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山形西高卒業後[[お茶の水女子大学]][[文教育学部]]に進学。心理学を専攻。3年次には[[教育心理学]]コースに進む。[[卒業論文]]は『民主主義における男性と女性の本質的平等に関する一考察』と題し夫婦の役割分担の地域差を分析。論文作成に当たっては数学科など他学科に在籍する友人から手助けを受けた<ref name=nikkei20140212>「お茶の水女子大(下)山形県知事吉村美栄子氏 全国に優秀な女性を 大学解剖」『日経産業新聞』2014年2月12日</ref>。
山形西高卒業後[[お茶の水女子大学]][[文教育学部]]に進学。心理学を専攻。3年次には[[教育心理学]]コースに進む。[[卒業論文]]は『民主主義における男性と女性の本質的平等に関する一考察』と題し夫婦の役割分担の地域差を分析。論文作成に当たっては数学科など他学科に在籍する友人から手助けを受けた<ref name=nikkei20140212>「お茶の水女子大(下)山形県知事吉村美栄子氏 全国に優秀な女性を 大学解剖」『日経産業新聞』2014年2月12日</ref>。


[[1974年]]、[[リクルート]]に入社。企業の会社案内やパンフレットを製作する部署に配属され<ref>{{cite news |title=塩田潮のキーマンに聞く 吉村美栄子「山形県が最初に災害廃棄物受け入れを表明した理由」|author= |agency=|publisher=PRESIDENT Online
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2019年9月13日 (金) 07:13時点における版

吉村 美栄子
よしむら みえこ
生年月日 (1951-05-18) 1951年5月18日(73歳)
出生地 山形県西村山郡左沢町(現在の大江町
出身校 お茶の水女子大学
前職 行政書士
所属政党 無所属
配偶者 独身(1996年に死別)
親族 吉村和夫(夫の叔父)
公式サイト 吉村美栄子ブログ

山形県の旗 公選第17-19代 山形県知事
当選回数 3回
在任期間 2009年2月14日 - 現職
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吉村 美栄子(よしむら みえこ、1951年5月18日 - )は、日本政治家山形県知事

人物・来歴

1951年営林署勤務の父と専業主婦の間の5人兄姉の末っ子として山形県西村山郡大江町(当時は同郡左沢町)沢口に生まれる[1]山形県立山形西高等学校に進み、雪深い自宅からは通学が困難のため山形市内に下宿した[2]。在校時には読書家であったことから文芸クラブに所属。3年生の時には地元テレビ局で受験を取り上げる番組に出演した。その番組には同様に山形東高の文芸クラブに所属していた夫となる和彦も出演。それが夫との出会いとなりのちに交際、そして結婚へと発展した[3]

山形西高卒業後お茶の水女子大学文教育学部に進学。心理学を専攻。3年次には教育心理学コースに進む。卒業論文は『民主主義における男性と女性の本質的平等に関する一考察』と題し夫婦の役割分担の地域差を分析。論文作成に当たっては数学科など他学科に在籍する友人から手助けを受けた[4]

1974年リクルートホールディングスに入社。企業の会社案内やパンフレットを製作する部署に配属され[5]、長時間の残業もこなした。また隣の部署では後年社長となる河野栄子が飛び込み営業を取り仕切り奮闘していた[6]。出産と夫が帰郷し山形で弁護士事務所を開業するため退社を決めた際には、社長であった江副浩正から「吉村さん、これは出産祝いだ。おめでとう」と当時ベストセラーとなっていた『スポック博士の育児書』が手渡された。すでに400~500人もの社員を抱える大所帯に成長していたのにも関わらず、名前まで憶えていてくれた江副の心配りに吉村は感激した[6][7]

帰郷後、義父母と同居し子育てに専念していたが、吉村が46歳の時、夫はがんで亡くなった。伴侶を失ったことから暫く悲嘆に暮れていたが[2]、いつまでもそれではいけないと思い、まずは派遣社員として社会復帰し、1998年には大学で学んだ教育心理学を活かし山形市総合学習センターで不登校となった子供たちのための非常勤教育相談員に就いた。そして子供らにコミュニケーション能力を身につけてもらうため様々な講座を主宰した[8]。その指導ぶりが目に留まり県の教育委員を任された。その後、総合政策審議会、入札監視委員会など県からの要請に応え多くの委員を担った[7][9]。また研鑽を積むため自腹で週末東京まで通いキャリアカウンセラーも学んだ。2000年、自宅で50歳を前に子育て中に取得した行政書士を開業[4]2008年3月、山形市で開催されたスペシャルオリンピックス日本冬季ナショナルゲーム・山形ではボランティアスタッフとして活動。その際には皇族らの接遇役を務めた[10]

2009年2月14日、第50代山形県知事に就任。全国では歴代6人目、東北地方では初めての女性知事となった。

初出馬と選挙戦

2009年1月25日に投開票が行われた山形県知事選挙に立候補。ちなみに、この選挙は2009年に初めて行われた選挙である(同日に岐阜県知事選挙なども行われた)。また、麻生内閣成立後としては初となる与野党対決の大型選挙となった。

当時の現職であった齋藤弘は2期目の当選へ向けて、前回と同様に自民党公明党といった与党側からの事実上の支持を得て、無所属での出馬を表明した。これに対して吉村は、斎藤県政による強引ともとれる手法での予算の一律削減、投資的経費や補助金の削減、さらに県人事委員会勧告を2年連続で見送り財政再建を最優先課題として推進したことに[11]、不満を抱いていた自民党の岸宏一参議院議員(当時)や、民主党社会民主党日本共産党などの野党を加えた超党派の支持、さらに連合山形や自治労山形などの支援を取り付け、知事選挙へ無所属での出馬を表明した。

当初から政党色を出さない選挙戦を展開。リーマン・ショック後の雇用危機を受けて『雇用創出1万人プラン』、農林水産業を再生するための『農業産出額3,000億円』、義務教育の『少人数学級完全実施』などを掲げ、対話を重視する「あたたかい県政」を主張し、現職の斎藤(1期目)を猛追。選挙戦終盤には無党派層の票も取り込み、事前の予想を覆す形で現職を破り、初当選を果たした[12]

54年ぶりに無投票再選

2013年1月10日山形県知事に無投票で再選[13][14]。県内で知事選が無投票となったのは1959(昭和34)年、安孫子藤吉が再選されて以来で54年ぶり。吉村は政党に推薦願を出していないが、ともに吉村県政誕生の原動力となった民主が支援、社民が一歩踏み込んだ支持、前回知事選でほとんどの議員が前職を推した自民は自主投票、共産は前回に続く支援の方針を決定している。自民は県議会同党会派32人のうち22人が、公明、無所属の県議と「吉村美栄子知事を支援する県議有志の会」を結成している。

無投票で3選

2017年1月5日告示の知事選には、吉村以外の立候補の届けがなく無投票で3選が決まった。出馬にあたっては前回の知事選同様「県民党」を掲げ、民進党、共産党、社民党が支援を表明したほか、県町村会や連合山形など約1000の企業や団体などの推薦は前回に比べ約200多く、支援基盤は一段と厚くなったと伝えられている[15]。当初、自民党県連は対抗馬として独自候補の擁立を模索し一部の党支部の擁立要請もあり、山形市選挙区選出の女性県議が出馬に意欲を見せていたが、2016年7月の参院選山形県選挙区における自民党候補の大敗もあり、衆院山形2区3区を中心に擁立を見送るべきとの声が多く、同年11月に候補者擁立断念を表明していた[16]

一期目の政策

  • 「第3次山形県総合発展計画」を平成22年3月に策定。「緑と心が豊かに奏であい 一人ひとりが輝く山形」を実現すべく、現行短期アクションプランを実施中。
  • 対話を重視した「心の通うあったかい県政」を基本姿勢として、県知事選の公約に掲げた政策を着実に実施している。
  • 県政5本柱
  1. 医療・福祉・子育て支援などの充実
  2. 地域産業の振興・活性化
  3. 農林水産業の再生
  4. 教育・人づくりの充実
  5. 県土環境の保全・創造・活用
  • マニフェストに掲げた政策を細分化すると72項目にわたるが、その全てについて実現、あるいは着手済である。
    • 雇用対策 - 「山形県雇用創出1万人プラン」を平成21年度内に前倒しで達成。平成22・23年度は雇用創出2万人を目指す「山形県雇用安心プロジェクト」に取り組み、これも前倒しで達成。現在は、産業振興と一体となった安定雇用創出を目指す「山形県新雇用安定プロジェクト」に取り組んでいる。
    • 教育・人づくり - 「教育山形さんさんプラン」を推進し、小学1年から中学3年までの少人数学級を完全実施した。私立学校支援にも熱心である。
    • 地域産業の振興・活性化 - 山形大学有機EL研究開発や慶応大学先端生命科学研究所バイオ研究など、地域発の高度な技術開発を支援し、地元の企業に還元されることで産業振興・雇用創出に結び付くよう取り組んでいる。
    • 農林水産業の再生 - 現場の意欲ある考えが実現するよう「創意工夫プロジェクト支援事業」を展開。県内各地で元気ある農林水産業の取組みが見られるようになった。県が10年以上かけて開発した新しい米「つや姫」のブランド化にも熱心に取り組んでいる。
    • 医療・福祉・子育て支援 - 周産期医療、医師・看護師の確保対策、自殺対策、介護職員の育成支援、ドクターヘリの運航、認可外保育施設への助成、学童保育利用料の助成、障がい者の雇用確保など。

東日本大震災対応

山形県は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災時、最大で震度5強を観測。県内約53万戸が停電したが、ライフラインの復旧に全力をあげ、翌12日の夜にはほぼ復旧した。同時に、太平洋側の隣県においては甚大な被害となったことから、震災直後から被災地に対する人的・物的支援と避難者の受入れを行った。

人的支援

東日本大震災の発生直後に、各市町村消防本部から、4月28日までの間に延べ151隊、611名が陸上部隊として出動し、消火活動や救助活動にあたった。県の消防防災航空隊も5月31日までの間に、延べ152名が出動し、救助活動などにあたった。山形県警察本部からも、広域緊急援助隊として延べ1,500名が被災地に出動し、救助、避難誘導や緊急交通路の確保等の活動にあたった。医療の分野では、災害派遣医療チームDMATの派遣のほか、山形県医療救護班として、市町村立病院の医師を含め延べ167名を派遣した。また、避難所の衛生対策や被災者の健康相談・健康チェックなどに従事させるため、保健師を延べ75名派遣した。災害復旧等の専門職員の派遣については、道路等の災害復旧や被災した建築物の危険度判定のため、土木・建築職の職員を長期派遣しており、現在も8名の派遣を継続している。また、甚大な被害を受けた市町村に対し、山形県職員と県内市町村職員が合同でチームを編成し、「山形県被災地広域支援隊」として、延べ400名の職員が業務支援を行った。このように、県・市町村合わせて延べ3,000名以上の職員が被災地の救援や被災地の復旧等に従事した。

物的支援

大震災発生直後から、全国各地から被災地に向けて数多くの救援物資が寄せられたものの、地震や津波で道路や鉄道が寸断されていたり、大量の物資を仕分けするための十分な人手やスペースを確保することが難しいといったこともあり、救援物資をスムーズに届けることができないという事態が生じた。そこで、3月17日、天童市内の県総合運動公園を被災地向けの救援物資の集積配分拠点、いわゆるストックヤードとして指定し、全国及び海外からの食料品、衣類、毛布などの物資を受け入れ、被災地や県内の避難所へ送り届けた。

全国に先駆けて災害廃棄物を受入れ

被災地の災害復旧・復興の足かせになっているもののひとつとして、災害廃棄物いわゆるがれき処理の問題があった。受入れにあたっては、8月に国の基準より2倍厳しい独自の基準を柱とする「災害廃棄物の受入れに関する基本的な考え方」を策定し、市町村や事業者、住民の理解のもと、安全が確認されたものだけを受け入れるものとしている。なお、がれきの他にも、家庭ごみや被災した自動車、停電により冷凍保存できず傷んでしまった水産加工品なども受け入れた。

輸送対策

山形空港は、災害救助等の拠点として、大震災発生の翌3月12日から4月7日までの間、運用時間を24時間とした。この間、防災ヘリ等による救助活動や自衛隊米軍の災害救助に加え、旅客機の臨時便も多数受け入れた。酒田港においても、被災した太平洋側港湾の代替機能を発揮した。コンテナ貨物が前年に比較し約2倍の取扱量となるなど酒田港の利用が急増し、急きょ仮設テント2棟を設置して対応した。

全国最多の避難者受入れ支援

原発事故に伴い、3月13日頃から福島県から本県への避難が始まり、3月15日には1日で1,000人を超える方々が避難してきた。このため、県では、職員育成センターや県体育館、少年自然の家などを避難所として開設し、さらに県内市町村の体育館や文化センターなどの公共施設を急きょ避難所として開設させ、受入れ対応を行った。なお、県とJA山形中央会が協力し、JA山形中央会の研修施設「協同の杜」に、妊産婦及び乳児のいる家族を対象とする避難所を3月25日に開設した。その後、4月20日から、県が借り上げた民間アパートへの受入れを開始。ピーク時には13,000名の方々が避難していた。これは全国最多である。

山形県エネルギー戦略の展開

再生可能エネルギーを中心としたエネルギー供給基盤を整備し、現在の集中的な電源供給の仕組みから、地域の中に分散配置し生活や産業活動に必要なエネルギーを生み出すことで、「産業の振興・地域活性化」と「安心して暮らせる持続可能な社会」を創り上げ、次世代につないでいくために、国の動きに先駆けて『山形県エネルギー戦略』を策定、平成24度を「再生エネルギー元年」と位置づけ、「環境エネルギー部」を新設し、新たなエネルギー戦略を強力に推進している。

災害に強い県土づくりの推進

太平洋側と日本海側のバランスの取れたインフラ整備を促進し、防災や観光などの面において相互補完機能を高めるため、新潟、秋田、青森等関係各県と連携した国への提言など、迅速かつ機動的な対応を行う。日沿道の新潟・秋田両県境部の都市計画決定手続きの開始、「あつみ温泉IC」-「鶴岡JCT」間の開通、泉田道路の新規着手決定や酒田港の日本海側拠点港の選定など、日本海側のインフラ整備促進に向けた具体的な成果をみている。

東北、山形の元気再生に向けて(放射線対策、風評被害対策)

東北の復興、そして日本の再生のためには、山形が元気になる必要があることから、全国に先駆けて実施した牛肉の放射性物質の全頭検査の継続実施、米を含む農畜産物の主要品目を中心とした検査の実施、水道水の取水地点調査の新たな実施、学校給食の事後検査・事前検査の実施など、放射線対策を強化している。また、本県の安全性を広く国内外に向けて情報発信し、風評被害の払拭につなげるため、「復興のための祈りと祭り」をテーマに、「食」と「農」を起点として、観光誘客や県産農産物の消費拡大を図る「やまがた元気プロジェクト」を展開している。「日本一さくらんぼ祭り」(2014年6月開催)を皮切りに、「おいしい山形夏祭り」、「おいし山形の秋の収穫祭」、「やまがた『冬のさくら』祭り」など四季折々のイベントの開催を計画している。

二期目の政策

山形県の将来ビジョンとして「自然と文明が調和した理想郷やまがた」を掲げた。

  • 山形県の恵まれた地域資源を活かし、山形らしい、山形にしかできない新しい成長の姿を実現していくため、上記の将来ビジョンを示し、今後の施策展開の軸となる理念として、「産業の振興」と「地域の再生」の二つの視点を重視し、四本の成長戦略を実行していくこととしている[17]

二つの視点

  • 視点1「産業の振興」
本県経済を牽引する力の源泉である中小企業の振興や6次産業化を含めた農業、林業、漁業の振興が、安定雇用の創出、人口減少の抑制、県民生活の安心実現、将来の税収拡大による安定的で持続可能な行財政運営にも大きく貢献する成果を生み出す
  • 視点2「地域の再生」
総合的な少子化対策や次代の担い手となる若者への総合的な支援が、活力低下が懸念される地域社会を根本から支え、東日本大震災で重要性が改めて強く認識された「防災・減災」対策や広域交通ネットワークの形成により県民の生活の安心を取り戻すとともに、地域資源を活用した再生可能エネルギーの導入促進により地域社会を「福しく」する ※福しく=豊かに

四本の成長戦略

■成長戦略1 中小企業の振興!世界最先端の技術による産業形成!企業誘致の推進!「観光立県山形」の実現!

  • 県内企業の技術力の強化等に今後4年間で産業振興関連予算200億円を投入、商工業振興資金融資制度の融資枠3,000億円を確保し、県内企業の経営基盤を強化
  • 戦略的な企業誘致を推進するなど、本県が強みを有する分野や成長が見込まれる分野などにおける産業集積を促進
  • 平成26年度の山形デスティネーションキャンペーンを契機として、山形ならではの魅力ある地域資源を活用した観光交流を拡大

■成長戦略2 「食産業王国やまがた」の実現!

  • 農林漁業者による農林水産物の加工販売や食料品製造事業者等との連携による新商品開発などを積極的に展開
  • 食品加工研究開発機能をはじめとする6次産業化を支援する基盤を整備し、地域活性化につながる新たなビジネスの創出を促進
  • 農林水産業を起点とする産出額3,000億円をさらに拡大

■成長戦略3 エネルギーで地域経済活性化・産業振興!

  • 未来の世代が安心して暮らすことのできる社会の実現に向け、安全で持続可能なエネルギー源である再生可能エネルギーの導入を促進
  • これらの取組みを産業振興や地域活性化につなげる
  • エネルギーをできる限り地域で産み出し地域に供給する方向に進め、経済を県内で循環  地域を福しく!

■成長戦略4 福祉・医療・教育を充実!

  • 医師や看護師の確保による医療提供体制の充実など、生涯を通して適切な保健・医療・福祉サービスを提供
  • 高齢になっても安心して健康に住み続けることのできる社会づくりを総合的に推進
  • 郷土への愛着と誇りを醸成する教育の展開や若者が活き活きと活躍できる環境づくりなど、本県の発展を担う多様な人材を育成

家族・親族

趣味・座右の銘・好きな言葉

  • 趣味 - 草木染め、なぎなた(三段)、小盆栽、温泉めぐり、読書、映画鑑賞
  • 座右の銘 - なせば成る
  • 好きな言葉 - 水を飲む時、井戸を掘った人を忘れるな、笑う門に福来たる、花が咲くのは根のおかげ

脚注

  1. ^ 「山形県知事吉村美栄子(2)ふるさとの自然 山川草木 五感を磨く こころの玉手箱」『日本経済新聞』夕刊 2015年8月11日
  2. ^ a b 「09年知事選 候補者はこんな人 吉村美栄子氏・斎藤弘氏」『朝日新聞』山形版 2009年1月10日
  3. ^ 「山形県知事吉村美栄子(1)座右の銘「なせば成る」専業主婦から開業、知事へ こころの玉手箱」『日本経済新聞』夕刊 2015年8月10日
  4. ^ a b 「お茶の水女子大(下)山形県知事吉村美栄子氏 全国に優秀な女性を 大学解剖」『日経産業新聞』2014年2月12日
  5. ^ “塩田潮のキーマンに聞く 吉村美栄子「山形県が最初に災害廃棄物受け入れを表明した理由」”. PRESIDENT Online. (2016年7月28日). http://president.jp/articles/-/18588 2017年1月15日閲覧。 
  6. ^ a b 「第5部人材輩出企業(下)江副学校の教え、今も 人材至上「同窓生」つなぐ リクルート第3の創業」『日経産業新聞』2015年1月29日
  7. ^ a b 「山形県知事吉村美栄子氏 主婦20年、子育て終えて キャリアの軌跡」『日本経済新聞』夕刊 2009年11月9日
  8. ^ 「山形県知事吉村美栄子(5)草木染 自然界の色に染められて こころの玉手箱」『日本経済新聞』夕刊 2015年8月10日
  9. ^ “塩田潮のキーマンに聞く 吉村美栄子「国対地方ではない、47都道府県が国をつくっている」”. PRESIDENT Online. (2016年7月29日). http://president.jp/articles/-/18589 2017年1月15日閲覧。 
  10. ^ 「吉村氏、出馬を検討 超党派で擁立の動き 知事選」『朝日新聞』山形版 2008年11月12日
  11. ^ 「吉村氏、大接戦制す 東北初の女性知事 斎藤氏の再選阻む」『朝日新聞』山形版 2009年1月26日
  12. ^ “吉村氏「晴れやかな山形県政に」県知事選一夜明け”. 共同通信. (2009年1月26日). http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012601000153.html 2014年1月20日閲覧。 
  13. ^ “吉村・山形知事、無投票で再選”. 日本経済新聞. (2013年1月10日). https://r.nikkei.com/article/DGXNASFS1001X_Q3A110C1000000 2014年1月20日閲覧。 
  14. ^ “女性活躍が社会に活力 吉村山形県知事インタビュー”. 日本経済新聞. (2013年5月9日). https://r.nikkei.com/article/DGXNASGG26034_R00C13A5000000 2014年1月20日閲覧。 
  15. ^ 「2017年知事選 告示 吉村氏 責務感じる 連続無投票で3選 課題山積、自民との関係焦点」『毎日新聞』山形版 2017年1月6日
  16. ^ 「選挙 知事選 自民が候補擁立を断念 県連会長 体制固まらず」『毎日新聞』山形版 2016年11月28日
  17. ^ 県議会2月定例会 知事説明要旨」 山形県ホームページ 2013年2月20日
  18. ^ “訃報 吉村敏夫さん 94歳=吉村美栄子知事の義父 /山形”. 毎日新聞. (2016年1月10日). http://mainichi.jp/articles/20160110/ddl/k06/060/031000c 2016年6月8日閲覧。 

外部リンク

公職
先代
齋藤弘
山形県の旗 山形県知事
公選第17-19代:2009 -
次代
(現職)