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[[バブル景気|バブル期]]の消費礼賛の時代において、[[コマーシャルメッセージ|CM]] との[[タイアップ]]から多くのシティ・ポップのヒット曲が生まれた<ref name="kimura_2006_103" />。都会的で洗練されたシティ・ポップは企業CMとの相性が非常に良く<ref name="kimura_2006_103" />、またテレビの[[音楽番組|歌番組]]出演にあまり積極的でなかったシティ・ポップ・アーティストにとってもCMタイアップは貴重な[[宣伝|プロモーション]]の機会となった<ref name="showa40s_48" />。その点でシティ・ポップは、[[フォークソング|フォーク]]や[[ロック (音楽)|ロック]]のように何らかのメッセージ(例えば[[反戦運動|反戦]][[平和運動|平和]]、[[管理社会]]への反発など)を主張するというよりは、商業音楽としての性格を多少なりとも持っており<ref name="rollingstone_5" />、換言すればメッセージ性を排した純粋な音楽的追求の産物ということもできる<ref name="rollingstone_5" />。
[[バブル景気|バブル期]]の消費礼賛の時代において、[[コマーシャルメッセージ|CM]] との[[タイアップ]]から多くのシティ・ポップのヒット曲が生まれた<ref name="kimura_2006_103" />。都会的で洗練されたシティ・ポップは企業CMとの相性が非常に良く<ref name="kimura_2006_103" />、またテレビの[[音楽番組|歌番組]]出演にあまり積極的でなかったシティ・ポップ・アーティストにとってもCMタイアップは貴重な[[宣伝|プロモーション]]の機会となった<ref name="showa40s_48" />。その点でシティ・ポップは、[[フォークソング|フォーク]]や[[ロック (音楽)|ロック]]のように何らかのメッセージ(例えば[[反戦運動|反戦]][[平和運動|平和]]、[[管理社会]]への反発など)を主張するというよりは、商業音楽としての性格を多少なりとも持っており<ref name="rollingstone_5" />、換言すればメッセージ性を排した純粋な音楽的追求の産物ということもできる<ref name="rollingstone_5" />。


またシティ・ポップの普及の背景には音楽を聴く環境の変化、すなわちそれまでインドアの高価な趣味だった音楽鑑賞が、テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ変化した点も挙げられる<ref name="kimura_2006_102" />。従来ならば音楽とは室内に据え置いた重厚な[[コンポーネントステレオ|ステレオセット]]に[[レコード]]をかけて聴くものだったが<ref name="kimura_2006_102" />、1980年代には[[レンタルCD|レンタルショップ]]でレコードを安く借りて自宅の[[テープレコーダー|カセットデッキ]]で[[コンパクトカセット|テープ]]に[[ダビング]]し<ref name="rollingstone_6" />、そのテープを[[ウォークマン]]や[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ]]、[[カーオーディオ]]で外へ持ち出して聴くというリスニング・スタイルが若者の間にも普及していった<ref name="kimura_2006_102" />。そうした「外で聴く [[バックグラウンドミュージック|BGM]]」として、耳ざわりのよいシティ・ポップはまさにうってつけであり<ref name="kimura_2006_102" />、特に[[大瀧詠一]]の『[[A LONG VACATION]]』(1981年)と[[山下達郎]]の『[[FOR YOU (山下達郎のアルバム)|FOR YOU]]』(1982年)はカーオーディオ占拠率で双璧を成す名盤となった<ref name="kimura_2006_102" />。そしてこの2枚により、東京のみならず[[横浜]]から[[湘南]]にかけてのリゾート色の強いエリアもシティ・ポップの射程内へ入るようになった<ref name="suzuki_2017_253" />。[[自家用車]]を所持し、こうした音楽的環境へ加わるために必要な機器を全て所持する余裕のある、裕福な都会の[[ホワイトカラー|職業人]]をモデルにしていたシティ・ポップは、[[ティーンエイジャー]]向けのポップソングではなく、より大人(またはそんな彼らに憧れを抱く若者)のリスナーを対象にしていた<ref name="sommet_2020_23" />。
またシティ・ポップの普及の背景には音楽を聴く環境の変化、すなわちそれまでインドアの高価な趣味だった音楽鑑賞が、テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ変化した点も挙げられる<ref name="kimura_2006_102" />。従来ならば音楽とは室内に据え置いた重厚な[[コンポーネントステレオ|ステレオセット]]に[[レコード]]をかけて聴くものだったが<ref name="kimura_2006_102" />、1980年代には[[レンタルCD|レンタルショップ]]でレコードを安く借りて自宅の[[テープレコーダー|カセットデッキ]]で[[コンパクトカセット|テープ]]に[[ダビング]]し<ref name="rollingstone_6" />、そのテープを[[ウォークマン]]や[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ]]、[[カーオーディオ]]で外へ持ち出して聴くというリスニング・スタイルが若者の間にも普及していった<ref name="kimura_2006_102" />。そうした「外で聴く [[背景音楽|BGM]]」として、耳ざわりのよいシティ・ポップはまさにうってつけであり<ref name="kimura_2006_102" />、特に[[大瀧詠一]]の『[[A LONG VACATION]]』(1981年)と[[山下達郎]]の『[[FOR YOU (山下達郎のアルバム)|FOR YOU]]』(1982年)はカーオーディオ占拠率で双璧を成す名盤となった<ref name="kimura_2006_102" />。そしてこの2枚により、東京のみならず[[横浜]]から[[湘南]]にかけてのリゾート色の強いエリアもシティ・ポップの射程内へ入るようになった<ref name="suzuki_2017_253" />。[[自家用車]]を所持し、こうした音楽的環境へ加わるために必要な機器を全て所持する余裕のある、裕福な都会の[[ホワイトカラー|職業人]]をモデルにしていたシティ・ポップは、[[ティーンエイジャー]]向けのポップソングではなく、より大人(またはそんな彼らに憧れを抱く若者)のリスナーを対象にしていた<ref name="sommet_2020_23" />。


1980年代初頭にあらわれたシティ・ポップには、概ねより明確に定義されうる既存の様々な[[ポピュラー音楽]]ジャンルが混在しており、独自の音楽的[[アイデンティティ]]をほぼ持っていないが、大まかに理解するならば、概ね[[電子楽器]]と[[アコースティック楽器|アナログ楽器]]を組み合わせたサウンドと制作手法による、明るくクリーンで洗練された音楽が特徴である<ref name="sommet_2020_21" />。多くの場合、日本語で歌われる歌詞を除いて、日本の近代大衆歌謡において「日本的」と通常考えられるような楽理的特徴の痕跡はほとんど見られず、歌詞についても日本語と[[インド・ヨーロッパ語族|ヨーロッパ諸言語]](もっともよく用いられるのは[[英語]])が頻繁に切り替わる<ref name="sommet_2020_21" />。シティ・ポップは、この「日本的な音楽」の証をも見出し得ない、という点こそが、その文化的[[コンテクスト]]を最も明確に定義しうる要素となっている<ref name="sommet_2020_21" />。
1980年代初頭にあらわれたシティ・ポップには、概ねより明確に定義されうる既存の様々な[[ポピュラー音楽]]ジャンルが混在しており、独自の音楽的[[アイデンティティ]]をほぼ持っていないが、大まかに理解するならば、概ね[[電子楽器]]と[[アコースティック楽器|アナログ楽器]]を組み合わせたサウンドと制作手法による、明るくクリーンで洗練された音楽が特徴である<ref name="sommet_2020_21" />。多くの場合、日本語で歌われる歌詞を除いて、日本の近代大衆歌謡において「日本的」と通常考えられるような楽理的特徴の痕跡はほとんど見られず、歌詞についても日本語と[[インド・ヨーロッパ語族|ヨーロッパ諸言語]](もっともよく用いられるのは[[英語]])が頻繁に切り替わる<ref name="sommet_2020_21" />。シティ・ポップは、この「日本的な音楽」の証をも見出し得ない、という点こそが、その文化的[[コンテクスト]]を最も明確に定義しうる要素となっている<ref name="sommet_2020_21" />。
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[[イギリス]]では早くから[[山下達郎]]の曲などのシティ・ポップが[[ダンス・ミュージック|ダンスナンバー]]として評価され、「J・[[レアグルーブ]]」「J・[[ブギー (音楽ジャンル)|ブギー]]」と称されていた<ref name="aera" />。
[[イギリス]]では早くから[[山下達郎]]の曲などのシティ・ポップが[[ダンス・ミュージック|ダンスナンバー]]として評価され、「J・[[レアグルーブ]]」「J・[[ブギー (音楽ジャンル)|ブギー]]」と称されていた<ref name="aera" />。


2000年代に入って[[インターネット]]環境が普及し、[[ストリーミング]]や[[動画共有サービス|動画配信サイト]] ([[YouTube]]) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った<ref name="sundaymainichi" />。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、[[AOR]]を再評価していた[[アメリカ合衆国|米国]]の音楽マニアたちがネットで「発見」するに至った<ref name="sankei_2019" />。彼らにとってシティ・ポップは「AORの秘境」であり<ref name="sankei_2019" />、日本に閉じた流通や言語の壁もあり、それまで存在が知られていなかった分インパクトも大きかった<ref name="anan" />。2010年代にはシティポップは[[欧米]]圏のみならず[[アジア]]圏でも再評価が進んで多数のファンを獲得するようになり<ref name="sundaymainichi" />、[[2017年]]頃からはネット配信されていないレコードを買い求めようと来日する外国人が多くみられるようになった<ref name="sankei_2019" />。また[[2018年]]にはYouTubeに[[違法アップロード|無許可アップロード]]された[[竹内まりや]]の「[[プラスティック・ラヴ]]」(1984年)が、YouTubeのリコメンデーション・[[アルゴリズム]]により偶然世界中のユーザーに推薦されると、謎の楽曲として興味本位で聴き始める者が増え、結果として世界中から約4000万回もの再生数を記録するほど大きく注目された<ref name="sankei_2019" /><ref name="rollingstone_7" />。[[2020年]]には、10月に[[Youtuber]]の[[Rainych]]が[[カバー]]曲を歌唱する動画を発表したことをきっかけとして、[[松原みき]]の「[[真夜中のドア〜Stay With Me]]」(1979年)が[[Spotify]]グローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、[[Apple Music]]のJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなり、同作の[[レコード]]盤が[[ポニーキャニオン]]から復刻されることとなった<ref>{{Cite news |title=リリースから40年の快挙!! Spotify15日連続世界1位の松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」復刻盤商品化決定! |publisher=PONYCANYON NEWS |date=2020-12-25 |url=https://news.ponycanyon.co.jp/2020/12/45682 |accessdate=2020-12-30}}</ref><ref>{{Cite news |author=森村潘 |title=【大人のエンタメ】松原みきの名盤が復刻へ 『真夜中のドア』と1STアルバム |publisher=zakzak |date=2020-12-27 |url=https://www.zakzak.co.jp/ent/news/201227/enn2012270001-n1.html |accessdate=2020-12-30}}</ref><ref>{{Cite news |author=松永良平 |title=松原みき「真夜中のドア~stay with me」なぜ今話題に? 世界のシティ・ポップ・ファンに愛されたアンセム<コラム> |publisher=Billboard JAPAN |date=2020-12-10 |url=http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95073/2 |accessdate=2020-12-30}}</ref>。シティ・ポップは、[[ヴェイパーウェイヴ]]や[[フューチャー・ファンク]]のモチーフとしてメジャーな存在となり<ref name="rollingstone_7" /><ref name="ismedia_1" />、またその [[バックグラウンドミュージック|BGM]]的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっている[[チルアウト]]の音楽にも影響を与えている<ref name="rollingstone_7" />。
2000年代に入って[[インターネット]]環境が普及し、[[ストリーミング]]や[[動画共有サービス|動画配信サイト]] ([[YouTube]]) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った<ref name="sundaymainichi" />。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、[[AOR]]を再評価していた[[アメリカ合衆国|米国]]の音楽マニアたちがネットで「発見」するに至った<ref name="sankei_2019" />。彼らにとってシティ・ポップは「AORの秘境」であり<ref name="sankei_2019" />、日本に閉じた流通や言語の壁もあり、それまで存在が知られていなかった分インパクトも大きかった<ref name="anan" />。2010年代にはシティポップは[[欧米]]圏のみならず[[アジア]]圏でも再評価が進んで多数のファンを獲得するようになり<ref name="sundaymainichi" />、[[2017年]]頃からはネット配信されていないレコードを買い求めようと来日する外国人が多くみられるようになった<ref name="sankei_2019" />。また[[2018年]]にはYouTubeに[[違法アップロード|無許可アップロード]]された[[竹内まりや]]の「[[プラスティック・ラヴ]]」(1984年)が、YouTubeのリコメンデーション・[[アルゴリズム]]により偶然世界中のユーザーに推薦されると、謎の楽曲として興味本位で聴き始める者が増え、結果として世界中から約4000万回もの再生数を記録するほど大きく注目された<ref name="sankei_2019" /><ref name="rollingstone_7" />。[[2020年]]には、10月に[[Youtuber]]の[[Rainych]]が[[カバー]]曲を歌唱する動画を発表したことをきっかけとして、[[松原みき]]の「[[真夜中のドア〜Stay With Me]]」(1979年)が[[Spotify]]グローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、[[Apple Music]]のJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなり、同作の[[レコード]]盤が[[ポニーキャニオン]]から復刻されることとなった<ref>{{Cite news |title=リリースから40年の快挙!! Spotify15日連続世界1位の松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」復刻盤商品化決定! |publisher=PONYCANYON NEWS |date=2020-12-25 |url=https://news.ponycanyon.co.jp/2020/12/45682 |accessdate=2020-12-30}}</ref><ref>{{Cite news |author=森村潘 |title=【大人のエンタメ】松原みきの名盤が復刻へ 『真夜中のドア』と1STアルバム |publisher=zakzak |date=2020-12-27 |url=https://www.zakzak.co.jp/ent/news/201227/enn2012270001-n1.html |accessdate=2020-12-30}}</ref><ref>{{Cite news |author=松永良平 |title=松原みき「真夜中のドア~stay with me」なぜ今話題に? 世界のシティ・ポップ・ファンに愛されたアンセム<コラム> |publisher=Billboard JAPAN |date=2020-12-10 |url=http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95073/2 |accessdate=2020-12-30}}</ref>。シティ・ポップは、[[ヴェイパーウェイヴ]]や[[フューチャー・ファンク]]のモチーフとしてメジャーな存在となり<ref name="rollingstone_7" /><ref name="ismedia_1" />、またその [[背景音楽|BGM]]的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっている[[チルアウト]]の音楽にも影響を与えている<ref name="rollingstone_7" />。


このように、[[レトロ]]志向ではっぴいえんど中心的な出版物に支えられる形で起こった小規模なシティ・ポップ・リバイバルが、2010年代に加熱的な盛り上がりを見せた(80年代[[ノスタルジア]]全般の復権と結びついたという指摘もある)<ref name="sommet_2020_30" />。一方で、新しいミュージシャンによって制作されている「ニュー・シティ・ポップ」は、従来のシティ・ポップとの関係性や、直接的な音楽的影響が否定されることもある<ref name="sommet_2020_31" />。アルバム・アートの多様性の視覚的影響からも「ニュー・シティ・ポップ」の膨大な音楽的バリエーションを見出すことができ、特定のアルバムを除けば、かつてのシティ・ポップ的様式と「新しいシティ・ポップ」との間に[[美学]]的な強い繋がりを見出すことは難しくなっている<ref name="sommet_2020_31" />。しかしながら、このジャンルが体現しようとした「洗練」「センス」「オシャレ」といった諸概念は、歌詞や記事によって常に強調されてきており、数十年に渡る時の中で「シティ・ポップ」というジャンルの中で非言語的な記号は大きく変化したものの、こうした修飾語の用法は通史的に見てもほとんど変化していないことから、シティ・ポップとはどのようなものか、という考えに関する確かな一貫性は見られている<ref name="sommet_2020_32" />。
このように、[[レトロ]]志向ではっぴいえんど中心的な出版物に支えられる形で起こった小規模なシティ・ポップ・リバイバルが、2010年代に加熱的な盛り上がりを見せた(80年代[[ノスタルジア]]全般の復権と結びついたという指摘もある)<ref name="sommet_2020_30" />。一方で、新しいミュージシャンによって制作されている「ニュー・シティ・ポップ」は、従来のシティ・ポップとの関係性や、直接的な音楽的影響が否定されることもある<ref name="sommet_2020_31" />。アルバム・アートの多様性の視覚的影響からも「ニュー・シティ・ポップ」の膨大な音楽的バリエーションを見出すことができ、特定のアルバムを除けば、かつてのシティ・ポップ的様式と「新しいシティ・ポップ」との間に[[美学]]的な強い繋がりを見出すことは難しくなっている<ref name="sommet_2020_31" />。しかしながら、このジャンルが体現しようとした「洗練」「センス」「オシャレ」といった諸概念は、歌詞や記事によって常に強調されてきており、数十年に渡る時の中で「シティ・ポップ」というジャンルの中で非言語的な記号は大きく変化したものの、こうした修飾語の用法は通史的に見てもほとんど変化していないことから、シティ・ポップとはどのようなものか、という考えに関する確かな一貫性は見られている<ref name="sommet_2020_32" />。

2021年11月23日 (火) 08:34時点における版

シティ・ポップ
シティ・ポップの代表的な表象
都市海辺[1]
様式的起源
文化的起源
派生ジャンル
関連項目
ヨット・ロック英語版
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シティ・ポップ (city pop) は、1970年代後半から1980年代にかけて日本でリリースされ流行した[8]ニューミュージックの中でも[9]特に都会的に洗練され[10]洋楽志向の[11]メロディや歌詞を持ったポピュラー音楽[12]。主要なアーティストの多くがシンガーソングライターであり[11]、もっぱら日本語で歌っていた点も特色にあげられる[2]

概要

ロックフォークの日本版ハイブリッドといえるニューミュージックを母胎とする点で[2]、シティ・ポップは洋楽(特にアメリカ音楽[13])の日本独自なアレンジという側面を持つ[8]。決まったスタイルのサウンドは無く[8]、「明確な定義は無い[10]」「定義は曖昧[14][15]」「ジャンルよりもムードを指す[2]」とされることもある。

「シティ・ポップ」は商業的な便益のために後付けされた用語[3]であり、制作過程ではシティ・ポップを想定していない場合もあるため、歴史認識や制作意図を説明する場合は用語の使用に注意が必要である。

歴史

1970-1980年代

1960年代後半から現れた自作自演のフォークロックのうち[15]演奏アレンジに凝った楽曲が1970年代になると「ニューミュージック」とカテゴライズされ、従来の楽曲との差別化が図られたが[3]、その枠組みは次第に拡散して曖昧となった[15]。そのため「洗練された都会的なニューミュージック」を他と一線を画するために作られたのが「シティ・ポップ」というカテゴリであり[15]、発案者ははっきりしないが[3]、ジャンルを提示することで作品を売りやすくするという商業的意図が元にあった[3]。「city pop」はネイティブには通じない和製英語であり[8]、当初は主に「シティ・ポップス」と呼ばれたが、後に「シティ・ポップ」が定着し[3]、1970年代からレコードのライナーノーツでその語が使われ始めている[14][16]

音楽性の面でシティ・ポップの源流と一般に挙げられるのは、軽快なロックサウンドに日本語歌詞を乗せた先駆的バンドのはっぴいえんど(1969年-1972年)であり[15]、またシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢と言われることが多い[17]。そのシュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した大瀧詠一山下達郎吉田美奈子荒井由実竹内まりや大貫妙子南佳孝などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる[18]。なお、シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストはほとんどが東京出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった[11]。従ってシティ・ポップで歌われる「シティ」とは高度経済成長を経た「現代の東京」であり[11]、それもリアリズムから一歩引いた、広告都市的な消費の街というフィクション性を多分に含んでいた[17]。そうした「シティ」における、お洒落なライフスタイルや都会の風景、時には都市生活者ならではの孤独感や哀愁を[19]、良いメロディと洒落たコードに乗せて歌い上げたのがシティ・ポップだった[20]

シティ・ポップが成立した背景には、日本人の生活水準の向上と、変動相場制導入と円高による海外の文物の流入、いわば東京の国際都市化という社会的変化があり[4]、シティ・ポップの盛衰は日本経済の盛衰と重なるところが多い[21]

バブル前夜、日本人の生活がどんどん豊かになって、一般市民の中に経済的、精神的余裕が生まれていった。そんな中で、平日は街で夜遊びして、オフには伊豆とか湘南サーフィンするという若い人たちのライフスタイルが構築されていった。平日と週末、都会の夜の喧騒とビーチリゾート感覚がセットで、多くの人の意識にあったんだ。全てにおいて勢いがあって、手探りで新しいものを作ろうという時代の雰囲気。そんななかでシティポップという流れができてきて、聴く人にもウケたんだと思う[22] — 角松敏生

1970年代において、シティ・ポップ・アーティストの多くはライブ行脚よりはスタジオでのレコード制作に重点を置いていたため、松任谷由実などの例外を除けば、シティ・ポップはまだ東京周辺でのムーブメントに過ぎず、全国区でのヒット曲はあまり生まれていない[7]。しかし1970年代末、YMO がシティ・ポップをさらに先鋭化させたテクノ・ポップで世間の耳目を集めたことで、彼らの周辺のシティ・ポップ・アーティストたちにも次第に関心が向けられるようになった[23]。そして1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、1980年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた[23]。1980年代前半においてシティ・ポップは、山本達彦稲垣潤一杉山清貴といった美形男性シンガーによる都会派楽曲というイメージも持たれており[24]、特に山本と稲垣は女子大生から圧倒的な支持があった[25]。また松田聖子が「風立ちぬ」(1981年)や「赤いスイートピー」(1982年)といったシティ・ポップ・ナンバーを大ヒットさせたように、シティ・ポップは歌謡界にも浸透していった[15]

バブル期の消費礼賛の時代において、CM とのタイアップから多くのシティ・ポップのヒット曲が生まれた[26]。都会的で洗練されたシティ・ポップは企業CMとの相性が非常に良く[26]、またテレビの歌番組出演にあまり積極的でなかったシティ・ポップ・アーティストにとってもCMタイアップは貴重なプロモーションの機会となった[27]。その点でシティ・ポップは、フォークロックのように何らかのメッセージ(例えば反戦平和管理社会への反発など)を主張するというよりは、商業音楽としての性格を多少なりとも持っており[28]、換言すればメッセージ性を排した純粋な音楽的追求の産物ということもできる[28]

またシティ・ポップの普及の背景には音楽を聴く環境の変化、すなわちそれまでインドアの高価な趣味だった音楽鑑賞が、テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ変化した点も挙げられる[23]。従来ならば音楽とは室内に据え置いた重厚なステレオセットレコードをかけて聴くものだったが[23]、1980年代にはレンタルショップでレコードを安く借りて自宅のカセットデッキテープダビング[29]、そのテープをウォークマンラジカセカーオーディオで外へ持ち出して聴くというリスニング・スタイルが若者の間にも普及していった[23]。そうした「外で聴く BGM」として、耳ざわりのよいシティ・ポップはまさにうってつけであり[23]、特に大瀧詠一の『A LONG VACATION』(1981年)と山下達郎の『FOR YOU』(1982年)はカーオーディオ占拠率で双璧を成す名盤となった[23]。そしてこの2枚により、東京のみならず横浜から湘南にかけてのリゾート色の強いエリアもシティ・ポップの射程内へ入るようになった[30]自家用車を所持し、こうした音楽的環境へ加わるために必要な機器を全て所持する余裕のある、裕福な都会の職業人をモデルにしていたシティ・ポップは、ティーンエイジャー向けのポップソングではなく、より大人(またはそんな彼らに憧れを抱く若者)のリスナーを対象にしていた[31]

1980年代初頭にあらわれたシティ・ポップには、概ねより明確に定義されうる既存の様々なポピュラー音楽ジャンルが混在しており、独自の音楽的アイデンティティをほぼ持っていないが、大まかに理解するならば、概ね電子楽器アナログ楽器を組み合わせたサウンドと制作手法による、明るくクリーンで洗練された音楽が特徴である[32]。多くの場合、日本語で歌われる歌詞を除いて、日本の近代大衆歌謡において「日本的」と通常考えられるような楽理的特徴の痕跡はほとんど見られず、歌詞についても日本語とヨーロッパ諸言語(もっともよく用いられるのは英語)が頻繁に切り替わる[32]。シティ・ポップは、この「日本的な音楽」の証をも見出し得ない、という点こそが、その文化的コンテクストを最も明確に定義しうる要素となっている[32]

イラストレーターの永井博。作品とともに

イラストレーター永井博鈴木英人わたせせいぞう[33][34]といった卓越した一握りのアーティストは独自のスタイルを確立し、真夏のビーチや海沿いのハイウェイスイミングプールなどのイメージを通して、1980年代初頭のカノンにおいて支配的となった独自のスタイルを生み出した[35]。彼らのイラストは、山下達郎、大瀧詠一といったシティ・ポップミュージシャンのアルバム・ジャケットに用いられ、代表的な視覚的記号表現となった[35]。一方で彼らが描いた海岸や海といった典型的なモチーフは、ありのままの自然というよりも「疲れ切った都会人が夢見るレジャー空間」を表象しており、たいてい快適な都市生活のシンボルに囲まれている[35]。その後、1980年代半ばになるとシティ・ポップのジャケットはイラストから、よく似た構図の写真へと置き換えられ、時にはそこへ類型的なポップスターのポートレート写真が組み合わされた[35]。これほど特徴的ではないもののしばしば見られるのは、そのジャンル名が暗示する「大都市」というテーマをより直接的にアピールするとともに、富裕な都市環境を描くことで現代的洗練を表そうとするカバー・アートのスタイルであった[1]。当時のシティ・ポップのアートワークは、アメリカ(おおむねカリフォルニアを想起させる)ものか、「トランスナショナル」な大都会を描いたものであるが、東京や横浜のビル街の夜景であっても、それら都市景観のうちに日本らしさを示す要素は皆無に近く[1]、音楽的性質や歌詞と同様にシティ・ポップの「文化的無臭性」を反映している[32]。このような「都市と海辺」という図像は「シティ・ポップ」というジャンルが最初に誕生してから終焉するまで一貫しており、このジャンルを最も容易に識別する特徴となっている[1]。音楽ジャーナリストのイアン・マーティンはかつて「基本的に80年代に出たアルバムでプールの絵を表ジャケットに配したものはなんでも、おそらくシティ・ポップということになるだろう」と述べている[35][36]。このように、シティ・ポップの歌詞が間メディア的にしばしば変換され、またアルバムのアートワークや雑誌の表紙、あるいはサウンドの特色等々を反復・強化していくことによって「ジャンルの特徴」が形作られていった[37]

シティ・ポップは当時から「形骸化した浮わついた音楽[17]」「現実感に欠ける[38]」などと批判的に捉えられることもあった。1980年代後半になると、まずロック中心主義的な「バンドブーム」の勃興が最初の向かい風になった[31]。さらにJ-POPという広範なパラダイムの登場や、シティ・ポップの音楽環境が別の技術的・視聴覚的モデルへ取って代わられることによって存在感をなくしていった[31]。そして1990年代に入りバブル崩壊によって社会に停滞感が漂うようになると、シティ・ポップと呼べる楽曲は激減し[4][39]、代わりにKANの「愛は勝つ」の大ヒットに象徴されるように、地に足の着いた内省的な歌がリスナーから好まれるようになった[40]。シティ・ポップは「J-POP」の中へ埋没してゆき[15]、「シティ・ポップ」は死語[22]クリシェ[17]と化した。シティ・ポップの影響を受けた渋谷系が後継ジャンルとされることもあるが、制作意図や音楽的特徴は異なる[41]

2000年代には cero などのインディーズ・アーティストが「シティポップ・リバイバル」という形で言及されることもあった[42]

2010-2020年代

イギリスでは早くから山下達郎の曲などのシティ・ポップがダンスナンバーとして評価され、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」と称されていた[8]

2000年代に入ってインターネット環境が普及し、ストリーミング動画配信サイト (YouTube) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った[15]。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、AORを再評価していた米国の音楽マニアたちがネットで「発見」するに至った[10]。彼らにとってシティ・ポップは「AORの秘境」であり[10]、日本に閉じた流通や言語の壁もあり、それまで存在が知られていなかった分インパクトも大きかった[6]。2010年代にはシティポップは欧米圏のみならずアジア圏でも再評価が進んで多数のファンを獲得するようになり[15]2017年頃からはネット配信されていないレコードを買い求めようと来日する外国人が多くみられるようになった[10]。また2018年にはYouTubeに無許可アップロードされた竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」(1984年)が、YouTubeのリコメンデーション・アルゴリズムにより偶然世界中のユーザーに推薦されると、謎の楽曲として興味本位で聴き始める者が増え、結果として世界中から約4000万回もの再生数を記録するほど大きく注目された[10][43]2020年には、10月にYoutuberRainychカバー曲を歌唱する動画を発表したことをきっかけとして、松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979年)がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、Apple MusicのJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなり、同作のレコード盤がポニーキャニオンから復刻されることとなった[44][45][46]。シティ・ポップは、ヴェイパーウェイヴフューチャー・ファンクのモチーフとしてメジャーな存在となり[43][47]、またその BGM的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっているチルアウトの音楽にも影響を与えている[43]

このように、レトロ志向ではっぴいえんど中心的な出版物に支えられる形で起こった小規模なシティ・ポップ・リバイバルが、2010年代に加熱的な盛り上がりを見せた(80年代ノスタルジア全般の復権と結びついたという指摘もある)[48]。一方で、新しいミュージシャンによって制作されている「ニュー・シティ・ポップ」は、従来のシティ・ポップとの関係性や、直接的な音楽的影響が否定されることもある[49]。アルバム・アートの多様性の視覚的影響からも「ニュー・シティ・ポップ」の膨大な音楽的バリエーションを見出すことができ、特定のアルバムを除けば、かつてのシティ・ポップ的様式と「新しいシティ・ポップ」との間に美学的な強い繋がりを見出すことは難しくなっている[49]。しかしながら、このジャンルが体現しようとした「洗練」「センス」「オシャレ」といった諸概念は、歌詞や記事によって常に強調されてきており、数十年に渡る時の中で「シティ・ポップ」というジャンルの中で非言語的な記号は大きく変化したものの、こうした修飾語の用法は通史的に見てもほとんど変化していないことから、シティ・ポップとはどのようなものか、という考えに関する確かな一貫性は見られている[50]

代表的アーティスト

上述したとおり、あくまで消費者側における認識であり、本人が意図していない場合もある。

脚注

  1. ^ a b c d ソメ (2020) p.20
  2. ^ a b c d Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (2/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f かせきさいだぁ「夏は音楽に出逢う時 かせきさいだぁさん、いま流行りのシティポップってそもそもどういう音楽なんですか?」『BRUTUS』第2016-07-01号、マガジンハウス、2016年7月、31頁。 
  4. ^ a b c d 木村 (2006) p.55
  5. ^ a b c d e f g h Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (1/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  6. ^ a b 柴那典「つながる世界でいま、起きていること」『an・an』第2019-07-10号、マガジンハウス、2019年7月、42頁。 
  7. ^ a b c d 木村 (2006) p.56
  8. ^ a b c d e 松永良平「音楽「気分」に浸るシティ・ポップ 「日本産」音楽とアートが世界で人気」『AERA』第2019-12-23号、朝日新聞出版、2019年12月、44-45頁。 
  9. ^ 『現代用語の基礎知識』(1984年版)自由国民社、1038頁。 
  10. ^ a b c d e f g h i “シティ・ポップ じわり「逆輸入」 伊藤銀次 原点回帰の新作”. 産経新聞 (産業経済新聞社): p. 東京朝刊18頁. (2019年12月24日) 
  11. ^ a b c d 木村ユタカ(監修) 編『ジャパニーズ・シティ・ポップ』シンコー・ミュージック、2002年、129頁。ISBN 978-4401617739 
  12. ^ a b c d e f シティー・ポップ”. 知恵蔵mini. 朝日新聞出版 (2019年5月28日). 2020年1月19日閲覧。
  13. ^ Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (4/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  14. ^ a b クリス松村「いま観る理由 シティポップ 昭和音楽がますます人気だから」『BRUTUS』第2019-11-15号、マガジンハウス、2019年11月、38-39頁。 
  15. ^ a b c d e f g h i j k l 山田厚俊「人気沸騰! 魅惑の80年代シティ・ポップ大解剖」『サンデー毎日』第2019-09-01号、毎日新聞出版、2019年9月、38-41頁。 
  16. ^ 例: 惣領智子『City Lights by the Moonlight』(RVC)(1977年10月25日)のレコード帯「シティ・ポップス期待のシンガー」
  17. ^ a b c d 松永良平、磯部涼「特別企画 あたらしいシティポップ」『CDジャーナル』第2012-11号、音楽出版社、2012年11月、19-23頁。 
  18. ^ シティ・ポップスNOW & THEN(Billboard Japan)
  19. ^ クレタパブリッシング『昭和40年男』 2014年2月号 pp.8-9
  20. ^ 木村 (2006) p.52
  21. ^ 木村 (2006) p.54
  22. ^ a b クレタパブリッシング『昭和40年男』 2014年2月号 pp.24-27
  23. ^ a b c d e f g 木村 (2006) p.102
  24. ^ 鈴木 (2017) p.252
  25. ^ 集英社『月刊 明星』 1984年2月号 p.156
  26. ^ a b 木村 (2006) p.103
  27. ^ クレタパブリッシング『昭和40年男』 2014年2月号 p.48
  28. ^ a b Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (5/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  29. ^ Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (6/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  30. ^ 鈴木 (2017) p.253
  31. ^ a b c ソメ (2020) p.23
  32. ^ a b c d ソメ (2020) p.21
  33. ^ [週刊エンタメ]<トレンド>シティ・ポップ イラストにも光…永井博・鈴木英人・わたせせいぞう 読売新聞、2021年8月7日付
  34. ^ 竹内まりや、山下達郎……欧米で大人気の日本音楽「シティポップ」、その中に封じ込められた「幻の東京」とは URBAN LIFE METRO
  35. ^ a b c d e ソメ (2020) p.19
  36. ^ Martin, Ian F. 2016. Quit Your Band! Musical Notes from the Japanese Underground. New York:Awai Books.(邦訳:坂本麻里子訳『バンドやめようぜ! あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記』Pヴァイン、2017年)p.84
  37. ^ ソメ (2020) p.22
  38. ^ クレタパブリッシング『昭和40年男』 2014年2月号 pp.44-45
  39. ^ Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (8/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  40. ^ クレタパブリッシング『昭和40年男』 2014年2月号 pp.36-39
  41. ^ 「シティポップ」新・時事用語”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2021年9月23日閲覧。
  42. ^ 織部涼「ブルータス時事用語辞典2015」『BRUTUS』第2015-03-01号、マガジンハウス、2015年3月、59頁。 
  43. ^ a b c Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (7/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  44. ^ “リリースから40年の快挙!! Spotify15日連続世界1位の松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」復刻盤商品化決定!”. PONYCANYON NEWS. (2020年12月25日). https://news.ponycanyon.co.jp/2020/12/45682 2020年12月30日閲覧。 
  45. ^ 森村潘 (2020年12月27日). “【大人のエンタメ】松原みきの名盤が復刻へ 『真夜中のドア』と1STアルバム”. zakzak. https://www.zakzak.co.jp/ent/news/201227/enn2012270001-n1.html 2020年12月30日閲覧。 
  46. ^ 松永良平 (2020年12月10日). “松原みき「真夜中のドア~stay with me」なぜ今話題に? 世界のシティ・ポップ・ファンに愛されたアンセム<コラム>”. Billboard JAPAN. http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95073/2 2020年12月30日閲覧。 
  47. ^ 柴那典 (2019年7月4日). “今なぜ海外で「シティ・ポップ」が大人気なのか? 火付け役に聞く(1/6)”. 現代ビジネス. 講談社. 2020年2月28日閲覧。
  48. ^ ソメ (2020) p.30
  49. ^ a b ソメ (2020) p.31
  50. ^ ソメ (2020) p.32
  51. ^ a b c d e f 栗本斉 (2018年12月21日). “シティポップがなぜ世界中でブレイクしているのか? (1/2)”. 公益財団法人ニッポンドットコム. 2020年3月23日閲覧。

参考文献

関連項目