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宿174番8に現存する木造の旧校舎が市原市内に現存する唯一の木造学校舎で、地域住民および賛同者で構成される民間団体「報徳の会」が管理し「内田未来楽校」として毎月2回のイベントに使用している<ref>{{Cite web |url=http://uchidamirai.life.coocan.jp/ |title=内田未来楽校ホームページ |publisher=報徳の会 事務局長 |accessdate=2017-11-29}}</ref>。
宿174番8に現存する木造の旧校舎が市原市内に現存する唯一の木造学校舎で、地域住民および賛同者で構成される民間団体「報徳の会」が管理し「内田未来楽校」として毎月2回のイベントに使用している<ref>{{Cite web |url=http://uchidamirai.life.coocan.jp/ |title=内田未来楽校ホームページ |publisher=報徳の会 事務局長 |accessdate=2017-11-29}}</ref>。


2017年2月11日には市原市および[[小湊鐵道|小湊鉄道]]と協力してNPO法人ちば市民活動・市民事業サポートクラブ主催による同校現校舎および旧校舎の内田未来楽校を集合場所とする小湊鉄道沿線見学会を開催した<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.chiba.lg.jp/kouen/event/2016/documents/forum-chirashi.pdf |title=歴史の中の里山とローカル鉄道 |publisher=ちば市民活動・市民事業サポートクラブ |date=2016 |accessdate=2017-11-29 |format=PDF}}</ref>。
2017年2月11日には市原市および[[小湊鉄道]]と協力してNPO法人ちば市民活動・市民事業サポートクラブ主催による同校現校舎および旧校舎の内田未来楽校を集合場所とする小湊鉄道沿線見学会を開催した<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.chiba.lg.jp/kouen/event/2016/documents/forum-chirashi.pdf |title=歴史の中の里山とローカル鉄道 |publisher=ちば市民活動・市民事業サポートクラブ |date=2016 |accessdate=2017-11-29 |format=PDF}}</ref>。


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2023年1月7日 (土) 10:17時点における版

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市原市の小学校の分布 (赤:公立、黄:私立、黒:小学校(閉校)、緑:小中一貫教育校)
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

市原市の小学校一覧(いちはらしのしょうがっこういちらん)では、日本千葉県市原市に所在する小学校を列挙し解説する。

全ての学校において二学期制を採用している[1]

2017年6月6日現在、市原市内には市立小学校が43校あり[2]、そのうち2校の市原市立市東第二小学校市原市立平三小学校は2015年(平成27年)末に閉校している[2]。また、2007年には市原市立月出小学校が在校児童数ゼロとなり閉校した[3]

市原市内の小学校児童最大数は1982年(昭和57年)の26,994人、小学校数41校で[4]、2007年(平成19年)には1992年度児童数の58%となる15,728人に、小学校数は45校になっている[4]

情報

各校の2022年(令和4年)4月1日現在の情報は以下の通りである[6][7][注釈 1][注釈 2]

地区 学校名 児童数 学級数 前年比 校舎面積 学区面積 学区人口 備考
姉崎地区(有秋地区) 6 市原市立姉崎小学校 247名 12学級 減少 4,556m2 不明 5,324人
市原市立明神小学校 281名 14学級 減少 4,930m2 不明 9,032人
市原市立青葉台小学校 346名 16学級 増加 5,251m2 0.83km2 9,155人
市原市立有秋東小学校 234名 13学級 増加 4,859m2 不明 5,634人
市原市立有秋西小学校 352名 14学級 横ばい 4,110m2 不明 4,033人
市原市立有秋南小学校 131名 8学級 増加 4,962m2 不明 5,958人 [注釈 3]
市原地区 7 市原市立八幡小学校 382名 16学級 減少 4,753m2 不明 7,759人
市原市立石塚小学校 363名 15学級 減少 4,383m2 不明 6,966人 [注釈 3]
市原市立若宮小学校 257名 14学級 減少 5,848m2 不明 5,034人
市原市立菊間小学校 216名 11学級 減少 5,999m2 不明 10,374人
市原市立白幡小学校 162名 9学級 減少 4,186m2 不明 5,532人 [注釈 3]
市原市立五所小学校 241名 14学級 減少 4,921m2 不明 6,845人
市原市立市原小学校 205名 8学級 減少 5,228m2 不明 9,374人
五井地区 10 市原市立五井小学校 874名 30学級 減少 6,311m2 不明 14,854人 [注釈 3]
市原市立京葉小学校 560名 21学級 減少 3,922m2 不明 11,926人
市原市立若葉小学校 344名 14学級 減少 3,978m2 不明 8,019人 [注釈 3]
市原市立白金小学校 306名 14学級 増加 4,949m2 不明 8,784人
市原市立国府小学校 74名 8学級 減少 2,552m2 不明 1,798人 [注釈 3]
市原市立国分寺台小学校 412名 16学級 減少 4,538m2 不明 10,022人
市原市立国分寺台東小学校 287名 15学級 横ばい 3,954m2 不明 5,109人
市原市立国分寺台西小学校 518名 20学級 減少 4,446m2 不明 9,669人
市原市立東海小学校 174名 8学級 減少 3,273m2 不明 6,445人
市原市立千種小学校 701名 27学級 減少 6,682m2 不明 13,772人
三和地区 4 市原市立海上小学校 73名 6学級 横ばい 2,306m2 不明 1,971人
市原市立市西小学校 123名 8学級 増加 3,327m2 不明 3,799人
市原市立養老小学校 69名 7学級 減少 2,957m2 不明 3,159人
市原市立光風台小学校 245名 13学級 減少 5,297m2 不明 6,999人
市津地区 2 市原市立湿津小学校 529名 20学級 増加 4,543m2 不明 8,542人
市原市立市東第一小学校 93名 8学級 減少 3,080m2 不明 5,343人
辰巳台地区 2 市原市立辰巳台東小学校 398名 16学級 増加 5,469m2 不明 5,975人 [注釈 3]
市原市立辰巳台西小学校 290名 15学級 減少 5,394m2 不明 5,643人
南総地区 4 市原市立戸田小学校 143名 8学級 減少 3,727m2 不明 6,403人
市原市立寺谷小学校 66名 7学級 減少 3,221m2 不明 1,969人
市原市立牛久小学校 218名 11学級 減少 4,171m2 不明 10,118人
市原市立鶴舞小学校 90名 8学級 横ばい 2,796m2 不明 3,268人 [注釈 3]
加茂地区 1 市原市立加茂小学校 90名 7学級 減少 601m2 87.12km2 5,271人
ちはら台地区 4 市原市立水の江小学校 739名 28学級 増加 5,155m2 不明 6,161人
市原市立清水谷小学校 546名 23学級 減少 5,807m2 不明 7,977人
市原市立牧園小学校 599名 21学級 減少 5,693m2 不明 6,926人 [注釈 3]
市原市立ちはら台桜小学校 607名 21学級 減少 6,321m2 不明 5,621人
市原市全体 40 平均 314.6名 14.0学級 減少 4,415.2m2 9.20km2 6,346人

一覧

市原市立辰巳台東小学校

市原市立辰巳台東小学校
創立年 1966年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度30分52.63秒 東経140度9分12.48秒 / 北緯35.5146194度 東経140.1534667度 / 35.5146194; 140.1534667 (市原市立辰巳台東小学校)
辰巳台東4丁目13番地[2]
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市原市立辰巳台東小学校(いちはらしりつたつみだいひがししょうがっこう)は、千葉県市原市辰巳台東にある公立小学校。通称は東小(ひがししょう)。

概要

市原市辰巳台地区辰巳台東に位置する。団地人口増加に伴う新設校。

沿革[8]

  • 1966年4月1日 - 辰巳台東小学校として開校。
  • 1969年 - 第4校舎完成。これ以降は新校舎の増築はない。
  • 1970年 - 学校経営の近代化が認められて千葉県教育委員会より学校表彰
  • 2016年4月1日 - 創立50周年

児童数[8]

2021年4月現在の児童数は398名。

通学区域

辰巳台東1丁目、辰巳台東2丁目の一部、辰巳台東3丁目の一部、辰巳台東4 - 5丁目、能満の一部[9]

進学中学校

市原市立辰巳台西小学校

市原市立辰巳台西小学校
創立年 1961年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分27.32秒 東経140度8分53.48秒 / 北緯35.5242556度 東経140.1481889度 / 35.5242556; 140.1481889 (市原市立辰巳台西小学校)
辰巳台西4丁目16番地[2]
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市原市立辰巳台西小学校(いちはらしりつたつみだいにししょうがっこう)は、千葉県市原市辰巳台西にある公立小学校。通称は西小(にししょう)。

概要

市原市辰巳台地区辰巳台西に位置する。団地建設に伴う新設校。

沿革[10]

  • 1961年 - 市原町立辰巳台小学校として開校。
  • 1963年 - 市原市制の施行に伴い市原市立辰巳台小学校に改称。
  • 1966年 - 児童数急増を受け東西2校に分離、本校を現校名の市原市立辰巳台西小学校に改称。
  • 1977年 - 増築校舎1,248㎡建設。
  • 2007年 - 創立当初の校舎及び渡り廊下建て替え。
  • 2011年 - 創立50周年。
  • 2012年 - 千葉県教育委員会より教育功労賞を受賞。

施設[11]

  • 校舎
    • 1977年建設 1,248㎡ (耐震工事済)
    • 2007年建設 4,110㎡ (耐震)
  • 体育館 - 1978年建設 1,024㎡ (耐震工事済)

児童数[12]

2022年4月現在の児童数は290名。

通学区域[9]
辰巳台西1丁目、辰巳台西3 - 5丁目、菊間の一部、大厩の一部、辰巳台東2丁目の一部

進学中学校

市原市立白金小学校

市原市立白金小学校
創立年 1889年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分24.91秒 東経140度6分30.77秒 / 北緯35.5235861度 東経140.1085472度 / 35.5235861; 140.1085472 (市原市立白金小学校)
君塚3丁目19番地[2]
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市原市立白金小学校(いちはらしりつしろがねしょうがっこう)は、千葉県市原市君塚にある公立小学校

概要

市原市五井地区の君塚に位置する。学区内は1993年頃から外国人転入者が増加したことに伴い、同校に通う児童のうち、外国籍児童および外国人を保護者に持つ児童の割合は25%に達している。

沿革[13]

  • 1873年 - 君塚尋常小学校開校。
  • 1889年 - 五井町立五井小学校君塚分校になる。
  • 1907年 - 五井町立君塚小学校として再独立開校。
  • 1941年 - 五井町立君塚国民学校となる。
  • 1947年 - 五井町立君塚小学校となる。
  • 1963年 - 市原市立君塚小学校となる。
  • 1970年 - 市原市立八幡小学校の通学区域を一部編入した際に改称して市原市立白金小学校に。
  • 1971年 - 現所在地に新校舎が完成、移転。

施設[11]

  • 校舎
    • 1971年築 2,851㎡
    • 1976年築 724㎡
    • 1983年築 1,186㎡
  • 体育館 - 1977年築 843㎡

児童数[14]

2021年4月現在で292名。

通学区域
君塚、君塚1丁目、君塚2 - 5丁目、白金町1丁目の一部、白金町2 - 6丁目、五井金杉1 - 3丁目、五井東3丁目の一部、五井金杉4丁目の一部、西五所の一部、八幡海岸通の一部、五所の一部、五井の一部、西野谷の一部、郡本の一部、藤井の一部[9]

市原市立国府小学校

市原市立国府小学校
国府小学校遠景
(2017年11月12日撮影)
創立年 1959年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度29分42.12秒 東経140度5分50.15秒 / 北緯35.4950333度 東経140.0972639度 / 35.4950333; 140.0972639 (市原市立国府小学校)
村上1402番地1[2]
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市原市立国府小学校(いちはらしりつこくふしょうがっこう)は、千葉県市原市村上にある公立小学校。市原市小規模学級特認校に指定されている。

概要

市原市五井地区の村上に位置する。市原市の小規模学級特認校2校のうちの1つである。

沿革[15]

児童数

小規模学級特認校のため2017年4月現在の児童数は72名と少ない[16]

通学区域
村上の一部、惣社の一部、根田の一部、廿五里の一部、更級3丁目[9]

市原市立京葉小学校

市原市立京葉小学校
創立年 1874年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分7.44秒 東経140度4分25.59秒 / 北緯35.5187333度 東経140.0737750度 / 35.5187333; 140.0737750 (市原市立京葉小学校)
五井西3丁目9番地2[2]
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市原市立京葉小学校(いちはらしりつけいようしょうがっこう)は、千葉県市原市五井西にある公立小学校

沿革

1874年(明治7年)、玉前小学校として開校[17]

1883年(明治16年)岩崎小学校に改称、同時に岩崎に移転[17]。1967年(昭和42年)に現校名となる市原市立京葉小学校として創立、岩崎・玉前・出津を校区とし、創立当初の生徒数は10学級315名だった[17]

1993年(平成5年)に千葉県教育功労賞団体賞を受賞している[17]

通学区域
五井南海岸、岩崎、岩崎西1丁目、岩崎1丁目、岩崎2丁目、玉前、玉前西1 - 3丁目、出津西1丁目、出津の一部、五井の一部、五井西1 - 7丁目[9]

市原市立東海小学校

市原市立東海小学校
創立年 1873年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度29分16.49秒 東経140度4分38.36秒 / 北緯35.4879139度 東経140.0773222度 / 35.4879139; 140.0773222 (市原市立東海小学校)
廿五里558番地[2]
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市原市立東海小学校(いちはらしりつとうかいしょうがっこう)は、千葉県市原市廿五里にある公立小学校

沿革

1873年(明治6年)、寺を母体として廿五里小学校(東泉寺)、飯沼小学校(龍昌寺)、島野小学校(三光院)の3小学校が創設される[18]

1889年(明治22年)、前述の3校のうち廿五里小と飯沼小が統合、東海尋常小学校および同校海保分校となる[18]。1897年(明治30年)に「東海尋常高等小学校」に改称、海保字松葉112番地に移転[18]。翌々1899年(明治32年)には飯沼尋常小学校と島野尋常小学校が統合され、再度「東海尋常小学校」に名称を戻す[18]

1925年(大正14年)には東海村立東海尋常小学校に改称、現所在地に移転[18]

戦後の1947年(昭和22年)に東海村立東海小学校[18]、1954年(昭和29年)、五井町の合併に伴い五井町立東海小学校[18]、1963年(昭和38年)、本校南分校を廃止し本校に統合、市原市立東海小学校となり現在に至る[18]

校歌は伊藤公平作詞、寺内昭作曲。[18]

通学区域
飯沼、野毛、町田、海保、廿五里の一部、島野の一部、今富の一部[9]

市原市立有秋東小学校

市原市立有秋東小学校
創立年 1874年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度27分15.89秒 東経140度3分24.17秒 / 北緯35.4544139度 東経140.0567139度 / 35.4544139; 140.0567139 (市原市立有秋東小学校)
不入斗753番地[2]
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市原市立有秋東小学校(いちはらしりつゆうしゅうひがししょうがっこう)は、千葉県市原市不入斗にある公立小学校。通称は東小(ひがししょう)。

沿革

1873年(明治6年)、深城小学校、片又木小学校の2校が設立され、翌1874年(明治7年)に両校が合併し有秋小学校として開校された[19]

1889年(明治22年)に有秋尋常小学校と改称[19]、1941年(昭和16年)有秋国民学校に[19]、1947年(昭和22年)姉崎町立有秋小学校に改称[19]。1963年(昭和38年)、市原市制施行に伴い現校名の市原市立有秋小学校に改称され[19]、更に1968年(昭和43年)に市原市立有秋小学校、市原市立有秋西小学校の東西2校に分離し現在に至る[19]

1923年(大正12年)の関東大震災で被災した際には校舎大破を経験している[19]

通学区域
片又木、有秋台東1丁目、有秋台東2丁目の一部、豊成、立野、泉台1 - 5丁目、迎田の一部、不入斗の一部、深城の一部[9]

市原市立海上小学校

市原市立海上小学校
創立年 1873年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度28分13.17秒 東経140度5分56.22秒 / 北緯35.4703250度 東経140.0989500度 / 35.4703250; 140.0989500 (市原市立海上小学校)
神代125番地[2]
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市原市立海上小学校(いちはらしりつうなかみしょうがっこう)は、千葉県市原市神代にある公立小学校。市原市小規模学級特認校の指定を受けている。

沿革

1873年(明治6年)の学制発布により宮原小学校、分目小学校の2校が創設された[20]

1889年(明治22年)に近在15村が統合し海上村となり、翌々年1891年(明治24年)に宮原小、分目小が統合し海上尋常小学校となる[20]。1941年(昭和16年)海上国民学校に改称[20]、戦後の1947年(昭和22年)には海上村立海上小学校に、1956年(昭和31年)三和町立海上小学校と改称し、1963年(昭和38年)に現校名の市原市立海上小学校となり現在に至る[20]。また、この改称の際に引田・神代地区が同校の学区に変更されている[20]

校舎所在地は1891年(明治24年)2月より現所在地と同一地[20]。2003年(平成15年)には新校舎が完成し、旧南校舎の解体と転居が同時に行われた[20]

1989年(平成元年)には創立100周年を迎え、100周年記念碑が敷地内に建立された[20]

2013年(平成25年)より3年間の期限付きで聖ポール聖学校英語版と姉妹校になっている[20]。また、同年に市原市小規模学級特認校の指定を受けた[20]

安須小学校については、1874年(明治7年)に安須小学校が創設[20]、1892年(明治25年)安須尋常小学校に改称[20]、1925年(大正14年)に海上尋常高等小学校安須分教場となり、同校に吸収合併され廃校した[20]

通学区域
十五沢、小折、西野、柳原、今富の一部、引田の一部、神代、新生の一部、権現堂、糸久、分目、浅井小向、宮原、安須の一部、高坂の一部[9]

市原市立市西小学校

市原市立市西小学校
創立年 1874年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度28分15.87秒 東経140度7分50.55秒 / 北緯35.4710750度 東経140.1307083度 / 35.4710750; 140.1307083 (市原市立市西小学校)
海士有木1130番地[2]
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市原市立市西小学校(いちはらしりつしさいしょうがっこう)は、千葉県市原市海士有木にある公立小学校

沿革

1874年(明治7年)、新堀小学校、相川小学校、大坪小学校の3校が開設され[21]、翌1875年(明治8年)、相川小、大坪小の2校を統合廃校し海士有木小学校が新設開校された[21]。1889年(明治22年)に市西尋常小学校に改称、同時に新堀小学校を分校とする[21]

1941年(昭和16年)千葉県市原郡市西村国民学校に改称[21]、戦後の1947年(昭和22年)千葉県市原郡市西村立市西小学校となり[21]、1955年(昭和30年)に町村合併により千葉県三和町立市西小学校[21]、1963年(昭和38年)市原市制施行により現校名の千葉県市原市立市西小学校となり、現在に至る[21]

旧校舎は1912年(明治45年)当時には小野山台にあった[21]。2005年(平成17年)に創立130周年を祝って記念文集を発行している[21]

通学区域
山倉、福増、海士有木、相川、新堀、武士、西広6丁目の一部、大坪[9]

市原市立養老小学校

市原市立養老小学校
創立年 1873年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度26分53.78秒 東経140度8分5.36秒 / 北緯35.4482722度 東経140.1348222度 / 35.4482722; 140.1348222 (市原市立養老小学校)
松崎820番地[2]
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市原市立養老小学校(いちはらしりつようろうしょうがっこう)は、千葉県市原市松崎にある公立小学校

沿革

1873年(明治6年)川在小学校および松崎小学校が開校される[22]

1909年(明治42年)、前述の2校を含む3校をそれぞれ養老第一小学校(旧磯ヶ谷尋常小学校)、養老第二小学校(旧土宇尋常小学校)、養老第三小学校(旧川在尋常小学校)と改称する[22]。この3校は1916年(大正5年)に統合され養老小学校として開校、養老第三小学校(旧川在尋常小学校)は養老小学校川在分校となる[22]

1963年(昭和38年)に現校名の市原市立養老小学校となり現在に至る[22]

なお、1916年(大正5年)に分校された川在分校は1973年(昭和48年)に廃校され本校に統合されている[22]

通学区域
磯ケ谷、松崎、大桶、新巻、川在、櫃狭、土宇、二日市場、山田[9]

市原市立湿津小学校

市原市立湿津小学校
創立年 1902年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度29分54.19秒 東経140度10分48.32秒 / 北緯35.4983861度 東経140.1800889度 / 35.4983861; 140.1800889 (市原市立湿津小学校)
潤井戸2299番地14[2]
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市原市立湿津小学校(いちはらしりつうるつしょうがっこう)は、千葉県市原市潤井戸にある公立小学校

概要

1874年に源流となる学校が開校した伝統校。市原市の東部、市津地区に属し,学区は旧市津村の範囲の12の大字からなっている[23]。通学児童の最大数は1982年の25学級978名がピークで、以降は減少し2010年に過去最低の児童数230名となった後,2017年以降再び児童数が増加傾向に転じ近年の児童増加率は市原市内トップの勢いである。

年表[23]

  • 1874年 - 横峰小学校、葉木小学校、古都辺小学校の3校が開校される。
  • 1903年 - 徳潤尋常小学校と薫風尋常小学校の2小学校と陶成尋常高等小学校が合併し湿津尋常高等小学校と改称される。
  • 1915年 - 新校舎および小田部分教場(小田部分校)が新築
  • 1917年 - 大正6年9月台風により新築校舎が倒壊する被害を受けた。
  • 1920年 - 倒壊校舎の再建が行われる。
  • 1941年 - 湿津村国民学校に改称
  • 1947年 - 湿津村立湿津小学校に改称
  • 1955年 - 市津村立湿津小学校に改称
  • 1958年 - 現所在地に移転
  • 1963年 - 市原市立湿津小学校に改称
  • 1967年 - 旧校舎取り壊し。
  • 1968年 - 小田部分校が本校に統合され廃校。
  • 2002年 - 創立100周年を迎え、敷地内に校歌碑、および旧校舎跡地に標柱を設置した[23]

児童数

2021年4月現在の児童数は504名。市原市内では9番目。

通学区域
久々津、潤井戸、下野、喜多、犬成、大作、滝口、勝間、葉木、小田部、荻作、神崎、うるいど南1 - 7丁目[9]

市原市立市東第一小学校

市原市立市東第一小学校
創立年 1882年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分29.27秒 東経140度12分9.59秒 / 北緯35.5247972度 東経140.2026639度 / 35.5247972; 140.2026639 (市原市立市東第一小学校)
瀬又1820番地[2]
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市原市立市東第一小学校(いちはらしりつしとうだいいちしょうがっこう)は、千葉県市原市瀬又にある公立小学校。通称は一小(いっしょう)。

沿革

1882年(明治15年)、瀬又小学校、東国吉小学校、永吉小学校が合併、中野光徳寺に三成小学校として開校した[24]。1892年(明治25年)には高等科を設置し、名称を三成尋常高等小学校に改めている[24]

1940年(昭和15年)には更に大正小学校と合併、市東尋常高等小学校に改称[24]。改称は更に続き、1941年(昭和16年)に市東村立市東国民学校[24]、1947年(昭和22年)に市東村立市東小学校[24]、この改称の翌々年となる1949年(昭和24年)に2校に分離し[24]、本校は市東村立市東第一小学校となった[24]

更に、1956年(昭和31年)には市津村立市東第一小学校[24]、1961年(昭和36年)に市津町立市東第一小学校[24]、1963年(昭和38年)に現校名の市原市立市東第一小学校と改称し現在に至る[24]

1972年(昭和47年)に創立90周年となり、同年に現在地建立の新校舎に移転している[24]。2012年(平成24年)には創立130年を迎えた[24]

市原市の東端に位置し、学区は永吉・番場・押沼・中野・高田・瀬又・萩の台・瀬又台・誉田グリーンヒル(グリーンヒルのうち、千葉市緑区誉田3丁目は千葉市立誉田中学校)・高倉・金剛地・奈良・東国吉・古都辺の15町会より構成されており、校区地域は元は農村地帯だった[24]京葉工業地帯の造成に伴う地域内の団地造成進行が影響し1975年(昭和50年)頃から通学児童数が増加[24]、最大ピークは1983年(昭和58年)の18学級658名で、以降は減少傾向が続いている[24]

2016年(平成28年)にはスクールバスでの登下校を開始しており、また、2017年(平成29年)には市原市立市東第二小学校との統合が決定している[24]

通学区域
永吉、中野、高田、番場、押沼、瀬又、高倉、東国吉、金剛地、奈良、古都辺、山之郷飛地[9]

市原市立戸田小学校

市原市立戸田小学校
戸田小学校正門
(2018年12月2日撮影)
創立年 1873年
沿革リンク 沿革 (PDF)
所在地 北緯35度25分26.48秒 東経140度6分57.78秒 / 北緯35.4240222度 東経140.1160500度 / 35.4240222; 140.1160500 (市原市立戸田小学校)
馬立830番地[2]
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市原市立戸田小学校(いちはらしりつとだしょうがっこう)は、千葉県市原市馬立にある公立小学校。通称は戸小(としょう)。

沿革

1873年(明治6年)、戸田小学校として開校[25]

1891年(明治24年)、高等科設置に伴い馬立尋常小学校に改称[25]。1947年(昭和22年)田村立戸田小学校に改称[25]。1967年(昭和42年)、現校名の市原市立戸田小学校に改称し現在に至る[25]

学校の評価として、1958年(昭和33年)に体育優良校として全国表彰を受賞[25]、また1988年(昭和63年)にも千葉県学校体育優良校として千葉県表彰を受賞している[25]。体育研究に関しては2016年(平成28年)までの市原市教育委員会の研究指定校指定回数は6回を数え[25]、2015年(平成27年)には全国学校体育研究文部科学大臣表彰を受賞している[25]

「戸田体操」は本校で80年以上続く伝統であり[26]、「裸足で大きく足を広げ、校庭に立った子どもたちが身体をめいっぱい反らして前屈、後屈、倒立ときびきび動く」[26]体操である。男子は上半身裸でやっていた期間もあるという。[26]

日頃の体育教育の成果を発表する「体育公開研究会」を毎年実施しており、屈伸や上体そらしなどの体操を披露する。6年生が難易度の高い体操を披露するのが伝統となっている。[27]

通学区域
風戸の一部、馬立、上原、中高根の一部、上高根の一部[9]

市原市立牛久小学校

市原市立牛久小学校
牛久小学校遠景
(2017年11月12日撮影)
創立年 1888年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度23分41.16秒 東経140度8分16.85秒 / 北緯35.3947667度 東経140.1380139度 / 35.3947667; 140.1380139 (市原市立牛久小学校)
皆吉933番地2[2]
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市原市立牛久小学校(いちはらしりつうしくしょうがっこう)は、千葉県市原市皆吉にある公立小学校

沿革

同校は1873年(明治6年)の設立以来、分校化や合併、改称を繰り返し、1967年(昭和42年)に現校名となるまでの改称回数は11回に及んでいる[28]

1873年(明治6年)、牛久小学校、皆吉小学校、佐是小学校の3校が設立される[28]。翌々年の1875年(明治8年)、牛久小学校設立、後に成徳小学校と改称される[28]。しかし1877年(明治10年)より、牛久小学校は原田小学校の分校となっている[28]

1878年(明治11年)に皆吉小、佐是小の2校が合併、新規に西国吉小学校が設立される[28]。1889年(明治22年)には成徳小学校(牛久小)が正倫小学校に改称、妙香に分校を設立した[28]。1892年(明治25年)になり妙香分校を廃校、分校児童を本校に収容する[28]

分校廃止の翌年1893年(明治26年)西国吉小学校に高等科を設置し新たに開校した[28]。1910年(明治43年)には正倫小にも高等科、補修科の併置が認可されている[28]

1913年(大正2年)になり西国吉小、正倫小の2校を廃止合併、新たに明治尋常小学校が設置される[28]。同年中に明治尋常小は牛久尋常高等小学校に改称された[28]

昭和に入り、1941年(昭和16年)牛久町国民学校に、戦後の1947年(昭和22年)には学制改革を受けて牛久町立牛久小学校に[28]、1954年(昭和29年)町村合併で南総町立牛久小学校に[28]、1967年(昭和42年)に再び町村合併を受けて現校名となる市原市立牛久小学校に改称され、現在に至る[28]

1988年(昭和63年)に創立100周年を記念し記念碑を建立した[28]

通学区域
佐是、妙香、奉免、牛久、皆吉、金沢、大蔵、岩、藪、中、西国吉の一部、下矢田の一部[9]

市原市立鶴舞小学校

市原市立鶴舞小学校
鶴舞小学校正門
(2017年11月12日撮影)
創立年 1873年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度23分1.94秒 東経140度10分58.56秒 / 北緯35.3838722度 東経140.1829333度 / 35.3838722; 140.1829333 (市原市立鶴舞小学校)
鶴舞708番地[2]
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市原市立鶴舞小学校(いちはらしりつつるまいしょうがっこう)は、千葉県市原市鶴舞にある公立小学校。通称は鶴小(つるしょう)。

沿革

1873年(明治6年)、鶴舞小学校が開設される[29]。開設当初の所在地は旧鶴舞藩藩主、井上正直の居城だった[29]

1900年(明治33年)鶴舞尋常小学校に改称[29]、同年に鶴舞高等小学校が設置される[29]。翌々年1902年(明治35年)には田尾大宮尋常小学校が本校に吸収され廃校となり、本校は鶴舞尋常小学校に改称した[29]。1908年(明治41年)になると鶴舞高等小学校が鶴舞尋常小学校に廃止合併され、鶴舞小学校に改称[29]

昭和に入り、1941年(昭和16年)の国民学校令施行に伴い鶴舞国民学校に改称[29]、戦後の1947年(昭和22年)には学校改革により鶴舞町立鶴舞小学校に[29]、1954年(昭和29年)南総町立鶴舞小学校の改称を経て、1967年(昭和42年)に現校名の市原市立鶴舞小学校と改称し現在に至る[29]

学校教育およびクラブ活動の実績として、1934年(昭和9年)に発団した鶴舞少年赤十字団は青少年赤十字JRCとして現存している[29]ほか、1975年(昭和50年)には千葉県特殊教育センター研究協力指定校[29]、1978年(昭和53年)には交通安全教育研究優良校として千葉県教育委員長より表彰されている[29]

2000年代からは水泳部の実績として、2000年(平成12年)に日本水泳連盟優秀賞を受賞しており[29]、2008年(平成20年)には小学校水泳大会南総・加茂地区大会で5大会連続優勝を記録している[29]。この5連覇の功績により、2008年度(平成20年度)市原市教育委員会スポーツ賞を受賞した[29]

2013年(平成25年)にはミニバスケットボール部が5連覇を達成し、再び市原市スポーツ表彰を受けている[29]

通学区域
水沢、矢田、池和田、田尾、山小川、奥野の一部、下矢田の一部、鶴舞の一部、平蔵、米原、小草畑[9]

市原市立有秋西小学校

市原市立有秋西小学校
創立年 1966年?
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度26分53.86秒 東経140度3分7.59秒 / 北緯35.4482944度 東経140.0521083度 / 35.4482944; 140.0521083 (市原市立有秋西小学校)
有秋台西2丁目3番地[2]
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市原市立有秋西小学校(いちはらしりつゆうしゅうにししょうがっこう)は、千葉県市原市有秋台西にある公立小学校。通称は西小(にししょう)。

概要

学校情報沿革に正確な創立年の記載がないが、市原市公式有秋西小学校学校情報ページによれば1976年(昭和51年)に創立10周年記念と記述がある[30]。本校の学区は市原市臨海工業地帯の造成に伴い千葉県が造成した有秋台団地および山谷の一部で構成されている[30]

通学児童数のピークは1981年(昭和56年)の29学級1,144名で、翌年の1982年(昭和57年)には市原市立有秋南小学校が分離独立している[30]

児童数

2017年(平成29年)4月1日現在の児童数は13学級328名となっている[30]

通学区域
有秋台東2丁目の一部、有秋台東3丁目、有秋台西1 - 2丁目、椎津の一部、迎田の一部、不入斗の一部、深城の一部[9]

市原市立若葉小学校

市原市立若葉小学校
創立年 1971年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分19.42秒 東経140度5分27.73秒 / 北緯35.5220611度 東経140.0910361度 / 35.5220611; 140.0910361 (市原市立若葉小学校)
五井5555番地1[2]
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市原市立若葉小学校(いちはらしりつわかばしょうがっこう)は、千葉県市原市五井にある公立小学校

沿革

1971年(昭和46年)市原市立五井小学校より分離独立、翌年の新校舎完成まで、12クラスが五井小に同居[31]。当時の学区は市原市五井6000番地台[31]

1972年(昭和47年)に新校舎およびプールが完成[31]。1977年(昭和52年)には屋内運動場が完成している[31]。翌1978年(昭和53年)には五井公民館設置に際し、同校敷地のうち5,904平方メートルが転用された[31]

2014年(平成26年)に創立40周年を迎えている[31]

通学区域
五井海岸、五井の一部、五井金杉4丁目の一部[9]

市原市立若宮小学校

市原市立若宮小学校
創立年 1972年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分39.16秒 東経140度8分7.59秒 / 北緯35.5275444度 東経140.1354417度 / 35.5275444; 140.1354417 (市原市立若宮小学校)
若宮3丁目13番地[2]
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市原市立若宮小学校(いちはらしりつわかみやしょうがっこう)は、千葉県市原市若宮にある公立小学校

沿革

1972年(昭和47年)4月、市原市立若宮小学校として新設開校[32]。開校当初の児童数は10学級253名[32]。同年10月9日に校舎落成開校式典を挙行しており、この日が同校開校記念日となっている[32]。学区は団地内若宮1 - 7丁目と周辺の山木、能満、菊間の一部である[32]

児童数のピークは1980年(昭和55年)の32学級で、この当時はプレハブ仮校舎を増築し、翌1981年(昭和56年)3月まで使用して対処した[32]。2017年5月1日現在の児童数は277名[32]

1983年(昭和58年)以降、市原市教育委員会より複数回の研究学校指定を受けており、2015年(平成27年)までの指定回数は13回に及ぶ[32]

その他、学校表彰回数は6回で、1997年(平成9年)には日本PTA連絡協議会より会長賞団体表彰を[32]、1999年(平成11年)には全日本交通安全協会から交通安全優良学校受賞および千葉県知事より交通安全功労者千葉県知事表彰を[32]、2003年(平成15年)には市原市より地域貢献表彰を受け[32]、2011年(平成23年)に千葉県教育功労者団体の部受賞[32]、2012年(平成24年)に平成24年度優良PTA文部科学大臣表彰を受賞している[32]

通学区域
若宮1 - 7丁目、能満の一部、山木の一部、菊間の一部[9]

加茂小学校(加茂学園内)

加茂学園
創立年 2013年
所在地 北緯35度19分58.4秒 東経140度8分44.69秒 / 北緯35.332889度 東経140.1457472度 / 35.332889; 140.1457472 (加茂小学校(加茂学園内))
平野123番地
加茂学園敷地内に併設)[2]
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2013年(平成25年)4月に高滝・里見・富山・白鳥の4小学校を統合し創立されたのが「市原市立加茂小学校」、つまり当校であり、その上で既存の「市原市立加茂中学校」と合併し市原市初の小中一貫教育校、「加茂学園」として開設された経緯を持つ[33]

市原市南部に位置しており[33]、2017年(平成29年)4月1日現在の小学校1年から6年までと中学校の1年から3年(7-9年生)までを合計した全校生徒数は193名[34]

通学区域
新井、吉沢、古敷谷、小谷田、外部田、久保、駒込、山口、養老、本郷、高滝、大和田、不入、平野、大戸、飯給、万田野、柿木台、徳氏、田淵、田淵旧日竹、月出、戸面、朝生原、石神、折津、大久保、国本、月崎、柳川、菅野、石塚[9]

市原市立石塚小学校

市原市立石塚小学校
所在地 北緯35度32分40.64秒 東経140度7分48.28秒 / 北緯35.5446222度 東経140.1300778度 / 35.5446222; 140.1300778 (市原市立石塚小学校)
八幡石塚2丁目4番地[2]
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市原市立石塚小学校(いちはらしりついしづかしょうがっこう)は、千葉県市原市八幡石塚にある公立小学校

沿革

2003年に創立30周年を記念して「市原市立石塚小学校創立30周年記念誌」を刊行している[35]

部活動

本校水泳部所属の児童が市原地区水泳大会で2016年(平成28年)と2017年(平成29年)の2年連続で総合優勝している[36]。また、2017年(平成29年)9月の市原市陸上大会では本校児童3名が入賞した[36]。その他、2001年の千葉県ポスター・標語コンクールで本校児童が優秀賞を受賞している[37]

外部チーム

学外サッカーチームとして本校をホームとする石塚FCがあり、本校児童の男女が参加している[38]

通学区域
八幡浦1 - 2丁目、八幡北町1 - 3丁目、八幡石塚1 - 2丁目、八幡の一部[9]

市原市立白幡小学校

市原市立白幡小学校
創立年 1979年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分2.56秒 東経140度8分38.9秒 / 北緯35.5173778度 東経140.144139度 / 35.5173778; 140.144139 (市原市立白幡小学校)
山木108番地[2]
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市原市立白幡小学校(いちはらしりつしらはたしょうがっこう)は、千葉県市原市山木にある公立小学校

沿革

1979年(昭和54年)、市原市立市原小学校市原市立辰巳台西小学校市原市立辰巳台東小学校の3校から分離独立し創立した[39]。創立当初の児童数は702名[39][注釈 4]

児童数のピークは1982年(昭和57年)の20学級728名[39]で、以降は減少傾向となり2017年4月現在の児童数は11学級238名である[39]

学校実績としては1982年(昭和57年)に千葉県健康優良校表彰があり[39]、その他、千葉県教育委員会からの研究指定が1997年(平成9年)に1回[39]、市原市教育委員会研究指定が1988年(昭和63年)、2002年(平成14年)、2003年(平成15年)で3回を経験している[39]

通学区域
辰巳台西2丁目、辰巳台東3丁目の一部、能満の一部、山木の一部、大厩の一部[9]

市原市立国分寺台小学校

市原市立国分寺台小学校
創立年 1979年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度29分30.86秒 東経140度6分52.26秒 / 北緯35.4919056度 東経140.1145167度 / 35.4919056; 140.1145167 (市原市立国分寺台小学校)
南国分寺台3丁目2番地[2]
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市原市立国分寺台小学校(いちはらしりつこくぶんじだいしょうがっこう)は、千葉県市原市南国分寺台にある公立小学校。通称は台小(だいしょう)。

沿革

1979年(昭和54年)、市原市立国府小学校より分離し開校[40]。2008年(平成20年)に創立30周年を迎えている[40]

1989年に市原市立国分寺台東小学校が開校したことに伴い本校学区が変更され、本校通学児童のうち131名が国分寺台東小へ、30名が国分寺台西小へと通学区域を変更された[40]

学校実績としては1995年(平成7年)に千葉県教育功労者団体の部を受賞している[40]ほか、市原市教育委員会指定教育研究を2016年(平成28年)までに3回指定されている[40]

通学区域
西広1 - 5丁目、西広6丁目の一部、南国分寺台1 - 5丁目、諏訪1 - 2丁目、惣社1丁目、惣社2丁目の一部、惣社3丁目の一部、惣社4 - 5丁目、惣社の一部、西広の一部、村上の一部[9]

市原市立光風台小学校

市原市立光風台小学校
創立年 1980年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度26分44.36秒 東経140度5分53.22秒 / 北緯35.4456556度 東経140.0981167度 / 35.4456556; 140.0981167 (市原市立光風台小学校)
光風台4丁目546番地[2]
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市原市立光風台小学校(いちはらしりつこうふうだいしょうがっこう)は、千葉県市原市光風台にある公立小学校

沿革

1980年(昭和55年)、市原市立戸田小学校市原市立海上小学校より分離し開校した[41]。開校より2年後の1982年(昭和57年)に増築校舎が完成するまでは、一部児童がプレハブ校舎で授業を受けた[41]。2008年(平成21年)に創立30周年を迎えている[41]

学校実績としては当時の文部省および市原市教育委員会の研究学校指定を2007年(平成20年)までに合計7回受けており[41]、1994年(平成6年)には千葉県教育功労者・団体の部を受賞している[41]

学校教育として1987年(昭和62年)頃から畑作などの体験的学習を開始しており、1992年(平成4年)には学校敷地内に水田を造成している[41]

部活動

1993年(平成5年)に本校男子ミニバスケットボール部が千葉県大会で優勝、全国大会ではベスト16に入った[41]

通学区域
光風台1 - 5丁目、安須の一部、高坂の一部、中高根の一部、風戸の一部、引田の一部、新生の一部[9]

市原市立寺谷小学校

市原市立寺谷小学校
創立年 1980年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度24分28.04秒 東経140度6分19.38秒 / 北緯35.4077889度 東経140.1053833度 / 35.4077889; 140.1053833 (市原市立寺谷小学校)
寺谷687番地1[2]
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市原市立寺谷小学校(いちはらしりつてらやつしょうがっこう)は、千葉県市原市寺谷にある公立小学校。通称は寺小(てらしょう)。

沿革

もともと市原市立戸田小学校寺谷分校であったが、独立して1980年(昭和55年)に市原市立寺谷小学校として開校した[42]。翌1981年(昭和56年)に現所在地に校舎造成を開始[42]。2010年(平成22年)に創立30周年を迎えている[42]

学校実績として、市原市教育委員会指定研究学校の指定を2011年(平成23年)までに8回受けている[42]

2008年(平成20年)より南総地区で運行開始されたコミュニティバスを、ときわ台および栢橋地区の児童が通学に利用している[42]

通学区域
南岩崎、寺谷、栢橋、上高根の一部、西国吉の一部[9]

市原市立国分寺台西小学校

市原市立国分寺台西小学校
創立年 1982年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度30分19.24秒 東経140度6分47.74秒 / 北緯35.5053444度 東経140.1132611度 / 35.5053444; 140.1132611 (市原市立国分寺台西小学校)
西国分寺台2丁目11番地1[2]
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市原市立国分寺台西小学校(いちはらしりつこくぶんじだいにししょうがっこう)は、千葉県市原市西国分寺台にある公立小学校。通称は西小(にししょう)。

沿革

1982年(昭和57年)開校[43]。当初は13学級、児童数476名だった[43]。2011年(平成23年)に創立30周年を迎えている[43]

学校実績として、千葉県教育委員会および市原市教育委員会の推進校および研究校指定を各1回ずつ受けている[43]ほか、2010年(平成22年)には千葉県学校体育優良校になった[43]

クラブ活動実績としては2015年(平成27年)に男女陸上部が児童生徒スポーツ賞を受賞している[43]

2017年(平成29年)4月時点の児童数は527名[43]

通学区域
北国分寺台1 - 5丁目、加茂1 - 2丁目、根田1 - 4丁目、西国分寺台1 - 2丁目、山田橋2丁目の一部、国分寺台中央5 - 7丁目、惣社2丁目の一部、惣社3丁目の一部、根田の一部、加茂[9]

市原市立有秋南小学校

市原市立有秋南小学校
創立年 1982年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度26分33.99秒 東経140度3分2.31秒 / 北緯35.4427750度 東経140.0506417度 / 35.4427750; 140.0506417 (市原市立有秋南小学校)
桜台3丁目1番地1[2]
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市原市立有秋南小学校(いちはらしりつゆうしゅうみなみしょうがっこう)は、千葉県市原市桜台にある公立小学校。通称は南小(みなみしょう)。

沿革

1982年(昭和57年)、市原市立有秋南小学校として開設[44]

学校実績として市原市教育委員会などからの推進校および研究学校指定を2015年(平成27年)までに8回受けている[44]

通学区域
天羽田、椎の木台1 - 2丁目、桜台1 - 4丁目、椎津の一部、迎田の一部、不入斗の一部、深城の一部[9]

市原市立国分寺台東小学校

市原市立国分寺台東小学校
創立年 1989年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度29分47.61秒 東経140度7分14.74秒 / 北緯35.4965583度 東経140.1207611度 / 35.4965583; 140.1207611 (市原市立国分寺台東小学校)
東国分寺台5丁目1番地[2]
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市原市立国分寺台東小学校(いちはらしりつこくぶんじだいひがししょうがっこう)は、千葉県市原市東国分寺台にある公立小学校。通称は東小(ひがししょう)。

沿革

1989年(平成元年)に市原市立国分寺台小学校市原市立国分寺台西小学校から分離し、市内42番目の小学校として開校[45]。開校当初の所在地は山田橋744番地で[45]、児童数は385名だった[45]

学校実績として2015年(平成27年)までに市原市教育委員会などから研究校指定を7回受けている[45]

通学区域
国分寺台中央1 - 4丁目、東国分寺台1 - 5丁目、山田橋1丁目の一部、山田橋2丁目の一部、西広の一部[9]

市原市立水の江小学校

市原市立水の江小学校
創立年 1989年
沿革リンク 沿革 (PDF)
所在地 北緯35度32分0.11秒 東経140度11分30.04秒 / 北緯35.5333639度 東経140.1916778度 / 35.5333639; 140.1916778 (市原市立水の江小学校)
ちはら台東2丁目15番地[2]
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市原市立水の江小学校(いちはらしりつみずのえしょうがっこう)は、千葉県市原市ちはら台東にある公立小学校

沿革

1989年(平成元年)開校[46]。当時の地番は押沼729番地1であった。2008年(平成20年)に創立20周年を迎えている[46]。2017年(平成29年)4月時点の在校児童数は16学級478名[46]

1994年(平成6年)には市原市立清水谷小学校へ本校児童566名が転出し、12学級342名に減少した[46]。2010年(平成22年)にも児童数増加による学校分離が行われ、このときは本校児童492名が市原市立ちはら台桜小学校へ転出している[46]

通学区域
ちはら台東1 - 3丁目、ちはら台東6丁目の一部、ちはら台東7丁目の一部[9]

市原市立五所小学校

市原市立五所小学校(いちはらしりつごしょしょうがっこう)は、千葉県市原市五所にある公立小学校

市原市立五所小学校
創立年 1873年
沿革リンク 沿革 (PDF)
所在地 北緯35度31分34.97秒 東経140度7分3秒 / 北緯35.5263806度 東経140.11750度 / 35.5263806; 140.11750 (市原市立五所小学校)
五所2154番地1[2]
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概要

現在の2代目は市原市立白金小学校の児童数増加によって分離開校した新設校である。初代は明治時代に白金小学校に併合されている。

初代沿革

1873年(明治6年)、明照院の境内、現五所踏切付近に五所小学校として設立[47]。1889年(明治22年)に白金小学校と統合した。

2代目沿革

1992年(平成4年)に白金小より13学級439名が分離独立、現校名の市原市立五所小学校として発足する[47]。2005年(平成17年)に千葉県教育奨励賞を受賞している[47]

部活動

クラブ活動実績としては2004年(平成16年)に東関東吹奏楽大会でフェスティバル大賞[47]、2006年(平成18年)全日本小学校バンドフェスティバル優秀賞[47]、2011年(平成23年)全国少年少女消防クラブフレンドシップ2011優良賞を受賞している[47]

通学区域
旭五所、東五所、西五所の一部、五所の一部、西野谷の一部、八幡海岸通の一部、八幡の一部、白金町1丁目の一部、門前の一部、郡本の一部[9]

市原市立牧園小学校

市原市立牧園小学校
創立年 1995年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度31分34.46秒 東経140度10分34.69秒 / 北緯35.5262389度 東経140.1763028度 / 35.5262389; 140.1763028 (市原市立牧園小学校)
ちはら台南2丁目7番地[2]
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市原市立牧園小学校(いちはらしりつまきぞのしょうがっこう)は、千葉県市原市ちはら台南にある公立小学校

沿革

1996年(平成8年)開校[48]。開校時の地番は草刈1726番地であった。2015年(平成27年)に創立20周年を迎えている[48]。学校実績としては2013年(平成25年)までに研究学校指定を6回受けている[48]

通学区域
ちはら台西1 - 5丁目、ちはら台西6丁目の一部、ちはら台南1 - 2丁目、草刈の一部。

休校・閉校・廃校

厳密には学校授業を休むことを指す休校[49]、一時的に学校を閉鎖して学校授業を休止する閉校[50]、学校そのものを廃止する廃校[51]はそれぞれ意味の違う区分であるが、当記事では便宜上ここにひとまとめに記述する。

市原市立市東第二小学校

市原市立市東第二小学校
創立年 1912年
閉校年 2015年
沿革リンク 沿革 (PDF)
所在地 北緯35度30分12.39秒 東経140度13分43.6秒 / 北緯35.5034417度 東経140.228778度 / 35.5034417; 140.228778 (市原市立市東第二小学校)
高倉1番地1[2]
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2015年(平成27年)末に閉校しており[2]、2017年度に市原市立市東第一小学校に統合される[52]。2017年時点で創立104年を迎えていた[52]

閉校式の様子は市内テレビ局の取材を受け放映された[53]

1912年(大正元年)に弘道尋常小学校と奈良尋常小学校を統合し、大正尋常小学校として独立開校したのが始まりである[54]

1940年(昭和15年)に三成小学校と合併、市東尋常高等小学校に改称[54]、翌1941年(昭和16年)には市東国民学校となっている[54]

戦後の1947年(昭和22年)に東村立市東小学校となり、翌々年の1949年(昭和24年)に同校より分離独立、市東第二小学校となる[54]

1954年(昭和29年)以降は町村合併などで改称が続き、1954年(昭和29年)に市津村立市東第二小学校[54]、1961年(昭和36年)に市津町立市東第二小学校[54]、1936年(昭和38年)に現校名である市原市立市東第二小学校に改称、現在に至る[54]

1992年(平成4年)には創立80周年を記念し敷地内に記念植樹を行った[54]

通学区域
閉校のため学区なし、廃校前の2012年3月29日時点では高倉、東国吉、金剛地、奈良、古都辺、山之郷飛地だった[55]

市原市立平三小学校

市原市立平三小学校
平三小学校遠景
(2017年11月12日撮影)
創立年 1876年
閉校年 2016年
沿革リンク 沿革
所在地 北緯35度20分7.65秒 東経140度12分29.57秒 / 北緯35.3354583度 東経140.2082139度 / 35.3354583; 140.2082139 (市原市立平三小学校)
平蔵808番地[2]
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1876年(明治9年)創立[56]

1890年(明治23年)、米原分校および小草畑分校が統合し平三小学校となったが[56]、翌々年1892年(明治25年)には平三小学校が平蔵小学校として分離独立する[56]

昭和期になり1941年(昭和16年)には平三国民学校に改称、戦後1947年(昭和22年)の6・3制施行に伴い平三小学校に[56]、1954年(昭和29年)市町村合併に伴い南総町立平三小学校[56]、1967年(昭和42年)に更に合併が行われて現校名の市原市立平三小学校に改称、現在に至る[56]

校舎は当初別地にあり、1908年(明治41年)には当時の新校舎が落成し[56]、1925年(大正14年)に平蔵・米原・小草畑にそれぞれ存在した分校校舎を合併、それぞれの校舎はそのまま仮教場となっており[56]、1933年(昭和8年)に現在地の平蔵808番地[2]に木造新校舎が完成[56]、大正末期に制定されていた平蔵・米原・小草畑の3か所の仮教場から児童移転が行われた[56]

2016年(平成28年)3月31日付で閉校した[57]

1960年(昭和35年)制定の校歌作曲は芥川也寸志[56]

通学区域
廃校前の2012年3月29日時点では平蔵、米原、小草畑だった[55]

市原市立月出小学校

市原市立月出小学校
創立年 1873年
閉校年 2007年
所在地 北緯35度17分28.6秒 東経140度10分53.5秒 / 北緯35.291278度 東経140.181528度 / 35.291278; 140.181528 (市原市立月出小学校)
月出1045番地
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1873年 上総国市原郡月出村86番地の仮校舎にて開校。 [58]

1890年 月出字下畑に移転。[58]

かつて市原市加茂地区に存在したが、2006年(平成18年)末に在校児童数ゼロとなり[3]、翌2007年(平成19年)3月末日をもって閉校した[59]。閉校時点で創立から134年経過していた[60][58]

通学区域
閉校のため学区なし

市原市立内田小学校

市原市立内田小学校
所在地 北緯35度24分16.11秒 東経140度10分26.85秒 / 北緯35.4044750度 東経140.1741250度 / 35.4044750; 140.1741250 (市原市立内田小学校)
島田20番地[2]
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市原市立内田小学校(いちはらしりつうちだしょうがっこう)は、千葉県市原市島田20番地に過去に存在した公立小学校である。通称は内小(うちしょう)。

沿革

宿174番8に現存する木造の旧校舎が市原市内に現存する唯一の木造学校舎で、地域住民および賛同者で構成される民間団体「報徳の会」が管理し「内田未来楽校」として毎月2回のイベントに使用している[61]

2017年2月11日には市原市および小湊鉄道と協力してNPO法人ちば市民活動・市民事業サポートクラブ主催による同校現校舎および旧校舎の内田未来楽校を集合場所とする小湊鉄道沿線見学会を開催した[62]

年表

  • 1928年(昭和3年) - 木造校舎建築。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 内田村立内田小学校に改称。
  • 1954年(昭和29年)11月15日 - 南総町立内田小学校に改称。
  • 1965年(昭和40年) - 同年限りで閉校した南総町立内田中学校跡地に移転。
  • 1967年(昭和42年)10月1日 - 市原市立内田小学校に改称。
  • 2021年(令和3年)3月31日 - 市原市立内田小学校閉校。
通学区域
宿、島田、堀越、市場、原田、石川、江子田、安久谷、米沢、真ケ谷、奥野の一部、鶴舞の一部[9]

脚注

注釈
  1. ^ 学区人口は2018年(平成30年)4月1日現在の情報である。生徒数と学級数に関しては各校が公表している最新年の情報を表記しているため、学校によって統計年が異なる場合がある。2022年(令和4年)のもの以外は注釈表記する。
  2. ^ 「前年比」は児童数の前年比である。増加していたら「増加」、増減なしは「横ばい」、減少していたら「減少」と表記する。
  3. ^ a b c d e f g h i 生徒数及び学級数は2021年(令和3年度)のデータ
  4. ^ 沿革史冒頭では802名としているが、下記沿革史では児童数557名となっている[39]
脚注
  1. ^ 市原市小中学校二学期制について”. 市原市. 2022年7月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 小学校一覧.
  3. ^ a b 検討委員会, p. 1.
  4. ^ a b 検討委員会, p. 2.
  5. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「三育小top」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  6. ^ 市原市資料13”. 市原市. 2022年10月11日閲覧。
  7. ^ 市原市公共施設カルテ学校教育施設”. 市原市. 2022年8月25日閲覧。
  8. ^ a b 辰巳台東小沿革.
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 通学区域一覧.
  10. ^ 辰巳台西小沿革.
  11. ^ a b 市原市学校施設耐震一覧”. 2022年7月23日閲覧。
  12. ^ 辰巳台西小学校便り”. 市原市. 2022年7月24日閲覧。
  13. ^ 白金小沿革.
  14. ^ 市原市立八幡小学校 (2016年12月13日). “校章・校歌”. 市原市. 2017年11月28日閲覧。
  15. ^ 国府小沿革.
  16. ^ 市原市立国府小学校. “国府小学校”. 市原市. 2017年11月28日閲覧。
  17. ^ a b c d 京葉小沿革.
  18. ^ a b c d e f g h i 東海小沿革.
  19. ^ a b c d e f g 有秋東小沿革.
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m 海上小沿革.
  21. ^ a b c d e f g h i 市西小沿革.
  22. ^ a b c d e 養老小沿革.
  23. ^ a b c 湿津小沿革.
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 市東第一小沿革.
  25. ^ a b c d e f g h 戸田小沿革.
  26. ^ a b c “(われらスポーツ仲間)市原市立戸田小学校「戸田体操」 「伝統、今も裸足」/千葉県”. 朝日新聞 東京地方版/千葉. (2009年10月30日) 
  27. ^ “[学校自慢]戸田小学校 切れのいい体操技 披露=千葉”. 読売新聞 東京朝刊. (2016年1月30日) 
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 牛久小沿革.
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 鶴舞小沿革.
  30. ^ a b c d 有秋西小沿革.
  31. ^ a b c d e f 若葉小沿革.
  32. ^ a b c d e f g h i j k l 若宮小沿革.
  33. ^ a b 加茂学園. “加茂学園”. 市原市. 2017年11月29日閲覧。
  34. ^ 加茂学園 (2017年4月1日). “学校情報”. 市原市. 2017年11月29日閲覧。
  35. ^ 『市原市立石塚小学校創立30周年記念誌』市原市立石塚小学校創立30周年記念事業実行委員会、2003年。 
  36. ^ a b 市原市立石塚小学校 (2016年). “活動の様子”. 市原市. 2017年11月29日閲覧。
  37. ^ 千葉県水道局 (2001年5月25日). “県水だより” (PDF). 国立国会図書館. p. 2. 2017年11月29日閲覧。
  38. ^ 石塚FCオフィシャルホームページ”. 石塚FC. 2017年11月29日閲覧。
  39. ^ a b c d e f g h 白幡小沿革.
  40. ^ a b c d e 国分寺台小沿革.
  41. ^ a b c d e f g 光風台小沿革.
  42. ^ a b c d e 寺谷小沿革.
  43. ^ a b c d e f g 国分寺台西小沿革.
  44. ^ a b 有秋南小沿革.
  45. ^ a b c d 国分寺台東小沿革.
  46. ^ a b c d e 水の江小沿革.
  47. ^ a b c d e f 五所小沿革.
  48. ^ a b c 牧園小沿革.
  49. ^ 小学館『デジタル大辞泉』. “休校”. コトバンク. 2017年12月16日閲覧。
  50. ^ 三省堂『大辞林 第三版』. “閉校”. コトバンク. 2017年12月16日閲覧。
  51. ^ 小学館『デジタル大辞泉』. “廃校”. コトバンク. 2017年12月16日閲覧。
  52. ^ a b 市原市立市東第二小学校. “市東第二小学校”. 市原市. 2017年11月28日閲覧。
  53. ^ いちはら情報局「市東第二小学校閉校」” (youtube). いちはら情報局 (2017年3月23日). 2017年11月28日閲覧。
  54. ^ a b c d e f g h 市東第二小沿革.
  55. ^ a b 廃校学区一覧.
  56. ^ a b c d e f g h i j k 平三小沿革.
  57. ^ 市原市立平三小学校. “平三小学校”. 市原市. 2017年11月28日閲覧。
  58. ^ a b c 『閉校記念誌 流風月出の郷』閉校事業実行委員会、2007年3月。 
  59. ^ 検討委員会, p. 5.
  60. ^ 検討委員会, p. 13.
  61. ^ 内田未来楽校ホームページ”. 報徳の会 事務局長. 2017年11月29日閲覧。
  62. ^ 歴史の中の里山とローカル鉄道” (PDF). ちば市民活動・市民事業サポートクラブ (2016年). 2017年11月29日閲覧。

参考文献

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  • 市原市立市原小学校. “市原小学校”. 市原市. 2017年11月28日閲覧。
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  • 市原市立辰巳台西小学校. “学校情報”. 市原市. 2017年11月28日閲覧。
  • 市原市立五井小学校 (2015年10月15日). “学校の沿革”. 市原市. 2017年11月28日閲覧。
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  • 市原市立京葉小学校 (2015年8月31日). “学校基本情報”. 市原市. 2017年11月29日閲覧。
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関連項目

外部リンク