「浦幌駅」の版間の差分
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|画像説明= 駅舎(2018年9月) |
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|ローマ字= Urahoro |
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2020年2月15日 (土) 06:04時点における版
浦幌駅 | |
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駅舎(2018年9月) | |
うらほろ Urahoro | |
◄K39 新吉野 (6.4 km) (18.4 km) 厚内 K42► | |
所在地 | 北海道十勝郡浦幌町本町 |
駅番号 | ○K40 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■根室本線 |
キロ程 | 231.7 km(滝川起点) |
電報略号 | ウラ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1903年(明治36年)12月25日 |
備考 |
社員配置駅 みどりの窓口 有 |
浦幌駅(うらほろえき)は、北海道十勝郡浦幌町本町(ほんちょう)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅。駅番号はK40。電報略号はウラ。事務管コードは▲110425[1]。
特急「スーパーおおぞら」2号・11号が停車する。
歴史
- 1903年(明治36年)12月25日:北海道官設鉄道の駅として開業[2]。一般駅[3]。釧路機関庫浦幌派出所設置[2]。
- 1904年(明治37年)12月15日:釧路機関庫浦幌派出所を池田機関庫扱いに変更[2]。
- 1905年(明治38年)4月1日:国有鉄道に編入。
- 1918年(大正7年):大和鉱業浦幌炭砿ケナシ坑(常室川流域)より当駅へ馬車鉄道約17km敷設[4][5]。
- 1922年(大正11年):浦幌炭砿休止に伴い馬車鉄道廃止[4][5][注釈 1]。
- 1933年(昭和8年):釧路側約4km地点(常豊信号場手前に相当)から分岐する浦幌炭砿までの専用線敷設工事開始[4]。
- 1936年(昭和11年)頃:炭砿専用線敷設工事中止[4][注釈 2]。
- 1938年(昭和13年):浦幌炭砿から尺別炭砿側の選炭場へ山越え索道設置、運炭開始[5]。当駅の利用が無くなる[注釈 3]。
- 1966年(昭和41年)12月24日:跨線橋設置[6]。
- 1978年(昭和53年)11月26日:駅舎改築[2]。
- 1982年(昭和57年)9月10日:貨物扱い廃止[2]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[2]。
駅名の由来
→「浦幌町 § 町名の由来」も参照
アイヌ語の「ウララポロ[注釈 4]」(霧・多い)、あるいは「オラプオロ(オラポロ)[注釈 5]」(ヤマシャクヤク?・の所)からとされる[7]。
駅構造
- 2面2線の相対式ホームの地上駅。列車の発着は、上下線とも、基本的に、本線である駅舎側の1番線を使用し、2番線は、列車交換の場合のみ使用される。お互いのホームは跨線橋で連絡している。
- 社員配置駅。管理駅として、新吉野駅、厚内駅を管理下に置いている。
- みどりの窓口(営業時間7時40分 - 16時30分)設置。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1・2 | ■根室本線 | 上り | 帯広・新得方面 | 特急は全列車1番線から発車 |
下り | 釧路方面 |
-
待合室(2018年9月)
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ホーム(2018年9月)
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跨線橋(2018年9月)
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駅名標(2018年9月)
駅周辺
浦幌町の中心駅。
- 北海道道413号浦幌停車場線
- 北海道道56号本別浦幌線、北海道道597号十弗浦幌線
- 浦幌町役場
- 池田警察署浦幌駐在所
- 浦幌郵便局
- 帯広信用金庫浦幌支店
- 浦幌町農業協同組合(JA浦幌町)本所
- 北海道浦幌高等学校
- 国道38号
- 浦幌町コミュニティバス「コスミックホール」、本別・浦幌生活維持路線バス「JR浦幌駅」停留所[8][9]
隣の駅
脚注
注釈
- ^ 1922年(大正11年)7月7日に当浦幌炭砿は馬車鉄道から切り替えるため、常室-新浦幌と称する終端駅を持つ鉄道新設、並びに浦幌駅との連絡設備設置の許可を受けているが、結局工事に着手せず、1928年(昭和3年)6月に免許が失効した。(1928年6月9日付け官報)
- ^ 大和鉱業経営悪化のため中止となった。このため同線で使用するはずであった1935年(昭和10年)に購入した国鉄7200形蒸気機関車3両は、浦幌炭砿と共に1936年(昭和11年)10月19日付けで雄別炭礦鉄道に譲渡され、雄別本線で使用された。
- ^ それまでは専用道路をトラックにより当駅まで運炭していたが、冬期間の積雪や凍結などで通行不能になることが頻繁だった。炭砿の経営が大和鉱業から雄別炭礦鉄道に移って隣の尺別炭砿と同じ経営者となったため、鉄道のある尺別炭砿まで索道を設けた。しかしこれも冬期間の凍結によりゴンドラ落下などの運用障害がしばしば起きたため、抜本的な解決策として尺別側へ隧道を通して坑内電車軌道により運炭することが計画され、1939年(昭和14年)9月に工事開始、1941年(昭和16年)には尺浦通洞と呼ばれる延長約6kmの隧道が完成、軌道敷設及び試運転を経て1942年(昭和17年)11月より運炭が開始された。
- ^ アイヌ語ラテン翻字: urar-poro
- ^ アイヌ語ラテン翻字: orap-oro
出典
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ a b c d e f g 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』2001年12月 北海道旅客鉄道釧路支社 編集・発行。
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年10月 JTB編集・発行。
- ^ a b c d 『釧路炭田』釧路叢書第14巻 1974年1月 釧路市発行。
- ^ a b c 『浦幌町史』 昭和46年3月発行。
- ^ 『釧路鉄道管理局史』1972年10月 釧路鉄道管理局 編集・発行。
- ^ “アイヌ語地名リスト イチャ~エリ P11-20”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
- ^ “浦幌町コミュニティバス『浦バス』の運行について”. 浦幌町. 2018年5月27日閲覧。
- ^ “本別・浦幌生活維持路線バス”. 本別町. 2018年5月27日閲覧。
参考文献
- 北海道旅客鉄道釧路支社編『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年)
- 浦幌町史 昭和46年3月発行。
- 「尺別鉄道 50年の軌跡」 大谷正春著 昭和59年7月 ケーエス興産発行。
- 沿線炭礦要覧 昭和12年2月 札幌鉄道局発行。
- 釧路叢書 第14巻「釧路炭田」昭和49年1月 釧路市発行。