「広陵高等学校 (広島県)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
修正 |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
| 校名 = 広陵高等学校 |
| 校名 = 広陵高等学校 |
||
| 画像 = Koryo High School 20200629.JPG |
| 画像 = Koryo High School 20200629.JPG |
2022年10月6日 (木) 20:45時点における版
広陵高等学校 | |
---|---|
北緯34度28分17.4秒 東経132度24分46.97秒 / 北緯34.471500度 東経132.4130472度座標: 北緯34度28分17.4秒 東経132度24分46.97秒 / 北緯34.471500度 東経132.4130472度 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人広陵学園 |
校訓 | 質実剛健 |
設立年月日 | 1896年 |
創立者 | 鶴虎太郎 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース | 総合進学コース・特別進学コース |
学校コード | D134310000031 |
高校コード | 34503C |
所在地 | 〒731-3161 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広陵高等学校(こうりょうこうとうがっこう)は、広島県広島市安佐南区伴東三丁目にある私立高等学校。ユネスコスクール加盟校。
概要
大正期には修道中学(現在の修道中学校・修道高等学校)、明道中学(1923年廃校)とともに広島三中と呼ばれていた。
硬式野球部は、旧制中学時代から全国大会(甲子園球場他)に出場している。日本の高校野球では広島商業ともども、広島県のみならず全国的にも有名で、1926年、1991年、2003年といずれも春の選抜大会で3回優勝しており、「春の広陵」の異名がある。春の選抜では唯一、大正、昭和、平成、令和の4元号で出場している。 一方、夏の選手権大会では1927年、1967年、2007年、2017年と決勝戦には4回進出しているが、4回とも準優勝に終わっている(準優勝は春夏合計7回)。同校の硬式野球部からは多くのプロ野球選手を輩出している[1]。2016年野球部員(1年生同士)の暴力で1カ月間の対外試合禁止になっている[2]。 国体は2017年に初優勝を飾っている。
その他、軟式野球部、ボクシング部、テニス部、ゴルフ部なども優秀な成績をおさめている。
沿革
- 1896年2月 - 鶴虎太郎、数理学会を設立。
- 1898年4月 - 数理学会を究数学院と改称、1900年に中学科を設置。
- 1901年5月 - 究数学院中学科を私立広陵中学と改称。
- 1907年4月 - 呉服商・石田米助の出資を仰いで、中学校令による旧制中学校として認可(校主:石田米助・校長:鶴虎太郎)。現在、フジグラン広島があるあたりで開学した。
- 1920年夏 - 石田米助の死後に跡を継いだ長男・石田真一校主と鶴校長との間で学校運営をめぐる対立が表面化。11月に石田校主は鶴へ校長解任を通告、一連の校主側と校長側との対立が「(第一次)広陵事件」として全国に報道される。
- 1921年3月 - 仲裁の結果、学校分割を決定。鶴校長側は材木商・田中イト他の出資を得て、新たに宇品町の千田廟公園隣接地(現・南区宇品、みゆきプラザが現在は建っている:右地図参照)に財団法人広陵中学校を設立。石田校主側は広陵中学校を山陽中学校に改称するとともに、財団法人山陽中学校(のちに財団法人石田学園に改称)を設立した。
- 1945年8月 - 原子爆弾の投下により講堂及び教室一棟が倒壊。
- 1948年5月 - 学制改革により広陵高等学校(全日制普通科)を開校。
- 1950年4月 - 定時制(普通科)を併設。
- 1951年3月 - 私立学校法の制定により学校法人広陵学園が発足。
- 1953年4月 - 全日制・定時制とも商業科を併設。
- 1958年1月 - 現行の校章・校旗・校歌を制定。
- 1971年4月 - 安佐南区に広陵幼稚園を開園。
- 1973年4月 - 広陵高等学校を現校地に全面移転。
- 1974年4月 - 理数科を新設。
- 1998年4月 - 男女共学に移行。
- 2000年頃 - この頃までに定時制の普通科と商業科を廃止。
- 2003年 - 商業科の募集を停止。
- 2005年 - 理数科の募集を停止。
- 2017年 - 硬式野球部がライバル広島商業に並ぶ県内最多22回目(3年ぶり)の全国高等学校野球選手権大会に出場。結果は決勝で花咲徳栄高等学校に破れ準優勝となる。
- 2021年5月 - 全校生徒に一人一台のタブレット端末を配布し、持参を義務とする。
設置課程・学科
校訓・学校教育目標
- 校訓は、「質実剛健」[3]。
- 建学の精神は、「教育は愛なり」である[3]。
- 広陵高校が果たすべき役割(ミッション)として、「高い志を持ち、自らの夢や目標に向かってチャレンジする生徒を育て、地域社会・国際社会に貢献する有為な人物を育成する」ことを掲げている[3]。
校章
1958年に改訂された校章は、広陵の頭文字「K」の中央に「高」を配したものである。Kを構成する線は、広島市を流れる太田川や、進取・努力・剛健の気風、より高きものを求める青年期の理想を描いている[3]。
校歌
作詞は葛原しげる、作曲は川崎優による[3]。歌詞は「ましぐらに 昼も夜も」で始まり、「われらの広陵」で終わる[3]。
基礎データ
所在地
アクセス
著名な卒業生・出身者
野球
- 有志の会 - 広陵高校野球部 プロ野球在籍選手
- 加藤喜作
- 中尾長
- 田部武雄
- 小川年安
- 平桝敏男
- 戒能朶一
- 岩本義行
- 倉本信護
- 田部輝男
- 濃人渉
- 白石勝巳
- 橋本正吾
- 門前眞佐人
- 岡田宗芳
- 海蔵寺弘司
- 岩本信一
- 木下強三
- 梁川郁雄(1年のみ在部)
- 久保祥次
- 三浦和美
- 福富邦夫
- 佐々木孝次
- 川内雄富
- 須山成二
- 河井昭司
- 佐伯和司
- 竹桝和也
- 杉浦三六(杉浦太陽・太雄の父・中退)
- 光井正和
- 原伸次
- 石橋文雄
- 定詰雅彦
- 本原正治
- 金本知憲
- 西村龍次(1年次に中退、寒川高校に転校)
- 堀江賢治
- 福原忍
- 二岡智宏
- 佐竹健太
- 山崎賢太(現モデル)
- 稲田直人
- 川本大輔
- 新井良太(元阪神タイガース)
- 西村健太朗(元読売ジャイアンツ)
- 白濱裕太
- 上本博紀
- 藤川俊介
- 吉川光夫
- ガラニン・ヤン(独立リーグ)
- 野村祐輔
- 小林誠司
- 土生翔平
- 中田廉
- 上本崇司
- 有原航平
- 福田周平
- 上原健太
- 吉持亮汰
- 佐野恵太
- 太田光
- 中村奨成
- 吉川雄大
- 丸子達也(社会人野球)
- 八十川胖(元明治大学野球部監督)
- 本川貢(元近畿大学野球部監督)
- 中井哲之(現硬式野球部監督)
- 橘修(元パ・リーグ審判員、台湾野球技術向上委員)
- 水口拓弥(プロ野球審判員)
- 三原新二郎(元京都外大西高校硬式野球部監督、元山陽高校硬式野球部監督)
- 小泉吾郎(女子プロ野球創設者)
ボクシング
- 三迫将弘(元プロボクサー、ウィン三迫ジム会長、愛媛県・新田高校からの転校)
- 稲田千賢(プロボクサー)
- 上林巨人(プロボクサー)
- 新本亜也(日本初の女子ボクシング・アジア大会メダリスト(広州アジア大会銅メダル))
政治
芸能
- 島田洋七(漫才師)
- だるま二郎(俳優)
- 角川博(演歌歌手)
- ふじいあきら(マジシャン)
- 竹本洋介(歌手、元GiFT)
- カレー・西光海(お笑い芸人)
- TEE(ヒップホップ系シンガー、 ビルボードジャパン2010 最優秀新人賞受賞)
- 田中惇之(俳優)
- 吉村卓也(俳優)
その他
- 大浦颯太 (バスケットボール選手)
- 金澤利翼(ボディビルダー、トレーナー)
- 内藤圭佑(プロサッカー選手、東京ヴェルディ)
- 中谷雄英(日本初の柔道五輪メダリスト(1964年東京五輪金メダル))
- 松林宗恵(映画監督)
- 吉川潔(海軍少将)
脚注
- ^ 有志の会 - 広陵高校野球部 野球部沿革
- ^ いじめ・部内暴力…高校11件処分 日本学生野球協会朝日新聞
- ^ a b c d e f 学校法人広陵学園 広陵高等学校. “校訓・学校教育目標(ミッション)”. 2017年8月23日閲覧。
- ^ a b 学校法人広陵学園 広陵高等学校. “アクセスマップ”. 2017年8月23日閲覧。
関連書籍
- 『日本一の準優勝 広陵・夏の甲子園2007』(南々社)
関連項目
- 山陽高等学校 - 旧制広陵中学から分裂して開校
- 広島国際学院高等学校 - 同校と同じく鶴虎太郎によって創立
- 学校法人鶴学園(広島工業大学ほか) - 鶴虎太郎の子息・襄によって創立、虎太郎を「校祖」としている
- 広島県高等学校一覧
- 広陵幼稚園
- 芸北文化ランド - 広陵学園の経営するスキー場
- 伴駅 - 同校の最寄り駅で「広陵学園前」の副駅名を持つ
- 県病院前停留場 - 現在地への移転前の最寄り駅で、開業当初は「広陵中学前」の駅名であった
- みゆきプラザ - 旧校舎の敷地を再開発して建てられた