「野蒜駅」の版間の差分
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|よみがな = のびる |
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2020年2月15日 (土) 01:59時点における版
野蒜駅 | |
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駅舎 | |
のびる Nobiru | |
宮城県東松島市野蒜ケ丘一丁目[1] | |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | ノル |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
197人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)4月10日[1] |
乗入路線 | |
所属路線 | ■仙石線 |
キロ程 | 33.4 km(あおば通起点) |
◄東名 (1.2 km) (2.6 km) 陸前小野► | |
所属路線 | ■■仙石東北ライン* |
キロ程 | 31.6 km(仙台起点) |
◄高城町 (7.9 km) (2.6 km) 陸前小野► | |
備考 | 業務委託駅 |
野蒜駅(のびるえき)は、宮城県東松島市野蒜ケ丘一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。高城町駅から東北本線へ直通する仙石東北ラインの列車も停車する。
もともと奥松島・野蒜海岸の観光開発のために設置された駅だったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波の被害を受けて使用不能となり、仙石線の内陸移設に合わせて海抜22mの新駅舎に移転した。
歴史
画像外部リンク | |
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東北芸術工科大学 東北文化研究センター アーカイブス | |
宮城電鉄会社直営 東北一のびる不老山海水浴場 (その一)のびる駅降車場 | |
宮城電鉄会社直営 東北一野蒜不老山海水浴場 (其三)海岸出張所全景 | |
(松島名所)不老山 |
野蒜村と宮戸村(両村とも現・東松島市)との間には宮戸島を陸繋島とする陸繋砂州「洲崎浜」(須崎浜)があり、太平洋・仙台湾(石巻湾)に面していながら波が穏やかだった。この洲崎浜に宮城電気鉄道(現・JR仙石線)初代社長の山本豊次が目を付けて海水浴場の観光開発を計画し、1928年(昭和3年)に「野蒜駅」が設置された[2]。場所は、鳴瀬川河口に建設された野蒜築港[† 1]と松島湾とを結ぶ東名運河[† 2]沿い。
1931年(昭和6年)には兵庫県神戸市の須磨海水浴場にならい、「東北須磨駅」に改称した[2]。海水浴場は宮電直営で「野蒜不老山海水浴場」(現・野蒜海水浴場)[† 3]と呼ばれ、砂浜には「野蒜海水浴プール」も設置した[3]。また、駅前には宮電直営のホテルや、長寿館という名称のキャバレーも開業した[4]。宮電はさらに「東北須磨バンガロー村」も設置している。
1944年(昭和19年)の国有化時に「野蒜駅」に戻された。
画像外部リンク | |
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1996年に建て替えられる前の駅舎(1983年11月撮影) |
日本三景・松島は当線松島海岸駅がある松島町が観光面での中心地となっており、仙台市から見て同町の先(奥)に当駅はある。そのため当駅がある鳴瀬町(当時)の日本三景・松島の観光地区(東名浜、野蒜海岸、宮戸島等)は「奥松島」と呼ばれるようになった[† 4]。1980年代になると、町は当駅を奥松島駅に改称すべきかどうかを訊く住民アンケートを実施したが、改称には至らなかった[5][† 5]。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波によって大きな被害を受け[6]、当駅そのものが無期限での営業休止となった。震災翌年、不通区間のうち陸前大塚駅から陸前小野駅までについては線路を内陸に移設して復旧することが決定。これに含まれる野蒜駅についても従来よりも約500メートル内陸部に新設されることが発表され、2015年度内の全線復旧を目標として工事をすることが2012年1月にJR東日本から発表となった[7]。
2015年5月30日より新線上で営業を再開。
年表
- 1928年(昭和3年)4月10日:宮城電気鉄道の野蒜駅として宮城県桃生郡野蒜村(北緯38度22分30.2秒 東経141度9分35.8秒)に開業。
- 1931年(昭和6年)10月23日:東北須磨駅(とうほくすまえき)に改称。
- 1944年(昭和19年)5月1日:宮城電気鉄道国有化により、運輸通信省の駅となる。同時に野蒜駅に改称。
- 1955年(昭和30年)5月3日:野蒜・小野・宮戸の3村合併により、住所が宮城県桃生郡鳴瀬町になった。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本に継承。
- 1996年(平成8年)4月1日:鉄筋コンクリート造り2階建てで、新駅舎と合築した鳴瀬町の施設「奥松島観光情報センター」(愛称「Nマップ」。鳴瀬町野蒜字北余景56番36)がオープン[8][† 6][9]。延床面積580.89m2のうち、JR東日本所有が121.36m2、町所有が459.53m2[8][10]。町所有部分については奥松島公社(1994年1月21日設立)が当初から運営[8]。
- 2003年(平成15年)10月26日:ICカード「Suica」サービスが開始。
- 2005年(平成17年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。上下線ともに発車後すぐだったが構内には数人の利用客がおり、駅員の誘導により駅舎の屋上へ避難した[11]。地震に伴う津波により駅舎の1階部分が浸水[11]、構内は甚大な被害を受けた。当駅付近でも自衛隊の捜索活動開始[12]。
- 4月5日:仙石線代行バスが石巻駅と松島駅(東北本線)との間で運行開始[13]。不通区間の仙石線各駅前に停留場が設置されたが、当駅には停留所は設置されなかった。
- 4月19日:小鶴新田駅 - 東塩釜駅の区間が運行再開したのを機に、代行バスの運行区間が東塩釜 - 石巻に変更された(仙石線の運転再開区間に合わせて代行バスの運行区間は順次変更)[13]。同日より野蒜駅前にも停留所設置。
- 4月21日 - 29日:アメリカ軍の「トモダチ作戦」の一環として、自衛隊と在日米軍共同で野蒜駅および東名駅周辺の瓦礫撤去作業をする「ソウルトレイン作戦」が実施された[12][14]。
- 2012年(平成24年)
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)10月1日:旧駅舎を改修(整備費:約4000万円)した「震災復興伝承館」が開館した[24]。
- 2019年(平成31年)2月末:旧駅舎1階に入居していた「ファミリーマート東松島野蒜駅店」が契約期間満了により閉店。退去部分は震災復興伝承館の拡充に充てられる予定[25]。
駅構造
現駅舎
島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームと駅舎が歩道橋で連絡している他、トイレやエレベータも整備されている。 当駅は、国内有数の景勝地として知られる松島に位置しており、文化財保護法による特別名勝の保存管理を受けるため、「人々が集い行き交う船宿のような町の拠点、復興のシンボル」をコンセプトに、切妻屋根や外壁の配色を木材と土壁をイメージした配色、和風の格子窓を採用した[26]。 同じく高台移転した東名駅と同じく、ロータリーと市内在住者向けのパーク&ライド予約型駅前駐車場が整備されている[27]。
石巻駅管理の業務委託駅(JR東日本東北総合サービス委託、早朝夜間駅員不在)。出札窓口(営業時間 9:00 - 16:50 POS端末設置・指定券取扱い)・自動券売機・簡易Suica改札機設置。
のりば
- 線路は1線スルー式になっており、対向列車がない場合は、基本的に上下ともに2番線を使用する。
- 仙石東北ラインの特別快速(当駅通過)は2番線を通過する。
-
ホーム(階段から撮影)
-
ホーム
左(1番線)は仙台行き快速列車、右(2番線)は石巻行普通列車 -
駅名標(1番線側)
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | ■仙石線 (■■仙石東北ライン含む) |
下り | 矢本・石巻方面[28] |
■仙石線 | 上り | 松島海岸・仙台方面[28] | |
■■仙石東北ライン | 仙台方面[28] |
震災前の旧駅舎
島式ホーム1面2線を有する地上駅であり、ホームへは構内踏切で連絡していた。南側の駅舎に近い線路が1番線で、線形は2番線側が直線の1線スルー構造であった。
駅舎内に奥松島観光情報センター(Nまっぷ)が併設されていた。
2015年5月29日まで松島海岸駅と矢本駅を結んでいた代行バス停留所は、駅舎前および道路上に設置されていた。 また、2015年8月8日に東松島市の阿部秀保市長(当時)は旧駅舎のプラットホームについて、震災遺構としての保存方針を示した[29]。
なお、旧駅舎と合築されていた「奥松島観光情報センター」(Nマップ)は改修され、観光交流拠点「野蒜地域交流センター」となり、1階部分に「ファミリーマート東松島野蒜駅店」が開店(「ファミリーマート」は2019年2月末で閉店[25])、2階部分は多目的スペースとして利用されている。
2016年10月1日、旧駅舎は「震災復興伝承館」としてオープン。1階部分は交流スペース、2階部分ではパネル展示や震災関連映像の放映などが行われる[24]。
-
2011年3月27日撮影:東北地方太平洋沖地震の発生時刻で停止した旧駅舎およびNマップの時計
-
2016年1月撮影:旧駅舎に残る駅名標示と到達した津波の高さを記した標示
利用状況
JR東日本によると、2018年度(平成30年度)の1日平均乗車人員は197人である[利用客数 1]。
近年の推移は以下のとおりである。
乗車人員推移 | ||
---|---|---|
年度 | 1日平均 乗車人員 |
出典 |
2000年(平成12年) | 727 | [利用客数 2] |
2001年(平成13年) | 718 | [利用客数 3] |
2002年(平成14年) | 701 | [利用客数 4] |
2003年(平成15年) | 663 | [利用客数 5] |
2004年(平成16年) | 627 | [利用客数 6] |
2005年(平成17年) | 617 | [利用客数 7] |
2006年(平成18年) | 579 | [利用客数 8] |
2007年(平成19年) | 571 | [利用客数 9] |
2008年(平成20年) | 527 | [利用客数 10] |
2009年(平成21年) | 493 | [利用客数 11] |
2010年(平成22年) | 478 | [利用客数 12] |
2011年(平成23年) | ||
2012年(平成24年) | 27 | [利用客数 13] |
2013年(平成25年) | 23 | [利用客数 14] |
2014年(平成26年) | 23 | [利用客数 15] |
2015年(平成27年) | 77 | [利用客数 16] |
2016年(平成28年) | 96 | [利用客数 17] |
2017年(平成29年) | 147 | [利用客数 18] |
2018年(平成30年) | 197 | [利用客数 1] |
- 一日平均乗車人員(単位:人/日)
駅周辺
現駅舎周辺
- 東松島市 奥松島観光物産交流センター
- 野蒜市民センター
- 野蒜地域交流センター
旧駅舎周辺
- 東松島市震災復興伝承館(旧駅舎)
- 宮城県道27号奥松島松島公園線
- のびる屋(ヤマザキショップ)[† 7]
- 東名運河
- 東松島市役所野蒜出張所[† 7]
- 石巻警察署野蒜駐在所
- 余景の松原
- 野蒜海水浴場
- パイラ松島・奥松島ユースホステル[† 7]
- 宮戸島(陸繋島)
- 佐藤山
隣の駅
脚注
記事本文
注釈
- ^ 運用期間:1882年~1884年。産業遺産・野蒜築港跡への最寄駅は隣の陸前小野駅。
- ^ 貞山運河の一部。1884年(明治17年)開通。
- ^ この「野蒜不老山海水浴場」の名称に含まれる不老山(北緯38度22分26.4秒 東経141度10分8.2秒)は、海中にまで突き出たその一部がいくつかに分かれて小規模でかつ急峻な岩山となり、それらの頂部は松に覆われて日本三景・松島の島々のような景観を呈していた。また、洲崎浜の波打ち際でそれらの一部が海に、一部が砂浜に囲まれる姿をした景勝地となっていた(「画像外部リンク」参照)。同海水浴場はこの不老山の周辺を中心とし、当駅(旧駅舎)も不老山から徒歩圏に設置された。現在の不老山は、周辺の川から供給される流砂によって(江戸時代には同様に海中にあった鷺ノ巣岩や鰯山も含めて)全て砂浜に囲まれ海岸線から離れてしまっており、沢山の人々を惹き付ける景勝地ではなくなっている。現在の海水浴場の中心は、より南側(北緯38度21分53.7秒 東経141度9分34.5秒)の無料駐車場がある辺りに移り、当駅(旧駅舎)から離れていった。
- ^ 鳴瀬町(当時)を通る県道に「宮城県道27号奥松島松島公園線」があり、さらに同線は1977年(昭和52年)4月1日には「奥松島パークライン」との愛称が付けられている。
- ^ その後、「奥松島」が用いられた例として、1992年(平成4年)10月に開館した「奥松島縄文村歴史資料館」や1993年(平成5年)3月25日に供用開始した三陸道・鳴瀬奥松島IC、1994年(平成6年)1月21日に設立された第三セクター「奥松島公社」などある。一方、平成の大合併期の2005年(平成17年)4月1日に桃生郡矢本町と鳴瀬町の合併によって発足した新市は東松島市と命名された。
- ^ 当初は鳴瀬町の施設だったが、矢本町との合併により、東松島市の施設となった。
- ^ a b c 東日本大震災の津波被害を受け、現在は解体された。
出典
- ^ a b 野蒜駅(東日本旅客鉄道)
- ^ a b 特別名勝松島保存管理計画 (PDF) (宮城県教育委員会 2010年3月)
- ^ 宮城電鉄経営の野蒜海水浴場プール。(風の時編集部 2008年8月4日)
- ^ 野蒜築港のまわりで(野蒜築港ファンクラブ分室 2011年4月25日)
- ^ “記憶の手帖・写真で見る古里 (6) 仙石線・旧野蒜駅”. 石巻かほく. (2016年2月28日) 2016年10月2日閲覧。
- ^ 宮城県東松島市野蒜(のびる)の空撮 - YouTube(朝日新聞社提供、2011年3月20日公開)
- ^ a b JR仙石線全線、15年度にも復旧、一部区間を内陸に移設(日本経済新聞 2012年1月26日)
- ^ a b c 平成18年 第2回東松島市議会定例会会議録(第1号)(東松島市 2006年6月8日)
- ^ 東松島市奥松島観光情報センター条例(東松島市 平成18年6月23日 条例第28号)
- ^ 旧奥松島観光情報センター(Nマップ)等活用事業特記仕様書 (PDF) (東松島市)
- ^ a b c 宮城県震災遺構有識者会議報告書 (PDF) (宮城県震災遺構有識者会議 2015年1月)
- ^ a b 東日本大震災東松島市被災状況写真集【野蒜亀岡】災害復旧活動・捜索活動(東松島市図書館、東松島市教育委員会)
- ^ a b 2012 Tohoku University Festival 大学祭あおば 研究テーマ:仙石線 (PDF) (東北大学鉄道研究会)
- ^ 自衛隊と在日米軍、仙石線復旧へ「ソウルトレイン作戦」(朝日新聞 2011年4月22日)
- ^ 計画書 石巻広域都市計画土地区画整理事業の決定 (PDF) (東松島市)
- ^ 石巻広域都市計画事業野蒜北部丘陵地区被災市街地復興土地区画整理事業施行規程を定める条例(東松島市)
- ^ 復興の進捗状況 (PDF) (宮城県 2014年5月11日)
- ^ ファミリーマートは東松島市を応援します! 「ファミリーマート東松島野蒜駅店」を開店 (PDF) (ファミリーマート、2014年5月28日)
- ^ “旧野蒜駅にコンビニ 住民の要望が実現 東松島市地域交流センター活用”. 石巻かほく. (2014年5月29日) 2015年6月1日閲覧。
- ^ “津波で被災した旧野蒜駅舎にコンビニ きょうオープン”. 河北新報. (2014年5月29日) 2014年5月31日閲覧。
- ^ 石巻線および仙石線の全線運転再開と仙石東北ライン開業に伴う営業キロの変更及び運賃の適用等について (PDF) 東日本旅客鉄道 仙台支社(2015年1月29日)
- ^ “<仙石線>高台駅舎 野蒜駅お披露目”. 河北新報. (2015年4月22日) 2015年4月22日閲覧。
- ^ 2015年5月 ダイヤ改正について (PDF) 東日本旅客鉄道 仙台支社(2015年2月26日)
- ^ a b “<震災遺構>旧野蒜駅舎を改修 街の歩み発信”. 河北新報. (2016年10月2日) 2017年2月6日閲覧。
- ^ a b “東松島・震災復興伝承館、拡充へ 旧野蒜駅ファミマが今月末閉店”. 石巻かほく. (2019年2月21日) 2019年3月10日閲覧。
- ^ 石巻線および仙石線の復旧における機械工事の概要 2015-7 778号 R&M : Rolling stock & machinery 日本鉄道車両機械技術協会 P46-49
- ^ (新)野蒜駅・(新)東名駅パーク&ライド予約型駅前駐車場の貸出東松島市
- ^ a b c “時刻表 野蒜駅”. 東日本旅客鉄道. 2019年8月14日閲覧。
- ^ “津波被災のJR旧野蒜駅、震災遺構に”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2015年8月5日). オリジナルの2015年8月8日時点におけるアーカイブ。 2015年8月8日閲覧。
利用状況
- ^ a b “各駅の乗車人員(2018年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年7月18日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2000年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2001年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2002年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2003年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2004年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2005年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2006年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2007年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2008年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2009年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2010年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2012年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2013年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2014年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2015年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2016年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。
- ^ “各駅の乗車人員(2017年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年2月8日閲覧。