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「有珠郡」の版間の差分

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2021年9月6日 (月) 06:50時点における版

北海道有珠郡の位置(緑:壮瞥町 黄:明治期)

有珠郡(うすぐん)は、北海道胆振国胆振総合振興局

人口2,345人、面積205.01km²、人口密度11.4人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に伊達市および虻田郡洞爺湖町の一部(川東・岩屋・早月)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

平安時代天長3年(826年比叡山の僧・円仁(慈覚大師)が開山したと伝わる伊達有珠善光寺は、江戸時代には蝦夷三官寺のひとつとされた。

江戸時代の有珠郡域は東蝦夷地に属し、松前藩によってウス場所が開かれていた。陸上交通は、渡島国箱館から道東千島国方面に至る陸路(国道37号の前身)が東西に通じていた。寛政年間には大臼山神社の前身の弁財天蛭子宮が存在していた。江戸時代後期、国防のため寛政11年有珠郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり南部藩が警固をおこなった。

有珠郡域にも跨る有珠山は古くから火山活動が盛んで、寛文3年、明和6年、文政5年、嘉永6年と江戸時代だけでも頻繁に噴火しており、付近の集落が全焼したり嘉永6年の噴火では洞爺湖方面に火砕流が流下している。その他、蟠渓温泉が古くから知られている。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して有珠郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の有珠郡の町村(4.伊達村 5.壮瞥村 6.徳舜瞥村 桃:伊達市 青:区域が発足時と同じ町村)

参考文献

関連項目