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[[1969年のNFL|1969年]]及び[[1970年のNFL|1970年]]は地区最下位に終わった。[[1975年のNFL|1975年]]のドラフト1巡目で[[ジャクソン州立大学]]から[[ウォルター・ペイトン]]を獲得した。ペイトンは1977年にシーズンMVPを獲得する活躍を見せて<ref>[http://www.profootballhof.com/hof/member.jsp?player_id=174 Walter Payton's Statistics]</ref><ref>[http://www.dailyherald.com/special/payton/timeline.htm Remembering Walter Payton] [[デイリー・ヘラルド]]</ref>1984年には[[ジム・ブラウン]]が持っていた通算ラッシング獲得ヤード記録を塗り替えて[[1987年のNFL|1987年]]に引退した。この記録は2002年に[[エミット・スミス]]に破られるまで保持された。<ref>[http://sportsillustrated.cnn.com/football/news/2002/10/27/smith_record_ap/ Smith passes Payton as NFL's career rushing leader]</ref>ペイトンはベアーズファンによって「Sweetness」と呼ばれ愛された。1999年に彼はガンのため亡くなった。
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===ディトカによるスーパーボウル制覇===
===ディトカによるスーパーボウル制覇===
1961年から[[1966年のNFL|1966年]]にベアーズのタイトエンドとして活躍した[[マイク・ディトカ]]が[[1982年のNFL|1982年]]にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだった[[バディ・ライアン]]の考案した[[w:46 defense|46ディフェンス]]やペイトンの活躍でチームは[[1985年のNFL|1985年]]のシーズンは、[[マンデーナイトフットボール]]で[[マイアミ・ドルフィンズ]]に1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフでは[[ニューヨーク・ジャイアンツ]]、[[セントルイス・ラムズ|ロサンゼルス・ラムズ]]を無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。[[第20回スーパーボウル]]では[[ニューイングランド・ペイトリオッツ]]を46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークした[[リチャード・デント]]がMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対[[グリーンベイ・パッカーズ]]戦でワイドレシーバーとしても起用されTDパスを捕球した[[ウィリアム・ペリー (アメリカンフットボール)|ウィリアム・ペリー]]がショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。
1961年から[[1966年のNFL|1966年]]にベアーズのタイトエンドとして活躍した[[マイク・ディトカ]]が[[1982年のNFL|1982年]]にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだった[[バディ・ライアン]]の考案した[[w:46 defense|46ディフェンス]]やペイトンの活躍でチームは[[1985年のNFL|1985年]]のシーズンは、[[マンデーナイトフットボール]]で[[マイアミ・ドルフィンズ]]に1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフでは[[ニューヨーク・ジャイアンツ]]、[[ロサンゼルス・ラムズ]]を無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。[[第20回スーパーボウル]]では[[ニューイングランド・ペイトリオッツ]]を46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークした[[リチャード・デント]]がMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対[[グリーンベイ・パッカーズ]]戦でワイドレシーバーとしても起用されTDパスを捕球した[[ウィリアム・ペリー (アメリカンフットボール)|ウィリアム・ペリー]]がショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。
===スーパーボウル後===
===スーパーボウル後===
スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、[[ウェストコーストオフェンス]]を用いた[[サンフランシスコ・フォーティナイナーズ]]にプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。[[1992年のNFL|1992年]]シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後、[[ダラス・カウボーイズ]]の[[ジミー・ジョンソン (アメリカンフットボールコーチ)|ジミー・ジョンソン]]ヘッドコーチの下でディフェンスコーディネーターを務めた[[デイブ・ウォンステッド]]が[[1993年のNFL|1993年]]から[[1998年のNFL|1998年]]までヘッドコーチを務めたがプレーオフには1度しか出場を果たせなかった。[[1999年のNFL|1999年]]からヘッドコーチとなった[[ディック・ジャーロン]]は[[2001年のNFL|2001年]]に地区優勝を果たしコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが[[2003年のNFL|2003年]]までの5シーズンでチームがプレーオフに出場したのはその1度きりであった。
スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、[[ウェストコーストオフェンス]]を用いた[[サンフランシスコ・フォーティナイナーズ]]にプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。[[1992年のNFL|1992年]]シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後、[[ダラス・カウボーイズ]]の[[ジミー・ジョンソン (アメリカンフットボールコーチ)|ジミー・ジョンソン]]ヘッドコーチの下でディフェンスコーディネーターを務めた[[デイブ・ウォンステッド]]が[[1993年のNFL|1993年]]から[[1998年のNFL|1998年]]までヘッドコーチを務めたがプレーオフには1度しか出場を果たせなかった。[[1999年のNFL|1999年]]からヘッドコーチとなった[[ディック・ジャーロン]]は[[2001年のNFL|2001年]]に地区優勝を果たしコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが[[2003年のNFL|2003年]]までの5シーズンでチームがプレーオフに出場したのはその1度きりであった。
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[[2008年のNFL|2008年]]、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。
[[2008年のNFL|2008年]]、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。


[[2009年のNFL|2009年]]、[[デンバー・ブロンコス]]のプロボウルQB[[ジェイ・カトラー (アメリカンフットボール)|ジェイ・カトラー]]をQB[[カイル・オートン]]や[[NFLドラフト|ドラフト]]指名権と引き換えに獲得、[[サラリーキャップ]]のため[[セントルイス・ラムズ]]から放出されたオフェンスラインの[[オーランド・ペース]]を獲得した。
[[2009年のNFL|2009年]]、[[デンバー・ブロンコス]]のプロボウルQB[[ジェイ・カトラー (アメリカンフットボール)|ジェイ・カトラー]]をQB[[カイル・オートン]]や[[NFLドラフト|ドラフト]]指名権と引き換えに獲得、[[サラリーキャップ]]のため[[ロサンゼルス・ラムズ|セントルイス・ラムズ]]から放出されたオフェンスラインの[[オーランド・ペース]]を獲得した。


[[2010年のNFL|2010年]]、[[カロライナ・パンサーズ]]から[[ジュリアス・ペパーズ]]を、ミネソタ・バイキングスから[[チェスター・テイラー]]を獲得した<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/12793.html |title=ベアーズ、DEペパーズ、RBテイラーら即戦力獲得 |publisher=NFL JAPAN |date=2010-03-06 |accessdate=2012-01-21 }}</ref>。10月24日の[[ワシントン・レッドスキンズ]]戦では[[ディアンジェロ・ホール]]に4インターセプトを喫し14-17で敗れた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/16785.html |title=CBホール逆転TD含む4INT、レッドスキンズが乱戦制す |publisher=NFL JAPAN |date=2010-10-25 |accessdate=2012-01-21 }}</ref>。NFC北地区優勝を果たし、ディビジョナルプレーオフで[[シアトル・シーホークス]]を破り、NFCチャンピオンシップゲームまで進出し[[グリーンベイ・パッカーズ]]と対戦したが、第3Qにジェイ・カトラーが負傷退場<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/19109.html |title=カトラー負傷交代に批判続出、同僚アーラッカーは擁護 |publisher=NFL JAPAN |date=2011-01-24 |accessdate=2012-01-21 }}</ref>、その後[[トッド・コリンズ (アメリカンフットボール)|トッド・コリンズ]]、[[ケイレブ・ヘイニー]]がリリーフしたが敗れた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/19076.html |title=パッカーズ堅守で勝利、第6シードからスーパーボウルへ |publisher=NFL JAPAN |date=2011-01-24 |accessdate=2011-02-07 }}</ref>。
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=== NFL西カンファレンス(1953年-1966年) ===
=== NFL西カンファレンス(1953年-1966年) ===
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=== NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年) ===
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*括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
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=== NFL西地区(1933年-1949年) ===
=== NFL西地区(1933年-1949年) ===
*1944年は、[[太平洋戦争]]の影響により、スティーラーズとカージナルスが合同チームで西地区に参加した。
*1944年は、[[太平洋戦争]]の影響により、スティーラーズとカージナルスが合同チームで西地区に参加した。
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2019年10月30日 (水) 12:00時点における版

シカゴ・ベアーズ
Chicago Bears
創設 1919
所属地区
  • NFL(1920-現在)
  • NFC(1970-現在)
北地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
  • 西カンファレンス(1953-1969)
中地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
  • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
  • 西地区(1933-1949)
  • 地区分けなし(1920-1932)
  • 独立チーム(1919-1920)
チームデザイン
チームロゴ
チームカラー
  ネイビーブルー
  オレンジ
 
ユニフォーム
{{{ユニフォーム}}}
ホームタウン
シカゴ・ベアーズの位置(アメリカ合衆国内)
シカゴ・ベアーズ

イリノイ州シカゴ


ソルジャー・フィールド (2003-)
Memorial Stadium (2002)
ソルジャー・フィールド (1971–2001)
Dyche Stadium (1970)
リグレー・フィールド (1921–1970)
Staley Field (1919–1920)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (2回)
NFC
  • 1985
  • 2006
地区優勝 (10回)
NFC中地区
  • 1984
  • 1985
  • 1986
  • 1987
  • 1988
  • 1990
  • 2001
NFC北地区
  • 2005
  • 2006
  • 2010
  • 2018
ワイルドカード(4回)
  • 1977
  • 1979
  • 1991
  • 1994
プレーオフ進出(14/58回)
  • 1977
  • 1979
  • 1984
  • 1985
  • 1986
  • 1987
  • 1988
  • 1991
  • 1994
  • 1990
  • 2001
  • 2005
  • 2006
  • 2010
  • 2018
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
  • 1921
  • 1932
  • 1933
  • 1940
  • 1941
  • 1943
  • 1946
  • 1963
カンファレンス・チャンピオン
NFL西
  • 1956
  • 1963
地区優勝
NFL西地区
  • 1933
  • 1934
  • 1937
  • 1940
  • 1941
  • 1942
  • 1943
  • 1946
球団組織
オーナー バージニア・ハラス・マッカーシー
GM ライアン・ペイス
ヘッドコーチ マット・ナギー

シカゴ・ベアーズ英語: Chicago Bears、略称: CHI)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。

概要

1919年創設、1920年NFLの前身であるAPFA発足時に参加。1919年から1920年までは、ディケーター・ステイリーズ、1921年にシカゴ・ステイリーズという名前だった。現存するNFLチームの中でカージナルスに次いで2番目に古い歴史を持つ。愛称の由来は、1922年MLBシカゴ・カブスのカブス(小熊)と対比し、フットボール選手は野球選手より大きいという理由でベアーズに決まった。スーパーボウル発足前に8回、そして第20回スーパーボウルで優勝している。

伝統的にディフェンスとランオフェンスによるボールコントロールを主体とした戦術を採用している。本拠地のソルジャー・フィールドは厳冬期はミシガン湖の上を吹き寄せる風によって大雪が降ったり、1988年のプレーオフ、フィラデルフィア・イーグルス戦(Fog Bowl)のように濃霧の中で行われた試合もある。

シカゴを地盤とする第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは、自らがベアーズ・ファンであることを公言している[1]

歴史

初期およびハラスの時代まで

クォーターバック、シド・ラックマンを擁して1940年から1947年のうち、5回NFLチャンピオンシップゲームに出場、4回優勝を果たした。グリフィス・スタジアムで行われた1940年の試合ではNFL史上最もワンサイドゲームとなった、73-0ワシントン・レッドスキンズに勝利している。この試合は2007年シーズン終了時点でもNFL史上最も大差のついた試合となっている[2]。1950年代はチームはどん底の時期を過ごしたが、1963年に再びチャンピオンシップゲームを制した。しかし、その後スーパーボウル優勝まで20年以上遠ざかることになった。1960年代終わりにはディック・バトカスゲイル・セイヤーズブライアン・ピッコロらを擁した。1971年にはABCのテレビ映画「Brian's Song」が作られ、ピッコロをジェームズ・カーン、セイヤーズをビリー・ディー・ウィリアムズが演じた。ハラスを演じたジャック・ウォーデンエミー賞を受賞した。

ハラスは1967年にヘッドコーチを退任し、その後オーナーとなっていたが1970年のNFLによるAFLの吸収合併が行われた後に結成されたNFC(ナショナルフットボールカンファレンス)の代表に選ばれ1983年に亡くなるまで務めた。NFCチャンピオンシップゲームに勝利したチームに渡されるジョージ・ハラス・メモリアル・カップに名前が残されている。

苦闘の時代

1969年及び1970年は地区最下位に終わった。1975年のドラフト1巡目でジャクソン州立大学からウォルター・ペイトンを獲得した。ペイトンは1977年にシーズンMVPを獲得する活躍を見せて[3][4]1984年にはジム・ブラウンが持っていた通算ラッシング獲得ヤード記録を塗り替えて1987年に引退した。この記録は2002年にエミット・スミスに破られるまで保持された。[5]ペイトンはベアーズファンによって「Sweetness」と呼ばれ愛された。1999年に彼はガンのため亡くなった。

ディトカによるスーパーボウル制覇

1961年から1966年にベアーズのタイトエンドとして活躍したマイク・ディトカ1982年にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだったバディ・ライアンの考案した46ディフェンスやペイトンの活躍でチームは1985年のシーズンは、マンデーナイトフットボールマイアミ・ドルフィンズに1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフではニューヨーク・ジャイアンツロサンゼルス・ラムズを無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。第20回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークしたリチャード・デントがMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対グリーンベイ・パッカーズ戦でワイドレシーバーとしても起用されTDパスを捕球したウィリアム・ペリーがショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。

スーパーボウル後

スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、ウェストコーストオフェンスを用いたサンフランシスコ・フォーティナイナーズにプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。1992年シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後、ダラス・カウボーイズジミー・ジョンソンヘッドコーチの下でディフェンスコーディネーターを務めたデイブ・ウォンステッド1993年から1998年までヘッドコーチを務めたがプレーオフには1度しか出場を果たせなかった。1999年からヘッドコーチとなったディック・ジャーロン2001年に地区優勝を果たしコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2003年までの5シーズンでチームがプレーオフに出場したのはその1度きりであった。

ラビー・スミスの時代

2004年ラビー・スミスが新ヘッドコーチに就任した。

2005年に11勝5敗の成績をあげて、チームを地区優勝を果たした[6]。ディビジョナルプレーオフでカロライナ・パンサーズに21-29で破れシーズンを終えた[7]

2006年、チームは開幕から7連勝し[8]、第9週にマイアミ・ドルフィンズに敗れて連勝は止まったものの[9]、第13週に地区優勝を決定[10]、13勝3敗でNFC第1シードを獲得した。ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスをオーバータイムの末、27-24で破り1988年以来となるNFCチャンピオンシップゲームに進出した[11]。NFCチャンピオンシップゲームではトーマス・ジョーンズや守備陣の活躍で、ニューオーリンズ・セインツを39-14で破り、21年ぶりのスーパーボウル出場を果たした[12]。ラビー・スミスは相手チーム、インディアナポリス・コルツトニー・ダンジーと共にスーパーボウルに出場した初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチとなった[13]第41回スーパーボウルではデビン・ヘスターのキックオフリターンタッチダウンで開始14秒でベアーズが先制、第1Qにさらにレックス・グロスマンからムーシン・モハメドへのタッチダウンパスも決まり14-6とリードした。QBのグロスマンは28本中20本のパスを成功させたが2インターセプトを喫し、5点差だった第4Q初めにグロスマンのパスをインターセプトしたケルビン・ヘイデンに56ヤードのリターンタッチダウンを決められ[14]、最終的に17-29で敗れた。

2007年3月5日、トーマス・ジョーンズをドラフト2巡指名権と引き換えにニューヨーク・ジェッツにトレードした[15]。この年チームは7勝9敗に終わりプレーオフを逃した[16]

2008年、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。

2009年デンバー・ブロンコスのプロボウルQBジェイ・カトラーをQBカイル・オートンドラフト指名権と引き換えに獲得、サラリーキャップのためセントルイス・ラムズから放出されたオフェンスラインのオーランド・ペースを獲得した。

2010年カロライナ・パンサーズからジュリアス・ペパーズを、ミネソタ・バイキングスからチェスター・テイラーを獲得した[17]。10月24日のワシントン・レッドスキンズ戦ではディアンジェロ・ホールに4インターセプトを喫し14-17で敗れた[18]。NFC北地区優勝を果たし、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスを破り、NFCチャンピオンシップゲームまで進出しグリーンベイ・パッカーズと対戦したが、第3Qにジェイ・カトラーが負傷退場[19]、その後トッド・コリンズケイレブ・ヘイニーがリリーフしたが敗れた[20]

2011年、開幕から連勝を続けるグリーンベイ・パッカーズからは離されたものの、マット・フォーテイがランとレシーブの合計獲得ヤード数でNFLトップの活躍などで5連勝し7勝3敗とプレーオフ出場を争っていたが[21]、第11週にジェイ・カトラーが右手親指を骨折して戦線離脱[22]、フォーテイも第13週に負傷し戦線を離脱した[23]。控えQBのヘイニーが先発QBとなってから4連敗[24]ジョシュ・マカウンが先発QBとして最後の2試合に先発出場し、最終週のミネソタ・バイキングス戦に勝利し連敗を5で止めて8勝8敗でシーズンを終えた[25]。シーズン終了後、パス偏重でカトラーとの確執も噂されていたマーク・マーツオフェンスコーディネーターが退団した[26][27]。またジェリー・アンジェロGMも解任された[28]

2012年、第9週までの9試合で8勝1敗の成績をあげたが、その後3連敗するなど、残り7試合で2勝5敗、10勝6敗となり、タイブレークでプレーオフ出場を逃した[29]。シーズン終了後、ラビー・スミス・ヘッドコーチは解任された[30]。後任ヘッドコーチには、CFLモントリオール・アルエッツヘッドコーチとして5シーズンで2度優勝しているマーク・トレストマンが就任することとなった[31]

トレストマンの時代

2013年シーズンは最終節まで地区優勝を争ったが、最終戦のパッカーズ戦で残り38秒にタッチダウンで逆転され敗戦。プレーオフ進出も果たせなかった[32]

2014年シーズンはカトラーと2020年まで契約を延長して臨んだものの[33]、10月に3連敗、終盤に5連敗を喫し地区最下位となった。カトラーの調子も安定せず、一時は控えに降格した[34]。シーズン終了後、トレストマン・ヘッドコーチが解雇され[35]、後任には元カロライナ・パンサーズのヘッドコーチで、2014年シーズンまでデンバー・ブロンコスヘッドコーチを務めていたジョン・フォックスが迎えられた[36]

ジョン・フォックスの時代

カトラーは2016年シーズン後に引退し、チームはフォックスのもとで、2015年2016年2017年と3年続けて地区最下位に沈み、2017年シーズン後にフォックスは解任された。後任はカンサスシティ・チーフスOCのマット・ナギーとなった。

マット・ナギーの時代

2018年シーズンは、ミッチェル・トゥルビスキーをエースQBとし、4年ぶりに地区最下位を脱し、8年ぶりに地区優勝とプレーオフ出場を遂げたが、プレーオフ初戦で敗退した。

2024年シーズン

2024年シーズンのベアーズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2023年シーズン及び過去10シーズンの成績
成績 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点
2023 レギュラー敗退 4位 7 10 0 .412 2–4 6–6 360 379 21.2 22.3
2022 レギュラー敗退 4位 3 14 0 .176 0-6 1-11 326 463 19.2 27.2
2021 レギュラー敗退 3位 6 11 0 .353 2-4 4-8 311 407 18.3 23.9
2020 ワイルドカード敗退 2位(7) 8 8 0 .500 2-4 6-6 372 370 23.3 23.1
2019 レギュラー敗退 3位 8 8 0 .500 4-2 7-5 280 298 17.5 18.6
2018 ワイルドカード敗退 1位(3) 12 4 0 .750 5-1 10-2 421 283 26.3 17.7
2017 レギュラー敗退 4位 5 11 0 .313 0-6 1-11 264 320 16.5 20.0
2016 レギュラー敗退 4位 3 13 0 .188 2-4 3-9 279 399 17.4 24.9
2015 レギュラー敗退 4位 6 10 0 .375 1-5 3-9 335 397 20.9 24.8
2014 レギュラー敗退 4位 5 11 0 .313 1-5 4-8 319 442 19.9 27.6
2013 レギュラー敗退 2位 8 8 0 .500 2-4 4-8 445 478 27.8 29.9

()内はシード順

2023年シーズン成績

NFC北地区 2023
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 得失差
(3)デトロイト・ライオンズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 461 395 27.1 23.2 3.9
(7)グリーンベイ・パッカーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 383 350 22.5 20.6 1.9
ミネソタ・バイキングス 7 10 0 .412 2–4 6–6 344 362 20.2 21.3 -1.1
シカゴ・ベアーズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 360 379 21.2 22.3 -1.1
NFC 2023

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区優勝
1[a] サンフランシスコ・49ers 西 12 5 0 .706 5–1 10–2 .509 .475
2[a] ダラス・カウボーイズ 12 5 0 .706 5–1 9–3 .446 .392
3[a] デトロイト・ライオンズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 .481 .436
4[b] タンパベイ・バッカニアーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 .481 .379
ワイルドカード
5 フィラデルフィア・イーグルス 11 6 0 .647 4–2 7–5 .481 .476
6 ロサンゼルス・ラムズ 西 10 7 0 .588 5–1 8–4 .529 .453
7[c][d] グリーンベイ・パッカーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 .474 .458
レギュラーシーズン敗退
8[c][d] シアトル・シーホークス 西 9 8 0 .529 2–4 7–5 .512 .392
9[b][c] ニューオーリンズ・セインツ 9 8 0 .529 4–2 6–6 .433 .340
10 ミネソタ・バイキングス 7 10 0 .412 2–4 6–6 .509 .454
11 シカゴ・ベアーズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 .464 .370
12 アトランタ・ファルコンズ 7 10 0 .412 3–3 4–8 .429 .462
13 ニューヨーク・ジャイアンツ 6 11 0 .353 3–3 5–7 .512 .353
14 ワシントン・コマンダース 4 13 0 .235 0–6 2–10 .512 .338
15 アリゾナ・カージナルス 西 4 13 0 .235 0–6 3–9 .561 .588
16 カロライナ・パンサーズ 2 15 0 .118 1–5 1–11 .522 .500
タイブレーク
  1. ^ a b c カンファレンス勝率で1位が49ers、2位がカウボーイズ、3位がライオンズ
  2. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でバッカニアーズがセインツを上回り、地区優勝
  3. ^ a b c カンファレンス勝率でセインツがパッカーズ・シーホークスを下回り、9位確定
  4. ^ a b 勝利した相手の勝率でパッカーズがシーホークスを上回る
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2024年1月15日
レイモンド・ジェームス・スタジアム
    1月21日
フォード・フィールド
    1月28日
リーバイス・スタジアム
    2月11日
アレジアント・スタジアム
 5  イーグルス  9
 4  バッカニアーズ  32  
2024年1月14日
フォード・フィールド
 4  バッカニアーズ  23
   3  ライオンズ  31  
 6  ラムズ  23 NFC
 3  ライオンズ  24   1月20日
リーバイス・スタジアム
2024年1月14日
AT&Tスタジアム
 3  ライオンズ  31
   1  49ers  34  
NFCチャンピオンシップ
1月28日
M&Tバンク・スタジアム
 7  パッカーズ  48
 7  パッカーズ  21
 2  カウボーイズ  32    
 1  49ers  24  
2024年1月13日
アローヘッド・スタジアム
1月21日
ハイマーク・スタジアム
 N1  49ers  22
   A3  チーフス  25
 6  ドルフィンズ  7 第58回スーパーボウル
 3  チーフス  26  
2024年1月15日
ハイマーク・スタジアム
 3  チーフス  27
   2  ビルズ  24  
 7  スティーラーズ  17 AFC
 2  ビルズ  31   1月20日
M&Tバンク・スタジアム
2024年1月13日
NRGスタジアム
 3  チーフス  17
   1  レイブンズ  10  
AFCチャンピオンシップ
 5  ブラウンズ  14
 4  テキサンズ  10
 4  テキサンズ  45    
 1  レイブンズ  34  
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

歴代ヘッドコーチ

主な選手

永久欠番
殿堂入り選手
その他引退選手
現役選手

成績

NFC北地区(2002年-現在)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 DET(3c) 12 5 0 GB (7d) 9 8 0 MIN 7 10 0 CHI 7 10 0
2022 MIN(3w) 13 4 0 DET 9 8 0 GB 8 9 0 CHI 3 14 0
2021 GB (1d) 13 4 0 MIN 8 9 0 CHI 6 11 0 DET 3 13 1
2020 GB (1c) 13 3 0 CHI(7w) 8 8 0 MIN 7 9 0 DET 5 11 0
2019 GB (2c) 13 3 0 MIN(6d) 10 6 0 CHI 8 8 0 DET 3 12 1
2018 CHI(3w) 12 4 0 MIN 8 7 1 GB 6 9 1 DET 6 10 0
2017 MIN(2c) 13 3 0 DET 9 7 0 GB 7 9 0 CHI 5 11 0
2016 GB (4c) 10 6 0 DET(6w) 9 7 0 MIN 8 8 0 CHI 3 13 0
2015 MIN(3w) 11 5 0 GB (5d) 10 6 0 DET 7 9 0 CHI 6 10 0
2014 GB (2c) 12 4 0 DET(6w) 11 5 0 MIN 7 9 0 CHI 5 11 0
2013 GB (4w) 8 7 1 CHI 8 8 0 DET 7 9 0 MIN 5 10 1
2012 GB (3d) 11 5 0 MIN(6w) 10 6 0 CHI 10 6 0 DET 4 12 0
2011 GB (1d) 15 1 0 DET(6w) 10 6 0 CHI 8 8 0 MIN 3 13 0
2010 CHI(2c) 11 5 0 GB (6v) 10 6 0 DET 6 10 0 MIN 6 10 0
2009 MIN(2c) 12 4 0 GB (5w) 11 5 0 CHI 7 9 0 DET 2 14 0
2008 MIN(3w) 10 6 0 CHI 9 7 0 GB 6 10 0 DET 0 16 0
2007 GB (2c) 13 3 0 MIN 8 8 0 DET 7 9 0 CHI 7 9 0
2006 CHI(1s) 13 3 0 GB 8 8 0 MIN 6 10 0 DET 3 13 0
2005 CHI(2d) 11 5 0 MIN 9 7 0 DET 5 11 0 GB 4 12 0
2004 GB (3w) 10 6 0 MIN(6d) 8 8 0 DET 6 10 0 CHI 5 11 0
2003 GB (4d) 10 6 0 MIN 9 7 0 CHI 7 9 0 DET 5 11 0
2002 GB (3w) 12 4 0 MIN 6 10 0 CHI 4 12 0 DET 3 13 0

NFC中地区(1970年-2001年)

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 CHI(2d) 13 3 0 GB(4d) 12 4 0 TB(6w) 9 7 0 MIN 5 11 0 DET 2 14 0
2000 MIN(2c) 11 5 0 TB(5w) 10 6 0 GB 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 5 11 0
1999 TB(2c) 11 5 0 MIN(4d) 10 6 0 DET(6) 8 8 0 GB 8 8 0 CHI 6 10 0
1998 MIN(1c) 15 1 0 GB(5w) 11 5 0 TB 8 8 0 DET 5 11 0 CHI 4 12 0
1997 GB(2s) 13 3 0 TB(4d) 10 6 0 DET(5w) 9 7 0 MIN(6d) 9 7 0 CHI 4 12 0
1996 GB(1v) 13 3 0 MIN(6w) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 6 10 0 DET 5 11 0
1995 GB(3c) 11 5 0 DET(5w) 10 6 0 CHI 9 7 0 MIN 8 8 0 TB 7 9 0
1994 MIN(3w) 10 6 0 GB(4d) 9 7 0 DET(5w) 9 7 0 CHI(6d) 9 7 0 TB 6 10 0
1993 DET(3w) 10 6 0 MIN(5w) 9 7 0 GB(6d) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1992 MIN(3w) 11 5 0 GB 9 7 0 TB 5 11 0 CHI 5 11 0 DET 5 11 0
1991 DET(2c) 12 4 0 CHI(4w) 11 5 0 MIN 8 8 0 GB 4 12 0 TB 3 13 0
1990 CHI(4d) 11 5 0 TB 6 10 0 DET 6 10 0 GB 6 10 0 MIN 6 10 0
1989 MIN(3d) 10 6 0 GB 10 6 0 DET 7 9 0 CHI 6 10 0 TB 5 11 0
1988 CHI(1c) 12 4 0 MIN(4d) 11 5 0 TB 5 11 0 DET 4 12 0 GB 4 12 0
1987 CHI(2d) 11 4 0 MIN(5c) 8 7 0 GB 5 9 1 TB 4 11 0 DET 4 11 0
1986 CHI(2d) 14 2 0 MIN 9 7 0 DET 5 11 0 GB 4 12 0 TB 2 14 0
1985 CHI(1v) 15 1 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 DET 7 9 0 TB 2 14 0
1984 CHI(3c) 10 6 0 GB 8 8 0 TB 6 10 0 DET 4 11 1 MIN 3 13 0
1983 DET(3d) 9 7 0 GB 8 8 0 CHI 8 8 0 MIN 8 8 0 TB 2 14 0
1982 GB(3d) 5 3 1 MIN(4d) 5 4 0 TB(7w) 5 4 0 DET(8w) 4 5 0 CHI 3 6 0
1981 TB(3d) 9 7 0 DET 8 8 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 CHI 6 10 0
1980 MIN(3d) 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 10 1 GB 5 10 1
1979 TB(2c) 10 6 0 CHI(5w) 10 6 0 MIN 7 9 0 GB 5 11 0 DET 2 14 0
1978 MIN(3d) 8 7 1 GB 8 7 1 DET 7 9 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1977 MIN(3c) 9 5 0 CHI(4d) 9 5 0 DET 6 8 0 GB 4 10 0 TB 2 12 0
1976 MIN(1s) 11 2 0 CHI 7 7 0 DET 6 8 0 GB 5 9 0
1975 MIN(1d) 12 2 0 DET 7 7 0 CHI 4 10 0 GB 4 10 0
1974 MIN(s) 10 4 0 DET 7 7 0 GB 6 8 0 CHI 4 10 0
1973 MIN(s) 12 2 0 DET 6 7 1 GB 5 7 2 CHI 3 11 0
1972 GB(d) 10 4 0 DET 8 5 1 MIN 7 7 0 CHI 4 9 1
1971 MIN(d) 11 3 0 DET 7 6 1 CHI 6 8 0 GB 4 8 2
1970 MIN(d) 12 2 0 DET(d) 10 4 0 GB 6 8 0 CHI 6 8 0

NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 MIN(s) 12 2 0 DET 9 4 1 GB 8 6 0 CHI 1 13 0
1968 MIN(c) 8 6 0 CHI 7 7 0 GB 6 7 1 DET 4 8 2
1967 GB(v) 9 4 1 CHI 7 6 1 DET 5 7 2 MIN 3 8 3

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 GB(V) 12 2 0 BAL 9 5 0 LA 8 6 0 SF 6 6 2 CHI 5 7 2 DET 4 9 1 MIN 4 9 1
スーパーボウル開始
1965 GB(v) 10 3 1 BAL 10 3 1 CHI 9 5 0 SF 7 6 1 MIN 7 7 0 DET 6 7 1 LA 4 10 0
1964 BAL(n) 12 2 0 GB 8 5 1 MIN 8 5 1 DET 7 5 2 LA 5 7 2 CHI 5 9 0 SF 4 10 0
1963 CHI(v) 11 1 2 GB 11 2 1 BAL 8 6 0 DET 5 8 1 MIN 5 8 1 LA 5 9 0 SF 2 12 0
1962 GB(v) 13 1 0 DET 11 3 0 CHI 9 5 0 BAL 7 7 0 SF 6 8 0 MIN 2 11 1 LA 1 12 1
1961 GB(v) 11 3 0 DET 6 7 1 BAL 8 6 0 CHI 8 6 0 SF 7 6 1 LA 4 10 0 MIN 3 11 0
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1
1959 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 7 5 0 SF 7 5 0 DET 3 8 1 LA 2 10 0
1958 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 LA 8 4 0 SF 6 6 0 DET 4 7 1 GB 1 10 1
1957 DET(v) 8 4 0 SF 8 4 0 BAL 7 5 0 LA 6 6 0 CHB 5 7 0 GB 3 9 0
1956 CHB(n) 9 2 1 DET 9 3 0 SF 5 6 1 BAL 5 7 0 GB 4 8 0 LA 4 8 0
1955 LA(n) 8 3 1 CHB 8 4 0 GB 6 6 0 BAL 5 6 1 SF 4 8 0 DET 3 9 0
1954 DET(n) 9 2 1 CHB 8 4 0 SF 7 4 1 LA 6 5 1 GB 4 8 0 BAL 3 9 0
1953 DET(v) 10 2 0 SF 9 3 0 LA 8 3 1 CHB 3 8 1 BAL 3 9 0 GB 2 9 1

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 DET(v) 9 3 0 LA 9 3 0 SF 7 5 0 GB 6 6 0 CHB 5 7 0 DAL 1 11 0
1951 LA(v) 8 4 0 DET 7 4 1 SF 7 4 1 CHB 7 5 0 GB 3 9 0 NYY 1 9 2
1950 LA(n) 9 3 x CHB 9 3 x NYY 7 5 x DET 6 6 x GB 3 9 x SF 3 9 x BAL 1 11 x

NFL西地区(1933年-1949年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1949 LA(n) 8 2 2 CHB 9 3 0 CHC 6 5 1 DET 4 8 0 GB 2 10 0
1948 CHC(n) 11 1 0 CHB 10 2 0 LA 6 5 1 GB 3 9 0 DET 2 10 0
1947 CHC(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 6 5 1 LA 6 6 0 DET 3 9 0
1946 CHB(v) 8 2 1 LA 6 4 1 GB 6 5 0 CHC 6 5 0 DET 1 10 0
1945 CLE(v) 9 1 0 DET 7 3 0 GB 6 4 0 CHB 3 7 0 CHC 1 9 0
1944 GB(v) 8 2 0 CHI 6 3 1 DET 6 3 1 CLE 4 6 0 Card-Pitt 0 10 0
1943 CHB(v) 8 1 1 GB 7 2 1 DET 3 6 1 CHC 0 10 0
1942 CHB(n) 11 0 0 GB 8 2 1 CLE 5 6 0 CHC 3 8 0 DET 0 11 0
1941 CHB(v) 10 1 0 GB 10 1 0 DET 4 6 1 CHC 3 7 1 CLE 2 9 0
1940 CHB(v) 8 3 0 GB 6 4 1 DET 5 5 1 CLE 4 6 1 CHC 2 7 2
1939 GB(v) 9 2 0 CHB 8 3 0 DET 6 5 0 CLE 5 5 1 CHC 1 10 0
1938 GB(n) 8 3 0 DET 7 4 0 CHB 6 5 0 CLE 4 7 0 CHC 2 9 0
1937 CHB(n) 9 1 1 GB 7 4 0 DET 7 4 0 CHC 5 5 1 CLE 1 10 0
1936 GB(v) 10 1 1 CHB 9 3 0 DET 8 4 0 CHC 2 8 1
1935 DET(v) 7 3 2 GB 8 4 0 CHB 6 4 2 CHC 6 4 2
1934 CHB(n) 13 0 0 DET 10 3 0 GB 7 6 0 CHC 5 6 0 StL 1 2 0 CIN 0 8 0
1933 CHB(v) 10 2 1 POR 6 5 0 GB 5 7 1 CIN 3 6 1 CHC 1 9 1

NFL(1920年-1932年)





チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
1932 8 1 CHB 7 1 6 2 GB 10 3 1 3 POR 6 2 4 4 BOS 4 4 2 5 NY 4 6 2 7 CHC 2 6 2
1931 10 1 GB 12 2 0 2 POR 11 3 0 3 CHB 8 5 0 4 CHC 5 4 0 5 NY 7 6 1
1930 11 1 GB 10 3 1 2 NY 13 4 0 3 CHB 9 4 1 7 CHC 5 6 2 8 POR 5 6 3
1929 12 1 GB 12 0 1 2 NY 13 1 1 4 CHC 6 6 1 9 CHB 4 9 2
1928 10 4 GB 6 4 3 5 CHB 7 5 1 6 NYG 4 7 2 9 CHC 1 5 0
1927 12 1 NYG 11 1 1 2 GB 7 2 1 3 CHB 9 3 2 9 CHC 3 7 1
1926 22 2 CHB 12 1 3 5 GB 7 3 3 6 NY 8 4 1 10 CHC 5 6 1
1925 20 1 CHC 11 2 1 4 NY 8 4 0 7 CHB 9 5 3 9 GB 8 5 0
1924 18 2 CHB 6 1 4 6 GB 7 4 0 8 CHC 5 4 1
1923 20 2 CHB 9 2 1 3 GB 7 2 1 6 CHC 8 4 0
1922 18 2 CHB 9 3 0 3 CHC 8 3 0 8 GB 4 3 3
1921 21 1 CHS 9 3 2 7 GB 7 2 1 9 CHC 3 3 2
1920 14 2 DEC 10 1 2 4 CHC 6 2 2

脚注

  1. ^ ベアーズファンのオバマ大統領、宿敵パッカーズを祝福”. NFL JAPAN (2011年8月13日). 2015年1月30日閲覧。
  2. ^ General History — Chronology (1940 to 1959) (Pro Football Hall of Fame)
  3. ^ Walter Payton's Statistics
  4. ^ Remembering Walter Payton デイリー・ヘラルド
  5. ^ Smith passes Payton as NFL's career rushing leader
  6. ^ ベアーズ、NFC北地区優勝”. AFP (2005年12月26日). 2012年1月21日閲覧。
  7. ^ スミス、先制の58ヤードTD”. AFP (2006年1月16日). 2012年1月21日閲覧。
  8. ^ ベアーズ 開幕からの連勝を7に伸ばす”. AFP (2006年10月30日). 2012年1月21日閲覧。
  9. ^ ドルフィンズ ベアーズに快勝し今季2勝目”. AFP (2006年11月6日). 2012年1月21日閲覧。
  10. ^ ベアーズ バイキングスに勝利し2年連続NFC北地区優勝を決める”. AFP (2006年12月4日). 2012年1月21日閲覧。
  11. ^ ベアーズ シーホークスとの接戦を制しNFC決勝へ”. AFP (2007年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  12. ^ ベアーズ セインツを降し21年ぶりにスーパーボウルへ”. AFP (2007年1月22日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ ダンジーとスミス 歴史的一戦へ”. AFP (2007年1月30日). 2012年1月21日閲覧。
  14. ^ 2006年スーパーボウル
  15. ^ ベアーズ RBトーマス・ジョーンズのトレードを発表”. AFP (2007年3月6日). 2012年1月21日閲覧。
  16. ^ ベアーズ シーズン最終戦でセインツを降す”. AFP (2007年12月31日). 2012年1月21日閲覧。
  17. ^ ベアーズ、DEペパーズ、RBテイラーら即戦力獲得”. NFL JAPAN (2010年3月6日). 2012年1月21日閲覧。
  18. ^ CBホール逆転TD含む4INT、レッドスキンズが乱戦制す”. NFL JAPAN (2010年10月25日). 2012年1月21日閲覧。
  19. ^ カトラー負傷交代に批判続出、同僚アーラッカーは擁護”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2012年1月21日閲覧。
  20. ^ パッカーズ堅守で勝利、第6シードからスーパーボウルへ”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2011年2月7日閲覧。
  21. ^ 【第12週プレビュー】エースQB不在のベアーズ、6連勝なるか”. NFL JAPAN (2011年11月25日). 2012年1月21日閲覧。
  22. ^ ベアーズHC、親指骨折のQBカトラーは「今季絶望じゃない」”. NFL JAPAN (2011年11月22日). 2012年1月21日閲覧。
  23. ^ ベアーズRBフォルテ、「フランチャイズ指定なら去就不透明に」”. NFL JAPAN (2012年1月20日). 2012年1月21日閲覧。
  24. ^ 4連敗で崖っぷちのベアーズ、HCは先発QB交代を示唆”. NFL JAPAN (2011年12月20日). 2012年1月21日閲覧。
  25. ^ ベアーズ連敗ストップ、勝率5割でシーズン終了”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  26. ^ ベアーズOCが辞任、方向性の違い埋められず”. NFL JAPAN (2012年1月4日). 2012年1月21日閲覧。
  27. ^ ベアーズOCの辞任、不仲のQBカトラーが後押し?”. NFL JAPAN (2012年1月6日). 2012年1月21日閲覧。
  28. ^ Bears release GM Jerry Angelo”. ESPN (2012年1月3日). 2012年1月21日閲覧。
  29. ^ 2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  30. ^ プレイオフにあと一歩及ばずのベアーズ、スミスHCを解任”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  31. ^ ベアーズ、新HCはCFLの名将トレストマン氏に決定”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。
  32. ^ NFL=パッカーズが劇的勝利でプレーオフへ、チャージャーズも”. ロイター (2013年12月30日). 2015年1月30日閲覧。
  33. ^ 大型契約で残留のカトラー、「FAになるつもりはなかった」”. NFL JAPAN (2014年1月3日). 2015年1月30日閲覧。
  34. ^ ベアーズついに決断!QBカトラーを控え降格”. NFL JAPAN (2014年12月18日). 2015年1月30日閲覧。
  35. ^ ベアーズも大ナタ、トレストマンHCとエメリーGMを解任”. NFL JAPAN (2014年12月30日). 2015年1月30日閲覧。
  36. ^ ベアーズ、新指揮官は前ブロンコスHCのフォックス氏に決定”. NFL JAPAN (2015年1月17日). 2015年1月30日閲覧。

ギャラリー

外部リンク