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[[ファイル:Hiroshima Yamagata-gun.png|フレーム|広島県山県郡の位置]] |
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'''山県郡'''(やまがたぐん)は、[[広島県]]([[安芸国]])の[[郡]]。 |
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2021年9月6日 (月) 03:17時点における版
人口21,568人、面積988.09km²、人口密度21.8人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
概要
中国山地の標高300 - 800mに位置し、西中国山地国定公園に指定された1,000m程度の山々に囲まれた山間地域。農林業・観光・レジャーが主な産業である。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町から北広島町の一部(西八幡原の一部)をのぞいた区域にあたる。
歴史
江戸時代
- 天保7年(1836年) - 天保の飢饉が深刻化し、前年からの死者数が3,700人を超えた。12月頃には困窮した多数の農民らが広島城下に流入。藩は翌年にかけて農民らを仏護寺に集め食事を施し、路銀を与えて帰村させた[1]。
近世以降の沿革
- 本地村、石井谷村、木次村、南方村、丁保余原村、川井村、壬生村、古保利村、後有田村、有田村、川東村、惣森村、川西村、春木村、蔵迫村、舞綱村、下石村、寺原村、有間村、今田村、川戸村、大塚村、大朝村、宮迫村、新庄村、岩戸村、中山村、海応寺村、上石村、志路原村、田原村、筏津村、今吉田村、吉木村、阿坂村、西宗村、中原村、都志見村、戸谷村、長笹村、穴村、坪野村、津浪村、加計村、下筒賀村、下殿河内村、上殿河内村、中筒賀村、上筒賀村、戸河内村、橋山村、中祖村、政所村、荒神原村、雲耕村、宮地村[2]、東八幡原村、西八幡原村、土橋村、奥原村、草安村、苅屋形村、南門原村、大利原村、才乙村、奥中原村、川小田村、細見村、小原村、大暮村、米沢村、移原村、高野村、溝口村
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての山県郡が発足。郡役所が加計村に設置。
- 明治15年(1882年) - 上殿河内村が改称して上殿村となる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(20村)
- 加計村 ← 加計村、津浪村(現・安芸太田町)
- 殿賀村 ← 下殿河内村、下筒賀村(現・安芸太田町)
- 上殿村(単独村制。現・安芸太田町)
- 筒賀村 ← 中筒賀村、上筒賀村(現・安芸太田町)
- 戸河内村(単独村制。現・安芸太田町)
- 八幡村 ← 東八幡原村、西八幡原村(現・北広島町)
- 雄鹿原村 ← 政所村、雲耕村、宮地村、中祖村、荒神原村、橋山村(現・北広島町)
- 中野村 ← 大利原村、南門原村、草安村、苅屋形村、土橋村、奥原村、才乙村、奥中原村、川小田村、細見村(現・北広島町)
- 山廻村 ← 溝口村、高野村、移原村、大暮村、米沢村、小原村(現・北広島町)
- 大朝村 ← 大塚村、筏津村、大朝村、田原村(現・北広島町)
- 新庄村 ← 新庄村、宮迫村、岩戸村(現・北広島町)
- 川迫村 ← 川戸村、中山村、蔵迫村、舞綱村(現・北広島町)
- 八重村 ← 石井谷村、有田村、古保利村、春木村、今田村、後有田村、寺原村、有間村(現・北広島町)
- 壬生村 ← 壬生村、川西村、川東村、惣森村、川井村、丁保余原村(現・北広島町)
- 南方村 ← 南方村、木次村(現・北広島町)
- 本地村(単独村制。現・北広島町)
- 吉坂村 ← 今吉田村、阿坂村、吉木村(現・北広島町)
- 原村 ← 中原村、西宗村、志路原村、海応寺村、上石村、下石村(現・北広島町)
- 都谷村 ← 都志見村、戸谷村、長笹村(現・北広島町)
- 安野村 ← 穴村、坪野村(現・安芸太田町)
- 明治31年(1898年)2月10日 - 加計村が町制施行して加計町となる。(1町19村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。
- 明治37年(1904年)5月1日 - 壬生村が町制施行して壬生町となる。(2町18村)
- 大正11年(1922年)1月1日 - 八重村が町制施行して八重町となる。(3町17村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)
- 1月1日 - 大朝村が町制施行して大朝町となる。(4町16村)
- 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和3年(1928年)4月1日 - 山廻村が改称して美和村となる。
- 昭和8年(1933年)8月1日 - 戸河内村が町制施行して戸河内町となる。(5町15村)
- 昭和28年(1953年)12月1日 - 八幡村が島根県那賀郡波佐村の一部(波佐字滝平の一部)を編入(越境合併)[3]。
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)3月31日 - 大朝町・新庄村が合併し、改めて大朝町が発足。(4町10村)
- 昭和31年(1956年)
- 平成16年(2004年)10月1日 - 加計町・筒賀村・戸河内町が合併して安芸太田町が発足。(5町)
- 平成17年(2005年)2月1日 - 芸北町・大朝町・千代田町・豊平町が合併して北広島町が発足。(2町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
大朝村 | 大正15年1月1日 町制 |
大朝町 | 大朝町 | 昭和30年3月31日 大朝町 |
平成17年2月1日 北広島町 |
北広島町 |
新庄村 | 新庄村 | 新庄村 | 新庄村 | |||
雄鹿原村 | 雄鹿原村 | 雄鹿原村 | 雄鹿原村 | 昭和31年9月30日 芸北町 | ||
中野村 | 中野村 | 中野村 | 中野村 | |||
山廻村 | 山廻村 | 昭和3年4月1日 美和村と改称 |
美和村 | |||
八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | |||
壬生村 | 明治37年5月1日 町制 |
壬生町 | 昭和29年11月3日 千代田町 |
千代田町 | ||
八重村 | 大正11年1月1日 町制 |
八重町 | ||||
川迫村 | 川迫村 | 川迫村 | ||||
本地村 | 本地村 | 本地村 | ||||
南方村 | 南方村 | 南方村 | ||||
都谷村 | 都谷村 | 都谷村 | 都谷村 | 昭和31年3月31日 豊平町 | ||
原村 | 原村 | 原村 | 原村 | |||
吉坂村 | 吉坂村 | 吉坂村 | 吉坂村 | |||
戸河内村 | 戸河内村 | 昭和8年8月1日 町制 |
戸河内町 | 昭和31年9月1日 戸河内町 |
平成16年10月1日 安芸太田町 |
安芸太田町 |
上殿村 | 上殿村 | 上殿村 | 上殿村 | |||
加計村 | 明治31年2月10日 町制 |
加計町 | 昭和29年8月1日 加計町 |
昭和31年9月30日 加計町 | ||
殿賀村 | 殿賀村 | 殿賀村 | ||||
安野村 | 安野村 | 安野村 | 安野村 | |||
筒賀村 | 筒賀村 | 筒賀村 | 筒賀村 | 筒賀村 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 旧高旧領取調帳データベース