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2020年2月27日 (木) 12:55時点における版
日本 |
ロシア |
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日露関係(にちろかんけい、ロシア語: Российско-японские всесторонние отношения)では、日本とロシアの二国間関係について総合的に述べる。かつてこれらの地域にあった国家や王朝を含める。
両国の比較
ロシア | 日本 | 両国の差 | |
---|---|---|---|
人口 | 1億4680万4400人 | 1億2711万人(2015年)[1] | ロシアは日本の約1.2倍 |
国土面積 | 1710万 km²[2] | 37万7972 km²[3] | ロシアは日本の約45.2倍 |
首都 | モスクワ | 東京 | |
最大都市 | モスクワ | 東京 | |
政体 | 半大統領制 | 議院内閣制[4] | |
公用語 | ロシア語 | 日本語(事実上) | |
国教 | なし | なし | |
GDP(名目) | 1兆2358億5800万米ドル(2015年)[5] | 4兆1162億4200万米ドル(2015年)[5] | 日本はロシアの約3.3倍 |
防衛費 | 664億米ドル(2015年)[6] | 409億米ドル(2015年)[6] | ロシアは日本の約1.6倍 |
歴史
両国は、ロシア人の極東進出と日本人の北方開拓の結果、隣国として友好と敵対によって複雑に彩られつつ、密接な関係を結びながら歩んできた。
経済的関係
2013年現在のロシアの対日貿易額は332億ドル(うち、ロシアからの輸出は196億ドル、輸入は136億ドル)で、ロシアは日本の貿易相手国の中で14位を占めている[7]。日本の対外貿易額に占めるロシアの割合は2.2%(輸出は1.5%。輸入は2.8%)である[7]。2013年現在、日本はロシアの貿易相手国の中で8位を占め、輸入では4位、輸出では9位である[7]。日本がロシアの対外貿易額に占める割合は3.7%である[7]。
日本のロシアからの輸入品目の中で大きな割合を占めるのは、原油・天然ガスをはじめとするエネルギー資源であり[7]、輸入額全体の7割以上を占める[8]。
日露両国の経済協力の発展においては、1994年に設置された貿易経済に関する日露政府間委員会が重要な役割を担っている[7][9]。この委員会の枠組みで、貿易投資分科会と地域間交流分科会の2つの実務機関が活動している[7]。この政府間委員会の会議では、日露間経済関係の発展の当面の課題と見通しについて包括的に協議される[7][9]。
二国間の経済協力は伝統的に、エネルギー、石油ガス部門、自動車製造の分野において発展してきた[7]。現在進行している石油ガス部門のプロジェクトサハリン1及びサハリン2に続き、3番目のサハリン液化天然ガスプラントの建設(年間生産量550万トン)、及びウラジオストクの新しい液化天然ガスプラント建設(公開株式会社ガスプロム及び極東ロシアガス事業調査株式会社、年間生産量1000万トン、2018年に稼働開始予定)が計画されている[7]。
スポーツ交流
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柔道
ごく早い時期、明治末年頃から大正時代にかけての日本で柔道を学んだ最も著名なロシア人柔道家は、ワシリー・オシェプコフである。オシェプコフは1911年に講道館に入門して修行に励み、ロシア人として初めて初段を取得した後、1914年にロシアに帰国、極東ロシアのウラジオストクにロシア初の柔道場を建てた[10]。ロシア革命のあった1917年に再度訪日して、二段を取得しているが、これがオシェプコフにとって生前最高の段位となる。また、ソ連邦の成立後は極東だけに止まらず、1928年にはシベリアのノヴォシビルスクに、1930年にはモスクワでも柔道の普及活動を始めた[11]。しかし1937年、オシェプコフはスパイ容疑をかけられて「人民の敵」と認定され、大粛清で亡くなった犠牲者のうちの一人となった。
ソ連邦が成立してまだ日の浅い1930年代、武器を使わない格闘技つまりは徒手格闘技(ロシア語で「サンボ」)としてソ連邦の民族的なサンボやソ連邦外の徒手格闘技を源流とするスポーツサンボが誕生したが、この新しい格闘技は、オシェプコフの弟子であったアナトリー・ハルランピエフがソ連邦を統合する国民的なレスリングとして編み出したものである。オシェプコフ自身がスポーツサンボの創設に関与しているとの説もあるが、その真偽がいずれであるにせよ、スポーツサンボが柔道の影響を受けている事実には変わりない[12]。スポーツサンボは一躍ソ連邦で有名なスポーツとなったが、1964年東京オリンピックで柔道が初めて正式競技になるまで、スポーツサンボの源流となる柔道について大きな関心が持たれることはなかった。
1972年、ソビエト社会主義共和国連邦柔道連盟(ロシア語: Федерация дзюдо СССР)が創設された[11]。これは、現在のロシア柔道連盟(ロシア語: Федерация дзюдо России)の前身となる組織であった。柔道連盟創設後の選手強化は順調で、1976年モントリオールオリンピックの柔道競技では柔道の発祥国である日本に次いで2位、1980年モスクワオリンピックの柔道競技では堂々の1位を飾った(但し、日本をはじめとする西側諸国の多くは、ソ連邦によるアフガニスタン侵攻への抗議としてモスクワ大会をボイコットしているが)。バルト三国がソ連邦から離脱した後も、EUN選手団として、1992年バルセロナオリンピックの柔道競技において3位を勝ち取っている。その後は、経済危機などによりロシア柔道の低迷が続くが、2012年ロンドンオリンピックの柔道競技ではモスクワ大会以来、ロシア連邦としては初の1位を飾って、柔道大国ロシアの存在を世界に見せつけた。
また、1999年の末に大統領代行となって翌2000年から正式に大統領に就任したプーチン大統領が、KGB仕込みのサンボ格闘家であると同時に柔道家でもあるという関係から、ロシアと柔道の関係が日本でも深くクローズアップされることになった。2012年9月、ロシア柔道の父と呼べるオシェプコフを記念した「オシェプコフ生誕120周年記念式典」がウラジオストクで開催されて、日本からも山下泰裕八段を筆頭とする柔道家が出席した[10]。
文化交流
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クラシック音楽
ロシアのクラシック音楽は、バレエ音楽「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」などで有名なチャイコフスキーと、ロシア人で最も名高い交響曲作曲家のショスタコーヴィッチが双璧であろう。日本でも、チャイコフスキーとショスタコーヴィッチを一度も演奏したことのない交響楽団を探す方が難しいくらいである。また、チャイコフスキーの名が冠されたロシアのモスクワ音楽院は、1999年にくらしき作陽大学と芸術文化交流協定を締結している。
単純なクラシック音楽という括りではドイツとオーストリアの後塵を拝しているロシアだが、クラシックバレエのカテゴリーでは首都モスクワにボリショイ劇場、副都サンクトペテルブルクにミハイロフスキー劇場(旧称のレニングラード国立歌劇場でも有名)を擁するバレエ大国である。サンクトペテルブルクにあるマリインスキー劇場が抱えるマリインスキー・バレエ団には、日本人としては初の正式団員となるバレリーナ石井久美子が2013年7月より所属している[13]。
加えて、イタリアやドイツには及ばないにせよ、ロシアはオペラでも名高い。ロシアオペラは名作が多いのだが、もし一作だけと言われたらプーシキンの韻文小説をチャイコフスキーがオペラ化した「エフゲニー・オネーギン」を挙げなければならないだろう。帝政ロシアの貴族の日常生活、舞踏会、決闘などを含む恋物語が、一流の韻文や抒情的な旋律と相俟って織り成されている。ロシアのオペラが来日公演する際に、しばしば上演される演目でもある(日本語字幕つきで)。
要人往来
ロシア・ソビエトの要人による訪日
訪日時期 | ロシア・ソビエトの要人 | 日本側の会談相手 | 備考 |
---|---|---|---|
1891年4月~5月 | ニコライ皇太子(後のニコライ2世) | 明治天皇 | ロマノフ朝の皇族および皇太子による最初で最後の訪日。大津に滞在中の5月11日、ニコライ皇太子が現地の巡査に斬り付けられる(大津事件)[14]。この事件の報を受けて明治天皇は直ちに京都へ急行し、5月13日にニコライ皇太子と会談[15] |
1990年1月 | ボリス・エリツィン議員(後のロシア大統領) | エリツィンによる初の訪日[16] | |
1991年4月 | ミハイル・ゴルバチョフ大統領 | 海部俊樹首相 | 1990年7月に行われたゴルバチョフと訪ソ中の創価学会名誉会長・池田大作との会談でゴルバチョフの訪日が内定[17]。ソビエト連邦の首脳による最初で最後の訪日。両首脳の合意により日ソ共同声明が署名される[18] |
1993年7月 | ボリス・エリツィン大統領 | 宮澤喜一首相 | エリツィンによる二度目の訪日、ロシア大統領としては初の訪日。第19回先進国首脳会議(東京サミット)後の7+1会議に出席[16] |
1993年10月 | 細川護熙首相 | エリツィンによる三度目の訪日、ロシア大統領としては二度目の訪日。両首脳の合意により東京宣言が署名される[19] | |
明仁天皇 | 皇居で宮中晩餐[20] | ||
1995年2月 | ウラジーミル・プーチンサンクトペテルブルク第一副市長(後のロシア大統領) | プーチンによる初の訪日[21] | |
1998年4月 | ボリス・エリツィン大統領 | 橋本龍太郎首相 | エリツィンによる四度目の訪日、ロシア大統領としては三度目の訪日。両首脳により川奈合意が確認される[22] |
2000年7月 | ウラジーミル・プーチン大統領 | 森喜朗首相 | プーチンによる二度目の訪日、ロシア大統領としては初の訪日。第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)に参加[21] |
2000年9月 | 明仁天皇 | プーチンによる三度目の訪日、ロシア大統領としては二度目の訪日。皇居で宮中午餐[23] | |
森喜朗首相 | ロシアによる日本の国連安保理常任理事国入り支持を明記した「国際問題における日本国とロシア連邦の協力に関する共同声明」などが署名される[21][24] | ||
2005年11月 | 小泉純一郎首相 | プーチンによる四度目の訪日、ロシア大統領としては三度目の訪日[21][25] | |
2009年5月 | ウラジーミル・プーチン首相 | 麻生太郎首相 | プーチンによる五度目の訪日、ロシア首相としては初の訪日[21][26] |
2010年11月 | ドミートリー・メドヴェージェフ大統領 | なし | メドヴェージェフ大統領が日本との事前調整なしに国後島を訪問、ロシア・ソビエトの首脳による初の北方領土訪問となった[27]。翌2011年2月7日の北方領土の日に、菅直人首相がロシア大統領による国後訪問を評して「許し難い暴挙だ」と強く非難した[28] |
2016年12月 | ウラジーミル・プーチン大統領 | 安倍晋三首相 | プーチンによる六度目の訪日、ロシア大統領としては四度目の訪日[29] |
日本の要人による訪露・訪ソ
訪露・訪ソ時期 | 日本の要人 | ロシア側の会談相手 | 備考 |
---|---|---|---|
1956年10月 | 鳩山一郎首相 | ニキータ・フルシチョフ書記長 | 日本の首相による初の訪ソ。両首脳の合意により日ソ共同宣言が署名される[30] |
1973年10月 | 田中角栄首相 | レオニード・ブレジネフ書記長 | 両首脳の合意により日ソ共同声明が署名される[31] |
1982年11月 | 鈴木善幸首相 | ブレジネフ書記長の葬儀に出席[32] | |
1985年2月 | 中曽根康弘首相 | チェルネンコ書記長の葬儀に出席[32] | |
1988年7月 | 中曽根康弘元首相 | ミハイル・ゴルバチョフ書記長 | 竹下政権期に中曽根が訪ソ[33]。約2年半後に実現したゴルバチョフ訪日の地ならしとなった |
1996年4月 | 橋本龍太郎首相 | ボリス・エリツィン大統領 | モスクワで原子力安全サミットが開催され、日露首脳会談も行われた[32] |
1997年11月 | 橋本龍太郎首相 | ボリス・エリツィン大統領 | 日露平和条約締結に向けて日露両国が全力を尽くすことを確認(クラスノヤルスク会談)[31] |
1998年11月 | 小渕恵三首相 | ボリス・エリツィン大統領 | 両首脳の合意によりモスクワ宣言が発出される[31] |
2000年4月 | 森喜朗首相 | ウラジーミル・プーチン大統領代行 | プーチンの主な支持基盤であるサンクトペテルブルグで会談[34] |
2001年7月 | 森喜朗首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | 両首脳の合意によりイルクーツク声明が発出される[35] |
2003年1月 | 小泉純一郎首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | 両首脳の合意により日露行動計画などを策定[36] |
2003年5月~6月 | 小泉純一郎首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | サンクトペテルブルク建都300周年記念行事が開催され、日露首脳会談も行われた[37] |
2003年6月 | 森喜朗元首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | 小泉政権期に森が訪露[32] |
2005年5月 | 小泉純一郎首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | 第二次世界大戦終了60周年記念式典が開催され、日露首脳会談も行われた[38] |
2008年4月 | 福田康夫首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 ドミートリー・メドヴェージェフ次期大統領 |
[39] |
2013年4月 | 安倍晋三首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | [40] |
2014年2月 | 安倍晋三首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | ソチ冬季五輪が開催され、G7首脳からは唯一安倍が開会式に出席し、日露首脳会談も行われた[41] |
2016年5月 | 安倍晋三首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | [42] |
2018年5月 | 安倍晋三首相 | ウラジーミル・プーチン大統領 | イギリスを筆頭とする親米諸国がセルゲイ・スクリパリ暗殺未遂事件をロシアの仕業であると見なして一斉にロシア外交官を追放する中[43]、対露関係を重視した安倍が当初の予定通り訪露し、日露首脳会談も行われた[44] |
外交使節
在ロシア日本大使・公使
在日ロシア大使
関連項目
- 日本の国際関係#ロシア連邦
- ロシア#国際関係
- 在ロシア日本国大使館、在ウラジオストク日本国総領事館、在サンクトペテルブルク日本国総領事館
- 駐日ロシア連邦通商代表部
- 日系ロシア人
- 在日ロシア人
- 残留ロシア人
脚注
- ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
- ^ ロシア基礎データ | 外務省
- ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
- ^ 日本国憲法で明確に定められている。
- ^ a b Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund
- ^ a b SIPRI Fact Sheet, April 2016 Archived 2016年4月20日, at the Wayback Machine. - 2016年4月
- ^ a b c d e f g h i j “ロ日経済関係について”. 在日ロシア連邦大使館. 2016年10月16日閲覧。
- ^ “世界貿易投資報告2015年版 V ロシア・CIS” (PDF). 日本貿易振興機構. p. 9. 2016年10月16日閲覧。
- ^ a b “貿易経済に関する日露政府間委員会(概要)”. 外務省 (2015年11月9日). 2016年10月16日閲覧。
- ^ a b オシェプコフ生誕120周年記念式典に参加して | 柔道教育ソリダリティー - 2012年9月13日
- ^ a b G. パルホモヴィチ『古典柔道の成り立ち』、ウラル・プレス社、1993年、p.302 (Г. Пархомович «Основы классического дзюдо», Урал-Пресс. Лтд, 1993 г., 302 с.) - ISBN 5-86610-037-1.
- ^ サンボとは|日本サンボ連盟|Japan SAMBO Federation
- ^ 【マリインスキー・バレエに日本人初の正式団員】 石井久美子|ニュース|音楽事務所ジャパン・アーツ - 2013年7月16日
- ^ 大津事件と関西大学 | 法学政治学コラム | 法学部 | 関西大学 法学部・法学研究科
- ^ 14.天皇の病床お見舞い|第一部 前史編|130年の歴史 | 京都ホテルグループ
- ^ a b エリツィン大統領 | 日本国外務省
- ^ 創価学会公式サイト「SOKAnet:ソ連初代大統領 ミハイル・ゴルバチョフ氏」
- ^ (35) 日ソ共同声明 | 日本国内閣府
- ^ (46) 日露関係に関する東京宣言 | 日本国内閣府
- ^ 主な式典におけるおことば(平成5年):天皇陛下のおことば - 宮内庁
- ^ a b c d e 外務省: ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン・ロシア連邦首相略歴
- ^ (55) 川奈合意 | 日本国内閣府
- ^ 天皇皇后両陛下のご日程(平成12年7月~9月) - 宮内庁
- ^ 森総理の動き・トピックス(14) | 日本国首相官邸
- ^ 外務省: プーチン大統領訪日の際の日露首脳会談(結果概要)
- ^ 麻生総理とプーチン・ロシア首相との共同記者会見 | 日本国首相官邸
- ^ メドベージェフ露大統領、国後島を訪問 写真17枚 国際ニュース:AFPBB News
- ^ asahi.com(朝日新聞社):北方領土の日に菅首相「ロシア大統領の国後訪問は暴挙」 - 菅政権
- ^ プーチン・ロシア大統領の訪日(結果) | 外務省
- ^ (18) 日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 | 日本国内閣府
- ^ a b c 日ソ・日露間の平和条約締結交渉 | 外務省
- ^ a b c d 日ソ国交回復以後の日ソ・日露関係主要事項年表 | 外務省
- ^ 中曽根前首相が訪ソ (コード 1988080200007) の報道写真:報道写真なら共同通信イメージリンク
- ^ 2001年版 共同作成資料集 | 外務省
- ^ イルクーツク声明(平成13年3月25日) | 日本国首相官邸
- ^ 日露首脳会談(概要) | 外務省
- ^ サンクトペテルブルクにおける日露首脳会談(概要) | 外務省
- ^ 小泉総理の動き-第二次世界大戦終了60周年記念式典出席- | 日本国首相官邸
- ^ 福田首相、ロシアの大統領と次期大統領と会談 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
- ^ 日露両首脳、北方領土交渉再開で一致 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
- ^ 最近の内外情勢 2014年2月 | 公安調査庁
- ^ 日露首脳会談 | 外務省
- ^ 【元ロシア・スパイ】20カ国が露外交官を追放 史上最大規模 - BBCニュース
- ^ 安倍総理大臣のロシア訪問 | 外務省