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2021年11月4日 (木) 22:11時点における版
レスター・シティFC | ||||
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原語表記 | Leicester City Football Club | |||
愛称 | The Foxes, (The Blues, City [locally]), trad. The Filberts, blue army | |||
クラブカラー | 青(ブルー) | |||
創設年 | 1884年 | |||
所属リーグ | プレミアリーグ | |||
所属ディビジョン | 1部(2020-21) | |||
ホームタウン | レスター | |||
ホームスタジアム | キング・パワー・スタジアム | |||
収容人数 | 32,312 | |||
運営法人 | キングパワー・インターナショナル・グループ | |||
代表者 |
Aiyawatt Srivaddhanaprabha キングパワー最高経営責任者 | |||
監督 | ブレンダン・ロジャーズ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
レスター・シティ・フットボール・クラブ(Leicester City Football Club)は、イングランド中部・レスターシャー州レスターをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。クラブカラーは青。
概要
1884年にレスター・フォッセとして創立され、1919年に現在の名称となる。2002年に現在の本拠地、キング・パワー・スタジアム(2011年までの名称はウォーカーズ・スタジアム)に移転した。
最高位は1928-29シーズン当時の1部リーグでの2位であったが、2015-16シーズンにリーグでの優勝を果たし、1992年のプレミアリーグ創設以来、リーグを制覇した7つのクラブのうちの1つとなった。
これまでにプレミアリーグにおいては1回の優勝、2部リーグで7回の優勝、FAカップの決勝に5回出場し、2021年にFAカップで初優勝をしている。また、リーグカップでは3回優勝し、これまでに5つの欧州大会に出場している。現在はプレミアリーグに所属。
歴史
1990年代後半はエミール・ヘスキー、ロビー・サヴェージ、ムジー・イゼットらを擁してプレミアリーグのトップ10圏内に食い込む健闘をしていたが、2003-04シーズンにチャンピオンシップに降格してからは、下部リーグでのシーズンが続いた。2007-08シーズンは降格圏内の22位で終了したため、クラブ創設以来初となる3部リーグへの降格が決定した。2008-09シーズンにリーグ1を制し、1シーズンでのチャンピオンシップ復帰を決めた。
2010年、経営難に陥ったことから、タイの資本家ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバが経営権を取得[1]。以後、阿部勇樹や岡崎慎司などアジア人の獲得に積極的になっていく[2]。
1884年-1914年
1884年、フォッセロード沿いのフィールドでプレーしていたことから、レスター・フォッセとして設立された。1891年にフィルバート・ストリートに移転するまで、クラブは5つのグラウンドでプレーしていた。クラブは1890年にFootball Associationに加盟、1891年にはミッドランド・リーグに参加し、2位になったのち、1894年にはフットボール・リーグのディビジョン2に選出された。初めてのリーグ戦はグリムスビーで4-3の敗北を喫したが、その1週間後、フィルバート・ストリートでロザラムを相手にリーグ戦初勝利を記録した。また、FAカップの予選でノッツ・オリンピックを相手に13-0で勝利した。
1904年には、フットボールリーグへの再加盟に成功し、1908年には2部リーグで準優勝して1部リーグに昇格したものの、1シーズンで降格。1909年、ノッティンガム・フォレスト戦で12-0の大敗を喫し、史上最悪の敗北を喫した。
1915年-1948年
1915年、財政難と第一次世界大戦のためにリーグが4年間中断された。1919年にリーグが再開されたときには、財政難だったということもありレスター・フォッセは消滅していた。伴って、クラブは現在の名称に再結成された。この時、レスター行政区は市になったばかりであったため、タイミングとしても適切なものであったとされている。1925年、クラブはピーター・ホッジ監督の下、ディビジョン2のチャンピオンになった。ホッジが獲得した選手の中には、1923年から1935年の間にクラブ記録となる273ゴールを挙げたアーサー・チャンドラーや、リーグ戦528試合出場のクラブ記録を持つアダム・ブラックなどがいた。1929年には、フットボールリーグでシェフィールド・ウェンズディに次ぐ2位となり、クラブ史上最高位の成績を記録した。クラブ史上最多最観客数は、1928年のFAカップ5回戦のトッテナム・ホットスパー戦での47,298人であった。1937年にはディビジョン2で1位となったが、1939年には再びディビジョン1に降格。1939年には、第二次世界大戦のためにフットボールリーグが中断され、第一世界大戦の時と同様に、他のクラブとともに地域リーグでのプレーを余儀なくされた。
1949年-1958年
リーグが再開し、1949年には、史上初のFAカップ決勝に進出したが、ウォルバーハンプトン・ワンダラーズに1-3で敗戦。しかし、その1週間後には、シーズン最終節に引き分けたことで、ディビジョン2での残留が決まった。1950-51シーズンには、アーサー・ローリーがフラムから移籍。ローリーは1951-52シーズンに、当時クラブ記録だったアーサー・チャンドラーの1シーズン38ゴールに並び、翌シーズンには41ゴールを挙げて記録を更新した。そのうち39点はリーグ戦でのもので、初めて2部リーグのゴールデンブーツを獲得した。1954年にレスターが2部リーグで優勝したときも、ローリーは36得点を挙げた。さらに、2年後の1957年、ローリーは自身のクラブ記録を再び更新し、1シーズンで44ゴールをマークして(これは2021年現在もクラブ記録である。)、再び2部リーグの得点王に輝いた。昇格1年目のシーズンは乗り切ったものの、1957-58シーズン終了後、ローリーはアーサー・チャンドラーが持つクラブの歴代最多得点記録まであと7ゴールというところで、シュルーズベリー・タウンに売却された。ローリーの売却はファンの不安を煽り、最終的には1958年11月にデビッド・ハリデーが解任される。
1959年-1969年
レスターが降格圏に沈んでいた時にハリデイの後任として、マット・ギリーズが監督に就任。彼はクラブ史上最も成功した監督とされている。ギリーズは、優秀な選手を見抜く能力に定評があり、後にFWAフットボール・オブ・ザ・イヤーを受賞するゴードン・バンクス、フランク・マクリントック、後にPFAプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞するピーター・シルトンをはじめ、クラブの人気者であったデイブ・ギブソン、レニー・グローバー、グラハム・クロスなどを獲得していった。レスターはギリース監督の下、1961年と1963年にFAカップの決勝に2度進出。1961年には、このシーズン2冠を達成したトッテナムに敗れたため、イングランド代表として1961-62シーズンの欧州カップウィナーズカップに参加したが、1回戦で優勝候補のアトレティコ・マドリードに敗戦。
1963年、レスターは2冠を達成。このシーズンの冬が、ここ数十年で最も寒い冬だったため、レスターは試合を氷上で行うことを余儀なくされたが、当時のクラブ記録である18試合無敗を達成し、1963年4月16日には1部リーグの首位に立ち、レスターはマスコミに「アイスキング」と評された。しかし、FAカップの決勝戦を控えていたこともあり負傷者が続出し、最後の5試合では勝ち点を1しか獲得できず、4位に転落してしまいシーズンを終えた。なお、1963年のカップ戦では、マット・バスビー率いるマンチェスター・ユナイテッドに1-3で敗北を喫している。
1964年、レスターはリーグカップ決勝でストーク・シティを4-3で下し、リーグカップを初制覇。ギリース監督のレスターでの初タイトルであった。なお、翌年のリーグカップでも決勝に進出したが、チェルシーに敗れている。1966年、レスターで8年間プレーしていたゴードン・バンクスがイングランド代表としてFIFAワールドカップに出場し、W杯優勝に大きく貢献した。また、バロンドール(ヨーロピアン・フットボール・オブ・ザ・イヤー)にノミネートされた。レスターの選手でバロンドールにノミネートされたことがある選手は彼が唯一である。
ザンビアが独立してからわずか4年後の1968年夏に、レスターはザンビアツアーを行い、ザンビア代表チームとの3試合、XIの代表チームとの3試合を含む6試合を行い、全勝した。このときの訪問は、ザンビアのケネス・カウンダ大統領から「ザンビアのアソシエーション・フットボールの歴史の中で、おそらく最高の機会」と評された。
1968年11月、マット・ギリーズは、シーズンのスタートダッシュに失敗し、病気があったということもあり、監督を辞任した。後任のフランク・オファレルは、降格を防ぐことができなかったが、1969年のFAカップ決勝に進出した。決勝ではマンチェスター・シティに1-0で敗れている。1969年の降格により、クラブ史上最長となる12年間のトップリーグでの活動に終止符が打たれた。
1971年-1977年
1971年、ディビジョン1に昇格し、リヴァプールとのチャリティ・シールドで初優勝をあげた。ディビジョン1の王者であるアーセナルがヨーロッパ大会に出場していたため、ディビジョン2のチャンピオンであるレスターはFAカップの勝者であるリバプールと対戦することになったが、1-0で勝利した。新シーズンの監督にはジミー・ブルームフィールドが就任し、彼の就任中、チームは1部リーグにとどまった。チームには、キース・ウェラー、フランク・ワーシントン、アラン・バーチェナルなどの選手がいた。バーチェナルは現在もクラブで活躍しており、特にハーフタイムのエンターテイメントを担当していることで知られている。1974年、レスターはFAカップの準決勝に進出した。ブルームフィールド以来、クラブがこれほど長くトップリーグにとどまった時代はない。
1978年-1991年
フランク・マクリントックは、1950年代後半から1960年代半ばまでの7年間、レスターで活躍した選手で、1977年にジミー・ブルームフィールド監督の後を継いだが、1977-78シーズン末にチームは降格し、マクリントックは監督を辞任。その後、ジョック・ウォレスが監督に就任し、1980年にレスターを2部リーグ優勝に導き、ピーター・ホッジ、マット・ギリーズに続くスコットランド人監督の伝統を復活させた。
ウォレスはレスターをディビジョン1にとどめることはできなかったが、1982年にはチームをFAカップ準決勝に導いた。ウォレスの下では、ゲイリー・リネカーがトップチームの一員として活躍。ウォレスの後任にはゴードン・ミルンが監督として就任し、1983年に昇格を果たした。リネカーはレスターの1部リーグ残留に貢献したが、1985年にエヴァートンに売却され、彼の穴を埋めることがなかなかできずチームは低迷する。ミルンは1986年に退任し、1987年にはデビッド・プレットが後任として監督に就任したが、1991年1月にはリーグで最下位を記録。直後に彼は解任された。ゴードン・リーがシーズン終了までクラブを指揮し、最終節で勝利し、フットボールリーグ3部への降格を免れた。
1991年-1994年
ダーリントンをカンファレンスリーグから3部に昇格させたばかりのブライアン・リトルが監督に就任。1シーズン目から昇格プレーオフに出場することができた。準決勝ではケンブリッジ・ユナイテッドを6-1で下したが、プレーオフ決勝でブラックバーン・ローヴァーズに1-0で敗れ、プレミアリーグへの昇格を逃した。この試合の唯一のゴールは、元レスター選手のであるブラックバーンのマイク・ニューウェルが決めたものだった。このゴールは、スティーブ・ウォルシュがデビッド・スピーディに対するファウルの後に決められたもので、PKによるものだった。スピーディはレスターのサポーターの間で恨まれることとなったが、1年後にはレスターに加入している。
1992-93シーズンのディビジョン1では、プレーオフで再び敗北を喫した。3-0で迎えた後半にスウィンドンと同点に追いついたものの、またしても物議を醸すPKを献上してしまったのである。1993-1994年、レスターは3度目の正直で、イースト・ミッドランズのライバル、ダービー・カウンティを決勝戦で2-1で下し、7年ぶりのプレミアシップ昇格を果たした。ストライカーのデイビッド・スピーディーは、準決勝で退場処分を受けたため、決勝では出場停止となった。
1994年-1996年
ブライアン・リトルは翌年11月にレスターの監督を辞任し、アストン・ヴィラの監督に就任した。後任のマーク・マッギーは、1994-95シーズンにおいて、リーグ戦42試合中6勝しかできずに最下位から2番目に沈んだレスターを救うことができなかった。しかし1995年12月には、レスターはディビジョン1の首位に立っていた。そして、マッギーはウォルバーハンプトン・ワンダラーズの監督に就任するために監督を電撃辞任した。
マクギーの後任には、マーティン・オニールが就任した。オニールは、ノリッジ・シティの監督を半年間務めた後、ウィコム・ワンダラーズをカンファレンスからディビジョン2に昇格させ、2年連続で監督を務めていた。オニールの下で、レスターは1995-96シーズンのディビジョン1昇格プレーオフに出場し、スティーブ・クラリッジが決めたゴールでクリスタル・パレスを2-1で破り、プレミアシップへの復帰を果たした。オニールは、ニール・レノン、ムジー・イゼット、トニー・コッティ、マット・エリオットなどの選手を獲得した移籍市場での手腕と、チームから引き出すパフォーマンスの両方で評価された。
1996年-2000年
4年連続でトップ10入りを果たし、プレミアシップでの地位を確立。1997年と2000年のリーグカップを2度制覇し、1999年には準優勝を果たした。これにより、1997-98シーズンと2000-01シーズンにはUEFAカップへの出場権を獲得し、1961-62シーズンの欧州カップウィナーズカップ出場以来のヨーロッパのコンペティションへの出場権を獲得した。オニール監督には複数のクラブからオファーがあり、1999年にリーズ・ユナイテッドからのオファーは断ったものの、最終的に2000年6月にセルティックに引き抜かれた。今日では、クラブの歴史の中で最も成功した監督の一人として評価されている。2000年4月には、ストライカーのエミール・ヘスキーの移籍金として、リヴァプールから史上最高額の1100万ポンドの大金をクラブは得ることとなった。
2000-01シーズン
マーティン・オニールの後任に、元U21イングランド代表監督のピーター・テイラーが就任した。2000-01シーズンのほとんどをレスターはヨーロッパ大会への出場を目指し、10月には2週間にわたってプレミアシップの順位表で首位に立っていた。しかし、FAカップの準々決勝で2部リーグのウィコムに敗れ、その後、プレミアシップの最後の10試合で9敗を喫し、順位は13位に後退した。
2001-02シーズン
スタートダッシュが悪かったため(昇格したばかりのボルトン・ワンダラーズにホームで5-0の大敗を喫した)、テイラーは2ヵ月後に解雇され、後任にはデイビッド・バセットが就任したが、彼はレスターのシーズンが悪い方向に向かうのを止めることができなかった。ピーター・テイラーはクラブに在籍した15ヵ月間に、移籍金だけで2300万ポンドを費やし、これはレスターの監督の中で最も多い金額であった。リーグ戦58試合に出場して11ゴールしか挙げられなかったアデ・アキンビイをクラブ史上最高額の500万ポンドで獲得したことと、さらにはチームメイトへの暴行で解雇された34歳のデニス・ワイズを160万ポンドで獲得したことは特に悪名高い。また、ジョン・エルソム前会長の財務処理の甘さを責める声もある。降格が確定する直前、バセットはフットボール・ディレクターに就任するために辞任し、半年前にブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンの監督を辞めてバセットのアシスタントになったミッキー・アダムスが就任することになった。2001-02シーズンのレスターの最後の試合は、フィルバート・ストリートでの最後の試合でもあり、トッテナムを2-1で下し、今シーズンのプレミアシップで5勝目を挙げた。
2002-03シーズン
開幕と同時に、レスターは32,000人収容のウォーカーズ・スタジアム(2011年にタイの免税会社であるキング・パワー社に買収、キング・パワー・スタジアムと改称)に移転。このスタジアムの命名権は、クラブのスポンサーであるWalkers社が10年間にわたって取得したものであった。しかし2002年10月、クラブは3000万ポンドの負債を抱えて経営破綻。その理由として、テレビ放映権料の損失(ITVデジタル社が経営破綻していたにも関わらず、1部リーグのクラブにテレビ放映権料の支払いを約束していたこと)、多額の賃金請求、他クラブに移籍した選手の移籍金が予想以上に少なかったこと、新スタジアムの建設費が3700万ポンドに上ったことなどが挙げられている。2003年2月、ゲイリー・リネカー率いるコンソーシアムによる買収でクラブが救済された後も、シーズンのほとんどで選手獲得を禁じられが、アダムス監督は、レスターをディビジョン1の準優勝に導き、勝ち点90以上を獲得し、プレミアシップへの自動昇格を果たした。レスターの債務整理に反発したフットボールリーグは規則を変更し、管財手続きを行うチームには10点のペナルティを課すことにしている。
なお、2006年半ばのインタビューでアンドリュー・テイラー会長は、債務は約2500万ポンドで、その中にはウォーカーズ・スタジアムを所有する会社(クラブではない)への1500万ポンドから1800万ポンドの抵当権も含まれていると述べた。
2003-04シーズン
リーズ・ユナイテッド、ウォルバーハンプトン・ワンダラーズとともに、勝ち点33でプレミアリーグから降格。
2004-05シーズン
2004年10月にアダムスが監督を辞任し、デイブ・バセットが一時的に2度目の監督を務め、元FAテクニカルディレクターのハワード・ウィルキンソンが補佐した。2004年10月29日にハーツの監督を務めていたクレイグ・リベインがレスター・シティの監督に就任するまで、2人はレスターの監督を務めた。最終的には15位にとどまり、過去14年間で最低の成績となった。
2005-06シーズン
2005-06シーズンも、10試合を終えた時点で最下位に近い状態が続き、1月には降格圏に転落したため、一部のファンからはリベイン監督の辞任を求める声が上がった。最終的には、その17日前にプレミアシップのトッテナムを相手にFAカップで3-2の勝利を収めたにもかかわらず、2006年1月25日に解任された。
臨時監督として4試合中3試合に勝利し、リーグ戦で順位を5つ上げた後、ロブ・ケリーが残りのシーズンを指揮した。ケリーはレスターを残留に導いた後、2006年4月に正式に監督の座を得た。2006年6月1日、ジム・マッケーヒルが会長を退任し、後任にはアンドリュー・テイラーが就任した。
2006-07シーズン
2007年2月、ミラン・マンダリッチが既存の55人の株主からクラブを買収した。この段階では、チャンピオンシップの中位に位置しており、昇格を目指すには低すぎるが、降格の心配はないと思われていた。しかし、8試合連続で未勝利が続き、降格争いに巻き込まれてしまったため、マンダリッチは2007年4月11日にケリーを解任した。ナイジェル・ワージントンが残りの5試合の監督に就任し、彼のもとで最終的に19位まで順位を上げた
5月25日、マーティン・アレンが3年契約で新しい常任監督に就任した。しかし、ミラン・マンダリッチとの関係は急速に悪化し、就任からわずか3ヵ月後の8月に双方合意の上でクラブを去ることになった。その後、ジョン・ラドキン、スティーブ・ビーグルホール、マイク・ストーウェルの3人が、9月13日にガリー・メグソンが常任監督に就任するまでの間、世話役を務めた。しかし、10月24日に彼が出て行ったことで、後任としてフランク・バローズとジェリー・タガートが一時的に指揮を執り、10月22日にプリマス・アーガイルを辞任したイアン・ホロウェイが監督に就任した。
2007-08シーズン
2008年5月4日、ストーク・シティと0-0で引き分けたものの、他試合の試合結果により降格。これにより、2008-09シーズンはリーグ1でプレーすることになり、史上初の3部リーグでプレーすることとなった。また、監督のイアン・ホロウェイが解雇された。
2008-09シーズン
ナイジェル・ピアソンが就任。このシーズンではクラブ記録となるリーグ戦23試合無敗を達成。2009年4月18日にはサウスエンド・ユナイテッドを2-0で破り、シーズン残り3試合でチャンピオンシップへの復帰を決めました。また、マティ・フライヤットはこのシーズンに32ゴールを決め、52年前に伝説的なアーサー・ローリーが達成して以来、レスターの選手が1シーズンに30ゴール以上の記録となった。
2009-10シーズン
ピアソンはシーズン初めに、チームは安定した成績を収めるだけでなく、プレーオフを目指すと宣言。見事、チームは2部リーグ復帰初年度にして5位に入り、5度目のプレーオフ進出を果たした。準決勝ではカーディフ・シティと対戦し、2点差から3-2とリードしたものの、最終的にはPK戦で敗戦。2010年夏、ピアソンはクラブを去りハル・シティの監督に就任した。
2010-11シーズン
後任にパウロ・ソウザが就任。しかし、リーグ戦はじまってわずか9試合で解任され、2010年10月3日に、後任にイングランド代表、ラツィオ、ベンフィカで監督で監督を務めたスベン=ヨーラン・エリクソンが就任。エリクソンはクラブを最終的に10位に導いた。
2011-12シーズン
最初の13試合でわずか5勝という安定しないスタートを切ったため、2011年10月24日にエリクソンは双方合意の上で解任。3週間後の2011年11月15日、ナイジェル・ピアソンがエリクソンの後継者としてクラブに復帰することが決定。
2012-13シーズン
昇格プレーオフ準決勝2ndレグ・ワトフォードFCで、後半ロスタイムにアンソニー・クノッカートが得たPKを自ら失敗、そのままカウンターを受け最後はトロイ・ディーニーにゴールを奪われプレーオフ敗退が決まった。
2013-14シーズン
2014年4月、 2-1でシェフィールド・ウェンズデイに勝利し、さらにQPRとダービー・カウンティが敗れたため、その時点で2位以上が確定し、プレミアリーグ復帰を4月の段階で決定させた。レスターのプレミアリーグ復帰は2003-04シーズン以来、10年ぶりである。4月22日、アウェイでボルトン・ワンダラーズに1-0で勝利し、勝ち点102で2013-2014シーズンのチャンピオンシップでの優勝が決定した。
2014-15シーズン
2014-15シーズンはリーグ終盤まで最下位に沈んでいたが、2015年4月以降の9試合は7勝1分1敗と強烈な追い込みで見事プレミアリーグに残留し、最終順位は14位であった。2015年6月26日、日本代表の岡崎慎司の獲得を発表したが、4日後の30日には残留の立役者であった監督のナイジェル・ピアソンを解任。解任の要因としてシーズン中に相手選手の首を絞める問題行動を起こしたことと、6月17日にピアソンの息子のジェームズが5月に行われたアジアツアー中に乱交パーティーを行い、人種差別的発言をしたことで解雇された責任を問われたとされている[3]。
2015-16シーズン
2015-16シーズンの開始にあたり、ピアソンの後任としてかつてチェルシーなどを率いたクラウディオ・ラニエリが就任した。ラニエリ自身が強調するようにシーズン当初のチームの目標はあくまでリーグ残留であり、勝ち点の獲得目標も40程度であった。しかし、シーズン開幕後はジェイミー・ヴァーディと岡崎の2トップからプレスをかけ、そこからリヤド・マフレズがクロスを入れる戦術がチームにフィットし、勢いに乗る。特にヴァーディはルート・ファン・ニステルローイによる2003年のリーグ戦連続ゴール記録(10試合連続)を抜いて11試合連続ゴールを達成するなど主力選手の好調が続き、シーズン前には誰も予想もしていなかった快進撃によってアーセナルに次ぐ2位で前半戦を終えた。後半戦もチームに勢いをもたらした運動量は衰えず、5連勝を記録するなどし、2016年4月10日にサンダーランドに2-0で勝利したことでクラブ初となるUEFAチャンピオンズリーグの出場権獲得を確実なものとした。そして2016年5月2日、前日に引き分けたレスターは試合がなかったものの、優勝を最後まで争ったトッテナムがチェルシーに引き分けたことで追いつく可能性がなくなり、クラブ創設132年目にして、プレミアリーグでは1978年のノッティンガム・フォレスト以来38年ぶりとなる初優勝を果たした[4]。この優勝は各メディアで「奇跡」と称えられ、大方の予想を覆してリーグを制したレスターは「ミラクル・レスター」として讃えられた。
2016-17シーズン
昨シーズンの快進撃を受け、その立役者となったヴァーディやマフレズ、ダニー・ドリンクウォーターなどに移籍報道が相次いだが、最終的にはエンゴロ・カンテのチェルシー移籍のみに留まり、イスラム・スリマニやアーメド・ムサらを補強した。
開幕戦では昇格チームであるハル・シティに敗れ、前季プレミアリーグ優勝チームとしては初の開幕黒星となった[5]。2016年9月14日、初出場となったUEFAチャンピオンズリーグ第1節のクラブ・ブルージュ戦で3-0と勝利して、その後全6試合の終了を待たずして決勝トーナメント進出を果たした。しかし、リーグ戦では昨シーズンが嘘のように不用意な失点を繰り返し、ヴァーディ、マフレズもスランプに陥り勝ち点3はおろか引き分けすら叶わない負のスパイラルに陥る。2017年2月17日のFAカップ5回戦ではフットボールリーグ1(3部相当)所属のミルウォールFCに0-1で敗れた。2月21日のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦の第1戦、アウェイでのセビージャFCとの試合は1-2で敗れた翌日の2月23日、ラニエリの解任が発表された。ここまでリーグ戦では5勝14敗6引分で17位で降格圏の18位との勝ち点の差はわずか1、年明けはリーグ戦全6試合無得点で、1引き分けの後に5連敗という散々な結果となっていた[6]。コーチのクレイグ・シェイクスピアが暫定監督として指揮を執る事となった。3月14日、欧州CL1回戦の第2戦では本来の堅守速攻を取り戻して、2戦合計3-2でクラブ史上初のベスト8進出した。監督交代後は様々なフォーメーションを模索していたラニエリとは対照的に、優勝した昨シーズンの配置、戦術への原点回帰を試み成功、リーグ戦でも連勝を重ね残留争いを脱出した。しかし、CLベスト8で激突した前年度ファイナリストのアトレティコ・マドリードには2戦通じて試合巧者ぶりを見せつけられ惜敗。初挑戦の欧州の舞台はベスト8で幕を閉じた。
2017-18シーズン
シェイクスピアが正式に監督に就任。セビージャFCからビセンテ・イボーラやマンチェスター・シティからケレチ・イヘアナチョを獲得。一方で、主力だったドリンクウォーターがチェルシーに移籍したが、その代役として見込まれていたアドリエン・シウバの移籍が期間内に間に合わず、登録できないという事態が発生した[7]。開幕戦のアーセナルFCやマンチェスター・ユナイテッド、チェルシーFC、リヴァプールFCといった強豪クラブに敗戦して降格圏内に入ってしまったため、2017年10月にてシェイクスピアを解任[8]。後任にはクロード・ピュエルが就任した。
2018-19シーズン
クロード・ピュエル政権2年目。リヤド・マフレズがマンチェスター・シティに移籍したものの、積極的な補強でノリッジ・シティからジェームズ・マディソン[9]、FCポルトからリカルド・ペレイラ[10]、WBAからジョニー・エバンス[11]、フライブルグからチャーラル・ソユンジュ[12]といったタレントを獲得。プレミアリーグを制覇した2015-16シーズンとチームのスタイルを変化させ、ポゼッションスタイルのサッカーへの移行を試みた。開幕3試合で2勝とまずまずのスタートを切るが、徐々にチームは低調に陥っていく。2018年10月27日、オーナーであるヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ氏が、プレミアリーグ第10節ウエストハム戦の試合後、同氏が搭乗したヘリコプターがキングパワースタジアムを離陸した直後に墜落し、同氏を含む全乗員乗客の5人が死亡する事件が発生した[13]。プレミアリーグ第11節では全てのプレミアリーグの試合でこの事件に対する黙祷が行われた。また、この事故の後に行われたカーディフ・シティ戦ではデマライ・グレイが決勝点を決め勝利。事故後、チームは6戦無敗を記録した。12月にはチェルシーとマンチェスター・シティを相手に2連勝という大金星を樹立した。しかし、2019年に入ってからの7試合では1勝1分5敗と苦戦し、プレミアリーグ第27節クリスタル・パレス戦で4-1で敗れた直後にクロード・ピュエルは解任。後任としてブレンダン・ロジャーズが就任した[14]。シーズン終盤までの11試合で6勝2分3敗という成績を記録した。また、シーズン終了後にダニー・シンプソンと岡崎慎司が契約満了で退団。
2019-20シーズン
ロジャーズ体制2年目。昨シーズン、レンタルで加入していたユーリ・ティーレマンスを完全移籍で獲得した。また、ニューカッスル・ユナイテッドからアヨゼ・ペレス、サンプドリアからデニス・プラート、ルートン・タウンFCからはジェームズ・ジャスティンを獲得した。開幕の2試合こそ勝利が無かったものの、ポゼッションとカウンタースタイルの両方を組みあわせたサッカーを展開し、トッテナム戦で逆転勝利をおさめるなど、序盤は好調を維持。第9節から第16節までの間でリーグ戦8連勝を記録。第10節 サウサンプトンFC戦では、イングランド・フットボールリーグ131年の歴史で、最上位リーグでのアウェーチーム最大得点差となる9-0で大勝した。後半戦は新型コロナウイルスによるリーグ戦中断、ディフェンス陣の欠場が相次いだ事などに起因して不調に陥る。最終的に、CL出場権をかけた最終節マンチェスター・ユナイテッド戦では敗北を喫し、クラブ史上2回目となるCL出場とはならなかった。しかし、チームとしては5位で終わり、翌シーズンのEL出場権を獲得した。
2020-21シーズン
ロジャーズ体制3年目。ユース出身のベン・チルウェルがチェルシーに移籍。アタランタからティモシー・カスターニュ、ASローマからジェンギズ・ウンデルをレンタルで、サンテティエンヌからウェズレイ・フォファナを獲得。クラブ史上初のイングランド1部リーグ開幕3連勝で好スタートを切る。その後、ウィルフレッド・ディディやジェームズ・ジャスティンなどの怪我による離脱により、調子を落とすものの徐々に戦績を上げ、19節から36節の間は常に4位以上をキープした。また、ケレチ・イヘアナチョが後半戦では得点を量産し、出場時間数に対する得点率において、リーグ1位を記録した。
FAカップでは準々決勝でマンチェスター・ユナイテッドを3-1で、準決勝ではサウサンプトンを1-0で下し、52年ぶりの決勝へと駒を進めた。2021年5月15日、この年のCLファイナリストだったチェルシーに1-0で勝利し、FAカップ初優勝を果たした。
第37節チェルシー戦に1-2で敗れた事により、5位に転落。自力でのCL出場権獲得は不可能となり、最終節トッテナム戦を迎えた。最終節では、第37節終了時点で3位につけていたチェルシーとは1ポイントのみの差であったため、レスターが最終節で勝利し、かつチェルシーの最終節の試合結果が勝利以外もしくは、レスターと勝ち点で並び4位につけていたリヴァプールが勝利以外の結果に終わると、レスターはCL出場権を獲得できるという状況であった。しかし、結果的にはチェルシーがアストン・ヴィラに2−1で敗れ、レスターは後半75分まで2-1とトッテナムをリードする展開であったが、残る15分間で3失点を喫し、逆転負け。シーズンを昨シーズンと同じ5位で終えることとなった。
なお、このシーズンでチームを長年支え続けてきたキャプテンのウェズ・モーガンが現役引退。クリスティアン・フックス、マッティ・ジェームズが契約満了にて退団した。
2021-22シーズン
レッドブル・ザルツブルクからパトソン・ダカ、リールからブバカリ・スマレ、フリーでライアン・バートランド、サウサンプトンからヤニク・ヴェスターゴーア、RBライプツィヒからアデモラ・ルックマンをレンタルで獲得した一方で、トリノFCへデニス・プラートをレンタルで、カマル・ソワーをクラブ・ブルージュに完全移籍でそれぞれ放出した。
コミュニティー・シールドでは前季リーグ王者のマンチェスター・シティと対戦。ケレチ・イヘアナチョのゴールで1-0で勝利を収め、丁度50年ぶりとなる同タイトルの獲得となった。
タイトル
国内タイトル
- リーグ1:1回
- 2008-09
- FAカップ:1回
- 2020-21
- リーグカップ:3回
- 1963-64, 1996-97, 1999-00
- FAコミュニティ・シールド :2回
- 1971, 2021
国際タイトル
なし
過去の成績
シーズン | ディビジョン | FAカップ | リーグカップ | FACS | 欧州カップ / CL / EL / その他 | 最多得点者 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||||||||
2002-03 | ディビジョン1 | 46 | 26 | 14 | 6 | 73 | 40 | 92 | 2位 | 4回戦敗退 | 3回戦敗退 | ポール・ディコフ | 20 | |||
2003-04 | プレミア | 38 | 6 | 15 | 17 | 48 | 65 | 33 | 18位 | 3回戦敗退 | 3回戦敗退 | ポール・ディコフ レス・ファーディナンド |
13 | |||
2004-05 | チャンピオン | 46 | 12 | 21 | 13 | 49 | 46 | 57 | 15位 | 準々決勝敗退 | 2回戦敗退 | デヴィッド・コノリー | 13 | |||
2005-06 | チャンピオン | 46 | 13 | 15 | 18 | 51 | 59 | 54 | 16位 | 4回戦敗退 | 4回戦敗退 | マルク・デ・フリース ジョーイ・グジョンセン イアン・ヒューム |
9 | |||
2006-07 | チャンピオン | 46 | 13 | 14 | 19 | 49 | 64 | 53 | 19位 | 3回戦敗退 | 3回戦敗退 | イアン・ヒューム | 14 | |||
2007-08 | チャンピオン | 46 | 12 | 16 | 18 | 42 | 45 | 52 | 22位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | イアン・ヒューム | 11 | |||
2008-09 | リーグ1 | 46 | 27 | 15 | 4 | 84 | 39 | 96 | 1位 | 3回戦敗退 | 2回戦敗退 | リーグトロフィー | 北セクション 準々決勝敗退 |
マッティ・フライアット | 32 | |
2009-10 | チャンピオン | 46 | 21 | 13 | 12 | 61 | 45 | 76 | 5位 | 4回戦敗退 | 2回戦敗退 | マッティ・フライアット | 13 | |||
2010-11 | チャンピオン | 46 | 19 | 10 | 17 | 76 | 71 | 67 | 10位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | アンディ・キング | 16 | |||
2011-12 | チャンピオン | 46 | 18 | 12 | 16 | 66 | 55 | 66 | 9位 | 準々決勝敗退 | 3回戦敗退 | デヴィッド・ニュージェント | 16 | |||
2012-13 | チャンピオン | 46 | 19 | 11 | 16 | 71 | 48 | 68 | 6位 | 4回戦敗退 | 2回戦敗退 | デヴィッド・ニュージェント | 16 | |||
2013-14 | チャンピオン | 46 | 31 | 9 | 6 | 83 | 43 | 102 | 1位 | 3回戦敗退 | 5回戦敗退 | デヴィッド・ニュージェント | 22 | |||
2014-15 | プレミア | 38 | 11 | 8 | 19 | 46 | 55 | 41 | 14位 | 5回戦敗退 | 2回戦敗退 | レオナルド・ウジョア | 13 | |||
2015-16 | プレミア | 38 | 23 | 12 | 3 | 68 | 36 | 81 | 1位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | ジェイミー・ヴァーディ | 24 | |||
2016-17 | プレミア | 38 | 12 | 8 | 18 | 48 | 63 | 44 | 12位 | 5回戦敗退 | 3回戦敗退 | 準優勝 | チャンピオンズリーグ | 準々決勝敗退 | ジェイミー・ヴァーディ | 13 |
2017-18 | プレミア | 38 | 12 | 11 | 15 | 56 | 60 | 47 | 9位 | 6回戦敗退 | 準々決勝敗退 | ジェイミー・ヴァーディ | 20 | |||
2018-19 | プレミア | 38 | 15 | 7 | 16 | 51 | 48 | 52 | 9位 | 3回戦敗退 | 準々決勝敗退 | ジェイミー・ヴァーディ | 18 | |||
2019-20 | プレミア | 38 | 18 | 8 | 12 | 67 | 41 | 62 | 5位 | 準々決勝敗退 | 準決勝敗退 | ジェイミー・ヴァーディ | 23 | |||
2020-21 | プレミア | 38 | 20 | 6 | 12 | 68 | 50 | 66 | 5位 | 優勝 | 3回戦敗退 | ヨーロッパリーグ | ベスト32 | ジェイミー・ヴァーディ | 15 | |
2021-22 | プレミア | 優勝 | ヨーロッパリーグ |
欧州の成績
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1961-62 | UEFAカップウィナーズカップ | 予備予選 | グレナボン | 3-1 | 4-1 | 7-2 | |
1回戦 | アトレティコ・マドリード | 1-1 | 0-2 | 1-3 | |||
1997-98 | UEFAカップ | 1回戦 | アトレティコ・マドリード | 0-1 | 1-1 | 1-2 | |
2000-01 | UEFAカップ | 1回戦 | ツルヴェナ・ズヴェズダ | 1-1 | 1-3 | 2-4 | |
2016-17 | UEFAチャンピオンズリーグ | グループG | ポルト | 1-0 | 0-5 | 1位 | |
クラブ・ブルッヘ | 2-1 | 3-0 | |||||
コペンハーゲン | 1-0 | 0-0 | |||||
ラウンド16 | セビージャ | 2-0 | 1-2 | 3-2 | |||
準々決勝 | アトレティコ・マドリード | 1-1 | 0-1 | 1-2 | |||
2020-21 | UEFAヨーロッパリーグ | グループG | ブラガ | 4-0 | 3-3 | 1位 | |
AEKアテネ | 2-0 | 2-1 | |||||
ゾリャ・ルハーンシク | 3-0 | 0-1 | |||||
ラウンド32 | スラヴィア・プラハ | 0-2 | 0-0 | 0-2 | |||
2021-22 | UEFAヨーロッパリーグ | グループC | レギア・ワルシャワ | 位 | |||
ナポリ | 2-2 | ||||||
スパルタク・モスクワ |
現所属メンバー
- プレミアリーグ 2020-21シーズン 基本フォーメーション
- 2021年8月31日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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|
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
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歴代監督
- ピーター・ホッジ 1919.9-1926
- ウィリアム・オア 1926-1932.1
- ピーター・ホッジ 1932-1934
- Arthur Lochhead 1934-1936
- フランク・ウォマック 1936-1939
- トム・ブロミロウ 1939-1945
- トム・マザー 1945-1946
- ジョン・ダンカン 1946-1949.10
- ノーマン・ブーロック 1949–1955
- David Halliday 1955-1958
- マット・ギリーズ 1958-1968
- フランク・オファレル 1968-1971
- ジミー・ブルームフィールド 1971-1977
- フランク・マクリントック 1977-1978
- ジョック・ウォーレス・ジュニア 1978-1982
- ゴードン・ミルン 1982-1986
- ゴードン・ミルン ブライアン・ハミルトン 1986-1987
- ブライアン・ハミルトン 1987
- ゴードン・リー 1987-1991
- ブライアン・リトル 1991-1994.10
- マーク・マギー 1994-1995
- マーティン・オニール 1995.12-2000.6
- ピーター・テイラー 2000-2001
- デイブ・バセット 2001-2002
- ミッキー・アダムス 2002.4-2004.10
- クレイグ・リベイン 2004.10-2006
- ロブ・ケリー 2006.2-2007.4
- ナイジェル・ワージントン 2007.4-2007.5
- マーティン・アレン 2007.5-2007.8
- ガリー・メグソン 2007.9-2007.10
- イアン・ホロウェイ 2007.10-2008
- ナイジェル・ピアソン 2008-2010
- パウロ・ソウザ 2010.7-2010.10
- スヴェン・ゴラン・エリクソン 2010.10-2011.10
- ナイジェル・ピアソン 2011.11-2015
- クラウディオ・ラニエリ 2015-2017
- クレイグ・シェイクスピア 2017
- クロード・ピュエル 2017-2019
- ブレンダン・ロジャーズ 2019-
歴代所属選手
GK
MF
- ガリー・マカリスター 1985-1990
- ロベルト・マンチーニ 2000-2001
- 阿部勇樹 2010-2012
- エステバン・カンビアッソ 2014-2015
- エンゴロ・カンテ 2015-2016
FW
- ドン・レヴィー 1944-1949
- ゲーリー・リネカー 1974-1985
- エミール・ヘスキー 1994-2000
- マッティ・フライアット 2006-2011
- ジェイミー・ヴァーディ 2012-
- レオナルド・ウジョア 2014-2018
- 岡崎慎司 2015-2019
練習施設
2020年クリスマスにレスターシャー北部のチャーンウッドに約130億円掛けて建設していた練習施設が完成した。ファーストチームとユースが使用している。この東京ドーム16個分の練習施設にはフルサイズのピッチ14面を含む21面のピッチにゴルフ場、ハイドロプールやクライオセラピー等のリカバリー施設、30部屋のベットルーム、食堂、ミーティング室などを完備したクラブハウスも建設され、イングランド屈指の練習施設となっている。
サポーター
地元出身のロックバンドカサビアンはデビュー当初から同チームのファンを公言しており、キングパワードスタジアムでも、彼らの楽曲がよく使用されている。2015-16シーズンにリーグ優勝をした際には、記念パレードにサプライズ・ゲストとして登場、ライブを敢行した[15]。同年5月にはチームのホームスタジアムであるキング・パワー・スタジアムでライブを行った[16]。
関連書籍
- サッカーマガジン『岡崎慎司はなぜプレミアで成功したのか?―レスター優勝の原動力となった日本人FWの価値と成功の理由』ベースボールマガジン社、2016年5月。ISBN 978-4583110394 。
- 岡崎慎司『未到 奇跡の一年』KKベストセラーズ、2016年6月。ISBN 978-4584125243 。
- フランク・ウォーロール 著、タカ大丸 訳『ジェイミー・ヴァーディー : 英国一の成り上がりストライカー』徳間書店、2016年6月。ISBN 978-4198641962 。
- ロブ・タナー 著、タカ大丸 訳『レスターの奇跡』イースト・プレス、2016年7月。ISBN 978-4781614595 。
- ガブリエル マルコッティ 著、田島大 訳『奇跡のコーチング クラウディオ・ラニエリ伝記』TAC出版、2016年12月。ISBN 978-4813268000 。
脚注
- ^ 欧州のクラブが育む文化 日本経済新聞 電子版 2012年11月13日
- ^ レスター 岡崎獲得を発表!4年の長期契約 - スポーツニッポン 2015年6月27日
- ^ 岡崎加入のレスター ピアソン監督の解任を発表 - スポーツニッポン 2015年7月1日
- ^ 岡崎レスター、プレミア初制覇!トットナム痛恨ドローで決定 - 2016年5月3日 スポーツニッポン
- ^ “レスター“プレミア初”前年王者の開幕黒星…岡崎は途中出場も不発”. スポーツニッポン (2016年8月13日). 2017年2月25日閲覧。
- ^ “ラニエリ監督を解任=岡崎所属の王者レスター-イングランド・サッカー”. 時事通信社 (2017年2月24日). 2017年2月25日閲覧。
- ^ ““14秒問題”はこれで解決?FIFAが訴え却下、レスター移籍のA・シウバは1月までプレー不可に”. ゲキサカ (2017年10月4日). 2017年11月11日閲覧。
- ^ 岡崎所属のレスター、降格圏転落でシェイクスピア監督を電撃解任 後任は……the WORLD(2017年10月18日)
- ^ “Maddison Signs For Leicester City On A Five-Year Deal” (英語). www.lcfc.com. 2019年9月24日閲覧。
- ^ “Ricardo Pereira: Leicester agree terms with Porto over transfer of Portugal defender” (英語). (2018年5月19日) 2019年9月24日閲覧。
- ^ “Jonny Evans: Leicester sign West Brom & Northern Ireland defender” (英語). (2018年6月8日) 2019年9月24日閲覧。
- ^ “Leicester City Agree Çağlar Söyüncü Transfer” (英語). www.lcfc.com. 2019年9月24日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “レスター会長が逝去、ヘリコプター墜落事故で搭乗者全員死亡”. サッカーキング. 2019年9月24日閲覧。
- ^ “レスター監督にロジャーズ氏就任 岡崎所属”. 日本経済新聞 電子版. 2019年9月24日閲覧。
- ^ “カサビアン、レスター・シティの優勝パレードで9万人を前にサプライズ・ライヴを敢行”. NME (2016年5月18日). 2016年12月29日閲覧。
- ^ “Kasabian On Fire At King Power Stadium’s Music Concert Debut”. lcfc.com (2016年5月28日). 2016年12月29日閲覧。
外部リンク
- Leicester City 公式サイト(英語)
- Leicester City イングランドサッカー協会によるチーム紹介(英語)
- Leicester City UEFAによるチーム紹介(英語)
- Leicester City - Historical Football Kit(英語)
- Leicester City (lcfc) - Facebook(英語)
- Leicester City (@lcfc) - X(旧Twitter)(英語)
- Leicester City Japan (@leicester_cityj) - X(旧Twitter)
- LCFC - YouTubeチャンネル(英語)
- The official Leicester City Podcast(英語)