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「アンドリー・シェフチェンコ」の版間の差分

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=== 代表でのゴール ===
=== 代表でのゴール ===
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! # !! 開催年月日 !! 開催地 !! 対戦国 !! スコア !! 結果 !! 試合概要
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2021年8月8日 (日) 10:22時点における版

アンドリー・シェフチェンコ
2017年
名前
本名 アンドリー・ムィコラーヨヴィチュ・シェフチェンコ
愛称 シェバ、シェヴァ、ウクライナの矢、ハラーショ、Vento dell’est (東の風)
ラテン文字 Andriy Shevchenko
ウクライナ語表記 Андрій Миколайович Шевченко
基本情報
国籍  ウクライナ
生年月日 (1976-09-29) 1976年9月29日(47歳)
出身地  ウクライナSSRキエフ州
身長 183cm
体重 83kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994–1999 ウクライナの旗 ディナモ・キエフ 117 (60)
1999–2006 イタリアの旗 ACミラン 226 (127)
2006–2009 イングランドの旗 チェルシー 48 (9)
2008–2009 イタリアの旗 ACミラン (loan) 18 (0)
2009–2012 ウクライナの旗 ディナモ・キエフ 55 (23)
通算 446 (219)
代表歴
1994-95 ウクライナの旗 ウクライナ U-18 8 (5)
1994-95 ウクライナの旗 ウクライナ U-21 7 (6)
1995-2012[1] ウクライナの旗 ウクライナ 111 (48)
監督歴
2016 ウクライナの旗 ウクライナ (アシスタント)
2016- ウクライナの旗 ウクライナ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドリー・ムィコラーヨヴィチ・シェフチェンコまたはアンドレイ・ニコラーエヴィチ・シェフチェンコ[2]ウクライナ語: Андрій Миколайович Шевченко, ラテン文字表記:Andriy Mykolaiovych Shevchenko, ロシア語: Андрей Николаевич Шевченко, 1976年9月29日 -)は、ウクライナSSRキエフ州ドヴィルキウシュチナ村出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはFWCFLWG)。現在はウクライナ代表監督を務めている。

ディモナ・キエフやACミラン、ウクライナ代表で活躍し、旧ソ連の小国であったウクライナをヨーロッパのサッカー強豪国のひとつに押し上げげた[3]

愛称はシェバSheva)。ヘブライ語で数字の7を意味するため、本人も背番号は7番(もしくは7の入る数字)にこだわりがある。トップスピードから矢のようにゴールを奪うスタイルから「ウクライナの矢」とも称される。

2004年にバロンドールを受賞。UEFAチャンピオンズリーグにおいて歴代10位タイとなる147試合に出場し、歴代5位の67得点を記録した。そのほか、ミラノダービーでは歴代最多得点となる14得点を挙げている。

クラブ経歴

ディナモ・キエフ時代

6歳でウクライナのディナモ・キエフのサッカースクールに入団。10歳児頃、チェルノブイリ原子力発電所事故で罹災し一家で避難、幼年期を育った土地を離れて移住[4]1992年にディナモ・キエフユースに昇格、1994年にトップチームでデビューを果たす。最初のクラブであるディナモ・キエフではチームを5年連続リーグタイトルに導き、自身は116試合で60得点した。

シェフチェンコが国際的な注目を集めたきっかけは1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにおける大活躍である。特にFCバルセロナとアウェーのカンプ・ノウで対戦した試合では、バルセロナの圧倒的優位という下馬評の中、シェフチェンコのハットトリックを含む0-4でディナモ・キエフが圧勝という番狂わせの立役者となった。シェフチェンコは次シーズンのチャンピオンズリーグでも大活躍し、10得点を挙げて1998-99シーズンのCL得点王を獲得。ディナモ・キエフをCLベスト4に押し上げる原動力となった。

ACミラン時代

1999-00シーズンからは推定移籍金2600万ユーロでACミランに移籍をした。移籍初年度から高い順応性を見せた彼は、鋭い突破力と高い決定力で32試合で24得点を挙げていきなりセリエA得点王を獲得。ミランにおいてグンナー・ノルダールに次いで2人目、セリエA全体では6人目となる移籍初年度に得点王に輝いた外国人選手となった。また、シェフチェンコは1999年、2000年と2年連続でヨーロッパ年間最優秀選手の最終候補3名に名を連ねた。

ACミランでプレーするシェフチェンコ

2002-03シーズンは開幕前に負傷したこともあってか期待された活躍は見られなかったものの、ACミラン在籍時に「不振」と言われるような成績を残したのはわずかこのシーズンのみである。2003-04シーズンには再び24得点を挙げて得点王となるなど完全復活を果たし、ACミランのスクデット獲得に貢献した。この年、ポルトガルのデコとブラジルのロナウジーニョを抑えてヨーロッパ年間最優秀選手を受賞した。ウクライナ人でこの名誉を授かったのは、オレグ・ブロヒン(1975年)、イーゴル・ベラノフ(1986年)に次いで3人目である。

2006年2月8日、FCトレヴィーゾ戦で得点を挙げたことにより、ノルダールに次ぐクラブ史上2番目の得点数を記録した選手となった。最終的に、7年間で296試合に出場して175得点を記録した。

チェルシー時代

2005-06シーズン終了後、ACミランからの退団とFAプレミアリーグへの移籍を表明。5月31日、4500万ユーロ(約63億円)の移籍金、年俸900万ユーロ(約13億円)の4年契約でチェルシーFCへ移籍した。しかし、プレミアリーグのサッカーやチェルシーの戦術に馴染めなかったためか、本来の実力を発揮したとは言えないパフォーマンスであった。ディディエ・ドログバは、巨額な移籍金に見合った働きをするために利己的なプレーをしていると批判した[5]

2008年1月にニコラ・アネルカが加入してからは更に出場の機会がなくなっていき、リザーブチームの試合に出場することもあった[6]

ACミラン復帰

その後もなかなかチームに馴染めず出場機会が限られていたため何度も古巣ミラン復帰の噂がされていたが、2008年夏、得点力不足や前線のメンバーの負傷が相次ぐなど前線に問題をかかえていた古巣ミランがレンタル移籍での獲得を希望する。交渉は難航するが8月23日、レンタル移籍で両クラブ間が合意に達し、2シーズンぶりの復帰となった。背番号は、すでにパトが背番号7を背負っていたため、自身が1976年生まれであること、かつ彼の好む「7」という数字が入っていることから「76」となった。

しかし一旦狂った歯車は中々好転せず、慣れ親しんだミランでも往時の輝きは取り戻せないままレンタル期間は終了。2009-2010シーズンの開幕はチェルシーで迎えることとなった。

ディナモ・キエフ復帰

ディナモ・キエフへ復帰したシェフチェンコ

2009年8月29日、10年ぶりに古巣ディナモ・キエフへ復帰することが発表された[7]。2年契約で背番号は7。2009-10シーズンからキャプテンに就任したアルテム・ミレフスキーのサポート役として、シェフチェンコは副キャプテンに就任。11月4日のチャンピオンズリーグ・インテル戦では華麗なボレーシュートを決めてみせた。

代表経歴

ウクライナ代表でプレーするシェフチェンコ

ウクライナ代表としては111試合に出場して48得点を記録。同国の最多得点記録を保持している。

2006年のワールドカップにおいては、ヨーロッパ予選で6得点を挙げる活躍を見せ、ウクライナ史上初となる本大会出場へと導いた。本大会グループリーグでもチュニジア代表戦での決勝点となるPKを決めるなどし、初出場ながらベスト8まで駒を進めた。

ウクライナがポーランドと共催するUEFA EURO 2012を最後に現役から引退することを大会前に発表。サッカー界から退いた後は、ゴルファーへ転向を果たす計画であり、ゴルフが112年ぶりに正式競技に復活した2016年のリオデジャネイロ五輪への出場を目指す構えだという。そうして臨んだEURO2012ではグループリーグ初戦のスウェーデン戦では、後半7分にスウェーデンのエースであるイブラヒモビッチに先制点を許すも、3分後にヤルモレンコのクロスをヘッドで合わせて同点とし、その7分後にはコーナキックをまたしても頭で合わせて、勝ち越し点を挙げた。こうして2得点を挙げ、ウクライナのEURO初勝利に貢献した。しかし、フランス、イングランドには敗れ、グループリーグ敗退に終わり、大会終了後の2012年7月27日に現役引退した。

引退後

現役引退後は、政治家への転身を表明し、同年10月に行われたウクライナ最高議会選挙にてウクライナ社会民主党から出馬するも、落選した。その後、ウクライナ代表のスタッフ入りも報じられたが、趣味のゴルフでプロゴルファーへの転身も目指し、2013年から複数のツアーに参加したもいずれも予選落ちで大成できなかった。2015年にUEFAのプロライセンスを修得、2016年2月16日、母国ウクライナ代表のコーチ就任が発表された。その後、UEFA EURO 2016グループリーグ敗退で引責辞任したミハイロ・フォメンコ監督の後任として同年7月15日に代表監督就任が発表された。監督として臨んだ2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では最終節でプレーオフ出場となる2位を争う直接のライバルのクロアチア代表に敗れ、予選グループリーグ3位で本大会出場を逃した。

選手としての特徴

スピード、テクニック、体力、得点感覚という、フォワードとして必要な才能を全て兼ね備えたことから世界最高と謳われ、特にそのスピードから「ウクライナの矢」と呼ばれた[3]

エピソード

W杯ドイツ大会出場を記念して発行された切手
UEFA創立50周年を記念して発行された切手
  • 2004年3月ペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人に選出され、同年度のバロンドールを受賞するなど、ウクライナの英雄的存在。実際に2004年にはウクライナレオニード・クチマ前大統領から「ウクライナの英雄」として表彰されている。
  • 同じく2004年にアメリカ人モデルのクリステン・パツィクと結婚。長男はアメリカの元バスケットボール選手マイケル・ジョーダンにちなんでジョーダンと名付けられた。同時期にイングランドへ移籍した理由は、家族のために英語圏で生活するためとも言われている。
  • 2005年6月2日にウクライナ大統領ユシチェンコの非常勤顧問に就任した(2004年大統領選挙では、彼は対立候補であったヤヌコーヴィチの応援CMに出演している)。
  • 2005-06シーズン末に長年契約していたイタリアのロットとの用具契約を終了し、日本のミズノと用具契約をしたが、シーズン終了後、チェルシーに移籍し、同チームがユニフォーム以外のシャツを着てのスパイク等の広告を禁止した為、クラブのスポンサーであるドイツのアディダスの子会社イギリスのリーボックがミズノに金銭を支払うという形で契約を買い取り、同社のスパイクを使用していた。その後はアメリカのナイキのスパイクを使用していた。
  • 幼少時代、キエフ郊外のクレシュチェチュクに住んでおりチェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇している。事故後は黒海に面した港町に疎開している[8]

記録

クラブ

初出場 1994年10月28日 対シャフタール・ドネツク戦
初得点 1994年12月1日 対ドニプロ戦

代表

初出場 1995年3月25日クロアチア代表
初得点 1996年5月1日トルコ代表

ワールドカップ戦績

初出場 2006年6月14日スペイン代表
初得点 2006年6月18日サウジアラビア代表

タイトル

クラブ

ディナモキエフ
ACミラン
チェルシー

個人

個人成績

チェルシーでのシェフチェンコ
クラブ シーズン リーグ カップ1 国際大会2 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ディナモ・キエフ 1994-95 17 1 4 1 2 1 23 3
1995-96 31 16 5 1 2 2 38 19
1996-97 20 6 0 0 0 0 20 6
1997-98 23 19 8 8 10 6 41 33
1998-99 26 18 4 5 14 10 44 33
Total 117 60 21 15 28 19 166 94
ACミラン 1999-00 32 24 5a 4 6 1 43 29
2000-01 34 24 3 1 14 9 51 34
2001-02 29 14 3 0 6 3 38 17
2002-03 24 5 4 1 11 4 39 10
2003-04 32 24 2a 0 11b 5b 45 29
2004-05 29 17 1c 3c 10 6 40 26
2005-06 28 19 0 0 12 9 40 28
Total 208 127 18 9 70 37 296 173
チェルシー 2006-07 30 4 11d 7d 10 3 51 14
2007-08 17 5 3e 2e 4 1 24 8
Total 47 9 14 9 14 4 75 22
ACミラン 2008-09 18 0 1 1 7 1 23 2
Total 18 0 1 1 7 1 23 2
ディナモ・キエフ 2009-10 21 7 2 0 6 1 29 8
2010-11 18 10 2 1 12 5 32 16
2011-12 16 6 1 0 5 0 22 6
Total ! 55 23 5 1 23 6 83 30
通算 446 219 60 35 142 67 648 321

代表


ウクライナ代表国際Aマッチ
出場得点
1995 2 0
1996 2 1
1997 8 4
1998 6 1
1999 9 2
2000 5 5
2001 7 6
2002 3 0
2003 8 3
2004 6 4
2005 6 2
2006 9 5
2007 8 3
2008 7 3
2009 8 4
2010 6 2
2011 5 1
2012 6 2
通算 111 48

代表でのゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1. 1996年5月1日 トルコの旗 サムスン、サムスン・マイス19スタジアム  トルコ 1-1 3-2 親善試合
2. 1997年4月2日 ウクライナの旗 キエフオリンピスキ・スタジアム  北アイルランド 2-1 2-1 1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
3. 1997年5月7日  アルメニア 1-0 1-1
4. 1997年10月11日 アルメニアの旗 エレバンラズダン・スタジアム 0-1 0-2
5. 1997年11月15日 ウクライナの旗 キエフ、オリンピスキ・スタジアム  クロアチア 1-0 1-1 1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフ
6. 1998年7月15日  ポーランド 1-2 1-2 親善試合
7. 1999年10月9日 ロシアの旗 モスクワルジニキ・スタジアム  ロシア 1-1 1-1 UEFA EURO 2000予選
8. 1999年11月13日 スロベニアの旗 リュブリャナ、ベジグラド・スタジアム  スロベニア 0-1 2-1 UEFA EURO 2000予選プレーオフ
9. 2000年4月26日 ブルガリアの旗 ソフィア、ゲオルギ・アスパルホフ・スタジアム  ブルガリア 0-1 0-1 親善試合
10. 2000年9月2日 ウクライナの旗 キエフ、オリンピスキ・スタジアム  ポーランド 1-1 1-3 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
11. 2000年10月7日 アルメニアの旗 エレバン、ハンラペタカン・スタジアム  アルメニア 2-1 2-3
12. 2-3
13. 2000年10月11日 ノルウェーの旗 オスロウレヴォール・スタディオン  ノルウェー 0-1 0-1
14. 2001年3月28日 ウェールズの旗 カーディフミレニアム・スタジアム  ウェールズ 1-1 1-1
15. 2001年9月1日 ベラルーシの旗 ミンスクディナモ・スタジアム  ベラルーシ 0-1 0-2
16. 0-2
17. 2001年9月5日 ウクライナの旗 リヴィウ、ウクライナ・スタジアム  アルメニア 1-0 3-0
18. 2001年10月6日 ポーランドの旗 ホジュフシレジア競技場  ポーランド 1-1 1-1
19. 2001年11月14日 ドイツの旗 ドルトムントヴェストファーレンシュタディオン  ドイツ 4-1 4-1 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフ
20. 2003年6月7日 ウクライナの旗 リヴィウ、ウクライナ・スタジアム  アルメニア 2-2 4-3 UEFA EURO 2004予選
21. 3-2
22. 2003年9月10日 スペインの旗 エルチェ、エスタディオ・マヌエル・マルティネス・バレーロ  スペイン 2-1 2-1
23. 2004年10月9日 ウクライナの旗 キエフ、オリンピスキ・スタジアム  ギリシャ 1-0 1-1 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
24. 2004年10月13日 ウクライナの旗 リヴィウ、ウクライナ・スタジアム  ジョージア 2-0 2-0
25. 2004年11月17日 トルコの旗 イスタンブルシュクリュ・サラジオウル・スタジアム  トルコ 0-2 0-3
26. 0-3
27. 2005年6月4日 ウクライナの旗 キエフ、オリンピスキ・スタジアム  カザフスタン 1-0 2-0
28. 2005年10月8日 ウクライナの旗 ドニプロスタディオン・メテオ  アルバニア 1-0 2-2
29. 2006年6月8日 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルクスタッド・ヨジー・バーテル  ルクセンブルク 0-2 0-3 親善試合
30. 2006年6月19日 ドイツの旗 ハンブルクAOLアレナ  サウジアラビア 0-3 0-4 2006 FIFAワールドカップ
31. 2006年6月23日 ドイツの旗 ベルリンオリンピアシュタディオン  チュニジア 1-0 1-0
32. 2006年9月6日 ウクライナの旗 キエフ、オリンピスキ・スタジアム  ジョージア 1-0 3-2 UEFA EURO 2008予選
33. 2006年10月11日  スコットランド 2-0 2-0
34. 2007年9月12日  イタリア 1-1 1-2
35. 2007年10月13日 スコットランドの旗 グラスゴーハムデン・パーク  スコットランド 2-1 3-1
36. 2007年10月21日 ウクライナの旗 キエフ、オリンピスキ・スタジアム  フランス 2-2 2-2
37. 2008年3月26日 ウクライナの旗 キエフ、ロバノフスキー・ディナモスタジアム  セルビア 1-0 2-0 親善試合
38. 2008年9月6日 ウクライナの旗 リヴィウ、ウクライナ・スタジアム  ベラルーシ 1-0 1-0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
39. 2008年9月10日 カザフスタンの旗 アルマトイアルマトイ・オルタリク・スタディオン  カザフスタン 0-2 1-3
40. 2009年4月1日 イングランドの旗 ロンドンウェンブリー・スタジアム  イングランド 1-1 2-1
41. 2009年6月6日 クロアチアの旗 ザグレブスタディオン・マクシミール  クロアチア 1-1 2-2
42. 2009年9月5日 ウクライナの旗 キエフ、ロバノフスキー・ディナモスタジアム  アンドラ 3-0 5-0
43. 2009年10月14日 アンドラの旗 アンドラ・ラ・ベリャ、エスタディ・コムナル  アンドラ 0-1 0-6
44. 2010年5月25日 ウクライナの旗 ハルキウメタリスト・スタジアム  リトアニア 3-0 4-0 親善試合
45. 4-0
46. 2011年10月7日 ウクライナの旗 キエフ、ロバノフスキー・ディナモスタジアム  ブルガリア 2-0 3-0
47. 2012年6月11日 ウクライナの旗 キエフ、オリンピスキ・スタジアム  スウェーデン 1-1 2-1 UEFA EURO 2012
48. 2-1

監督成績

2018年6月10日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ウクライナ代表 2016年7月15日 27 15 7 5 38 21 +17 055.56
合計 27 15 7 5 38 21 +17 055.56

背番号

  • 10(1995年 - 1999年)
  • 7(1999年 - 2008年8月、2009年9月 - 2012年)
  • 76(2008年9月 - 2009年8月)

スポンサーシップ

  • リーボック(2006年) - サッカーキャンペーン「So you think you know me?」のイメージキャラクターとして複数年契約[9]

註釈

  1. ^ “Andriy Shevchenko - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/shevchenko-intlg.html 
  2. ^ ウクライナ語名の日本語表記アンドリー・ムィコラーヨヴィチ・シェウチェンコ、ロシア語名の日本語表記はアンドレイ・ニコラーエヴィチ・シェフチェンコ。ウクライナの独立以後はウクライナ語のみが同国の公用語となっており、人名についてもウクライナ語名が公式。日本メディアではロシア語名に準じた「アンドレイ・シェフチェンコ」が用いられることが多かった。最近では、ウクライナ語名のロシア語訛りに準じた表記「アンドリー・シェフチェンコ」が用いされることも多くなってきている。ウクライナ語の標準語に準じた表記では「アンドリー・シェウチェンコ」(アンドリイ、アンドリーイ、シェヴチェンコ、シェウチェーンコ、シェヴチェーンコなどのバリエーションあり)となる。「アンドリーイ・シェウチェーンコ」などとなるのは、発音上のアクセントを長音で表すという慣例に従った表記である。また、父称はスポーツ関係では無視されて書かれないことが多い。
  3. ^ a b 田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、111ページ、ISBN 4-591-09115-5
  4. ^ Andrei Shevchenko: The making of Sheva
  5. ^ livedoor.com (2007年1月28日). “ドログバ不満爆発「シェフチェンコは自己中」”. 2015年11月20日閲覧。
  6. ^ Number Web (2008年4月11日). “シェフチェンコの生き地獄は続く。”. 2015年11月20日閲覧。
  7. ^ uefa.com (2009年8月29日). “シェフチェンコがディナモに復帰”. 2009年8月30日閲覧。
  8. ^ 金子義仁『ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版、1999年、p.46-50頁。ISBN 4-87689-330-6 
  9. ^ アンドリー・シェフチェンコがReebokと契約 Rbkが素顔のシェフチェンコの素顔を紹介 , リーボック、 2006年9月5日のリリース

外部リンク