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「檜山郡」の版間の差分

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2021年9月6日 (月) 03:42時点における版

北海道檜山郡の位置(1.江差町 2.上ノ国町 3.厚沢部町)

檜山郡(ひやまぐん)は、北海道渡島国檜山振興局

人口14,078人、面積1,117.78km²、人口密度12.6人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)

以下の3町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記3町のまま変更されていない。

歴史

郡発足までの沿革

平安時代末期、源平合戦のころには檜山郡に和人が定着しており、江差にある北海道最古の神社・姥神大神宮鎌倉時代以前の創建と伝わる。

檜山郡域では室町時代までに道南十二館のうち花沢館・と比石館が築かれていた。花沢館はコシャマインの戦いの際も落城しなかった館のひとつで、松前藩祖・武田信広公はここの客将であった。また、嘉吉3年に開山された上国寺の本堂は、現存する中で北海道最古の建築物である。

江戸時代の檜山郡域は和人地となっており、北前船も江差に寄航していた。陸上交通は、上ノ国から津軽郡方面へは小砂子(ちいさご)山道が、上ノ国から上磯郡の木古内までは木古内山道などが通じていた。当初松前藩領とされていたが、江戸時代後期文化4年、檜山郡域を含む渡島国域が天領となったのち、文政4年ふたたび松前藩領に復した。

幕末には津軽郡との間に内陸を通る福山 - 上ノ国間山道が開削された。1868年9月から10月にかけ厚沢部の台地に館城が築城され、藩主が松前から移った。しかし、11月旧幕府軍の攻撃にさらされ落城。藩主は熊石へ逃れている。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して檜山郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の檜山郡の町村(10.江差町 11.泊村 12.厚沢部村 13.上ノ国村 紫:江差町 青:区域が発足時と同じ町村)

脚注

  1. ^ 東新町、北新町、中新町、川原新町、片原町、詰木石町、豊部内町、九艘川町、中歌町、姥神町、津花町、浜茂尻町、酒田町、新地裏町、新地町、法華寺町、上野町、佐平治町、弥陀堂町、切石町、影ノ町、沢茂尻町、中茂尻町、小平沢町、碇町、寺小屋町。

参考文献

関連項目