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「林家たい平」の版間の差分

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=== 家庭 ===
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家族は同年齢である妻の[[田鹿千華]]と2男1女。千華は[[仙台市]]出身で、たい平と結婚する前は[[リクルート]]に勤務しており、一時は[[フリーアナウンサー]]([[フリー]][[ニュースキャスター|キャスター]])業を行っていたこともある。『笑点』の大喜利などでも度々名前が出ており、前司会者・桂歌丸の冨士子夫人を上回る「[[恐妻家|恐妻]]」として紹介されている。
家族は同年齢である妻の[[田鹿千華]]と2男1女。千華は[[仙台市]]出身で、たい平と結婚する前は[[リクルートホールディングス]]に勤務しており、一時は[[フリーアナウンサー]]([[フリー]][[ニュースキャスター|キャスター]])業を行っていたこともある。『笑点』の大喜利などでも度々名前が出ており、前司会者・桂歌丸の冨士子夫人を上回る「[[恐妻家|恐妻]]」として紹介されている。


しかし、たい平は『笑点』で「(千華は)誰に対しても怖いわけではない」と述べている<ref>2011年5月8日放送分</ref>。[[東日本大震災]]では千華のおじが亡くなったこともあり、たい平は[[宮城県]]で慰問を兼ねた救援活動を行っている。千華は『笑点』で名が知れてしまったこともあり、2010年12月に夫が公式ブログを開設しているアメーバブログで個人ブログを始めた([[#外部リンク]]参照)。
しかし、たい平は『笑点』で「(千華は)誰に対しても怖いわけではない」と述べている<ref>2011年5月8日放送分</ref>。[[東日本大震災]]では千華のおじが亡くなったこともあり、たい平は[[宮城県]]で慰問を兼ねた救援活動を行っている。千華は『笑点』で名が知れてしまったこともあり、2010年12月に夫が公式ブログを開設しているアメーバブログで個人ブログを始めた([[#外部リンク]]参照)。

2019年9月13日 (金) 05:50時点における版

林家(はやしや) たい(へい)
林家(はやしや) たい平(へい)
花菱は林家三平一門の定紋である。
なお、笑点で着用する着物の紋も同じ。
本名 田鹿 明(たじか あきら)
生年月日 (1964-12-06) 1964年12月6日(59歳)
出身地 日本の旗 日本埼玉県秩父市
師匠 林家こん平
出囃子 ぎっちょ
活動期間 1988年 -
活動内容 古典落語
配偶者 田鹿千華
所属 落語協会
受賞歴
平成19年度芸術選奨大衆芸能部門文部科学大臣新人賞
備考
落語協会理事(2014年 - )

林家 たい平(はやしや たいへい、1964年12月6日 - )は、埼玉県秩父市出身の落語家。本名は田鹿 明(たじか あきら)。林家こん平の弟子。落語協会所属、所属事務所は株式会社オフィスビーワン。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業[1]。武蔵野美術大学客員教授。言霊群団「夢吽空」団員。「駄句駄句会」同人、俳号は「中瀞(ちゅうとろ)」。血液型はB型。人気演芸番組『笑点』(日本テレビ系列)の大喜利メンバー。

出囃子は『ぎっちょ』(「ドラ落語」の際は『夢をかなえてドラえもん』(以前は『ドラえもんのうた』だった))。定紋は『花菱』(「ドラ落語」の際は『鈴』)。芸名にちなんで手ぬぐいや色紙・著書などに、の絵柄をよく用いる。

愛称は、「たいちゃん」。これは、たい平の師匠であるこん平の愛称「こんちゃん」に由来する。

人物

埼玉県立秩父高等学校を経て、1988年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後[2][3]、林家こん平に入門したという落語家としては異色の経歴を持つ。実家はかつてテイラーメイドの洋服店を営んでおり、現在は実母が駄菓子店「駄菓子屋たい平」を、実兄がうどん店「うどん亭たじか」を経営している。洋服店時代は店内において落語の寄席が催されたことがある。

「たい平」の名付け親は、師匠のこん平である。しかし、当初の読みは「たいぺい」であった。こん平曰く「外国人にも語呂的に伝わりやすい」という理由だったが、大師匠初代三平の夫人・海老名香葉子の「"たいへい"の方が良いのでは」の鶴の一声に「たいへい」に決まった[4]。なお、こん平は弟子入りをすぐ認めたわけではなく、香葉子夫人の自宅で1年間の住み込み修行をさせた上で、正式に弟子入りを認めている。また、弟子入り後も海老名家での修行は続き、合計6年間にも及んだ。

生まれ故郷の秩父に愛郷心を抱いている。『笑点』(日本テレビ)でも時々挨拶の際に、秩父でのイベント情報などを盛り込んで秩父のことを紹介しており、毎年11月下旬には翌月開催の秩父夜祭を大々的にPRしており、参加の様子は派生番組の『笑点 特大号』で放送されている。2009年に俳優の藤原竜也、演歌歌手の冠二郎THE ALFEE桜井賢と共に秩父市の観光大使に任命された[5]。 『笑点』の大喜利では大月秩父代理戦争ネタを三遊亭小遊三と展開していたが、2010年6月6日大月市で行われた独演会では、秩父市長・久喜邦康と小遊三と同窓の大月市長・石井由己雄も交えてトークバトルが行われた。さらに、同年10月24日には、「第2弾」として、秩父市で両市長も交えたトークバトルが行われた[6]

落語家を目指すきっかけは、大学に入学した際にふと立ち寄った落研サークルが当時は廃部寸前だったため、何とかしなければと友人数名を集めて廃部を撤回させたことにある。落研サークルでの高座名は「遊々亭迷々丸(ゆうゆうてい めめまる)」。その当時は落語を観たことも聴いたこともなかったために漫才コントをやっていたが、後にたまたまラジオで流れていた人間国宝5代目柳家小さんの『粗忽長屋』を聴いて感動し、真剣に落語を始めた[2]。また、武蔵野美大出身という学歴を活かし、著書や自身のCDの挿絵を自ら担当するなど画才でも知られる。また、同じく絵を描くことで知られている林家木久扇の絵のアシスタントをしていたことがある。

日本テレビ系列の長寿番組『笑点』に、2004年12月26日放送分から病気療養のために休演した師匠こん平の代役として出演。後に正式メンバーとなり、現在も出演し続けている。

2006年2月18日昼に放送された、深夜番組『歌スタ!!』(日本テレビ)のスペシャル版『ハンター全員出席! 各界うたいびとガチガチデビューSP』に出演。BEGINの『恋しくて』を歌い、ウタイビトハンターが合格を意味する“よろしく”の札を上げた。その後『笑点』の大喜利で、挨拶や答えの機会を利用して『歌スタ!!』での合格や出演、歌手デビューについて宣伝した。古典落語の『芝浜』にヒントを得た『芝浜ゆらゆら』(作曲・編曲:マシコタツロウ)でCDデビュー(2006年10月18日コロムビアミュージックエンタテインメントから発売)。2006年10月14日21日(再放送)放送の『BS笑点』(BS日テレ)では、たい平司会のコーナー「使ってみよう! 落語ことば」の時間を利用して1コーラス披露した。『笑点』の司会者(当時)・桂歌丸からはそれをネタにされ、「あのね、歌のCDなんか出さずに落語のCD出しなよ」と言われているが[7]、落語のCDはすでに複数リリースしている。

『芝浜』の舞台設定などを現代風にアレンジした『SHIBAHAMA』という自作もあり、文化放送で『芝浜』のラジオドラマが制作された際にはアドバイザーを務めている。

2006年10月に登場した日本テレビのマスコットキャラクター「日テレちん」の声を担当している。

2007年4月から尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の非常勤講師を、2010年4月から母校である武蔵野美術大学(本人曰く「ムサビ」)の客員教授を務めている。

2016年5月29日放送の『笑点』にて、同年の『24時間テレビ39「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)のチャリティーマラソンランナーを務めることが発表され[8]、同年8月28日には3か月前に『笑点』の司会から勇退した歌丸の本名「椎名巌」にかけて設定された100.5キロメートル(いわおGO)の道のりを完走した。放送直後の『行列のできる法律相談所』に生出演した際には、マラソンに備えて体重を10キログラム落としたことなど裏話を語ったほか、大好きという女子プロテニス選手のクルム伊達公子や特撮テレビヒーローのミラーマンがご褒美ゲストとして駆けつけ、たい平へのプレゼントをそれぞれ手渡した[9]

2017年11月29日、自身が『木久蔵ラーメン』に対抗して制作した『秩父たい平カレー』が発売された。

2018年12月2日から3日に開催された秩父夜祭りにて、屋台の上に乗り曳き手を鼓舞する囃子手を務めた[10]

一門・弟子

落語家の直弟子を取っていないが、非公式(番組内で、たい平曰く「芸能人特別枠」と称している)ながらも林家テリ平(テリー伊藤)、林家たいペー(林家ペー)がいるため、2008年には「たい平一門かい?」と称する独演会が開けるようになったが、「2人とも自分より年上でわがままなので、師匠である私の言うことをまったく聞いてくれない」とネタにしている。ほかに、テリー同様、『テリーとたい平のってけラジオ』で共演した正木あずみが2010年10月に三味線漫談家として弟子入りし、林家あずみの高座名を名乗っている。彼女は、落語協会が公認した初の直弟子(色物)として扱われている。また、上記とは別に、正式な落語家の弟子を取ろうとしたこともあり、たい平の元で見習いとして働いた人物がいるが、弟子入りを志願した当時には既に40歳を迎えており、且つ落語協会の規定変更により40歳以上は前座として登録することができないことが判明したため、たい平門下への弟子入りを断念している。この人物はたい平の紹介により、三遊亭好楽に改めて入門し、現在は三遊亭鯛好(前座時代の名前は「たい好」)として活動している[11]

2019年6月、長男がたい平門下に二番弟子として入門。8月10日の横浜にぎわい座の独演会で林家さく平として初高座「転失気」を務めた[12][13]

家庭

家族は同年齢である妻の田鹿千華と2男1女。千華は仙台市出身で、たい平と結婚する前はリクルートホールディングスに勤務しており、一時はフリーアナウンサーフリーキャスター)業を行っていたこともある。『笑点』の大喜利などでも度々名前が出ており、前司会者・桂歌丸の冨士子夫人を上回る「恐妻」として紹介されている。

しかし、たい平は『笑点』で「(千華は)誰に対しても怖いわけではない」と述べている[14]東日本大震災では千華のおじが亡くなったこともあり、たい平は宮城県で慰問を兼ねた救援活動を行っている。千華は『笑点』で名が知れてしまったこともあり、2010年12月に夫が公式ブログを開設しているアメーバブログで個人ブログを始めた(#外部リンク参照)。

『笑点』でも東日本大震災から半年後の2011年9月11日に「笑点がやってきた!」という宮城県石巻市の復興特集を行ったことがあり、石巻市立大街道小学校での収録をたい平自身も木久扇・春風亭昇太山田隆夫とともに参加した。

2008年夏には子供を連れて靖国神社のみたままつりを訪れた事を自身のブログで報告している[15]

たい平は自身の私邸を新築する時に自ら希望して囲炉裏部屋を拵えた。その囲炉裏を囲んで子供たちと会話する時間を大切にしているという[16]

大喜利メンバーとして

著書『笑点絵日記』でも記されている通り、たい平は子供の頃から『笑点』の大ファンだった。

演芸コーナーで若手大喜利が行われた時代から出演していたメンバーでもある。1998年7月に山田隆夫が4週間休んだ際、大喜利下克上(若手大喜利)にてMVPに選ばれ、1週のみ(第1623回の7月12日)山田の代わりに座布団運びを務め、師匠・林家こん平と師弟での共演を果たした。1999年の正月特番で行われた師弟大喜利でも、師弟での共演を果たしている。『笑点Jr.』にも、『BS笑点』時代から出演していた。

先述通り、2004年12月26日放送分よりこん平の代役として、若手大喜利から選抜されて大喜利に出演。初出演の挨拶では緊張のあまり、「たい平で〜す」と言うべきところを「こん平で〜す」と言ってしまった[17][18]。当初は「復帰まで師匠の座席を死守しなければ」という思いで臨んでいたが[19]2006年5月21日の放送分から若手大喜利の司会だった春風亭昇太の加入と同時に正式なメンバーに昇格した。代役当時は立場を意識してからか、初期の挨拶では「師匠のこん平に尋ねたところ〜」と言って挨拶をはじめ、締めは両手を真上に突き上げて、こん平の「新潟生まれ」を真似た「秩父生まれのたい平でーす」としゃべるなど、こん平の挨拶ネタをよく用いていた。現在では最後の部分だけが残り、「(○○の)たい平です」で挨拶を締める。

地方収録では、師匠のこん平に地方収録に行くことを報告したところ「お前は○○(収録地)生まれだ」と言われてきて、「○○生まれの秩父育ち、たい平です」で挨拶を締めることが見られる。

2005年6月12日放送で5代目圓楽に自分の名前を忘れられたことがあり[17]、その後このネタがたい平の冒頭の挨拶や大喜利のネタなどで使われるようになった。5代目圓楽はたい平の「外国人パブ」「モノマネ」など『BS笑点』時代からの持ちネタを試行錯誤の末に確立させたことについて「独自の芸風を確立してよくなってますね」と評価していた(笑点の40周年記念ムック本)。

4代目司会者の5代目圓楽が療養のため休演した際、大喜利メンバーが週交代で代理司会を担当していた(2005年11月27日放送分以降は、桂歌丸に固定)が、大喜利メンバーの中でたい平だけが司会を務めなかった。これはたい平本人によれば、「自分は、あくまで師匠・こん平の代理として出演していており、師匠を差し置いて司会を務めることは出来ない」という理由によるものであった。レギュラーメンバー昇格後の2008年6月29日放送分は司会の歌丸が腰の手術で一時休演した際、大喜利の代理司会を務めた(この日の冒頭は、木久扇と楽太郎〈現:6代目圓楽〉が担当)。「ターボが回転しすぎて、収録後に鼻血が出た」という(笑点オフィシャル本より)。後に歌丸が休演した2015年2月1日8月16日放送分も代理司会を担当した。

2010年の正月特番では、「親子大喜利」コーナーで息子とペアを組んだ。また11月に行われた甥の結婚披露宴では新郎新婦を祝福する挨拶をシャレを交えて行っている。

歌丸が正式な司会に就任後「(回答形式で必要な物以外の)歌・ものまね禁止(披露すれば最低でも1枚剥奪の対象)」と述べているが、その発端は大概たい平である。

以前は師匠のこん平の流れで「山田降ろしネタ」などが多く、5代目圓楽司会時には山田に突き飛ばされたり、座布団をすべて没収されていたが、歌丸・昇太が司会を務めてからは、報復こそされるものの山田が没収した分+1枚を獲得することが多い。最近は三遊亭小遊三との地元罵倒合戦(大月秩父代理戦争)や恐妻家ネタ、「秩父○○祭り」、6代目円楽とのブラック団ネタ(お互い自分の師匠に対して毒を盛って現在の笑点の利権を得た)、など他のメンバーとの絡みも多くなっている。ほか、「花火」のものまねのような、アクションの派手なギャグも得意としている[20]が、たいていこれらのネタを披露すると座布団を2枚以上から全部、時には他のメンバーまでも巻き込んで剥奪されるのがお約束となっている[17]。『秩父たい平カレー』を発売(発表)してからは、木久扇(木久蔵ラーメンや木久扇ナポリタンなど)と互いの商品を罵倒し合う事が多くなっている。また、その時々の流行[21]や政治・経済を取り上げる社会派ネタも行っている[22]。司会になった春風亭昇太に対して、結婚前は「孤独死や未婚率が高いことや少子化」ネタを言っていた。

略歴

得意演目

ものまねレパートリー

多くは『笑点』の『大喜利』の回答で披露するが、『大喜利』ではルール上歌やものまねは禁止のため、大概は座布団を没収される(回答の良さによっては、例外あり)。

あ行

か行

  • 桂宮治
  • ガッツ石松
  • 桑田佳祐サザンオールスターズ) - たい平自身デビュー当時からのサザンのファンで、中学時代から桑田のものまねをしていたと語っている[26]。「ものまねにとどまらず自分の歌い方で歌いたいものの、どうしても地声でカッコよく歌えない」といった悩みを「キャラオケ18番」(日本テレビ)で「東京VICTORY」を歌った際に吐露しており[27]、千華とのデートの二次会のカラオケで「いとしのエリー」を歌い、ものまねをしたつもりはなかったにも関わらず、千華に「マネじゃなくて自分の声で歌ったら?」と言われたエピソードが存在している[28]
  • 郷ひろみ
  • 小島よしお
  • ゴルゴ松本TIM) - 顔やヘアースタイルが似ていることをネタにしている。

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

わ行

  • 和田アキ子
  • 渡部陽一 - 笑点の問題でも平成22年12月26日放送2010年忘れ大喜利2247回の第2問で出題されたことがある。

著名人

  • 2代目広沢虎造
  • 5代目春風亭柳昇 - 春風亭昇太の師匠である。
  • 9代目中村福助(落語『七段目』にて披露することが多い。本人曰く『志村けんの声をマスターし、トーンを高くするとできる』らしい)
  • 12代目市川團十郎(落語『七段目』にて披露することが多い。本人曰く『喉の奥に指をいれながらしゃべるとできる』らしい。福助のものまねと團十郎のものまねは、この落語の主役である芝居好きの若旦那が、自分の店の番頭に『一芸ぐらいできずどうする』と 歌舞伎役者の声色を教えるシーンで使われる。

その他

  • ウグイス
  • オカマ - オネエとも称される。女設定キャラで実は男だった、あるいはその逆というネタも定番。
  • 歌舞伎役者 - 「こいつは春から縁起がいい(三人吉三廓初買)」など
  • 車内放送 ※現在秩父鉄道の「パレオエクスプレス」にて沿線の観光地や名所案内を担当している。
  • DJポリス
  • ニワトリ
  • 花火 - 口笛で打ち上げ時の音を出した後、手で豪快に床を叩き、最後に飛び上がって大きな音を出す。客席ウケは良いがホコリが舞うので司会者にはよく思われておらず、披露後は高確率で座布団を没収される。2013年から放送されている「笑点 特大号」では、このネタをモチーフとしたオープニングアニメーションが使用されている。
  • 力士 - 2011年大相撲八百長問題で「最初は流れで、後はワーッとよろしく」と「八百長メール」をネタにしていた。

など。

出演

現在の出演番組

テレビ

ラジオ

  • 林家たい平 たいあん吉日!おかしら付き♪(文化放送、2016年4月3日 - )

過去の出演番組

テレビ

ラジオ

テレビドラマ

CM

映画

配信

  • 林家たい平のトーク落笑亭!(Scatch.TV

Vシネマ

著書

CD

  • 「林家たい平落語集〜たい平よくできました〜」コロムビアミュージックエンタテインメント/2004年4月21日発売
  • 「林家たい平落語集〜たい平よくできました2〜」コロムビアミュージックエンタテインメント/2005年5月25日発売
  • 「林家たい平落語集〜たい平よくできました3〜」コロムビアミュージックエンタテインメント/2006年4月26日発売
  • 芝浜ゆらゆら」コロムビアミュージックエンタテインメント/2006年10月18日発売
  • 「林家たい平落語集〜たい平よくできました4〜」コロムビアミュージックエンタテインメント/2007年4月25日発売
  • 「林家たい平落語集〜たい平よくできました5〜」コロムビアミュージックエンタテインメント/2008年4月23日発売
  • 「林家たい平落語集 たい平のはじめの一歩」コロムビアミュージックエンタテインメント/2009年4月22日発売
  • 「林家たい平落語集 たい平落語 粗忽長屋/干物箱」コロムビアミュージックエンタテイメント/2010年4月21日発売
  • 「林家たい平落語集 たい平落語 紙屑屋/らくだ」日本コロムビア/2011年4月20日発売
  • 「林家たい平落語集 たい平落語 禁酒番屋/文七元結」日本コロムビア/2012年4月18日発売
  • 「林家たい平落語集 たい平落語 井戸の茶碗/藪入り」日本コロムビア/2013年4月17日発売

映像作品

関連項目

脚註

  1. ^ 「笑点Q&A 林家たい平」笑点 日本テレビ公式サイト
  2. ^ a b 林家たい平『笑点絵日記』、ぴあ、2007年 ISBN 978-4-8356-1655-1
  3. ^ 大学の先輩に6代目柳家つば女がいる。
  4. ^ 林家たい平『たいのおすそ分け』、主婦と生活社、2006年 ISBN 4-391-13315-6
  5. ^ 全国へ秩父を発信! ~秩父市観光大使~ 秩父市役所 (PDF)
  6. ^ 林家たい平師匠&三遊亭小遊三師匠 「秩父VS大月 バトルトーク」 in秩父”. 秩父市. 2016年6月18日閲覧。
  7. ^ “放送内容 第2038回”. 笑点. http://www.ntv.co.jp/sho-ten/02_week/061022/week_03.html 2017年1月8日閲覧。 
  8. ^ “林家たい平『24時間テレビ』マラソンランナーに決定 涙目で決意「頑張ります」”. オリコン. (2016年5月29日). http://www.oricon.co.jp/news/2072457/full/ 
  9. ^ “林家たい平 感動ゴールの裏で…木久蔵ラーメンで陣中見舞いするトボけた師匠”. Sponichi Annex. (2016年8月28日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/28/kiji/K20160828013252800.html 
  10. ^ “林家たい平さん「ホ―リャイ」、上町屋台で囃し手に 2日から秩父夜祭、一生に一度の晴れ舞台「感無量」”. 埼玉新聞. (2018年12月14日). https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181202-00010010-saitama-l11 
  11. ^ 田鹿千華. “涙があふれました、うれしくって☆”. 千華のおかみさん日記. 2018年3月15日閲覧。
  12. ^ 横浜にぎわい座(@nigiwaiza) (2019年8月10日). “「天下たい平」終演です。”. twitter. 2019年9月1日閲覧。 “祝!弟子の林家さく平の初高座。”
  13. ^ 加藤たけし@落語サイド(@takeshibassman) (2019年8月11日). “【落語見聞録2019/8/10横浜にぎわい座】『林家たい平独演会 天下たい平Vol.94』”. twitter. 2019年9月1日閲覧。 “①開口一番「転失気」林家さく平 この春入門の二番弟子〝さく平〟さんの初高座。”
  14. ^ 2011年5月8日放送分
  15. ^ みたま祭 | 林家たい平オフィシャルブログ 「たい平のそら色チューブ」2008年7月16日ameba
  16. ^ 林家たい平. “林家たい平の一語一会 Vol.17”. 旅びとよ 2017冬 Vol.3. ルートインホテルズ. 2018年2月18日閲覧。
  17. ^ a b c ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』82ページ
  18. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』86ページ
  19. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』80ページ
  20. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』84ページ
  21. ^ 放送内容 第2262回”. 笑点Web. 日本テレビ放送網 (2011年4月24日). 2011年4月27日閲覧。
  22. ^ 『笑点』で円楽、たい平、木久扇が安倍政権批判ネタを連発して炎上! 圧力に屈しないベテラン落語家たちの心意気2018年5月31日 ライブドアニュース
  23. ^ 柳亭市馬 最年少52歳落語協会会長に 副会長に正蔵 スポーツニッポン 2014年6月26日閲覧
  24. ^ たい平と同じ埼玉県秩父市出身で、出身中学校も同じでたい平の後輩であり本名も同じ「あきら」と共通点が多い。たい平は弟分のように扱っている。
  25. ^ 元は、キンチョールCM出演時のセリフ「つまらん、お前の話はつまらん」に由来。2012年11月4日放送の笑点の大喜利2問目では、「お前の話はつまらん」から「○○の××はつまらん!」がお題となり、たい平だけがいつもの調子のモノマネで回答していた。
  26. ^ 林家たい平が選ぶ「カラオケで、車のなかで、桑田佳祐と一緒に歌いたい」20曲日経トレンディネット
  27. ^ 来店記録 日本テレビ
  28. ^ 林家たい平が選ぶ「カラオケで、車のなかで、桑田佳祐と一緒に歌いたい」20曲日経トレンディネット
  29. ^ ごく稀に六代目円楽が仕返しとしてこのものまねで自身を突き飛ばしたり、バレバレの状態であった場合はものまねする直前に司会者が自らネタを打ち切ることもある。最近ではネタが始まる前に六代目円楽・昇太→三平・木久扇が避難し、座布団をどかしたり罠(扇子や問題で使用されている小道具などを突き立てる)を仕掛けてネタを妨害することが多い。
  30. ^ “黒い”林家たい平登場、帰ってきたジュウオウジャーに悪のボス役で出演 ORICON NEWS 2017年3月1日

外部リンク