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|画像説明 = 三河島駅(駅舎は左側高架下) |
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|よみがな = みかわしま |
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|ローマ字 = Mikawashima |
|ローマ字 = Mikawashima |
2020年2月14日 (金) 22:31時点における版
三河島駅 | |
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三河島駅(駅舎は左側高架下) | |
みかわしま Mikawashima | |
所在地 | 東京都荒川区西日暮里一丁目6-10 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | ミマ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
11,508人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1905年(明治38年)4月1日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 |
■■常磐線(快速) (正式には常磐線) |
駅番号 | □JJ 03 |
キロ程 |
1.2km(日暮里起点) 上野から3.4 km |
◄JJ 02 日暮里 (1.2 km) (2.2 km) 南千住 JJ 04► | |
所属路線 | 常磐線(貨物支線・田端貨物線) |
キロ程 | 0.0 km(三河島起点) |
(1.6km) 田端► | |
所属路線 | 常磐線(貨物支線・隅田川貨物線) |
キロ程 | 0.0 km(三河島起点) |
(3.2km) 隅田川► | |
備考 |
直営駅 東京都区内駅 |
三河島駅(みかわしまえき)は、東京都荒川区西日暮里一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。駅番号はJJ 03。
乗り入れ路線
当駅に乗り入れている路線は常磐線のみだが、本線のほか、当駅からは田端駅(田端信号場駅)方面への支線(田端貨物線)と隅田川駅方面へ向かう支線(隅田川貨物線)が分岐する。支線は田端信号場駅方面は貨物列車と臨時列車が、隅田川駅方面は貨物列車のみが使用する。
旅客駅には常磐線快速電車および中距離電車のみが停車し、東京メトロ千代田線に直通する常磐線各駅停車は当駅を経由しない。したがって、複々線区間で常磐線各駅停車のみが停車する綾瀬駅・亀有駅・金町駅へ向かう利用客は、北千住駅で常磐線各駅停車に乗り換える必要がある。土浦・水戸方面に直通する中距離電車はかつて日中しか停車しなかったが、2004年3月13日のダイヤ改正以降は、通勤快速・特別快速を除くすべての中距離電車が停車するようになった。
当駅は、特定都区市内制度における「東京都区内」に属している。
当駅における運行形態
- 上り(日暮里・上野・東京・新橋・品川方面)
- 日中は概ね1時間に6本(上野行5本、品川行1本)の快速電車が停車する[1]。
- 下り(松戸・我孫子・取手・土浦・水戸 / 成田方面)
- 日中は概ね1時間に6本(取手行・水戸方面行の各2本、土浦行・成田行の各1本)の快速電車が停車する[1]。
歴史
- 1905年(明治38年)4月1日:日本鉄道の駅として開業。
- 1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道の国有化により官設鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により常磐線の所属となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道発足。
- 1962年(昭和37年)5月3日:駅構内で貨物列車と上下電車2本による三重衝突事故(常磐線三河島駅列車多重衝突事故・三河島事故)が発生。死者160人、負傷者296人の大惨事となった。詳細は三河島事故・国鉄戦後五大事故を参照。
- 1971年(昭和46年)4月20日:緩行線(各駅停車)が帝都高速度交通営団千代田線(営団地下鉄/現・東京地下鉄)と相互直通運転を開始したことに伴い、快速停車駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
- 1988年(昭和63年)3月13日:普通列車が日中(9時-16時)停車となる。
- 2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」の利用が可能となる[広報 1]。
- 2004年(平成16年)3月13日:特別快速[注釈 1]・通勤快速[注釈 2]を除く普通列車が全停車となる。
駅構造
本線の両側にはホームのない支線の線路がある。下り線側は田端信号場駅方面から来て南千住駅寄りで合流する。合流地点は三河島事故が起きた現場である。上り線側は田端信号場駅と隅田川駅を結ぶ単線で、南千住駅寄りに上り線からの渡り線がある。
改札口は南千住駅寄りの1か所のみの設置されている。ホーム上屋は短かったが、2011年(平成23年)に増設工事が完了、ホーム長の過半をカバーすることになった。ホームの幅はやや狭い。
自動改札機・指定席券売機・乗車駅証明書発行機設置。かつてはみどりの窓口が設置されていたが、指定席券売機で指定席券などを購入することが可能となったため、2005年11月20日をもって廃止された。乗車駅証明書発行機は朝方のみの稼働である。
2010年12月よりエレベーター設置工事が行われ、翌年4月、完了した。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 常磐線(快速) | 上り | 日暮里・上野・東京・品川方面 (上野東京ライン) |
東京駅から 東海道線へ直通(品川駅まで) |
2 | 常磐線(快速)・成田線 | 下り | 松戸・取手・成田方面 | 常磐線(各駅停車)は北千住駅で乗り換え |
(出典:JR東日本:駅構内図)
-
改札口
-
ホーム
利用状況
2018年(平成30年)度の1日平均乗車人員は11,508人である。常磐線のJR東日本東京支社管内(上野駅 - 取手駅間)の駅の中では最も少なく、東京23区内では越中島駅・上中里駅・尾久駅に次いで4番目に少ない。
近年の推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
出典 |
---|---|---|
1990年(平成 | 2年)8,726 | [* 1] |
1991年(平成 | 3年)8,697 | [* 2] |
1992年(平成 | 4年)9,082 | [* 3] |
1993年(平成 | 5年)9,101 | [* 4] |
1994年(平成 | 6年)8,959 | [* 5] |
1995年(平成 | 7年)8,842 | [* 6] |
1996年(平成 | 8年)8,808 | [* 7] |
1997年(平成 | 9年)8,652 | [* 8] |
1998年(平成10年) | 8,578 | [* 9] |
1999年(平成11年) | 8,702 | [* 10] |
2000年(平成12年) | [JR 1]9,060 | [* 11] |
2001年(平成13年) | [JR 2]9,280 | [* 12] |
2002年(平成14年) | [JR 3]9,688 | [* 13] |
2003年(平成15年) | [JR 4]9,733 | [* 14] |
2004年(平成16年) | [JR 5]9,794 | [* 15] |
2005年(平成17年) | [JR 6]9,743 | [* 16] |
2006年(平成18年) | [JR 7]9,900 | [* 17] |
2007年(平成19年) | [JR 8]10,100 | [* 18] |
2008年(平成20年) | [JR 9]10,148 | [* 19] |
2009年(平成21年) | [JR 10]10,130 | [* 20] |
2010年(平成22年) | [JR 11]10,063 | [* 21] |
2011年(平成23年) | [JR 12]9,763 | [* 22] |
2012年(平成24年) | [JR 13]9,867 | [* 23] |
2013年(平成25年) | [JR 14]10,242 | [* 24] |
2014年(平成26年) | [JR 15]10,373 | [* 25] |
2015年(平成27年) | [JR 16]10,882 | [* 26] |
2016年(平成28年) | [JR 17]11,093 | [* 27] |
2017年(平成29年) | [JR 18]11,307 | [* 28] |
2018年(平成30年) | [JR 19]11,508 |
駅周辺
駅の出口は尾竹橋通りに面している。当駅から日暮里駅までの線路は弧を描くような急カーブになっており、直線距離では日暮里駅・西日暮里駅・町屋駅も徒歩圏内にも入るほどの近さにある。
江戸時代、三河島には徳川家康が遷都の際、開墾のために三河から連れてきた伊藤氏(伊藤七家)などの農家が居住して稲作を行っていた。明治時代には上野の戦いから逃れた彰義隊の残兵が伊藤家に匿われた経緯も史記に残っている。日暮里出身の吉村昭の「彰義隊」に詳しい。
明治から大正までは湿地帯や農家の屋敷も残る田園地帯であった。また、文京区の柳沢吉保邸であった六義園に展示されている江戸地図に三河島近辺は田畑の表記になっている。
明治以降、屠殺場および皮革工場、下水処理場(三河島水再生センター)などの施設が建設されるようになり、戦前戦後にかけて、それらの工場や施設に日本人労働者や朝鮮半島出身者(多くが済州島出身者)が移住して働くようになった[2][3]。そのような経緯から現在では駅周辺は焼肉店などハングルの看板が並ぶコリア・タウンともなっており、朝鮮学校もある。規模的には川崎や新大久保などの他コミュニティよりも比較的規模も活気も小さい。高度経済成長とともに金物加工や印刷、製紙や箱工場も増え、工業地域となった。
1962年には「国鉄戦後五大事故」の一つとされる死者160人を出した三河島列車衝突事故が発生した。
「三河島」という地名は荒川区で広範囲にわたる地域名であったが、この地名が鉄道事故のイメージを持たれるようになったため忌避され[4]、住居表示実施により1968年までに行政上の地名としては消滅し、三河島の中心部は「荒川」に、周辺部は他の地名に組み入れられ、現在では駅名や保育園の名前などとして残るのみとなっている[3]。
バス路線
駅前の尾竹橋通り沿いにある「三河島駅前」バス停から発着する。
隣の駅
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 常磐線(快速)
- 常磐線貨物支線(田端貨物線)
- 常磐線貨物支線(隅田川貨物線)
- 三河島駅 - 隅田川駅
脚注
記事本文
注釈
出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料
利用状況
- ^ 東京都統計年鑑 - 東京都
- ^ 数字で表す荒川区(区勢概要) - 荒川区
- JR東日本の2000年度以降の乗車人員
- ^ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2018年度) - JR東日本
- 東京都統計年鑑
- ^ 東京都統計年鑑(平成2年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成3年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成14年)[リンク切れ]
- ^ 東京都統計年鑑(平成15年)[リンク切れ]
- ^ 東京都統計年鑑(平成16年)[リンク切れ]
- ^ 東京都統計年鑑(平成17年)[リンク切れ]
- ^ 東京都統計年鑑(平成18年)[リンク切れ]
- ^ 東京都統計年鑑(平成19年)[リンク切れ]
- ^ 東京都統計年鑑(平成20年)[リンク切れ]
- ^ 東京都統計年鑑(平成21年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成22年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成23年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成24年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成25年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成26年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成27年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成28年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成29年)
関連項目
外部リンク
- 駅の情報(三河島駅):JR東日本