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{{by|2010年}}8月14日の対[[起亜タイガース]]戦で世界記録となる9試合連続本塁打を放った。8月20日の対[[斗山ベアーズ]]戦では[[李承燁 (野球)|李承燁]]、[[沈正洙]]が2003年に記録して以来となる自身初のシーズン40本塁打を放つ。最終的に打率.364、44本塁打、133打点で自身4年ぶり2度目(韓国球界初)となる打撃三冠王を達成。その他、安打数、出塁率、長打率、得点まで7部門でトップを記録するなど、プロ入り後最高の成績を収め、レギュラーシーズン最優秀選手 (MVP) にも選ばれた。
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{{by|2011年}}1月、[[韓国野球委員会|KBO]]に年俸調停を申請し調停委員会が開かれたが、本人が要求した7億ウォンではなく、球団側が提示した6億3000万ウォンの年俸が通った。レギュラーシーズンでは[[打率]].357、27[[本塁打]]、113[[打点]]、[[OPS (野球)|OPS]]1.011という好成績を残したが、MVP投票では投手4冠王の[[尹錫ミン (投手)|尹錫珉]]が最優秀選手賞 (MVP) を受賞した。オフにFAを宣言した。
{{by|2011年}}1月、[[韓国野球委員会|KBO]]に年俸調停を申請し調停委員会が開かれたが、本人が要求した7億ウォンではなく、球団側が提示した6億3000万ウォンの年俸が通った。レギュラーシーズンでは[[打率]].357、27[[本塁打]]、113[[打点]]、[[OPS (野球)|OPS]]1.011という好成績を残したが、MVP投票では投手4冠王の[[尹錫珉]]が最優秀選手賞 (MVP) を受賞した。オフにFAを宣言した。


=== オリックス時代 ===
=== オリックス時代 ===

2020年8月24日 (月) 22:38時点における版

李 大浩(イ・デホ)
ロッテ・ジャイアンツ #10
 福岡ソフトバンクホークス時代
(2014年4月13日、福岡ヤフオク!ドームにて)
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 釜山広域市
生年月日 (1982-06-21) 1982年6月21日(42歳)
身長
体重
194 cm
130 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手指名打者
プロ入り 2000年 2次ドラフト
初出場 KBO / 2001年9月19日
NPB / 2012年3月30日
MLB / 2016年4月4日
年俸 25億ウォン(2017年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2008年
WBC 2009年2013年2017年
プレミア12 2015年
オリンピック
大韓民国の旗 韓国
男子 野球
2008 野球
ワールド・ベースボール・クラシック
2009 野球
WBSCプレミア12
2015 野球
イ・デホ
各種表記
ハングル 이대호
漢字 李大浩
発音: イデホ
英語表記: Lee Dae-Ho
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李 大浩(イ・デホ、韓国語이대호, 1982年6月21日 - )は、大韓民国釜山広域市出身のプロ野球選手内野手)。KBOリーグロッテ・ジャイアンツ所属。

経歴

プロ入り前

幼少期の頃に父が死去し、母とも別れ兄と共に祖母に育てられた。家庭は貧しかったと語っている[1][2]。小学生の時から野球をしており、慶南高校時代は投手兼4番としてプレー。2000年、カナダのエドモントンで行われた世界青少年野球大会に韓国代表投手として選出される。大会では金泰均秋信守鄭根宇らと強力なクリーンナップを形成し、チームを優勝に導く。大会通じて打率.500(30打数15安打)、3本塁打を記録。打率はアメリカ代表のジョー・マウアーに次ぐ大会第2位の成績だった。

第一次ロッテジャイアンツ時代

2001年ロッテ・ジャイアンツに入団した。肩を痛めたことにより打者に転向。

2002年、当時の監督であった白仁天から体重の減量を命じられ、無謀な訓練中に膝を怪我した。李大浩はこの時期が野球人生で一番辛かったと回想している。

2003年、膝の怪我の影響で出場機会が少なかった。

2004年はレギュラーに定着。

2005年にはKBOオールスターゲーム最優秀選手賞を受賞し、公式戦全126試合に出場した。

2006年首位打者本塁打王打点王を獲得し、1984年李萬洙以降22年ぶりとなる三冠王となった。得点圏打率も.398と最も高く、一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞した。しかし、最優秀選手投票ではチーム成績が7位と悪かったことと、本塁打・打点の数が低かったことがあだとなり、投手三冠を獲得した柳賢振が最優秀選手賞 (MVP) を受賞。

2007年、4月21日の現代ユニコーンズ戦では社稷野球場初となる推定飛距離150メートルの場外本塁打を記録。最終的に打率.335、29本塁打、87打点、OPS1.053を記録した。

2008年北京オリンピック野球韓国代表として指名打者で出場。対アメリカ合衆国戦、対日本戦(和田毅から2点本塁打)、オランダ戦で本塁打を1本ずつ記録し、大会最多タイの3本塁打を記録。大会通じて打率.360・10打点と国際大会でもその打撃力は発揮された。大会前までには兵役を免除されておらず、この大会でメダルを獲得すれば免除されることが決まっていたため[3]、チームの金メダルによって兵役は免除された。

2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)韓国代表に選出された。同大会では打率.278、打点5と目立った成績は残せなかった。

シーズンでは4年ぶりとなる全試合出場を果たした。チームは前年の3位から4位に順位を下げたこともあり、契約更改では年俸の削減対象とされたが、3000万ウォンの年俸増を勝ち取った。

2010年8月14日の対起亜タイガース戦で世界記録となる9試合連続本塁打を放った。8月20日の対斗山ベアーズ戦では李承燁沈正洙が2003年に記録して以来となる自身初のシーズン40本塁打を放つ。最終的に打率.364、44本塁打、133打点で自身4年ぶり2度目(韓国球界初)となる打撃三冠王を達成。その他、安打数、出塁率、長打率、得点まで7部門でトップを記録するなど、プロ入り後最高の成績を収め、レギュラーシーズン最優秀選手 (MVP) にも選ばれた。

2011年1月、KBOに年俸調停を申請し調停委員会が開かれたが、本人が要求した7億ウォンではなく、球団側が提示した6億3000万ウォンの年俸が通った。レギュラーシーズンでは打率.357、27本塁打、113打点OPS1.011という好成績を残したが、MVP投票では投手4冠王の尹錫珉が最優秀選手賞 (MVP) を受賞した。オフにFAを宣言した。

オリックス時代

オリックス時代(2012年7月8日、QVCマリンフィールド

2011年12月5日に日本プロ野球 (NPB) のオリックス・バファローズへの移籍が発表された(2年契約)。当初希望した背番号10番は大引啓次、52番はアーロム・バルディリスとすでに主力選手が使用していた為、2011年ドラフト会議で指名され入団した新人の佐藤達也に与えられた背番号「25」となった[4]。尚、阪神もこの時より以前から獲得を目指していた[3]

2012年開幕戦で4番を務め、チーム初打点となる適時打を放つも、開幕15試合目にして初の長打、17試合目にして初本塁打を記録する等、3・4月は月間打率.233と開幕当初は日本の野球への順応に苦労した。しかし、5月に入ると緩やかに調子を上げていき、5月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦では9回表2死の土壇場でトニー・バーネットから逆転2ランを放ち、その裏に同点に追いつかれるも延長戦の末に勝利したチームの連敗を6で止める契機となる一撃となった。すると、この試合から3試合連続本塁打、5月25日の対広島東洋カープ戦では延長10回裏に岸本秀樹からNPBでは初のサヨナラ打を放つ等、5月は月間打率.322、8本塁打19打点の活躍で月間MVPを受賞した。その後も6月2日の対読売ジャイアンツ戦では1試合4安打、7月も打率.338、7本塁打18打点の活躍で、2度目の月間MVPを受賞した。8月以降は疲労からかやや調子を落としていったが、9月8日の対北海道日本ハムファイターズ戦でも延長10回裏に石井裕也から2度目のサヨナラ打を放つ等、随所で勝負強い打撃を発揮し続けた。最終的には全試合で4番打者として出場し、打率.286、24本塁打91打点の成績で打点王のタイトルを獲得し、最下位に喘いだチームにあって主軸として奮闘する働きを見せた。

2013年2月、大引が日本ハムにトレードされたことを受けて、背番号をかねてから希望していた10に変更[5]。シーズン開幕前には、NPBの球団に所属する韓国人選手でただ1人第3回WBC韓国代表に選出された関係で、オリックスの春季キャンプに参加できなかった。韓国代表は3月5日に1次ラウンドB組3位で大会からの敗退が決まったため、同月10日にはオリックスへ合流。オープン戦の終盤から、NPBの実戦に復帰している。

シーズンでは7月28日の対西武戦(西武ドーム)において、6回表の打席で空振り三振の判定をめぐる球審の西本欣司への抗議から侮辱行為でNPBでは初の退場処分。また、直後に李大浩の退場宣告に西本へ抗議をした森脇浩司監督も、西本に手が触れたとして暴力行為で退場処分となった[6]。その一方で、9月28日の対日本ハム戦(京セラドーム大阪)でNPBでは初の満塁本塁打を放つ[7] など、前年に続いて下位に低迷するチームの4番打者として奮闘した。この年でオリックスとの2年契約が満了する関係で、チームが公式戦2試合を残していた10月8日に出場選手登録を抹消された[8] が、シーズン通算ではNPBでは初の打率3割と2年連続の24本塁打・91打点を記録。シーズン終了後には、李大浩の意向を受けた代理人が、李大浩の残留を希望するオリックスのフロントと交渉を重ねた。しかし、条件面で折り合いが付かなかったことから、球団本部長の瀬戸山隆三は11月14日に交渉の決裂と李大浩の退団を発表した[9]

ソフトバンク時代

2013年12月24日に福岡ソフトバンクホークスに移籍[10]。保障額は2年総額9億円(推定)で、3年目は李大浩側が選択権を有する契約[11]。背番号は同年からオリックスで着用していた10に決まった。尚、ソフトバンクは2014年1月23日に、オリックス時代の李の通訳だった鄭昌龍の入団も発表している[12]

2014年は全試合に4番として出場し[13]、ソフトバンクのリーグ優勝と日本一に貢献。自身初の優勝経験となった[14]。個人成績では6月に打率4割を記録して月間MVPを受賞[15]。最終的に来日後最多となる170安打(チームメイトの中村晃に次いでリーグ2位)を放つも[13]、好機には弱く[16]得点圏打率は.244と伸び悩み[13]、打点や本塁打が前年より減少した。

2015年は一軍監督に就任した工藤公康の方針で5番打者に起用。内川聖一が開幕から4番打者を務めていた。しかし、李自身は、内川が欠場した8月13日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)にこの年初めて4番打者として出場。2安打4打点という成績を残すとともに、3点本塁打を放ったことによって、4試合連続本塁打を記録した[17]。レギュラーシーズン通算では、一軍公式戦141試合に出場。打率は.282に留まったが、31本塁打、98打点という来日キャリアハイの成績で、チームの2年連続リーグ優勝に貢献した。

東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、開幕前の肋骨骨折で欠場した内川に代わって、再び4番打者として出場。5試合で16打数8安打2本塁打という好成績を残し、チームをシリーズ連覇に導いた。また、5試合で終了したシリーズでは最も多い(タイ記録)通算8打点を記録し、韓国人選手初の日本シリーズMVPに選ばれた[18][19]

オフの11月に開催された第1回WBSCプレミア12韓国代表に選出された。同大会では「4番・指名打者」として全試合に出場。ドミニカ共和国との予選第2戦では、逆転本塁打を放ったことで、チームに大会初の得点をもたらした[20]。さらに、東京ドームで開かれた日本との準決勝(11月19日)では、1点ビハインドで迎えた9回表無死満塁の打席で逆転の2点適時打を放って逆転勝利に貢献[21]。チームはその後の決勝のアメリカ合衆国戦も制して優勝し、大会終了後には、李は指名打者部門でベストナインに選ばれた。

ソフトバンクとの契約期間が2015年で満了したことから、11月3日に韓国・ソウル特別市で開いた記者会見で、翌 2016年からメジャーリーグ (MLB) に挑戦することを明言[22][23]。球団では、この会見を受けて、保留選手名簿に李を記載しなかった。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[24]

李自身は、2015年の12月上旬にMLBのウィンターミーティングへ参加。メジャー契約での移籍に向けて、複数の球団と交渉を進めた[25]。ちなみに、ソフトバンクは李との再契約交渉で、MLBの球団を上回る条件(推定5億円の年俸や複数年契約など)を提示したという[26][27]

マリナーズ時代

2016年2月3日シアトル・マリナーズとマイナー契約を締結[28][29]。3月下旬には、上記の契約を破棄する条項を追加することによって、メジャー契約へ移行した場合に推定年俸100万ドル+最大300万ドルの出来高待遇を受けることが報じられた[30]

契約後は、招待選手としてスプリングトレーニングに参加した。オープン戦19試合へ出場した時点で打率.250、1本塁打、OPS.713という成績にとどまっていたが、前述した契約破棄条項行使期限の3月27日に、メジャー契約へ移行。25人枠入りを果たした[31]。4月4日には、テキサス・レンジャーズとの開幕戦に代打で出場[32]。13日の同カードでは、延長10回裏2死1塁で代打に起用されると、ジェイク・ディークマンからサヨナラ本塁打を放った。マリナーズとのメジャー契約1年目の選手がMLB公式戦で代打サヨナラ本塁打を記録した事例は、球団史上初めてである[33]。以降の公式戦ではスタメンにも起用されたが、オールスターゲームによる中断期間を境に打撃が低迷。後半戦の打率は.109で、一時は傘下3Aチームのタコマに降格した。9月初旬にメジャーへ再び昇格したが、同月後半から再び不調に陥ったため、シーズン終盤にはスタメン起用の機会が減った。MLB公式戦全体では、14本塁打を放った一方で、一時は3割に近かった打率が.253にまで低下した。

なお、シーズン終了後には、第4回WBC韓国代表に選出された[34]。その一方で、マリナーズからFAになったため、KBOやNPBへの復帰も視野に入れていることを示唆した[35]

第二次ロッテジャイアンツ時代

2017年1月24日に、ロッテ・ジャイアンツと契約。契約期間4年・年俸総額150億ウォン(金額は推定)という条件で、2011年以来の復帰を果たした。李自身は、日本からのオファーも再度あった[36] が、韓国球界に復帰を決めた理由として、「『アメリカ (MLB) でのプレー』という夢を叶えたので、ロッテに復帰して(韓国シリーズの)チャンピオンになることが次の夢になったから」と述べている[37]

シーズン開幕前の3月に既に選出されていた第4回WBC韓国代表に参加。同大会では4番打者に起用された。しかし、1次ラウンド・プールA(韓国ラウンド)最初の2試合で通算1安打と振るわず、チームも2敗で1次ラウンドでの敗退が確定した[38]。さらに、1次ラウンド最終戦のチャイニーズタイペイ代表戦では、2回裏の第1打席で潘威倫の投球が頭部を直撃(記録は死球)。李自身は大事に至らず出場を続けたが、6回裏の打席でも黄勝雄から死球を受けたため、代走と交代した[39]

シーズンでは142試合に出場。リーグ4位の34本塁打、リーグ5位の111打点、リーグ15位の打率.320を記録したほか、オールスターゲームにもファン投票を経て一塁手として出場した。

選手としての特徴

2007年に社稷野球場で推定飛距離150メートルの場外本塁打を記録したこともある長打力に加え、身長190cm超えで、体重は100kgを大きく越える巨躯ながら器用にボールを捉える柔軟さを備えている[40]

右方向への流し打ちを得意とし[41]、変化球への対応も良く、打球を広角に打ち分ける[42][43]

守備では主に長身を活かして一塁手として起用されるが、三塁手として出場したこともある。

人物

  • 秋信守(チュ・シンス)とは幼なじみである。李は秋に勧められて野球を始めた[44]。高校時代に秋は釜山高校のエース兼4番打者であり、李は慶南高校のエース兼4番打者だったため、二人は友達でありながらライバルだった[45]。李は秋について「他の選手とはレベルが全然違って野球の神様だと思った。小学生の時から秋信守はすごい選手で俺の英雄だった」とコメント[46]
  • 韓国ロッテ(第1期)時代から慈善事業に力を入れている人物であり、寄付天使と言われたことがある[1]
  • 韓国ロッテ(第1期)時代の愛称は、大きな子供[3]
  • 2020年5月、西日本スポーツが選ぶホークス史上最強外国人選手の打者部門の読者投票で、第4位に選出された[47][48]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001 ロッテ(KBO) 6 9 8 0 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .500 .556 .500 1.056
2002 74 281 255 27 71 19 0 8 114 32 1 0 0 0 19 1 7 66 6 .278 .345 .447 .792
2003 54 173 152 8 37 6 0 4 55 13 0 2 2 0 13 0 6 37 3 .243 .327 .362 .689
2004 132 514 444 52 110 26 0 20 196 68 4 3 6 6 38 0 20 78 21 .248 .331 .441 .772
2005 126 512 447 53 119 16 2 21 202 80 1 0 0 3 47 4 15 76 12 .266 .354 .452 .805
2006 122 499 443 71 149 26 0 26 253 88 0 1 0 1 39 5 16 55 11 .336 .409 .571 .980
2007 121 514 415 79 139 21 1 29 249 87 1 0 0 5 81 25 13 55 9 .335 .453 .600 1.053
2008 122 527 435 73 131 23 0 18 208 94 0 1 0 12 62 4 18 56 9 .301 .400 .478 .879
2009 133 549 478 73 140 28 1 28 254 100 0 0 0 4 51 3 16 65 13 .293 .377 .531 .908
2010 127 552 478 99 174 13 0 44 319 133 0 2 0 3 61 6 10 77 15 .364 .444 .667 1.111
2011 133 570 493 76 176 26 1 27 285 113 2 0 0 6 63 8 8 60 22 .357 .433 .578 1.011
2012 オリックス 144 601 525 54 150 25 2 24 251 91 0 2 0 5 64 3 7 85 18 .286 .368 .478 .846
2013 141 593 521 60 158 27 0 24 257 91 0 0 0 2 64 4 6 80 20 .303 .384 .493 .878
2014 ソフトバンク 144 625 566 60 170 30 0 19 257 68 0 3 0 3 46 0 10 97 18 .300 .362 .454 .816
2015 141 584 510 68 144 30 0 31 267 98 0 1 0 3 62 0 9 109 17 .282 .368 .524 .892
2016 SEA 107 317 292 33 74 9 0 14 125 49 0 0 0 0 20 2 5 74 8 .253 .312 .428 .740
2017 ロッテ(KBO) 142 608 540 73 173 13 0 34 281 111 1 1 0 3 50 8 15 84 22 .320 .391 .533 .924
2018 144 604 543 81 181 30 0 37 322 125 0 1 0 4 43 7 14 75 18 .333 .394 .593 .987
2019 135 549 485 48 138 23 1 16 211 88 0 0 0 7 47 4 10 65 19 .285 .355 .435 .790
KBO:13年 1571 6461 5616 813 1742 270 6 312 2960 1133 10 11 8 54 615 75 168 851 180 .310 .391 .527 .918
NPB:4年 570 2403 2122 242 622 112 2 98 1032 348 0 6 0 13 236 7 32 371 73 .293 .370 .486 .859
MLB:1年 107 317 292 33 74 9 0 14 125 49 0 0 0 0 20 2 5 74 8 .253 .312 .428 .740
  • 2018年シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年度 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2012 129 1190 80 5 85 .996
2013 112 920 87 7 80 .993
2014 71 564 46 0 40 1.000
2015 54 406 38 3 29 .993
通算 366 3080 251 15 234 .995
  • 2015年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

NPB
KBO
  • 首位打者:3回 (2006年、2010年、2011年)
  • 本塁打王:2回 (2006年、2010年)
  • 打点王:2回 (2006年、2010年)
  • 最高出塁率:2回 (2010年、2011年)
  • 最多安打:2回 (2010年、2011年)

表彰

NPB
KBO
WBSCプレミア12
  • ベストナイン(指名打者部門):1回 (2015年)

記録

KBO
NPB初記録
NPBその他記録
MLB
節目の記録

背番号

  • 64 (2001年)
  • 49 (2002年 - 2005年)
  • 10 (2006年 - 2011年、2013年 - )
  • 25 (2012年、2013年WBC

登場曲

代表歴

脚注

  1. ^ a b http://japanese.joins.com/article/862/146862.html
  2. ^ http://japanese.donga.com/List/3/all/27/298469/1
  3. ^ a b c https://archive.fo/20150627122340/http://www.sponichi.co.jp/osaka/base/200806/26/base212340.html
  4. ^ その後、佐藤は背番号を15に変更した。
  5. ^ 李大浩選手 背番号変更のお知らせ - オリックス・バファローズ オフィシャルサイト 2013年2月8日
  6. ^ オリ森脇監督&李大浩がW退場(『日刊スポーツ』2013年7月29日付記事)
  7. ^ 【オリックス】李大浩、来日初の満塁弾(『日刊スポーツ』2013年9月28日付記事)
  8. ^ オリ李大浩抹消、残留交渉を本格開始(『日刊スポーツ』2013年10月9日付記事)
  9. ^ オリ李大浩と交渉決裂 新大砲獲得に着手(『日刊スポーツ』2013年11月15日付記事)
  10. ^ 新外国人選手の入団について 福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年12月24日付球団ニュース
  11. ^ <野球>李大浩、ソフトバンクと3年・最大16億円で契約
  12. ^ 【ソフトバンク】李大浩の通訳入団(『日刊スポーツ』2014年1月23日付記事)
  13. ^ a b c ソフトB・李大浩「アスリートの体で日本に戻る」 地獄自主トレ宣言し帰国(『サンケイスポーツ』2014年11月7日)
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関連項目

外部リンク