「本中小屋駅」の版間の差分
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|画像説明= 駅舎(2017年7月) |
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|よみがな= もとなかごや |
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|ローマ字= Moto-nakagoya |
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2020年2月15日 (土) 05:53時点における版
本中小屋駅 | |
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駅舎(2017年7月) | |
もとなかごや Moto-nakagoya | |
◄石狩金沢 (4.5 km) (3.2 km) 中小屋► | |
所在地 | 北海道石狩郡当別町字中小屋 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 札沼線(学園都市線) |
キロ程 | 35.6 km(桑園起点) |
電報略号 | モナ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1935年(昭和10年)10月3日 |
備考 | 無人駅 |
本中小屋駅(もとなかごやえき)は、北海道石狩郡当別町字中小屋にある北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅。電報略号はモナ。
歴史
- 1935年(昭和10年)10月3日:国有鉄道札沼線石狩当別駅 - 浦臼駅間の開通[報道 1]に伴い、同線の駅として開業。一般駅。
- 1944年(昭和19年)7月21日:第二次世界大戦の激化に伴い、札沼線の石狩当別駅 - 石狩月形駅間が不要不急線に指定されたため、当駅も営業休止となる[1]。
- 1946年(昭和21年)12月10日:札沼線 石狩当別駅 - 浦臼駅間の営業再開に伴い、営業再開[2]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1961年(昭和36年)6月12日:業務委託駅となる。
- 1972年(昭和47年)4月15日:貨物取扱い廃止。
- 1979年(昭和54年)2月1日:荷物取扱い廃止。同時に簡易委託駅となり、無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承。
- 1991年(平成3年)3月16日:札沼線に「学園都市線」の愛称を設定[報道 1][報道 2][3]。
- 1996年(平成8年)3月16日:札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[3]。
- 2000年(平成12年):札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む桑園駅 - 石狩月形駅間に自動進路制御装置 (PRC) を導入[4]。
- 2020年(令和2年)5月7日:北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止とともに廃駅となる予定[報道 3][新聞 1][新聞 2][新聞 3]。
駅名の由来
地名より。札沼線開通時に中小屋地区には2駅が設置されることとなったが、このうち、地区北端に設置される駅を中小屋駅とし、当駅は「本」を冠した[5][6]。
地名の由来については、当地が月形と当別の中間点に当たることに由来するとされるが、諸説ある。
- 鉄道省札幌鉄道局による『駅名の起源』(1939年版)では、当地にはかつてただ1軒の民家茶屋があり、月形と当別の中間にあったことから「中茶屋」と呼ばれ、それが「中小屋」となった、としている[5]。
- 1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が上記『駅名の起源』の新版として発行した『北海道 駅名の起源』では、樺戸集治監の囚人によって月形 - 当別間の道路建設を行った際、月形と当別の中間である当地に囚人を収容する小屋が設けられたため、としている[6]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であり、緩急車改造の駅舎を持つ。
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ホーム(2017年7月)
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駅名標(2017年7月)
利用状況
- 1950年(昭和25年)の1日平均乗車人員は57人[7]。
- 1955年(昭和30年)の1日平均乗車人員は66人[7]。
- 1960年(昭和35年)の1日平均乗車人員は122人[7]。
- 1965年(昭和40年)の1日平均乗車人員は151人[7]。
- 1969年(昭和44年)の1日平均乗車人員は114人[7]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗降人員調査(11月の調査日)平均は「10名以下」[報道 4]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は6.0人[報道 5]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は7.0人[報道 6]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は6.6人[報道 7]、乗降人員調査(11月の調査日)平均は「10名以下」[報道 8]。
駅周辺
民家が数軒あるのみ。東側には新篠津村との境界がある。
- 国道275号
- 中小屋温泉(徒歩10数分程度)
隣の駅
脚注
出典
- ^ 「運輸通信省告示第353号」『官報』1944年7月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸省告示第313号」『官報』1946年12月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 杉山茂「電化目前の学園都市線と専用気動車のこと」『鉄道ファン』第615号、交友社、2012年7月、27頁。
- ^ 『JRガゼット』2009年10月号、交通新聞社
- ^ a b 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、31頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、52頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d e 当別町史 昭和47年5月発行 880頁。
報道発表資料
- ^ a b "札沼線(学園都市線)の電化について" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 9 September 2009. 2009年9月14日閲覧。
- ^ "札沼線(学園都市線)の電化開業時期について" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 13 October 2011. 2011年10月17日閲覧。
- ^ "札沼線(北海道医療大学・新十津川間)の鉄道事業廃止届の提出について" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 21 December 2018. 2018年12月24日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年12月24日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年12月10日閲覧。
- ^ "札沼線(北海道医療大学・新十津川間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 8 December 2017. 2017年12月10日閲覧。
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- ^ "札沼線(北海道医療大学・新十津川間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 2 July 2018. 2017年12月31日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年7月4日閲覧。
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- ^ “札沼線(北海道医療大学・新十津川間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員” (PDF). 全線区のご利用状況(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。
新聞記事
- ^ “札沼線・北海道医療大学―新十津川 20年5月7日に廃止”. 北海道新聞. (2018年12月8日). オリジナルの2018年12月17日時点におけるアーカイブ。 2018年12月8日閲覧。
- ^ “札沼線廃止、21日にも届け出 JR、沿線4町と覚書調印”. 北海道新聞. (2018年12月21日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。
- ^ “JR札沼線、北海道医療大学-新十津川間が廃止へ 2020年5月、地元と合意”. 毎日新聞. (2018年12月20日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。