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「トヨタ・1600GT」の版間の差分

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2021年9月6日 (月) 09:49時点における版

トヨタ・コロナ > トヨタ・1600GT
トヨタ・1600GT
RT55型
フロント
リア
概要
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1967年8月-1969年9月
ボディ
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドア ハードトップ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 9R型 1,587cc 直列4気筒DOHC
最高出力 81kW(110ps)/6,200rpm
最大トルク 137N·m(14.0kgf·m)/5,000rpm
変速機 4速/5速MT
前:ダブルウィッシュボーン 後:リジッド半楕円リーフ
前:ダブルウィッシュボーン 後:リジッド半楕円リーフ
車両寸法
ホイールベース 2,420mm
全長 4,125mm
全幅 1,565mm
全高 1,375mm
車両重量 1,030kg
その他
生産台数 2222台[1]
系譜
後継 トヨペット・コロナマークII「1900GSS」
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1600GTは、トヨタ自動車が生産していたハードトップ乗用車。型式名はRT55。その成り立ちからコロG(コロナGT)とも呼ばれるが、正式名称ではない。

概要

1967年8月発売開始。本車種は同年5月に登場したトヨタ2000GTの弟分という位置付けだった。ボディは、3代目コロナ2ドアハードトップ(コロナ1600S、後期型ボディ)の物を補強した他、サスペンションやブレーキも強化されている。

フロントフェンダーにエアアウトレットを追加し、フェンダーアーチをコロナのものより少し大きめに取っている。フロントグリルとリアクォーターピラーにはトヨタ2000GTに似た逆三角形の七宝焼きエンブレムが付けられ、スタイル上のアクセントとなっていた。塗色もコロナには見られなかった鮮やかな黄色をイメージカラーとしていた。標準で発売されたのは他に白、赤、銀など。

搭載されるエンジンは、コロナ1600S用のOHVツインキャブ『4R』型のシリンダーブロックに、ヤマハ発動機がアルミニウム合金製DOHC(1気筒当たり2バルブ)ヘッドを換装した『9R』型(JISグロス値最高出力110馬力)。これに4速MT車の『GT4』(96万円)と5速の『GT5』(100万円)とが併売された。尚、フロントシートと『GT5』のミッションはトヨタ2000GTの物を流用し、ステアリングホイールは同一デザインだがこちらはプラスチック製となっている。

発売から延べ2年、2222台をもって生産・販売が終了した。系列的な後継車種はマークIIの高性能仕様である『1900GSS』となる。

国内レースでは、本車種のプロトタイプモデルとして3代目コロナの前期型のハードトップボディを元に作られたものがトヨタ・RTXの名で1966年3月の第4回クラブマンレース(日本グランプリの前座試合)に初参戦しており、それぞれ初勝利を飾っている。優れた空力特性とバランスの良い操縦性、軽量、150馬力以上の高出力、タフネスさを利用して、正式な発売後も同じクラスのベレットGTブルーバードSSSのみならず、フェアレディ2000など大排気量車にも勝利を重ねることも多く、1968年'68日本グランプリでは、当時の王者であったスカイライン・2000GTBを打ち破るなどし、約3年間ツーリングカーレースを席捲した。

1969年に開催されたJAFグランプリでは、初参戦のスカイライン・2000GTRと直接対決となる。不利が予想される中、予選では1位から3位までをGT-R勢に独占されるも、1速をスタート専用に設定していたトヨタ勢 (カローラなども含む) は本戦のスタートで日産勢の前に出ることができた。しかしGT-R勢が中盤から作戦変更したことより形勢が逆転、今度は2位、3位を奪われ防戦一方の展開となる。しかし、ここで1位を走るドライバーの高橋晴邦が意地を見せ、辛くもリードしたまま振り切って1着でゴールした。しかし高橋は速度で勝るGT-Rを直線でブロックしたため、これにコース監察の競技役員が走路妨害の疑いを報告し、競技委員会もこれを確認したため、高橋は罰則で1周減算され3位 (クラス1位) となった[2]。そして1600GTのワークスとしての出場はこのレースをもって終了した。

出典

  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第5号23ページより。
  2. ^ 青地康雄 (ファクトリーチーム監督)『初代スカイラインGTR戦闘力向上の軌跡』グランプリ出版、千代田区、2014年11月29日、50-54頁。ISBN 978-4-87687-336-4 

関連項目

外部リンク