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2021年9月18日 (土) 07:13時点における版
天城型巡洋戦艦 | |
---|---|
基本情報 | |
種別 | 巡洋戦艦 |
命名基準 | 山の名 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
同型艦 | 天城、赤城、高雄、愛宕 |
計画数 | 4 |
前級 | 加賀型[注 1] |
次級 | 紀伊型[注 2] |
要目 (計画値) | |
常備排水量 |
計画 41,200英トン[3] 完成予定 41,188英トン[4][注 3] |
満載排水量 | 47,600(英)トン[5] |
全長 | 828 ft 0 in (252.37 m)[6][3] |
水線長 | 820 ft 0 in (249.94 m)[6] |
垂線間長 | 770 ft 0 in (234.70 m)[6] |
最大幅 |
水線上 105 ft 10 in (32.26 m)[3][6] 水線下 102.9 ft 0 in (31.36 m)[6] |
水線幅 | 101 ft 0 in (30.78 m)[6] |
深さ | 59 ft 3 in (18.06 m)[6] |
吃水 | 31 ft 0 in (9.45 m)[6] |
ボイラー | ロ号艦本式缶[9] 重油専焼11基・同混焼8基[10] |
主機 |
天城・赤城:技本式(高圧低圧)タービン8基、4組[10] 高雄:技本式 または三菱パーソンズ式(高圧インパルス式(技本式)、低圧パーソンズ式)タービン8基、4組[10][11] 愛宕:ブラウン・カーチス式(高圧中圧低圧低圧)タービン4基[10][9] |
推進器 | 4軸 x 210rpm[10] |
出力 | 131,200hp[9][10] |
速力 | 30ノット[9][6] |
航続距離 | 8,000カイリ / 14ノット[3][6] |
燃料 | 重油 約3,900英トン、石炭 約2,500英トン[6] |
乗員 | 2,000名[要出典] |
兵装 | 主砲 41cm連装砲5基、14cm副砲16門、12cm高角砲4門、61cm水上魚雷発射管2基8門[3][12]、3年式機砲[13]。 |
装甲 | 舷側254mmVC鋼(傾斜12度)、甲板95mmNVNC鋼、主砲塔前面305mm、同側面152-190mm、同上面127mm、司令塔側面254-330mmVC鋼[7][8] |
天城型巡洋戦艦(あまぎがたじゅんようせんかん)とは、日本海軍が計画した八八艦隊の巡洋戦艦である[14][15]。本艦型は加賀型戦艦の発展型で、艦艇類別等級では巡洋戦艦に類別されている[注 4]。 その実態は、長門型戦艦を凌駕し[17]、加賀型戦艦に匹敵する火力と防御力を持ちながら30ノットを発揮する高速戦艦であった[18][1]。 天城型4隻(天城、赤城、高雄、愛宕)は建造途中でワシントン海軍軍縮条約のため計画は中止となり、巡洋戦艦としての建造は中止された[注 5]。 2隻(愛宕、高雄)が破棄された[20]。天城(横須賀海軍工廠)と赤城(呉海軍工廠)は航空母艦への改装が検討されたものの[21]、後述のように天城は関東大震災で損傷して破棄・解体された[22][注 6]。 天城の代艦として、横須賀港で廃艦処分を待っていた加賀型戦艦加賀が同工廠にて空母に改造された[注 7][注 8]。
計画の経緯
日本海軍はイギリス海軍からクイーン・エリザベス級戦艦(ウォースパイト)[26]の設計図を提供され、同艦型を参考に16インチ砲を搭載した新型戦艦を設計した[27]。これが長門型戦艦である[28]。 1番艦の長門は1916年(大正5年)5月12日に呉海軍工廠にて建造が発令された[29]。ところが直後にユトランド沖海戦が生起、すでに建造日程と予算が組まれていた長門型も設計を変更したが[30]、大海戦の戦訓を完全に取り入れることができなかった[29]。そこで次の大正6年度計画艦において[31]、ユトランド沖海戦の戦訓を徹底的に取り入れた加賀型戦艦[2](3号艦〈加賀〉、4号艦〈土佐〉)が建造されることになった[32][33]。加賀型の基本計画は1918年(大正7年)3月にまとまり、つづいて巡洋戦艦の設計がはじまる[17]。1919年(大正8年)3月13日、各種計画案を審議検討した結果、実質的な高速戦艦として天城型巡洋戦艦の建造が決定した[17]。
八四艦隊案と八六艦隊案において1917年(大正6年)に5号艦(天城)と6号艦(赤城)が[34]、1918年(大正7年)に7号艦(高雄)と8号艦(愛宕)の計4隻の建造が帝国議会で認められ[35]、残りの八八艦隊計画艦は天城型巡洋戦艦の設計を流用した紀伊型戦艦[36][37]、十三号型巡洋戦艦と呼ばれる新規設計艦の予定であった[38][39]。
1922年(大正11年)に締結されたワシントン海軍軍縮条約により、本型は全艦が建造中止となる[40]。だが改装によって航空母艦に転用することは認められていたため、本型の1番艦天城、2番艦赤城を航空母艦に改造することになった[41][42]。その影響で、空母「翔鶴」(初代)の建造が中止になっている[35]。建造中止時、天城型の砲塔は4基が完成していたという[43]。不要となった「赤城」の主砲塔2基は日本陸軍に譲渡され、1番砲塔は陸軍クレーン船「蜻州丸(せいしゅうまる)」[44]により壱岐要塞黒崎砲台へ運搬され、現地で要塞砲として活用された[43]。赤城の4番砲塔や予備砲身は広島陸軍兵器補給廠に保管され、終戦を迎えた[43]。残る「愛宕」、「高雄」の資材は、中止となった紀伊型戦艦(紀伊、尾張)、加賀型戦艦(加賀、土佐)の分も含めて空母改造に流用されている[45]。
しかし、天城は1923年(大正12年)9月に発生した関東地震(関東大震災)で被災して損傷、修復困難と判断され、そのまま解体された[46]。天城の代艦として、横須賀で処分を待っていた加賀型戦艦の加賀を[22]、航空母艦に改造した[31][注 9]。航空母艦としては赤城のみが完成することとなり、数度の改装を繰り返した後、太平洋戦争の緒戦で活躍した。
なお本型は、日本海軍が艦艇類別等級において、当初から巡洋戦艦として建造した唯一の国産艦である(実質的な巡洋戦艦の元祖は筑波と生駒である。)[注 10]
概要
日本海軍は、かねてより思案していた戦艦8隻、巡洋戦艦(旧装甲巡洋艦)8隻の八八艦隊を計画した。8隻の建造予定であった巡洋戦艦として、最初に計画されたのが本型である[1]。ユトランド沖海戦の戦訓を元に、レキシントン級巡洋戦艦に対抗して速力重視だった天城型巡洋戦艦も、防御力を強化した艦型となった[注 11]。
41 cm主砲10門という加賀型戦艦と同等の攻撃力と30 ktの高速力を両立させる関係上、船体全長は250 mを超えるものとなった[1]。天城型の防御設計は加賀型戦艦と共通であるが、高速発揮のためには、船体長大化・機関部強化・燃料増載にともなう重量増加と排水量増加をできるだけ抑える必要があった[17]。そのため、天城型は装甲を薄くして重量を稼いでいる[17]。それでも加賀型と同じく舷側防御に傾斜甲鈑やバルジを採用、甲板装甲を最大95 mmとするなど[50]長門型戦艦よりも優れた防御力を持つ。さらに天城型の副砲は上甲板にまとめられて船体舷側以下はすべて水密区画となっており、加賀型より進歩した設計となっている[17]。本型は、フィッシャー型の戦闘巡洋艦 (Battle Cruiser) から進化して、同等クラスの主砲弾に耐える装甲を持つ、排水量4万1000t[注 12]の高速戦艦 (Highspeed Battleship) となった[1]。
武装は41 cm砲を艦首部分に連装砲塔2基、中央および後部に連装砲塔3基を配した[1]。砲塔配置は加賀型より進歩し、3番砲塔を一層上の甲板に設置することで射界を広くとっている[51][52]。砲塔は加賀型と基本的に同一構造だが、重量軽減のため側面と天蓋の装甲を若干削っている[53]。 なお上甲板に魚雷発射管が搭載される予定であり、水雷戦闘にも対応できた[54]。前述のように、副砲は上甲板の構造物にまとめられている[17]。また、建造中の計画変更として4番砲塔上部には艦載機を発艦させるための滑走台、甲板上には係留気球を運用する設備を備えたほか、当初は二本の直立煙突として計画された煙突を上部で一体化させた集合煙突とした[55]。
最大速力30 ktを実現するため予定機関出力は4軸合計13万1200馬力に達するものとなった。ボイラーは長門型や加賀型と同じく重油専焼缶と石炭混焼缶の併用であったが、主機械は推進軸1軸あたりの出力が大きくなったためタービンや歯車減速装置の構成が変更された。なお本型の機関は日本海軍の大型艦で初めて10万馬力を超えたものであり、ワシントン海軍軍縮条約後に建造された妙高型重巡洋艦以降の機関開発にも影響を与えた[56]。
同型艦
- 天城(あまぎ) - 1919年(大正8年)7月17日命名[57]。1920年(大正9年)12月16日横須賀海軍工廠にて起工。条約締結により1922年建造中止、翌年航空母艦への改装が決定するも、同年9月1日に発生した関東地震で大破し、解体処分[2]。一部が浮き桟橋の資材として利用され、現在も民間の造船所に現存。艦名は雲龍型航空母艦の天城へ引き継がれる。
- 赤城(あかぎ) - 1919年(大正8年)7月17日命名[57]。1920年(大正9年)12月6日呉海軍工廠にて起工。条約締結により1922年建造中止、翌年航空母艦に変更。以後はリンク先を参照のこと。
- 高雄(たかを、当初の計画艦名は愛鷹[58]) - 1920年(大正9年)3月26日命名[59]。天城型3番艦として計画[60]され、1921年12月19日長崎造船所(三菱)にて、戦艦「土佐」進水後の同一船台で起工[61]。1924年条約締結により建造中止。翌年解体処分。
- 愛宕(あたご) - 1920年(大正9年)3月26日命名[59]。天城型4番艦として計画[60]され、1921年11月22日川崎造船所(神戸)にて、戦艦「加賀」進水後の同一船台で起工[62]。1924年(大正13年)条約締結により建造中止。翌年解体処分。艦名は高雄型重巡洋艦に引き継がれる。
脚注
注釈
- ^ 天城型巡洋戦艦の実態は高速戦艦であり、第一次世界大戦前に設計・建造された金剛型巡洋戦艦と性格が異なる[1]。
- ^ 紀伊型戦艦は、天城型の準同型艦である[2]。
- ^ #軍艦基本計画資料Sheet2,Sheet116で天城の排水量41217の値もある。
- ^ イギリス海軍の正式名称は戦闘巡洋艦 (Battle Cruiser) であるが、日本海軍の巡洋戦艦は「巡洋艦の速力を持った戦艦」 (Cruiser Battleship) という性格をもっていた[16]。
- ^ 天城級等[19] 軍艦加賀及び土佐の設計完成後、新巡洋戰艦の設計が開始せられ、翌年完成するに至つた。是等の巡洋戰艦は天城、赤城、高雄、愛宕と名づけられ、八八艦隊中の四巡洋戰艦であつた。天城赤城の兩艦は一九二〇年に起工せられたが、華府條約の規定により、遂に進水前に廢棄せられ、巡洋戰艦としての存在は突然抹殺さるゝに至つたのである。是等の艦の計畫要目は次の通りである。/長さ(P.P.)七七〇呎-〇吋 最大幅(W.L.)一〇一呎-〇吋 吃水三一呎-〇吋 排水量四一,二〇〇噸 速力二八.五節 兵装{主砲 十六吋砲-十門 副砲 五吋半砲-十六門 高角砲 三吋-四門 發射管 二十吋-八門/以上の外既に戰艦紀伊及び尾張の設計が華府會議前に完了して居つたので、その排水量は四二,六〇〇噸に達し、八八艦隊計畫の第九第十番艦であつた。尚ほ此の上に八八艦隊計畫の主力艦六隻が殘つてゐたが、當時は唯考究せられただけであつた。若し華府會議が決裂して、此等の六隻が實現したならば、其の排水量は
よ り 以上に増大し、之に伴ふ建造費の増加は推測に難しくない。華府會議後我が海軍は主力艦の建造に關しては、事實上全く中絶の有様で、唯一九三一年の終りに於て起工さるべき三五,〇〇〇噸の主力艦に對する準備的研究を續行してゐるにすぎぬのである。 - ^ 赤城[23] 華府會議によりて廢棄せられた四一,二〇〇噸の巡洋戰艦天城及び赤城は航空母艦に變更せられた。兩艦は巡洋戰艦として既に防禦甲板の大部分が竣成してゐた。故に下層部は其の儘に殘し、防禦甲板及び其の隣接部を改造した。上層部は航空母艦に改造せらるゝため、全く設計が變更せられた。改造に當つて考慮せられた主なる特色は次の通りである。
(一)吃水が三一呎より二二呎に變更せらるゝ爲に生ずるメタセントリック・ハイトを適當に保つ爲えと、更に防禦甲板及び其の隣接部の改造に際し、その重量を減少するために、幅が一〇一呎より九二呎に縮小せられた。且つ又推進効率を低下せしめない爲、出來る限りツリム・バイ・スターン(Trim by stern)を與へられた。/(二)航空機達箸の便宜を主眼として、上部構造物の配列を設計した。之がため煙突は右舷外側に導かれ、且つ達箸甲板に全然障害物が突出しないやうに煙突の高さは該甲板以下に押へてある。/(三)達箸甲板の前部及び前艦橋の前部は發艦甲板とせられてゐる。/(四)十門の八吋砲と十二門の四.七吋高角砲は航空機の達箸及び發艦を妨げないやうに配置してある。/(五)設計の性質上船體の水準線上の高さが高くなる傾向があるが、之を出來得る限り局限した。
此の計畫は一九二三年の夏完了した。當時横須賀海軍工廠造船船臺上に在つた天城は、一九二三年秋に起れる大震災の際、造船臺の破損のために全く破毀された。斯くて天城の保存は絶望となつたので、遂に解體せらるゝに至つた。之がため當時呉海軍工廠に於て改造中の赤城のみがその工事を續行せらるゝことになり、之と同時に解體豫定の加賀が天城に代つて航空母艦に改造せらるゝことに決定した。/ 赤城は一九二七年に竣工し、直に就役したが、今日までの所全く滿足すべき成績を収めてゐる。 - ^ 戦艦「加賀」は川崎造船所で建造され、1921年(大正10年)11月17日に進水した[24]。未完成のまま神戸から横須賀に回航され、1922年(大正11年)7月14日に到着、1年以上放置されていた[22]。
- ^ 〔 航空母艦[25] 飛行機の發達に伴ひ極めて重要な艦種の一つでありまして、ワシントン軍縮會議の結果制限を受けました。我國最初の航空母艦は鳳翔でありまして、大正十一年竣工基準排水量7,470噸速力25節であります。次で大正八年に排水量7,100噸の龍驤が出來ました。その他に巡洋戰艦及戰艦から改装した赤城、加賀があり、昭和十年には10,050噸の蒼龍が進水致しまして目下艤装中であります。〕
- ^ 〔 (前略)同會議當時は日英米共大艦を建造又は計畫中でありまして、我國では加賀、土佐を建造中であり、加賀は大正十一年に進水して居りますが、その後航空母艦に改造せられました。(以下略)[47] 〕
- ^ 〔 巡洋戰艦附装甲巡洋艦 [48]過去二十五年間の期間に於て我海軍にて建造されました巡洋戰艦と名のつく艦は四隻一一〇,〇〇〇噸馬力二五六,〇〇〇 装甲巡洋艦と云はれて居りますのが十二隻一二九,二四一噸馬力二二七,七五〇(此中に日進、春日を含んで居ります)であります。/一體巡洋戰艦と云ふ語は合の子の語でありまして英國海軍に於て「ドレッドノート」に次で「インフレッキシブル」級と申して艦種は弩級に属し同時に速力二十五節と云ふ快速の装甲巡洋艦を造りました頃から用いられた語でありまして戰艦の攻撃力と巡洋艦の速力とを併有する艦と云ふたのであります 其の意味から申しますると我海軍の筑波、生駒は蓋し巡洋戰艦の元祖であります 唯其時代には左様云ふ語が使はれなかったと云ふ丈であります 此巡洋戰艦と云ふものも元々装甲巡洋艦の一種でありますから茲には便宜上装甲巡洋艦と一緒に御話致します。(以下略)〕
- ^ 〔 (前略)[49] 此巡洋戰艦と云ふ艦種に於きましては前申ました通り攻撃力及速力に餘りに重きを置き其爲に防禦力を犠牲にしたのが弱點でありまして其結果が大正五年五月三十一日の英獨間の「ジャットランド」海戰に於て現はれました 英の巡洋戰艦「クヰンメーリー」は交戰僅かに十五分ばかりにて撃沈せられ次で間もなく「インデファチゲーブル」も同様の運命に遭遇致しました 我海軍に於きましても次の巡洋戰艦天城、赤城の設計を決定せらるる迄は種々の議論がありまして外國でも非常な大速力を有する艦が出來るから我海軍の巡洋戰艦も之に劣らぬ様な速力が欲しいのでありましたが前記の事柄に鑑み巡戰と雖も防禦を苟にすることは出來ませんから天城級に於ては速力は戰艦に比し幾分の優速を有する位に止め防禦力に相當の注意を拂ふたものが設計せられ横須賀及呉の二工廠に於て陸上工事は相當に進みましたのですが軍備制限條約の爲めに未だ進水するに至らずして航空母艦に變更せらるることになりましたので巡洋戰艦としての要目は申上る自由を得ませぬ。〕
- ^ 主砲、速力、排水量は「軍艦尾張製造の件」pp.17-19より。大蔵省の資料には、「愛宕級巡洋戦艦」4万3000tの数値が見られる。「日英米艦船建造費比較」p.1。
出典
- ^ a b c d e f 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 343–344天城型と紀伊型
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- ^ 『帝国海軍の礎 八八艦隊計画』p.94、p100
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