヤとある程度の対応関係がある[7]。
- ^ 今日の南伝仏教はテーラワーダ(長老)仏教を自称し[12]、上座部仏教、上座仏教と呼ばれている。
- ^ 増一阿含経の所属部派は不明で[14]、大衆部所伝との説もあるが[15]、大乗教徒によって伝えられ修飾されたものという見解もあり(平川彰による)[16]、大乗仏教の影響を受けているとの指摘がある[15]。
出典
- ^ a b 「しょう‐じょう」 - デジタル大辞泉
- ^ 「小乗仏教」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- ^ 「しょうじょうぶっきょう」 - 世界大百科事典 第2版
- ^ a b c 『岩波 仏教辞典』52頁、「小乗」の項。
- ^ 平岡聡『大乗経典の誕生』筑摩書房〈筑摩選書〉、2015年、126頁。
- ^ 大乗 (阿含部・毘曇部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 平岡聡『大乗経典の誕生』筑摩書房〈筑摩選書〉、2015年、41-44頁。
- ^ a b 中村元・三枝充悳 『バウッダ』 小学館、小学館ライブラリー、1996年4月、337-338頁。
- ^ a b 中村元・三枝充悳『バウッダ』小学館ライブラリー、226頁、337-338頁。
- ^ 中村元・三枝充悳 『バウッダ』 小学館、小学館ライブラリー、1996年4月、226頁。
- ^ 『岩波 仏教辞典』781頁、「南伝仏教」の項。および521頁、「上座部」の項。
- ^ 『岩波 仏教辞典』781頁、「南伝仏教」の項
- ^ 小乗 (阿含部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 平岡聡『大乗経典の誕生』筑摩書房〈筑摩選書〉、2015年、42頁。
- ^ a b 『大蔵経全解説大事典』雄山閣、31頁。
- ^ 静谷正雄「漢訳『増一阿含経』の所属部派」