「阪神タイガースの歌」の版間の差分
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「阪神タイガースの歌」に改題された際、若山彰の歌唱を再録したバージョンが[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]でのタイガース戦で流されるようになった。このバージョンで歌詞を覚えた[[中村鋭一]](当時[[朝日放送テレビ|朝日放送]][[アナウンサー]])が<ref name="kobe_990221" />、[[1971年]](昭和46年)以降のプロ野球シーズンで阪神が公式戦で勝利した翌朝に『[[おはようパーソナリティ中村鋭一です]]』([[朝日放送ラジオ|ラジオ]]の生ワイド番組)で歌ったことをきっかけに、同番組の高い人気と相まって[[1970年代]]に多くのファンへ広まった。[[1972年]](昭和47年)に発売された中村の歌唱によるレコード([[テイチクエンタテインメント|テイチクレコード]]発売、レコード番号A-89、再発RS-96)は、[[1974年]](昭和49年)に10万枚以上のヒットを記録し<ref name="kobe_990221" />、[[1991年]](平成3年)には[[コンパクトディスク|CD]]発売された。[[1985年]](昭和60年)のタイガースの日本シリーズでの優勝を経て、全国的に知られるようになった<ref>[https://www.daily.co.jp/society/life/2020/06/12/0013419269.shtml 「六甲おろし」は「阪神タイガースの歌」じゃなかった!?本人にとっても「思い出の曲」の古関メロディー]、デイリースポーツ、2020年6月12日。</ref>。なお、「六甲颪」という通称は、中村が考案したとされる<ref>[[井上章一]]『阪神タイガースの正体』(太田出版、2001年)に掲載された中村へのインタビューで「一番のうたいだしから、私が勝手に命名しました」と語っている(同書P320)。</ref>。この番組では、タイガースが勝利した翌日に六甲おろしを歌うのが風習となり、関西地方の朝の名物となり、この風習は後番組で現在放送中の『[[おはようパーソナリティ道上洋三です]]』へと引き継がれた。 |
「阪神タイガースの歌」に改題された際、若山彰の歌唱を再録したバージョンが[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]でのタイガース戦で流されるようになった。このバージョンで歌詞を覚えた[[中村鋭一]](当時[[朝日放送テレビ|朝日放送]][[アナウンサー]])が<ref name="kobe_990221" />、[[1971年]](昭和46年)以降のプロ野球シーズンで阪神が公式戦で勝利した翌朝に『[[おはようパーソナリティ中村鋭一です]]』([[朝日放送ラジオ|ラジオ]]の生ワイド番組)で歌ったことをきっかけに、同番組の高い人気と相まって[[1970年代]]に多くのファンへ広まった。[[1972年]](昭和47年)に発売された中村の歌唱によるレコード([[テイチクエンタテインメント|テイチクレコード]]発売、レコード番号A-89、再発RS-96)は、[[1974年]](昭和49年)に10万枚以上のヒットを記録し<ref name="kobe_990221" />、[[1991年]](平成3年)には[[コンパクトディスク|CD]]発売された。[[1985年]](昭和60年)のタイガースの日本シリーズでの優勝を経て、全国的に知られるようになった<ref>[https://www.daily.co.jp/society/life/2020/06/12/0013419269.shtml 「六甲おろし」は「阪神タイガースの歌」じゃなかった!?本人にとっても「思い出の曲」の古関メロディー]、デイリースポーツ、2020年6月12日。</ref>。なお、「六甲颪」という通称は、中村が考案したとされる<ref>[[井上章一]]『阪神タイガースの正体』(太田出版、2001年)に掲載された中村へのインタビューで「一番のうたいだしから、私が勝手に命名しました」と語っている(同書P320)。</ref>。この番組では、タイガースが勝利した翌日に六甲おろしを歌うのが風習となり、関西地方の朝の名物となり、この風習は後番組で現在放送中の『[[おはようパーソナリティ道上洋三です]]』へと引き継がれた。 |
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球団歌として公認されたのは、[[1980年]](昭和55年)にビクター音楽産業(現在の[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]])から発売された[[立川清登]]歌唱のバージョンである(変イ長調、[[小沢直与志]]の編曲)。阪神タイガースのホームゲームではこのバージョンが球場内に流され、ファンが斉唱した。[[1992年]](平成4年)には「'''六甲おろし 阪神タイガースの歌'''」の表題で[[8センチCD|シングルCD]]として再発され、阪神ファンの間で正調とされてきたが<ref>テレビ番組『[[ズームイン!!朝!]]』の[[ズームイン!!朝!#主なコーナー|プロ野球いれコミ情報]]コーナーでも、阪神情報を伝える際の[[ |
球団歌として公認されたのは、[[1980年]](昭和55年)にビクター音楽産業(現在の[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]])から発売された[[立川清登]]歌唱のバージョンである(変イ長調、[[小沢直与志]]の編曲)。阪神タイガースのホームゲームではこのバージョンが球場内に流され、ファンが斉唱した。[[1992年]](平成4年)には「'''六甲おろし 阪神タイガースの歌'''」の表題で[[8センチCD|シングルCD]]として再発され、阪神ファンの間で正調とされてきたが<ref>テレビ番組『[[ズームイン!!朝!]]』の[[ズームイン!!朝!#主なコーナー|プロ野球いれコミ情報]]コーナーでも、阪神情報を伝える際の[[背景音楽|BGM]]に、同音源の[[器楽曲|インストゥメンタル]]が使用された。</ref>、[[1999年]](平成11年)に廃盤となった。その後、ファンの待望の声に応え、[[2005年]](平成17年)にビクターから限定発売された[[コンピレーション・アルバム]]『大阪ソウルバラード2005』に収録された。 |
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球場で立川の歌が使われなくなってからは、[[1992年]](平成4年)に発表された[[唐渡吉則]]歌唱のバージョン(CDアルバム『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』に収録)が代用された<ref>翌[[1993年]](平成5年)には、CDシングル「六甲おろし」が発売。先述のCDも含め、発売元は日本コロムビア</ref>。行進曲風の調子が和らげられ、歌謡曲風にアレンジされていた(ト長調)が、[[毎日放送]]が制作に関わっていたことから問題になり、球場では伴奏だけのものを使用することになった(ただし、[[倉敷マスカットスタジアム]]など、オーロラビジョンのない地方球場主催の場合は、歌詞つきとなる。また、ビジター球場で流される場合は、多くの場合唐渡版・歌詞つきである)。なお、阪神甲子園球場では、球団のマスコットであるトラッキーの[[アニメーション]]とともに、歌詞がスコアボードに映される。 |
球場で立川の歌が使われなくなってからは、[[1992年]](平成4年)に発表された[[唐渡吉則]]歌唱のバージョン(CDアルバム『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』に収録)が代用された<ref>翌[[1993年]](平成5年)には、CDシングル「六甲おろし」が発売。先述のCDも含め、発売元は日本コロムビア</ref>。行進曲風の調子が和らげられ、歌謡曲風にアレンジされていた(ト長調)が、[[毎日放送]]が制作に関わっていたことから問題になり、球場では伴奏だけのものを使用することになった(ただし、[[倉敷マスカットスタジアム]]など、オーロラビジョンのない地方球場主催の場合は、歌詞つきとなる。また、ビジター球場で流される場合は、多くの場合唐渡版・歌詞つきである)。なお、阪神甲子園球場では、球団のマスコットであるトラッキーの[[アニメーション]]とともに、歌詞がスコアボードに映される。 |
2021年11月23日 (火) 08:35時点における版
「大阪タイガースの歌(創唱盤)」 | |
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中野忠晴 の シングル | |
初出アルバム『阪神タイガース 選手別応援歌 2003』 | |
A面 | 大阪タイガースの歌 |
B面 | 大阪タイガース行進曲 |
リリース | |
規格 | SPレコード |
録音 | 1936年2月21日[1] |
ジャンル |
球団歌 応援歌 |
レーベル | 日本蓄音器商会(コロムビア)(A-305) |
作詞・作曲 |
作詞:佐藤惣之助 作曲:古関裕而 |
「阪神タイガースの歌(球団公認盤)」 | |
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立川清登 の シングル | |
初出アルバム『大阪ソウルバラード2005』 | |
A面 | 阪神タイガースの歌 |
B面 | 阪神タイガース行進曲(インストゥルメンタル) |
リリース | |
規格 |
シングルレコード (シングルCDの再発盤有り) |
ジャンル |
球団歌 応援歌 |
レーベル | ビクター音楽産業(17VP-2071) |
作詞・作曲 |
作詞:佐藤惣之助 作曲:古関裕而 編曲:小沢直与志 |
「阪神タイガースの歌」(はんしんタイガースのうた)、通称「六甲おろし」「六甲颪」(ろっこうおろし)は、日本プロ野球のセントラル・リーグに所属する阪神タイガースの球団歌である。
1936年(昭和11年)に「大阪タイガースの歌」(おおさかタイガースのうた)の表題で発表され、1961年(昭和36年)の球団名変更とともに改題された。
変イ長調またはト長調(現在ホームゲーム勝利時に流れるものは変ト長調、応援団の演奏は変イ長調)。
現存する日本野球機構(NPB)12球団の球団歌において最古の楽曲である。
解説
1935年(昭和10年)末の大阪タイガース創立に合わせて作られ、翌年3月25日に甲子園ホテルで開かれたチームの激励会で初披露された[2][1]。また、出席した二百人程度の関係者(在阪の知名士)には奥山貞吉の編曲、中野忠晴とコロムビア合唱団の歌によるレコード(日本蓄音器商会(コロムビア)に製造を委託したプライベート盤、レコード番号はA-305)が配布された[1][2]。一般流通はせず、製造枚数は200〜300枚と推定される[1][2][3]。このレコードのB面はコロムビア管弦楽団の演奏によるインストゥルメンタル「大阪タイガース行進曲」で、一部に「大阪タイガースの歌」と同じメロディが使われていた[2]。このレコードは、製造した日本蓄音器商会の後身である日本コロムビア[1]や球団事務所[1]・在阪ラジオ局[2]にも保管されていなかったが、1999年(平成11年)にレコードコレクターが所有している盤をもとにして神戸新聞の記事で紹介された[2]。その後、コレクターからの提供によって復刻され、2003年(平成15年)にアルバムCD『阪神タイガース 選手別応援歌 2003』に収録された[1]。なお、現行版に至るまでの作詞には紆余曲折があり、そのうちの初稿版は藍川由美が歌っている(アーティストを参照)。
戦後、1961年(昭和36年)に球団名が阪神タイガースに変更され、同時に球団歌も「阪神タイガースの歌」に改題され若山彰とコロムビア合唱団の歌唱(日本コロムビア委託製作、レコード番号PRE-1133)で製作されている。この際、歌詞中の「大阪タイガース」が「阪神タイガース」に改められ、これに合わせて曲の一部が変更された。この改訂について、作曲者の古関は後年にサンケイスポーツの取材で「最後のリフレインで、『オウ オウ オウ オウ オーサカ・タイガース』と歌うのが韻を踏んでいて良かった」と述べている[4]。
「阪神タイガースの歌」に改題された際、若山彰の歌唱を再録したバージョンが甲子園球場でのタイガース戦で流されるようになった。このバージョンで歌詞を覚えた中村鋭一(当時朝日放送アナウンサー)が[2]、1971年(昭和46年)以降のプロ野球シーズンで阪神が公式戦で勝利した翌朝に『おはようパーソナリティ中村鋭一です』(ラジオの生ワイド番組)で歌ったことをきっかけに、同番組の高い人気と相まって1970年代に多くのファンへ広まった。1972年(昭和47年)に発売された中村の歌唱によるレコード(テイチクレコード発売、レコード番号A-89、再発RS-96)は、1974年(昭和49年)に10万枚以上のヒットを記録し[2]、1991年(平成3年)にはCD発売された。1985年(昭和60年)のタイガースの日本シリーズでの優勝を経て、全国的に知られるようになった[5]。なお、「六甲颪」という通称は、中村が考案したとされる[6]。この番組では、タイガースが勝利した翌日に六甲おろしを歌うのが風習となり、関西地方の朝の名物となり、この風習は後番組で現在放送中の『おはようパーソナリティ道上洋三です』へと引き継がれた。
球団歌として公認されたのは、1980年(昭和55年)にビクター音楽産業(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売された立川清登歌唱のバージョンである(変イ長調、小沢直与志の編曲)。阪神タイガースのホームゲームではこのバージョンが球場内に流され、ファンが斉唱した。1992年(平成4年)には「六甲おろし 阪神タイガースの歌」の表題でシングルCDとして再発され、阪神ファンの間で正調とされてきたが[7]、1999年(平成11年)に廃盤となった。その後、ファンの待望の声に応え、2005年(平成17年)にビクターから限定発売されたコンピレーション・アルバム『大阪ソウルバラード2005』に収録された。
球場で立川の歌が使われなくなってからは、1992年(平成4年)に発表された唐渡吉則歌唱のバージョン(CDアルバム『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』に収録)が代用された[8]。行進曲風の調子が和らげられ、歌謡曲風にアレンジされていた(ト長調)が、毎日放送が制作に関わっていたことから問題になり、球場では伴奏だけのものを使用することになった(ただし、倉敷マスカットスタジアムなど、オーロラビジョンのない地方球場主催の場合は、歌詞つきとなる。また、ビジター球場で流される場合は、多くの場合唐渡版・歌詞つきである)。なお、阪神甲子園球場では、球団のマスコットであるトラッキーのアニメーションとともに、歌詞がスコアボードに映される。
なお、ソフトバンク、阪神を除くセ・リーグ5球団のビジターゲームにおいて7回攻撃前に流れる「六甲おろし」は、これまで通り前述の唐渡の歌唱バージョンが流れている(2017年までの巨人主催東京ドームでの試合のラッキー7は応援団が演奏していた。それ以外はインストゥメンタル。一方オリックスの主催の試合では甲子園などでの阪神主催試合のジェット風船時のBGMが流れる)。
その一方で、2020年(令和2年)2月14日から2週間限定で公開されている阪神球団85周年記念の公式ドキュメンタリー映画『阪神タイガース THE MOVIE~猛虎神話集~』(製作:『TIGERS THE MOVIE』製作委員会、配給:KADOKAWA)では、2017年(平成29年)に87歳で永眠した中村が生前に歌唱したバージョンの音源が使われた[9]。また、作曲者の古関が主人公のモデルになったNHK連続テレビ小説『エール』第61話(同年6月22日放送分)では、古関が大阪タイガースからの依頼で「大阪タイガースの歌」を提供した実話がエピソードに盛り込まれた(いずれも阪神OBの掛布雅之が出演)[10]。
歌詞
歌詞は1992年(平成4年)12月31日に日本において著作権の保護期間を満了し、パブリックドメインとなっている。旋律は日本コロムビアの管理楽曲となっており、演奏に際しては専属開放申請が必要である。
一、
六甲颪 に颯爽 と蒼天翔 ける日輪 の青春 の覇気 美 しく輝 く我 が名 ぞ阪神 タイガース- オウ オウ オウオウ
阪神 タイガース- フレ フレフレフレ
二、
闘志溌剌 起 つや今 熱血既 に敵 を衝 く獣王 の意気 高 らかに無敵 の我等 ぞ阪神 タイガース- オウ オウ オウオウ
阪神 タイガース- フレ フレフレフレ
三、
鉄腕強打 幾千度 び鍛 えてここに甲子園 勝利 に燃 ゆる栄冠 は輝 く我等 ぞ阪神 タイガース- オウ オウ オウオウ
阪神 タイガース- フレ フレフレフレ
一番冒頭に登場する「六甲颪」は、六甲山地から吹き降ろす山颪の通称であり、主に秋から春にかけて吹くことが多い。井上章一は、プロ野球のシーズンが開催される夏に吹くのは、殆どが浜風であることを踏まえ、実際の現象と歌詞のずれについて「作詞家の佐藤は、阪神地方の気候について詳しくなかったのだろう」と指摘している[11]。しかし、この歌が制作された創成期のプロ野球では、大学野球に近い年2シーズン制で、優勝チーム同士で行われる年間優勝決定戦が12月初め頃となっており、シーズンを戦い抜いたチームを讃える歌詞としては適当であったと言える。
正式な歌詞ではないが、阪神甲子園球場では、前奏が流れるのに合わせて「強い 強い 阪神タイガース」と歌うファンが多い。
アーティスト
肩書・所属はいずれも最初の収録時点
- 「大阪タイガースの歌」として
- 「阪神タイガースの歌」改題後
- 若山彰(日本コロムビア) - 1961年(昭和36年)[2]。改題後初録音。1971年(昭和46年)にも再発[2]。
- 中村鋭一(テイチク) - 1972年(昭和47年)。朝日放送アナウンサー
- 立川清登(ビクター) - 1980年(昭和55年)
- 植草貞夫(日本コロムビア) - 1983年(昭和58年)。朝日放送アナウンサー
- 道上洋三(ソニー) - 1985年(昭和60年)。朝日放送アナウンサー
- おはようパーソナリティ道上洋三です30周年記念CDアルバム『新しい朝』に『1万人の六甲おろし』(道上洋三+ABCオールスターズ&1万2千人のリスナー)と『六甲おろし〜1985年(昭和60年)Ver.〜』(道上洋三)が収録されている。2000年(平成12年)には大友直人指揮ジャパン・ヴィルトーゾ・オーケストラによるオーケストラ・バージョンが発売されている。
- 唐渡吉則(日本コロムビア) - 1992年(平成4年)。スポーツコメンテーター
- トーマス・オマリー - 1994年(平成6年)。阪神タイガースの現役選手(内野手)
- 「オマリーの六甲おろし」というタイトルで、『オマリーのダイナミック・イングリッシュ』に原曲と英語バージョンを収録。1994年のゴールドディスクを受賞した一方で、オマリーが歌唱中に常軌を逸するほどの音程を露呈したことから、引退後の現在に至るまで「伝説の六甲おろし」と呼ばれている。
- 元々は「オマリーのダイナミックイングリッシュ」(『毎日放送ダイナミックナイター』での阪神戦ラジオ中継内のミニ企画)から派生した企画CDで、レコーディングには同局本社(大阪市北区)7階のスタジオを使用。2014年(平成26年)9月には、『オマリーのダイナミック・イングリッシュ』の復刻盤(デジタル・リマスター盤)が発売された[14]。
- 応援団 - 1998年(平成10年)、『'98阪神タイガース選手別応援歌』に「六甲おろし(応援団バージョン)」として収録(以降、『阪神タイガース選手別応援歌』シリーズにおいて『阪神タイガース選手別応援歌2003』(最終版)まで、常に収録されていた)。
- 若虎吹奏楽団 - 1998年(平成10年)、『'98阪神タイガース選手別応援歌』に収録。演奏のみ
- GELUGUGU - 2001年(平成13年)、『I LOVE SKA PUNK』に収録。スカコアバージョン
- 快音団 - 2003年(平成15年)。パンク・ロックバージョン
- 魁!ジョッパーズ - 2003年(平成15年)。J-POPバージョン
- よしもと大阪ねえちゃんズ(Y. O. N.) - 2003年(平成15年)、『大阪チャン・チャカ・リン』に収録。吉本興業に所属する女性漫才師3人によるグループ
- イエロー・ガールズ - 2003年(平成15年)。イエローキャブに所属するタレント9名によるグループ
- 沢田研二 - 2003年(平成15年)。パンク・ロックバージョン
- 「ROCK黄WIND」というタイトルで『明日は晴れる』に収録。「ROCK黄WIND」は、原曲のタイトルに阪神のチームカラー(黄色)やロック(ROCK)を重ねていて、「ロック・オー・ウインド」と読ませる。
- オーケストラ・アンサンブル金沢 - 2003年(平成15年)。オーケストラバージョン
- SNUFF - 2003年(平成15年)。パンク・ロックバージョン
- 藍川由美 - 2004年(平成16年)、『栄冠は君に輝く〜古関裕而作品集』に収録。初稿版、ピアノ伴奏版、現行版の3バージョンを収録
- 冠二郎 - 2008年(平成20年)、シングル『浪花酔虎伝』のカップリングに収録
- 出光仁美 - 2013年(平成25年)、自身の楽曲「六甲の女」の1番と2番の間に「阪神タイガースの歌」の1番を挿入した「六甲の女〜スペシャルバージョン〜」を出光仁美&ビューティーこくぶのシングル『さよならから』のカップリングに収録。
- たこやきレインボー - 2013年(平成25年)、「六甲たこおろし」として『オーバー・ザ・たこやきレインボー』に収録。
- BORO(アイビーレコード) - 2015年(平成27年)、『大阪で生まれた歌』収録、2016年にシングルカット。
- 水樹奈々 - 後述の「みんなで六甲おろし」とは別に、2016年(平成28年)に開催された甲子園球場でのコンサートにおいて、サックスによる吹奏を行っている。『NANA MIZUKI LIVE PARK×MTV Unplugged: Nana Mizuki』に収録。
みんなで六甲おろし
甲子園球場や京セラドーム大阪の阪神主催試合で、2016年からスコアボードに流される「六甲おろし」の映像は、「みんなで六甲おろし」と銘打って、阪神ファンの各界著名人がリレー方式で歌っているように編集されている。
2016年には、西川貴教(歌手)がメインボーカルを務めた映像を、レギュラーシーズンの開幕戦(3月25日に京セラドーム大阪で催された対中日ドラゴンズ戦)から第1弾として使用[16]。6月28日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)からは、Char(ギタリスト)がリードギターを演奏したバージョンと水樹奈々(声優・歌手)がメインボーカルを務めたバージョンを追加するとともに、前述の第1弾と合わせて3つのバージョンをシーズン終了までランダムで使用した[17]。
2019年には、阪神ファンの著名人に加えて、在阪民放テレビ局およびサンテレビジョンのアナウンサーや情報番組への出演者(いずれも当時)も参加。2018年版までと違ってメインボーカルを置かず、出演者全員が歌唱する映像を放送局単位のリレー方式で組み合わせていた。また、女性陣のみで構成される「TORACOバージョン」も製作。「TORACO DAY」と銘打った5月11日の対中日戦(甲子園)限定で流された。
阪神球団の創立85周年に当たる2020年には、「阪神ファンのミュージシャンが『タイガースバンド』を結成した」という設定で、5人のミュージシャンが85周年記念仕様のレプリカユニフォームを身にまといながら「85th Special Edition六甲おろし」を演奏した映像を制作。以上の設定によって復活したリードボーカルに、水樹と岡崎体育(シンガーソングライター)が起用された。この年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響でNPBレギュラーシーズンの開幕が当初の予定から約3ヶ月遅れたことを背景に、甲子園球場でのホーム開幕戦に当たる7月7日の対巨人戦から放映を開始。ただし、阪神球団では上記の影響を踏まえて、放映の如何にかかわらず場内で観客が声を張り上げて「六甲おろし」を合唱する行為を禁止している[18]。この措置は2021年も継続しているが、同年放映のバージョンでは、岡崎と丘みどり(兵庫県姫路市出身の演歌歌手)がツインボーカルを務めている。
2016年版
リードボーカル・リードギター
- 西川貴教(T.M.Revolution)
- Char(リードギター)
- 水樹奈々
VTR出演
- 石坂浩二
- 石田純一
- 宇都宮まき
- NMB48(山本彩・薮下柊・木下春奈・川上千尋)
- 遠藤章造(ココリコ)
- 片岡愛之助
- 佐藤江梨子
- 佐藤隆太
- 佐渡裕
- 篠原信一
- 島田一の介
- 陣内智則
- 武豊
- 辰巳琢郎
- 千秋
- 月亭八方
- 堤真一
- トミーズ雅
- ヒロ寺平
- 増田英彦(ますだおかだ)
- 松村邦洋
- 渡部建(アンジャッシュ)
2017年版
リードボーカル
VTR出演
2018年版
リードボーカル
- 水谷千重子
- 若旦那
VTR出演
2019年版
VTR出演
- ウルフルケイスケ
- NMB48(村瀬紗英・川上千尋・谷川愛梨・山本彩加)
- 遠藤章造
- サンプラザ中野くん
- 陣内智則
- Char
- 千秋
- 月亭八方
- トミーズ雅
- 新羅慎二(若旦那)
- ヒロ寺平
- 増田英彦(ますだおかだ)
- 松村邦洋
- 水樹奈々
- 山本彩
アナウンサー
- サンテレビ - 『サンテレビボックス席』
- 毎日放送 - 『MBSベースボールパーク』
- 読売テレビ - 『朝生ワイド す・またん!』
2020年版(タイガースバンド)
リードボーカル
- 水樹奈々
- 岡崎体育
その他のメンバー
2021年版
リードボーカル
- 岡崎体育
- 丘みどり
VTR出演
脚注
- ^ a b c d e f g h 阪神タイガース 選手別応援歌 2003、日本コロムビア - 2021年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 「関西発レコード120年 第8部・総集編(7)六甲おろし」『神戸新聞』1999年2月21日付朝刊、17面。
- ^ 「あ・ん 元祖『六甲おろし』」『神戸新聞』2003年9月15日付朝刊、6面。
- ^ 斎藤秀隆 (2009年2月23日). “(10)阪神タイガースの歌 愛され今日も歌い継がれる”. 福島民友 2021年1月17日閲覧。
- ^ 「六甲おろし」は「阪神タイガースの歌」じゃなかった!?本人にとっても「思い出の曲」の古関メロディー、デイリースポーツ、2020年6月12日。
- ^ 井上章一『阪神タイガースの正体』(太田出版、2001年)に掲載された中村へのインタビューで「一番のうたいだしから、私が勝手に命名しました」と語っている(同書P320)。
- ^ テレビ番組『ズームイン!!朝!』のプロ野球いれコミ情報コーナーでも、阪神情報を伝える際のBGMに、同音源のインストゥメンタルが使用された。
- ^ 翌1993年(平成5年)には、CDシングル「六甲おろし」が発売。先述のCDも含め、発売元は日本コロムビア
- ^ この映画では、朝日放送テレビ(永眠の翌年に旧・朝日放送からテレビ放送・アナウンス管理などの業務を継承した会社)が製作委員会へ名を連ねるとともに、製作に際して(旧・朝日放送時代を含む)阪神戦テレビ中継のアーカイブ映像を提供。一部の上映館(甲子園球場に最も近いTOHOシネマズ西宮OSなど)では、公開初日のみ「応援上映」(上映中に中村バージョンの音源に合わせて観客が歌唱することを特別に認める回)を設定していた。
- ^ 掛布雅之氏が朝ドラ「エール」出演、六甲おろし熱唱(『日刊スポーツ』2020年6月22日付記事)
- ^ 2014年5月19日付 愛媛新聞19面『こころの森』井上章一
- ^ 「阪神球団前身『大阪タイガースの歌』昭和30年代のレコード発見」『神戸新聞』2010年4月15日付夕刊、8面。
- ^ 以来、2003年(平成15年)発売の『阪神タイガース選手別応援歌2003』まで、日本コロムビアから発売のCDアルバム『阪神タイガース選手別応援歌』シリーズにおいて、必ず収録された('97年版までは、初出の音源。'98年版以降は、甲子園バージョンというアレンジバージョンを収録)。
- ^ 伝説のオマリー「六甲おろし」が20年ぶり復刻発売!(『BASEBALL KING』2014年8月24日付記事)
- ^ 好調阪神、“究極の応援歌”が登場や~!、ZAKZAK、2003年6月13日。
- ^ 【阪神】「六甲おろし」も超変革! 著名人が映像でエール報知新聞 2016年3月22日
- ^ 『みんなで六甲おろし』にCharさん、水樹奈々さんが登場!〜新たに2バージョンが完成〜,阪神タイガース公式サイト 2016年6月27日
- ^ 『みんなで六甲おろし 2020』~今年はバンドバージョン!~阪神タイガース公式サイト 2020年7月3日
- ^ 『みんなで六甲おろし 2017』〜今年も豪華有名人が続々登場!〜,阪神タイガース公式サイト,2017年3月16日
- ^ 『みんなで六甲おろし2017』に〜NMB48山本彩さんが新登場!〜,阪神タイガース公式サイト,2017年5月26日
関連項目
- 阪神ファン
- カーネル・サンダースの呪い
- 巨人軍の歌 - 同名の曲が3曲存在し、初代の通称「野球の王者」と現行(3代目)の通称「闘魂こめて」は古関裕而が作曲を手がけた。
- ドラゴンズの歌 - 中日ドラゴンズの初代球団歌(1950年 - 1977年)で、歌い出しから「青雲たかく」とも呼ばれる。古関裕而が作曲を手がけた。
- 東映フライヤーズの歌 - 東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の旧球団歌で、古関裕而が作曲。他の3球団4曲と異なり、レコードの製造が確認されていない。
- 阪急ブレーブス団歌 - 1番の歌い出しの歌詞が同じことから「もう一つの六甲おろし」の異名を持つ。